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井上正紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
井上正紀
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和7年(1770年
死没 文化3年10月13日1806年11月22日
改名 芳次郎(幼名)、正紀
戒名 玄隆院亮山日体
墓所 東京都文京区白山の浄心寺→染井霊園に改装
官位 従五位下壱岐
幕府 江戸幕府
下総高岡藩
氏族 竹腰氏井上氏
父母 父:竹腰勝紀、養父:井上正国
兄弟 竹腰睦群正紀
正室:井上正国の娘
清三郎正瀧、正忠、松前八之丞室、
井上太郎室
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井上 正紀(いのうえ まさのり)は、下総国高岡藩の第7代藩主。

略歴

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明和7年(1770年)、尾張藩附家老家である美濃国今尾藩主・竹腰勝紀の次男として生まれる。竹腰勝紀と高岡藩6代藩主・井上正国は共に徳川宗勝の実子であり、正国と正紀とは血縁上は叔父と甥の関係である。天明6年(1786年)8月9日、正国の養子となり、その娘を娶った。12月18日に従五位下、壱岐守に叙位・任官する。寛政3年(1791年)3月7日、正国の隠居により家督を継いだ。

文化3年(1806年)10月13日、死去。享年37。跡を三男の正瀧が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女

  • 井上清三郎、生母は京(正室)
  • 井上正瀧(三男)生母は京(正室)
  • 井上正忠
  • 松前八之丞室
  • 井上太郎室

登場作品

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