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八条橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八条橋
埼玉県道29号標識

八条橋(はちじょうばし)は、埼玉県八潮市八條三郷市上彦名の間を流れる中川に架かる埼玉県道29号草加流山線の道路である。

概要

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橋の名前の由来は、かつてここに八条の渡し(後述)があったことから。八条は八潮市の前身の八条村からである。1961年(昭和36年)架設の現行の橋は、橋長は139.3メートル、総幅員は6.6メートル、有効幅員6メートルの8径間の鋼鈑桁橋の永久橋である[1][2]。歩道は下流側のみに設置されている。交通量がかなり多く[3]、老朽化が進んだため、拡幅し架け替える計画がある。また、埼玉県の第一次緊急輸送道路に指定されている[4]。橋の場所は1969年(昭和44年)度より埼玉県が水質測定を行う調査地点のひとつに加えられている[5]国土交通省の八条橋水位観測所が設置されている。

歴史

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八条の渡し

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橋が開通する以前は「八条の渡し」と呼ばれる、埼玉郡八条村と葛飾郡上彦名村を結び、川幅六十間(約108.6メートル)を渡る渡船三艘を有する官設の渡船(官渡)であった[3]。渡船はいつから開設されていたか定かではないが、足利持氏1419年応永26年)の御教書に河関について記されていたことからその頃までには存在したとされる[3]。なお、応永年間当時は利根川の本流であった(利根川東遷事業を参照)。 渡船賃(通行料)は5文で、1日の通行量は多い日で約2000人であった[3]

1930年の橋

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橋は1930年昭和5年)5月に架橋組合を結成して内務省および県に架橋の許可を請願した結果、県より架橋の認可が下り、同年11月1日に着工、陸軍工兵学校の将兵300人余りにより施工され、同年11月16日に開通式が挙行され[1][6]、渡しは廃止された[7]。架橋に要した費用は16000円であった[1]。この橋は橋長143.2メートル、幅員4.12メートル[1]の通行料を徴収する賃取橋であった[8]。橋は1938年(昭和13年)3月31日に県に移管された[1]。幾度も補修工事を繰り返し、その後老朽化のため重量制限4トンを課しながら使い続けた[1]。後にトラックの通行に起因する落橋事故が起きる。

1961年の橋

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現在の橋はすぐ川下側に1959年(昭和34年)3月4日に着工、1961年(昭和36年)3月25日に竣工され[1][3]同年4月11日開通した2代目である。工費は4350万円[3](総工費は4581万9149円[1])であった。橋の施工は宮地鉄工所(現、宮地エンジニアリング)および佐藤建設工業が請負った。合わせて長さ240メートルの取り付け道路も合わせて整備された[1]。橋完成時には歩道がなかったため、後付けで八条橋側道橋が下流側に架橋された。

周辺

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隣の橋

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(上流) - 武蔵野線中川橋梁 - 新中川水管橋 - 八条橋 - 潮郷橋 - 共和橋 - (下流)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『八潮だより』 886頁。
  2. ^ 八条橋1961-4-11 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2020年4月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 686頁。
  4. ^ 埼玉県の緊急輸送道路 - 埼玉県ホームページ(2021年6月23日)、2022年5月28日閲覧。
  5. ^ 46八条橋(中川)”. 埼玉県 (2017年2月3日). 2018年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月28日閲覧。
  6. ^ 八条橋1930- - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2020年4月3日閲覧。
  7. ^ 『中川水系 人文』 491-492頁。
  8. ^ 『中川水系 人文』 496頁。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 埼玉県『中川水系 人文 -中川総合調査報告書2-』埼玉県、1993年2月10日。 
  • 大山昌吾「「八条橋」と「潮止橋」の沿革」『八潮だより』第77巻、八潮公民館、1964年10月1日、886頁。 

外部リンク

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座標: 北緯35度50分52.9秒 東経139度50分30.8秒 / 北緯35.848028度 東経139.841889度 / 35.848028; 139.841889