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井上正順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
井上正順
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 嘉永7年7月21日1854年8月14日
死没 明治37年(1904年1月6日
墓所 染井墓地
官位 従五位下宮内少輔子爵
幕府 江戸幕府
下総高岡藩
氏族 井上氏
父母 父:井上正和
徳川斉昭の十二女・愛子
正言(長男)
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井上 正順(いのうえ まさより)は、下総国高岡藩の最後(11代)の藩主。子爵

嘉永7年(1854年)7月21日、10代藩主・井上正和の長男として生まれる。慶応3年(1867年)3月28日、父の隠居により家督を継いだ。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に従う。同年5月8日、従五位下、宮内少輔に叙位・任官する。版籍奉還により高岡藩知事に任命され、廃藩置県で免職となった。

明治8年(1875年)、警視庁15等を拝命し、翌9年(1876年)には警部補に昇進した。明治17年(1884年)の華族令で、同年7月8日、子爵に叙された[1]

明治37年(1904年)1月6日、死去。享年51。

家族

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父母

子女

脚注

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  1. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
高岡井上家初代
1884年 - 1904年
次代
井上正言