利用者‐会話:Pugnari
ウィキペディアにようこそ!
[編集]こんにちは、Pugnariさん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!
- ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
- よろしければ自己紹介してみてください。
- お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
- 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
- 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。
あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2006年5月29日 (月) 16:40 (UTC)
Image:Lute Tuning Baroque13.pngには著作権上の問題があります
[編集]一週間後、この画像は削除されます。 |
こんにちは。Image:Lute Tuning Baroque13.pngをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には著作権の状態またはライセンスが明記されていないため、著作権上の問題があります。出典とライセンスのないファイルは、削除されます。
ウィキペディアにアップロードされるすべてのファイルは、画像利用の方針に従っており、かつ詳細な出典とライセンスが明記されている必要があります。画像の著作権表示タグを参照し、適切なライセンスを表すタグを貼付してください。どうぞよろしくお願いします。
重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されます。 Kenpei 2006年7月4日 (火) 21:51 (UTC)
井戸端での発言について
[編集]有用な内容を削ってウィキペディアを破壊する行為は直ちに中止して下さい。自分のパソコンの環境で重いというのはやめてください。--Test0 2006年7月15日 (土) 23:03 (UTC)
- 「有用な内容を削る」とか「自分のパソコン環境で重い」とは主張しておりません。どこをどう読んだらそのように読めるのか、困惑します。--Pugnari 2006年7月16日 (日) 02:08 (UTC)
- 他人の批判は真摯に受け止め、反省するなり、反論するなりするのがマトモな人間のやることでしょう。そのような役人言葉で無視するような態度は反感と恨みしか買いません。211.133.18.215 2006年7月20日 (木) 04:38 (UTC)
「Project 性」
[編集]こんにちは。Maris stella と申します。「ノート:性的嗜好」での議論でお世話になりました。個人的意見としましては、ノート・ページも重くなりすぎて来ましたし、「infoweb-IP諸氏(一人かどうか分かりませんので複数で記します)」の主張する「性的嗜好」とは何か、結局、明確な定義がなく、すでにかの方々の主張は破綻したものと考えます。一旦、過去ログ化して、必要な文書や新しく始まった話を転記することで引き継ぎ、「性的嗜好」の記事やその他の記事などの今後のありかたについて、話のステージを移すのがよいとも考えております。
また、それとは別に、わたしはブースカ氏などと共に、「Wikipedia:ウィキプロジェクト 性」を造って、性に関連する項目・記事やカテゴリなどを整理する作業を行っています(現在は、カテゴリ編制をどうするか、議論しています)。あまり「性の記事」など関係がないことかも知れませんが、性の関連項目は非常に多様で、難しく、色々な方の意見をお聞きして、プロジェクトのガイドライン等を決めたくも思っております。カテゴリ編制案などは、現在、英語版のカテゴリ構造を調べているところで、なかなか進みませんが、非常に複雑な問題でもあるので、慎重に検討しております。もし興味があられましたら、「Wikipedia:ウィキプロジェクト 性/準備会議室」などを訪問して戴ければとも思います。また、多忙なことと存じ上げますが、プロジェクトの参加者に名を連ねて戴ければとも願います。多くの人の意見や同意の上で、あくまで成立するプロジェクトと思うからです(更に「ポータル:性」を造ることなども考えております)。以上、長く一方的な話ですが、ご一考の程、宜しくお願い致します。--Maris stella 2006年7月19日 (水) 23:02 (UTC)
- 近日中に訪問いたします。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 06:30 (UTC)
定義しようと懸命に書いている文章は一向に読んで頂いていません。私は全体を体系的に纏めるような力量はありませんからMaris氏の行動には、大変期待するところがありますが、いかんせん、思考が硬直しすぎであり、ご自身が理解できないものは排除することを繰り返されています。(違うと仰るなら、批判にたしひて反論くらいしたらどうですか?) せっかく寄ってくる協力者を追っ払うような振る舞いは今回を最後になさることをご忠告します。現在ウィキに来て記事を書こうなんてよってきている人はマダマダ偏った人達であり、現時点でのウィキ内での多数決に何の意味もありません。ブースカ氏にアイソつかされたら、お終いですよ。211.133.18.215 2006年7月20日 (木) 04:35 (UTC)
- それでは、IPさんがご自分で適切と思える定義をまず完全な形で提出してくださいよ。あなたが利用者アカウントをすでにおもちの方なのか、そうでないのかわかりませんが、Maris Stellaさんが努力しておられるプロジェクトの各地で、件のようなかみ合わない議論と検証不能な自説への固執を繰り広げたのでは、協力にも何にもなっていません。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 06:30 (UTC)
- 井戸端をご覧下さい。202.233.244.58 2006年7月20日 (木) 08:56 (UTC)
絶対音感・相対音感 について
[編集]私はこれらの記事の改訂も目指していますが、こちらも苦戦しています。 論理学を縦横に使える方に伺いたいのですが、 「数学には絶対数学と相対数学がある」と主張する人が出てきた際にどうやって論破しますか?211.133.18.215 2006年7月20日 (木) 04:35 (UTC)
絶対音感とは、音楽とは全く関係なく、実在する音のどれかを幼少時に記憶する現象を言う言葉です。 多くの場合幼少時の音楽教育で身に付けた人がその事(音を記憶した事)に気がつくので、音楽と 結び付ける人が多く、その果てに相対音感なる言葉が最近急浮上してきました。211.133.18.215 2006年7月20日 (木) 04:35 (UTC)
- あなたはほんとに議論のやりかたを知らない人ですね。それともわざと答えづらいように破綻した質問を投げ掛けているのですか?このような質問を、しかも論理の問題として投げ掛けるのならば、まず「絶対数学」「相対数学」の定義を述べてください。純粋に論理学的に言えば、無定義語を用いて構成された文章は論理命題ではないので、論理的に扱うことはできないのです。「100は大きい数である」とかいう命題を、「大きい」という言葉の定義を述べずに証明できますか?
- 私の意見をかいつまんで言えば、相対音感という概念は、絶対音感を補う概念として定義するというならそれはそれでありだとおもいますが。あと、絶対音感は音楽と全く関係なく、の部分は論理的に問題があります。詳しくは後ほど当該項目のノートに投稿します。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 06:48 (UTC)
- 絶対音感 相対音感の定義をしろ!と仰ってくださいよ。202.233.244.58 2006年7月20日 (木) 08:57 (UTC)
- 絶対音感の定義を試みました。ノートページへどうぞ。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 11:59 (UTC)
- 乗って頂いてありがとうございます。でも内容は正直ガッカリしました。音楽と数学のじれったい関係で楽しまれている方ではないのですね。202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 12:23 (UTC)
- また不明瞭な表現を使われるわけですね。「音楽と数学のじれったい関係」の中身を説明していただけなければあなたの言っていることは日本語として何の意味も成していませんよ。言葉の持つ意味を考えれば誰にでもわかる方法で表現しない議論の態度は、無責任ではっきり言わせていただければ未熟だと思いますよ。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 12:28 (UTC)
- 音楽の色々な要素は数学で説明がつくのですが、全体を説明しようとすると数学で説明できないところです。202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 12:45 (UTC)
- あなたは、音楽を数学で説明しようなどと大それたことを考えてらっしゃるのですか?私の意見によれば、音楽はサイエンスではありません。なぜあるメロディーを聴くと涙が出そうになるのだろう、ということを数学で説明するなどといったことを言い出すのは江戸の敵を長崎で、どころか、アムステルダムで、というような印象です。芸術の範疇に属することはまず芸術として論ずべきだと私は考えています。芸術は、論理や言語で説明できないから芸術なのです。芸術に関する知識は論理的に記述できますが、芸術の最も大事な部分は言語や論理を拒否しているとは思いませんか?もし芸術の核心を言語や論理で説明できるのならば、芸術よりも言語や論理の方が優れた対象だいうことになって、芸術の存在価値はなくなります。逆に、音楽を数理的に扱う観点も世の中に存在するのは事実でしょう。しかし、そのような研究をしている人たちは、音楽のすべてを数学で説明できるなどとは毛頭考えていないはずです。それが、数学者としてのまっとうな感覚です。私からはあなたは音楽のことも数学のこともわかっていないように見えます。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 12:58 (UTC)
- もったいないですね。数学は自然科学の科目の中ではもっとも芸術的なのに。
- 古代の楽器の作り方なんかは、やってることは数学の方程式を解くことをやっています。大変興味深いことです。
- 更に申し上げれば、バレエ等の芸術は元を正せばエロ的な見世物です。性と芸術とは分離不可能な関係です。
- 202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 14:18 (UTC)
- あなたは、音楽を数学で説明しようなどと大それたことを考えてらっしゃるのですか?私の意見によれば、音楽はサイエンスではありません。なぜあるメロディーを聴くと涙が出そうになるのだろう、ということを数学で説明するなどといったことを言い出すのは江戸の敵を長崎で、どころか、アムステルダムで、というような印象です。芸術の範疇に属することはまず芸術として論ずべきだと私は考えています。芸術は、論理や言語で説明できないから芸術なのです。芸術に関する知識は論理的に記述できますが、芸術の最も大事な部分は言語や論理を拒否しているとは思いませんか?もし芸術の核心を言語や論理で説明できるのならば、芸術よりも言語や論理の方が優れた対象だいうことになって、芸術の存在価値はなくなります。逆に、音楽を数理的に扱う観点も世の中に存在するのは事実でしょう。しかし、そのような研究をしている人たちは、音楽のすべてを数学で説明できるなどとは毛頭考えていないはずです。それが、数学者としてのまっとうな感覚です。私からはあなたは音楽のことも数学のこともわかっていないように見えます。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 12:58 (UTC)
インデント元に戻します。でましたね、また独自の説が。数学は確かに自然科学の中も特に芸術的だと私も思います。私はそれに魅せられて数学を志し、数学に芸術的な魅力があったからこそ今日までなんとかかんとか続けてこられたわけです。数学の営為そのものは、ご存知の通り、公理と定義に基づき、論理を手段として、命題を述べ、それを証明していくというきわめて論理的、言語的なプロセスです。しかし、数学の芸術性はその論理プロセスとは全く別のところにあるのです。何故その命題を発見したのか、なぜ、こんなうまい証明を思いついたのか、というところに数学の本当の醍醐味があり、天才はその「なぜ」の部分が論理で説明できないようなことを論理的に、しかも自由に繰り広げていきます。
古代の楽器の何がどのような方程式の解と関連してつくられたのか教えていただければと思います。ちなみに、古代ギリシアのことを仰っているなら、見当違いです。音楽の音組織とそこに連関する科学的現象を哲学的興味の下、数学と関連させて明らかにしようとしたのであって、音楽や演劇(古代ギリシアでは音楽と演劇は密接不可分でした)が人間の感情に与える影響といった側面を数学で説明しようとしたわけではないと思いますよ。
「元を正せば」とか「エロ的」とか曖昧な言い方ではなんとも申し上げられません。バレエの起源が何であったかご存知ですか?あるいは、太陽王ルイの時代のヴェルサイユでバレエがどのような機能を担っていたかご存知ですか?まさか、単にバレリーナのレオタード衣装を見て「エロ」とおっしゃってるのではないですよね?
確かに性と芸術は密接不可分です。それどころか、人間の生産的活動、創造的活動は少なからずエクスプリシットにせよ、インプリシットにせよ、性の問題と関連があると私も思います。そのことには強く同意しますが、あなたと私とでは、その密接な関係を明らかにしていく際の方向性というか、方法論というか、興味の持ちかたがまったく相いれないようです。わたしには、あなたの態度は論理的飛躍が多すぎるがゆえに安易に見え、この問題に総合的に、慎重に取り組もうとしているように見えないのです。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 14:53 (UTC)
「ウィキプロジェクト 性」での指針投票
[編集]こんにちは。Star of Sea (maris stella)です。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 性/準備会議室」において、性に関連するカテゴリ編制に関する一部について、プロジェクトとしての方針決定と方針に沿う編制実施を決めたく思います。賛否を取るのがよいと思いますので、投票を宜しくお願い致します。何を決めようとしているかは、プロジェクト・ページに記しています。それでは、宜しくお願い致します。--Star of Sea 2006年7月28日 (金) 12:56 (UTC)
転載ではなく、移動してくださいと申し上げたはずです。
[編集]あの項目はすべて論理的つみあげで今まで構成されていました。あなたの、個人的と名を借りる批判は、それによる結びはそれこそ印象操作なのですよ。同意文であるのなら、同意文である、留意点ならばそうであると、きちんとコメントしてください。 繰り返しますが、あのような文章の書き方、最後に個人的批判でくくるひとは、非常に、たいへん、多いですが、ディベートのルールに抵触するとか意識はないのでしょうか?繰り返します「移動」つまり転載は終わっているので削除してください。
確認しました。お疲れ様です。
実際、ご指摘のとおりだと思います。じょじょに丸くなるように努力しています。ただ、ゆきちさんとの議論の仕方を見て気づかれたかもしれませんが、ある程度、本質の部分でそれは往々にして相手が触ってほしくない本質の部分であるのですが、そこをあえて煽ることによって、相手を挑発し、本心を暴露させるという技に慣れすぎているのかもしれません。
今回の部分も、ない、と否定形にしたのは、本当にそうでないからです。もちろんないのでしょうか?というパターンもコメント時には考えますが、あえて論争を起こすように仕掛けるという意義があります。今回は結構見ている人も多いので、普段スルーしてごまかそうとする「現状維持派」つまり多くの削除バイアスの人たちですが、ぎりぎりの線で挑発しています。スルーならば結構で、実際あなたをはじめとする複数の人は参加していただけるだろうと思っています。今、公式にするかしないかの投票がありますが、私は、今回の論をもって反対票を入れましたし、影響は無視できないと思います。 --FXST 2006年9月9日 (土) 10:07 (UTC)
失礼します。抽象的な議論がお好きだというのは、わかりました。
しかし、私が苦労して論理展開している、文章で遊ばないでいただきたいとお願い申し上げます。 具体的には、あなたも合理性は理解されているはずなのに、でもやっぱりまえの「出典」というのに未練があるなあ、的なまったく建設的でない言及を意地になっているように繰り返されることです。すみやかに合意を図りたいと思います。 以前の状態から改善であると最初に書いておられながら、延々、なんか、でもね、論を繰り返される。意図はなんですか?
合意のうえ、議論を収束の方向へもっていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。--FXST 2006年9月9日 (土) 12:34 (UTC)
あまりにもまた意固地になっているので、こっちへ移動させました。本論でやる価値はないでしょう。--FXST 2006年9月9日 (土) 12:48 (UTC)
- それは「「出典」=印刷物というのは、早合点ではなくて、一般的に流通しているという事実」という点に同意しないからです。「事実」だと単に主張する事には意味がないと別の場所で申し上げました。もしも「出典=出版物」が一般的な認識だとしても、現行のWikipedia:出典を明記するをみれば2段落目早々と「執筆する際に、書籍や外部サイトを参照することがあるでしょう。そのときは、情報源を明記してください。つまり、参考文献(書籍や論文、ウェブページなど)の一覧を用意してください。」と書いてあります。そのことから、この文書のいう「出典」にウェブサイト・ウェブページが含まれる事は一目瞭然で、だからこそ事実誤認に「1秒ぐらいで気付いた」と書いたのです。あなたがいうほどWikipedia:出典を明記するへのリダイレクトはミスリーディングでもないし、害もないと思いますよ。Wikipedia:出典を明記するの翻訳作業にも手が付いているようですし、翻訳を完成させて、関係記事とのターミノロジーの整合性を付けるということでいいのではないですか?--Pugnari 2006年9月9日 (土) 12:39 (UTC)
証拠がないから同意しない、とexpectもそうですが、同じ手法ですね。今回は日本語です。基本的にどうでもいいのですが、氏出典といえば印刷物でしょうね。これは教養の範囲でもあります。
以下、省略します。1秒で気づこうがどうでもよろしいです。--FXST 2006年9月9日 (土) 12:48 (UTC)
未練その他についてはわかりました。
しかし、英語原文がSourceともっとも包括的であるのに注意してください。
日本語訳で一番近いのはソースです。次に情報源。なんかいろいろくっついている恣意的なのが出典です。--FXST 2006年9月9日 (土) 12:52 (UTC)
Pugnari さん、
どうも失礼いたしました。 まずあの「移動」がGFDLに抵触したようです。 当然、あなたも理解していただけるだろうと思いますが、悪意はなくミスであります。 そして、 このような 警告後明らかに不自然な即リバートがおこなわれている。管理者の名前はそこでわかると思います。 当然、GFDLに同意しない、などありえない選択であるのに、なぜかその線で管理行為が強行されている。
これはおそらく気づかれるでしょうが、一連の議論を見ていて快く思わない管理者の職権乱用行為です。 suisui氏のノートで経緯を質問してくれたのには、本当に感謝いたします。 ぜひ、経緯を明らかにするとともに、不自然な管理行動、管理権限悪用があれば、ぜひ疑義をどこかに提出してはっきりさせていただきたいと切にお願い申し上げます。
まったく不当であるので、できればFXSTアカウントに復帰できることを祈念しています。
FXST—以上の署名の無いコメントは、58.70.60.243(会話・履歴)氏が[2006-09-09 14:03:02]に投稿したものです(ikedat76 2006年9月9日 (土) 16:01 (UTC)による付記)。
投稿ブロック改訂案の修正草案作成のお礼
[編集]Pugnariさま、こんにちは。Anonymous000です。Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/改定案/Anonymous000の修正草案をお作り頂きありがとうございます。あちらにコメントをしようかとも思いつつ、うまく考えがまとまらないまま時間が経っていくため、取りあえずお礼に参りました。実は現在、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Asagiri_noruで無期限ブロックを依頼中であり、その経緯を見守っているところです。(被依頼者は、私自身は直接会話もしたことのない方なのですが、前から少し気になっており、その後、管理者掲示板に掲示されたまま2週間以上ブロックされずにいたことから、無期限ブロックを私が依頼したものです。)この方は、極めて偏った内容の編集を3ヶ月以上続けながら、ウィキペディアとは無関係と思われる外部の方の実名(らしき氏名)などを挙げて妄想的な誹謗まで行っていました。このため、私の目から見ると、ウィキペディア内部で偏った編集を繰り返したり、管理者批判・個人攻撃をしたりするユーザーよりも遙かに、色々な意味での対応が必要な方に思えて、依頼したものです。ところが、管理者も含めたコミュニティの反応は思った以上に鈍いようで心配しています(このあたりのチグハグさが、荒らしユーザーに対するISPの対応が鈍い大きな理由の一つではないかという考えが、最近強まってきています)。もし、管理者数の不足などから管理者掲示板が十分に機能しない場合があるのだとすれば、ユーザー依頼による長期(1ヶ月以上)のブロック依頼の道を残しておく必要があるように思ってきています。そして、ユーザー依頼の長期ブロックを復活させるのであれば、管理者裁量で2回目以降のブロックを無期限まで認めておく必要はそれほど大きくないのでは?、ともまた思い始めています。そのような思いと、「現実路線」とのかねあいも含めて、もう少し経緯を見ながら、ブロック方針の修正案をどこまで詰めるか考えをまとめようと思っています。考えがまとまったら、またあちらにもコメントいたしますので、今後ともよろしくお願いします。--Anonymous000 2006年10月12日 (木) 14:26 (UTC)
- しばらくぶりです。wikibreakされているのかなと思っていたところ、あちらの方のFAQにお目通しいただけていたため安心しました。そろそろ詰めの段階に入ってきており、Pugnariさまの冷静で建設的なご意見も不可欠だと考えています。もしよろしければご協力を頂けますと幸いです。 Pugnariさまの「リクツの通らない方との対話」は存じております。粘り強く話合いを続ける姿を私も見習わなければいけないな、と思っているところです。それでは今後ともよろしくお願いいたします。--Anonymous000 2006年11月3日 (金) 03:30 (UTC)
- こんにちは。いつも色々お世話になっており、ありがとうございます。投稿ブロック改正案修正の議論に関しまして、Ks_aka_98さんから、従来方針と改定案を折衷させた新方針用の「草案」(利用者:Ks_aka_98/ブロック依頼私案)を作っていただきました。Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/改定案/Anonymous000#さらなる改訂案で、「/Anonymous000ノート」等を表裏で貼り合わせて「新ページ」へ移動することを検討しています。Ks_aka_98さまからは新ページ移動等についてのご了承をすでにいただいており、現在議論への参加者を募っているところです。Pugnariさまには別件でも大変お世話になっており、私としてもそろそろそちらをまとめようと思っている時期ではあるのですが、それと並行してブロックの方針についても、ひとまず新ページへの移動(=ページ名決定と、できればログのメンテナンス)くらいまではしてしまおうと思っております。お忙しい中大変恐れ入りますが、もしよろしければ、Pugnariさまにも当該ページでの議論に参加いただけますと幸いです。--Anonymous000 2006年11月16日 (木) 14:01 (UTC)
- Pugnariさまをはじめ、皆様が驚異的な勢いで新たな文書を翻訳してこられるのをみて驚いております。今回はわざわざのご挨拶ありがとうございました。実は2つお願いしたいことがあってまいりました。1つ目は推敲の協力者を募集しています(「補足」に記載している簡単なものでよく、いわゆる「typo編集」を募集しています)。もう1つは事例(一番下)に記載しています。渡りに船で色々とお願いして申し訳ありませんが、よろしければご協力をお願いいたします(後者は以前お話ししたことがある、新たな「LTA:VIP/LTA」化の防止策になるのではないかと私は思っています)。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 17:09 (UTC)
「ウィキプロジェクト 性」での指針提案
[編集]こんにちは。お久しぶりです。Star of Sea (maris stella)です。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 性/準備会議室」において、性に関連するカテゴリ編制に関する一部について、プロジェクトとしての方針決定と方針に沿う編制実施を決めたく思います。その前提として、カテゴリ設定案を提示しています。議論の上で、指針案を決め、次に投票により、賛否を取るのがよいと思います。何を決めようとしているかは、プロジェクト・ページに記しています。なお「Wikipedia:ウィキプロジェクト 性/お知らせ」のページも参照願います。Naoki画像関係の削除依頼が膠着していますので、これについても意見を賜ればと思います。宜しくお願い致します。--Star of Sea (Maris stella) 2006年10月18日 (水) 14:51 (UTC)
出典
[編集]芸大アカデミズムの件、演奏なら中村紘子著「チャイコフスキーコンクール」、作曲なら「青春の音楽 原田力男の仕事」、ユリイカのブーレーズ特集の松平頼暁の寄稿文にその一部始終が暴露されています。特に松平さんの文章は「なぜ『古典の真理は永遠だが、前衛の真理は有限だ』と、勝手に思い込めるのだろうか?」と厳しいコメントを寄せております。原田さん関係は残念ながら非売品ですが、大学図書館で見つかるかもしれません。--Noda,Kentaro 2006年11月7日 (火) 06:37 (UTC)
- うーん。ですから、Noda,Kentaroさんが引用された松平頼暁の寄稿文の記述では、日本の作曲の「ある種の潮流」に対する批判が存在している証拠にはなっても、それを「芸大アカデミズム」という呼称の下に体系化された批判の一環であるとは証明できないんじゃないですか?--Pugnari 2006年11月7日 (火) 06:46 (UTC)
だから、その寄稿文を、読んだの?読んでその発言なら仕方がないが、読んでいなかったらタグを貼るほうが荒らしである。--Noda,Kentaro 2006年11月7日 (火) 07:37 (UTC)
- まあNoda,Kentaroさんの主張にも一理あります。でも、これは嫌がらせでやっているわけでも何でもなくて、記事の内容や体裁に問題があると、まじめに考えてのことなんですよ。今すぐは無理なので、今度チャンスがあったらバックナンバーを読むとしましょう。ですが、修正依頼のテンプレートだけは剥がしちゃダメですよ?あと、そこに「芸大アカデミズム」という語が出てくるか否かはYesかNoかで答えられると思いますけど。さらに、出典として参照する体裁に問題があるとは思いますが。何度も言うように、「参考文献」の節を立ててくださいよ。--Pugnari 2006年11月7日 (火) 07:44 (UTC)
しかも、間久部さんは楽理科にたいする攻撃などと錯誤を繰り返しており(一文も楽理科への攻撃はない。当時の楽理科は小泉文夫がいたので現在よりもはるかに濃く充実した授業であっただろう)、根拠のない主張で修正依頼を行っているのはOKなのですか?--Noda,Kentaro 2006年11月7日 (火) 07:59 (UTC)
- そう思うのであれば、そのようにノートページなり、間久部緑郎さんの会話ページに発言されればいいのではないですか。それで、間久部緑郎さんが納得されれば、修正依頼は取り下げとなるかもしれません。僕自身はNPOVに関して修正、推敲が必要だとは思いますが。いくばくかの文献上の根拠があるとはいえ、wikipediaは、Noda,Kentaroさんの自説、あるいは、一方的な価値判断を公開する場ではないのですから。中立的で検証可能な記事になれば誰もそんなことはしません。--Pugnari 2006年11月7日 (火) 08:08 (UTC)
これは自説でもなんでもない!--Noda,Kentaro 2006年11月7日 (火) 08:18 (UTC)
- あなたがいくらそう叫んでも、文章から読み取れる意図は隠せません。だからこそ間久部緑郎さんは修正依頼を出されたし、私もNPOV違反を指摘しているのです。中立的な意図・観点で同じ現象について記述してもだれも、Noda,Kentaroさんの「自説だ」などとは言いませんよ。--Pugnari 2006年11月7日 (火) 08:24 (UTC)
でも、間久部さんの出し方はどう考えてもNGだよね。証拠もあるし。それくらいも認めないというのは、管理側のなんらかの圧力があるんだろうが、もうちょっとウマイ誘導で私を釣ったらどうかね。--Noda,Kentaro 2006年11月7日 (火) 08:26 (UTC)
- 私は間久部緑郎さんがどういう考えかよく知りません。修正依頼ページに間久部緑郎さんが書かれたコメントについてはもっと違った言い方があったかなと思わないでもないですが。ただ、NPOV違反気味な記事だから修正が必要だという意見では私と一致しているのでしょう。修正依頼は、関心のある利用者の貢献を広く求めるものですから、悪いとは思いません。ですが、修正よりもまず、ノートページでも申し上げましたが、移動してより広い範囲をカバーできる項目名にすれば、自動的にNPOV確立の可能性が広がってくると私は思いますけれども。--Pugnari 2006年11月7日 (火) 08:33 (UTC)
合意なくテンプレをはがすなというのは、何様のつもりか?管理側はうそもつけて、出典も読まず、タグを貼ることが出来るのか?こちらこそもう一度言う。「出典を読まないものがタグを貼るな」--Noda,Kentaro 2006年11月8日 (水) 04:50 (UTC)
出典2
[編集]アドラー先生は、サンディエゴ分校で幾つか紀要にシャム音楽のことについて書いてるのがあるから、それ読んできて。いますぐ。--Noda,Kentaro 2006年11月18日 (土) 17:47 (UTC)
Wikipedia:外部リンクの選び方について
[編集]井戸端の告知欄を読み、Pugnariさんの編集を拝見ました。Wikipedia:外部リンクの選び方の立ち上げありがとうございます。私は国記事(フランスなど)が好きでよく細かい加筆を入れておりますが、宣伝リンクが目立ち困っていたところです。「Wikipediaでは、ある項目についてより深い知識を得る、出典を示す、もしくは図表、写真、統計資料を参照することを目的に外部のWebサイトをリンクしております。ただし、商品・サービスの宣伝、広告、販売を目的としたWebサイトは例外です。編集の際は、どのような外部リンクが相応しいのか、検討して頂けないでしょうか。」などという文章を投稿者のノートページに細々と書き込んでおりました。Pugnariさんの努力によって、広告リンクをよりうまく抑えられると考えます。感謝します。---Redattore 2006年11月26日 (日) 09:59 (UTC)
事象そのものへ
[編集]ウィキメディア・プロジェクト内のユーザ類型で"talkpage troll"というのがあるそうで、もうすでに体感としてはご存知だろうと思うのですが。
そういう方々はたんに議論がしたいだけで何かを現実になさりたいわけではないようです。手ごろなところで切り上げたほうがよろしいかと存じます。
では、おやすみなさいませ。--Aphaia 2006年12月2日 (土) 16:00 (UTC)
- どうもわざわざありがとうございます。"talkpage troll" なのかもしれませんが、実質的な議論の進行を妨げる活動を各所で展開されては困るので、ある程度の対話も必要かと。対話を十分に行ってからでなければ、つぎの「対処」に移る事が出来ませんからね。--Pugnari 2006年12月2日 (土) 16:19 (UTC)
- もしかして、私の事なんですか・・・? そんな・・・。たんに議論したいだけじゃないですよ。あれは私は、意味があると思って・・・ 本当なんです。キリカ 2006年12月4日 (月) 16:56 (UTC)
感情を刺激するテーマは取り扱うのが難しい
[編集]バカになんかしてません! どうしてそんな事言うんですか? 「あるとしますよね?」や(比喩)だって、ちゃんと言ったじゃないですか、また誤解されるんじゃないかって恐かったのに、私は「感情を刺激するテーマは取扱いが難しい」って、言っただけなのに、本当にバカになんてしてません。お願いだから信じて下さい。言い逃れなんて言われたら、どうやって考えを伝えればいいのか分かんないですよ。何も言えなくなっちゃう。この書き込みも「Wikipedia:コメント依頼/キリカ」に出しても構いません。わたし、能力について疑問を呈しただけです。悪意なんてないもん。バカにする気持ちなんてないもん。キリカ 2006年12月4日 (月) 16:56 (UTC)
質問です
[編集]なれなれしくノートに押しかけ恐縮です。実は朝鮮史そのものについてではなくルールに詳しくなく教えて欲しいのですが、ノート:三・一独立運動上にある中立的な観点を読んでみると、少数派の意見を多数派と同程度の比重でもって書く必要はないと書かれていました。今日図書館で三一運動の研究を調べていたのですが、やはり暴動として認定しているものは学術研究中には管見の限り有りませんでした。詳しくは向こうのノートに書きますが、仮に私の言うことを認めていただくとして、杉本幹夫氏の研究は非常に稀少であるから注で十分という主張は通りますでしょうか。南京大虐殺などは少数派の意見を注にすら挙げていませんし、少数派であることを認定すれば可能だと思うのですがどうでしょうか。--Tears for Asia 2006年12月9日 (土) 10:20 (UTC)
- そうですね。ですが、少数派であるかどうか認定するのは難しいんじゃないでしょうか。本もたくさん出ているし、保守系の雑誌にもその手の記事は毎月のように出てますし、自由主義史観研究会にも大学の教師が交じっていますから、それを理由に自由主義史観を主張する人々が強弁すれば、管理者がこの人たちを「排除」でもしないかぎり、話し合いでの合意は難しいでしょう。自分が認めたくない話は徹底的に排除するのが彼らのやり方でしょう。私は経緯を詳しく存じ上げていませんが、南京大虐殺では南京大虐殺論争があるからだと理解しています。実際、「自由主義史観」の歴史認識はアカデミズムの外ではかなりの猛威を振るっているようにも見えます。特に、ネット上の言論空間ではその傾向は強いような気がします。無論、統計を見たりしていっているわけではないので単なる感覚に過ぎませんが。
- ですので、私が思うには、さしあたって記事の構成を、事件、事象の推移→歴史学で支配的な見解→自由主義史観の見解、といった章立てにしてはどうかとおもいます。自由主義史観が排除されるべきものかどうかはウィキペディアの関知しないところなのだろうと理解しています。英語版やドイツ語版でのホロコーストの取り扱いなんかを参照してみれば、ウィキペディアとしてのスタンスがわかるかもしれません。
- 20世紀前半のアジア関連の問題の記事は、ウィキペディアの最も苦手とする分野だと思います。過度なナショナリズムと歪曲された歴史解釈をウィキペディアから締め出すには、すくなくとも個別の記事で投票などを行って合意形成をしなければならないでしょう。歴史関連の全ての記事でそれを行うのは難しく、一旦合意形成をしてもしばらくしてまた記事を改悪しようとするものが現れるでしょう。
- Med.Com. や Arb.Com. が存在していない現状では、慢性的な保護、この賽の河原の石積みのようなサイクルから抜け出すには、最終的には完全に両論併記にするか、
それでなければ「第2次世界大戦における日本人、日本政府ならびに日本軍の非人道行為に対して、査読付き学術論文に掲載されていない出典に基づいてこれを過度に軽減したり、否定したりするような言説に基づいて事実認定してはならない」とするコミュニティーの一般的合意なり、ジンボ・ウエールズの鶴の一声なり何なりが必要だと思います。もちろん、それを目指して積極的に活動してみるというのもありだと思いますが、これはウィキペディアが置かれている実社会との連関にもかかわる大きな問題になりそうです。Tears for Asia さんはいかがお考えですか?--Pugnari 2006年12月9日 (土) 10:46 (UTC) - 追記:WP:NPOVを読み返してみたのですが、やはり、特定の観点を方針として明示的には排除しないというのがウィキペディアの立場のようですね。--Pugnari 2006年12月9日 (土) 11:37 (UTC)
- 単純に考えすぎているのかもしれませんが、向こうのノートにPugnariさんが書かれているように、加筆に際してはある程度学問的権威のあるものに依らなくてはならないはずです。とするとかなり対象となる研究著作が狭められると思うのです。「「自由主義史観」の歴史認識はアカデミズムの外ではかなりの猛威を振るっているようにも見え」ても同等に扱う必要はないと感じます。そもそも査読雑誌に掲載されているものも少ないですし。この点に関しWikipediaのルールに援用できそうなものは無いのでしょうかね。まぁこれは自由主義史観全体の話なので、言われるとおりちょっと早急な解決は難しいでしょう。大きな問題ですので、それなりの覚悟が必要でしょうが、今のところ三一運動に限定したいと思います。(以前Matunamiさんが確かそういうルール作りをされようとした記憶は有るのですが、結末は知りません)
- 三一運動のことに限定すると、三一運動を運動とするか暴動とするかなどは、数的に明らかだと思います。というのも『史学雑誌 回顧と展望』(一年間の研究動向をまとめたもので歴史関係では権威があります)の朝鮮部分を一通り、ここ何十年分も見た限り暴動とみなすべきなんていうのは有りませんでしたし、「現代歴史学における三一運動」(1980)という研究史整理に重点をおいた論文にも書いてないんですよ。この辺はIosifさんの方が詳しいでしょうが。とにかく運動としている研究を逐一挙げていって、それを超える暴動と認定している論文・研究を挙げられなければ、(挙げることなど不可能でしょうが)、多数か少数かは明白だと思います。無論一端本文を私の言うようにしても、後ほど暴動認定論文を彼等が列挙できればその時文意を変えるのは異議ありません。もう一度申しますと、杉山氏の研究を記載しないというのではなく、注にて言及するということです。学会で一顧だにされないものを多数派意見と同等の分量で書くというのも独自の研究あるいは印象操作にあたると感じるから、というのが理由です。
- かなり楽観的な、苦労知らずの意見だろうなぁと我ながら書いていて思うのですが、とりあえずせっかく休日つぶして図書館で多少の時間とお金を浪費したので、上記の路線を主張してみようと思います。お答えくださりありがとうございました。--Tears for Asia 2006年12月9日 (土) 11:47 (UTC)
- 写真の件、本当にありがとうございました。三一運動の記事素案、やや止まっています。申し訳ありません。ただ(待っても無駄かもしれませんが)、ある投稿者がブロックされてからの方がいいかなと考えていまして、少しお待ちください。必ず使わせていただきます。重ねてお礼申し上げます。--Tears for Asia 2006年12月18日 (月) 13:13
意見投票について
[編集]このたびは驚かせてしまいまして申し訳ありませんでした。意見投票では説明不足もあったかと思い、その点につきましては当方に落ち度がありますが、意見投票は議論ではありません。特に今回の意見投票で出た意見にPugnariさん自身が反論する必要があると感じているのであれば、投票後のIARの議論で表明していただけるとよいと思います。またIARの必要性を強調したいならば、改めて自分のコメントを編集する形にし、誰かの意見に対する反論であるというのは差し控えるようお願いします。なにとぞご理解のほどをよろしくお願いいたします。--Kanbun 2006年12月13日 (水) 15:10 (UTC)
回答
[編集]おはぐろ蜻蛉です。質問の件ですが
- User:Noda,Kentaroさんの靴下と判断しました。
- 早急とは考えていません。ML等での振る舞いを考慮すると早めに対応しないと混乱が拡大する一方で収拾がつかないと考えました。--おはぐろ蜻蛉 2006年12月17日 (日) 10:56 (UTC)
コメント依頼について
[編集]Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:コメント依頼/Noda,Kentaroにより緊急削除が行われた際に貴方の投稿も巻きこまれて削除されてしまったので、お手数ですがコメントの再投稿を行ってください。--Snow steed 2006年12月19日 (火) 13:03 (UTC)
- わざわざおしらせありがとうございます。ーーPugnari 2006年12月19日 (火) 13:12 (UTC)
「投稿ブロック依頼/Penpen」への参加のお願い
[編集]2007年7月19日(木)19:49(UTC)(20日04:49(JST))よりWikipedia:投稿ブロック依頼/Penpenで審議が行われていますが、関係者の数に比べて参加者が少ないように思います。つきましては、上記審議への参加をお願いします。ついでといっては失礼ですが、これに関連してコメント依頼を出しておりますので、よろしければWikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Penpen#コメント依頼についてにも参加お願いします。(資源節約のためテンプレートにしています。あしからずご了承ください。)Penpen 2007年7月20日 (金) 12:35 (UTC)
執筆室
[編集]おひさしぶりです。依頼により執筆室の削除をしました。履歴が重なることについては、それほど気にすることなく、白紙化でもよいと思います。もし、お望みでしたら復帰しますので、お声かけください。あるいは、いっそローカルのエディタで下書きするほうが楽かもしれません。そちらもご一考ください。--Ks aka 98 2007年8月14日 (火) 19:36 (UTC)
- 削除およびアドバイスありがとうございます。--Pugnari 2007年8月15日 (水) 03:26 (UTC)