辻敬一
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辻 敬一(つじ けいいち、1926年10月14日 - 1990年2月24日)は、日本の大蔵官僚。元行政管理事務次官。
来歴
[編集]東京府出身。東京大学法学部政治学科卒業[1]。1948年3月 大蔵省入省。大臣官房文書課配属[2]。1951年6月16日 沼津税務署長[2]。1952年9月1日 甲府税務署長[2]。以降、主計局中心のキャリアを歩み、総務課長補佐、主計官補佐(社会保険、労働係)、同(厚生係)などを務める。1966年8月1日 主計局主計官(厚生・労働担当)。1969年8月15日 主計局法規課長。1970年6月25日 大臣官房文書課長。1971年6月28日 東海財務局長。1972年6月27日 主計局次長(末席)。1973年6月26日 同(次席)。1974年7月1日 同(首席)。1975年7月8日 経済企画庁長官官房長。1976年6月11日より行政管理庁に転出し、行政管理局長。1978年7月7日に行政管理事務次官となる。1980年6月17日 退官。同年7月1日 国民金融公庫副総裁(〜1982年11月21日)。1982年11月22日 会計検査院検査官。1989年3月29日 病気療養のため検査官を辞任。1990年2月24日 呼吸不全のため国立病院医療センターで死去。
なお妻の綾子は萩原雄祐の長女である。
略歴
[編集]- 1948年3月:大蔵省入省。大臣官房文書課配属
- 1949年10月:印刷局長官官房職員課
- 1949年12月:印刷局長官官房職員課長補佐
- 1950年4月18日:東京国税局調査査察部調査課
- 1950年4月:関東信越国税局調査査察部調査課
- 1950年12月:関東信越国税局調査査察部国税調査官
- 1951年4月:関東信越国税局調査査察部調査第一課
- 1951年6月16日:沼津税務署長
- 1952年9月1日:甲府税務署長
- 1953年9月1日:主計局給与課長補佐
- 1955年9月:主計局総務課長補佐
- 1956年8月:主計局主計官補佐(社会保険、労働係)
- 1958年7月:主計局主計官補佐(厚生係)
- 1960年7月:銀行局銀行課長補佐
- 1963年5月20日:人事院事務総局給与第二課長
- 1965年7月23日:主計局給与課長
- 1966年8月1日:主計局主計官(厚生・労働担当)
- 1969年8月15日:主計局法規課長
- 1970年6月25日:大臣官房文書課長
- 1971年6月28日:東海財務局長
- 1972年6月27日:主計局次長(末席)
- 1973年6月26日:主計局次長(次席)
- 1974年7月1日:主計局次長(首席)
- 1975年7月8日:経済企画庁長官官房長
- 1976年6月11日:行政管理庁行政管理局長
- 1978年7月7日:行政管理事務次官
- 1980年6月17日:退官
脚注
[編集]
官職 | ||
---|---|---|
先代 小田村四郎 |
行政管理事務次官 1978年 - 1980年 |
次代 加地夏雄 |
先代 小田村四郎 |
行政管理庁行政管理局長 1976年 - 1978年 |
次代 加地夏雄 |
先代 長岡實 |
経済企画庁長官官房長 1975年 - 1976年 |
次代 田中敬 |
先代 長岡實 |
大蔵省主計局次長(首席) 1974年 - 1975年 |
次代 田中敬 |