井原元良
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 慶長7年10月11日[1](1602年11月24日) |
別名 | 通称:小六[1]、彦右衛門[1] |
官位 | 弾正忠[1] |
主君 | 毛利元就→隆元→輝元 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 高氏庶流井原氏 |
父母 | 父:井原元造[2] |
兄弟 | 元良、渡辺元室、井上与左衛門室 |
妻 |
正室:口羽通良の娘[1] 継室:末兼隆忠の娘[1] 堅田元慶の娘 |
子 | 元尚[1]、女(桂元相室[1])、女(秋山元信室[1])、女(乃美元興室[1])、元以[1]、女(市川元直室→市川景好室→国司元蔵室)、元歳[1] |
井原 元良(いはら もとよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。安芸毛利家の家臣。安芸国鍋谷城主。
生涯
[編集]井原氏は高氏の一族で、安芸高田郡井原村に住したことから在名にちなんで井原氏を称した[2]。祖父・井原常陸介元師の代に毛利弘元の娘を娶り関係を深め[1]、のちに毛利家に帰属する。父・井原元造は毛利元就の外甥にあたる。
長子・元尚は毛利家の命で周防国三尾(三丘)に領知替えとなり、三尾氏を称する[1]。二男・元以(2102石)と三男・元歳(786石)は毛利輝元に仕え、新たにそれぞれ領知を貰い別家を建てる。この二家が萩藩寄組として藩の重臣となって続くこととなる。