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Wikipedia:コメント依頼/キリカ

キリカ氏の行動についてコメント依頼します。Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいWikipedia:井戸端などでウィキペディアコミュニティは百科事典をつくるプロジェクトという目的から外れた論争になっており、このままでは解決が難しくなっております。--Michey 2006年12月3日 (日) 14:22 (UTC)・Anonymous000によりリンク修正(井戸端のサブリンク追加等)--2006年12月3日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/キリカを提出しました。お知らせまで。

問題行動

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節立て、Micheyさんのコメントより抽出--スのG 2006年12月3日 (日) 15:41 (UTC)[返信]

他にも、以下の場所も参照願います。--Michey 2006年12月3日 (日) 14:22 (UTC)・Anonymous000により管理者伝言板を追加・会話ページにサブリンクをつけました。)2006年12月3日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

Micheyさま、コメント依頼の作成ありがとうございました。

参照場所の追記です。「大きな改変を独断専行した」例を挙げます。

--スのG 2006年12月3日 (日) 15:41 (UTC)[返信]

Anonymous000による追加資料

コメント

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  • (節名変えます)見るに、キリカさんの一連の発言には、抽象的で不明瞭、かつ具体性と論理性が欠如した長文が目立ちます。さらに他ユーザーに対して不穏当な発言を重ね、そのような自らの行動の正当化を(やはり不明瞭な文章で)試みるに至っては、キリカさんと対話を実質的に成り立たせるのは非常に困難と思わざるを得ません。端的に評価すればこんなところでしょうか。--スのG 2006年12月3日 (日) 15:41 (UTC)[返信]
  • 意味不明な(尤も、本人は奥深い真理を探究してらっしゃるつもりのようですが)発言で対話が成り立たない事自体については、まあそういうこともあるだろうと思います。ただ、本人は否定していますが、暴言ともとれる、少なくとも礼儀を失した発言が各所で見受けられる事は見逃せない点であると思います。上記の案件などに見られるように、実質的な編集、方針についての議論などを著しく妨害する行動は、「議論荒らし」の域に達しています。とりあえず、キリカさんに
    1. 百科事典としてのウィキペディアの質の向上を意図して活動してらっしゃるのか(他の目的を持ってはいないか)。
    2. もしそうであれば、その際に、他のユーザーを尊重し、コミュニティーとある程度対話を成立させる意思があるのか。
の2点を明らかにしていただきたいと思います。もしこれらの質問に対して答えがNOであり、現状のような「議論荒らし」が続くようならばお引き取りいただくしかなさそうに思います。--Pugnari 2006年12月3日 (日) 16:10 (UTC)[返信]
  • (コメント)投稿を再開されたようですので、キリカ氏にはこの質問にもお答えいただく存じます。お忘れのことなのだろうと思いますが。それとも「わたし、能力について疑問を呈しただけです。悪意なんてないもん。バカにする気持ちなんてないもん。」(差分よりキリカ氏のコメントを引用。太字は引用者による強調)というのがご回答でしょうか ?--Anonymous000 2006年12月5日 (火) 00:40 (UTC)[返信]


  • キリカさんは、ご自分が考えたことやご自分の発言がみんなに受け容れられないと落ち着かず、いろんなことを妄想し、行動を起こし始めるようですね。ウィキペディアのような共同で作業していかなめればいけないようなプロジェクトには向いていないのではないでしょうか。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいの議論で、キリカさんは、「ルールすべて無視しなさい」というページ名が誤訳であると2006年11月24日 (金) 14:07 (UTC)に提言しましたが、今のページ名「ルールすべてを無視しなさい」になった経過が示され、ページ名が「誤訳」ではないことを説明されて自分の提案が受け入れられないことが判明すると、今度はルールの内容から議論していくのはおかしい、ページ名から先に決めていくべきだと反論を始め、今まで議論してきた経過を無視した様な「Anonymous000さんの参考に出した資料は明らかに偏ったものですね。」との攻撃的な発言をし、議論の蒸し返し、攪乱させようとの意図のある発言を始めています。これは、このコメント依頼に至る初期のことですが、このようなユーザーは、今後も混乱を持ち込み、荒らしとなる可能性が高く、コミュニティーを疲弊させるばかりで、行動の改善が望めないと考えます。残念ですが、お引き取り願う以外に方法はないように思います。--Kemonomichi 2006年12月4日 (月) 02:31 (UTC)[返信]
  • キリカさんを弁護するようなことを書くのはかなり勇気がいるのですが、コメント依頼ということなので思ったことをそのまま書いてみます。キリカさんの一連の発言(「Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい」と、キリカさんおよびAnonymous000さんの会話ページを読みました)を読んだかぎり、不明瞭・意味不明であるとか、論理性が欠如しているなどとは思えなかったです。「Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい」においては、ご自分の考えがなかなか理解されないために、先ず相手に理解してもらおうとたとえ話なども持ち出して説明しているのでしょう。そのため一時的にその議論の主題からそれているように見えただけのように思いました。また、キリカさんは、そのページにこれ以上書き込まないようにとAnonymous000さんから「警告」を受けましたが、その警告を尊重してそれ以降書き込んでいないようです。他のユーザーを尊重していないとも一概にはいえないかと思います。--へのいち 2006年12月4日 (月) 11:24 (UTC)[返信]
  • 個人的な見解としては、Anonymous000さんが侮蔑的と感じる言質を述べて、それを指摘されても謝罪せずに相手の会話ページでさらに自己正当化を試みる態度は適切であるとは思えません。私個人が「議論が脱線しているので、できれば文案に即した議論をしてほしい」や事前に本人が「人格攻撃」ととられかねない例を出すかもしれないという発言に対しては「個人攻撃ととられる表現はしないでほしい」とお願いしたのですが、それを全く無視していることなどが大変問題だと思います。用語の不明瞭さに関しては、(私には具体性が欠如しているように思われたので、明瞭とは思えませんでしたし、その論理構造も私の普段慣れしたんだ論理的な発想からあまりにも飛躍しすぎていたように感じられましたが)議論の過程で明瞭な意味内容が把握できる可能性はあったとは思われますので、この点についてはあまり問題視はしていません。少なくとも自分の不用意な発言に対して、開き直りともとれる態度を取って反対に相手を非難するのは、(仮にキリカさんの論理的な思考が完璧であったとしても)議論をする態度としては失格と思います。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 11:59 (UTC)[返信]
  • (再度コメント)ただ1点だけもう一度指摘したいのは、キリカさんがIARのノートで行った議論は、およそその意図も着地点も明確でないもので、それに対するKanbunさんはじめ軌道修正を求めるコメントに対してもまったく呼応せず、間接的ながら自分の意図がわからないのはまわりがバカだからだ、という文言を公の場に公表したことは確かだという事です。それがたとえ話だといっても、それはただの言い逃れで、実名で散々犯罪者の半生を暴露しておいて、最後に「この物語はフィクションです」といっても通用しないのと同じ事です。その意味で、他のユーザーを尊重していないとも言えます。哲学的論考(もどき)がやりたいのであれば、別のところでなさればいい、だけど、方針文書の議論などただでさえデリケートな話をしているところで収拾がつかなくなるような発言を繰り返しては迷惑だという事です。即座に処分が必要だとは思いませんが、今後の動向を注視したいと思います。--Pugnari 2006年12月4日 (月) 12:31 (UTC)[返信]
  • (コメント)「IARのノート」の議論に限ってコメントします。今読んできたところですが、少なくとも前半は私には大変良く分かるものでした。自分が漠然と感じつつ、とうてい言葉には表せなかったイメージを明確にしていただいたように受け止めました。「#コミュニティーとコモンセンス」以降に、いささか誤解を招く表現があったために、ことがこじれてしまったのだろうと思います。--miya 2006年12月4日 (月) 17:13 (UTC)[返信]

改めて問題行動の資料を呈示

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IARのノートに限って行われたというmiyaさんの上記コメントと、セカンドオピニオンにはいささか疑問を感じますので、改めて資料を呈示します。IARで議論中に、白紙化に近い編集独断で行い、それをリバートされ、それに対する疑義に対して、「心配りが足りなかった」と謝罪された方(miya氏の会話ページ参照)のお知り合いという出所不明な「大学生」の伝聞もよいですが、もう少し検証可能なウィキペディアンによるコメントをお願いしたいと思います。--Anonymous000 2006年12月5日 (火) 00:40 (UTC)下線部追加--2006年12月5日 (火) 01:07 (UTC)[返信]

  • Anonymous000の会話ページへの「わたし、能力について疑問を呈しただけです。悪意なんてないもん。バカにする気持ちなんてないもん。」というキリカ氏によるコメント(と思われるもの)。
  • キリカ氏の利用者ページでのキリカ氏の見解
  • (参考)自己紹介用の印判箱(2006年10月に「大きな改変を独断専行した」際の井戸端での「議論」の際の前歴

コメント2

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  • (コメント)私からみたキリカ氏の行動パターンは、「自分が良かれと思ったことは、他人の迷惑を全く顧みることなく独断で行う(カテゴリの大幅変更・例えばかりで意味不明の長文)→他のユーザーから注意を受ける→注意を受けたユーザーに対して「居直り」としか思えない攻撃的な言動を行う→さらに他のユーザーからブロック等の警告を受けると共に、かけた迷惑の尻ぬぐいを親切なユーザーからうける→さすがに「やばい」と思ってか、泣き脅しと謝罪→コミュニティに大きな不快感と混乱を残す」というパターンを、何の反省もなく繰り返しているように私には思えます。ちなみに私は謝罪いただくより、コミュニティから自発的に去っていただく(ROMに徹する)ことを要望していますが、自発的にお去りにならないのであれば「無期限も含めた投稿ブロック依頼」をする必要性がないか皆様のご意見をいただきたいと考えております。--Anonymous000 2006年12月5日 (火) 00:40 (UTC)[返信]
  • (コメント)私なりに問題点をまとめます。「独断専行」は改善されているようです。「意味不明」は現在の利用者ページを見る限りは改善されているようです(意見に賛同はしませんが)。「論理不明」はまあ。最大の問題は「侮蔑」です。形式的な謝罪も必要でしょうが、私個人としては暗号を必死に楽しく解読しているにもかかわらず、議論の相手を見下す人と議論したくありません。また、IARの件はどうみても侮蔑に思えるのですが、今後の参考のためにも、そうではないと思われる人はその可能性について論理構成を示してほしいです。前置きがあるとか「見える」と書いているとか、そのような論理構成では納得できません。私が理解するところ、「常識を語るには前提となる理解が必要」→「理解がないのに語る人がいる」→「頭の弱い人に見える」→「人によっては犬に見える」のどこが違っているのかをご指摘願います。--Zz2 2006年12月5日 (火) 03:09 (UTC)[返信]
  • (質問)Miyaさんに質問です。Miyaさんは上の方で「『#コミュニティーとコモンセンス』以降に、いささか誤解を招く表現があったために、ことがこじれてしまったのだろうと思います。」といっていますが、どのようなことでしょうか?具体的でないのでよく理解できません。私の質問も漠然としていて答えにくいようでしたら、次のように区切って考えて頂いても良いですよ。「いささか誤解をまねく表現」とはどの表現を指していっているのでしょうか? また、「ことがこじれてしまった。」とはどのようなことがこじれてしまったのでしょうか?済みませんが、お答えを、宜しくお願いします。さて、私もコミュニティーとコモンセンスを読んでみましたが、キリカさんの言い分を余りよく理解できませんでした。キリカさんが建てたと思われる節(セクション)「(誤訳)ルールすべてを無視しなさい、立場と、名前と、認識と、、どこからボールを投げているのか?、コミュニティーとコモンセンス、矛盾について」を読んだことを念のために記しておきます。次に、唐突ですが、キリカさんの今回の「ルール作成を攪乱している」と思える件が、他のルール作成に影響を与えているのではないかと心配しています。それは「管理者の解任」「管理者の辞任」「投稿ブロック改定案」「荒らし」など、他にもあるのでしょうが、絡んでいるのではないかという心配です。取り越し苦労であればいいのですが。付け加えて、私も上の方で、「残念ですが、お引き取り願う以外に方法はないように思います。」と発言した責任上、終いまで見守りたいと思っています。--Kemonomichi 2006年12月5日 (火) 04:01 (UTC)[返信]
  • (メタ・ロギアン)後から想像するに、かしこに、或る言葉・或る文章・或る命題があるとき、この言葉・文章・命題の含意は、それを読む者との関係性において決まってくる。このような関係性で決まる命題であって、関係性つまり主体の視座・立ち位置によって意味が変容することをみずから表し、かつみずからそのような立ち位置のメタ変容を開示する命題は、その「意味内容を解説してはならない」のであり、内容を解説しようとしている人たちは、このメタ・ルールを他の共同体のコモンセンスとしてのルールと同じ次元に下落させている。つまり分かっていないのであり、分かっていない者にわたしが教えてやっているのにも拘わらず、理解できない事情を自己の立ち位置の問題と理解できない、のは頭が弱い証左に見え、それに拘る姿が犬に似ているのである。
ところで、これがメタ・ルールの自己開示であって、つまり円柱は、わたしが悪意ない円であるということを意味してもいるのに、この犬の人は円柱を長方形に悪意でもって眺め臆断するので、何故悪意があると感じるのか、それはわたしキリカの円なる立ち位置ではなく、匿名000の立ち位置からよって来ているのだと、わざわざ犬とか頭が弱い「ように見える」と丁寧に説明してやっているのにイロニーが理解できず、メタ的発送が不能な馬鹿なので、その悪意や馬鹿は、ボールを投げた者の立ち位置から来るのだと述べているにも拘わらず理解できないのは、ものごとの立体性が分からないからで、これでは趣味で記号学や変理学を学んでいるわたし以下・未満なのである。対抗言論とかも、自己の立ち位置が分からないで、ただ排除することに血眼になっている者には分からないので、このことを教え諭しているが、理解しない。苦しんでるのはこっちであって、あんたちゃうんやで、とも云いたくなるのを、そう云っているのである。
||翻訳:「すべてのルールを無視せよ」とは、このルールを読む者の立場・立ち位置・視座で意味内容が変化するのであり、まさにすべてのルールは視座によって意味が変わるということを教えているルールである。このルールの「解説」をしようというのがそもそも頭が弱い現れである。頭の弱い人間に理解させるような表現方法が見つからない。このわたしの苦しみが理解できないで個人攻撃だとか云っているが、個人攻撃のルールも視座次第で無視でき、この事実に思い至れない人について、頭が弱い「ように見える」というのは、立体的把握では、つまりメタ思考では、悪意など一片もないのであり、しかしなお個人攻撃だとか、コミュニティのルールとか、ルールを越えよ、ルールは解釈者の立ち位置によって意味が違うというルールの解明の話のなかで出てきているにも拘わらず、その内的なメタ連関が理解できない、または見えない人は、犬とちゃうんかと思うのである。
……というような意味にも解釈できるが、自己言及命題のパラドックスの言葉遊びと、比喩的思考による、呪術的思考が混合されたものであって、こういうことを述べる者は、直巻の天災かも知れないが、「メタ・ルール」の自己言及生のイロニーに気づいたことが、何か意味を持つのかというと、それをストレートに述べるとき、はじめて意味を持つので、イロニーで自己の立ち位置に勝手に変えては、コミュニケーションにならないのである。……というような事態ではないかと、想定する。しかしよく分からないのである。--Maris stella 2006年12月5日 (火) 11:13 (UTC)[返信]
  • (メタ・ルール的な解釈について)私もキリカさんの意見の中にメタ・ルール的にこの方針を位置づけようという意図を見出すことは不可能でないと思います。ただ個人的に言えば、キリカさん自身がこのメタ・ルール的な解釈を一貫性のある形で示すことができずにいること、同時にメタ・ルール的な方針文書が、方針文書としてウィキペディア内部で成り立つのかという二重の問題が生じると思います。
    1. 「メタ・ルール」という定義の言い換えをキリカさん自身の表現で探すとすれば、「理念型」ルールということになると思います。キリカさんが「理念型」ルールとして現状の方針から例示するのは「NPOV」なのですが、これは厳密にメタ・ルールな内容である(もちろん他の方針に優越的であり、他の方針によって解釈されないという意味ではメタともとれなくはない)とは思えませんし、「NPOV」は解釈自体を方針文書に含んでいます。
    2. また少なくともこの方針が形成された当初期待された効果は、ウィキペディアにとって「メタ・ルール」な内容ではなかったことがあげられます。少なくともこのルールの最初期には「メタ・ルール」ではない「ルール」がこの方針の実体として存在していました。
    3. 仮にこのルールを「メタ・ルール」的な内容であるとしても、それをウィキペディア内に方針として置くことが可能であるか、あるいは意味があるのかということもあります。「あなたは自分の態度としてルールを無視することができます。それはまたウィキペディアのルールとは無関係です」という内容は全く真であるけれども、その態度に基づいた行動がウィキペディア内でおこなわれた途端に、ウィキペディアの精神に反するものならば、ウィキペディア内で妥当性を失うことになるのは明白である様に思われます。したがって「メタ・ルール」な内容を方針に記述しても、方針としては全く無内容と同じではないかと私には思われます。
私自身はしかし、キリカさんの行動として問題視しているのは暴言です。キリカさんの論の内容や方針の内容についての議論はここよりは当該方針のノートで進めるべきかなと思います。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 11:48 (UTC)[返信]
  • 「キリカさんの論の内容」がメタルールやコミュニティ論を指すなら、Wikipediaはその適切な場ではありません。そうした議論のためにはMetaがあります(Metaの設立目的のひとつは、Wikipediaの運営に対する実定的議論がそうしたメタ議論でたびたび拡散されたことへの対策です)。メタな議論をここで続けること自体がプロジェクトの目的にそぐわないと考えます。--Aphaia 2006年12月5日 (火) 11:55 (UTC)[返信]
Kanbun さん、Aphaia さん。これは、「IRA」の意味とかルールとしての性格を述べているのではありません。ここは、「コメント依頼」ページです。キリカ氏の「居直り思想」と確信が、このような自己言及的な呪術的な論理構造から来ているという解釈を述べているのです。なぜ、他人を侮辱しながらそれを謝罪しないのか、その背景にある理屈はこういう形の「メタロジック」だという話です。ノート:安全保障で書いている「唖然とした」という言葉についてのキリカ氏の自己自身によるアクロバット的な説明を読んでみてください。「批判するのなら、具体的に何か書き直すとか追加するとかしてほしい」という要請に対し、「その方法も分からないので、唖然としたのである」と述べています。自分は、高い論理階梯に立っているのであるということが自明だというのが、その論理(というか呪術的屁理屈)だという話です。「メタ・ロギアン」とは、「メタ・テーン・ロギアン」のことで、この「メタ」は現代思想の「越えて」ではなく、「後」ということです。「言説の後で」という意味で、「言説(ロギア)」を越えていると自称して偉そうな宣言をするが、実は、宣言に内容が無く、他者が内容を充填すると、つまり、誰かがこういう考えですか、と述べると、その言説の後で、「そうそう、そう云いたかったが少し違う」と、「言説の後」で、その言説を自分に取り込んで、最初からそういう考えが自分にあったように云いつつ、それとはまた少し違うと云って、また自己を高みに挙げるという操作を行っているということです。
キリカ氏が「自分がメタ・ルールだ」と宣言して勝手な行動をするので、その意味や意図を理解しようと試みると、その結果としての他者の思考や言説の構造を、それが自分の越えようとしていたもので、現に自分はそれを越えているというので、掴み所がなくなるということです。具体的な意見や思想をキリカ氏が持っていて、言語化している場合は、それを論理的に吟味して、何がおかしいか、何が有意味か判断できるが、そういう構造としては彼は現れないと云う意味です。何やら奇妙な言葉の「直観的思いつき」はあるのですが、それを造形して具体化するのは、議論相手なのです。具体化されると、その言説を越えたものを提唱していると述べるのです。「特異点」はキリカ氏自身の決めている立ち位置であって、議論はキリカ氏がそもそもコミュニケーションを意図しているのではないので、不毛だという話です。何故、他人を見下したことを書いて、それを正当化できるのか。正当化の論理というか理屈のなかに、自己が特異点=メタ・ルールだというアキシオムが前提になっているのです。ここはコメント依頼であって、キリカ氏は彼自身の主張内容では不毛であるということです。「メタ」とは「後」という意味で、「後出しジャンケン」をやっている。それ故、何か誤魔化しだと感じるし、他方、当人は、ジャンケンで勝ったと云っているのです。「IRA」を使った荒らしのメタヴァージョンとも言える。「ルール議論の議論マナーを無視せよ」という形の「議論の為の議論」です。--Maris stella 2006年12月5日 (火) 13:17 (UTC)[返信]
なるほど。そういう意味では、むしろ「ルールすべてを無視しなさい」の無自覚な、最も根元的な否定者というところでしょうか。すると「ルールすべてを無視しなさい」にメタな位置づけをした上に(おそらく一度この操作がないと以下の自己の位置づけは不可能な気がするので)、それを根拠として自分自身をメタ議論な位置に置き、再びその立場から「ルールすべてを無視ししなさい」をメタな論理で構成しようとする一種の循環論法に陥っていると見ることができるというわけでしょうか。この立場ではつまり反論のための反論をするのが目的で、そもそも方針についてのヴィジョンなりはキリカさんにはないと言った感じでしょうか。非才ですので、勘違いなどありましたらご指摘ください。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 14:11 (UTC)[返信]
  • キリカさんは、Maris stellaさんの(メタ・ロギアン)を読んだ後の投稿(Wikipedia:井戸端/subj/WP:IGNOREについて#そん次の中で)でも自己弁護をしています。IARの方針改訂の議論を攪乱させるような、また、荒らしのような行為をしたにも拘わらず、自分のしたことに気付いていないようです。そのような自覚のない方には、残念ですが、自発的にお引き取り願う以外に方法はないと思います。Wikipediaは、共同で作業する処です。共同で作業することが理解できましたら、一緒に、百科事典をつくるという崇高な目的のために共に頑張りましょう。--Kemonomichi 2006年12月6日 (水) 06:04 (UTC)[返信]

まとめなおし

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ええと、キリカさん擁護の急先鋒とみなされているような気もしつつ、でもここ何ヶ月かでもっともAnonimous000さんと対話を続けていた一人として、思うところを述べることとします。ちゃんと口を挟めていたら回避できたような気もして、ちょっと心苦しいので。

キリカさんのIAR以前の頃の投稿は、確かによくわからないところがあるし、攻撃的な言辞があるけど、大胆すぎる初心者なのか悪意があるのか独自の観点を持った参加者なのか、断定できる段階ではなかったような記憶があります。IARの議論については関係ないとして、これらについてはさておくこととします。

  1. Anonymous000 2006年11月26日 (日) 15:58 (UTC)
最初のいくつかの投稿は、具体的ではないけれど、議論の中で一つの視点を提示しているもので、特に問題があるものではないように思います。ちらっとみて、こういう人がいるならおれは参加しなくてもなんとかなるか、と思って、署名見て上記のふるまいを思い出して、ちょっと見直した覚えがあります。それに対して、Anonimous000さんの書き込みは、議論の流れとは関係ないところで決めつけて、キリカさんを排除しようとしていると言えると思います。過去の投稿を踏まえて警戒しながら対話をすることや、他の議論参加者にそれを促すことはあってもいいと思いますが、予断が過ぎるように思います。コメント依頼などでの意見は、どうもここを見逃しているように思えます。
  1. キリカ 2006年12月1日 (金) 22:20 (UTC)
過去におれの知らないところで直接対決でもあったのかなと思いつつ、その後口論になることもなく話は進んでいます。主にキリカさんとkanbunさんの対話ですが、かみあっているのかいないのかよくわからない。キリカさん的には説明のために批判的なことも言わなければいけないという思考に陥ったように思えます。実際、ここでの書き込みは、いちおう説明のための批判的な言辞ではあるが、個人攻撃的であり、説明を欠く比喩が多用されすぎている面があったように思います。
  1. Anonymous000 2006年12月2日 (土) 06:13 (UTC)
その後、キリカさんの書き込みは、表現について諫められつつも意見の一つとして議論が進みます。そこにAnonimous000さんの警告が発せられるわけですが、kanbunさんらによって汲み取られたキリカさんの意見や、キリカさんのAnonimous000さんの認識に対する反論は、Anonimous000さんによってほぼ行われていないことに留意しておく必要はあるでしょう。その後、
  • Anonimous000さんの利用者ページ:キリカ 2006年12月2日 (土) 11:17 (UTC)
  • 井戸端/subj/WP:IGNOREについて:キリカ 2006年12月2日 (土) 12:11 (UTC)
  • Wikipedia:管理者伝言板/荒らし#キリカ氏:Aotake 2006年12月2日 (土) 14:50 (UTC)
  • コメント依頼:Michey 2006年12月3日 (日) 14:22 (UTC)
  • 利用者:キリカ:キリカ 2006年12月3日 (日) 08:15
  • ブロック依頼:Aphaia 2006年12月5日 (火) 19:49 (UTC)

と拡散していきます。

説明不足と攻撃的な表現をさておくならば、キリカさんは一貫して自分の考えの理解と、Anonimous000さんとの対話を求めています。Anonimous000さんは対話をせずに排除しようとしているように見えます。また、依頼提出時の説明は、ここで確認した経緯を踏まえると、いまいちフェアではないように思いますし、2者の間の問題を対話しないまま拡散させたというふうにもとれます。
各種依頼後に飛び火したところもありますが、キリカさん側から見れば、基本的には決めつけをして対話やIARの議論に応じない、さらには対話をしないまま他の人に意見を求めたAnonimous000さんに対しての批判であり、それが過度に攻撃的になった、と。だからといって、度を過ぎて攻撃的な表現が許されるものではありません。
説明不足については、ぼくでもおおよそ推察できたように、キリカさんが言いたいことを察することは、それほど難しくないと思っていたのですが、どうもうまくいかなかったようです。表面に現れた攻撃的な書き込みについては、そこに追い込まれるに至る、伝わらなさ/伝えられなさもあるように思います。まあ、キリカさんに説明できるようになって欲しいとは思いますが、上手く言えてない自覚も表明していましたし、これについては大きな問題ではないように感じています。というか、今のところ、キリカさんがなんとなく掴んでいる内容というのがあって、それはIARを考えるときに持ち込んでおいてもいいような思考だと思ってます。そこのところを押さえておかないと、ブロックするにしても、反発を招くだけのような気がするです。その思考が絶対必要なものでも、方針を考えていくための他の思考・作業と比べて絶対的に優れているというようなものではない、というのは、こないだの井戸端で伝わったような気もするし、伝えられるようにも思ってはいるのですが…。
他方、Anonimous000さんは、最近は他の方針の仕上げで緻密な作業が続くなかで、荒らしの対応もしていたことを考えれば、悪意のある荒らしや、意味不明の投稿を繰り返す利用者に対しては、毅然とした態度が必要であり、キリカさんに過度の警戒をしていたことも一定の理解はできます。
いずれにしても、ぼくの感覚では、発端はAnonimous000さんで決めつけと対話拒否を続けました。キリカさんは、それなりに対話を試みながら、表現上の一線を越えたのはキリカさんだと思います。そのまま、双方ともさらにエスカレートしていった、というように思います。どちらか一方が悪いとは思えません。謝罪を求めても、それぞれに自分からの謝罪を拒む理由があり、その心情は一応理解できるもののように思います(2006年12月4日 (月) 18:44の書き込みで、謝罪を促すかどうか迷いましたが、結果その文言を入れないことにしました)。
さて、投稿ブロックについては、IARのノートに端を発する、ここまでの両者の攻撃は、それぞれに問題があったとして、するなら双方をブロックということになると思っています。しかし、ブロックは懲罰のためにあるのではなく、双方とも問題は把握しているはずですし、必要なのは冷却期間ではなく、当人同士、またはそれぞれと第三者との対話であるように思います。
削除については、攻撃的な表現があり、その対象者も既に発言内容を知り、発言者・対象者ともウィキペディア利用者である場合、発言者の意思による削除は、発言の隠蔽と考えられる場合もあります。つまり、対象者としては、こういう抽象を行う人だということがわかる発言の記録は証拠として、あるいは発言者に不利な記録として残してほしいと考える場合があります。ウィキペディア外部の企業や個人に対する攻撃は削除すべきですが、現に対立している個人間の問題としては、発言の対象となった人の意思を確認する必要があるように思います。これは、キリカさんがAnonimous000さん書き込みに対して攻撃的な書き込みをしている場合についても同様で、Anonimous000さんの会話ページやキリカさんのサブページにある書き込みに対して削除すべきかどうかの判断をするまたは削除依頼を出すのは、Anonimous000さん側、ではないかと思います。
というわけで、ぼくとしては、双方の行き過ぎた発言部分を編集除去、については、攻撃的な表現を除去した文面に差し替え、として、削除もブロックもしない、IARのノートへキリカさんが書き込みを禁止する警告は解除、仲直りとか謝罪はぼくの意の及ぶところではないでしょうが、二人で無視しながらでも有意義な発言がなされることを期待し、以後の両者に問題がある行動があったら、これまでの経緯を考慮せずに判断する、というのがよいと思っています。基本的にこれは、キリカさんとAnonimous000さんの間の問題であり、今後の両者の関係は両者に任せる。Anonimous000さんには、決め付けをせず、否定するにしても肯定するにしてもその場に提出された意見について対話をすることを望みます。キリカさんについては、どのような局面であっても過度に攻撃的な表現を用いる事を避け、中途半端に言葉を濁さず、自分が伝えたいことが伝わらない場合には自分の理解力や表現力を磨くことを望みます。--Ks aka 98 2006年12月9日 (土) 13:51 (UTC)[返信]

まとめなおし2

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IARのリアルタイムで参加していた者として、この事件は私の能力では不可避だったと思います。それを時系列で示したいと思います。

  • IARノート Anonymous000氏 2006年11月30日 (木) 23:24
    • ここで初めてIARの中で、Anonymous000氏がキリカ氏に対する批判で直接対話が始まります。(これ以前は他でもないようです。)
  • IARノート キリカ氏 2006年12月1日 (金) 22:20
    • しばらく何もなかったのですが、キリカ氏がAnonymous000氏へ人格攻撃と思われる発言をします。
  • IARノート Anonymous000氏 2006年12月2日 (土) 06:22
    • Anonymous000氏の警告です。ここまでは、私は発言は発言、意見は意見として、暗号の読解に努めていますしたので、これを読んだときはちょっと言いすぎじゃないのかと思いました。しかし、よく考えると、誰かがいつか言わなければ永遠に議論がまとまらなくなるので、嫌な役回りを引き受けてくれたのだと理解しました。
  • Anonymous000氏のノート キリカ氏 2006年12月2日 (土) 11:18
    • 警告の返事がこれのようです。どうも、この発言が決定的だったと思われます。
  • 井戸端 キリカ氏 2006年12月4日 (月) 15:47
    • 私はこれを見たときに自分が重大な勘違いをしていたことに気づきました。キリカ氏のIARでの主張は「解釈文は全て削除する『1文だけのルール』」ということだとを。IARの議論の流れを確認していただくと分かるのですが、『1文だけのルール』がよいという主張の人はその前にもいました。それを無視するわけでなく一旦おいといて、まず内容を吟味して、その後分割するなり削除するなりしようという流れだと私は理解しましたし、議論に参加していたキリカ氏以外の人はそう思っていたと思われます。そうでなければ、「その主張は後で議論しましょう」とだれかが言っていたと思われます。ただ、すばらしい分析を読んだあとで現在考えるには、キリカ氏は他人に言われてそう思っただけで、当時は明確に認識していなかったのでしょう。

結局のところIARの議論ではないにしろ、同じような状況に遅かれ早かれなったと考える次第です。

また、私はキリカ氏の発言は無期限ブロックに値すると認識していますが、被ブロック者以外のところにわずかでも瑕疵がある場合、「制裁側は無過失であるべき」「荒らしに変化すると余計にやっかい」という理由で執行猶予がよいのではと考えております。もちろん、自発的にお引取り頂くのが最善ではありますが、次は問答無用の措置がよいとも考えています。--Zz2 2006年12月9日 (土) 15:28 (UTC)[返信]

やや蛇足的な、きわめて個人的なまとめ

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以下はキリカさんの行動で私が問題と思っている行動や意見について述べるのではないので、不適切かもしれませんがもしかすると参考になるかもしれませんので、私がキリカさんと議論をしていた間感じた疑問についてだけ述べておこうと思います。ここではAnonymous000さんとキリカさんのやりとりは省略して、私の一人称的な視点での話になります。なおリンク先を見ていただければわかると思うのですが、議論ではほとんどの場合、「内容」は「具体的な方針案の内容」、「形式」は「具体的な方針案の形式」を指していると思われますが、キリカさんはそれを途中で無自覚に操作して「内容」を「方針自体が取りうる意味内容」、「形式」を「方針自体の可能性についての概念」に置き換えています。

  1. 具体案が固まってきており、また方針に対する意見も一通り出そろってきたのではと感じられたときに、私は今までの議論の整理を試みました([5])。このあとキリカさん自身は「方針名自体が誤訳だ」という指摘をされて議論されているようですが、この点は私には興味がありませんでした。その議論がひとまず終わった後に私のまとめにキリカさんのコメントがつきました。([6])このコメントの時点で私はキリカさんが一つの誤解をしているのではないかと感じました。それはキリカさんの言う「『テレビを使うのに取扱説明書を全部読んだりしないでしょ?』の意味」はどちらかといえば、英語版の提案者ラリー・サンガーの「まずは編集してみるべき」という意味に近いものと思われますが、それを「熟練者に対する戒めの類い」と言い換えていることは私には適切ではないと思われました。ただこの時点では議論の本筋とはあまり関係のないコメントと思われたので、特に重視していませんでした。
  2. その後のMickeyさんによるまとめ([7])と提案([8])がありました。私はMickeyさんの内容を検討すべきという意見には賛成しつつも、その時点での分割には反対しました([9])。
  3. 私はまず現在の文書内容を検討すべきではと提案([10])しました。私には分割や簡潔にするのはあとでもできるように思われたからです。それに対してキリカさんのコメント([11])がつきました。端的に言うと、このコメントが私にわからないのは、「内容によって規定されること」と「形式によって規定されること」が異なるのは判りますが、「内容とは、ある立場からの見方・解釈により規定をしていく行為。」というのが全く無「内容」的な解釈の様に感じられました。なぜなら、「形式とは、ある立場からの見方・解釈により規定をしていく行為。」と言っても全く真です。したがって「形式を後で決めるのは、多くの立ち位置を隠すことに繋がります。」というのも「内容を後で決めるのは、多くの立ち位置を隠すことに繋がります。」と全く等価です。この場合内容が先か形式が先かはキリカさんの論法ではどちらがよりよいか決定可能ではないと私は考えていました([12])。ただ私には、おそらくキリカさんが「名称には多義があり、様々な視座から多元的な認識がなされ、多様な解釈がなされる。」と言っていることから、簡潔案に近いものを想定しているのだなとはこのとき感じられました。
  4. 次のキリカさんのコメント([13])からは明らかに議論は脱線していると私は感じていました(つまり形式を先に考えるべきという主張を、実際キリカさんはこの時点で放棄していたと考えています)。キリカさん自身は「私の解釈、もう少し広げますと一つの解釈のあり方としては『厳格さの要求への忌避』です。」と述べているように自分の考える「内容」について示しつつ、そのあとに「ですがそれは意味・内容・立場を限定しうることではありません。」とキリカさんの考えている「内容」が「内容以前」あるいは「内容を超越したもの」であるとする操作をおこなっています。私にはキリカさんは自分以外の「意味・内容・立場」が不適切という観点に立っているように思われますから、キリカさんの意見も「意味・内容・立場」を限定しているものと思えます。以後の議論はキリカさんが「内容」自体を論じるべきではないといいつつ、「内容」の議論を展開しているものと私は考えています。したがってキリカさんの一見「形式をまず先に考えるべき」と考えられる提案は、その実「内容を先に考える」ものであると私は考えていました。
  5. その後の「理念と運用」に関する議論([14])も全く「内容」についてのことであったと私は認識しています。しかし一方でキリカさんは自分が「内容」について語っていないという誤解を引きずっているように見えました。このころ私はキリカさんの内容を、一定の「形式」で示してみることを提案しています([15][16])。
  6. ここからは個人的に明らかに対話が成り立っていないと思われるのですが、私が求めた「形式」つまり「具体案」について、「例えはいくらでも出せるんですが、しかしこれは概念を認識する作業だから、伝えるのが難しいんですよ。構造ってのは説明しにくいんですよね。」([17])と、明らかに「形式」の意味を「具体案の形式」とは異なったものと考えています(「構造」、「概念」など。おそらくキリカさん自身は「理念」と「運用」を自分で持ち出したあたりから、論理の飛躍が始まっているものと思っています)。私の認識としてはこの時点からキリカさんは循環的な思考形式に陥ってしまい、議論に行き詰まっていたと思います。

以上。とくにまとめるわけでもありませんが、私が議論の過程で疑問に思っていたところについてです。これはIARのノートに書いた方がいいかもしれませんが、迷いましたのでこちらに。--Kanbun 2006年12月9日 (土) 20:12 (UTC)[返信]

(かなり結果論的なコメント) やはり、Anonymus000氏がすでに出されている「本文を一文だけ、もしくはシンプルにして。。。」という提案とそれほど変わらないようにも思えますというように、少なくともキリカ氏のメタ的・比喩的主張が「解釈文は全て削除する『1文だけのルール』」という主張を前提にしているという風には理解していた点が重要なのではないでしょうか。確かに対話のボールを投げている数は少ないですが、それ以前で明らかにこじれそうなやり取りがあったことと、その前提から発した形而上学的発想に付いていけたのはkanbun氏だけという状況でしたからね。付いていけなければ賛否の表明しようもありませんし。

また、Anonymus000氏がまるで精神科医でもないのにそのようなレスポンスをして傷つけた事は勿論問題ですが、キリカ氏が1ヶ月足らず前に行った無責任な編集を挙げてしまったのは仕方が無いと思います。何故なら、カテゴリを変更する際、Wikipedia:ページの編集は大胆にルールの中の、「配慮を忘れずに」以降を無視した編集などは「ルールすべてを無視しなさい」にかこつけようとおもえばかこつけられるのですから。キリカ氏は上記のルールのノートで反省の弁を述べておられますが、少なくとも会話ページではそのようなことをせず他の方に丸投げしているのですから、それも踏まえた何をしても良いわけではない事の再確認を行ったのだといえるでしょう。

皆様もうすうすお気づきあるいは既に当時気づいていたのだとは思いますが、「今一度内容自体に問題があるか、まず検討しましょう」の節は結果的にシンプル化論の抽象的言い換え兼コミュニティはどうあるべきかという話についての堂々巡りに終わっていると思います。メタ論的な話も面白いのではあるのですが、キリカ氏がこの話をより読み手にわかりやすく伝えるか、(困難ではあるが)対話者が頭を切り替えて同様に抽象的なレスポンスをするか、キリカ氏が前提としていたシンプル化論の方々がフォローをしないとこのようになるのも仕方が無いでしょう。個人的には3番目のことが実現されるのがベストだったと思います。 58.188.77.228 2006年12月10日 (日) 01:31 (UTC)[返信]

コメント3

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上記コメントと競合して、井戸端の方に私の「改めてお詫び」を投稿しました。一部はお答えになっており一部はなっていないと思いますが、この後の私の投稿のプライオリティが妥当であるか等については履歴(利用者:Anonymous000会話 / 投稿記録)等をご覧の上で、ご判断いただければと願っています。--Anonymous000 2006年12月9日 (土) 14:36 (UTC) まとめなおし2を挿入しコメント3の場所を移動しこの発言も移動。この発言中の上記とはKs aka 98氏のまとめなおしを指しています。--Zz2 2006年12月9日 (土) 15:28 (UTC)[返信]