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利用者‐会話:金沢/過去ログ1

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少し前例を調べてみましたけど、いそかぜいそかぜ (列車)で登録されている例や、はまかぜはまかぜ (列車)で登録されている例とかがありました。 こういう前例があるなら従ったほうがいいですね。 修正しておきます。


すいませんでした。当時まだ入ってきたばかりなんで、詳しいところはあまり分からなかったんです。 これから気をつけます。       Uedayuta 06:38 2004年3月11日 (UTC)


伊予鉄道モハ50形電車の記事についてですが、なんの問題もありませんよ^^

気にしないでくださいね^^

--Daichan 16:06 2004年3月13日 (UTC)


金沢様、燕について:上には上があるな~と感心しました。鉄道関係の記事について読んで楽しい部分も増やしたいと考えている元若者です。よろしくお願いします。ところでJR九州の孫引きというのはどういうことでしょうか?Miya.m 13:50 2004年3月14日 (UTC)

どうもすいません。我ながら小言爺のようで申し訳ないです。「燕」の件はノートとつばめ (列車)の編集履歴を参照して下さい。金沢 13:54 2004年3月14日 (UTC)


金沢さん。とりあえず、国鉄キハ80系気動車の記事作成ありがとうございます。一応「キハ」付加で御願いします。Makishouさんの会話ページを見て頂けたなら分かりますが、Makishouさんが勝手に「キハ」抜きに動かしたという経緯もありますので。また、Wikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道では、「キハ」付加で記事名を作成しております。但し、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道で再び議論されるかとは思いますが。Sat.K 06:29 2004年3月23日 (UTC)


このたび、ウィキペディアを出ていくことになりました。短い間でしたがお世話になりました。ありがとうございました。Mari 16:36 2004年3月23日 (UTC)


金沢さん。国鉄マロネ40形客車の記述、ありがとうございます。しかし、旧型客車の場合、等級記号を含めたグループというので本当に良いのでしょうか。重量は如何ともし難いとしても、座席等級にまで記載すると、一等・二等車と、三等車とで分離すると果たしてどこまで有効な記事を書くことが出来るか分からない部分が出てくるのではないかと思います。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道で議論される内容で、国鉄10系客車以前の客車を旧型と規定するならばそれについて何らかの指針をたたき台として出してみて頂けますでしょうか。私の場合、戦後の国鉄形という事では少々(というか下手するとStub以下ですが、)でしか知りません。況やそれ以前となると、門外漢も甚だしいので出来ればそれの指針を出して頂けますでしょうか。また、客車については、重量等級などこまかな記述については記事として無かった記憶があります。Sat.K 14:17 2004年4月4日 (UTC)

申し訳ない、私とて大した知識がある訳ではないのです。
旧型客車はあまりにも多形式で雑多であり、全部取り上げたら際限が無くなってしまう恐ろしい分野です(冷汗三斗)。マロネの記事は空気バネ台車の件など誤りがあるので、手元資料の範囲で正確に直そうと考えた次第です。応急措置ですね、すいません。

kazupieさんの記事でも、スハ44マシ35はグループ分けが問題になるので手を付けかねています。前者はスハ43のバリエーションですから、やるなら43系全体を記述することになってたいへんな大仕事ですし、後者は1形式で独立記事にするほどでもなし、43系近似ですが果たして43系に入れるべきかと悩んでしまう。

旧型客車のグループ分けには、多くの先人が長年頭を悩ませており、明確な回答というものが出ていません。鋼製車体以後の三等車ならオハ31、スハ32、オハ35・36、オハ60・61、スハ43、ナハ10のグループになんとか大別できますが、それぞれに対応する二等車となると難しいところもありますし、一・二等寝台車や荷物車・郵便車をどう整理すればいいのか見当もつきません。更に、良い資料が手に入りにくいという点もあります(Koneさんならわかるかもしれないけれど、あの方でもこれは手に余るんじゃないかと思う)。

コホナオスマカの件は未整備なら早い内に調べます。
旧客の分類ももう考えてみますが、心配なことも多いです。
鉄道記事執筆者のスタブメーカー比が異常に高いことと、そのスタブメーカーに鉄道のことしか頭にない(救いのない)人材が多いことは、Sat.Kさんもご存じの通りです。
新しいテーマを作り、提示することが、彼らにスタブ乱造の新たな餌を撒くことになりはしないかと危ぶんでいます。質を保証できない鉄道記事をむやみに増やし過ぎるのは、Wikipedia全体にとっても、鉄道趣味者側にとっても得策ではないと思います。慎重に行きましょう。金沢 15:00 2004年4月4日 (UTC)

分かりました。「鉄道記事執筆者のスタブメーカー比が異常に高いことと、そのスタブメーカーに鉄道のことしか頭にない(救いのない)人材が多い」以下の最後段は自分でも心当たりがあり、特に耳の痛い話ですので自重せねばとは思います。私事ですが、ノート:シートピッチで、どこに落とすべきかと迷う事を書きましたが、「○○マニア」が多いのはこの環境ではどうやら当たり前みたいですね。「最近更新したページ」を見れば一目瞭然ですから。さて、初段の「旧型客車はあまりにも多形式で雑多であり、全部取り上げたら際限が無くなってしまう」との事ですが、やはりそうだと思いますね。仮に交通博物館図書室に毎週日曜日に通って、国会図書館を空いているときに通って、全てを数え上げ「樹形図」ないしは「系譜」を作ろうとすれば調べる人間側が2~3世代掛かるものが出来るのは必至でしょうから。「奥が深い」と一言でいってしまえば仕方ないでしょうが、日本の鉄道が1世紀以上の歴史があるので仕方がない事だと思います。唯、分類については「あればあった方が良いのでは」程度です。そうすれば交通整理程度は出来るのではないかと思いますね。Sat.K 17:15 2004年4月4日 (UTC)

そういえば、客車の内容が定義のみですので、「コホナオスマカの件」などはそこに落とせそうですね。Sat.K 09:32 2004年4月5日 (UTC)


40年ほど前、EF-15やEH-10の引く貨物列車の最後尾の車掌車には必ずヒマそうな車掌がいて、沿線で手を振る子ども達に笑顔で答えてくれました。そういう子ども達に時刻表の見方を親切に教えてくれたのは「鉄道友の会」のおじさんお兄さん達。たしかにあの人たちは紳士でした!金沢さん若者に負けず頑張ってください。Miya.m 12:59 2004年4月26日 (UTC)~

「かつては紳士の趣味だった」←鉄道歴50年の大先輩のお言葉です。私も決して若くはないですが、さすがにまだ老人じゃない(笑)。「昭和40年代のSLブームが、鉄道ファンのモラル低下の始まりだった」とは先輩の弁です。
私自身、鉄道病で青春を棒に振った苦い過去があります。若いファンには鉄道に夢中になり過ぎず、鉄道以外のことも考えられる余裕を持っていただきたいと思うのです。金沢 15:07 2004年4月26日 (UTC)


こんばんわ。金沢さん。とりあえず、国鉄キハ35系気動車の加筆というか再構成ありがとうございます。あれを書く際に取り急ぎ「定義」を落として後から記するつもりでしたのと、リンクについて上の「キハ」抜きの一件がありそのつなぎ直しもしていたためです。どうもご迷惑をかけました。ただ、今回は金沢さんの利用者ページにある「愚行」そのものですので、頭が下がる思いでただただ恐縮しております。Sat.K 16:08 2004年5月13日 (UTC)

遅くなりましてすいません。出張でしばらく空けてました(事務屋を週末返上で出張らせやがって……もう、疲れた)。
恐縮には及びません、こっちが恐縮で。あれは「バカな真似」の意味の「愚行」じゃなくて、「愚かながら個人的に考えた意見」という意味の「愚考」です。Sat.Kさんが考えもなしに何かなさる方とは思ってませんのでご心配なく。野暮用続きでしばらくはあまり顔を出せませんが、取り急ぎ。金沢 12:39 2004年5月16日 (UTC)

ありがとうございます。いつも書きながら思うのですがながら、車両関連記事はスペックなども勘案して書かなくてはならないため分野としては難しい記事の一つです。その為、いろいろな裏をとらなくてはならないという事は、金沢さんもご承知かと思います。しかし、どんなものでもそうですが、初出記事は火のついたマッチ棒というか、とにかく先に方向性を決めてしまわないとということが頭にあります。確かにシートピッチの初出等のようにおかしなものもありますが、初出記事は骨というか芯の部分があると思って作成しております。なぜかというと、赤リンクのままであると、訳の分からない事が書かれたりいたずらをされる場合が多く、下手するとまた一から書き直すという無駄な作業をされる場合があるのでそれを防止する必要があるからなのです。とりわけ、今回の記事は唯一の通勤形気動車ですので、そういった「方向性」だけでもという事が頭にありました。端的な理由としてはそれだけです。あとは、追々書き加えようと思っていました。もっとも、そう思っている内にあとから他の方に書き込まれるのですが。
閑話休題、KIZUさんより下記の「管理者への推薦状」私宛にも届きまして、若干当惑しております。金沢さんは辞退されるみたいですね。私は「態度を保留」というより今ひとつこれのメリット・デメリットを検討したいため、態度を決めかねております。こればかりは自分の考えですので私の会話ページで表明するつもりです。が、私の場合、歌舞伎座の一見席から見るつもりで、鉄道プロジェクトにさえ名を連ねていないのに、管理者への推薦状が届くとは思っていませんでしたので、正直言って驚きました。Sat.K 15:54 2004年5月16日 (UTC)

ただいま帰還。うーむ、難しいところですね。お気持ちはわかります。確かに前説としてしっかりした定義文は必須でしょうね。
ただ、初版記事が一定以上の質量を持っていることも重要だと思ってます。新規参入者に対して「書くならそれなりの内容が必要だよ」と間接的に示すという意味でも、です。Sat.Kさんは実力がお有りな方なので、新規記事を数行で済ませるとは?といぶかしく思ったのですが、大急ぎで仕立てた訳です。こ気分を害されたようならお詫びします。
KIZUさんのご推薦をお受けになるということで、是非頑張っていただきたいと思います。こちらは片手間の座敷芸人なので毎日参加する訳にも行かず辞退しましたが、Wikipediaの円滑な運営には出来るだけ協力していきたいと思ってますので、よろしく。

さて最近の1000記事ばかり確認すると、813さんが朝から昼過ぎにかけてトンネルや連絡船などに手を入れておられますが、そこまで記事の細分化が必要なのかな、と首を傾げる編集が多いです。見てみるとスタブだったり肝心なトピックが落ちてたり……ご本人は自分の意見にかたくなに固執する性格の方らしいので、説得するにも骨が折れそうですね。おいおい手直しやリダイレクト化を進める必要があるでしょう。金沢 11:22 2004年5月17日 (UTC)

こんばんわ。相変わらずお忙しそうで。私も、金沢さんと似たような状態ですので、そんなに時間を多く割いて書くつもりはないですね。まあ取りあえず先の話も「言われる内が華」と思っております。ただ、ここの場合意外と初歩的な記事が抜けている場合があるのでそういった面で鍛えられるというのもありますね。
さて、813さんが関門トンネルの割り振り方で考えてしまう分け方をされていたので、取りあえず無難な関門鉄道トンネルを手近な所から調べて初出の上梓しました。が、「初版記事が一定以上の質量を持っていることも重要だ」と言う事もありますし、関門連絡船の場合も沿革のみでいわば書きっぱなしの記事が多く、果たして彼は記事の書き方自体を知っているのかどうかそういった部分で頭が痛い気がします。もっとも慣れるしか無いようですのでその辺は理論武装と書き方をどうやって教えるかという点ですので。現状では取りあえず第三セクター鉄道網等で衝突されてるようですので。その辺からどうやって慣らすかということもあるのではないでしょうか。Sat.K 14:11 2004年5月17日 (UTC)


管理者への推薦

思うところがあり、 金沢さまを管理者にご推薦したく存じます。ご快諾いただければ幸いです。 なにぶん突然のことで驚かれると存じますが、 また日ごろの活動から信頼に足る方と思い、中庸な判断力が求められる管理者には好適と考え、ご連絡差し上げた次第です。

ご気分を害されないとよろしいのですが、今回はかなりたくさんの方にこのお知らせを差し上げています。 他の言語版での投稿者数や投稿数と管理者の数の割合ををみるに、 日本語版で管理権限をもっているユーザは今の倍くらいいてもよいのではないかと 愚考したためでございます。 お返事いただいたのち、あらためて私のほうからご推薦をいたしたく存じます。 ご多忙のみぎりとは存じますがお返事いただければ幸いです。KIZU 14:41 2004年5月16日 (UTC)

ご推薦いただき恐縮です。確かにおっしゃる通り、管理者の増員は望ましいことであると思います。されども当方、近頃本職の多忙により、鉄道関係の記事投稿も十分にできかねている状況でございます。PCに触れられぬ時間も長く、管理者としてWikipediaの状況に十全な目配りを行える身ではございません。願わくばご推薦を辞退させていただき、引き続き一執筆者としてWikipediaの末席で活動させていただきたく存じます。金沢 14:52 2004年5月16日 (UTC)

ご丁寧にいたみいります。こちらこそ突然の話で申し訳ございません。ご意向は了解いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。KIZU