入砂島
入砂島 | |
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1977年撮影。(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成) | |
所在地 | 日本・沖縄県島尻郡渡名喜村 |
所在海域 | 東シナ海 |
所属諸島 | 沖縄諸島 |
座標 | 北緯26度23分08秒 東経127度06分09秒 / 北緯26.38556度 東経127.10250度座標: 北緯26度23分08秒 東経127度06分09秒 / 北緯26.38556度 東経127.10250度 |
面積 | 0.26 km² |
海岸線長 | 1.96 km |
最高標高 | 32.0 m |
プロジェクト 地形 |
入砂島(いりすなじま)は、沖縄県島尻郡渡名喜村に属する無人島で、出砂島(いですなじま)ともいわれる[1][2][3]。
地理
[編集]渡名喜島の北西約3キロメートルに位置し、面積0.26平方キロメートル2[4]、周囲1.96キロメートル、標高32.0メートルの円形で低平な島である[1]。島南端に北西から南東方向に伸びる長さ約450メートルの陵丘と、北側に扇状の低地が約500メートル四方にわたって広がる[2]。中生代の基盤岩から構成され[3]、南端の陵丘部は中生代の緑色岩、北側の海岸低地は完新世の沖積層となる[2]。島北側に砂浜が形成され[3]、周囲にビーチロックが発達している[2]。
歴史
[編集]東恩納寛惇の『南島風土記』には「てそな」、『正保国絵図』に「戸無島(渡名喜島)之内出砂しま」、『琉球国由来記』には「離レ出砂」と記載されている[3]。また国土地理院発行の2万5千分の1の地図では「入砂島」と表記されているが、20万分の1では「出砂島」となっている[5]。
貝塚時代からグスク時代にかけての遺跡が残存し、その時代における土器やカムィヤキ、15世紀頃の青磁が出土している。入砂島頂上部に位置する4つの御嶽は渡名喜住民の聖地として崇められている。また初穂の麦を供物として捧げる麦穂祭で「イベの火神」へ祭祀を行った根神3人を祀っている。戦前の1933年に入砂島の農地開墾が始まり、渡名喜村民により耕作された[1][2]。
1945年4月に米軍により入砂島全域が接収され、1954年10月に射爆撃場に指定された。管理はアメリカ空軍が行っているが、海軍や海兵隊、日本復帰後の1975年には航空自衛隊も共同訓練に参加している。入砂島の周辺海域は、アオサノリの収穫場であるため、訓練が実施されない日曜日に入砂島の上陸が許可される[6][7]。
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渡名喜島(奥)と入砂島(手前)
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入砂島内で訓練を行う兵士
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入砂島内で訓練を行う兵士
メディアでの登場
[編集]NHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」のオープニング画像として登場している[8]。尚、本編には全く登場はしていない。
出典
[編集]- ^ a b c 「入砂島」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.174
- ^ a b c d e 「入砂島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.572上段
- ^ a b c d 中山満「入砂島」、『沖繩大百科事典 上巻』(1983年)、p.251
- ^ 「2.島しょ」、『平成27年1月 離島関係資料』(2015年)、p.8
- ^ 大木(2002年)、p.50
- ^ 「出砂島射爆撃場」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.572中段
- ^ 長元朝浩「入砂島射爆撃場」、『沖繩大百科事典 上巻』(1983年)、p.251
- ^ “朝ドラ「ちゅらさん」SNS上で話題「オープニングがなぜ、あの島なのか」 NHK制作担当者に聞いた 沖縄”. 琉球新報 (2024年4月27日). 2024年4月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 沖縄県企画部地域・離島課編 『平成27年1月 離島関係資料』 沖縄県企画部地域・離島課、2015年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』 角川書店、1991年。ISBN 4-04-001470-7
- 沖繩大百科事典刊行事務局編 『沖繩大百科事典』 沖縄タイムス社、1983年。全国書誌番号:84009086
- 平凡社地方資料センター編 『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』 平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4
- 大木隆志 『海と島の景観散歩 沖縄地図紀行』 ボーダーインク、2002年。ISBN 4-89982-027-5
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 渡名喜村公式サイト
- FAC6078 出砂島射爆撃場 - 沖縄県知事公室基地対策課