コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

任継愈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
任 継愈
人物情報
生誕 (1916-04-15) 1916年4月15日
中華民国の旗 中華民国 山東省平原県
死没 2009年7月11日(2009-07-11)(93歳没)
中華人民共和国の旗 中国 北京市
出身校 北京大学
学問
研究分野 哲学(中国哲学)
研究機関 北京大学中国社会科学院哲学研究所・世界宗教研究所
テンプレートを表示
任継愈
繁体字 任繼愈
簡体字 任继愈
発音記号
標準中国語
漢語拼音Rén Jìyù

任 継愈(にん けいゆ[1]、じん けいゆ[1]英語: Ren Ji-yu、レン・ジーユイ[1]1916年4月15日 - 2009年7月11日)は、中華人民共和国中国哲学史家・仏教史家。中国国家図書館名誉館長[2]

経歴

[編集]

1916年山東省平原県に生まれた[3]北京大学哲学系で学び、1938年に卒業[3]。同大学院(日中戦争により北京の大学は西南聯合大学を構成して集団疎開)に進学し、湯用彤賀麟中国語版の指導のもと、研究を続けた。1941年に修士号取得[3][4]

1942年に北京大学の講師となり、その後1964年まで、副教授・教授に昇格しつつ務めた[3]。大学では、宋明理学中国仏教論理学などを講義した[3]。加えて、1956年から中国科学院哲学研究所の研究員を兼任[3]1959年中国共産党に入党し、無神論者となった。同年、毛沢東と対談し、「鳳毛麟角」と評された[4]

1964年から1986年まで、中国科学院(のち中国社会科学院)世界宗教研究所の初代所長に就任[3][4]1975年から1998年まで、全人代代表(第4-8期)を兼任[4]

1987年から2005年まで、中国国家図書館館長を務めた[3]1999年国際欧亜科学院中国語版院士に選出[3]2009年1月、国務院により中央文史研究館中国語版館員に任命された[3][4]。以上のほか、複数の学会の代表や、国の学術事業の委員などの要職を務めた[3]

2009年7月11日、北京市内の病院で死去。享年93[2]。訃報が国家的に取り上げられた[2]。奇しくも同日には季羨林も死去した[5]

学問と業績

[編集]

専門は中国哲学で、諸子百家から近代思想、三教から西洋哲学まで広く論じた[4]。とくにマルクス主義歴史学による『中国哲学史』(全4巻、1963年-1979年)の主編者として知られる[6]。同書は侯外廬主編『中国思想通史中国語版』とともに20世紀中国の学界で重視された[6]。そのほか『宗教詞典』『道蔵提要』『中国科学技術典籍通彙』『中国蔵書楼』『中国版本文化叢書』『墨子大全』『仏教大辞典』『中華大蔵経 漢文部分』『中華大典』などの主編者を務めた[7]

家族・親族

[編集]

著作

[編集]
日本語訳された著作

ほか[13]

参考文献

[編集]
  • 岡村志嘉子「時代を率いた館長 任継愈館長と中国国家図書館」『アジア情報室通報』第7巻、第3号、国立国会図書館、2009年。 NAID 40016856168https://rnavi.ndl.go.jp/jp/asiaresource/asia-pub/index.html 
  • 丘山新「悼念任継愈先生」『東方学』第120号、東方学会、2010年。 NAID 40017248656 

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 任, 継愈, 1916-2009 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)”. 国立国会図書館. 2023年10月14日閲覧。
  2. ^ a b c 岡村 2009, p. 2.
  3. ^ a b c d e f g h i j k 岡村 2009, p. 3.
  4. ^ a b c d e f g 丘山 2010, p. 2.
  5. ^ 丘山 2010, p. 1.
  6. ^ a b 李宗桂 著、本間啓介 訳「二十世紀中国哲学研究の詳察と新世紀の展望」『倫理学』第19号、筑波大学倫理学原論研究会、2002年https://hdl.handle.net/2241/10649 143頁。
  7. ^ 丘山 2010, p. 5.
  8. ^ 任継兪は次男。任継周は四男。
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ ISBN 9784497944238
  12. ^ ISBN 9784760108275
  13. ^ 松下道信. “道教の成立およびその歴史的展開に関する総合的研究”. KAKEN. 2023年10月14日閲覧。