利用者‐会話:のりまき/過去ログ 20060506-20120505

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは、のりまきさん、はじめまして!ウィキペディアへようこそ

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  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
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あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

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なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しております。のりまきさんが、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、ご存知のことばかりをご案内したかもしれません。不明をお詫び申し上げます。--ようこそ 2006年5月6日 (土) 02:15 (UTC)[返信]

Image:東海線道路南北出入事務所.jpgには著作権上の問題があります[編集]

一週間後、この画像は削除されます。

こんにちは。Image:東海線道路南北出入事務所.jpgをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には著作権の状態またはライセンスが明記されていないため、著作権上の問題があります。出典とライセンスのないファイルは、削除されます。

ウィキペディアにアップロードされるすべてのファイルは、画像利用の方針に従っており、かつ詳細な出典とライセンスが明記されている必要があります。画像の著作権表示タグを参照し、適切なライセンスを表すタグを貼付してください。どうぞよろしくお願いします。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されますKenpei 2006年6月14日 (水) 12:58 (UTC)[返信]

Kenpeiさんご指摘どうもありがとうございます。著作権表示タグ落としてしまっていました。早速添付いたしました。--のりまき 2006年6月14日 (水) 13:04 (UTC)[返信]

金剛山の画像について[編集]

LERKです。金剛山など北朝鮮関連の画像、大変重宝しております。お伺いしたいことがあります。のりまきさんがウィキトラベルに投稿された画像をいくつかウィキメディア・コモンズへコピーしております(金剛山のカテゴリも用意いたしました)。今回ウィキペディア日本語版に投稿された画像のほうが解像度が高く、コモンズへ上書きしようと考えている画像がいくつかあるのですが、ライセンスが違っているため問題が発生しております。たとえば三日浦の画像なのですが、ウィキトラベルからコモンズにコピーしたものウィキペディアに投稿されたものとあります。おそらくこの両者は同一画像と愚考しますが、前者はパブリックドメイン、後者はGFDLとなっております。これらはどうしたらよろしいでしょうか?- LERK 会話 / 投稿記録 2006年11月30日 (木) 03:44 (UTC)[返信]

  • LERKさんお世話になっています。私も今回の金剛山写真アップの後で、LERKさんがウィキトラベルの写真をウィキメディア・コモンズへコピーしていただいたことに気づきました。ウィキトラベルで使用した写真と今回アップした写真は別の写真です。ただ、三日浦の写真はそれぞれ同一の場所から撮影したため、同じような構図の写真になってしまいました。(念のために説明しますと、ウィキトラベルの三日浦、海金剛は2002年、ウィキぺディアの方は2006年の撮影です)ライセンスの方は重なってしまった場合はGFDLを優先していただけるとありがたいです。お手数かけますがよろしくお願いします。のりまき 2006年11月30日 (木) 10:04 (UTC)[返信]
ご対応ありがとうございます。撮影日が違うのですね、失礼しました。でしたら別ファイルですね。ファイル名を変えてアップロードしておきます。- LERK 会話 / 投稿記録 2006年12月1日 (金) 06:46 (UTC)[返信]

末期古墳の記事について~参考文献記述修正のお願い~[編集]

はじめまして、Wushiと申します。貴殿が上梓した末期古墳の記事ですが、参考文献・脚注についてですが、引用文献の著者名が無いのはどういうことでしょうか?例えば『岩手考古学 第8号』p.62に該当するところを書いたのがどこの何某か私は存じませんが、XX(1996)みたいに書けるのではないでしょうか?Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の実例(和書)を参考に修正していただけるとありがたいです。お手数ですがよろしくお願いします。--Wushi 2008年12月5日 (金) 13:42 (UTC)[返信]

師走ですのでのりまきさんも多忙かと思われます。新着記事に選ばれたいい記事でしたので、加筆をのんびりと待ってます。これからも宜しくお願いいたします。--Wushi 2008年12月5日 (金) 14:06 (UTC)[返信]

渡島大島の1741年大津波について[編集]

はじめましてapple2000と申します。加筆時点に於いて崩落説の原典? に行き着くことが出来なかった為、要出典としました。また私はどちらかの意見に固執しませんので、信頼に足りる情報に基づき執筆するのみです。現時点で原因の決着が付いていないのであれば、両論併記が妥当であります。なお脚注リンク先を気象庁の根拠とする論文に変更いたしました。--Apple2000 2008年12月10日 (水) 02:55 (UTC)[返信]

apple2000さんこんにちは。早々のお返事どうもありがとうございます。了解いたしました。これからもよろしくお願いします。--のりまき 2008年12月10日 (水) 10:01 (UTC)[返信]

月間感謝賞より[編集]

2009年7月の月間感謝賞において、のりまきさんへ感謝の言葉が寄せられました:

* Tantal 2ウィキ:6月度の月間新記事賞「金鈴塚古墳」の執筆お疲れ様です。記事の受賞を賞して。 — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2009年7月履歴

また、のりまきさんには、ウィキマネーが2ウィキ贈呈されています。

のりまきさんはウィキバンクに口座をお持ちではないようですから、ウィキマネーとウィキバンクについて、簡単なご案内をいたします。ウィキマネーとは、ウィキペディアでの活動の相互扶助を促進するための仮想的な通貨です。また、ウィキバンクとは、そのウィキマネーの口座と残高を記録するシステムです。

ウィキマネーは、ログインしての活動が1か月以上かつ200回以上の編集をしていれば20ウィキ獲得でき、のりまきさんはすでにこれを獲得されていますから、おそらく22ウィキの残高となろうかと思います。口座開設と残高の記録は、Wikipedia:ウィキバンクに「~~~:ψ22」という形式で、残高を記入するだけになります。

これからのますますのご活躍を祈念いたします。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年8月2日 (日) 11:43 (UTC)[返信]

どうもありがとうございます。我ながら「路地裏の駄菓子屋」のような地味な記事中心の執筆だと思いますが、感謝されるのは正直嬉しいことです。今もまた地味な記事を書き始めているのですが…これからも息長く、そして息切れしないように(笑)やっていきたいと思っています。よろしくお願いします。--のりまき 2009年8月2日 (日) 12:31 (UTC)[返信]

和賀山塊の件[編集]

こんばんは ikedat76です。掲題の件、お世話になっております。

ノート:和賀山塊にて簡単ながら回答を記しましたので、ご一読いただければさいわいです(なお、今回の選考は見送ることに致しました)。--ikedat76 2009年10月19日 (月) 14:25 (UTC)[返信]

ikedat76さんこんばんは。ご丁寧な連絡どうもありがとうございました。了解いたしました。--のりまき 2009年10月20日 (火) 11:26 (UTC)[返信]

お礼のお返事[編集]

こんにちは、Sigma64です。返事が遅れてしまい 申し訳ありませんm(_ _)m

わざわざご連絡ありがとうございました。画像が活用できるページが増え、私も嬉しく思っております。 活用しきれていない画像が私の画廊に沢山ありますので、もし宜しければ のぞいてみてください^^

それでは、今後ともよろしくお願い致します。--Sigma64 2009年11月3日 (火) 01:22 (UTC)[返信]

  • Sigma64さんこんばんは。ご丁寧なお返事どうもありがとうございます。私は歴史系の記事中心の活動ですが、今回は思い切って地学系にチャレンジしてみました。また資料が集まったら箱根以外の山や山地の形成史にチャレンジするかもしれません。その時にはまたぜひ写真を使わせていただきたいと思います。--のりまき 2009年11月3日 (火) 12:09 (UTC)[返信]


宮間英次郎氏の件[編集]

件の展覧会は、美術館で開かれたものではありません。企画者も「学芸員の資格」は持っていないと思います。 (過去に美術館企画の展覧会に間宮氏が関係したこともあります。この企画はそうではなかった、という意味です)。

有名ライターの都築響一氏らが間宮氏と親しい、と聞いたことがありますので、都築氏に頼んで「間宮氏は帽子おじさんと呼ばれている」と一筆書けばいただけば、問題ないでしょうか?

地元で誰もが普通に呼んでいる事実(しかもテレビで放送された事実もあるのに)を「活字になっていない」「全国区の呼び名として定着していない」という理由で黙殺する、というのは、すごいポリシーですね……。

「客観性」ではなく、「中立性を優先する」ということでしょうか?


とりあえずこのことだけは指摘しておきます。「黙殺」はしていません。ですから教えていただいた「ヨコハマ経済新聞」の記事を出典として加筆したのです。--のりまき 2009年11月12日 (木) 12:16 (UTC)[返信]


のりまきさんは、間宮さんに近い筋の方ですから、当然「ハマ経」の記事のことは知っていたのでは? ですから、加筆の件は「追認」では? 結果オーライですから、構いませんが。

なお、あなた自身が「参考文献」としてお書きになった<『日本のアウトサイダーアート Vol.10 「変身願望」』(DVD) 紀伊國屋書店、2009年>でもAmazonの商品ページを読む限りでは「帽子おじさん」と紹介されているようですが、いかがでしょうか?

それから「参考文献を参考資料とされていましたが、〜 参考までにWikipedia:出典を明記するをご参照ください。よろしくお願いします」の件ですが、「Wikipedia:出典を明記する」を読む限り、DVDは文献扱いになっていないと思います(書かれているのは書籍類に関することのみ)。のりまきさんは、DVDを参考「文献」としてあげられていましたが、違和感を感じたので、参考「資料」としたのです。マルチメディア関連のものは「資料」とするのが一般的だと思います。

最後にもう一つ。他人を使ってこちらの身元を確認するのは不快です。mixiの当方のページに足跡をつけているのも確認しました。 以後、不愉快な行動は慎んで下さい。--Loadambala 2001 2009年11月17日 (火) (UTC)

Re:待っていますので、今はゆっくりとお休みください[編集]

こんばんは。R.Lucyです。この度はご心配をおかけしました。会話ページにて、温かいお言葉をありがとうございました。しばらくお休みをいただいたことでリフレッシュできました。オーバーヒートしないよう、執筆活動はぼちぼちとやっていきたいと思いますので、またどこかで目にした際にはご笑覧頂ければ幸いです。のりまきさんの古墳関連記事は、新着を通して、いつも凄い記事を書く方だと感嘆しつつ拝見させて頂いておりました。新しい記事ができるのを楽しみにしています。--R.Lucy 2009年11月27日 (金) 16:41 (UTC)[返信]

R.Lucyさんこんにちは。嬉しいですね~またR.Lucyさんの書いた記事を読めるかと思うとワクワクします!では疲れない程度に頑張ってくださいね。私も息切れしない程度に頑張りますので(笑)。--のりまき 2009年11月27日 (金) 23:07 (UTC)[返信]

九条塚古墳と内裏塚古墳群[編集]

あなたが起こされた九条塚古墳を拝読しました。読み応えのある立派な記事だと思います。ただ、同記事内の古墳の立地と内裏塚古墳群節は既存内裏塚古墳群のボリュームを凌ぎ、群の方が定義と古墳一覧でしかないのに対して、欠けている具体的な文章による解説文が九条塚古墳の方にあるというのは、甚だしい主客転倒になってしまっています(笑)せっかく書かれたのでご不満があろうかと思いますが、ここは群の方に当該節を移つされたほうが、閲覧者にとってもバランスがよいのではないかと思います。--Weatherman2009 2009年11月29日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

Weatherman2009さん初めまして。確かに現状の内裏塚古墳群はスタブですね。ただ、内裏塚古墳群に九条塚古墳の当該節をそのまま移すのは少々問題があるのです。九条塚古墳の当該節の説明は、6世紀半ばに築造された九条塚古墳から見た内裏塚古墳群の様相なので、内裏塚古墳群の説明としては、古墳群誕生前の近隣の古墳築造の状況、そして5世紀台の内裏塚古墳について、そして7世紀台の方墳築造についてもっと詳しく書き込む必要があります。もう少しお時間をいただければ内裏塚古墳群についても加筆して行きたいと思いますので、お待ちいただければと思います。--のりまき 2009年11月29日 (日) 12:02 (UTC)参考までに私がかつて立てた祇園・長須賀古墳群の記事のような形に内裏塚古墳群も整備できたらと考えていますが、いかがでしょうか?--のりまき 2009年11月29日 (日) 12:14 (UTC)追記[返信]
祇園・長須賀古墳群の記事と比べれば、単純な移設は書き込み不足の感が否めないのは確かでしょう。しかし、のりまきさんが九条塚古墳からの視点で書かれていると主張される、古墳の立地と内裏塚古墳群節での九条塚古墳の位置づけの記述は、直截に云わせていただければ、前節古墳の概要節の段落「内裏塚古墳群では~古墳群の画期である古墳と考えられる。」の繰り返しで、それを超えるものでなく、のりまきさんの手により内裏塚古墳群での解説がシッカリなされれば、前節での概要記述で十分であり、当該節はなくてもよいかと思います。いずれにしても、私のコメントは内裏塚古墳群の加筆依頼が主眼であり、あえて分割提案など事を構える気などさらさらなく、今後のことはのりまきさんのお考えにお任せします。--Weatherman2009 2009年11月29日 (日) 12:59 (UTC)[返信]

月間感謝賞より[編集]

2010年2月の月間感謝賞において、のりまきさんへ感謝の言葉が寄せられました:

* ikedat76 2ウィキ: 長登銅山細倉鉱山等の鉱山記事の執筆に感謝して。いずれも興味深い記事で、鉱山というものに対してこういう視点があるのかと、新しい視野を開かれた思いがしました — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2010年2月履歴

また、のりまきさんには、ウィキマネーが2ウィキ贈呈されています。

のりまきさんはウィキバンクに口座をお持ちではないようですから、ウィキマネーとウィキバンクについて、簡単なご案内をいたします。ウィキマネーとは、ウィキペディアでの活動の相互扶助を促進するための仮想的な通貨です。また、ウィキバンクとは、そのウィキマネーの口座と残高を記録するシステムです。

ウィキマネーは、ログインしての活動が1か月以上かつ200回以上の編集をしていれば20ウィキ獲得でき、のりまきさんはすでにこれを獲得されていますから、おそらく22ウィキの残高となろうかと思います。口座開設と残高の記録は、Wikipedia:ウィキバンクに「~~~:ψ22」という形式で、残高を記入するだけになります。

これからのますますのご活躍を祈念いたします。

P.S. 投票を忘れてしまいましたが、最も尊敬する利用者のお一人です。これからも末長くご活躍頂ければ幸いです。-- 2010年3月14日 (日) 06:23 (UTC)[返信]

どうもありがとうございます。正直、感謝されるのは嬉しいことですね~~私は皆さんのような精力的な活動は出来ず、自分の興味や関心の向く分野に関して少しでも記事が充実するようにやっていますが、このところ知識不足を痛感しています…これからも息切れしないようにぼちぼちやって行きたいと思いますので、よろしくお願いします。--のりまき 2010年3月14日 (日) 08:18 (UTC)[返信]

日立鉱山[編集]

日立鉱山の記事は応援してます。むかし、日立市に住んでいたことがあり、日立鉱山跡とその周辺は何度も散策したことがあります。以前から「なぜ日立鉱山の記事が無いんだろう?」と思っていたのですが、起稿されてから瞬く間の短期間のうち充実した内容となり、驚いております。頑張ってください。--しまあじ 2010年4月12日 (月) 17:44 (UTC)[返信]

しまあじさんこんにちは。さすがは日本有数の鉱山であっただけあって様々な特徴があって、日立鉱山の記事には苦労しています(苦笑)。興味深く読んでいただいているようで嬉しいです。とりあえずもう一息で一段落する予定ですので頑張ってみます。(前の部分とは内容的に異なるので節分けさせていただきました)--のりまき 2010年4月13日 (火) 13:16 (UTC)[返信]

日立鉱山の記事を最初に投稿した名無し(当時113.197.161.193)です。証明する手立てはありませんがw 素晴らしい記事に進化していただき、感激です。ありがとうございます。

編集中は、日々加筆されていく内容を更新して見続けてました。。。--220.100.93.91 2010年5月20日 (木) 12:13 (UTC)[返信]

こんにちは。日立鉱山の記事は執筆コンテストに入賞することが出来ました。これも220.100.93.91さんを始め、皆さんから応援していただいたおかげだと感謝しております。このところ公私ともに忙しい上にちょっと気が抜けてしまったようで(苦笑)、記事の改善や周辺記事の執筆まで手が廻っていませんが、日立鉱山の記事は秀逸な記事を目指していければと考えています。またよろしくお願いします。--のりまき 2010年5月20日 (木) 13:03 (UTC)[返信]

月間感謝賞受賞のお知らせ[編集]

のりまきさんに、2010年11月の月間感謝賞が贈られました。寄せられた推薦と感謝の言葉は次のとおりです:

* totti 2ウィキ: 9月の月間新記事賞→良質な記事となった石野遺跡をはじめ、南硫黄島原生自然環境保全地域還住などの伊豆・小笠原諸島に関する質の高い記事の執筆に感謝して。どれも初めて知るような題材で、とても楽しく読ませてもらいました。
  • Igitur 2ウィキ:同じく。思いもよらぬテーマを取り上げては驚くべき深みまで掘り下げてみせ読者を引きずり込んでしまうスタイルにはいつも感嘆させられるばかりで、のりまきさんの散策の後にひととき付いて覗き見ることを許されたような悦びを覚えます。知的好奇心というもの自体を読者に伝える力があるのかもしれません。
  • Pastern 4ウィキ: お二人に同意。tottiさんが挙げられた記事についてですが、記事1つ1つの質の素晴らしさもさることながら、これらをわずか1か月の間に投稿されたということに驚きを禁じ得ません。 — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2010年11月履歴

また、のりまきさんには、ウィキマネーが、推薦者から8ウィキ、また月間感謝賞受賞に10ウィキ、合計18ウィキ贈呈されています。

これからのますますのご活躍を祈念いたします。--totti 2010年11月30日 (火) 18:29 (UTC)[返信]

本当にどうもありがとうございます。石野遺跡から小笠原諸島の自然まで伊豆・小笠原諸島関連の記事が続きましたが、このところ正直ちょっと疲れ気味で(苦笑)、少し休養を取ってから次のテーマに取りかかろうかと考えています。我ながら結構地味な記事ばかりだと思うのですが、興味関心を持って読んでくださる方には本当に感謝です。これからもよろしくお願いします。--のりまき 2010年12月1日 (水) 05:25 (UTC)[返信]

CiNiiへのリンクを楽して貼る方法[編集]

こんにちは、ikedat76です。あけまして…というにはもう遅いですが、今年もよろしくお願いいたします。

即物的なタイトルで恐縮なのですが、Template:NAIDというテンプレートのことです。参考文献として利用した論文のCiNii内のインデックスへのリンクをよく貼っておられるかと思いますが、このテンプレートを使うと、非常に楽に出来るようです(使用例:備宿)。使ってみてはいかがでしょうか(…というか、私も最近気がついて、こんなのがあったのかとちょっと驚いたのですが)。もしご存知であれば失礼。--ikedat76 2011年1月10日 (月) 05:34 (UTC)[返信]

ikedat76さんこんにちは。今年もどうかよろしくお願いします。いつも親切に色々と教えていただき、どうもありがとうございます。う~ん、こんなテンプレートあるんですね、全く知りませんでした。今取り掛かっている記事は参考文献にCiNii論文てんこ盛り状態なので、記事に取り掛かる前に知ればもう少し作業が楽になったような気がします。現在作っている皇居の生物相は、基本的にはあと昆虫のハチ類について書いた後、まとめを書いてとりあえず完成予定ですので、次ないしその次に執筆予定の記事がまたCiNii論文を多用する予定ですので、その際には是非用いてみようかと思います。--のりまき 2011年1月10日 (月) 06:54 (UTC)[返信]

「ファイル:現代峨山金剛山支所.JPG」がコモンズへ移動されました[編集]

ウィキペディア日本語版にアップロードして頂いたファイル:現代峨山金剛山支所.JPGですが、このたびウィキメディア・コモンズcommons:File:Hyundai-asan-geumgangsan-branch.jpgへ移動されました。 この移動によりあなたの投稿されたファイルは、ウィキペディア日本語版だけでなく、他の言語版やその他の姉妹プロジェクトなどでもより広く利用することが可能になりました。

なお、この移動の後、ウィキペディア日本語版に残っている元のファイル:現代峨山金剛山支所.JPGは、Wikipedia:即時削除の方針#ファイル1-5に従いまもなく削除されますので併せてお知らせいたします。--hyolee2/H.L.LEE 2011年1月11日 (火) 05:02 (UTC)[返信]

ご連絡どうもありがとうございました、了解いたしました。少し前に撮った写真なので現在は果たしてどうなっているのか…時々気になっています。--のりまき 2011年1月11日 (火) 09:39 (UTC)[返信]

記事「久原房之助」と「久原財閥」について[編集]

お久しぶりですといっても覚えてくださっていないと思いますが、こちらの会話ページにおじゃましたことがあります)、利用者:しまあじです。

記事「久原房之助」と「久原財閥」を比較していて気がついたのですが、記事「久原財閥」で「大正元年(1912年)に久原鉱業所...(中略)...を設立し...」となっている説明が、記事「久原財閥」では「1912年(大正元年)9月18日、久原鉱業所を久原鉱業株式会社とし...」となっておりまして、株式会社になる前と後の名称それぞれ、「久原鉱業」なのか「久原鉱業」なのか、素朴な疑問を持ってしまいまして、このような細かい点は、ネット上の情報はあまり信用しないほうがよいようで(ネット上のページはタイプミスや誤変換による誤字脱字はあってアタリマエと思ったほうがよいので)、豊富な知識をお持ちの上に、信頼できる書籍での情報を確認できるのりまきさんに、私のような無知な者にも納得できるように両記事を対処していただけたらと思いました。お時間ができたときにで結構ですので、ぜひ、よろしくお願いいたします。--しまあじ 2011年2月12日 (土) 09:12 (UTC)[返信]

しまあじさんこんばんは。お久しぶりです。日立鉱山の執筆時に心温まる激励を頂いたこと、覚えております。う~ん、私は会社の沿革等についてはどうも苦手で手を出していないのですが……手もとの資料で確認してみました。「日立鉱山史」、「日本鉱業株式会社五十年史」によれば、どうやら「久原財閥」の方が正しい記述のようです。株式会社化される前の名称は両書とも明らかに久原鉱業所としており、株式会社設立後は久原鉱業株式会社です。
日立鉱山史(1952年刊)、年表の1912年(明治45年)1月1日の項には「日立製作所を鉱山より分離し、久原鉱業所の独立の一事業所とす」。10月1日の項には「久原鉱業株式会社創立」
日本鉱業株式会社五十年史(1957年刊)、p.24には「…9月18日をもって会社設立の日とする。さらに10月1日には、各鉱山および製作所等(日立製作所など)久原鉱業所傘下の全事業の引継を完了してその経営を開始した。発足当初の久原鉱業株式会社の概要は次のとおりである…」
参考文献の引用を見れば、株式会社化される前の名称は「久原鉱業所」で、株式会社となった後は「久原鉱業株式会社」であることは明らかです。ざっと記事を見たところ、久原房之助の記事に問題がありそうですね。今、新しい記事の執筆準備中なのですが、それが一段落しましたら私なりに対処してみましょう。--のりまき 2011年2月12日 (土) 09:59 (UTC)[返信]

ジョットの加筆[編集]

こんにちは、光舟です。某所でリクエストを頂いたジョットの加筆と、ついでにスクロヴェーニ礼拝堂の翻訳をやってみました。自分としてもあまり上手い翻訳にはなっていないかなという気もしますが、ご笑納くださればと。英語版ジョットの記事は私が知らなかった項目もあって望外に楽しめました。のりまきさんも色々と大変そうですが、時間とお暇のあるときに読んでいただければ嬉しく思います。--光舟 2011年4月13日 (水) 14:08 (UTC)[返信]

光舟さんこんばんは。本当にどうもありがとうございます!ざっと読ませていただきましたが、ジョットの記事は本当に見違えるようになって嬉しいです。スクロヴェーニ礼拝堂もこれまで記事無かったんですね~こちらはそろそろ復帰しようと思っていた矢先、風邪を引いてしまい予定よりも少々遅れてしまいましたが、今週末あたりには戻れると思いますのでまたよろしくお願いします。--のりまき 2011年4月14日 (木) 11:24 (UTC)[返信]

日本の高山植物相の主分について[編集]

おはようございます。日本の高山植物相の記事について、最初の主文では「日本の高山植物相とは、○○○である。」と始めた方が良いように、素人的に思いましたが、如何でしょうか。一般の人には分かりにくいと思われる記事タイトルのため。 『日本の高山植物(山溪カラー名鑑)』山と溪谷社、1988年9月、ISBN 4-635-09019-1なども参考文献となりそうです。--Alpsdake 2011年5月8日 (日) 20:29 (UTC)[返信]

Alpsdakeさんはじめまして。いつも山岳関係の執筆、楽しく読ませていただいております。そうですね、確かに日本の高山植物相は…であるという書き出しの方がわかりやすいとは思うのです。ただ、日本の高山植物では中部山岳地帯や大雪山などの高山帯以外にも、標高800メートルあまりのアポイ岳や最高標高500メートル以下の礼文島などにれっきとした高山植物群落があり、それら高山帯以外の高山植物群落についても記事内でかなりのウエイトを置いた説明をしているので、「日本の高山植物相は日本の高山帯に生育する植物相である」といった書き出しはちょっと無理かと思います。特にアポイ岳の高山植物群落の日本の高山植物相における重要性から判断して、私としては日本の高山帯の植生に限定されるような書き出しを行なわず、わかりやすさに欠ける点はありますが、冒頭部分にある程度の概要的な説明をして概要説に替えた形式を採用しました。とにかく生物相関連の記事は例外があまりに多くて、簡単なまとめや概要では多くの重要な情報を切り落とすことになり、また詳しく書くとわかりにくくなり……で、さじ加減にいつも苦慮しております。
『日本の高山植物(山溪カラー名鑑)』は、良い本ですよね。私は持っていませんが、他の高山植物の図鑑は2冊ほど持っています。ただ参考文献節を見ていただければわかると思いますが、今回図鑑はあえて参考文献として用いませんでした。これは地質、地形、気候や歴史などから見た植物相の成立と現状について書くことを今回の記事での第一の主眼とし、一種一種の高山植物についての説明を書くことは基本的には行なわなかったためです。ただ私が今回用いた参考文献では「北海道高山植生誌」と「日本の固有植物」は、図鑑的な要素も大きな文献ですし、良い図鑑の参考文献としての活用について検討してみたいと思います。--のりまき 2011年5月8日 (日) 22:38 (UTC)[返信]


「ファイル:東海線道路南北出入事務所.jpg」がコモンズへ移動されました[編集]

ウィキペディア日本語版にアップロードして頂いたファイル:東海線道路南北出入事務所.jpgですが、このたびウィキメディア・コモンズcommons:File:DonghaeHighwayTransitOffice-goseong-gangwon.jpgへ移動されました。 この移動によりあなたの投稿されたファイルは、ウィキペディア日本語版だけでなく、他の言語版やその他の姉妹プロジェクトなどでもより広く利用することが可能になりました。

なお、この移動の後、ウィキペディア日本語版に残っている元のファイル:東海線道路南北出入事務所.jpgは、Wikipedia:即時削除の方針#ファイル1-5に従いまもなく削除されますので併せてお知らせいたします。--hyolee2/H.L.LEE 2011年5月26日 (木) 05:24 (UTC)[返信]

ご連絡どうもありがとうございます。ここも今どうなっているのでしょうか?気になっています。--のりまき 2011年5月26日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

月間感謝賞のお礼[編集]

こんにちはさかおりです。10月の月間感謝賞でご投票いただきありがとうございました。月間感謝賞など自分とは無縁のものと思っておりましたので、思いがけず多くの方々からお言葉をいただき恐縮しております。のりまきさんには、地方病の改名議論でご足労をお掛けしており、感謝の言葉も見当たりません。本当にありがとうございます--さかおり 2011年11月1日 (火) 04:22 (UTC)[返信]

お礼わざわざどうもありがとうございます。地方病についての議論は、皆さん記事の素晴らしさに惹かれたことが理由だと思いますが、活発かつ建設的なものになっていて、少しでもお役に立てたのならば嬉しいです。またこれからもよろしくお願いします。--のりまき 2011年11月2日 (水) 12:48 (UTC)[返信]

査読のお礼[編集]

のりまきさん、こんばんは。Awakkoと申します。

私が初版を執筆し、査読依頼に出しておりましたリチャード・ホルブルックの記事について、査読いただきありがとうございました。私が予想していた以上の評価をいただき、大変うれしく思っておりまして、今後の活動の励みにできればと思っております。ご指摘いただいた点ですが、査読依頼ページでも書かせていただきました通り、ちょっと調査してみようと思います。もしもご期待に添えるような資料があれば、加筆してみようと思いますので、また機会がありましたらご指導よろしくお願いします。

このたびは本当にありがとうございました。査読いただいてから1週間あまり経ち大変遅くなってしまいましたが、また文末になりましたが、心よりお礼申し上げます。--Awakko 2011年11月8日 (火) 12:15 (UTC)[返信]

お礼わざわざどうもありがとうございます。一読してみてなかなか良く出来た記事だと思いまして、正直分野外だとは思いましたが、意見を書かせていただきました。完成度の高い記事だと思いますので、ご本人の政治的立場とか信条あたりに今一歩の加筆が出来ましたら、GA選考に出されてみると良いと思います。--のりまき 2011年11月8日 (火) 12:45 (UTC)[返信]

のりまきさんこんばんは、Awakkoです。たびたび失礼します。リチャード・ホルブルックの記事ですが、あれから資料を探しまして、若干加筆をしてみました。政治的信条・立ち位置という節にまとめてあります。文章の運びが独自研究すれすれな気もしますし、英語の訳もぎごちない気がしますが、とりあえず現状見つかっている資料をもとに加筆してみました。お時間がありましたら、また読んでご意見等お聞かせいただければと思います。

ちなみに「GA選考に…」とのお声をいただきましたが、自ら選考に提出することは、自薦するような感じがして何となく憚られます。。。もしもお時間等許すようでしたら、のりまきさんの方で「そのレベルに達している」という評価していただいた時点で、提出していただけないでしょうか。よろしくお願いします。--Awakko 2011年11月21日 (月) 11:59 (UTC)[返信]

お返事遅れまして失礼いたしました、加筆お疲れ様でした。今度時間が取れた時に読ませていただいて、特に大きな問題がなければ私がGA選考に出したいと思っております。申しわけありませんが、もう少しお時間をいただければと思います。--のりまき 2011年11月23日 (水) 08:34 (UTC)[返信]

こんにちは、ぱたごんです。いつもどうもです。今日は国会図書館にいたので横須賀海軍施設ドックの出典を見てきました。瑣末なことしか見つかりませんでしたが、Wikipedia:査読依頼/横須賀海軍施設ドック 20111008の方に気が付いたことを書いておきました。

さて、それはいいのですが、出典に当たってみて、のりまきさんの執筆者としての力量を改めて「すげーなぁ」と感じ入っています。横須賀海軍施設ドックの構成力はすばらしい。横須賀海軍施設ドック記事の質の高さを改めて思い知りました。

で、横須賀海軍施設ドックをFAに推薦してもいいですか?FA審議で指摘があっても、細かいことなら(毎週1回くらいは国会図書館に行けますので)私でも対応できるかも。文章の変更を要することならご相談します。私がFAに推薦してもいいですか?もちろん自薦していただけたら、尚、良。当然私は無条件で賛成票を入れます。いかがでしょう?--ぱたごん 2011年11月18日 (金) 12:40 (UTC)[返信]

ぱたごんさんこんにちは。記事を高く評価していただき、本当にどうもありがとうございます。丁寧な査読をしていただき、感謝しております。記事のノートにも少し書きましたが、私としては当記事はしっかり決まった名称がないため、FA推薦までに記事名について現在の記事名で良いかどうか、先日地方病 (日本住血吸虫症)で行なったような検討が出来ればと思っています。また査読依頼の中で明らかとなった課題についても文献を当たっている最中ですが、そのあたりはFA選考の中で皆さんのご意見を伺いながらまとめていく方法もあると思います。
つまり私としては記事名について検討をしていただき、結論が出た上でFA選考を行なう方向が良いかと思いますが、いかがでしょうか?--のりまき 2011年11月19日 (土) 00:15 (UTC)[返信]
こんにちは 記事名ですか!? 私は記事名になんら違和感は感じませんし、代わりになる記事名も思いつきませんが・・・コメント依頼だしますか? http://stats.grok.se/ アクセスカウンタで見ても、この記事は検索でたどり着く人は少ないと思います。これほど出来の良い記事が人目に付かないというのも勿体ないことです。FAにしてトップページ掲載にして多くの人に読んでもらいたいのです。--ぱたごん 2011年11月19日 (土) 10:39 (UTC)[返信]
そうですね、現在の記事名以外考えられるとすれば例えば旧横須賀海軍工廠船渠がありますが、1号や2号ドックについては旧横須賀造船所船渠という用語の方が一般的ですし、確かに今の横須賀海軍施設ドックに代わる記事名とはなりにくいかも知れません。特に論議になっていない状態でコメント依頼をするのもどうかと思いますので、とりあえず改めて記事のノートで提案してみて、その結果で改めて考えたいと思います。--のりまき 2011年11月19日 (土) 13:14 (UTC)[返信]

月間感謝賞より[編集]

オトメギキョウ。花言葉は「感謝」
オトメギキョウ。花言葉は「感謝」

2011年11月の月間感謝賞において、のりまきさんへ感謝の言葉が寄せられました。

* totti 2ウィキ: 10月の月間新記事賞にも選ばれた横須賀海軍施設ドック小松 (料亭)の執筆に感謝して。今までののりまきさんの記事の題材とは大きく違い驚きましたが、内容はやはりさすがで、楽しく読ませて頂きました。 — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2011年11月履歴

また、のりまきさんには、ウィキマネーが2ウィキ贈呈されています。

これからのますますのご活躍を祈念いたします。--totti 2011年11月30日 (水) 18:07 (UTC)[返信]

どうもありがとうございます。確かに横須賀海軍施設ドック小松 (料亭)は、これまで書いたことがない分野の記事でしたが、結構楽しみながら書くことが出来ました。これからも息切れしない程度に頑張っていきたいと思います。--のりまき 2011年12月1日 (木) 10:19 (UTC)[返信]

横須賀海軍施設ドックについて(再)[編集]

こんにちは ぱたごんです。横須賀海軍施設ドックについてノート:横須賀海軍施設ドックでののりまきさんの記事名に関する問いかけにも2ヶ月以上経って反応はないようです。査読依頼からも時間が経ち、これ以上待っても意見が付く可能性は低いです。そろそろFAにしませんか?繰り返しますが、これほど良質な記事が人目に付かないのは勿体ないことです。FAにしてトップページに掲載したいです。--ぱたごん 2012年1月29日 (日) 04:54 (UTC)[返信]

ぱたごんさんこんにちは。ここ数日体調不良でお返事が遅れまして失礼しました。私としては今年度発行予定の「新横須賀市史・軍事」を確認し、また唯一写真を撮っていない6号ドックの写真を何とか載せたいと思っていまして、それが済んだところでFA選考に出してみようと考えていました。ただ新横須賀市史の発行は遅れているようですし、6号ドックの稼動予定もはっきりとわからないので(艦船の修理中は撮影できない)、最近入手した参考文献をもとにした加筆を行なった段階で、FA選考に出して皆さんのご意見を伺いたいと思います。--のりまき 2012年2月4日 (土) 00:46 (UTC)[返信]

コメント依頼について[編集]

はじめまして、Don-hide と申します。標記の件ですが、Wikipedia:コメント依頼/S-kei、Sweeper tamonten‎ にて、お2方の被依頼者のうち、後者の名前に誤りがあり、Wikipedia:コメント依頼/S-kei、ClimaScience が赤リンクのままでしたので、Wikipedia:コメント依頼/S-kei、Sweeper tamonten‎ から Wikipedia:コメント依頼/S-kei、ClimaScience へ移動いたしました。なお、Wikipedia:コメント依頼/S-kei、ClimaScience は利用者の行為に関するコメント依頼の作成の仕方(雛型)に沿っておりませんでしたので、今一度 Wikipedia:コメント依頼 をお読みになり、Wikipedia:コメント依頼/S-kei、ClimaScience に依頼者からの依頼文なりコメントを付けて頂きますよう、よろしくお願いいたします。--Don-hide 2012年2月26日 (日) 05:06 (UTC)[返信]

Don-hideさんこんにちは、慣れないこともあって恥ずかしいところをお見せいたしました(苦笑)。今回はご助言ご協力どうもありがとうございました。--のりまき 2012年2月26日 (日) 06:27 (UTC)[返信]

参考文献表記スタイルの理系スタイルへの変更のお願い[編集]

のりまきさまが編集されたいくつかの理系分野のページを見てみました。同じ文献が同じページであっても何度も「出典」に出てきます。これは<ref name="○○">書誌情報</ref>でまとめることができます。たしかに文系の文献でよく見られる表記法であると思いますが、理系の項目では文献を辿りやすい理系で一般的な表記方法に修正をお願いできませんか。現状では出典を辿ると「著者名(刊年)ページ数」のみが記された場所に飛び、今度はそれを下の参考文献リストから探すという二度手間で、信頼性のチェックが難しい状態です。--ClimaScience 2012年2月26日 (日) 09:37 (UTC)[返信]

コメント依頼では名前を間違えるという大変なご迷惑をおかけして、本当に申しわけありませんでした。ただClimaScienceさんから私に対して生まれてこの方一度も言われたことがない「慇懃無礼」という言葉を浴びせかけられ、正直ショックでしたしかなり腹も立ちました。私もClimaScienceさんやS-keiさんに対して礼を失した面があったことは自覚しており、反省し今後に生かして行きたいと思っておりますが、ClimaScienceさんももう少し言葉使いに気を配っていただければと感じました。
それはそれとして、脚注の件のご指摘、どうもありがとうございます。確かに基本的に私は文系の人間ですので、文系的な思考や行動様式の方がなじみが深いことは確かです。先日行なわれた加筆コンクールでも文体について貴重なご意見を頂きました。脚注の件は特に苦手で(文章を書くのは大好きなのですが…)、これまでも皆さんのお手を煩わせていることが多いです。ClimaScienceさんの脚注が理系仕様と異なるとのご指摘は、ぜひ今後の執筆の参考にさせていただき、より良い記事を書いていけるようにしたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。--のりまき 2012年2月26日 (日) 10:39 (UTC)[返信]
投稿ブロックの話題の拡散はやめた方がよろしいでしょう。さて、理系・文系と単純に二分すること自体良くはないとは思うものの、両方を知る身としてはその違いに目がいきます。かつて、のりまきさんが文体についてどのような「貴重なご意見」をいただいたのかは存じませんが、脚注(「ちなみに」的説明)はなるべく載せないことです。理系では簡潔な表記が求められます。また、よくわかっていない部分については信頼性の劣る情報を用いて無理に穴埋め、文章を肥大化させることも好まれません。また、近年では専門分化が著しく、各分野でどのような言説が主流であるのかの判断は、別分野の方からは非常に困難です。特に、有名あるいは政治的問題と関連しているが故に人目をひく「地球温暖化」「相対性理論」「水からの伝言」などの項目は、政治的意図から独自の見解の「正当性」を主張するケースが散見されます。例えばある学会誌の査読もない「話題」欄に載せたり、当該分野の専門家がだれも見ない専門外かつマイナーな「査読付雑誌」をたてに正当性を主張するすることは典型です。そのような情報を見極めていくこともwikipediaの重要な編集方針です。--ClimaScience 2012年2月26日 (日) 11:43 (UTC)[返信]
ClimaScienceさん、私が主執筆者として作成した理系分野の記事の中で、信頼性の劣る部分がありましたならばご指摘お願いします。私は自分なりに資料を集め、信頼性にはことに気を配りながら取捨選択をして記事作成をしてまいりました。またよくわかっていない部分についてはよく分かっていない旨の記述、説が複数ある部分にはそれぞれの説についての記述を行なってきました。もちろん私は専門家ではないですし、見落としや判断ミスもあると思います。既にFA、GAとなっている記事もありますので、特にそのような記事の中に信頼性が劣る部分があるのはウィキペディアの信頼性に関わることになってしまいます。よろしく願いします。--のりまき 2012年2月26日 (日) 21:18 (UTC)[返信]
地球寒冷化の改稿作業が終わりましたら、見てみたいと思います。今回の地震の記事を見てみましたが、今のところ「マグニチュードの変更は政府の陰謀」や「地震雲が発生したことが地震の原因」みたいな早急に対処すべき地球温暖化否定論レベルの記述はなさそうですので、後ほどじっくりと(有名な話題になるとそういう「異説」が出てきます)。参考資料の執筆者はおおよそ自分でも名前の解る先生方で、専門外の方は少ないようですし、その先生方の書かれた大学テキストなども多いようですね。発生後間もない事象のため、査読論文も少ないでしょうが、査読論文も探してみたいと思います。ところで、referencesが非常に見にくいのは先述のような修正をお願いしたいところです。それと、参考文献の記述順は、出てきた順でなければ、執筆者→刊年の優先順位で並べるのが標準のはずです。のりまきさんの分野では刊年→執筆者だったのでしょうか(なお大学一般教養レベルの心理学テキストを数冊みてみましたが執筆者→刊年でした)。--ClimaScience 2012年2月27日 (月) 12:18 (UTC)[返信]
ClimaScienceさんこんばんは。東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズムについては記事のノートにも書きましたが、私なりに資料を集め、何とかまとめてみたものである上に、私から見ても様々な研究結果がバラバラに発表されている百家争鳴状態からようやく交通整理がされ始めたような段階に見えました。今回の大震災と津波のメカニズムについては関心を持たれる方も多いと思いますし、重要な視点の見落とし等あれば是非指摘をしていただきたいと考えておりましたが、これまであまり意見等出ていませんでしたので、ClimaScienceさんのお申し出を歓迎いたします。なお、脚注についてはおいおい整備していきたいと思いますが、これから年度末で仕事も忙しくなりますので少々時間をいただけたらと思います。あと参考文献の記載順はどこで覚えたのか年代順の並べ方が身についてしまっていますが、今回の記事の場合特に同一年(2011年、今後は多分2012年も)の参考文献がほとんどを占め、利便性が低下する弊害を感じておりましたので、執筆者→刊行年の順に並び替えを考えていたところでしたので、これもお時間がかかってしまうかと思いますが、変更していきたいと思います。最後に提案なのですが、今後は東北地方太平洋沖地震と津波のメカニズムのノートで論議を進めていきませんか。--のりまき 2012年2月27日 (月) 13:39 (UTC)[返信]

友子に関する参考文献[編集]

Aprilfoodと申します。コメント依頼にて名前をお見かけし、利用者ページを拝見させて頂きました。 サブページにて"友子"の草稿を書かれていらっしゃるようなので、参考文献の情報をお伝えします。

先日、金鉱山整備令および恵庭鉱山を立項した際に参考にした『北海道金鉱山史研究』 に記載がありました。 第4章 北隆鉱山(本文のpp. 121-123および138pの注釈(38))

  • 浅田政広 『北海道金鉱山史研究』 北海道大学図書刊行会、札幌市北区北9条西8丁目北海道大学構内、1999年2月28日。ISBN 4-8329-6021-0

昭和7年に当時9歳の子供が友子に取り立てられた際の免状に関し記述されています。 父親が友子になれなかったので息子を立てたのだろう、との本人コメントがあります。 年月が未記載ですが、"鉱山に「産業報国温交会」ができると同時に友子同盟は解散した"とありますので友子制度最末期の資料でしょう。 (子供の就業が昭和13年、金鉱山閉山が昭和18年ですから解散はその間でしょう)

また注釈部分には、三菱美唄炭鉱労働組合「炭鉱に生きる」岩波書店(1960)37p, 40pからの引用がありますので、同書にも記載があると思います。

私は図書館で借りたので所蔵しておりませんが、ご参考になれば幸いです。--Aprilfood会話2012年3月4日 (日) 06:30 (UTC)[返信]

Aprilfoodさんこんにちは。最近お書きになっている鉱山関連の記事、興味深く拝見しておりました。問題の友子の件ですが、細倉鉱山日立鉱山の記事を書いているときに興味を持ち、書き始めたものです。ただ参考文献が村串仁三郎氏のものに集中してしまう問題があり、しかも村串氏の文献を読んだ印象として、友子の発生時期についての考察・分析にやや粗さが見られ、単一の著者による文献にあまりに依拠した記事になってしまう危険性が否めず、現在までペンディングとなってしまっていました。
私としても足尾銅山での友子のあり方についての文献を購入するなど、機会があれば文献を集め、記事の完成を目指そうかと考えていましたが、なかなか上手くいっておらず、しかも他の記事執筆に力を注いでしまい、なかなか記事完成に至っておりません。そのような中での参考文献のご教示、どうもありがとうございました。
他にも記事執筆について建設的なご意見を頂いており、これから友子の記事完成にどのくらいの労力をつぎ込めるのか見えにくいところもありますが、どうやら私の次の執筆テーマの一つが江戸時代から現在に至る社会運動、労働問題となりそうな感じですので、まさにそういうテーマと被る友子の記事完成も前向きに考えていきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。--のりまき会話2012年3月4日 (日) 08:49 (UTC)[返信]

料亭小松について[編集]

素晴らしい記事ありがとうございます。文献にある最上さんの名前の方の発音を教えていただければ幸いです。--Ichiro Kikuchi会話2012年5月4日 (金) 11:09 (UTC)[返信]