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井上正瀧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
井上正瀧
時代 江戸時代後期 - 末期
生誕 寛政12年(1800年
死没 文久2年1月24日1862年2月22日
改名 瀧吉(幼名)→正瀧→如水(号)
戒名 玄陽院逢山日治
墓所 東京都文京区白山の浄心寺→染井霊園に改装
官位 従五位下筑後
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
下総高岡藩
氏族 井上氏
父母 父:井上正紀
兄弟 清三郎正瀧正忠松前八之丞室、
井上太郎
正室:大岡忠正の娘
正域正和永井直哉大久保忠寿正室
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井上 正瀧(いのうえ まさたき)は、下総国高岡藩の第8代藩主。

7代藩主・井上正紀の三男として生まれる。文化3年(1806年)12月7日、父の死去により家督を継ぐ。文化11年(1814年)11月1日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下、筑後守に叙位・任官する。天保12年(1841年)11月24日、病気を理由に家督を長男の正域に譲って隠居し、如水と号した。

文久2年(1862年)1月24日、死去。享年63。

系譜

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父母

正室、継室

子女