コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

五島市立嵯峨島小中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五島市立嵯峨島小中学校
北緯32度43分35.0秒 東経128度35分54.8秒 / 北緯32.726389度 東経128.598556度 / 32.726389; 128.598556
過去の名称 第五大学区第五中学区嵯峨島小学校
岐宿部 嵯峨島小学校
公立中等三井楽小学校下等嵯峨島分校
簡易嵯峨島小学校
嵯峨島尋常小学校
嵯峨島尋常高等小学校
三井楽町嵯峨島国民学校
三井楽町立嵯峨島小中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 五島市
設立年月日 【小学校】
1875年明治8年)9月
【中学校】
1947年(昭和22年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002231 ウィキデータを編集(小学校)
C142210001230 ウィキデータを編集(中学校)
所在地 853-0611
長崎県五島市三井楽町嵯峨島129番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

五島市立嵯峨島小中学校(ごとうしりつ さがのしま しょうちゅうがっこう)は、長崎県五島市三井楽町嵯峨島にある公立小学校中学校(小中併設校)[1]

2024年令和6年)4月より、小学校は休校となっている[2]

概要

[編集]
歴史
小学校は1875年明治8年)創立。中学校は1947年(昭和22年)の学制改革により開校。2015年平成27年)に創立140周年(中学校は68周年)を迎えた。
学校教育目標
「楽しく生き抜く人間」
校章
中央に「小中」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は島内八郎、作曲は松尾政彦による。歌詞は3番まであり、1番と3番に「嵯峨島」が登場する。
校区
住所表記で五島市三井楽町の後に「嵯峨島」が続く地区[3]

沿革

[編集]
  • 1875年(明治8年)9月 - 嵯峨島観音堂を校舎に「第五大学区 第五中学区[4]嵯峨島小学校」が開校。
  • 1878年(明治11年)- 郡制の実施により、松浦郡が4分割され、五島列島部分(宇久・小値賀を除く)は南松浦郡に属することとなる。
    • 12月24日 - 学区改正により、「岐宿部 嵯峨島小学校」に改称[5]
    • この年、初代校長に橋本豊吉が就任。
  • 1880年(明治13年)- 教育令の施行により「公立下等嵯峨島小学校」に改称。
  • 1885年(明治18年)10月 - 統合により、「公立中等三井楽小学校 下等嵯峨島分校」となる。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令が施行され、三井楽小学校より分離し「簡易嵯峨島小学校」として独立。修業年限を3年とする。
  • 1899年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、三井楽村立の小学校となる。
  • 1892年(明治25年)9月 - 尋常科を設置の上、「嵯峨島尋常小学校」となる。修業年限を4年とし、複式2学級で授業を行う。
  • 1902年(明治35年)9月 - 校舎を新築。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1916年(大正5年)4月 - 実業補習学校を併設。
  • 1923年(大正12年)10月 - 現在地に移転。
  • 1931年(昭和6年)12月 - 校舎1棟を増築。
  • 1933年(昭和8年)3月 - 高等科を併置し、「嵯峨島尋常高等小学校」に改称。
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 三井楽町の発足により、三井楽町立の学校となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「三井楽町嵯峨島国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。
      • 国民学校の初等科が改組され、「三井楽町立嵯峨島小学校」となる。
      • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校三井楽町立嵯峨島中学校」が発足。小学校に併設される。
    • 5月 - PTAが発足。
  • 1950年(昭和25年)1月 - 中学校校舎2教室が完成。
  • 1957年(昭和32年)3月 - 小学校校舎4教室を増設。島に電話が引かれる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 2月 - ミルク給食を開始。
    • 4月 - 中学校特別教室と給食室が完成。
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月 - 自家発電を開始。
    • 5月 - 嵯峨島全島に送電を開始。
  • 1968年(昭和43年)8月 - 運動場に遊具を設置。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 鉄筋コンクリート造校舎が完成。
  • 1973年(昭和48年)7月 - へき地集会所(体育館)が完成。
  • 1975年(昭和50年)10月 - 小学校が創立100周年を迎える。校門を設置。
  • 1976年(昭和51年)10月 - 水道設備が整備される。
  • 1979年(昭和54年)3月 - 校庭に池が完成。
  • 1982年(昭和57年)3月 - 校章・校旗を制定。
  • 1990年(平成2年)- 木造校舎から新校舎へ改築[1]
  • 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立嵯峨島小中学校」(現校名)へ改称。
  • 2021年(令和3年)4月1日 - 中学校を休校とする。[6]
  • 2022年(令和4年)4月1日 - 中学校が復校[7]
  • 2024年(令和6年)4月1日 - 小学校が休校となる[2]

交通アクセス

[編集]
最寄りのバス停
島内に公共交通機関は運行していない。

周辺

[編集]

参考資料

[編集]
  • 「三井楽町郷土誌」(1988年(昭和63年)9月20日, 三井楽町)p. 431 -

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 財団法人 日本離島センター,1998.「日本の島ガイド SHIMADAS」930p.ISBN 4931230229
  2. ^ a b 令和6年度公立学校異動一覧 (PDF) - 長崎県教育委員会ウェブサイト
  3. ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
  4. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区となった。壱岐対馬は第四中学区に属した。
  5. ^ この時、旧第五中学区は笛吹部・有川部・福江部・岐宿部の4部に分けられた。(参考:長崎県教育史(上巻)p.443」)
  6. ^ 令和3年度公立学校異動一覧 - 長崎県教育委員会ウェブサイト (PDF)
  7. ^ 令和4年度公立学校異動一覧 - 長崎県教育委員会ウェブサイト (PDF)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]