新谷藩
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新谷藩(にいやはん)は、大洲藩の支藩である。藩庁として新谷(現・大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。
藩史
[編集]元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主・加藤泰興の弟・直泰が幕府より1万石分知の内諾を得て成立した。内紛の後、寛永16年(1639年)に藩内分知ということで決着し、寛永19年(1642年)に陣屋が新谷に完成した。藩内分知は本来は陪臣の扱いであるが、新谷藩は幕府より大名と認められた全国唯一の例である。
寛永9年(1632年)、中江藤樹は当藩に任地替えとなったが、母への孝養を理由に故郷の近江国へ脱藩した。
江戸時代後期になると、肱川の氾濫による水害や火災に見まわれ、藩財政は困窮を極め、一時は大洲藩が藩政を執行した。明治初頭での実高は9,693石と、表高の1万石を割り込んでいた。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により、旧新谷藩領を管下とする新谷県(草高1万石、現石4890石)が設置された。同年11月15日、第1次府県統合、いわゆる3府72県制の実施により新谷県は廃止され、新たな宇和島県に編入された(本庁・宇和島、支庁・大洲)。その後、神山県を経て愛媛県に編入された。
明治17年(1884年)、新谷加藤家は子爵となり、華族に列した。
なお、陣屋は麟鳳閣として現存し、愛媛県指定文化財となっている。陣屋については明治になり、敷地がいくつかに売却されたため、民家に金蔵が現存している(他に大坂、松本城などに現存)。
新谷藩歴代藩主
[編集]- 加藤家
外様 1万石 (1623年 - 1871年)
外部リンク
[編集]先代 (伊予国) |
行政区の変遷 1623年 - 1871年 (新谷藩→新谷県) |
次代 宇和島県 |