コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松本典子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初恋十二単から転送)
まつもと のりこ
松本 典子
本名 笘篠 美和子(旧姓:佐藤)
生年月日 (1968-01-30) 1968年1月30日(56歳)
出身地 日本の旗 日本群馬県伊勢崎市[1]
身長 158 cm
血液型 B型
職業 歌手女優コメディエンヌタレント
活動期間 1985年 -
配偶者 笘篠賢治
著名な家族 笘篠誠治(義兄)
笘篠ひとみ(姪)
笘篠和馬(甥)
事務所 ノーリーズン
主な作品
志村けんのだいじょうぶだぁ
テンプレートを表示
松本 典子
プロフィール
愛称 のりりん、サミー
公称サイズ(1984年12月[2]時点)
身長/体重 157 cm / 44 kg
BMI 17.9
スリーサイズ 78 - 57 - 82 cm
活動
デビュー 1985年3月21日
ジャンル アイドル歌謡曲
活動期間 1985年 -
レーベル CBS・ソニー(1985 - 1990年
Sony Records(1991年
公式サイト 松本典子 ソニーミュージックオフィシャルサイト
受賞歴 第27回日本レコード大賞 新人賞(1985年)
第16回日本歌謡大賞 放送音楽新人賞(1985年)
第11回全日本歌謡音楽祭 銀賞(1985年)
第15回銀座音楽祭 グランプリ(1985年)
第18回新宿音楽祭 審査員特別奨励賞(1985年)
第12回横浜音楽祭 新人賞(1985年)
'85FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀新人賞(1985年)
第11回日本テレビ音楽祭 新人奨励賞(1985年)
第4回メガロポリス歌謡祭 最優秀新人ダイヤモンド賞(1985年)
21世紀ヤング歌謡大賞・新人グランプリ 審査員奨励賞(1985年)
アイドル: テンプレート - カテゴリ

松本 典子 (まつもと のりこ、1968年昭和43年〉1月30日[3][4] - ) は日本歌手女優コメディエンヌタレント司会者[5]。本名、笘篠 美和子[3](とましの みわこ、旧姓:佐藤[3])。ノーリーズン所属。

概要

[編集]

日本の1980年代アイドル全盛期のさなかの1985年、17歳でアイドル歌手としてレコード・デビューした[3]。いわゆる正統派アイドルであったが、19歳の頃の1987年に放送開始された志村けんコント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』に番組開始当初からレギュラー出演した事でお笑いデビューし、コメディエンヌとして主に活躍した[6][7][8]

1992年、24歳での結婚を機に事実上の休業状態であったが、2024年から芸能活動を再開した[9]

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1968年1月30日、自動車関係の会社員であった父と福祉関係の公務員であった母の下、東京都武蔵野市の病院で生まれる[10]。本名の「美和子」は「しくいつまでも平であるように」という意味を込めて名付けられたという[11]。3歳の時に当時住んでいた三鷹市から調布市深大寺へ、5歳の時に昭島市へ移った[11]。父の転勤によって中学3年生の時に群馬県伊勢崎市へ転居。中学ではテニス部、転校先ではブラスバンド部に所属した[12]。中学生の時に高校野球が好きになり、野球部のマネージャーに憧れ高校の進学先は共学を目指したが、女子高にも憧れを持ち、結局は制服の可愛さが決め手となって当時女子高だった共愛学園高等学校に入学した[13]。両親からは大学進学を勧められていたが、本人は「早く結婚したかった」という理由で就職希望だったという[14]

オーディション

[編集]

1984年7月28日に新宿厚生年金会館にて開催された第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」(応募総数18万325人[2])の決戦大会にて網浜直子とダブルでグランプリを獲得した[12]。ミス・セブンティーンコンテストは、姉が持って来た雑誌に載っていたもので、姉から勧められたものだった[14]。コンテストにおける審査員面接では、これに落ちたら地方公務員か電話交換手を目指そうと思うと答えたという[15]。ミス・セブンティーン以前にも、石川秀美が優勝した「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」や「ホリプロタレントスカウトキャラバン」、サンミュージックのオーディションを受けていた[16]。サンミュージックのレッスン生同期に桑田靖子が居た[17]。そのレッスン生を途中で辞めさせられるなど、厳格な親であったため芸能活動の理解をなかなか得られなかったが、所属事務所が千昌夫小林幸子などの有名演歌歌手が所属する事務所に決まったことから両親も芸能界入りを認め、同年10月に専属歌手として契約した[18]

アイドル時代

[編集]

1985年3月21日CBS・ソニーから『春色のエアメール』でアイドル歌手としてレコード・デビュー[19]。また、同年公開のシブがき隊主演映画『バロー・ギャングBC』に出演した[3]。ニックネームは「のりりん」の他、本名の佐藤美和子に因む「サミー[12]などだった。デビュー時のキャッチフレーズは「とどくかな、笑顔。」で、郵政省の「タイムカプセル2001」とタイアップした[20]。松本のプロデュースを担当したのは松田聖子を発掘した若松宗雄で、芸名の「松本典子」は、松田に続く歌手が欲しいという若松の意向で、松田聖子の"松"と"子"、当時のソニー社長の大賀典雄の"典"を取って名付けられた[21]。当時南野陽子の担当ディレクターであった吉田格は、当時のCBS・ソニー社内においては南野が三番手、網浜直子が二番手、そして最も推されていたのが松本であったと語っている[22]ウォークマンラジカセなどのソニー製品のカタログのキャラクターとしても起用されていた[23]

同期デビューは浅香唯斉藤由貴森川美穂中山美穂本田美奈子南野陽子などで、アイドルシーン第二次黄金期とも称されるハイレベルな顔ぶれであった[24]。85年の新人賞レースでは中山美穂、本田美奈子、芳本美代子らと激戦を繰り広げ、数多くの新人賞を受賞した[25]。甘いルックスの正統派アイドルであったが、歌声は意外と骨太で、1stアルバム『Straw Hat』のオープニング曲『いっぱいのかすみ草』も名曲との評価が高い[26]。繊細な表現力を発揮し、数多の松田聖子フォロワーのアイドルとは一線を画した[27]。その後バラエティ番組でも活躍したが、アイドル・シンガーとしても大きな足跡を残した[26]

コント・バラエティでの活躍

[編集]

アイドル活動の傍ら、1986年開始のラジオ番組キラキラサンデー アイドルじゃじゃうまランド』では、ラジオパーソナリティとして同期の浅香唯と漫才コンビそこのけの軽妙なトークを披露し、正統派アイドルとしてだけではない一面も披露した[8][28]。その多面性を買われ、1987年開始のフジテレビ系のバラエティ番組志村けんのだいじょうぶだぁ』にレギュラー出演し、志村けんらと息のあったコントを披露。いしのようこと共に二枚看板となった[6]。『ドリフ大爆笑』『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』など他のコント番組でも本領を発揮した[7]

結婚・休業後の活動

[編集]

1992年に当時ヤクルトスワローズの内野手だった笘篠賢治と結婚した[3][29]。結婚後は主婦と子育てに専念し原則として休業したが、ときおり本名で夫とトーク番組にゲスト出演したことがあった。

結婚を機に事実上の休業状態だったが、2011年8月に『J-POP青春の'80』収録に出演し、NHK BSプレミアムにて9月8日に放送された。「儀式(セレモニー)」を歌い、19年ぶりに歌手として復帰した。

2013年9月11日に日本テレビ1番ソングSHOW「今いちばん見たい!幻のアイドル大捜索スペシャル!」に出演した。地上波での登場は10年ぶりだった。

2018年4月29日に週刊誌FLASHにて20年ぶりにグラビアに登場した。インタビューの中で「歌は好きなので、また聴かせられたらいいなと思っています。」と答えている[30]

2019年12月15日に文化放送「スポスタ☆MIX ZONE」に夫と共に出演した。ラジオへの登場は26年ぶりだった[31][32]

芸能界復帰へ

[編集]

2024年、芸能活動を再開した[9]。また、ふだんは保育園で保育補助の仕事に従事しているという[33]

人物

[編集]

家族構成

[編集]

エピソード

[編集]

1989年4月からニッポン放送で『ラジオビバリー昼ズ』がスタートするのにあたり、メインパーソナリティ高田文夫は、高田曰く「優秀さを買って」自分のアシスタントに松本典子をと伝えていたが、スタッフの単純な聞き間違いもあって、本番直前のスタジオには松本が入っており、そのまま松本明子が正式にアシスタントとなった。また、1992年7月から日本テレビでスタートした『進め!電波少年』でも、総合演出の土屋敏男は上司から「(MCは)松本明子と松村邦洋で行け」と言われたが、元々自分の頭の中にはMCのキャスティングとして松本典子が想定にあったと話している[37][38]。以上それぞれ、一字違いの松本明子絡みのエピソードがある。

音楽

[編集]

シングル

[編集]
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 オリコン
最高位
規格品番
CBS・ソニー
1 1985年
3月21日
A面 春色のエアメール EPO 大谷和夫 28位 07SH-1617
B面 秘密の17才 小坂明子 鷺巣詩郎
2 1985年
6月21日
A面 青い風のビーチサイド 麻生圭子 岸正之 船山基紀 30位 07SH-1657
B面 ジンジャー 矢野顕子 武部聡志
3 1985年
9月21日
A面 さよならと言われて 銀色夏生 呉田軽穂 松任谷正隆 17位 07SH-1697
B面 デ・リ・ケ・ー・ト 麻生圭子 後藤次利
4 1986年
2月26日
A面 虹色スキャンダル 湯川れい子 久保田利伸 中村哲 28位 07SH-1738
B面 感性のままに 千家和也 三木たかし 瀬尾一三
5 1986年
5月21日
A面 NO WONDER 沢ちひろ 芹沢廣明 鷺巣詩郎 29位 07SH-1790
B面 三枚の写真[39] 松本隆 大野克夫 大村雅朗
6 1986年
10月1日
A面 儀式(セレモニー) 中島みゆき 戸塚修 37位 07SH-1823
B面 秋桜化粧 荒木とよひさ 三木たかし
7 1987年
4月22日
A面 KEEP ME HANGIN' ON 〜誘惑を抱きしめて〜[40] 森浩美 E.Holland
L.Dozier
B.Holland
加藤道明 56位 07SH-1912
B面 パステル・ラブ[41] 尾崎亜美 戸塚修
8 1988年
2月26日
A面 今夜はパラダイス 岩室先子 羽田一郎 水谷公生 84位 07SH-3013
B面 P・Rondo 和泉一弥
9 1988年
10月23日
A面 雨と水曜日 小林由美子
麻生圭子
羽田一郎 水谷公生 46位 07SH-3130
B面 想いの破片 来生えつこ 来生たかお 星勝
10 1989年
6月21日
01 天使が棲む島 麻生圭子 中崎英也 84位 10EH-3293
02 夜明けまでのマーメイド
11 1989年
12月1日
01 初恋十二単 麻生圭子 中崎英也 戸塚修 - CSDL-3038
02 春から小町
12 1990年
10月1日
01 たったひとりの恋人 麻生圭子 中崎英也 CSDL-3166
02 想い出にしたかった 中崎英也
Sony Records
13 1991年
9月1日
01 Kissが届かない 松本典子 MAYUMI 山川恵津子 - SRDL-3346
02 今夜も眠れない

アルバム

[編集]

オリジナル・アルバム

[編集]

ミニ・アルバム

[編集]

ベスト・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格品番 オリコン最高位
CBSソニー
1st 1988年7月21日 My flavor 15EH-8036 圏外
Sony Music Entertainment (Japan) Inc.
2nd 1999年9月22日 GOLDEN J-POP/THE BEST 松本典子 SRCL-4627 圏外
3rd 2002年10月9日 DREAM PRICE 1000 松本典子 春色のエアメール MHCL-145
Sony Music Direct / GT music
4th 2003年12月3日 アイドル・ミラクルバイブルシリーズ松本典子 THE BEST Purity MHCL-330/1 圏外
Sony Music Direct / オーダーメイドファクトリー
5th 2016年3月25日 松本典子 GOLDEN☆BEST -Limited- DQCL-576 圏外
Sony Music Direct / GT music
6th 2017年4月26日 GOLDEN☆BEST 松本典子 -All Single Collection- MHCL-30452/3 圏外

ライブビデオ

[編集]
発売日 タイトル
CBSソニー
1st 1986年 NORIKO MATSUMOTO LIVE '86 MAIDEN VOYAGE
2012年7月9日

タイアップ曲

[編集]
楽曲 タイアップ 収録作品
春色のエアメール 郵政省『ポストカプセル2001』キャンペーンソング シングル「春色のエアメール」
さよならと言われて SONY 『ラジオカセットCFS-W90』CMソング シングル「さよならを言われて」
感性のままに 東映映画『ザ・サムライ』挿入歌 シングル「虹色スキャンダル」
NO WONDER KCBエースフル『サワーロイヤル』CMイメージソング シングル「NO WONDER」
パステル・ラブ サン・ジョルディの日 キャンペーン・イメージ・ソング シングル「KEEP ME HANGIN' ON〜誘惑を抱きしめて〜」
今夜はパラダイス フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ シングル「今夜はパラダイス」
雨と水曜日 郵政省『ふみの日』キャンペーンソング シングル「雨と水曜日」
フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ
天使が棲む島 フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ シングル「天使が棲む島」
初恋十二単 郵政省『年賀はがき』キャンペーンソング シングル「初恋十二単」
フジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』エンディングテーマ

出演作品

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

テレビ番組

[編集]

ラジオ番組

[編集]

CM

[編集]

著書

[編集]
  • にんじん倶楽部』近代映画社、1986年11月10日。

写真集

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 公式プロフィール (所属事務所「noReason」内)
  2. ^ a b BOMB』1984年12月号、学習研究社、88頁。 
  3. ^ a b c d e f 日外アソシエーツ 1995, p. 801.
  4. ^ a b c DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、142頁。
  5. ^ 松本典子”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2024年5月3日閲覧。
  6. ^ a b 「聖子! 伊代! りえ! コント番組で活躍したアイドルたち」『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社、2013年10月26日、98-99頁。ISBN 978-4-8003-0227-4 
  7. ^ a b 『週刊プレイボーイ』2015年1月26日号, p. 112.
  8. ^ a b 「ドラマはしっかり者、バラエティーは三枚目で月曜の夜を独占 この秋注目の多角的アイドル・松本典子の「両方、地です」」『週刊読売』1987年11月15日号、読売新聞社、16-17頁。 
  9. ^ a b 《松本典子が芸能界復帰》志村けんさんへの感謝と後悔を語る “変顔コント”でファン離れも「あのとき断っていたらアイドルも続いていなかった」”. NEWS ポストセブン. 小学館 (2024年3月28日). 2024年5月3日閲覧。
  10. ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 28.
  11. ^ a b 『BOMB!』1985年11月号, p. 36.
  12. ^ a b c 『BOMB!』1985年11月号, p. 37.
  13. ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 33.
  14. ^ a b 『BOMB!』1985年11月号, p. 34.
  15. ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 35.
  16. ^ にんじん倶楽部 1986, pp. 28–29.
  17. ^ にんじん倶楽部 1986, p. 29.
  18. ^ にんじん倶楽部 1986, p. 39.
  19. ^ 小池聰行 編『オリコン年鑑'86―歌謡音楽のすべて』オリジナルコンフィデンス、1986年5月1日、223頁。ISBN 4-87131-017-5 
  20. ^ 『BOMB!』1985年11月号, p. 45.
  21. ^ にんじん倶楽部 1986, p. 44.
  22. ^ 『週刊プレイボーイ』2015年1月26日号, p. 120.
  23. ^ カセットコーダー / ラジオカセット 1985年11月」『ソニー坊やと呼ばれた男』2021年11月2日。2024年7月6日閲覧
  24. ^ BOMBアイドル30年読本 2010, pp. 59–60.
  25. ^ 「特集・'85新人賞レースを総括する!美代子・美奈子・典子・美穂が大活躍!激戦に次ぐ激戦。新しいアイドルが続々誕生だ!」『BOMB』1986年2月号、学習研究社、190-191頁。 
  26. ^ a b BOMBアイドル30年読本 2010, p. 59.
  27. ^ 真鍋公彦・宝泉薫・松井敏夫 編『80'sアイドルライナーノーツ』JICC出版局、1991年2月15日、99頁。ISBN 4-7966-0074-4 
  28. ^ 「浅香唯 INTERVIEW 放送禁止用語はなし、教祖様のいいたい放題 文化放送「アイドルじゃじゃうまランド」」『月刊ラジオパラダイス』1987年10月号、三才ブックス、8-9頁。 
  29. ^ 3児の母…松本典子が19年ぶりに歌手復帰 - 音楽ニュース”. nikkansports.com. 2021年9月2日閲覧。
  30. ^ “松本典子 20年ぶりのグラビア撮影で「また歌を聴かせられたら」”. FLASH. (2018年4月29日). https://smart-flash.jp/entame/39720/ 2018年4月29日閲覧。 
  31. ^ 元アイドル・松本典子 夫・笘篠賢治氏と26年ぶりのメディア共演 結婚の裏話など語る スポーツニッポン2019年12月12日
  32. ^ アスリートの妻とアイドルの夫のすべて明かして、だいじょうぶだぁ!スペシャル~!! 番組ブログ2019年12月15日
  33. ^ "85年組の56歳元アイドル、今年から芸能活動再開で保育園勤務との二刀流、夫は元プロ野球選手". 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 19 November 2024. 2024年11月19日閲覧
  34. ^ 笘篠母・松本典子さん応援席でエール デイリースポーツ、2012年7月14日、2019年12月1日閲覧
  35. ^ マイナビ2020・入社してから成長が止まらない ! それぞれの役割で活躍中の三人 - マイナビ(テレビ新広島)。2019年6月30日更新。
  36. ^ a b c 楽天・笘篠Cの娘、姫歌ひな乃退団”. デイリースポーツ online. 神戸新聞社 (2015年10月2日). 2023年6月5日閲覧。
  37. ^ ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」30周年イベント大盛況”. ニッポン放送NEWS ON LINE. ニッポン放送 (2019年3月18日). 2024年2月11日閲覧。
  38. ^ 昭和50年男(株式会社ヘリテージ)2024年3月号「土屋敏男のテレビの記憶」(高田文夫との対談)p.121
  39. ^ 三木聖子の同名曲のカバー。
  40. ^ スプリームスの「You Keep Me Hangin' On」の日本語カバー。
  41. ^ 金井夕子の同名曲のカバー。
  42. ^ 2010年11月27日にCD版がリリースされた(規格品番:DYCL-244)。
  43. ^ 2012年10月10日にCD版がリリースされた(規格品番:DYCL-419)。
  44. ^ 2013年2月21日にCD版がリリースされた(規格品番:DYCL-467)。
  45. ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.73.
  46. ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年7月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.64

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]