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会津若松運輸区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

会津若松運輸区(あいづわかまつうんゆく)は、福島県会津若松市にかつて存在した東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本部車掌運転士が所属していた組織である。現在はあいづ統括センターに再編されている。

高崎運輸区新津運輸区とともにSL機関士・機関助士が配置されており、通常乗務範囲のほか東北本部管内で運転されるSLの運転も行っていた。

所属車両の車体に記されていた略号

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  • 仙ワカ」…仙台支社を示す「仙」と、会津若松を示す「ワカ」から。
  • 」…会津若松を示す「会」から。

沿革

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  • 1899年7月15日:岩越鉄道若松機関庫設置。
  • 1917年5月21日会津若松機関庫に改称。
  • 1936年9月1日会津若松機関区に改称。
  • 1959年4月30日会津線管理所発足。
  • 1960年6月1日 磐越西線管理所発足。会津若松車掌区を編入。
  • 1964年6月1日:磐越西線管理所から車掌部門を分離し、郡山車掌区会津若松支区を設置。
  • 1967年6月6日:会津線管理所・磐越西線管理所を統合し、会津若松運転区発足。
  • 1971年3月1日:郡山車掌区会津若松支区が会津若松車掌区に昇格。
  • 1985年3月14日:小出駅乗務員廃止により、小出口の只見線行路を会津若松車掌区に移管。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:東日本旅客鉄道に継承。
  • 1989年3月11日:会津若松運転区と会津若松車掌区が統合し、会津若松運輸区発足[1]
  • 2005年12月10日:検修基地再編により、会津若松運輸区の検修部門と配置車両を郡山総合車両センターに移管(会津若松派出所を新設)。これに伴い会津若松運輸区は乗務員のみの配置区となり、郡山運輸区の発足に伴い磐越西線EC行路の一部が移管された[1]
  • 2023年6月1日:会津若松運輸区廃止。新たに発足したあいづ統括センターに再編[2]

所属車両

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若松機関区-磐越西線管理所

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蒸気機関車[3]

  • 960形 -(在籍1931年-1933年)
  • 2120形 -(在籍1931年-1939年、1943年-1949年)
  • 2500形 -(在籍1931年-1933年)
  • 8620形 -(在籍1931年-1941年、1965年)
  • 9600形 -(在籍1931年-1949年、1955年-1957年)
  • C12形 -(在籍1933年-1965年)
  • C58形 -(在籍1937年-1949年)
  • C56形 -(在籍1939年)
  • C10形 -(在籍1949年-1959年)
  • C11形 -(在籍1949年-1965年)
  • C55形 -(在籍1949年)
  • D50形 -(在籍1951年-1965年)
  • D51形 -(在籍1959年-1965年)

脚注

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出典

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  1. ^ a b ジェー・アール・アル編 (2016) (日本語). JR気動車客車編成表2016 . 交通新聞社. p. 222. ISBN 978-4330690162. http://shop.kotsu.co.jp/shopdetail/000000001876/005/004/X/page1/order (JR現業機関一覧表、東日本旅客鉄道 仙台支社分)
  2. ^ 業務部速報【提案①】(仙台支社での現業機関における柔軟な働き方の実現について)”. 東日本旅客鉄道労働組合 仙台地方本部. 2023年9月3日閲覧。
  3. ^ 「国鉄動力車配置表』1931年より1965年までの1945年、1947年を除く隔年分から『世界の鉄道』1967年、朝日新聞社