丹羽氏福
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦12年(1762年) |
死没 | 天保14年閏9月21日(1843年11月12日) |
改名 | 亀五郎、勘助(幼名)、氏福、勝道、閑斎(号) |
戒名 | 天覚院殿嶺月松山大居士 |
墓所 | 東京都港区西麻布の長谷寺 |
官位 | 従五位下長門守、越中守、和泉守、式部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
藩 | 播磨三草藩主 |
氏族 | 一色丹羽氏 |
父母 |
巨勢利永、久世広武娘 丹羽氏栄 |
兄弟 | 善之助、巨勢利喬、氏福、女、平岩親興、女 |
妻 | 細川興文娘 |
子 |
氏昭、細川興祥、森川俊朝、 小出英武、野々山兼養、大道寺氏元、 戸田直智、伊東祐直、石谷帯刀、 朽木大綱正室、松平忠侯養女など |
丹羽 氏福(にわ うじよし)は、江戸時代中期の大名。播磨国三草藩3代藩主。氏次系丹羽家9代。
略歴
[編集]宝暦12年(1762年)、初代藩主丹羽薫氏の三男巨勢利永の次男として生まれる。第2代藩主の氏栄とは従兄弟に当たり、明和元年(1764年)8月8日に氏栄の養子となる。明和8年(1771年)7月9日、氏栄の死去により跡を継いだ。安永6年5月15日、将軍徳川家治に拝謁する。安永9年(1780年)12月18日、従五位下、長門守に叙任する。
天明2年(1782年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。天明5年4月、日光祭礼奉行を再び命じられる。寛政元年(1789年)12月27日に大番頭となる。
寛政8年(1796年)2月6日、長男の氏昭に家督を譲って隠居し、勝道と名を改めた。寛政13年1月21日、総髪の許可を得て、閑斎と称する。天保14年(1843年)閏9月21日に死去した。享年82。墓所は東京都港区西麻布の長谷寺。