出川克己
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出川 克己(でがわ かつみ、1953年6月24日 - )は、船橋競馬場に所属していた元調教師[1]。息子の出川賢弘は吉田直弘厩舎の調教助手[2]。
来歴・人物
[編集]千葉県船橋市出身。船橋競馬場の調教師だった出川己代造の三男である。
もともとは騎手を目指していたが、受験資格の身長の上限をオーバーしていたことから断念。競馬界には進まずに高校・大学を卒業したあとは、喫茶店の雇われマスターなどの職を転々とする生活を送っていた。その後競馬界に入ることを決意し、父の厩舎で厩務員として修業を積んだあと、1996年に厩舎を開業。翌1997年に管理馬のアブクマポーロが活躍、一気に地方競馬界の名伯楽として知られることとなった。 後述の厩舎方針により、出走回数が他の有力調教師や管理頭数に対して少ない傾向にある。地元である船橋競馬場を中心に出走させているが、激戦の南関東地区において非常に高い勝率・連対率を誇る。
2003年には南関東のリーディングトレーナーのタイトルを獲得している。
2022年3月31日付けで調教師を引退した。
エピソード
[編集]- 長兄の出川龍一、次兄・博史ともに元調教師であることから、南関東競馬界では「出川三兄弟」として知られていた。
- 当初、競馬界に進まなかったのは「競馬界に進むだろうという周囲の目とおやじ(巳代造)への反発」が理由だったという。(本人談)
- 厩務員当時、手がけていた馬がレース中に故障して競走中止、予後不良になってしまったことがある。このときの経験から「まず故障しない馬を作ること」を厩舎運営の絶対のポリシーとしており、体調が整わない状態での出走はしない[注釈 1]ことから出走回数が少なく、一方で高い勝率や連対率を残している。
- 厩舎開業当時は厩舎運営のノウハウがまったくなかったことから、馬の管理から日々の調教メニューに至るまで、主戦騎手の石崎隆之から事細かなアドバイスを受けていた。このため東京シティ競馬中継のインタビューに対して、「騎手兼調教師が石崎さん(=隆之)、私は馬房管理責任者です」と、冗談とも本音ともつかないコメントを残していた。
主な管理馬
[編集]- アブクマポーロ(帝王賞、東京大賞典、川崎記念2回、グランドチャンピオン2000、ダイオライト記念2回、東海ウインターステークスほか)
- ヒノデラスタ(東京ダービー)
- ラヴァリーフリッグ(マリーンカップ、桜花賞、東京2歳優駿牝馬、トゥインクルレディー賞、ロジータ記念ほか)
- アートブライアン(トゥインクルレディー賞、ファーストレディー賞)
- ハセノガルチ(報知グランプリカップ、TVK盃、京成盃グランドマイラーズ、ラ・フランス賞)
- ベルモントアクター(サンタアニタトロフィー、マイルグランプリ)
- ベルモントストーム(京浜盃、ニューイヤーカップ、東京シティ盃、京成盃グランドマイラーズ)
- ベルモントノーヴァ(東京シンデレラマイル、トゥインクルレディー賞、しらさぎ賞)
- ベルモントサンダー(アフター5スター賞、スパーキングサマーカップ)
- アブクマドリーム(黒潮盃、戸塚記念、東京湾カップ)
- ディアーウィッシュ(京成盃グランドマイラーズ、スパーキングサマーカップ)
- デザートレジーナ(しらさぎ賞)
- スターシップ(報知オールスターカップ、報知グランプリカップ)
- ガンマーバースト(埼玉新聞栄冠賞、勝島王冠)
- ヴァインバッハ(平和賞)
- ナイトバロン(平和賞)
- ジェネラルグラント(京浜盃、ダービーグランプリ、フジノウェーブ記念)
- オメガインベガス(報知グランプリカップ)
- アスカリーブル(ビューチフル・ドリーマーカップ)
- ダイコクファミリー(シルバーカップ)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 地方競馬は賞金が安いため、特に下級クラスの競走馬は出走回数を多くして出走手当を確保する傾向がある。