中隈敬蔵
表示
中隈 敬蔵(なかくま けいぞう、安政4年9月29日[1](1857年11月15日) – 大正13年(1924年)3月21日[2])は、日本の日本の官僚。会計検査院長。位階および勲等は従二位・勲一等。
経歴
[編集]安政4年9月29日、佐賀藩士中隈武雅と母乕子の二男として生まれた。1871年に藩の推薦で東京に出た[1]。大学南校を経て、1880年、東京大学理財政治学科を卒業した[3][4]。
会計検査院に出仕したが、まもなく大蔵省御用掛に転じ、さらに農商務省御用掛、東京山林学校(のち東京農林学校)教授を務めた[1][4]。1886年、大蔵権少書記官となり、1889年には第一高等学校教授を兼任し、理財学を担当した[1]。その他、慶應義塾(現在の慶應義塾大学)講師・専修学校(現在の専修大学)講師を務めた[1]。
1893年、会計検査院に戻り、検査官、第二部長を歴任した[1]。1918年、会計検査院長に就任した。皇典講究所の監事や肥前協会会長、佐賀育英会理事長も務めた。大正13年3月21日薨去。享年は68。墓所は青山霊園[5]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章
親族
[編集]- 妻 暉子 - 昭和4年1月27日没。享年64。
- 実兄 中隈輝雄
- 義兄 日比重明 - 妻・暉子の兄で旧菰野藩士[1]。沖縄県知事。
- 養子 中隈尚友 - 紀俊秀男爵の弟で、長女富士子の夫。法学士。32歳で没。
- 孫 中隈敬夫
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 原田道寛 編『大正名家録』二六社編纂局、1915年、ナ36頁。
- ^ 『官報』第3473号、大正13年3月25日、p.358
- ^ 東京帝国大学 編『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1926年、225頁。
- ^ a b 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- ^ 『會計檢査院要覽』〔会計検査院〕、〔1919〕、22頁。
- ^ 『官報』第8321号「叙任及辞令」1911年3月21日。
- ^ 『官報』第1105号「叙任及辞令」1916年4月11日。
- ^ 『官報』第3473号「叙任及辞令」1924年3月25日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。