利用者‐会話:Kanbun/ログ2006011020070723
このページは利用者:Kanbunの 2006年1月10日 (火) 14:24 から 2007年7月23日 (月) 15:12 までの会話ページのログを保存したものです。このページは編集しないでください。
啓蒙思想見てます。
できれば、プレビュー機能を使う、もしくはメモ帳か何かである程度編集してからまとめて投稿する、等の手段をとって、短時間の間に連続投稿を行うことを防いでください。これは、今後どのような項目を執筆・加筆されるにしても求められることです。細かい修正、リンクを貼る等の操作ならば後でもできますし、修正ならば書いてから一定時間を置いてからのほうが間違いを見つけやすいですよ。--Shinya1739 2006年2月28日 (火) 21:59 (UTC)[返信]
- いや、お恥ずかしい。毎回1センテンス、プレビュー機能は標準って感じにしてるんですが、普段から自分の著述には赤入れしまくってしまうタチなので、どうも細かい表現とか見るたびに気になってしまうんです。なるべくプレビューで投稿回数を減らそうと思うんですが、赤入れ思考が定着してしまっているらしく、すぐ現実的に反映させてしまおうとするんですね。サーバー容量などの問題についてももちろん了解しております。これから是非なおしていきたいと思っています。--Kanbun 2006年2月28日 (火) 22:15 (UTC)[返信]
テリー・イーグルトンの項目を作成していただき大変ありがたいのですが、これは英語版ウィキペディアにある記事の翻訳でしょうか? もしそうですと、編集要約で翻訳元の情報を記載しておかないとGDFL違反で削除対象になる場合があります(詳しくはWikipedia:翻訳FAQ参照)。Hermeneus (user / talk) 2006年3月4日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
- なるほど。早速GFDL関係の記載を追加いたします。ありがとうございました。--Kanbun 2006年3月4日 (土) 12:57 (UTC)[返信]
- ウィキペディアの記事は過去の版が独立して参照できる形になっており、また現在の仕様では過去の版は後から修正を加えることができないので、初版に問題があると全部削除されることになっています。多分、初版執筆者が自ら依頼を出して即時削除して、その後に改めて再投稿するのが一番手っ取り早いと思います(まぁそれでも十分面倒ですが)。Hermeneus (user / talk) 2006年3月4日 (土) 13:06 (UTC)[返信]
- なるほど。そのようにしてみます。--Kanbun 2006年3月4日 (土) 13:08 (UTC)[返信]
- ウィキペディアの記事は過去の版が独立して参照できる形になっており、また現在の仕様では過去の版は後から修正を加えることができないので、初版に問題があると全部削除されることになっています。多分、初版執筆者が自ら依頼を出して即時削除して、その後に改めて再投稿するのが一番手っ取り早いと思います(まぁそれでも十分面倒ですが)。Hermeneus (user / talk) 2006年3月4日 (土) 13:06 (UTC)[返信]
こんにちは/今晩は。お願いがあって参りました。様々な人名記事を書かれておられるようですが、Category:出身別の人名一覧を辿りますと、~人の一覧、ポーランド人の一覧、ユダヤ人の一覧、ロシア人の一覧といった一覧があることがわかります。Kanbun さんに、赤リンク部分を埋めていただきたいと思い、依頼にあがりました。執筆依頼・翻訳依頼にも多様な依頼事項がありますので、ぜひご覧ください。よろしければWikipedia:ウィキポータル/ユダヤ教/執筆依頼の執筆・翻訳にもご参加ください(Wikipedia:ウィキプロジェクト/ユダヤ教にサインしてください)。
それでは、体に気をつけて、執筆なさってください。 --Anonym 2006年3月4日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
- こんにちは。私自身は主に自分の書いた記事を中心に関係人物について適宜埋めていくことを心がけようと思っています。一覧から無作為に埋めていくことは期待できないかもしれませんが、なるべくご期待に添えるよう適宜参照したいと思います。--Kanbun 2006年3月4日 (土) 15:11 (UTC)[返信]
声が掛かるとは思ってませんでしたが、(投稿時に)おっ、と思ってちらっと見ました。「自由主義史観」がどこに位置するのか、あの人たちがどう反応するかという風なことが気になりましたが、歴史学上の概念は私には曖昧でよく解り辛いと思っていますので、詳細の検討は難しいと思っています。(「マルチチュード」論とか面白そうですが、書物に当る予定はしていません。)日本が具体的に何をしたのか、大日本帝国云々が何を掲げて実際はどうだったかとかそういうのから見て行くのが自分のやり方なので。帝国主義の一番上の説明からは日本は外れてないですよね。私は結構優生学とかが支配の論理だったりしたんじゃないかと思っているんですが。とりあえずの感想はこれぐらいにしておきます。査読らしいことは余り経験がないので、記事のノートには疑問が浮かんだら書込みます。色々な視点を並べることで中立的な観点を満たす方に近づいていると思います。ただ代表的な論者や参考文献などをそれぞれ挙げて頂きたいと思いました。johncapistrano 2006年3月18日 (土) 15:53 (UTC)[返信]
- お返事ありがとうございます。日本の侵略政策が正当防衛であったとする正当防衛論も書こうかと思ったのですが、どうしても私の信条からこれだけは一部の意見としてあっても自分で書くのは気が引けたので、やめておきました(笑)。誰かが書き加えてくだされば、より完璧になるのかもしれません。私も優生学とか支配の原理とかいったものから日本の侵略主義を検討するのが重要だと考えています。そのような侵略主義の性格研究として具体的政策の表向きの理念と実際の施行状況を比較するのは大変面白そうですね。これからそのような具体的なことも深まることがあったら非常に興味深い記事になると思います。とくにおすすめの資料などありましたら是非教えてください。この問題についてはなかなか全般的に扱っているものが少なくて、記事としてどういうふうに発展していくのがいいのかというのも懸案です。これからも何かありましたら是非貴重なご意見を伺わせてください。--Kanbun 2006年3月18日 (土) 16:04 (UTC)[返信]
その正当防衛論?[1]カトリック叩きをしている人が「自由主義史観」に提供したエッセイらしいです。詳細は要検討ですが、彼の視点がよく出ているかと。歴史学を学術的に学んだことはないんですが、よくある「視点の提示」という考え方に同意します。満蒙開拓団も参加した人の中には財産を売払って現地に赴いた人も多いようですし、「小悪が積もって侵略が形成された」と私は思っています。プロパガンダをプロパガンダとして観る分には資料になると思っていますが、そうでなくて現在進行形でプロパガンダする人もいるので困りものですね(と書きつつ記事との距離は取り辛いものです)。johncapistrano 2006年3月18日 (土) 16:53 (UTC)[返信]
- なるほど。これはたしかに興味深い資料ですね。ここに外部リンクするか、ここの内容を多少記事に含めるようにするか、ともかく細かい内容について裏付けを取るなり検討してみることにします。--Kanbun 2006年3月18日 (土) 17:42 (UTC)[返信]
- 横レス気味で失礼します。ずいぶん以前に日本帝国主義についてどうよ?というような問題を提起しましたKotoitoです。その後、大変まとまった御加筆をいただき、政治思想(といってもかなり辺境部ですが)を専門としながらとてもできない技に感涙の思いです。とまれ、会話ページにご報告いただきながら、閲読およびお礼を申し上げるのが非常に遅くなりましたことをお詫びします。--Kotoito 2006年5月24日 (水) 15:58 (UTC)[返信]
ビザンツ帝国の件、本当にお疲れ様でした。4月よりお忙しくなるようですが、もしお時間がとれるようでしたら、ぜひまた寄稿していただければと思います。それではまた。--Hasi 2006年3月28日 (火) 13:15 (UTC)[返信]
あなたの会話ページにお返事させていただきます。門外漢の第三者の介入が問題の解決を難しくした具体例として思いつくものにノート:日本の警察というものがあります。このページの内容は非常に日本国POVであったために、ある利用者が警察から日本の警察へ移動したものです。移動させた利用者を含め議論へ加わった全員に専門知識はない様に見受けられます。であるからと移動へ反対した方々が方針などの必要な知識を把握している人間であるという保障はつきかねます(もちろん全員が把握していないなどという事はない筈ですが)。現に前例主義や記事の分割方針について誤解があった模様です。婆娑羅 2006年3月30日 (木) 12:31 (UTC)[返信]
- なるほど。しかしこれが特殊なケースでなくて、ウィキペディア内で一般に頻発しているとするような婆娑羅 さんの根拠がよくわかりません。またこの騒動の原因が「警察の専門知識の欠如である」のではなくて、ウィキペチケットや「ウィキペディア文書の誤読(ウィキペディアンなら誰でも指摘できる)」などによるものと思われますから、門外漢および第三者というような言い方が適切であるかどうかはなはだ疑問です。これが執筆者資源の枯渇になるとか、問題を一般化する理由が見あたりません。--Kanbun 2006年3月30日 (木) 12:54 (UTC)[返信]
(たぶん)はじめまして。ジッペはウィキバンク#供託されたウィキマネーの社会史の要件を満たしています。もし口座をつくることをお考えなら、供託されたウィキマネーからψ5お受け取りください。--S kitahashi(Plé)2006年4月21日 (金) 10:08 (UTC)[返信]
- はじめまして。ウィキマネーについてはまだいまいちよくわからないのですが、近いうちに口座を開設しようと思います。開設しましたら、ありがたく受け取らせていただきたいと思います。ご連絡いただき、ありがとうございました。--Kanbun 2006年4月21日 (金) 11:29 (UTC)[返信]
何かあったのですか?--Command823 2006年5月25日 (木) 15:07 (UTC)[返信]
- 私事で恐縮です。それほど深刻なことでもありません。--Kanbun 2006年7月1日 (土) 18:12 (UTC)[返信]
一週間後、この画像は削除されます。 |
こんにちは。Image:Bismarck Taisei.pngをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には著作権の状態またはライセンスが明記されていないため、著作権上の問題があります。出典とライセンスのないファイルは、削除されます。
ウィキペディアにアップロードされるすべてのファイルは、画像利用の方針に従っており、かつ詳細な出典とライセンスが明記されている必要があります。画像の著作権表示タグを参照し、適切なライセンスを表すタグを貼付してください。どうぞよろしくお願いします。
重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されます。 Kenpei 2006年8月5日 (土) 21:39 (UTC)[返信]
- ご連絡ありがとうございます。下地は衛星写真を使っており、線・図などは全部私が資料を参考に作成しました。もし著作権の問題になるとすれば、それはおそらく私にあると思いますし、その旨書いておいたつもりだったのですが、もし書式などに問題があるのでしたら、ご指摘ください。--Kanbun 2006年8月6日 (日) 05:52 (UTC)[返信]
こんにちは、中国語版Iflwlouで、私はピクチャーを繁体字に製造して、私が繁体字で述べ表して更に古代の思想を形容することに適すると思うため、あなたのピクチャーを越えないのはもっと良くて、私はあなたの図に変更して使用する。
你好,是中文版的Iflwlou,我將圖片製成繁體字,因為我認為以繁體字描敘更適合來形容古代的思想,不過你圖片更好,我將會改用你的圖。
Hello, I am Iflwlou in Chinese edition, I make the picture by traditional, because I thought use the traditional character traced narrates suits describes the ancient times thought, but your picture was better, I will change to your chart.--Iflwlou 2006年8月19日 (土) 06:04 (UTC)[返信]
- こんにちは。了解です。図についてはどうぞお好みなように改変してくださってかまいません。
- 你好。是了解。关于图请好全部哟改变不介意。
- 你好。是了解。關於圖請好全部喲改變不介意。
- Hello. It's OK that you will change to my chart as you like, and not cared about.--Kanbun 2006年8月19日 (土) 06:29 (UTC)[返信]
この度は大変丁寧な加筆をして頂き、非常に有難く思っている次第です。私の方からも数点提案したいことがありましてご連絡いたします。まずbehavioralismの訳語についてですが、訳者により様々なのが現状です。直訳すれば行動論主義となりましょうし、行動論政治学と呼称するのが一般的であろうと存じます。しかしながら些か収まりは悪い語ではありますが、行動科学政治学と呼称するのが最も良いと私は考えております。最大の理由はやはりbehavioralismと行動科学の密接な関わりを明示できる点です。続いて、章立ての件ですが政策科学の分化までを現代政治学の成立として扱い、behavioralism以降、合理的選択理論、脱行動科学、新制度論、戦後の政治哲学(規範的政治理論)の状況などを現代政治学の展開として扱って1950年代以降の政治理論の諸相を書き記そうというのが私の構想でした。一つの理由としては時間軸を設定して政治学史を記す場合、そちらのほうが適切であろうと考えているからです。シンクタンクの起源が戦間期に遡れる事、アカデミズムにおける政策科学の創始者が一般にハロルド・ラズウェル(ラスウェル)と言われている事がその根拠です。次にbehaviouralismが実証的な政治理論に大きな転機をもたらした事が理由として挙げられます。
以上の方針で私としては編集したいと思っておりますが、あなたの著作に手を加えることになりますのでご了解頂きたく存じます。尚、何分現役の学生でありましてかつ合理的選択理論を中心とした実証的な理論への関心が中心になっております。従って政治学史の細部に至るまで把握しているというわけではございませんので、今後とも足らない点は加筆して頂くようお願い申し上げます。 大変な長文となり失礼いたしましたが、何かありましたらご連絡下さい。Winston 2006年8月30日 (水) 15:36 (UTC)[返信]
- いえ、こちらこそ失礼がなかったか心配しておりました。行動論政治学と行動科学の関連性については当方も了承しています。ただ個人的な見解を言えば、行動科学は従来の社会科学を置き換える意図を持っていたようですから、政治学のみの運動として捉えるよりは全社会科学的な営みと把握するという意味で行動科学の部分だけ注釈化いたしました。が、これについてはこうしたほうがよかったかどうかについては実はあまり自信がないので、不適切であると判断されたなら戻してもらってもかまいません。訳語については行動科学政治学でも行動論政治学でもよいと思っています。
- また行動論政治学、政策科学等の位置づけなのですが、じつは政治学史としてここの部分を記述しようと思ったときに、日本での政治学史との対応状況を考えまして、そこで時代的には多少前後しますが、主流となった学説の日本における受容順というようなものを漠然と設定して近代伝統政治学(主にドイツの影響)>現代政治学(主に英米政治学)という形を構想しました。アメリカにおける政治学史の過程での資料的裏付けにおいても、国家学>多元論的政治学、新カント主義>行動論政治学という流れが把握できそうでしたので、時代的に必ずしも前後関係が明確であるわけではありませんが、こののち日本での受容史につなげる予定のためこのように構想しておりました。政策科学については、すでに記述したドイツの近代社会政策思想があり、成立時期については確かにこの時期までさかのぼることができるとも思えますが、今日代表的なシンクタンクが1960年代にあいついで設立されており、このころ政治学との線引きが明確化されたと見られ、また日本での受容のメルクマールもおそらく1965年の野村総合研究所設立に求められるのではと認識し、とくに日本での学術機関での政策科学研究が1990年代にようやく本格化したと思われ、しかもいまだ進行中のこととして同時代的な問題であると記述しようと考えておりました。
- 私個人としましても、とくに政治学を専門的に研究した経験もありません(実際1950年ころのアメリカ政治学あたりはダールとサイモン以外は今回記事のために資料を参照して、勉強しました)。私には政治学の学説史、政治思想史、政治学用語の説明や個々の研究についての言及がウィキペディア上にいまだ足りないように思え、しかも政治学の記事がただ関連項目を並べたリストのような状態になっているように思えましたので、長期的に加筆を加えていこうかと手をつけ始めたところでした。現代政治学史の箇所については、とくに同時代的な部分も含みますので、自分の意見が必ずしも明確とは言えなかったので、Winstonさんが加筆してくださるのは大変喜ばしいです。
- あと気がかりなのはスタイルです。実を言いますと、今回政治学の記事を執筆するときに、人名をとくにどうするかはいろいろ考えたところで、たとえばダールをロバート・ダールとするかダールという形で書いていくかは今でもどうすべきか悩んでいるところです。執筆していくに当たってスタイルは統一した方が良いとも思われますので、何かお考えなどありましたらお聞かせください。
- ウィキペディアは一種の公共物なのですから、私の執筆部分でも気にせず改変していただいてかまいません。遠慮無く加筆してください。むしろ加筆に意欲的な方を見つかって大変感激しております。--Kanbun 2006年8月30日 (水) 16:55 (UTC)[返信]
- ケインズとブキャナンについての質問の答えを私のノートに書いておきました。Winston 2006年9月2日 (土) 15:46 (UTC)[返信]
- 政治学史分割後のスタイルに関して現時点での考えを作業空間のノートに書いておきました。よければご参照ください。Winston 2006年9月7日 (木) 15:41 (UTC)[返信]
- 参照いたしました。丁寧にお知らせくださり、大変感謝しています。記事の体裁についてはWinstonさんもいろいろ考えがあるでしょうし、よい記事にするためにうまい具合に内容を調節できればと思います。今までどちらかといえば詳説部分や補説部分を注釈化していましたけれども、これから政治学史の記事として専門化するわけですし、今までの記事内容を見直して注釈と本文記述を添削しても良いと思います。いろいろ検討してくださればと思います。--Kanbun 2006年9月7日 (木) 15:54 (UTC)[返信]
やや慌ただしくなってきたので、ウィキブレイクに入ります。いろいろ読まなければいけない書物、習熟しなければいけない言語、何より史学史の記事を執筆していて改めて自分の浅学を自認しました。またこの夏休み、ハンナ・アレント、ジョルジュ・バタイユ、シモーヌ・ヴェイユなどの著作を集中的に読み、死生学の書物をかじり、趙翼の二十二史剳記考証などに当たるにつけ、これらの先学に視野が広げられるとともに自分の固陋浅薄さが明らかになるばかり。まあまたしばらく学生の本分に戻らねばと思うのです。--Kanbun 2006年9月13日 (水) 20:37 (UTC)[返信]
いつも活発に長文良記事を投稿いただきありがとうございます。 とても楽しく拝見させていただいております。 さて、文化圏記事ですが、要約に書かれていたとおり、外部GFDL文章の持ち込み[2]かと思われるのですが、外部サイト上にライセンス記述が見当たりませんでした。 ご自身のサイトでしたら、その旨入れていただけないでしょうか? よろしくお願いいたします。--Masao(署名追加:--Kanbun 2006年10月5日 (木) 14:07 (UTC))2006年10月5日 (木) 14:01 (UTC)[返信]
- 当該サイトのほうにウィキペディア向けのライセンス記述を追加しました。ご確認ください。--Kanbun 2006年10月5日 (木) 14:13 (UTC)[返信]
- 確認いたしました。すばやい対応ありがとうございました。Masao 2006年10月6日 (金) 12:36 (UTC)[返信]
東京ディズニーリゾート関連の記事について、名称の変更などを行われているのをお見受けします。 東京ディズニーリゾート関連の記事は複雑にリンクが交差している物があり、記事の名称変更にはリンク元の修正作業が必要な物が多くあります。それらの変更作業をされていないのをいくつもお見受けします。 変更される前にWikipedia:ウィキプロジェクト 東京ディズニーリゾート/記事名の方に提案をされるか、少なくとも報告をあげてください。 よろしくお願いします。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2006年10月20日 (金) 15:05 (UTC)[返信]
- 名称変更について身に覚えがないので、何か誤解があるのではないかと思います。アロエさんのノートにお返事いたします。--Kanbun 2006年10月22日 (日) 11:13 (UTC)[返信]
現在、Template:Boxboxtopを使用したページをSafari,Konqueror等のKHTML系ブラウザで閲覧した場合に、一部ページを除きユーザーボックスの表示が崩れるという問題が発生しています。この問題が解決するまでTemplate:Boxboxtopの使用を控えるようお願いいたします。なお、この問題に関しては、Template‐ノート:Boxboxtop#Safariで正しく表示されない件についてで議論をしたいと思うので議論への参加のほうよろしくお願いします。-- Command827 2006年10月24日 (火) 11:20 (UTC)[返信]
- ご連絡ありがとうございました。Template‐ノート:Boxboxtop#Safariで正しく表示されない件についてについて確認しましたが、何が原因であるのかが判然とせず、また掲載されていた表示の乱れを確認しましたが、見た限りでは本記載領域の判読を侵害するような深刻な状況でもないように感じられましたので、暫定的にTable化を施しておきました。私はMac環境ではないので、的確な処置であるかどうか判然としませんが、とりあえずこれで応急処置ということにしておこうと思います。--Kanbun 2006年10月24日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
- 対処後のものはSafariでも問題なく表示されています。ありがとうございます。-- Command827 2006年10月24日 (火) 14:29 (UTC)[返信]
- ご連絡ありがとうございます。問題なく表示されているようでしたら、一安心です。結構使われているテンプレートのようなので、詳しい原因など明らかになり、改善されると良いですね。--Kanbun 2006年10月24日 (火) 14:49 (UTC)[返信]
- 対処後のものはSafariでも問題なく表示されています。ありがとうございます。-- Command827 2006年10月24日 (火) 14:29 (UTC)[返信]
いろいろとノートでの議論、大変だと思いますが、なにぶんみなさん長すぎるので、節にもう少し分けたほうがよみやすいし、編集もしやすくありませんか。口をだすことではないかもしれませんが。 --ねこぱんだ 2006年10月31日 (火) 07:00 (UTC)[返信]
- Kanbunさんは韓非の記事に貝塚説を復活されましたが、議論相手のIP氏が数日内に文案を示すといっておられる以上、それを待つのが配慮というものではありませんか。ノートでは私も含めて貝塚説を排除しない意見が大勢だと認識しますが、文案が合意されたわけではなく、いまの時点で編集するのは問題があると思います。ウィキペディアは寸分を争って書かなければならないものではありません。また、KanbunさんはWikipedia:管理者への立候補でもこの件にもとづいて長文の質問をしておられますが、立候補者が困惑を来たすだけでなく、件のIP氏の心象を害する意味でも褒められた行為ではないと考えます。もう少し行動に慎重さを期していただけないでしょうか。今後もこのような行動がやまない場合は、私は韓非から手を引きます。--みっち 2006年11月2日 (木) 09:59 (UTC)[返信]
- 見苦しいとお感じになられたのなら謝罪しますが、私の行動には根拠があります。私はIP氏の主張については妥当性を持つとは思いますが、もともと貝塚説が記事に書かれていたことをIP氏が議論前に除去していることは妥当ではないと思います。そこで貝塚説の記述は議論以前には記載されていたという事実からとりあえず復帰させたのです。IP氏の学界では有効でないのではないかという見方を現在の記述は含んでいます。なにか不適当であると思われるならご指摘ください。--Kanbun 2006年11月2日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
- 心象をおっしゃるならば、私はIP氏が貝塚説を除去したまま議論をしていることこそ私には納得できることではありません。--Kanbun 2006年11月2日 (木) 10:08 (UTC)[返信]
- 見苦しいとお感じになられたのなら謝罪しますが、私の行動には根拠があります。私はIP氏の主張については妥当性を持つとは思いますが、もともと貝塚説が記事に書かれていたことをIP氏が議論前に除去していることは妥当ではないと思います。そこで貝塚説の記述は議論以前には記載されていたという事実からとりあえず復帰させたのです。IP氏の学界では有効でないのではないかという見方を現在の記述は含んでいます。なにか不適当であると思われるならご指摘ください。--Kanbun 2006年11月2日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
こんにちは。Toki-hoです。韓非ではお世話になっております。さて、こちらへのコメントですが、、こちらに照らして、あの場所には、少々適切ではないように感じました。どこか(ご自身のノートページなど)へ御移動いただくのが適切かと存じます。この規定によって他者からコメントアウトされる前に、ご対処いただけないでしょうか。よろしくお願い申し上げます。Toki-ho 2006年11月2日 (木) 23:33 (UTC)[返信]
- 了解です。コメントを差し替えた上でこのページに元の文を移動しておきます。ご指摘ありがとうございました。--Kanbun 2006年11月3日 (金) 05:29 (UTC)[返信]
- Kanbun 2006年11月2日 (木) 07:24 (UTC) - 大変興味深い回答をありがとうございました。ちょっと私には理解しづらいことが多かったので、指摘だけさせていただきたいと思います。[返信]
- 私にはKs aka 98さんの「文化相対主義を巡る混乱」「相対主義からニュークリティシズムあたりも考慮」というのが何を言いたいのかさっぱりわかりませんでした。Ks aka 98さんのおっしゃっていることがおそらく「Wikipedia:中立的な観点」の原理的な解明、ファンダメンタルな部分を追求しようとした回答なのだと思うのですが、意味はつかみきれませんでした。私の見解では、「Wikipedia:中立的な観点」には大きく分けて2つの事柄に対する「中立的な観点」についての声明が書かれており、その2つの事柄のそれぞれについての「中立的な観点」に対しては別個の日本語が対応していると思われます。その2つの事柄というのは、「執筆者の立場」と「記事内容への反映」についての事柄です。
- まず「執筆者の立場」における「中立的な観点」には、「客観的」「消極的」「第三者的」「中間的」「相対的」「中庸的」「不偏的」という言葉が妥当であると思われます。基本的には「Wikipedia:中立的な観点」は、これらを全て考慮した立場を執筆者に要請するものであると理解します。(「中立的な観点についての声明(オリジナル)」「はじめに:中立性の基本的な概念と、なぜウィキペディアが中立的であるべきかについて」)
- しかし「記事内容への反映」する際には執筆者はそのような「執筆者の立場」をそのまま記事にするのではなくて、あくまで事実が「多元的」「並立的」であるという形で記事に反映させるべきということを「Wikipedia:中立的な観点」は要請していると思われます。(→「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」「この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな」「フェアであることと、好意的な立場」「ひとつの帰結:敵のために書く」)
- そこから翻って、「中立的」という日本語を見てみますと、それはまず「第三者的」「中間的」という意味で、さらに意味内容の類似すると思われるのは「相対的」「中庸的」「不偏的」という言葉です。すると現在の「Wikipedia:中立的な観点」はどちらかといえば執筆者の立場の要請を主眼にしているようです。
- 次に「記事内容について最初に検討すべきガイドラインについて」に対するお答えは、まず質問は「どの方針が優先されるべきか」を議論の検証過程についての観点から問うたのですが、「どのような議論を先に取り上げるかという点から意見を交わす」というお答えはどのような方針に基づく議論が優先されるのかという問題にすり替えがされているように感じられます。「他の方針に依存する部分が少なく、問題点を単独の方針で示すことができて分かりやすいと思われる議論を先に置くか、もっとも深刻に対立する可能性がある議論を先に置くか」というお答えですが、質問は「他の方針に依存する部分が少なく、問題点を単独の方針で示すことができて分かりやすいと思われる議論」を選別するためのマニュアルづくりであったとお考えください。つまり議論の当事者の間で、少なくともこれらの方針のいずれかでどっちかに適当と思われない主張があった場合、それを指摘して議論をウィキペディアに有益な形で進行させることができるよう導くためのマニュアルづくりということです。さて、そこで「Wikipedia:検証可能性」を見てみますと、その冒頭に「記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。」「検証可能なことのみ載せる」と書いてあるように、「中立的な観点」に基づく記述でも「検証可能」でなければ基本的にウィキペディアは掲載を推奨しません(もちろん事例によって例外はあるにしても、基本的立場としては「検証可能性」がこの場合第一であると思われます)。次に「Wikipedia:独自の調査」には「オリジナルリサーチではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供する信頼のおける情報源を出典を記し、その情報源に記された内容に忠実に記述することです。」とあるように、やはりこれも「検証可能」な出典の明記を求めているもので、「独自の調査であるかないか」を検証できなければそれを問うことはできないと思われます。もちろん「独自の調査」であれば「中立的な観点に基づいている」とはいえませんから、ウィキペディアに歓迎されるとは思われません。したがって記事内容についての論争においてはまず双方の意見が「検証可能であるか」を検討し、つぎに両者の言い分が「独自の調査」でないか、さらに「中立的な観点に基づくか」という検証過程が最もシンプルなのではないでしょうか。私の答えとしては「検証可能性→独自の調査→中立的な観点」というフローチャートを作るべきだと思います。
- 私にはKs aka 98さんの「文化相対主義を巡る混乱」「相対主義からニュークリティシズムあたりも考慮」というのが何を言いたいのかさっぱりわかりませんでした。Ks aka 98さんのおっしゃっていることがおそらく「Wikipedia:中立的な観点」の原理的な解明、ファンダメンタルな部分を追求しようとした回答なのだと思うのですが、意味はつかみきれませんでした。私の見解では、「Wikipedia:中立的な観点」には大きく分けて2つの事柄に対する「中立的な観点」についての声明が書かれており、その2つの事柄のそれぞれについての「中立的な観点」に対しては別個の日本語が対応していると思われます。その2つの事柄というのは、「執筆者の立場」と「記事内容への反映」についての事柄です。
- 以上やや長くなりましたが、もちろんこれらの質問の答えは一つではありませんし、私も上の内容が絶対であるとは考えません。ただ私が上のような質問を自分自身にするとすればこういう答えかなという感じです。Ks aka 98さんの意見は重要な内容を含んでいるのではないかと私は思うのですが、ちょっとそれを具体的な形で認識することができませんでした。ありがとうございました。
どうも、はじめまして、Tantalと申します。
今回は、節が新規投稿したムハンマド・イクバールを推薦していただき、まことにありがとうございました。
手がけている方が少ない分野ですが、良質の記事を丹念に作って生きたいと思います。--Tantal 2006年11月21日 (火) 12:41 (UTC)[返信]
- イスラーム関係の記事には大変興味があり、良質な記事が増えることを喜ばしく思います。ムハンマド・イクバールの記事を執筆されたTantalさんを大変尊敬しますし、是非これからもたくさん記事を書いていただければと思います。わざわざ当方の会話ページまでいらしてくださり恐縮です。また近いうちにTantalさんの素晴らしい記事に出会えることを心待ちにしています。--Kanbun 2006年11月21日 (火) 12:47 (UTC)[返信]
- --Tietew 2006年1月10日 (火) 05:24 (UTC)[返信]
- --Tietew 2006年3月15日 (水) 07:59 (UTC)[返信]
- --Tietew 2006年7月27日 (木) 10:28 (UTC)[返信]
- --Tietew 2006年8月1日 (火) 06:02 (UTC)[返信]
- --Kotoito 2006年8月4日 (金) 19:35 (UTC)[返信]
- --Tietew 2006年8月22日 (火) 11:29 (UTC)[返信]
- --SGreen 2006年11月13日 (月) 06:13 (UTC)[返信]
わざわざありがとうございます。心がけたいと思います。--Kanbun 2006年3月15日 (水) 08:00 (UTC)[返信]
その際に細かいところでミスを起こすのではないかとご心配な場合は、投稿するボタンの右隣にある「プレビューを実行」ボタンをご活用いただくことをお勧めします(画面右側の図を参照)。投稿される前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、
等を予めチェックし、訂正した上で記事を投稿することができますので是非ともご活用下さい。ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いします。- --snty-tact (Talk) 2006年3月28日 (火) 07:21 (UTC)[返信]
- --ikedat76 2006年9月8日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
- --SGreen 2006年11月13日 (月) 06:13 (UTC)[返信]
通知ありがとうございます。心がけておりますが、まだまだ難しいようです。慣れることが出来れば幸いです。--Kanbun 2006年3月28日 (火) 07:24 (UTC)[返信]
- 早速のご反応ありがとうございます。私もウィキペディアにきて初めての頃は何度も連続投稿をしていたので(お知らせはいただきませんでしたけれども)、わかっているけれどつい何度も...というようになってしまうお気持ちは十分に分かります。少しずつ回数を減らして、サーバーへの負荷も軽減できるようになると良いですね。これからのご活躍を期待しています。それではまた。--snty-tact (Talk) 2006年3月28日 (火) 07:31 (UTC)[返信]
こんにちは。Anonymous000です。Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいではお世話になっております。この文書を簡潔にすべきかで驚異的な勢いで翻訳ができあがっているのをみて感嘆しています。ところで、その翻訳された原英文ですが、英語版ウィキペディアからでしょうか?もしそうだと、「編集内容の要約」に原ページ等の情報を入れておかないと、GFDL違反で削除になる場合があります。救済策が色々と検討されているようで私も全く詳しくはないのですが(このあたりはks aka 98さんがお詳しいと思いますが、wikibreak気味とのことでどの程度お力添えを頂けるかは、私には分かりません)、私の見解としては、すでにKanbunさまから具体例の3でご賛同いただいているとおり、一律にプロジェクト文書にGFDLが適用されないという解釈は恐らく成り立たない(二重否定でなく分かりやすく言えば、「プロジェクト文書であっても要約欄の履歴継承をしておく方が安全」)と考えております。私が引き続きコメントした場合、その後特定版削除になるとすべて消失するおそれがあるために、この後のコメントを躊躇しております。つきましては、もしよろしければ#テリー・イーグルトンで指摘されている手続等をお取りいただいた方が安全ではないかと考え、僭越ながら連絡を差し上げた次第です。ご善処の程期待いたしております。--2006年11月23日 (木) 13:43 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。いちおうノートでありますし、参考という形での提供でしたので問題ないかと思いましたが、念のため当該箇所に履歴情報を追加しておきます。--Kanbun 2006年11月23日 (木) 14:03 (UTC)[返信]
- 追加されたところをざっと拝見しましたが、これでいいのか私には自信がありません(危ないと思う)。しつこいようですが、特定版削除依頼を出した上で、ローカルに保存しておいた最終稿を履歴継承(要約欄に元のページ等を記載すること)した上で投稿し直す方が無難だと思っています。つい数ヶ月前にもそれでもめたばかりなのです。(「加わっているもの」の中にあるコメント依頼を参照。)また利用者ページ記載の「お作法」の一つがこの点だと私は思っています。。ぜひ、Wikipedia:翻訳FAQ#要約欄への記入、Wikipedia:翻訳FAQ#ウィキペディア間での翻訳、GFDLなど(特にはじめの2つ)をもう一度読み直してみられた上で、今のままで大丈夫だとそれでもKanbunさまが思われるようなら、一度Wikipedia:井戸端などで相談しておくことをおすすめしておきます。だまされたと思って、特定版削除依頼を出して再投稿する方が早いと思いますよ(^^)。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
- なるほど。とりあえず引用部分(なんか拙い訳で恐縮なんですが……。)をローカルに保存した上で念のため依頼を出してみます。わざわざありがとうございました。--Kanbun 2006年11月23日 (木) 14:48 (UTC)[返信]
- (入れ違いでのお礼ありがとうございます。)ついでに、僭越ながらの助言ですが、Kanbunさんの投稿スタイルにぴったりな方法をおすすめしておきます。英語版ウィキペディアでの「ノートでの議論」を引用ないし翻訳する場合に、ひとつひとつのコメントごとに、「要約欄」と「ページ上」に引用元のリンク・著者・日時等を記載した上で投稿するとどうでしょう?コメントごとに投稿するのは面倒なようですが、GFDLの履歴継承を満たすためには「連続投稿」が必要であるということはできるので、よさそうな気がしました。ただプロジェクト文書等の翻訳を投稿するときには別のやり方(ある程度まとまった段階で投稿する)が必要とは思いますが。いずれにせよ、原文はリンクですませてもいいように思います。サーバー容量は有限なので「良識」をもって、「ほどほどに」、ね(^^)。。行きすぎた助言でお気に障ったらごめんなさい。それではまた削除完了後に当該ノートでお会いしましょう。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 15:47 (UTC)[返信]
- ようやくわかりました。ありがとうございました。--っ 2006年11月25日 (土) 04:55 (UTC)[返信]
- (お詫び)すでにっさまからリバートいただいておりますが、確認したところ、リバートしておけば特定版削除の「中抜き」が可能なために、リバート後は投稿が可能だったと知りました。私の事実誤認(「中抜き」はできないと考えていました)により、間違ったことを教えてしまってごめんなさい。これで安心して私も投稿ができます(^^)。Kanbunさまともまたお会いしましょう(^^)。--Anonymous000 2006年11月25日 (土) 05:06 (UTC)[返信]
スラッシュドットの記事と英語版ノートのコメントはやや掲載に問題を感じますので、とりあえず一番問題がなさそうな「en:Wikipedia:Suggestions on how to ignore all rules」の拙訳を利用者ページのサブページとして作成した上で参考としてあげておきました。--Kanbun 2006年11月25日 (土) 11:24 (UTC)[返信]
とか言ってる間にキリカさんが登場したので、ちょと対話させてもらいますね。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 16:10 (UTC)[返信]
- どうぞ。私のキリカさんへの返答はすでに記述しました。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 16:15 (UTC)[返信]
- ここで可能と思ってたことはほぼ向こうで書きました。後のIARについての議論は、場所の選択も含めてお任せします。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 18:51 (UTC)[返信]
- 私個人としてはキリカさんがまず謝罪してくれればと思っています。キリカさんの意見自体は議論を続けていけば、キリカさんの意見にインスピレーションを与えられた誰かがより具体的な論を示して、方針文書の発展に寄与してくれるのでは?と思っていたので、議論を続けること自体は自分の意見をある程度明確化することにも役立ったと思っています。実際個人的な感想から言えば、簡潔案と現在の解釈案は少なくともコミュニティの支持からいえば、ほぼ五分五分で、ただ「荒らし」に利用される警戒感が非常に高いと思われます。私自身も簡潔案には現状で反対ですが、一度公式化されてから分割するなどして簡潔にされることには問題ないと思います。端的に言ってしまえば、この方針についてのしっかりとした議論の堆積が日本語版になかったように思われますので、それを積み重ねておきたいというのが一番思っていることです。
- この方針についてはおそらく最終的な段階まで意見の相違を克服するのは困難なように思えますので、議論を非生産的な方向に向かわせないために、誹謗中傷のようなことは極力排していくべきと思っています。キリカさんの取った暴言に対して自己正当化して開き直る態度は私は到底許すことができません。本人が反省の態度を示しているというのならば、まずAnonymous000さんに謝罪してもらいたいものです。個人的にAnonymous000さんは方針文書の改善に最後まで精力的に関わってくれると思いますし、しっかりとした意見を持って、かつそれをよく表現できる方だと思いますから、議論の進展にも寄与してくださってると思います。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 19:56 (UTC)[返信]
私なりに整理した結論を、井戸端にまとめて投稿の上で、Wikipedia:投稿ブロック依頼/キリカに意見表明を行いました。短期間で改善する見込みがないものと、私なりにウィキペディアの記事等を調べて考えてみたものです。ここまで、Kanbunさまをはじめとする皆様のコメントにずいぶん励まされてきました。特に、会話ページの打ち消し線を見たときには、私のためにKanbunさまの貴重なお時間を無駄にさせた気がして、とても申し訳なく思っていました。ご挨拶が遅れましたことをお詫びいたします。今回の件は私自身「消耗」がかなり激しくて、「元気がなぁ」と思うことばかりなのですが、それでもKanbunさまをはじめとするコミュニティの方々への信頼感がとても大きくなった気がします。少し元気を取り戻せたら、IARの意見投票にも近いうちに参加させていただくつもりです。それでは、今後ともよろしくお願いいたします。--Anonymous000 2006年12月6日 (水) 11:05 (UTC)[返信]
表題の意見表明の期間はまだだったんですね。今気づきました、申し訳ありません。拙速なことにWikipedia:井戸端 (告知)にも(コメントアウトしましたが)告知してしまいました。お手数ではございますが、告知する際に可能であれば再利用頂くか削除してもらえると幸いに存じます。--Zz2 2006年12月8日 (金) 00:30 (UTC)[返信]
- いま告知しようと思ったところです。再利用させていただこうと思います。わざわざありがとうございました。--Kanbun 2006年12月8日 (金) 13:53 (UTC)[返信]
コメント書いた。ところでテリー・イーグルトン翻訳してらっしゃいますが、イーグルトンの本は読んでます?--Ks aka 98 2006年12月9日 (土) 13:59 (UTC)[返信]
- イーグルトンは『イデオロギーとは何か』に大変感心しまして、あれはかなり読み込みました。--Kanbun 2006年12月9日 (土) 18:04 (UTC)[返信]
- それは読んでないす。けっこうごついやつですよね。ていうか『批評の機能』一冊しか読んでないので偉そうなことは言えないんですが。イーグルトンはポストモダンな批評家の代表なので、キリカさんのこととか、前の管理者立候補の時の余談のこととかと絡んでくる話が含まれているかもしれないと思って、ちょと読み返してみたら、『批評の機能』のほうは読者印象批評からハーバーマスの話だったので、これはちょっと関係が薄かったな…。--Ks aka 98 2006年12月10日 (日) 15:19 (UTC)[返信]
- 『イデオロギーとは何か』を読むと、むしろイーグルトンは思想的にはポストモダニズムやモダニズムと決定的に対立している気がします。私には良質なマルキシズムを展開している感じに思えました。イーグルトンの文芸批評については読んだことないので、何とも言えませんね。私の中ではどちらかというとイーグルトンはマルクス主義の正統的な立場を発展させた政治思想家という感じです。個人的にはイーグルトン記事にある、死を重視しているという著作を見てみたいですね。どんなものかは全く推察の域を出ませんが。死生学的な関心に基づいているのなら、大いに興味がわきます。--Kanbun 2006年12月10日 (日) 19:57 (UTC)[返信]
- それは読んでないす。けっこうごついやつですよね。ていうか『批評の機能』一冊しか読んでないので偉そうなことは言えないんですが。イーグルトンはポストモダンな批評家の代表なので、キリカさんのこととか、前の管理者立候補の時の余談のこととかと絡んでくる話が含まれているかもしれないと思って、ちょと読み返してみたら、『批評の機能』のほうは読者印象批評からハーバーマスの話だったので、これはちょっと関係が薄かったな…。--Ks aka 98 2006年12月10日 (日) 15:19 (UTC)[返信]
IARの意見投票の件で心を傷めてやってきました。もし私に不適切な発言があったのであればおわびいたします。私としては、べつにケンカをふっかけようというようなつもりもなく、なぜIARが必要なのかという問題に関して重要だと思ったので再度意見を表明したまでだったのですが。Maris stellaさんの発言に反応した私の発言はコメントアウトしておきました。とりいそぎおわびのご挨拶まで。--Pugnari 2006年12月13日 (水) 12:09 (UTC)[返信]
- いえ、こちらのほうも突然あのような表明をしてびっくりさせてしまったかと思います。IARを重要視するPugnariさんの意見自体は大変傾聴に値するものと考えております。ただ意見投票は議論の場ではないので、反論という形式で表明することだけはお控えくださればと思います。--Kanbun 2006年12月13日 (水) 15:32 (UTC)[返信]
遅ればせながら、イーグルトンありがとうございました。すでにお読みだろうとは思いますが、『クラリッサの陵辱』が私は印象に残っています。イーグルトンの凄さは、マルクス主義批評の伝統を継承しつつ、それとむしろ対立しているフェミニズム批評からの批判もきちんと受け止めた上で消化しているところかなと自分では感じています。自分の強みと弱みを知悉している人という印象があります。そして、破壊的なものを受け止めてその暴力性を的確に分析するということでは、20世紀批評では、バフチーン、フーコーと並ぶ人だと個人的には思っています。ともあれ、ウィキブレイク明けのご投稿を剋目してまっております。学業の進展とご多幸をお祈りしています。--Aphaia 2007年1月26日 (金) 19:28 (UTC)[返信]
Kanbunさんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、プレビュー機能のお知らせをしにきました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで
- マークアップ
- リンク
- 誤字脱字
などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。
「補正」と称して幾度も幾度も投稿するのは避けて戴きたく思います。投稿した後で、「補正」する必要を感じられるのでしたら、プレビュー段階でよく投稿を読み直し、見直し訂正して投稿するのが望ましいです。少々の誤字や変換ミスは、何度校正を行っても、どうしても残るものですから、敢えて気にしないというのも方法です。また文案や内容に関し疑問が起こる場合、それはプレビュー段階で考えるべきものです。熟考した上で投稿願います。--Maris stella 2006年12月16日 (土) 03:05 (UTC)[返信]
- いやはやお恥ずかしい限り。丁寧なご案内に感謝いたします。気をつけているつもりですが、まだまだ足りないようです。--Kanbun 2006年12月16日 (土) 09:31 (UTC)[返信]
- 「直接関係のないこと」、つまり「枝葉末節」(「物事の本質からはずれたささいな部分。」『広辞苑5版』による)であることを自覚している方から繰り返し「挑発」(「相手を刺激して事件などが起るようにしかけること」同上)を受けていることにお見舞い申し上げますとともに、冷静に対応されているKanbunさんに最大の敬意を表します。「私も見習わなければ」と思っています。--Anonymous000 2006年12月16日 (土) 20:19 (UTC)[返信]
- 過分なお言葉をいただき、恐縮です。私は反省することばかりで、「『補正』と称して幾度も幾度も投稿」しているのも事実なので、面目次第もない限りです。キリカさんの件の反省も含め、利用者:Kanbun/作業空間/論争と対話を自戒として、自らの議論の方針としていく所存です。反省すべき点はたくさんあり、Anonymous000さんにも私が不甲斐ないばかりに、いろいろと心苦しい思いをさせてしまったのではと思います。Anonymous000さんがウィキペディアに消極的になってしまっていないか心配しています。私にはAnonymous000さんの意見はいつも、大変傾聴に値するものであり、信頼をお寄せしていました。どのような人であれ、批判されるべき点は多少なりともあるもので、強固な批判の言葉にぶつかると、弱気になったり自信を喪失したりすることがあります。しかし批判を受け止め、成長された方こそウィキペディアには必要と思います。Anonymous000さんの言葉は、私にはいつも本心から述べていらっしゃることのように思われ、その点尊重しておりました。ウィキペディアには、Anonymous000さんの協力が必要なのだと考えている者もいることを心にとめておいていただければと思います。もちろんこの言葉はキリカさんにも全く同様であるということを付け加えたいです。--Kanbun 2006年12月17日 (日) 04:36 (UTC)[返信]
こんばんは。ご無沙汰しております。以前政治学史を執筆する際にお世話になった者です。実は現在日本において政治学がどのように変遷したかに関して執筆しようと構想しているところでございます。その際以前政治学史の編集に関する議論の中でKanbunさんがいずれ日本における政治学の受容史を執筆したい旨仰っていたことを思い出しました。また政治学史の記事におけるKanbunさんの極めて素晴らしい業績に鑑みまして、是非ともアドヴァイスを頂き、都合がつきますならば参加して頂きたいと思い連絡いたしました。恐らく朱子学や国学などを扱わねばならないと考えますが、哲学・思想に通じておられるKanbunさんの豊かな学識をとりわけこの方面で発揮して頂きたく存じます。私はこの方面には疎いものですので。お忙しいこととは存じますが、もし時間がありますならば考えて頂きたく思います。Winston 2006年12月20日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
- ご期待の言葉をいただき、恐縮です。休みに入ったことですし、Winstonさんの作る記事に協力できるなら、願ってもないくらい光栄です。問題は非才の身ですので、ご期待に添えるかどうかだけ心配です。政治学史についてはWinstonさんの記述が記事を大変素晴らしいものにしていること、つねづね感激させられています。興味深いお話に、声をかけていただいたことに感謝します。記事を作成されましたら、折を見て加筆させていただきたいと思います。また政治学についてはWinstonさんの見識をとても頼もしく尊敬しておりますので、もし重点的に扱いたい点などやや具体的なお考えなどがありましたら、表明していただければ、その点を最大限考慮したいと思います。--Kanbun 2006年12月20日 (水) 14:36 (UTC)[返信]
- 私の方こそ身に余るお褒めの言葉を頂き、恐縮している次第でございます。また前向きなお返事を頂いて心強く思っております。ところで日本における政治学史というテーマは大変壮大なものでございまして、周到な準備と計画・構想が必要であろうと考えております。またまだまだ政治学に関する新しい記事が必要であると考えておりまして、そのあたりも整備していきたいと考えているところです。従って実際に日本における政治学史というプロジェクトが立ち上がるまでに若干時間がかかるかもしれません。そのあたりの事情はご了承下さい。Winston 2006年12月21日 (木) 16:02 (UTC)[返信]
こんばんは、Kanbunさん。らりたです。いつもお世話になっております。今回、均田制を査読依頼に出しており、専門知識の豊富なKanbunさんの意見が欲しいと思いました。ご多忙の折とは存じますが、宜しければ一見していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。らりた 2007年1月20日 (土) 12:56 (UTC)[返信]
- 一読しました。その印象から言いますと、面目を一新しており、大変すばらしい記事になったと思います。氣賀澤先生は均田制関連の唐制の包括的な研究を熱心になされている方ですし、依拠した文献も優れてよいものだと思います。とりあえず2,3文献を当たって大きな問題がないかだけ調べてみようと思います。
- ノートで指摘されている点については、私個人の意見としては、記事の視座構造を信頼性のおける文献に依拠することは歴史学的な観点から推奨されるものであると思います。したがって著作権の問題が発生しない限りは、問題ないかと思います。ウィキペディアは研究発表の場ではないので、既存研究の剽窃かどうかは、著作権上の問題を超えては、私はほぼ問題にはならないと思いますし……。私がアカウントを取って初めて関わったノート:比企能員の変/削除は(私は最初これを出すためにアカウントを取りました……)、その点でウィキペディアの判断を知るよい事例だと思います。おそらく明白な著作権侵害が存在しない限り、参考文献を明確にするなど一定の手順を踏めば、論旨をかなり大幅に文献に依拠しても、記述が削除対象となることはなく、編集対処で十分であると判断されると思います。相手のIPさんがより適切な節構造を提示してくださる場合はそれに従ってもよいかもしれませんし、この点は危惧するに及ばないと私は思っていますが、どうでしょうか。必要であれば、おっしゃってくだされば、この点について当該ノートで発言いたします。--Kanbun 2007年1月20日 (土) 16:40 (UTC)[返信]
- 過分なお褒めを頂き恐縮の限りです・・・と返事をしようと思っていたのですが、それをする前にウィキブレイクに入られてしまったようで、全くもって失礼の極み申し訳ありません。とりあえず当該項目に付いては著作権侵害の虞は無いと思いますので、後は記事としての見通しが良いように変えていこうと思っています。ありがとうございました。らりた 2007年1月25日 (木) 11:55 (UTC)[返信]
- 突然のウィキブレイク宣言をしてしまい、驚かせてしまったようでしたら、すみません。とりあえず堀先生の『均田制の研究』と『戦後日本の中国史論争』だけは読み始めました。気づくところがあれば、一言二言発言させていただくこともあるかもしれません。--Kanbun 2007年1月25日 (木) 14:33 (UTC)[返信]
いつも色々と励ましていただき、誠にありがとうございます。私からも、心からの感謝の気持ちをお送りしました。Kanbunさんにおきましては、きっと色々お疲れのことでは、と思います。最近よく、こんな投稿を以前見たのを思い出して、つくづく共感を感じることがあります。お互い無理せずに、ボチボチいきましょう(^^)。--Anonymous000 2007年1月21日 (日) 11:53 (UTC)[返信]
- 私のほうこそAnonymous000さんには、いつもお世話になっております。私も気張らずに末永くウィキペディアと付き合っていきたいと思っています。私の場合は議論に飽き飽きしたと言うよりは、自サイトのほうにまた熱中しはじめてしまった、という感じです。ただ著作権と記事の信頼性については大いに悩むところがあり、一時本気でWIKIブレイクを考えました。今年は専門へ進むということもあり、使える時間が減りそうだなぁと思い、息抜きにやるというのを重視して行こうかななどと考えています。--Kanbun 2007年1月21日 (日) 14:41 (UTC)[返信]
- そういえば、啓蒙思想で経済学について記述する際に、つい先日死んだJ・K・ガルブレイスの『経済学の歴史』を参照したのですが、ガルブレイスによれば、スミスの分業論には「分業は市場の大きさによって制約される」という考えがあり、「したがって自由貿易をできるだけ広い領域に拡大し、それによって労働効率を高めよ」という主張があるといいます。そこからレッセフェールを主張しているとしています。アダム・スミスの記事を見る限りでは、ガルブレイスと矛盾するところはなさそうです。ノートで指摘されている根井氏の著作は読んだことがないので、その見解の詳細はわかりかねますが。--Kanbun 2007年1月21日 (日) 14:41 (UTC)[返信]
ぐだぐだとウィキペディアを絶ちがたく感じていましたが、一念発起し1年ほどウィキブレイク!勉学にいそしもうと思います。そう!私は学生ですから、やはり何よりも学業!暇な時間は読書と語学と漢籍の解釈(わたしゃこれが本業だ!)にいそしもうと思います(勉強すべき事が山ほどあるのには、最近圧倒されつつあります)。というわけで、みなさんさようなら。--Kanbun 2007年1月23日 (火) 14:34 (UTC)[返信]
- ぐげ。他の追随を許さない超優秀なウィキペディアンさんが現れた!と歓んだのもつかの間、非常に残念なことでございます。学業を修められ、再びお会いできる日を首を長くして楽しみにしております。ノシ--shimoxx 2007年1月23日 (火) 15:15 (UTC)[返信]
- なぬー!学生だったのか。お疲れ様でした。執筆量・速度を落として、気楽に、復帰することを待ってますので。--Ks aka 98 2007年1月23日 (火) 15:20 (UTC)[返信]
- ひえ〜!もったいない(涙)。でも心を鬼にして「去者勿追」。本業の方での大成をお祈りします。でも、戻ってきたくなったら、いつでも大歓迎!(^^)。文献も教えていただきありがとうございました。お陰様で何とか終息しそうです。それではいつかまた。お元気で。--Anonymous000 2007年1月23日 (火) 15:58 (UTC)[返信]
- Kanbunさんに対しては感謝の言葉では到底謝しきれないほどにご助力を頂き、本当にありがとうございます。Kanbunさんのウィキブレイクに非常に残念な思いを抱いています。これからもそれこそ暇つぶしに使うくらいでも宜しいので参加していただけると嬉しく思います。一年後を楽しみにして待っています。帰ってこないなどとはおっしゃらないでください。らりた 2007年1月25日 (木) 11:52 (UTC)[返信]
- 尊敬している皆様から暖かい言葉をいただき、大変うれしく思います。記事を執筆していまして、自分の不学を痛感し、また一身上の都合で自分の学問の行く末にも迷っている今日この頃で、さらに今年から昨年以上に多忙を極める予定(調子に乗って放送大学の選科生に応募してしまいました(汗))となり、ウィキペディアとはしばらく距離を置き、ときどき執筆途中の記事を書き足す程度にとどめようと決心しました。また私は自分では結構柔軟で穏和な人柄だと思っていたのですが、最近関わった論争を通じて、ちょっと自分も頭が固ったり意固地になっているところもあるかもしれないと思い、すこし執着を弱めて懐の深い人物になりたいとも思います(笑)。大量の宿題に頭を痛めて、やや唐突に決心を表明し、慌てさせてしまい、その点は申し訳ありませんでした。学問を深め、今以上に自信をつけ、人物ももう少し大きくなりましたら、またいろいろがんばりたいと思います。--Kanbun 2007年1月25日 (木) 14:33 (UTC)[返信]
- (shimoxxさんへ)しもーさんは執筆する記事のすばらしさだけでなく、議論でのうまいやり取りなどお人柄も大変尊敬しております。私はどうも議論で失敗をしているような気がいつもしており、しもーさんのようにうまく相手と対話できればなぁと思っておりました。私も、しもーさんのように穏和さを身につけたいと思います。
- (Ks aka 98さんへ)ノート:韓非以来いろいろと意見を交換することがあり、考え方の違いなど感じるところも多かったですが、大事な示唆をたくさん受け、蒙昧を開かれたことも多かったと思っております。図らずもあのノートで意見を述べてくださった人にはそれ以降もお世話になることも多く、議論の直接の結果よりは、貴重な方々と接点を持つことが出来たことが一番私にとってよいことでした。Ks aka 98さんとは一度どこかでゆっくり意見の交換などできれば楽しい会話が出来るだろうし、自分にとってもためになるだろうなぁと思っております(多忙のようでしたので、それが明けてからでもゆっくりと思っていましたが、機会があれば)。
- (Anonymous000さんへ)IARから特に親しくしていただき、大変感謝しております。それ以来Anonymous000さんの活動をときどき参照し、がんばっていらっしゃるなぁと尊敬しておりました。私も現状のコミュニティがややルーズで責任の所在がはっきりしなかったりすることが多いと思い、規約整備に励んでいらっしゃるAnonymous000さんにはと勇気づけられました。
- (らりたさんへ)執筆記事のすばらしさにはいつも敬服しております。とくに最近の均田制は大いに自信を持ってよろしいのではないでしょうか。(自分勝手な面もあるかもしれませんが)らりたさんとは生産的な関係を築けたと思っており、いつもらりたさんの見方や意見を通じて、自分の考えがはっきりしたり文献の意味がよりよく捉えられたりして、大変参考になりました。
以上。--Kanbun 2007年1月25日 (木) 14:33 (UTC)[返信]
ちょいまち。--Ks aka 98 2007年1月26日 (金) 15:19 (UTC)[返信]
- 政教分離の歴史をいずれFAに推薦しようと心の中で準備していた中での突然のウィキブレイクは残念ですが、学業を大事にしつつ、たまには、Wikipediaにも顔を出してください。ムハンマド・イクバール以降、私も、本業が多忙なので、新規項目の投稿は、5000B程度のものしか手がけてませんが、Kanbunさんのメッセージは、とてもうれしかったです。--Tantal 2007年1月27日 (土) 08:54 (UTC)[返信]
- あら月間感謝賞のお礼をしに参ったのですが、学業に専念ですか。生きている限り勉強だと思いますし、Wikipediaは一生付き合えると思いますので、お手隙の時は是非またお戻りくださいね。--Faso 2007年1月30日 (火) 13:40 (UTC)[返信]
ノート:シェイクで、Wikipediaに戻ってこられたことを確認しました。お帰りなさい。また、これからも、マイペースで、良質な記事を投稿してください。
また、今日付けで、大作・政教分離の歴史をFAに推薦しました。そちらもご覧になってください。--Tantal 2007年2月25日 (日) 02:02 (UTC)[返信]
- こんにちは。実はまだ細々とウィキブレイクを続けている最中です(汗、大学に専門学校、そして今研修もいろいろ受けていてスケジュールはすし詰めです)。政教分離の歴史は実はまだ一番大事な部分が未執筆になっていまして、フランス革命やピューリタンとスコットランドの長老派、中世の異端、グレゴリウス改革、オットー朝からシュタウフェン朝にいたる皇帝権の絶頂期、ツァーリズムの宗教政策、ロシアの科学的無神論と迫害下のロシア教会について(個人的にはそのほかに補足的なこととして、クザーヌスと近代科学、現象学について付け加えたい!)がごっそりありません(すでに一通り文献は揃えてあり、執筆可能なのですが、いちおう現在多忙なのです。なので、現状では秀逸は難しいかなと思います。しかしお気持ちは大変うれしいのですが)。シェイクにつきましては、私は「シャイフ」でもよいと思っていましたが、ただ参考になるよう、原音はどんなものなのかという説明を加えたつもりだったのですが、意図せず混乱を招いてしまったのかもしれません。その点につきましてはちょっと失敗したかなと思います。発音を文章で説明するのは難しく、いろいろ誤解を招きやすいので、最初から表を作成すればよかったなぁと反省しました。政教分離の歴史につきましては、とくにメロヴィング朝やカロリング朝のあたりにも、現在それぞれの記事に適切な記述がなかったので、のちのちそれぞれの記事に記述を分散させることを考えつつ、やや話題を逸脱した記述もあります。またすでに記述した箇所でも、新たな文献が刊行されたり、違った感じに記述されたほかの文献が見つかったりで、いろいろ細かい修正が必要かなとも。もちろん基本的には『近代国家とキリスト教』で森安が述べた、国家と宗教の歴史から近代を問い直すという背骨ができており、また基本的に信頼性の高いものを選んでいるつもりですが、現在はとくにカタリ派についての著作どうしで、共通理解が少ないことに結構とまどっています(ルネ・ネッリはアウグスティヌスの階梯理論が明らかにカタリ派に影響していて、ボゴミル派の影響は薄いだとか、クルト・ルドルフなんかはグノーシス主義の亜種だとか、またボゴミル派から直接派生したというような……、どれもたしかに説得的です)。それで今の段階ではまだ未完成部分を多く残してしまっており、最近手をつけていなかったのですが、少しずつ加筆しようと思います。--Kanbun 2007年2月25日 (日) 02:38 (UTC)[返信]
- Kotoitoです。どうもシェイクではご面倒おかけしました。改めてお詫びとお帰りなさい、のご挨拶を。本業・学業を大切にその傍らWikipediaと長く関わっていただきたいと思います。私も仕事柄ペルシア語を話しますので日本語の音声学的な見地を問題にしなかったという点でかえって複雑にしてしまったと反省しきりです。これまでもKanbunさんの数々のご執筆に敬意をいだいておりまして、ここでクザーヌスの名が出たことにちょっとニンマリしています。政治がらみでは公会議主義からの流れとその周辺領域が充実してくるとうれしいです。--Kotoito 2007年2月25日 (日) 09:15 (UTC)[返信]
- わざわざ当方の会話ページまで足を運んでいただき恐縮です。お詫びだなんてとんでもないです。私もなんだか「シャイフ」が不適切だというような誤解を与えてしまったと思い、その点については全く反省するばかりです。普段からとても尊敬しておりましたが、ノートでのKotoitoさんの発言にますます信頼と尊敬の念を強くしました。私としては「シェイク」という表記が(たとえば「コラーサーン」というような表記よりは)比較的多いことと、ペルシャ語での発音を考えるとこれは「シェイク」に近い音になるのではと思ったので、すこし本来の意志より強く「シェイク」を推しているような発言になっていたかなと思い、その点は混乱の元になってしまったなと思っています。慣用で「シャイフ」の方が多いという感じは私も持っておりますし、ノートでのKotoitoさんの発言を聞いて、やはりウィキペディアの現状としては「シェイク」よりは「シャイフ」のほうが断然問題が少ないように思います。
- クザーヌスにつきましては、最近現象学との関連から『神を観ることについて』を読んで非常に感銘を受けました。私はつい最近まで神秘思想には一種の偏見がありまして、たとえばイスラームの神秘主義については高校生の時に、井筒俊彦『イスラーム思想史』を読んで、「ガザーリー以後イスラーム哲学は荒廃した」というような記述を見て、哲学が神秘思想に傾くとロクなことがないというような思いこみを持っていたようです。クザーヌスについても近代哲学の成立には大きな影響を与えたというような評価は知りつつ、神秘思想であるという点で敬遠していた気がします。しかし井筒の別の著作、たとえば『イスラーム哲学の原点』などを読みますと、神秘思想に対して非常に積極的な評価があり、イスラームの神秘思想の、とくに現象学に通じるような認識論の深化には大変興味を惹かれました(井筒が同著で最後にイブン・アラビーの思想を「観想意識の現象学」と呼んでいるのは私には大変興味深いです)。また自我の絶対性に進んだ近代観念論哲学とは違う「方法的自己知」をクザーヌスが説いており、そしてこの態度が現象学に通じるとする新田義弘『現象学と解釈学』の指摘にはドキドキさせられます。その上で、竹田青嗣『現象学は〈思考の原理〉である』を読みますと、ここでは近代の政治思想が目指したような、つまり政教分離によって実現しようとしたような、宗派対立・信念対立の超克は、現象学を導入することによっておそらく実現可能であるというような言葉がありまして、大いに心惹かれます。ただあくまで哲学史の通説的理解とは異なると断られていることですし、政教分離の歴史では……力不足もありまして、もし目途がついたら書いてみたい!という感じです。
- 公会議主義につきましては、公会議派の思想について、まだ理解が危ういところが多いので、もうすこししっかりしたら、触れたいと思っています。特筆するとすれば、福田歓一が述べているように、ジェルソンと、そしてクザーヌスにという感じなのかなというような考えです。またバーゼル公会議まで何とか記述をのばしたいと思っています。本当に所々未完成で恥ずかしいです。
- 今回Kotoitoさん、Tantalさんのお二方と改めて話す機会があったことは、大変うれしく思います。お二方のお言葉に大いに啓発されるところがあり、感謝でいっぱいです。お二人の努力によるイスラーム関係の記事の充実は、常々とても素晴らしいことと思っていまして、お二人のご活躍には感服するばかりです。本当にこのたびはやや差し出がましいところもあったかと思いますが、思いもかけず尊敬するお二人から、暖かいお言葉を頂く喜びに預かり、恐縮です。--Kanbun 2007年2月25日 (日) 17:01 (UTC)[返信]
私は、ペルシャ語は何一つわかりませんから、あるていどは、Kotoitoさんの判断を待ちたいと思います。
確か、慣例で、現代ペルシャ語による表記は、ガージャール朝以降(Q→G音表記)とかはどこかに記載があったような気がするのですが。--Tantal 2007年4月27日 (金) 22:48 (UTC)[返信]
- お返事ありがとうございます。現在のWikipedia:外来語表記法/ペルシア語は、表記の規則として定着させるというよりは、とりあえず参考資料といった程度と考えております。どのみちいずれ細かい規則等必要になるとも思われますが、まだ当分は先のことでしょう。とりあえずせっかく一度議論したことですし、そのフィードバックといずれ問題になるであろう箇所について基本的な情報とその典拠を記載しておくのは後々のためになると思いまして。
- なお「غ」のローマ字表記につきましては、岡崎正孝『基礎ペルシャ語』によりますと、アメリカの翻字法では「gh」をあてるとのこと。ただしいくつかペルシャ語の語学書をパラパラ見たのですが、「q」表記も多いようです(詳細については何ともわかりません。今ちょっと忙しくて調べる手間もかけられません)。「ق」につきましては原則「q」のようです。--Kanbun 2007年4月28日 (土) 12:18 (UTC)[返信]
こんばんは。ご訪問ならびにコメントいただきありがとうございます。Wikipedia:削除の復帰依頼#北海道大学植物園 - ノートにて申し述べたとおりであります。著作権問題の本件と私の関わっている別件と混同してはいません。「ページの必要性に関して」「削除タグなど論議の遅延」などに関するものを意識的に並べ立てて引き合いに出したことは良くなかったと思っています。該当ページの存続についてはKanbunさんの「指摘されている箇所(具体的には「沿革」節)を丸ごと削除して再投稿すればよいのです」と言うお言葉に納得しており、その方向で存続して欲しいと思っています。--Richard Pman 2007年7月19日 (木) 17:17 (UTC)[返信]
- 今回の件に関しましては、こちらの最後をご覧頂くと、よりはっきりわかるのではと思います。今回の場合、参照元の年表のデータをまるごと持ってきており、その情報の数も情報提示の順番も前半ではとくに全く変わっていません。
- 「その方向で存続して欲しい」につきましては、沿革部分が著作権侵害である場合、復帰させて該当箇所を削除するだけでは履歴に残って、GFDLの性格上著作権侵害を引き継いでしまうことになります。しかし、削除してから該当箇所を除いて再投稿されれば、著作権侵害の履歴は残りません。したがって著作権侵害があった場合はその版を削除することになりますが、今回は初版なので、一度すべて削除という形になったわけです。--Kanbun 2007年7月20日 (金) 04:24 (UTC)[返信]
- ただし年表の編集著作権が争点とされる判例は、私は発見できませんでしたので、今回のようなケースが今後の判例の蓄積によって別様に判断されることもありえます。私自身は今回の件に限っては、編集著作権の侵害にあたるとされる可能性が高いと判断したということです。また削除依頼で存続票を入れている方が「年表に創作性がないから著作権が認められない」ということをおっしゃっていますが、それは明らかな誤りだと私は思っております。--Kanbun 2007年7月20日 (金) 04:51 (UTC)[返信]
- (インデント戻し)詳しい説明ありがとうございます。削除及び存続、再投稿の手順も分かりました。後、残る課題は、Kanbunさんは「今回のようなケースが今後の判例の蓄積によって別様に判断されることもありえます。私自身は今回の件に限っては、編集著作権の侵害にあたるとされる可能性が高いと判断した」ことと「年表に創作性がないから著作権が認められない」と主張する方が誤りと認めるかどうか、と思われます。
- 私自身としては、後者に近いかもしれませんが、こちらのQ-14、A-14を何度読んでも、記事が年表であり、歴史的解釈なり、新たな事実が出てこない限り、ある意味普遍的で客観的なものととらえられ、誰がどう考えて書いてもほぼ同じ内容になるのではないかと思うからです。従って今回も単なる丸写しとは思えず、「明らかな誤り」とは思えないのです。私自身は侵害と断定するほどの知識も経験も判例も知らないので、私の考えが間違っているかもしれません。ただ仮にもしクロと判断が下されるなら、自分の投稿した記事のことを考えてみても、多くの事柄の経緯・来歴などが引っかかると思うのです。多いから正しいあるいは残せとは言いません。クロであれば処置が必要でしょう。でもそうなってくると膨大な量の記事の精査が必要であろうと思います。私が考えられる事はこの程度です。
- 拙文なので本意が伝わったかどうか心配な面もありますが、ご意見・ご感想ありましたら遠慮なく言ってください。これをクリアしないと今後の投稿に影響しますので。よろしくお願いいたします。--Richard Pman 2007年7月20日 (金) 07:01 (UTC)[返信]
- ええと、そうではなくて、こちらでわかってほしいことは年表は編集著作物であり、著作権が認められるということです(Aの部分をよく読んでください)。「記事が年表であり、歴史的解釈なり、新たな事実が出てこない限り、ある意味普遍的で客観的なものととらえられ、誰がどう考えて書いてもほぼ同じ内容になるのではないかと思うから」と発言されているのは、年表に関して言えば、それは個々のデータ自体は普遍的で客観的でも、年表というかたちに編集することは著作性が認められるということを理解していないのではと思われます。「年表に創作性がないから著作権が認められない」という主張が誤りであるということはこのことから明白です。--Kanbun 2007年7月20日 (金) 07:08 (UTC)[返信]
- 私が一番疑問に思うのは、「年表に著作権が認められない」というような法的根拠がない前提に立って、どうして著作権法的に本件が問題ないと言えるのか。Richard Pmanさんに対してきつい言い方になりますが、法律が関わる問題で、あなたはどこが問題か「わからない」と言い、「教えてください」ばかりを繰り返しているのに、わかりもしないで、なんで安易に存続を主張することが出来るのか。さすがに今回の件に関わる態度としては、少しいい加減すぎる気がします。
- 初版執筆者を大切に思うのも結構ですが、これからこの記事が加筆されていったときに、あとで初版が著作権侵害であると判明して、その間の加筆を無駄にすることのほうが、執筆者の確保という観点からも、私は問題だと思います。--Kanbun 2007年7月20日 (金) 07:22 (UTC)[返信]
- 早速のお返事ありがとうございます。「年表というかたちに編集することは著作性が認められる」ことは以下のように理解しております。変な例ですが「昔昔あるところに云々・・・」という文章を、表形式の箇条書きにして「00年、xxにおいて、某氏は・・・」あるいは逆の場合もそうですが、ここにオリジナリティのある著作物となると考えます。違っていましたらご指摘ください。
- 「わかりもしないで」ととらえられても仕方の無い曖昧な書き方をしている私が悪いのでしょうが、スタンスは「今回は侵害に当たらないので存続もしくは再投稿」という意見です。安易でいい加減な気持ちで投稿しているのではありません。少なくとも言葉足らずではあっても、自分なりの意見をもってコメント、返信をしています。ただその根拠とするところの解釈が異なっている点です。「わからない」という言葉は責任回避の意味をもち、「教えてください」は相手の考えを誘導する言葉である表現で、それぞれこういう議論では不適切だと知りました。
- 2点目の件については同意できますが、今回はその初版の削除のあり方についてもっと議論のうえ、後に同様な事例が発生しても納得のいくコンセンサスを得るべきだったと思っています。--Richard Pman
- いや、私も少し言い過ぎましたが、こと法律の問題に関する限り、ちゃんと根拠があって問題ないと言えないと存続にはなりません。ので、法律に関する問題についていえば、Richard Pmanさんはご自分の意見の著作権法上の法的根拠を一度も明示的に表明していいないので、私にはいい加減な意見のように思えるとだけ申しておきます。また削除したら再投稿が認められないわけではないので、Richard Pmanさんが「存続・再投稿」vs「削除」というように誤解されていらっしゃるのではないかと思います。そうではなくて「存続」vs「削除&再投稿」というのがウィキペディアでの対処の図式です。
- 「『昔昔あるところに云々・・・』という文章を、表形式の箇条書きにして『00年、xxにおいて、某氏は・・・』あるいは逆の場合もそうですが、ここにオリジナリティのある著作物となると考えます。」というのは編集著作物に関しては誤りです。どうしてそうなるかは著作権法第12条と削除依頼を確認してください。また今回は「初版の削除のあり方」については問題になっていません。問題は「著作権侵害かどうか」です。--Kanbun 2007年7月20日 (金) 08:24 (UTC)[返信]
- (インデント戻し)きちんと対応していただき勉強になります。私自身は幾つかの分野の法律に関しては過去に学習しましたが、著作権あるいは知的財産所有権に関しては、新しい分野のため深く学習はしていません。(私の所有する古いジュリストには判例は全く見当たりませんでした)
Kanbunさんの私の発言に対する求釈明への見解は下記のとおりです。
「法的根拠を一度も明示的に表明していない」件に関して
- 著作物の
- 編集著作物
データベース以外の編集物(著作権法上単に「編集物」という)で、その素材の選択又は配列によつて創作性を有するものは、著作物として保護する(12条1項)。しかし、このことは、当該編集物の部分を構成する著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない(12条2項)。
- 著作権の目的とならない著作物
以下に該当するものは著作物ではあっても、著作権の目的とならない(13条)。また、著作者人格権の対象にもならないものと解する。これらの著作物の内容は国民の権利や義務を直接形成するものであり、国民に広く周知されるべきものであるため、著作権の対象とすることは妥当ではないからである。
- 法その他の法令(1号)
- 国・地方公共団体の機関・独立行政法人が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの(2号)。
- 裁判所の判決、決定、命令及び審判、行政庁の裁決及び決定で裁判に準ずる手続により行われるもの(3号)。
- 上記1~3の翻訳物及び編集物(データベースの著作物を除く、著作権法12条1項かっこ書き)で、国若しくは地方公共団体の機関又は独立行政法人が作成するもの(4号)。
及び「小六法」、「これ」、「これ」、「これ」、「これ」らです。私の頭(理解力・能力or脳力?)ではこれらを読んでも、本件が著作物の権利を侵害したとは思えません。法曹系の友人知人には聞いていませんが、例に挙げた「昔々・・・」というのは、古い記憶ではありますが、論文の盗作問題を扱った法学の講義で聞き覚えがあったからです。
「「存続」vs「削除&再投稿」というのが図式」に関しては、理解不足かもしれませんが正直に申し上げますと、その過程に大きな差異は無く、どちらでも結果は同じではないかと考えています。
「今回は「初版の削除のあり方」については問題になっていません。問題は「著作権侵害かどうか」です」に関しては、他の方も混同しているようにも見受けられましたが違っていたらすみません。なお「著作権侵害かどうか」については上記の通り中心問題ととらえています。正直、前者についても疑義を抱いてはおりますが、決着・収束への混乱の元になるので、本件では以後「初版の削除のあり方」には言及しないこととします。--Richard Pman 2007年7月20日 (金) 17:55 (UTC)[返信]
- これの「(3) 編集著作物として保護されるための要件」を見ていただければ、おわかりになるかと思います。「本件が著作物の権利を侵害したとは思え」ないそうですが、それは年表に著作権が認められないと考えていらっしゃるからですか?上の抜き出しには本件に全く関係ない物もあります(法令うんぬんなど)。まずは本件で記事のどこが問題になっているかもう一度確認して、どういう点が争点となっているのかよく考えてみてください。現状でもRichard Pmanさんはこれらの法文の解釈を示していませんよね。法的根拠を示してくださいと言っているのは、ただ法文を羅列しろと言っているのではなくて、これらの法文を解釈して問題の是非を説明してくださいということです。
- 「『存続』vs『削除&再投稿』というのが図式」に関しては、理解不足かもしれませんが正直に申し上げますと、その過程に大きな差異は無く、どちらでも結果は同じではないかと考えています。」について。ウィキペディアがGFDLに基づくので、記事の履歴上大きな差異があります。この点を理解していらっしゃらないのであれば、今回なぜこの記事が削除依頼に出されたのかもわかってらっしゃらないのでしょう。まずは「GFDL」というウィキペディアの基本的な用語を確認し、Wikipedia:削除の方針の「著作権侵害への対処方法」部分、とくに「『事実のみの記述』である可能性はあるか確認してください。その場合、事実だけの記述であっても保護される場合があるので、事実の配列や選択や表記についても創作性を欠いていて、著作権保護の対象にならない、と言えるかどうか確認してください。」という記述とその前後をよく読んでください。その上で今回のケースが特定版削除や加筆修正で対応できる案件か、よく考えてみてください。--Kanbun 2007年7月20日 (金) 18:17 (UTC)[返信]
- 「年表に著作権が認められないと考えていらっしゃるからですか」については、そのようには考えていません。
- 著作物#編集著作物:データベース以外の編集物(著作権法上単に「編集物」という)で、その素材の選択又は配列によつて創作性を有するものは、著作物として保護する(12条1項)。しかし、このことは、当該編集物の部分を構成する著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない(12条2項)。12条1項の規定は「素材が単なる事実、データ等であっても、その収集、分類、選択、配列が編集者の一定の方針あるいは目的のもとに行なわれ、そこに独創性を見いだすことができれば、全体を著作物として扱う旨を明らかにしている」ことは十分理解できます。当然、一貫した編集方針基づく全体としての著作物の中から、ある一部を抜き出し、そのまま使用すれば当然侵害に当たりますが、本件はそのような状態ではなかったと判断します。あわせて著作物#著作権の目的とならない著作物:4号に該当するものとみなされ、本件は意図的に著作権を侵害した状態ではなかったと判断します。
- 削除の方針の「著作権侵害への対処方法」部分、とくに「『事実のみの記述』である可能性はあるか確認してください」について
- 「ある立場からその記事を執筆すると必然的にそのような文にならざるをえない、というような可能性はあるかどうか確認してください(例えば数学などの概念を説明する記事で、定義部分が一致するのは、この観点から問題がないと考えられる可能性があると思われます)」にあるとおり、「必然的にそのような文にならざるをえない」と判断でき、本件に関しては侵害には当たらないと判断します。
- 「今回のケースが特定版削除や加筆修正で対応できる案件か」については、加筆修正にて対処できえたものと判断します。
- GNU Free Documentation Licenseについて
- 「自由利用の維持の骨格」(GFDL の条件に従う限り、誰でも自由に文書を複製したり、改変したり、有料・無料を問わず配布・貸出をしてよい(第2条より)。GFDL のもとの複数の文書を結合してもよい)に基づき、本件の年表は翻案し構築された物であり、出典参考著作者の権利や名誉を侵害し損害を与える物ではないと判断します。
- 以上により、本件は著作権侵害の確たる事実は無かったと判断します。但し、それと誤解を招きかねない表現が使用されたとする申立て起こされたため、本件作者に対する見解を考慮した上、今後の判例ともなりうるので、慎重に審議し対処(削除)すべき案件であったと思います。--Richard Pman 2007年7月21日 (土) 07:01 (UTC)[返信]
- 「当然、一貫した編集方針基づく全体としての著作物の中から、ある一部を抜き出し、そのまま使用すれば当然侵害に当たりますが、本件はそのような状態ではなかったと判断します。」というのがわかりません。具体的に「そのような状態」とは何ですか。明らかな誤解を指摘すれば、編集著作物では、「著作物の中から、ある一部を抜き出し、そのまま使用」しても著作権侵害にならない場合も多いです。それがどういうケースか考えてみれば、今回の件の争点が明確になります。また編集著作物に発生する著作権は「表現の創作性」ではなく「データの配列、選択、体系性における創作性」です。データをそのまま使用すれば侵害になる可能性は高いです。
- 「『必然的にそのような文にならざるをえない』と判断でき、本件に関しては侵害には当たらないと判断します。」について。該当箇所がデータの選択において必然性が認められない可能性が高いことは私が削除依頼で指摘しました。その点についての理解も欠けていると思われます。
- 「あわせて著作物#著作権の目的とならない著作物:4号に該当するものとみなされ」については「国立大学法人」は「独立行政法人」とは異なりますし、元の年表は法令などの翻訳物または編集物ではありません。また「意図的かどうか」はこの場合関係ありません。より正確に表現するならば、今回の件には明らかな依拠性が認められることは明白です。
- GFDLについては、元の年表がGFDLにおいて提供された物ではないことを理解してください。引用であれば、また別の判断が可能ですが、削除された記事は情報の提示に当たって、引用の形式に遵っていません。Richard Pmanさんの見解は明らかな誤謬を多く含んでいるように思われます。
- 「『今回のケースが特定版削除や加筆修正で対応できる案件か』については、加筆修正にて対処できえたものと判断します。」今回なぜ加筆修正できないのかわかってらっしゃらないようです。GFDLの履歴継承を考えてください。--Kanbun 2007年7月21日 (土) 07:18 (UTC)[返信]
- 履歴継承を考える上で示唆的な議論は例えばWikipedia:削除依頼/Ichiro3302007でしょう。参照して考えてみてください。--Kanbun 2007年7月21日 (土) 07:39 (UTC)[返信]
- 「そのような状態」とは何ですか→ある一部を抜き出し、「そのまま使用した場合(コピペ、丸写し)」の意味です。
- 「データの選択において必然性が認められない可能性が高いことは私が削除依頼で指摘しました。その点についての理解も欠けていると思われます。」→「可能性が高い」のかもしれませんが、断定するに足る証拠があるとは思えませんでした。また「理解が欠けている」とは思っていないので陳述しています。
- 「明らかな依拠性が認められることは明白」→明白に依拠性が認められたとは思えないので嫌疑無しと判断しました。
- 「明らかな誤謬を多く含んでいるように思われます」→私は誤謬を含んでいないと思うのでその方向で意見を述べています。現在、中立あるいは客観的な観点から主張しているのではなく、「問題無し」の立場と観点から申し上げております。立場が違えば論拠とする事象や条文も変わることは、訴訟においても往々にして見られることです。この案件を日本語版ウィキペディア上で判定・解決するのは、ある権限を持った人または集団ではなく、ウィキペディアンの合議によるものと思います。--Richard Pman 2007年7月21日 (土) 09:43 (UTC)[返信]
- 「そのような状態」とは何ですか→ある一部を抜き出し、「そのまま使用した場合(コピペ、丸写し)」の意味です。
- 編集著作物の場合は、「コピペ、丸写し」であるかどうかではなく、情報の選択性と配列に基づいて判断されます。
- 「『可能性が高い』のかもしれませんが、断定するに足る証拠があるとは思えませんでした。また「理解が欠けている」とは思っていないので陳述」
- 私は本件でデータを抽出して、その過不足がほぼないこと、順番が全く同じこと、数字の桁数に至るまで同じことを指摘しました。これらはすべて選択可能なもので、必然的なものではありません。依頼をよく確認してください。また著作権侵害に関しては侵害の可能性があれば、基本的に削除していくのが基本です。なぜかといえば履歴継承の問題も絡むからです。実際に訴訟をやるわけではないので、削除については侵害の断定が得られるまで検証を続ける必要はないんです。しかし逆に問題ないという判断をするためには、問題ないという強固な証拠が必要です。
- 「明白に依拠性が認められたとは思えないので嫌疑無し」
- いい加減なことを。依拠性について勉強してから言ってください。今回の件で依拠性が認められないことはありえません。執筆者自身が依拠性を認めています。依拠性という言葉をご存知ないのでは?
- 「私は誤謬を含んでいないと思うのでその方向で意見を述べています。」
- 誤謬がないと思うのは結構ですが、今までの点で、明らかな誤謬を指摘しておきます。その誤謬を正さなければ、あなたの「問題なし」という見解は信頼できません。
- 元の年表は法令あるいはその翻訳物・編集物ではないので、著作権法第13条の例外には当たらないのに、例外にできるという判断をしている。
- 元の年表はGFDLで提供された物でなく、copyrightが宣言されているのに、元の年表をGFDLで解釈している。
- GFDLの履歴継承を考慮していない。
- 依拠性が認められないという主張をしている。おそらく依拠性という言葉も知らない。
- 編集著作物について正しく理解していない。
- 著作権に関する問題の解決が合意に基づくという誤解。
これについては「投稿した方の返事や著作権者の方からの連絡によって著作権上の問題がないと結論付けられることもあるので、削除依頼が出されても、1週間以内に削除されることは原則としてありません。しかし、1週間以上経ってもそのような形での問題解消がなければ、基本的にはページが削除されることになります。」(Wikipedia:著作権を侵害している投稿について)とあるように、問題が解消されなければ原則的に削除して問題ない形で再投稿というのが今までのウィキペディアの一般的な作法です。今回もこれにのっとっています。
- 以上です。もうすこしちゃんと考えてほしいです。--Kanbun 2007年7月21日 (土) 10:03 (UTC)[返信]
- いい加減なことを
- もうすこしちゃんと考えてほしいです
- 思いつきや気分で適当なことを申し上げているつもりはありません。法令判例を参考にしながら真剣に自分の判断として述べています。しっかり考えて慎重に書いています。
- 元の年表は法令あるいはその翻訳物・編集物ではないので、著作権法第13条の例外には当たらないのに、例外にできるという判断をしている。
- 元の年表はGFDLで提供された物でなく、copyrightが宣言されているのに、元の年表をGFDLで解釈している。
- GFDLの履歴継承を考慮していない。
- これらは認識の違いと思います。
- 編集著作物について正しく理解していない。
- 「正しく理解していない」という自覚はないですが、「100%正しく理解している」か否かの客観的検証は行ったことはありません。
- 依拠性が認められないという主張をしている。おそらく依拠性という言葉も知らない。
- 依拠性=既存の他人の著作物(原作品)を「利用して作品を作出」すること、と認識しています。しかし「元著作物が後著作物と偶然の一致をみても、著作財産権侵害にも著作者人格権侵害にもならない」という解釈があります。本件は、類似性は見られたものの、一字一句全く同じ物では無かったと思うので「明白に・・・」とはならないと判断しました。著作権侵害の有無を多数決で決めるなどとは毛頭思っていませんが、本件の場合、今回のような処置しか方法が無かったのが疑問でありました。
- 尚、申し上げておりますように、法令に関係する事項についての私の能力はこれが限界です。これ以上詰問されても、貴方がお望みの回答は得られないと思います。長期に亘り、法令を読み解く学習させていただきありがとうございました。以上です。--Richard Pman
(インデント戻します)たしかにRichard Pmanさんとここで法律について話し合っても、依頼にはあまり関わってこないと思います。ただし以下の点についてはRichard Pmanさんがこれからウィキペディア上で記事を投稿する際に必ず関わってくることですので、「認識の相違」で済ませてはいけないと思いますが。とりあえずもう一度指摘しておくだけにしておこうと思います。
- 元の年表は法令あるいはその翻訳物・編集物ではないので、著作権法第13条の例外には当たらないのに、例外にできるという判断をしている。
- 元の年表はGFDLで提供された物でなく、copyrightが宣言されているのに、元の年表をGFDLで解釈している。
- GFDLの履歴継承を考慮していない。
- 依拠性が認められないという主張をしている。
- 編集著作物について正しく理解していない。
- 著作権に関する問題の解決が合意に基づくという誤解。
少なくとも1.2.3.については「認識の違い」で済ませられる問題ではなく、ウィキペディアへ投稿する際に必ず考慮しなければいけないことです。
>「『元著作物が後著作物と偶然の一致をみても、著作財産権侵害にも著作者人格権侵害にもならない』という解釈があります。」について。
今回のケースは客観的に見て、初版執筆者は参照元として年表へのリンクを張っており、事前に参照していることが知れるので、偶然の一致によって内容が類似性を持ったものでないことは明白です。つまり依拠性が認められるということです。依拠性は著作権の問題ではほぼ必ず争点になる箇所です。これをいい加減にせず、Richard Pmanさんは慎重に見極めて発言する必要があると思います。「一字一句全く同じ物では無かったと思うので」というのは依拠性とは関係がありません。--Kanbun 2007年7月21日 (土) 14:22 (UTC)[返信]
私もつい語気を荒くしてしまってるかと思いますが、こういう著作権に関する基本的認識が不十分ですと、記事投稿に何かと悪い影響を及ぼすことになると思います。著作権の議論、今回の件はとくに難しい問題です。理解に不安があるのでしたら、安易に存続か削除に傾くことはせず、ちゃんと自分の意見に確信が持てる、確かな根拠を見つけて論理的に意見を表明してください。仮にここでいい加減な決定をし、あとで法的な問題が明らかになった場合、その間の加筆が失われたり、ウィキペディア自体が訴訟に巻き込まれる可能性もありえます。そうなれば意図せず他の多くの利用者が不利益を被ることになります。くれぐれも慎重な活動をお願いいたします。--Kanbun 2007年7月21日 (土) 14:40 (UTC)[返信]
(追伸)なおRichard Pmanさんの利用者ページを拝見して、「下人が盗人になる話←か否かの検証。(生き延びるためには)『盗人になるより外にない』←は、事実=『老婆の身包み剥ぎ取って』、だが結末部分は『行方は知れない』となっていて『強盗になった』とは結論づけてはいない。」という記述を見つけました。これ、ご存知かも知れませんが、『羅城門』初版を確認すると、興味深いことが分かると思いますよ。--Kanbun 2007年7月21日 (土) 14:48 (UTC)[返信]
- P.S.最後のパラグラフの意図は十分理解できます故、慎重に投稿するよう心がけます。また利用者ページまでお読みいただき恐れ入ります。『羅生門』における検証及び観点の相違による事実認識の違いにまで言及されありがたく思います。ああいった事柄についてきちんと考えている方がいらっしゃったということで感銘いたしました。ただ初版の結末については、学習時には、教授も含めゼミ生の意見の一致を見ずに終わったように記憶しています。機会があったらもう一度読んで見ます。--Richard Pman 2007年7月21日 (土) 16:22 (UTC)[返信]
- 『羅城門』初版の結末はこうです。「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急いでいた。」実を言うと、初版では下人はちゃんと強盗になったと書いてあるんですね。しかし今の結末のほうが私は芥川っぽいと思います。--Kanbun 2007年7月21日 (土) 16:43 (UTC)[返信]
- 貴重な時間を割いてお返事いただきありがとうございます。最近アカデミック(?)な会話をすることがないので、ある意味すっかり乗ってしまいました。そもそも『羅城門』を持ち出したきっかけは、ご存知のようにお見受けしますが、教育方法の1つ「羅生門的アプローチ」(ゴールフリーな教育活動)に付随して論議に上った物で、結末はどう終結してもよい(いい加減な意味ではなく)と考えるものです。即ち教育目標(これ自体も様々ありますが)と立てても、教育活動が指導案どおりに進まなくても、また「~ができる、理解する」という達成目標をクリヤできなくても個々の学習者が(教科の枠を超えても)なんらかの変容を覚えたら、もしくは観察者が変容に気づいたら、成果を得たと評価する方法です。ですから、例えば下人が色々行ったことに関して、学習者下人であった場合つまり主体的・主観的に見た場合と、観察者の立場から客観的に見たばあいを想像してみるとどうなるか。という学習法です。実際は「三角錐の形状の理解」や「経済の仕組み」であったりしますので「下人」は出てきませんけど。・・・という学習で考えたことがあったからです。
- かなり横道にそれましたが、「強盗を働きに急いでいた」のは事実だが実際に強盗になった否かは(強盗になった、盗みを働いたなどの表現が無いため)この文脈からは判断できないという意見と、単に京都へ向かったのではなく、その目的「強盗を働きに」が明記してあるのだから盗賊になったとする帰結が妥当だろうという話となり、最後はうやむやになりました。芥川がそこまで考えて書いたのかどうかは分かりませんが、観点によって物の見方や評価が変わることを学んだ物語の一つでした。長々と申し訳ありませんでした。--Richard Pman 2007年7月22日 (日) 06:14 (UTC)[返信]
- まあ文学的解釈になってしまうんでなんですが、まずは羅城門の以下の部分を読んでください。
- 「どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、築土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、饑死(うえじに)をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した揚句(あげく)に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人(ぬすびと)になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。」(『羅城門』)
- この作品では下人は「死ぬ」or「盗人になる」の二者択一の論理に追いつめられているわけです。したがって作品全体の論理からいえば、「死を選ばなかった」=「盗人になる」というのは、この作品内では明らかなことと思いますし、そもそもすでに老婆に引剥を働いてます。
- ゼミの内容はわかりませんが、調べてみると、この「羅城門的アプローチ」の「羅城門」は黒澤明の『羅城門』のことらしいです。おそらくそのゼミの教授が勘違いしてたのでしょう。--Kanbun 2007年7月23日 (月) 06:11 (UTC)[返信]
- まあ文学的解釈になってしまうんでなんですが、まずは羅城門の以下の部分を読んでください。
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