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高岡藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高岡藩(たかおかはん)は、下総国香取郡高岡村(現在の千葉県成田市高岡)の高岡陣屋に藩庁を置いた[1]。1640年に大目付井上政重が大名に列した。初期には定府であり、高岡を居所と定めたのは3代藩主の時である。以後廃藩置県まで譜代大名井上家が治めた。存続期間の大部分において石高は1万石。

歴史

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高岡藩の位置(千葉県内)
千葉
千葉
佐原
佐原
佐倉
佐倉
土浦
土浦
高岡
高岡
関連地図(千葉県)[注釈 1]

高岡周辺は、中世には大須賀荘の一部で[2]、高岡にある天台宗の寺院・眞城院は寺伝によれば応永3年(1396年)に創建されている。高岡村は江戸時代初期には佐倉藩領となっていた[2]。なお、近世に近隣の滑河なめがわ(滑川)村には「滑河河岸」[3][4][注釈 2]、猿山村には「源太(源田)河岸」があり[5]、利根川水運の要衝として栄えた地域である[5]

藩祖である井上政重井上正就の弟)は徳川秀忠家光の2代に仕えて大坂の陣などで功績を挙げ、御書院番士・大目付(当時は惣目付という名称)などを歴任して次第に加増を受け、島原の乱でも戦後処理などで功を挙げた。こうした功績によって寛永17年(1640年)6月12日、政重は6000石を加増されて1万石を領する大名となった[6]。ただし、当時は高岡に陣屋は築かれず、江戸定府していた。政重はその後もキリシタンの取締りのために宗門改役を設置し、長崎出島における交易制限を行なうなど、鎖国体制の確立に尽力した。この功により寛永20年(1643年)5月23日、3000石を加増された。政重は万治3年(1660年)7月9日に、加齢を理由として家督を井上政清に譲って隠居する。

第2代藩主・政清のとき、弟の井上政則に1000石、井上政明に500石を分与したため、高岡藩領は1万1500石となる[6]。第3代藩主・井上政蔽のとき、高岡に陣屋が築かれた(高岡陣屋[7]。また、弟の井上政式に1500石を分与したため、高岡藩領は1万石となった[7]。高岡藩の領地は上総・下総に分散しており、早い時期から財政難に陥っていたという[8]。元禄年間、政蔽は財政家として知られる松波勘十郎(良利)を招聘して財政再建を委ね、成功したとされる[9]

高岡藩は尾張藩とつながりが深く、第6代藩主・井上正国徳川宗勝の十男、第7代藩主・井上正紀は尾張藩の付家老家である竹腰勝起の次男である。第10代藩主・井上正和は文久2年(1862年)に江戸藩邸内に藩校学習館を創設した[8]儒学者朝川善庵門人の随朝欽哉などが教授し、藩士だけではなく庶民の入学を許可した開放的な藩校であった。

譜代井上家は他に常陸下妻藩主家もあり、みな明治維新を迎えている。

最後の藩主・井上正順明治2年(1869年)の版籍奉還知藩事となる。2年後の廃藩置県で高岡藩は廃藩となり、高岡県となる。のちに高岡県は新治県を経て千葉県に編入された。

歴代藩主

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井上家

譜代菊間広縁・陣屋[10]。1万石→1万3000石→1万1500石→1万石。

  1. 井上政重(まさしげ):従五位下。筑後守(大目付)
  2. 井上政清(まさきよ):従五位下。筑後守(大坂加番・駿府加番)
  3. 井上政蔽(まさあきら):従五位下。筑後守(駿府加番)
  4. 井上政鄰(まさちか):従五位下。筑後守  
  5. 井上正森(まさもり):従五位下。山城守
  6. 井上正国(まさくに):従五位下。筑後守(大坂定番・奏者番)
  7. 井上正紀(まさのり):従五位下。壱岐守  
  8. 井上正瀧(まさたき):従五位下。筑後守
  9. 井上正域(まさむら):従五位下。筑後守(祭祀奉行)
  10. 井上正和(まさよし):従五位下。筑後守(祭祀奉行)
  11. 井上正順(まさより):従五位下。宮内少輔

幕末の領地

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脚注

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注釈

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  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 滑川村には9世紀創建と伝える龍正院(滑河観音)がある[4]。滑川村は高岡藩領にはなっていない[4]

出典

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  1. ^ 『房総における近世陣屋』, p. 22, PDF版 40/313.
  2. ^ a b 高岡村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年3月7日閲覧。
  3. ^ 山村順次. “滑川”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2022年3月7日閲覧。
  4. ^ a b c 滑川村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年3月7日閲覧。
  5. ^ a b 猿山村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年3月7日閲覧。
  6. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二百四十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.253
  7. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二百四十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.254
  8. ^ a b 大谷貞夫. “高岡藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2022年3月7日閲覧。
  9. ^ 林基. “松波勘十郎”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2022年3月7日閲覧。
  10. ^ 『歴史人 八月号 江戸三百藩』KKベストセラーズ、2018年7月6日。 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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先代
下総国
行政区の変遷
1640年 - 1871年 (高岡藩→高岡県)
次代
新治県