佐世保大空襲
佐世保大空襲 | |||||
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第二次世界大戦、太平洋戦争中 | |||||
空襲により焼け野原となった市街地 | |||||
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衝突した勢力 | |||||
アメリカ合衆国 | 大日本帝国 | ||||
戦力 | |||||
B-29 141機 | 対空砲 | ||||
被害者数 | |||||
死亡:不明 損失:不明 |
罹災面積:約1,782,000平方km 死傷者:民間人を中心に1,242名 |
佐世保大空襲(させぼだいくうしゅう)は第二次世界大戦中のアメリカ軍による、1945年(昭和20年)6月28日午後11時50分から翌29日午前2時頃までに行われた長崎県佐世保市に対する空襲(戦略爆撃)[1]。この空襲による死者は、民間人を中心に1,242名に及んだ[2]。
概要
[編集]この空襲の前の1945年(昭和20年)3月9日・13日にアメリカ軍の偵察機が来たり、4月8日や5月24日には同軍の爆撃機・ボーイングB29が来襲し、佐世保海軍工廠(現・佐世保重工業)の鋳造工場に被害があった[3]ほか、佐世保市民100人余りが犠牲になった。5月24日の空襲は、警戒警報すら発令されない中[4]アメリカ軍機が飛来したが、市民には詳しい状況は知らされていなかった。
そして、アメリカ軍側は6月29日に佐世保市の空襲実施を決定した。この日の佐世保市は梅雨の最中で雨が降っており、「今日は来ないだろう」という市民の不意をつく形での深夜の空襲となった[5]。
アメリカ軍のB29爆撃機141機(第73爆撃団 英語: The 73d Bombardment Wing)[6][7][8][9]がマリアナ諸島サイパンから飛び立ち、午後11時50分頃に佐世保市上空に飛来し、投下目標地点(爆撃中心点)を佐世保市内の
梅雨の雨は、「火の雨」に変わった[15]。弓張岳、但馬岳を始めとする市内各所に設置された高角砲台による応戦もまるで歯が立たなかった[16]。
この日には同じように岡山県岡山市が空襲を受けた(岡山大空襲)[17]ほか、6月29日には宮崎県延岡市(延岡大空襲[18])、福岡県門司市(現:北九州市門司区、北九州空襲[19])などが空襲を受けている。
このとき、アメリカは門司[20]や佐世保には地対空レーダー(電波探信儀)が配備されていることを知っており、電波を妨害するために特別仕様のB-29爆撃機を初めて編成した。そして、空襲の時間帯にそれぞれの上空(門司には3機、佐世保には4機を割り当てた)を旋回させた[21][注釈 3][注釈 4]。
この大空襲後も、アメリカ軍機が佐世保に飛来するたびに空襲警報が発令されるため、工場の作業効率は低下していった。ついには空襲警報が発令されても退避せず、高射砲の音がした時だけ机の下に潜るようにした行員もいた[33]。7月31日には、アメリカ軍機が日本の降伏が時間の問題であることを示す伝単を散布した。伝単の内容を報道機関は「軍都民の糞飯もの」と報じ[34]、市民も「畜生何をぬかすか、と言って一笑に付した」だけだったが、「口には出さないが、暗々裡に認めさせられたようである」という感想を持った者もいた[35]。
なお、当時、佐世保鎮守府が設置されていた佐世保基地には、空襲による被害はほとんどなく[14]、市街地を中心に焼夷弾を投下したことがうかがえる[36]。また、佐世保海軍工廠も小規模な被害があったのみで壊滅は免れた。
終戦直後、視察に訪れたアメリカ軍の関係者は「市街の破壊は絨毯爆撃を受けた佐世保の方が長崎よりも酷かった」と述べている。
慰霊
[編集]佐世保市では、毎年6月29日を「佐世保空襲の日」とし、午前10時に市内全域でサイレンを鳴らし、空襲により亡くなられた犠牲者のご冥福を祈り、1分間の黙とうを捧げている[37]。あわせて、「佐世保空襲死没者追悼式」を開催している[38]。
2022年6月29日、佐世保空襲の死没者追悼式が、佐世保市民文化ホール(凱旋記念ホール)で開かれた。犠牲者の冥福を祈るとともに非戦への誓いを新たにした。参列者は午前10時のサイレンに合わせ黙とうした[39]。
2023年6月29日、佐世保市平瀬町にある佐世保市民文化ホールにて佐世保市主催による死没者追悼式が行われた[40]。新型コロナウイルス感染拡大の影響で4年ぶりに一般参列者を招いての通常開催となった[41]。
2024年6月29日、佐世保市の市民文化ホールで追悼式が行われた。遺族など82人が参列した。「佐世保空襲犠牲者遺族会」は高齢化や会員数の減少のため2024年3月末に解散した[42][43][44]。
佐世保市の被害
[編集]主な罹災地域と建造物
[編集]- 佐世保市中心部一帯
罹災を免れた建造物
[編集]慰霊碑・資料館
[編集]鎮魂慰霊平和祈願之塔
[編集]1977年、佐世保空襲犠牲者遺族会によって佐世保市中央公園に鎮魂慰霊平和祈願之塔[注釈 5] が建立された[46]。平和の祈りを捧げる人をモチーフとしてあり、台座の全面には空襲の悲惨さを後世に伝えるためのレリーフが施されている(制作者・河田邦彦)。また、塔の裏手には、空襲当時利用されていた防空壕がある。
佐世保空襲死没者墓銘碑
[編集]2016年8月31日、「佐世保空襲死没者墓銘碑」[注釈 6] [47] 除幕式および記念式典が行われた。この「墓銘碑」には佐世保空襲で犠牲となった方の名前が刻まれている。
佐世保空襲犠牲者遺族会、佐世保空襲を語り継ぐ会による募金活動や名簿の確認作業を行って建立された。この「墓銘碑」(佐世保市名切町)は、新しく整備された佐世保中央公園[48](佐世保市宮地町)に隣接している公園内にある「鎮魂慰霊平和祈願の塔」(佐世保市熊野町)そばに建立されている。
佐世保空襲資料館
[編集]2006年、佐世保空襲犠牲者遺族会が佐世保市から暫定的に戸尾小学校の教室を借り受け、佐世保空襲資料室を開設し、佐世保空襲を語り継ぐ会[49]とともに共同で運営を開始[50]。2020年10月24日、展示を拡充して佐世保空襲資料館として新たに開館した[50][51][52]。
追憶の塔
[編集]佐世保郵便局電話課に勤務していて空襲の犠牲となった電話交換手ら34名[53]を慰霊するため、モニュメント「追憶の塔」が1952年に現NTT西日本佐世保営業支点の敷地の一角に建立された。平和を願う鐘と殉職者の名前が刻まれた慰霊碑で構成される。
殉職者の半数以上が女性の交換手で、中には学徒動員で来ていた14歳の少女も含まれている。若い女性が中心であったため、空襲直後の6月30日付の長崎新聞で「焔の中に通信死守 佐世保局 乙女部隊殉職」として報道[54]された。
2024年現在、マクドナルド相生店の駐車場とNTT西日本が運営する立体駐車場との間に存在する[55] 。
終戦直後の佐世保市
[編集]ジョー・オダネル(アメリカ海兵隊カメラマン)による佐世保市内の写真撮影
[編集]終戦直後の1945年9月2日、ジョー・オダネルはアメリカ海兵隊のカメラマンとして佐世保空襲後の佐世保に上陸し、日本の各地(佐世保、福岡、神戸、広島、長崎など50以上の市町村)を撮影した[56]。1995年に出版した写真集の著書[57]には、空襲で焼け残った佐世保市役所の屋上から佐世保市街地を撮影している自らの姿 「屋上に立つ」[58]やその時撮影した焼け野原となった佐世保市街地の写真「佐世保を見下ろす」[59]など複数枚を掲載している。
占領軍の活動と佐世保市の空襲被害 1945年9-10月
[編集]昭和館デジタルアーカイブ(昭和館収蔵資料データベース)には、アメリカ海兵隊(占領軍)が1945年9月22日から9月23日に撮影したカラー動画(10分40秒)が「 占領軍の活動と佐世保市の空襲被害 1945年9-10月」として公開されている[60]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在、この付近は、名切通り・佐世保中央公園である。近くに宮地嶽神社[10]がある。
- ^ 第73爆撃団は、281537Zから281653Z、日本時間に変換すると、29日0時37分から29日1時53分の間、爆弾を佐世保市に投下した[12]。投下した爆弾の種類、その総重量などについては次の頁の表に掲載されている[13]。
- ^ 工藤洋三『米軍資料に記録された呉空襲』の著作資料[22]の中に「佐世保大空襲」以降の一覧表「表-2 特殊レーダー対策機が出撃した中小都市空襲」や「写真-5 特殊レーダー対策機ガーディアン・エンジェル」[23]などがある。「7.7 特殊レーダー対策機の出撃」の項に詳しい説明が掲載されている[24]。
- ^ 佐世保にあったレーダー関連施設は、2016年4月25日、「日本遺産 鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」に認定された。旧佐世保海軍警備隊田島岳高射砲台跡[25][26]、旧佐世保海軍警備隊田島岳空戦指揮所跡[27] 、田島岳高射砲台指揮所跡[28] 、田島岳高射砲台砲座跡[29]、田島岳高射砲台電波探信儀跡[30] 、佐世保海軍警備隊宇久島特設見張所跡[31][32]などがある。
- ^ 「佐世保空襲慰霊塔」といわれることがある。〒857-0025 長崎県佐世保市熊野町6−90
- ^ 「佐世保空襲慰霊碑」(Sasebo Air Raid Memorial Monument)といわれることがある。〒857-0023 長崎県佐世保市名切町2−156
出典
[編集]- ^ 佐世保市役所 市民生活部市民安全安心課 (2022年5月17日). “佐世保空襲(佐世保市役所)”. https://www.city.sasebo.lg.jp/. 佐世保市役所. 2023年6月20日閲覧。
- ^ a b “佐世保空襲の惨状忘れない 28日まで写真展 1242人が犠牲|【西日本新聞ニュース】”. 西日本新聞ニュース. 2019年6月20日閲覧。
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- ^ 森岡, 2006 & p106.
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参考文献
[編集]- 佐世保空襲を語り継ぐ会 『火の雨 佐世保空襲の記録』[1] 佐世保空襲を語り継ぐ会 1980年
- 飯田四郎 『占領軍が写した終戦直後の佐世保』[2] 佐世保 芸文社 1986年
- ジョー・オダネル、ジェニファー・オルドリッチ 著、平岡豊子 訳、阪本京子・大原哲夫 編『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』小学館、1995年6月10日。ISBN 4-09-563013-2。
- 森岡諦善『海軍工員記 戦時下の佐世保海軍工廠』光人社NF文庫、2006年4月12日。ISBN 4-7698-2488-2。
- 奥住喜重, 工藤洋三 (訳・編)『米軍資料北九州の空襲―八幡・門司・岡山・佐世保・延岡への焼夷空襲の記録』北九州の戦争を記録する会 2002年
- the U.S. Strategic Bombing Survey (1945年). “Nos. 234 through 237, Okayama, Sasebo, Moji and Nobeoka, 28-29 June 1945. Report No. 2-b(56), USSBS Index; Section 7” [作戦234-237号、岡山・佐世保・門司・延岡の空襲(1945年6月28-29日)] (英語). https://dl.ndl.go.jp/. 国立国会図書館デジタルコレクション 日本占領関係資料. 2024年7月7日閲覧。
- 工藤洋三 (2020年7月1日). “米軍資料に記録された呉空襲” (pdf). https://kure-sensai.net/. 呉空襲の記録・資料. 呉戦災を記録する会. 2024年7月7日閲覧。
関連項目
[編集]- 太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔
- 佐世保鎮守府
- 佐世保要塞
- 日本遺産 (鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~)
外部リンク
[編集]- 国立公文書館デジタルアーカイブ 全国主要都市戦災概況図
- Sasebo History - Assorted Data on a Historical City in Southern Japan (mansell.com) (英語) 佐世保の歴史 - 南日本の歴史都市に関する各種データ
- 国立国会図書館デジタルコレクション 日本占領関係資料
- Nos. 234 through 237, Okayama, Sasebo, Moji and Nobeoka, 28-29 June 1945. Report No. 2-b(56), USSBS Index; Section 7 1945年6月28日夜に行われた岡山・佐世保・門司・延岡の各都市への空襲に関する詳細な作戦任務実施報告書(英語)
- 佐世保市民文化ホール(凱旋記念ホール)-国登録有形文化財「佐世保市民文化ホール」 (旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館)
- 北九州市平和のまちミュージアム
- NHK長崎放送局 (2023年6月15日). “佐世保空襲から78年 空襲直後の写真展(NHK 長崎県のニュース)”. NHK長崎放送局. 2023年6月20日閲覧。
- 佐世保市役所 (2023年5月12日). “日本遺産(鎮守府)説明板の設置について”. https://www.city.sasebo.lg.jp/. 佐世保市役所. 2024年7月7日閲覧。 空襲に備えた施設が「日本遺産(鎮守府)」に含まれている。
- ^ “佐世保空襲の記録編集会編 「火の雨 1945.6.29 佐世保空襲の記録」”. 長崎県立佐世保北高関東地区同窓会公式サイト 東京北星会. 2022年6月14日閲覧。
- ^ “占領軍が写した「終戦直後の佐世保」”. 長崎県立佐世保北高関東地区同窓会公式サイト 東京北星会. 2022年6月14日閲覧。