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中澤雅人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中沢雅人から転送)
中澤 雅人
ヤクルト時代
(2010年6月7日 明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区
生年月日 (1985-02-16) 1985年2月16日(39歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 2010年3月30日
最終出場 2020年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中澤 雅人(なかざわ まさと、1985年2月16日 - )は、元プロ野球選手投手)。左投左打。

経歴

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プロ入り前

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埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)で生まれ[1][2]、幼少期に石川県富山県と引越しを繰り返す[3]

富山県立富山商業高等学校3年夏にエースで第84回全国高等学校野球選手権大会出場も初戦敗退[4]中央大学では1年春から登板。2年春に30奪三振、防御率0.95を記録し、3勝を挙げるも、その後は怪我で苦しみ、1部通算5勝で終わる。3年秋の入替戦で敗れるとチームも2部に降格し、プロにアピールできず、トヨタ自動車に進む。

社会人野球では2008年、ヤマハの補強選手として都市対抗野球大会に出場。社会人野球日本選手権大会では日本生命戦で先発し、6回途中無失点と好投するなど、チームの日本一に貢献。2009年、都市対抗二次予選、Honda鈴鹿戦で、最速147km/hを記録。本戦でも3試合登板無失点。

2009年10月29日、ドラフト会議東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け、11月30日に契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円で仮契約した(金額は推定)。背番号14。トヨタからヤクルトに入団したのは古田敦也以来2人目。

プロ入り後

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2010年は開幕4戦目の中日ドラゴンズ戦で初登板・初先発を果たした。この試合で5回1/3をトニ・ブランコの本塁打のみの2失点に抑え初勝利を挙げた。球団では石川雅規以来8年ぶり、2010年の新人で最初に勝ち星を挙げた投手となった。4月23日の横浜ベイスターズ戦では、球団では山部太以来16年ぶりとなる新人での完封勝利を記録するとともに、打撃でも3安打を放ち、チームでは1969年の藤原真以来41年ぶり、日本のプロ野球全体で見ても1972年の山本和行阪神タイガース)以来38年ぶりとなる新人投手の猛打賞を達成した[3]

2011年は1試合の登板に終わる。

2012年は、後半戦に谷間の先発として抜擢され、3つの試合に先発し、2勝を挙げた。

2013年は開幕二軍となるが、7月5日に一軍登録される。その後3試合に先発するが、いずれも5回までに降板した。11月11日、翌年度より背番号を14から54に変更することが発表された[5]

2014年は4月に一度先発したものの、登録抹消となった。8月の復帰以降はリリーフとして登板を重ね、23試合で防御率0.84の成績を残した。

2015年は、中継ぎとして自己最多35試合に登板し防御率3.03、ホールド3つを記録した。

2016年は、前年を下回る19試合の登板にとどまるも、左打者を被打率.171に抑えた。

2017年は、28試合に登板。

2018年は、ワンポイントを中心に37試合に登板。防御率は6点台だったが、11ホールドを記録した。

2019年は、1試合の登板にとどまった。

2020年は、28試合に登板し、1勝1敗、防御率7.36を記録[3]。10月24日、現役引退を表明[3]。二軍サブマネジャー(管理業務兼務)として球団に残った[6]

引退後

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2021年度より、二軍サブマネージャー兼広報に就任した。

選手としての特徴

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投球フォームをサイドスローに変更後は対左のワンポイントとして登板していた。スライダーが武器。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2010 ヤクルト 23 20 2 1 0 7 9 0 0 .438 483 107.2 130 23 40 1 2 62 1 0 76 68 5.68 1.58
2011 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 13 2.0 7 0 0 0 0 1 0 0 5 4 18.00 3.50
2012 3 3 0 0 0 2 0 0 0 1.000 66 15.0 15 0 5 0 2 8 1 0 4 4 2.40 1.33
2013 3 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 63 11.1 19 4 11 0 0 8 0 0 13 10 7.94 2.65
2014 24 1 0 0 0 1 0 0 4 1.000 98 23.0 20 1 10 1 0 20 1 0 5 4 1.57 1.26
2015 35 0 0 0 0 1 2 0 3 .333 136 29.2 32 2 15 1 1 21 1 0 12 10 3.03 1.59
2016 19 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 87 20.1 17 3 6 1 3 11 1 0 8 8 3.54 1.08
2017 28 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 110 26.1 27 3 6 0 0 21 1 0 12 12 4.10 1.25
2018 37 0 0 0 0 0 0 0 11 ---- 128 28.2 34 4 6 0 2 24 1 0 22 22 6.91 1.40
2019 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 9 1.2 4 1 0 0 0 1 0 0 4 4 21.60 2.40
2020 28 0 0 0 0 1 1 0 3 .500 119 25.2 32 6 9 2 1 19 0 0 21 21 7.36 1.60
NPB:11年 202 28 2 1 0 13 15 0 21 .464 1312 291.1 337 47 108 6 11 196 7 0 182 167 5.16 1.53

年度別守備成績

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投手












2010 ヤクルト 23 6 13 1 0 .950
2011 1 0 0 0 0 ----
2012 3 0 4 0 0 1.000
2013 3 2 2 1 0 .800
2014 24 1 4 0 0 1.000
2015 35 3 7 0 0 1.000
2016 19 1 3 0 1 1.000
2017 28 3 6 0 1 1.000
2018 37 1 12 0 0 1.000
2019 1 0 0 0 0 ----
2020 28 0 6 1 0 .857
通算 202 17 57 3 2 .961

表彰

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記録

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投手記録
打撃記録
  • 初安打:2010年4月23日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、2回表に清水直行から中前安打
  • 初得点:同上、2回表二死一・二塁から森岡良介の適時二塁打で生還

背番号

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  • 14(2010年 - 2013年)
  • 54(2014年 - 2020年)

登場曲

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脚注

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  1. ^ “Masato Nakazawa Player Card”. The Baseball Cube. http://www.thebaseballcube.com/players/profile.asp?ID=161894 2020年12月1日閲覧。 
  2. ^ “Masato Nakazawa Japanese Leagues Statistics & History”. Baseball-Reference.com. https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=nakaza001mas 2020年12月1日閲覧。 
  3. ^ a b c d ヤクルト中沢が今季限りで現役引退「感謝しかない」”. 日刊スポーツ (2020年10月24日). 2021年1月16日閲覧。
  4. ^ 2010スポニチプロ野球選手名鑑
  5. ^ 背番号変更のお知らせヤクルト球団公式サイト
  6. ^ プロ野球12球団 戦力外、退団、引退選手など一覧”. 日刊スポーツ. 2021年1月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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