利用者‐会話:Miya/2006

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by User:Kasuga

-2005/4/5-4/25-6/17-12/17-2006/2/7 -3/20 -4/8 -5/31 -9/14(走水神社、Izayohiさん Commons:Aki Shimizuほか) -10/17 利用者:ホットマンさんとの対話はログ+私のはてな日記のコメント欄 サブページほか:/軍事情報(召集令状)、/ヌーディズム/メインページ、、、/カテゴリ:性/国沢光宏関連国沢光宏)、/帝塚山帝塚山)、/翻訳FAQ(Wikipedia:翻訳FAQ)、俳句ノート:根本直人ティワナクTemplate:sharedaccount

満州国の保護解除以来[編集]

こんにちは。お見受けしたところ、miyaさんが満州国の保護をしたと思われるのでご連絡いたしました。すでにリベート合戦は終了しており、合戦の当事者二名はブロックを受けている模様です。編集を行いたい方もいるようなので、解除のほうをお願いいたします。詳細は、満州国のノート、一番下をご参照ください。長文失礼いたしました、よろしくお願いします。--May.Low 2006年11月24日 (金) 06:56 (UTC)[返信]

Hi Miya[編集]

I noticed you wrote some articles about osaka cities, and there was maps for them, so I want to ask you where you get those maps from? sorry for using english I can'r speak Japanese. ( 2005年7月27日 (水) 06:08 68.73.172.254)

Hi. I made them from Image:Osaka pref.png, which was made from some map uploaded by User:Koba-chan. I think some of them need to be altered because of "市町村合併"(en:Merger and dissolution of municipalities of Japan). By the way you can find various maps of Japan in the page 地図の一覧-日本 (List of maps - Japan).--miya 2005年7月27日 (水) 08:42 (UTC)[返信]

Re: 保護タグが貼られた場合[編集]

保護タグが貼られた場合

こんにちは。民族差別の履歴を拝見しました。保護タグが貼られたからといって、編集をやめなければいけない、というルールは無いと思います(編集合戦は保護タグに関係なく控えるべきですが)。

民族差別の2006-05-25 08:33:08の版でYacky さんは要約欄に(rv: 残念ながら保護が貼られたらそれがどんな版であろうとも維持すべきです。内容を問わないことも中立性の要素かと)と書いておられますが、「保護が貼られたらそれがどんな版であろうとも維持すべき」というルールは無いと思います。保護タグを貼っただけでその版を固定できるとなったらどんなことになるか、考えると少し恐ろしくなります。「保護の場合に内容を問わない」というのは、対処する管理者に求められることであって、これは言い換えれば(荒らしでなければ、保護する管理者は差し戻さない、差し戻したらその管理者は保護を行わない)ということになります。リバート合戦はすべきではありませんが、中立性に問題などあれば、編集を続けていただければと思います。適切な加筆によって編集をめぐる対立が解消されればそれに越したことはありません。いかがでしょうか。(ただこれは一般論で、民族差別についてはIosifさんとYackyさんのどちらの版がより適切か、判断は差し控えます)--miya 2006年6月30日 (金) 11:18 (UTC)

おつかれさまです。Yaky(/)です。

上記事項についての解説、ありがとうございます。タグが貼られた時点からノートでの合意が形成されるまでの間、編集を行わないというのがルールなのだとばかり思っていました。

当該項目については内容云々ではなく、純粋に「保護タグが貼られているのに編集されていたから」という理由での差し戻しを行っていました。全くお恥ずかしい限りです。本当にありがとうございます、お陰でまた1つWikipediaに詳しくなれました。--Yaky(/) 2006年6月30日 (金) 14:59 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます(気を悪くなさらないか心配していたのでほっとしました)。果敢なご活躍、頼もしく拝見しております。今後ともどうぞよろしくお願いします。--miya 2006年6月30日 (金) 16:13 (UTC)[返信]

日本航空123便墜落事故の保護に関して[編集]

日本航空123便墜落事故にMiyaさんが削除依頼と保護をかけていらっしゃるようですが、これを解除していただきたく思います。 保護の理由は、”犠牲者の遺書について著作権者継承者の承認を得ていない”疑いがあるということですが、当該部分の投稿者は削除には同意しているようです。 問題部分の削除をした上で最新版に戻し、削除依頼と保護を解除していただくようお願いします。 当該事故は、21年前の昨日に起きた事故です。そのうえ、本記事は不完全であるために、修正依頼が出ていました。荒らしにも遭っていないようなので、この時期に保護をかけて修正不可能にするのは重大事件にもかかわらず不十分な内容の本記事の向上を妨げることになりかねないと思います。

"日本航空123便墜落事故"の削除依頼に関しまして追記致しました。一読願えればと思います。 --もののほん 2006年8月23日 (水) 16:27 (UTC)[返信]

日航機墜落事故の削除議論にて「著作人格権」で述べさせて頂いた者です。 件の「遺書」ですが、ご本人が「公表権」の行使、譲渡をしていない以上、あくまで「未公表の著作物」に該当します。 また、内容は私信の類で、財産権としての著作権は(厳密に言えば著作権法上の著作物とも)認められていません。 「文芸、学術、美術又は音楽の範囲」に属するものであることの前提要件を満たしていませんので。 これに関しては平成8年に高松高裁での確定判決があります。 Miyaさんが述べられた「一般的な著作権」というのは、財産権の方を指しておられるのかと思いますが、前述の通りですので、今回の場合、争点となるのは「著作人格権」に関してになります。 「遺書」の内容を利用し故人や遺族の人格的利益を侵害している記述でしたらまだしも、事実として「遺書」の内容を記載するのは法的に問題はありません。 未知の内容であった場合、遺族の方に全くの無断で公表し紛争になる可能性はありますが、今回の場合は報道等によって既知であり、また日本航空の安全啓発センター内にて件の「遺書」も遺族の同意の下、一般公開されていますのでこちらも問題はありません。 失礼ながら、著作権に関して不勉強に感じる部分がありましたのであえて記させて頂きました。2006年8月26日(219.97.73.180 さん)

ご教示ありがとうございました。私信無断掲載事件ですね。こういう判例が出た以上、「私信」無断掲載によって 訴えられる可能性もゼロ だと考えてよろしいのでしょうか。
>件の「遺書」ですが、ご本人が「公表権」の行使、譲渡をしていない以上、あくまで「未公表の著作物」に該当します。
ということは、遺族による公表は著作権法上の「公表」には当たらない、と理解してよいのでしょうか。詳しく知りたいので、よろしければ条文のどの部分、もしくはどの判例を見れば詳しいことがわかるか、お教えいただければ幸いです(あつかましいお願いで申し訳ありません)。--miya 2006年8月25日 (金) 23:31 (UTC)[返信]
先ほどから、私信は著作物かについて、[1]を呼んで首をひねっているのですが。--miya 2006年8月26日 (土) 00:13 (UTC)[返信]

早速のご返答ありがとうございます。 まず提訴の可能性ですが、これはゼロとは断言できません。敗訴の可能性は現状を鑑みれば限りなく低いとは思いますが。

>ということは、遺族による公表は著作権法上の「公表」には当たらない、と理解してよいのでしょうか。
公表権(18条)は著作人格権の一つです。人格権は一身専属性なので著作者の死亡等により権利としては消滅します(59条)。
[2]こちらに関しては、私信ではあるものの、三島由紀夫の思想又は感情を、個性的に表現したものであることは明らかとして著作物として認められた判例で、地裁判決もご一読頂ければ解りやすいかと思います。件の「遺書」とは対象、公表の状況も内容的にも相違が大きいので、今回の参考には値しないと思います。
ちなみに今回の議論の結果に関しては異議はありませんので、その点はご了解ください。2006年8月26日

コメントのお礼とお返事のお願い[編集]

miyaさま、はじめまして。「Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXST」での私のコメントに対してのコメントをいただき、ありがとうございます。このコメントについて分からないところがあり、miyaさまのお返事をいただきたいのですが、ブロック(解除)依頼のページが議論の場ではないという他の方からの指摘もあるようでしたので、Wikipedia:コメント依頼/Suisui20060920の方にコメントをしております。大変お手数ですが、そちらの方にお返事をいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。--Anonymous000 2006年9月25日 (月) 20:22 (UTC)[返信]

お声かけ、ありがとうございます。考えがうまくまとまらないのと、今日・明日が締め切りの課題を抱えておりますので、コメントは3日ほどお待ちいただければ幸いです(そもそもこんなときにコメントすべきではなかったのですが・・・)--miya 2006年9月26日 (火) 06:30 (UTC)[返信]
お忙しい中でのご連絡をいただき、誠にありがとうございます。今回のmiyaさまのように大まかな期限をお知らせいただくと、お待ちする身としてはとても安心いたします(^^)。まずは「本業」をご優先いただいた後、支障のない時期でもちろんかまいませんので、お返事をよろしくお願い申し上げます。--Anonymous000 2006年9月26日 (火) 10:53 (UTC)[返信]

改定案における管理者即時無期限ブロックについて[編集]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXSTでコメントいただきましたが、私の発言の趣旨を正しく受け止めていただきたいので、こちらにコメントさせていただきます。

私が指摘しているのは、改定案で管理者が即時無期限ブロックの権限を持ち、行使するようになるということであり、そのことで、管理者(像)の受け止め方が変わるのではないかということです。現に、試験運用になってより、少なくとも2件(私が知る限りですが)の即時無期限ブロック措置が管理者判断で行われています。2件とも解除依頼が起こされましたが、それがなければ現実にはひっくり返せないわけです。私はそういう権限を「切り札」と表現したので「追放」とは書いていません。「切り札」との表現が妥当かどうかを議論なさりたいのでしょうか。であれば、「切り札」という表現は取り下げても構いません。それでも意見の趣旨に変わりはありませんから。

もうひとつ、「従来の手続き」とは、コメントですでに述べているとおり、ブロック依頼のページでの報告と審議のはずです。伝言板での話し合いが「旧案の「報告ー確認」に相当する」とは、どの方針のどこに書いてあるのでしょうか。あるいはどこにそのような合意があるのでしょうか。教えていただければ私の意見は引っ込めます。しかし、それで納得されない方が多かったから、いまの事態になっているのではありませんか?--みっち 2006年9月26日 (火) 05:25 (UTC)[返信]

  1. 「管理者が即時無期限ブロックの権限を持ち、行使するようになる」ことが必要なくらい、荒らしや破壊行為が増えつつあるように感じています。「切り札」というのは誤解を招きやすいので取り下げていただけるなら、そのほうが嬉しいです。
  2. 相当するだろうというのは「合意」ではなくて「私の理解」もしくは「私の思い込み」ですね。絶対正しいとは言い切れません・・・だれもが納得できる手続き方法を明確にすることが必要でしょう。ただ、すでに伝言版でトピックになっている案件はそれ以外の場所で「報告」の必要は無いんじゃないかと思いますが、いかがでしょう。管理者なら「あなたのブロックは不適切だと思うから解除しますよ」と一声かけて解除することもできますし、一般ユーザーの場合でも解除依頼はだれでも出せるのです。解除以来で、ブロックした管理者の意見は不要だろうと思いますーちなみに、Suisuiさんの無言は「コミュニティの判断に任せます」という意思表示だろうと推察します。--miya 2006年9月26日 (火) 06:30 (UTC)[返信]
お答えありがとうございました。
  1. 合意による「ボタン押し」でなく、管理者判断で即時無期限ブロックが行使され得ることについては、理解が一致していると思います。それを「切り札」だと感じるかどうかは個人の受け止め方の問題です。誤解を招きやすいとは思いませんが、先に取り下げても構わないと書いたので、この表現は修正しました。とはいえ、この表現を私が使わなくても他の方が使うことは止められないでしょう。
  2. 「旧案の「報告-確認」に相当する」が合意でなく、miyaさんの解釈であるということですね。私はその解釈も含めて納得が得られたのか、そうでないからいまの事態に至っているのではないか、と意見していることをご理解願います。そして、「だれもが納得できる手続き方法」が、今回でいえば「従来の手続き」ではなかったのかといっているわけです。今後、管理者判断による即時無期限ブロックは、伝言板での話し合い(議論の場所でないとも聞きますが)で確認するということが、コミュニティの合意を得られるのならそれでもいいのですが、少なくとも現状ではそうなっていないと思います。
以上のような点で、かみ合っていない感じがしました。依頼ページに書いたことは、問題意識であって、今後どうするか、というところまでは考えが至っていません。ただ、経過については、コミュニティとして理解の一致が前提として望ましいと思っています。それも無理なことはままありますが。--みっち 2006年9月26日 (火) 08:05 (UTC)[返信]
時間が無いのでとりあえず少しだけ:「ボタン押し」というのはTomosさんの理想です。別にウィキペディア全体の方針と言うわけではありません。日本語版の方針ときまったわけでも・・・あるような、ないような。「ボタン押し」って、簡単なように見えて、実は難しいと思います。目の前で暴れている人をブロックするのは(必要にかられているわけですから)容易です。でも、もはや暴れるのを止めている相手を「賛成多数だから」とブロックするのは、結構、心理的に負担な気がしますーなので私は即時ブロックしか出来ません。ボタン押しブロックができるのはホンの数人しかいないんじゃないでしょうか。ところで、Medcomは、みっちさんみたいな方が適任だと思います。--miya 2006年9月26日 (火) 09:56 (UTC)[返信]

(インデント戻し)「ボタン押し」については、それが方針かどうかではなく、認識の問題です。従来、管理者とはそうあるべきという認識で管理者になられた方や管理者就任を支持された方がいらっしゃるのではないか、ということです。改定案が試験運用された7月より以前の段階では、いざとなれば即時無期限ブロックを繰り出す、という認識を持って管理者になられた方はいらっしゃらないのではないでしょうか。少なくとも、それは前提条件ではありませんでした。試験運用開始後に管理者になられた方も、内心は別として(^^;)、この点を明示された方はおられなかったように思います。まだ試験運用段階ですから、当然かもしれません。

それで、なにがいいたいかというと、改定案の「即時無期限ブロック」権限は、この認識の転換を引き起こすのではないかということです。いわば、「ボタン押し係」から「強権を持った風紀委員」へ(爆)。管理者が本格的に「即時無期限ブロック」を行使するというなら話が違うぞ、とか、そういうことならこの管理者は支持しないとか、そんな管理者は自分から降りますとか、いろいろ吹き出してくるのではないか。現状を見ていると、そう思えるのです。

ここから先はまだぼんやり考えているにすぎないのですが、miyaさんとの対話を通じてある程度形を取ってきたものを述べると、以下のとおりです。

  1. Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案を正式化する場合、この「即時無期限ブロック」権限についての合意を議論の余地のないものにするために、現管理者全員の再信任手続きが必要ではないか。
  2. 上記手続きを回避したい場合、当該管理者は「即時無期限ブロック」の権限放棄を宣言する。宣言を破る(った)ときは再信任投票に付す。
  3. 再信任手続きを全面的に回避する場合、改定案の「即時無期限ブロック」については従来どおり、ブロック依頼のページへの報告と審議を義務づける。

というわけで、miyaさんの会話ページをお借りして、つたないですが問題意識を述べさせていただきました。これが杞憂に過ぎなければいいのですが。まあ、ここでずばり杞憂です、といわれても腹が立ちますが(せっかく考えたんで^^;)。

調停(?)委員会については関心を持っていますが、英語が読めないので現状ではなんとも申し上げられません。私がもし評価してもらえているのだとすると、それはおそらく自分の立場が、ウィキペディアを必要以上に特別視し奉らないこと、同時にウィキペディアが私のお気楽ないし暇つぶしの役に立っていることへの感謝を忘れないこと、という均衡によって得られているからだと思います。上に述べた管理者を含めてもし新しい立場になったとき、いまと同じ状況判断ができるかどうかは、自分にもわかりません。--みっち 2006年9月27日 (水) 02:57 (UTC)[返信]

ずばり杞憂です!・・・と言ってみたいとか思いつつ。。
  1. Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案を正式化する場合、この「即時無期限ブロック」権限についての合意を議論の余地のないものにするために、現管理者全員の再信任手続きが必要ではないか。
私は以前からML管理人だったりその助手だったりしていましたので、そもそもWEB上の「管理」とはそういう重責を負うものだと認識しておりました。荒らしに少しでも甘い顔をするとMLはたちまち荒廃するのです。
7月1日以降の「無期限即時ブロック」について、どんなものがあるかチェックなさいましたか?上で問題とされている2件が「2件中の2件」か「20件中の2件か」「200件中の2件か」で話は随分違うと思うのですが。かく申す私もこのくらいやっています。報告する気にもなれないひどい荒らしが毎日押し寄せています。
>現管理者全員の再信任手続きが必要ではないか。
ご指摘ありがとうございます。大切なポイントですね。それこそ、井戸端で提言して、必要という結論が出れば、全員再信任手続きを取ればよいのではないでしょうか。
管理者にも全然ブロックしない人はかなりいます。そういう管理者と、みっちさんみたいな「義の人」とKs aka 98さんのように「手続き」について法的(?)に考えられる人が集まれば、Medcomはきっとうまく機能するんじゃないでしょうか>管理者のお目付け役として。--miya 2006年9月27日 (水) 03:57 (UTC)[返信]

追加コメント

>現管理者全員の再信任手続き

Tanuki_Zさんの草案は考え抜かれた良いものだと思います。これを「解任」ではなく「再信任」の名前で出してください、と去年?から言ってるのですが、聞いてもらえません。やり方は全部Tanuki_Zさんの書いたとおりでいいから、名前だけ変えてくれないかなぁ、そうすれば、抵抗なくどんどん適用できるのに、と。みっちさんはどうお考えになられますか?--miya 2006年10月2日 (月) 04:00 (UTC)[返信]

Wikipedia:管理者の解任については、Tanuki Zさんが10月にあらためて報告・提案されるということなので、それをよく読んでみたいと思っています。ただ、いまの草案に基づいて「管理者全員を対象」って動議して、もし賛成が5票集まったら全員解任(再信任?)投票になるんですか? 私の理解不足だったら申し訳ありませんが、なんだか危うさを覚えます。先日やられたテストケースでもそれを感じました。おわかりいただけると思いますが、私は別に管理者を解任したいわけではありません。むしろ、むやみに解任すべきでないと思っています。私が再信任の案を出したのは、上記の繰り返しになってしまいますが、管理者が(特に上に書いた2件のような)即時無期限という権限を持ち、行使するということがかなり重いもので、単に方針が変わりました、というだけでは十分でないのではないか、改定案は認められても、その権限は改定方針の下で信任された管理者に限られるのではないか、というような疑問や混乱が生じる可能性がある、と考えたからです。なお、これをネタにどなたかの解任要求の片棒を担がされるのは不本意なので、井戸端に提案するつもりはありません。--みっち 2006年10月2日 (月) 08:11 (UTC)[返信]
管理者立候補中ですが正直論議結果に基づくボタン押しの方が多分楽です。多分無期限ブロックでも出来ると思います。しかし個人単位ならブロック時間の期限はあったほうがよいと考えています。例えば私が管理者として即時無期限ブロックをやったときに危惧するのは「荒らしとは言えど人間。永遠に悪いままであるとは断定できないのでは?」ということだったりするわけです。無期限ブロックということは一人のWikipedianを消し去ることについて永遠に責任を取らないといけないということでもあると私は考えます。一時ブロック→ブロック継続論議を踏んでいれば他に経緯を語れる人が沢山残りますからなぜ永遠にWikipediaの世界に帰れないのかを誰かが説明できるのと思いますけど、それをブロック者一人で背負い込んで行くのはちょっと無理があります。私、責任感不足でしょうか。Elthy 2006年10月9日 (月) 06:55 (UTC)[返信]
「責任感不足」とは考えません。個々人で自分のできることをするしか無いのです。
私もだれかれ構わず「無期限ブロック」をかけて廻っているわけではありません。最近だとSasayama のブロック理由は(故意の著作権侵害:秋篠宮悠仁親王などへの無関係な歌詞転載)、小泉純三郎 のブロック理由は(故意の偽署名)。でもおもったより少なかったですね・・・これ以外のブロックはほとんどがUsernameBlockでした。中川翔子、徳仁、木村勝智については「なりすましによるUsernameBlock」ですが、異論のある方もいらっしゃるかもしれません。
記事空間のまともな編集履歴を持つユーザーは、実は、無期限ブロックすべきではないと思っています。ですが、記事空間の編集もせずにノートやウィキペディア空間で議論を始める方は、過去にブロックされたユーザーの生まれ変わりやステハンの可能性も高いですし、わざと著作権侵害の歌詞転載をするユーザーは被害拡大を防ぐため「無期限」で良いと思っています。
また「追放」では無いのですから、即時ブロックされたユーザーは(悔い改めたら)アカウントを取り直して、一から出直すことも可能です。それは、無期限ブロックされたような過去を引きずるより良いようにも感じます。
KMTさんがお忙しくなられて、CUだけで手一杯のようなので「ボタン押しで無期限ブロックができる管理者」が誕生することはむしろありがたいことです。--miya 2006年10月9日 (月) 07:35 (UTC)[返信]
>即時ブロックされたユーザーは(悔い改めたら)アカウントを取り直して、一から出直すことも可能です。それは、無期限ブロックされたような過去を引きずるより良いようにも感じます。
ちょっと待った。これって、禁止事項じゃありませんでしたっけ? Yassie 2006年10月15日 (日) 02:27 (UTC)[返信]
Yassieさん、こんにちは。ええとですね、Template:UsernameBlockもそうですが、「即時ブロック」は「追放」とは別物である、という考え方です。ただし、新旧ブロック方針と追放の方針とごちゃ混ぜで考えてますので、矛盾はあるかも。Wikipedia:多重アカウントも、一度訳し直したほうがいいと思いつつ放置しています。--miya 2006年10月15日 (日) 02:44 (UTC)[返信]
このテンプレートは「あなたのユーザー『名』は投稿ブロックの方針に照らし不適切であるとして」とあるとおり不適切なユーザー名に関するものであり現在多く発生している投稿によって即時ブロックされたものとは無関係。対象はたまたまよく活動されているwikipedianの誰か、もしくは著名人の名前ととても似ていたという、投稿ブロックのうちのごく一部かと思われます。ブロック解除の方法としてメーリングリストはあるようですが「ブロック者当人と証明することが出来るか?」という問題があるようにも感じます。そういう煩雑な手続きを考えると無期限ブロックは永久追放にかなり近いかなぁと思わざるをえません。行われること自体は問題ないですが、一人で背負うにはちょっと重い枷。今までその管理者に一寸でも落ち度があれば出来ないかも。今までに少々ならずドジを踏んだこともある私なんかだとwikipediaよりも情け容赦もないような場所で声高に批判されるのを覚悟でやれるかというとちょっと・・・Elthy 2006年10月18日 (水) 05:50 (UTC)[返信]

著作権侵害の是非について[編集]

「木村昌福」で小生以外の方の書き込みが著作権の侵害に該当する可能性が考えられますので検討方をお願いします。
原典『弁護士(静岡県)近藤壮吉の二男、母鈴の木村家(鳥取県)を継ぐ、兄近藤憲治(40)は海軍大佐、弟近藤一声(50)は海軍大佐(戦死) 静岡中学校を経て大2.12海兵卒~』日本陸海軍総合事典 秦 郁彦編 東京大学出版会 2005年8月15日発行
著作権侵害と判断された場合、該箇所の削除をお願いします。2006年10月8日 (日) 09:18 (UTC) 210.172.24.54さん

まずWikipedia:著作権を侵害している投稿についてをご覧下さい。読んだ結果、著作権侵害であるかどうかの判断を誰かに委(ゆだ)ねる場合は、Wikipedia:著作権侵害かもしれない記事に提出をお願いします。また、著作権侵害であると判断して削除依頼をするのであれば、Wikipedia:削除依頼への提出をお願いします。
Wikipediaでは、管理者は著作権侵害であるかどうかの判断は行いませんし、相談する対象でもありません。全管理者が著作権について詳しいわけでもありませんから、個人的にこういった相談をするのは望ましいことではありません。
ということで、上記手続きの方にお進みくださいませ。--Nekosuki600 2006年10月8日 (日) 09:29 (UTC)[返信]
「管理者は著作権侵害であるかどうかの判断は行いません」というのは、Nekosuki600さんの仰るとおりです。せいぜい「私なら*****するでしょう」というヒントを差し上げることができるくらいです。ただ、「どこからの転載であるか、出所がはっきりしている記事」はWikipedia:著作権侵害かもしれない記事にあげるべきではありません。「著作権侵害かもしれない記事」は「侵害の対象が特定できていない記事」が対象です。
2006-10-07T12:21:56の版についてご心配なのでしょうか。私だったら、「著作権侵害に当たらないか、ご検討をお願いします」として削除依頼に出すか、それもためらわれるなら、ノート:木村昌福に上記の懸念を記すでしょう。
でも、日本陸海軍総合事典の文章 秦 郁彦編 東京大学出版会はもうこれ以上コピペしないで、この差分へのリンクのみ、お示しくださいね。--miya 2006年10月8日 (日) 13:38 (UTC)[返信]

広末涼子に関する関心出来ない編集が出没しているようですが、改めて申し上げるまでもありませんが此れは小生の手によるものではございませんので念の為に申し上げます。それにしても困ったものですね。---2006年10月24日 (火) 16:12 (UTC)~

議論の進め方について[編集]

s-keiです。Wikipedia:井戸端/著作権侵害の恐れがある記事に対する対処についてではお世話になってます。 貴方の議論の進め方について、ちょっとアドバイス(&苦言)がありましてお邪魔します。オッサンの戯れ言と思って、お付き合い下さい。

あなたが、これから議論に臨むとします。 あなたの主張(C)の中には、「(最終的に)皆が合意できる部分(A)」と「合意が取れない部分(B)」が含まれている、と考えて下さい(C=A+Bです)。

  • 1.最初に貴方は、「Cが一番正しい!」と主張します。
  • 2.すると他の人が、「いやBの問題があるから、それには同意できない」といいます。
  • 3a.ここで貴方が「いやCが一番正しいんだ!」と繰り返しても、議論はすれ違いになり、最終的にはAもBも却下される可能性が高くなります。
  • 3b.しかしここで貴方が「ではAだけならどうか」と言えば、皆も同意するでしょう。

貴方が今しておられることは、まさに3a.です。また議論で他の人にAとBを分離してもらうには、私の経験上、貴方自身が行うよりも多くのやり取りが必要です。

ここで質問です。

  1. 上記の3a.と3b.、どちらがお得と考えられますでしょうか。
  2. 反論(2.)を受けてから3b.に持って行くには、貴方はどのようなことをせねばならないでしょうか。

これはmiya.mさんにも言えるのですが、議論を進められる時、ご自分の主張範囲を変えないで繰り返すのは、議事妨害にしかなりません。議論は、自分自身を変える覚悟で臨むものです。自分を変えずに、強引に押し通るためのものではありませんよ。

まぁ私も、あまり偉そうなことは言えませんけど。 ではでは。--s-kei 2006年10月16日 (月) 17:29 (UTC)[返信]

しまった。今まさにやっている議論では、miya.mさんはともかく、miyaさんに関しては A の部分が殆ど残らない気がします。ごめんなさい。
ただ、もしかして貴方にとっての A の部分が「とにかく、依頼者の手間やリスクを増やさないでくれ!」ということならば、ほぼ実現しているんじゃないかと。そこんとこ検討して、あちらでまたご意見頂ければ幸いです。--s-kei 2006年10月16日 (月) 17:51 (UTC)[返信]
AかBか知りませんが、私の真意は(イ)「とにかく、依頼者の手間やリスクを増やさないでくれ!」プラス(ロ)「ウィキペディアのリスクを増やさないでくれ!」でした。このうち、(ロ)に関しては尊敬するKs aka 98さんがWikipedia:井戸端/著作権侵害の恐れがある記事に対する対処について#削除依頼を出すほうの立場からで「白紙であろうが侵害箇所を除去したものであろうが著作権もGFDLも侵害していません。」と請合ってくださったので、もう考えないことにします。ただ、同時にKs aka 98さんは「削除される版2の作成に、特段の手間がかかるかどうかについては、s-keiさんと引き続き議論頂きたい」と書いておいでです。

で、これは提案なのですが、削除依頼、あるいは部分除去がどのくらいの手間がかかるか、s-keiさんに実際に作業してみてもらえませんか。たとえば、ひでむし小川隆夫など実際の作業をして見られてはいかがでしょうか。きっと私の言葉ももう少し理解していただけるのではないかと思います。あとカンピロバクター風雲スーパータッグバトルは、本当に問題箇所が取り除けているのでしょうか?--miya 2006年10月17日 (火) 03:05 (UTC)対処されたものを打消し線。2006年10月17日 (火) 07:00 (UTC)[返信]

miyaさんやご主人が作業をすべきだとは誰も言っていません。項目を復活しようとする限り、白紙化しようがしまいが、誰かがしなければならない作業です。ならば削除依頼者が削除すべき部分を一番良く理解できているはずなのですから、最も作業者として適格だというのは極めて合理的な考えでしょう。それとも、ともかく気になる記事は面倒だから全部消してしまえばいい、項目を復活する必要なんてないんだ、そういうお考えでしょうか。それは事実上copyvioでっちあげ荒らし奨励宣言だと思いますが。--NekoJaNekoJa 2006年10月17日 (火) 03:40 (UTC)[返信]
NekojaNekojaさん、こんにちは。「復活する必要なんてない」とは思っておりませんよ。ただ、その作業をほとんどしたことのない方が、頭だけで考えて手順を変更された、その点を大変危うく思うのです。だからこそ、上で実例を挙げて、実際に作業をしてみてください、とお願いしているのです。--miya 2006年10月17日 (火) 06:24 (UTC)[返信]
思うに投稿者はプロジェクトの根幹であり、投稿された記事はプロジェクトの財産です。miyaさんはもしかしてそう思ってらっしゃらない、参加者も記事も赤紙一枚出す必要がなく、放っておけばいくらでも湧いて出てくるのだからどんどん切り捨てても構わないと思っていらっしゃるのではないかと感じることが多かったので、少しく安心しました。
いい加減な削除依頼はそれ自体が破壊行為で、プロジェクトはその種の破壊行為から記事と投稿者を守らなければなりません。削除依頼が荒らしに利用される以上、削除依頼を出しづらくすることは仕方のないことです。特に著作権関連は即時白紙化という強烈な破壊が合法的に可能であり、しかも投稿者を犯罪者に仕立て上げられるというおまけまでつくわけです。憎むべきなのはいい加減な削除依頼とそれを提出する利用者であって、記事を破壊から守ろうとする努力ではありません。今miyaさんのなさっているのは利敵行為だと思いますよ。--NekoJaNekoJa 2006年10月17日 (火) 08:21 (UTC)[返信]
利敵行為ですか。かなしくなりますね。
「荒らしとしての削除依頼」あるいは「勘違いによる削除依頼」に対しては「早期対処/早期存続/即時存続」が可能になりました。早期対処が可能になったのも、「荒らしとしての削除依頼」あるいは「勘違いによる削除依頼」が増えたからなのでしょう。--miya 2006年10月17日 (火) 09:58 (UTC)[返信]
残念ながら利敵行為ですってば。広く信任されている管理者のmiyaさんが率先して「記事を荒らしから守ります」ってメッセージを出さなくて誰が出すんですか。--NekoJaNekoJa 2006年10月18日 (水) 09:02 (UTC)[返信]
あちらで例として挙げられたソリッド・スネークは確かに「のみ」と指示されると困りますね。あの具体例の解説は非常にありがたかったです。
miyaさんのおっしゃられる「つらさ」はおぼろげながら理解できますが、私のように記事を書く者としては、問答無用で白紙化された記事を見るのもまた「つらい」ものです。
削除側の「つらさ」の増大を抑えつつ、白紙化された記事を見せられる「つらさ」も極力低減したいと考えております。(これは苦言も入りますが)文句よりも、より良い解決策を一緒に考えて頂ければ幸いです。--s-kei 2006年10月17日 (火) 13:39 (UTC)[返信]
「白紙化するつらさ」も体験してみてください>s-keiさん、あなたの手で小川隆夫を削除依頼に出してください。
小川隆夫は初版から転載ですから、
[{{fullurl:小川隆夫|oldid=7960861}} 2006-09-29T09:12:05の初版]が[http://blog.excite.co.jp/ogawatakao/]の転載です。
と書くだけですみ、特定版ほどには手がかかりません。特定版の場合は、転載があった版を突き止めて、差し分リンクを提示する必要があります。
たとえ全部転載であっても、善意の投稿を白紙化するのはつらいです。まして、本当は問題のない、他の投稿者の文章を白紙化するのがつらくないわけはないでしょう? それでも、リスク・混乱とつらさを天秤にかけて、よりよい方法を考えるしか無いのです。--miya 2006年10月17日 (火) 15:13 (UTC)[返信]
あちゃ、こちらを先に見れば良かった。もう昼休みが終わるので実際にやるのはあきらめますが、考える機会の提供に感謝いたします。よりよい方法についてはあちらに解決策の提案をいたしました。とりいそぎ。--s-kei 2006年10月18日 (水) 04:59 (UTC)[返信]
削除依頼出しておきましたよ。白紙化が嫌ならそれを避ける方法を探すのが第一で、「私自身嫌な操作をしているんだから素人は黙れ」というのはどうかと思います(転載に気づきながら放置するのはもっとどうかと思います)。--NekoJaNekoJa 2006年10月18日 (水) 09:02 (UTC)[返信]
コチラの一件も完全にヘルプです。小生のノートをご覧になって火急の判断をお待ちしております。2006年10月18日 (水) 13:56 (UTC)~

編集を添削頂けませんでしょうか。[編集]

はじめまして。ご活躍は各所でお見受けしております。ご挨拶そこそこにお願いなのですが、Miyaさんが新任管理者さんへ厚意とともにお誘いされてきた「投稿ブロック練習」を例題に、このように記述しましたが推測の域を出ず、次の提案が鈍っております。ブロックのやり方をご存知の方から、是非添削を受けたく、お願いに上がった次第です。よろしくお願い申し上げます。--やすとし 2006年10月22日 (日) 12:14 (UTC)[返信]

元に戻して下さい。N yotarou 2006年11月17日 (金) 10:08 (UTC)[返信]

ついでに。テンプレ張ってないのは何か意図があるのでしょうか?--Ks aka 98 2006年11月17日 (金) 10:31 (UTC)[返信]
テンプレは保存しそこねです。すみません。--miya 2006年11月17日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
ノート:波切神社 (志摩市)に過去ログの削除依頼を出した旨明記しないのはどういうことでしょう?おそろしく卑怯な手段にしか思えないのでご説明頂けますでしょうか?N yotarou 2006年11月19日 (日) 08:24 (UTC)[返信]

リンクが曖昧さ回避ページになってしまっていましたので、修正させていただきました。申し訳ないです。N yotarou 2006年11月17日 (金) 10:36 (UTC)[返信]

すみません、うかつでした。--miya 2006年11月17日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
元に戻す気があるのかどうかと、システム上できるのかできないのかをはっきりさせて頂かないと意味不明なんですけどご説明頂けますでしょうか?N yotarou 2006年11月19日 (日) 08:24 (UTC)[返信]
N yotarouさんの「元に戻して下さい」というのは、過去ログをノート:波切神社 (志摩市)に戻せという意味ですか? 削除依頼に出すと議論が続けられないと思って移動でログ化したのですが、皆さんが戻すべきだとおっしゃるなら、システム上は可能です。「元に戻す気があるのかどうか」については、Nekosuki600さんなど、他の方がどうおっしゃるか次第です。移動したとき「戻せ」ではなく「もう手を出すな」と言われましたので、私の一存では動きかねます。ところでN yotarouさんはログ化にも削除依頼にも反対ではないと思っていました。--miya 2006年11月19日 (日) 12:10 (UTC)[返信]

Miketsukunibito氏がアップロードした写真の扱い[編集]

Wikipedia:削除依頼/画像:Daiohzaki.jpgで指摘したとおり、Miketsukunibito氏がアップロードした写真の中には、松井氏が管理しているサイトで使用されているものが見受けられます。ところが、その中には、撮影者をMiketsukunibito氏としてアップロードしておきながら、松井氏が管理しているサイトでは松井氏が撮影者である旨の表記も存在します。このことからすれば、Miketsukunibito氏が撮影者名を偽ってアップロードした可能性が極めて高いのではないでしょうか。

結局は存続になったものの、Wikipedia:削除依頼/Miketsukunibito氏作成の記事においては、著作者の許可を得たといいつつ自分が全部書いたものだという矛盾した言動が見られるなど、Miketsukunibito氏は著作権に関する問題意識が不十分であると考えざるを得ません。

Miyaさんは松井氏と連絡が取れるようなので、Miketsukunibito氏がアップロードした写真は、撮影者名を偽ってアップロードされたものなのかを、確認していただけないでしょうか。場合によっては削除せざるを得ないと思われるので、よろしくお願いします。-- 志摩ペディア・ウォッチャー 2006年11月17日 (金) 15:04 (UTC)[返信]

先日から、その件で松井氏と連絡を取り合っていました。Miketsukunibito氏のアップロードされた画像のうち、20枚近くがそれに該当するとのこと。かつて顧客に無料で提供したことのある画像で、カメラの機種が同じなために混同してしまったのではないかとおっしゃってました。
今は全て志摩市観光協会に渡しているとのことで、画像情報の「撮影者:Miketsukunibito」を「撮影者:志摩市観光協会」に書き換えれば削除しなくていいとも。ただ、それを証明するのは簡単ではなさそうで、投稿者に確認を取りたいのですが、連絡しようにもウィキメールが使えず、どうしたものかと苦慮しています。--miya 2006年11月17日 (金) 15:32 (UTC)[返信]
えーとねえ。松井氏撮影Miketsukunebitoがアップロード、という写真もあったりするわけですよ。しかも「許諾を得て」とか書いてある参考
松井氏の商売はインターネット屋だし、画像ファイルを渡しているわけだし、Miketsukunebito氏の方は許諾を得たと主張している。十中八九、松井氏とMiketsukunebito氏は、最低限顔見知りだろうと思う。別にそんなことをこっちが主張する必要もなけりゃ、松井氏の言質を取る必要もないけどね。いずれにせよ、松井氏から可能性がありそうな顧客に声をかけてもらって連絡を待つとかでいいんじゃないでしょうか。「話がついたら結果だけこっちに教えてくれ」で充分だ。
なお、松井氏に対しては、Miketsukunebito氏に許諾を出したことがないのかどうかだけは、きっちり聞いていただきたい。松井氏にMiketsukunebito氏が誰だかわからないのだとすると、許諾を出したということもかなり怪しいことになる。つまりMiketsukunebito氏は他人の著作物を自著作物であると偽ってアップロードするという、Wikipediaにとっては最大級に破壊的なことをしでかしたということになるわけでね。それはそれで対処しなければなりません。
--Nekosuki600 2006年11月17日 (金) 16:09 (UTC)[返信]
話を整理する。
話を総合すると、「松井氏=Miketsukunebito」という説と「松井氏≠Miketsukunebito」という説の2つがある(念のためだが、この説を明記したのは、「いずれであるにせよ、どちらが正しいのかをWikipedia側が気にする必要はないし、解明することができるとも思わない」ということを確認するためだ。この点にこだわることには、Wikipediaにとって意味はないし、どちらであろうとも問題のない解決策を考えるよりほかはない)。
前者である場合には、該当写真群について、著作権表記における齟齬はなく、権利処理上の疑義はないことになる。しかし松井氏の主張に基づけば、どうやら後者、つまり別人だということになり、著作権的な問題が生じる。
個人的には、前述の通り、もろもろの状況から松井氏とMiketsukunebitoは最低限顔見知りであると考える。許諾処理がなされているというMiketsukunebitoの主張が正しいのならば、当然松井氏はMiketsukunebitoに許諾を出していることになる。松井氏は、顔見知りのMiketsukunebitoとの間で交渉なりなんなりをすればいいのであって、Wikipediaはそういう外部二者間で行うべき交渉ごとに介入する必要はないし、厄介ごとを引き受けるだけの結果に陥るから介入してはならない(はっきし言って、Miyaさんは、そういう「Wikipediaが引き受けるべきではない厄介ごとを、Wikipediaに誘致しようとしているようにしか見えない)。
松井氏がMiketsukunebitoが誰だかわからないのだとすると、それは許諾を出していないということを意味するだろう。であるならば当該写真群は、著作権侵害ということになる。
松井氏が許諾を出したのに忘れてしまったという可能性もないわけではなく、そうであるならばMiketsukunebitoは「著作権侵害」の冤罪をかぶる立場となるわけだが、その場合、苦情を申し立てる権利があるのはMiketsukunebitoであり、苦情の申し立て相手は松井氏である。このケースでも、Wikipediaは関係ない。このケースであったとしても、松井氏とMiketsukunebitoの間で交渉なり議論なりをしてもらい、その結果を知らせてもらうということで充分だろう(現状で、松井氏はMiketsukunebitoが誰だかわからないと述べているようなので、この線はあまり考慮する価値がないと、おれは判断する)。
以上をふまえて、とりあえずWikipedia側としてできる対処を考えた場合、「Miketsukunebitoがアップロードしたすべての写真について、著作権侵害の疑義がある」として削除をするというのが正しい結論になるだろう。現在、別のウィキペディアンによる再撮・差し替え作業も行われており、削除をしたとしてもさほどの被害が生じるわけではない。全削除ということで結論として良いものと考える。--Nekosuki600 2006年11月18日 (土) 05:14 (UTC)[返信]
先日の話では、観光協会を含む複数の相手に「自由に使って良い」と許諾を与えたことはあり、この人かもしれないと思い当たった相手に聞いてみたが相手は否定したとのことでした。GFDLについてはご存知無かったようです。--miya 2006年11月19日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
あいまいな記憶に基づく話を伝聞では、いずれにせよ権利処理関係の根拠とはできません。また、そういうことであれば「許諾があった」とするMiketsukunebito氏の主張は錯誤に基づくものであるということになります(われわれはいずれにせよ「法的係争における当事者」ではありませんから、錯誤の状況についてそれ以上追及・解明を志す必要はないでしょう)。
では「著作権者が、GFDLを理解した上で、Wikipediaに提供しようとした」とは言えないということで、よろしいですね(ここで改めて松井氏に対してMiyaさんがGFDLの説明をして許諾を得ようとするというようなことはやめて下さい。問題解決を引き延ばし、話をややこしくするだけですので、絶対にやめて下さい)。--Nekosuki600 2006年11月19日 (日) 12:20 (UTC)[返信]

那珂川町 (福岡県)について[編集]

こんにちは。那珂川町 (福岡県)についてご忠告を頂きましたが、著作権侵害とされる箇所は私が書いたものではありません。私がそれを見つけて削除依頼を出しています。Rusk 2006年11月19日 (日) 21:39 (UTC)[返信]

すみません、削除依頼この差分があったので誤解してしまいました。ほんとに失礼なことを書いてしまってすみません。--miya 2006年11月19日 (日) 22:24 (UTC)--利用者‐会話:Ruskより転記--[返信]

「ルールすべてを無視しなさい」での「大胆な編集」に関する質問[編集]

こんにちは。Anonymous000です。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいでの「「大胆な編集」」を拝見いたしました。Wikipedia:荒らし#白紙化と一瞬見誤るような「大胆な編集」を、要約欄の「これでよいような」というコメントのみでmiyaさまが行われており、ノートには何のコメントがなかったのが不思議でした。その後、Ks aka 98さんによる差戻し(「意見投票中なので改定案に戻します」)の後の、miyaさまのKs aka 98さんのノートページでの差戻しに関するご見解を拝見して、なお疑問が深まったためこちらにまいりました。まず、一点だけ質問にお答えいただけますと幸いです。

  1. miyaさまが「大胆な編集」を行われた当時(2006年11月22日 (水) 11:57の時点)に、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいで議論が進んでいることを知っていましたか?知りませんでしたか?

とりあえず以上1点の質問について、ご回答をよろしくお願いします(簡単でかまいません)。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 01:41 (UTC)[返信]

まず、ノートへ説明が遅くなったのはお詫びします、いざコメントを書こうとすると考えがまとまらなくて書いたり消したりしていました。
ご質問についてですが、「大胆な編集」の前に議論は拝見しました。Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/意見投票に「投票が実施されている間も草案は編集可能です。」という言葉を見つけて、「私ならこれで良いように思います」という形を提示してみました。百の議論より一編集(ただし差し戻されても泣かない)、がモットーです。
>(個人的には、この文書は説明見出し以下が蛇足で、解釈はおのおのの参加者に委ねるほうがよいと考えていますが、今回は正式化を優先させたいと思っています) --Michey 画像:Michey.M.png 2006年11月16日 (木) 05:20 (UTC)
とMichey.Mさんが書いておられるのを見て、確かに最初の一文だけのほうがいいかもしれないなぁと(理由は全く同じでは無いかもしれませんが)感じ、同時に、正式化してからでは大幅な改稿は困難になるなぁと思いました。で、彼の言う「説明見出し以下」を全部削ってみたらどうなるのか見たかった、他の人たちにも見てもらいたかった、というのが本当の気持ちです。「大胆な編集」というより、2004-03-23ごろへの先祖がえり、大幅差し戻し、というべきかもしれませんけどね。
なぜ一文のほうが良い、と思ったかと申しますと、このルールの本質は、冒頭一行だけで言い尽くされているからです。このルールは、前もってルールを定めておけないあらゆる事態に対処してプロジェクトを守り発展させていくための鍵だと思うのです。
なので、解説がたくさんあるとかえって、見た人があのルールの本質を把握する邪魔になるのではないかと感じたのです。一文だけだと、見た人はこれはどういう意味だろうと首をひねってしばらく考えるでしょう。その上で、これに対する補足解説ページ(英語版en:Wikipedia:Suggestions on how to ignore all rulesよりもっと懇切丁寧に)を用意してそこに誘導するほうがよいのではないかと思ったのです。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいは基本方針、解説ページはガイドライン(またはその草案)としておけば、改変も臨機応変にできるでしょう。解説はこれからも増えるかもしれませんが、IARの本質は、変わらないと思います。--miya 2006年11月23日 (木) 03:00 (UTC)[返信]
早速のご回答ありがとうございます。最近の議論については意見投票中であることも含めて(恐らくすべて)知った上で、差戻し覚悟で、あえて最初の一文のみにされたということですね。「正式化してからでは大幅な改稿は困難」というmiyaさまのご見解については、私は別の見方を持っています。つまり、たとえ公式方針であっても、そのルールに対して頑なさをもたず、ウィキペディアを快適に運用する上でルールが問題になるなら、コミュニティの合意でルールは自由に変えられるし、「無視もできる」。コミュニティでのコンセンサスが容易に得られない問題があるのであれば、ルールを無視してはいけない、というのが、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいの精神の一つのようにも思います。また、今回のmiyaさまのようなご編集をされる方がいらっしゃるからこそ、むしろ、日本語版ウィキペディアにおける草案が今のように長いものになった、ということを示すよい例のような気が私にはいたします。そこで、今回のmiyaさまのご編集に関するいきさつを、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい#ルールの精神と常識を尊重するの例(現時点では「犬猫の張り紙の例」となっている部分。「荒らし」の例がコメントアウト中)として追加できるといいかなと思いました。この点につきまして、(決して皮肉ではなくまじめに)miyaさまのご承諾を是非いただきたく存じますが、いかがでしょうか(もちろん、出してほしいというmiyaさまからのご希望がない限り、名前は出しません。ただ、草案を検討する上で起こった出来事であることを入れると、非常に説得力の増すよいルールになりそうに思いますが、この点もmiyaさまのご承諾がない限りは無理に触れる必要はないと私は考えています。)。ひとまず、質問を絞り、次の点についてご回答をお願い申し上げます。
  1. 今回の編集に関するいきさつを、草案の「例」に追加することについてmiyaさまのご承諾はいただけますか?いただけませんか?
上記の質問に対してご回答をお願い申し上げます(簡単でかまいません)。miyaさまに悪気があってされているのではないと私も思っていますので、miyaさまを非難する意図は私にはありません。また、恐らくmiyaさまにはなぜ自分の編集が「例」になるのか分からないと私は思いますが、分かる方が(私だけではなく)コミュニティにはいらっしゃると思います。そのような点をご考慮の上で、ウィキペディア日本語版の文書整備に役立つと考えてmiyaさまのご承諾をお願いする私の意図を是非ご理解の上で、ご回答をいただければと存じます。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 03:38 (UTC)[返信]
お二人の会話に割り込む形になりますが、お許しください。まず、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいで説明以下を省くことは選択肢の中の一つであると思います。私は、そのページは編集すればするほど、しっくりこなくなり、本来あるべきものから外れていくようにも感じています(まだ、うまく言えませんが)。次に、英語版がシンプルな理由は、その裏に多くの議論がありコンセンサスがとれているからです。一方、日本語版ではページは長い間ありましたが、議論が始まったばかりです。ただ、miyaさんの編集はノートに十分な説明が欲しかったと思っています。単に削られただけでは議論の発展に寄与しません。
そして、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいの例に今回の件を追加するのは(文面を見ていない段階での判断ですが)反対です。ガイドライン文書に「○○さんのようなことをしない」という類の文面の追加を許す悪い前例をつくる可能性があります。--Michey 2006年11月23日 (木) 04:46 (UTC)[返信]
(Ks aka 98さまと編集競合)Micheyさま、コメントありがとうございます。実は、私も上記のコメントを書いた後で、MicheyさまのWikipedia:ルールすべてを無視しなさい#このルールの英語版での歴史のご加筆(差分)を読んで、miyaさまの「これでよいような」に対する説明なんだと理解したところです。ただ、長く英語版やメタなども含めたウィキペディアに関わっている方には「常識」であることが、「良識」とはあわない場合がありうるだろうな、と、丁度Kanbunさんが指摘されていた「常識」という言葉への懸念に得心していたところです。(「例」に私がこだわるわけではないですが、それでもなお、miyaさまから軽い気持ちで(もしくは今回のことを真摯に受け止めて)、「例」にすることにご承諾いただけるのであれば、入れた方がいいように私は思っています。前例を作る際にもあくまで「本人の承諾の上で」ということであれば、悪い前例にはならないと私は思っています。)いずれにせよ今回の件で、この方針を「簡潔にすることなく」早く公式化する必要があるな、と改めて感じているところです。私が最初に草案に反対した際に想定していたのは、最近管理者に立候補したりした後、無期限ブロックになった方でした。しかし、井戸端告知時の当初の草案の公式化には反対する意見がコミュニティの「コンセンサス」(大方の一致)であり、草案が全面改定されたあとに非常に好意的な意見が増しているのは、そのようなユーザーのためだけではなかったのだな、とも感じているところです。それから、今回のMicheyさまのご加筆で草案がさらに良くなっていると思っています。文章のつながりをうまく作って、表現の強弱を上手にまとめていく才能をとても尊敬しています。(現時点ではMicheyさまは「保留」にされていますが)是非早期の公式化の方向での意見のとりまとめに、私も協力できれば良いな、と思っています。それでは今後ともよろしくお願いいたします。場違いな話を長々とすいません>miyaさま。あと、miyaさまのお返事を引き続きお待ちしております。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 05:45 (UTC)[返信]
例を挙げることには反対しますし、適切な例ではないように思います。つーか、「Xという問題点をなんとかしようとする」という前提の中で「AにするかBにするか」、という議論が進んでいる中で、前提抜きに「Cにしよう」という意見が出てきた、に過ぎないわけで(僭越ながらmiyaさんにはその傾向があるように思います)。--Ks aka 98 2006年11月23日 (木) 05:02 (UTC)[返信]
「例」にこだわるわけではないのですが(miyaさま次第です)、Wikipedia:ページの編集は大胆にWikipedia:説明責任Wikipedia:荒らし#白紙化と「良識」の関係にたとえることはできるかな、と思っています。もっとも、すでにWikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れないという規定はあるので、私は、miyaさまの「配慮(分別)」ないし「常識」に少しずれがある(それが悪いというわけではないのですが)ところがあると、僭越ながら私は感じています。そうすると、適切な「例」でなくなるのかなぁ。。もう少し考えてみます。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 05:45 (UTC)[返信]

お二方もこんにちは。「わざわざ聞いてくださってありがとうございます。」とのんびり書いていたら、相次いでコメントいただいてあせっています。私自身のことについては、良いも悪いも、コメントすべきではないと思っています。3回連続で編集競合したので、すみませんが、Anonymous000さんの最後のコメントを読む前の文章のまま投下させてください。

Michey.Mさんのおっしゃるとおり、ノートに充分な説明を書くべきでしたし、Ks aka 98さんのお叱りは耳が痛いのですが、ただ、前提抜きに「Cにしよう」という意見 を出したつもりはなかったのです。「C」(簡略化や解説を別ページにする案)は私のオリジナルではありません。意見投票に気がついて議論ページを読んでみたら、そういう提案・意見(「C」)があったのにいつの間にか立ち消えになって、意見投票の段階では「C」については考慮されていないようだったので、「C」でもよいような・・・とストレートに行動してしまったのです。でも、あとからまとめて議論に目を通したので、私に誤読があったかもしれません。ひょっとして「簡素化+別ページ化」がちゃんとした議論の末に却下済みだったのでしたら、皆さんにお詫びいたします。--miya 2006年11月23日 (木) 05:53 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。miyaさまからの明示の承諾がないですし、「止めておけ」というご意見がここまでの「コンセンサス」なので、「例」にするのは止めておきます。先にこのページでお尋ねしておいて良かったです。それから、「オリジナルではない」という点が私のいう「常識」になります。(前にもどこかで書きましたが、長くアクティブに活動されているユーザーが共有していることが、コミュニティには共有されていないという意味で「常識」という言葉を用いています。その意味を明示するために、連続投稿による修正をしてしまって申し訳ありません。)最後に、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい#この文書を簡潔にすべきかで、簡潔化するかどうかについての議論が始まっています。是非、コメントをお寄せいただければと思います。その際には、是非、「Ks aka 98さんのお叱り」と#議論の進め方についてでのご指摘も踏まえていただくと、さらにありがたいです。(これが私にとっては一番のお願い)(^^)。ともあれ、私はmiyaさまが対話を重視されるところをとても評価しております。今後ともよろしくお願いいたします。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 06:12 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい#この文書を簡潔にすべきかに書こうとして、英仏独を見て廻って、結局、昨日はWP:SIRをヘボ訳しながら日ごろの言動を反省したところで終わってしまいました。
今だから言いますが(提案されているときに言うと書かれたくないために言うように見えてしまうのがいやで言えなかったのですが)「大胆な編集」をIARの解説に用いるのには違和感がありました。「大胆な編集」はIARとぶつかるものではないと、IARの精神はもう少し違うところにあると感じます。そのあたりを確かめたくて他の言語版を見て廻って、en:WP:SIR等を読んだのでした。この第2版、Revision as of 19:32, 24 May 2006 (moved from IAR)を見ると、IARから分割されたものであることが分かります([3])。
IRAの受け取り方はこの一点でも分かるように、各人で大きく異なるようです。だから、IARはごく短いままにして、解説は別のページに分割しませんか? Michey.Mさんが2006年11月19日に提案されたように。今見たらWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説も作ってくださったようです。
本文内に解説がつかないなら正式化に賛成できない、ということでしたら、少し前の英語版のように<これは重要な文書です>と冒頭で宣言するのでも良いと思うのです。en:Wikipedia:Use common senseも手が空いたらヘボ訳してみます。
といっても、唐突だ、拙速だ、それまで議論を重ねていた皆さんに対して礼を失していた、説明が足りない/遅すぎる、という非難は受けて当然でした。心配りが足りなかったこと、改めてお詫びいたします。--miya 2006年11月24日 (金) 05:53 (UTC)[返信]

300,000[編集]

そろそろ準備が必要になってきたようです。もし差し支えなければお願いしたいのですが…。--竹麦魚(ほうぼう) 2006年11月24日 (金) 03:45 (UTC)[返信]

12月になってもほかに誰もやる人がいないようなら、準備にかかります。
[(300 000 - 290 228) / (13 317 / 31) = 22.747766]
あと3週間ほどでしょうか。--miya 2006年11月24日 (金) 05:53 (UTC)[返信]

静岡県立韮山高等学校のノートページについて[編集]

はじめまして。いちごミルクと申します。自分が未熟者なので対処の仕方に迷ったのでこちらに書き込ませていただきました。今回ノート:静岡県立韮山高等学校において、利用者:WBJ氏が「タリウムによる毒殺未遂(?)の少女のことを記載しろ」とノートページで訴えているのですが、以前のノートページでの議論で、これらのことは記載しない旨が確認されているはずです。個人的に反論を書きましたが、WBJ氏がノートページに割り込んで書いたりもしていますのでどうすればいいかご教示いただけたらと思います。お忙しいことでしょうがよろしくお願いします。--いちごミルク 2006年11月24日 (金) 10:48 (UTC)[返信]

上記の件ですが、とりあえず削除依頼を出して解決しました。--いちごミルク 2006年11月25日 (土) 14:24 (UTC)[返信]

投稿ブロックについて[編集]

はじめましてayers⇔rockと申します。昨日連続投稿を行うIP:203.91.166.228会話 / 投稿記録へ短期ブロックをしていただきましたが、解除後も相変わらず連続投稿を続けています。何かしらの対応をお願いできませんか。--ayers⇔rock 2006年11月30日 (木) 06:21 (UTC)[返信]

何度もすみませんayers⇔rockです。昨日、IP:203.91.166.228会話 / 投稿記録へ2回目の投稿ブロックをかけていただきましたが、ブロックが明けた直後から連続投稿を続けています。再度ノートへ問いかけましたが、連続投稿を続けています。投稿の手を休め、もう少しガイドブックを読む時間を与えてあげてくださいませんか?--ayers⇔rock 2006年12月1日 (金) 07:59 (UTC)[返信]

少なくとも、同じ項目に対しては2回以下に抑えるよう努力なさっておられるようです。それ以外に問題があれば、具体的かつ分かりやすく説明を加えてガイドブックの特定のページへのリンクを提示してあげてはどうでしょう? ガイドブックを最初から最後まで読めというのは、いささか初心者にはつらい注文かもしれません。具体的指摘をしても読んでくれなさそうなら、「会話ページをお読みください」という短期ブロックも考えます。--miya 2006年12月1日 (金) 08:28 (UTC)[返信]
私は、まず投稿の手を休めてIP:203.91.166.228会話 / 投稿記録さんが何を指摘されているのか考える時間を与えてあげてはいかがと思います。しかし私にはその権限がありませんので、彼(彼女)のノートで注意・警告させていただいていますし、その権限をお持ちのMiyaさんに御相談をしています。これは連続投稿だけにかかわらず、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 道路に逸脱した形式の投稿や、事実に反した投稿にも通じます。その辺は注意する様にノートに書いたのだから、それを見ようが見まいが、方針に反した投稿を続けるのならば、それなりの指導を受けるべきだと思います。未だに17分間に9回連続投稿を続けている人が連続投稿に気をつけていると、私は思えませんので御検討願いたくお伺いしました。--ayers⇔rock 2006年12月2日 (土) 18:26 (UTC)[返信]

保護について[編集]

投稿ブロックをしていただいて、ありがとうございます。Wikipedia:存命人物の伝記に従って行動したつもりですが、至らない点がありましたらご指摘下さい。感謝申し上げます。--Album 2006年12月1日 (金) 03:39 (UTC)[返信]

Albumは「自分はクリスマス研究家」などとうぬぼれていたが、クリスマスサンタクロースの編集でも他の編集者と意見が合わず、争っていた。そしてその後、いきなり湯浅弘一の「人物」の記述を全部消しやがった。Histwr氏など、投稿してくれた人を尊重しない傍若無人な態度だと非難せざるをえない。--210.169.101.155 2006年12月1日 (金) 04:14 (UTC)[返信]
こんにちは。ウィキペディアには従うべき基本方針というものがあります。今現在ご存命の方に関する項目では、特に信頼できる情報源にて検証可能な情報のみを記載するよう求められています。どこまで執筆可能か、どうぞ、項目のノートでご検討ください。--miya 2006年12月1日 (金) 08:28 (UTC)[返信]

例えば仲間由紀恵石橋貴明中居正広などのページはどう説明するんですか?検証可能とは到底いえないような記述がたくさんありますが。この3人に限らず、著名人のページのほとんどは検証可能とはいえないような記述が多数見られるのです。そしてそういった記事をすべて消すことなど到底不可能です。つまり荒らし、誹謗、中傷でない限りそういった記事は黙認されているのです。--210.169.101.155 2006年12月1日 (金) 13:48 (UTC)[返信]

他の項目が低レベルだからこちらも低レベルで良い、という議論は不毛です。
仲間由紀恵石橋貴明中居正広のほうも おいおい 修正されていくことでしょう。ここは百科事典であり、掲示板でもファンサイトでもありません。--miya 2006年12月1日 (金) 14:20 (UTC)[返信]

他の記事で黙認されるなら湯浅弘一だって黙認されるのが当然でしょう。湯浅弘一だけダメだというのは全く筋の通らない話です。--210.169.101.155 2006年12月1日 (金) 14:29 (UTC)[返信]

はじめまして[編集]

私は駆逐艦雪風 2006年12月3日 (日) 09:25 (UTC)と申します。ところでKASAGIさんが投稿した辰斯王で、田英さんからKASAGIさんが投稿した分が、別の著作物を侵害しているとの指摘を受けたようです。実は私もアカウント取得と同時に、かねがね畏敬の念を抱いていたOuvertureさんに挨拶のメッセージを送ったら、そのノートにKASAGIさんから誹謗に近いコメントが書かれてるのを見て驚きました。KASAGIさんは以前にも木村昌福醍醐忠重で別の著作物を口読点まで全く同じな状態で投稿していて、それを指摘した人に逆ギレしてました。私も図書館で指摘していた書籍を閲覧しましたが、どれも原文と殆んど変わり映えがありません。見ていて不愉快になりました。下部に「他のウェブサイトや書籍からの文書のコピーは避ける」と出てますが、許されるのでしょうか。私には田英さんやOuvertureさんの言い分に理があり、KASAGIさんの主張には無理があると考えます。miyaさんは、以前このことでOuvertureさんから相談されてるようですが、許される範囲なのでしょうか?--駆逐艦雪風 2006年12月3日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

「ルールすべてを無視しなさい」での「大胆な編集」に関する質問[編集]

こんにちは。Anonymous000です。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいでの「「大胆な編集」」を拝見いたしました。Wikipedia:荒らし#白紙化と一瞬見誤るような「大胆な編集」を、要約欄の「これでよいような」というコメントのみでmiyaさまが行われており、ノートには何のコメントがなかったのが不思議でした。その後、Ks aka 98さんによる差戻し(「意見投票中なので改定案に戻します」)の後の、miyaさまのKs aka 98さんのノートページでの差戻しに関するご見解を拝見して、なお疑問が深まったためこちらにまいりました。まず、一点だけ質問にお答えいただけますと幸いです。

  1. miyaさまが「大胆な編集」を行われた当時(2006年11月22日 (水) 11:57の時点)に、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいで議論が進んでいることを知っていましたか?知りませんでしたか?

とりあえず以上1点の質問について、ご回答をよろしくお願いします(簡単でかまいません)。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 01:41 (UTC)[返信]

まず、ノートへ説明が遅くなったのはお詫びします、いざコメントを書こうとすると考えがまとまらなくて書いたり消したりしていました。
ご質問についてですが、「大胆な編集」の前に議論は拝見しました。Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/意見投票に「投票が実施されている間も草案は編集可能です。」という言葉を見つけて、「私ならこれで良いように思います」という形を提示してみました。百の議論より一編集(ただし差し戻されても泣かない)、がモットーです。
>(個人的には、この文書は説明見出し以下が蛇足で、解釈はおのおのの参加者に委ねるほうがよいと考えていますが、今回は正式化を優先させたいと思っています) --Michey 画像:Michey.M.png 2006年11月16日 (木) 05:20 (UTC)
とMichey.Mさんが書いておられるのを見て、確かに最初の一文だけのほうがいいかもしれないなぁと(理由は全く同じでは無いかもしれませんが)感じ、同時に、正式化してからでは大幅な改稿は困難になるなぁと思いました。で、彼の言う「説明見出し以下」を全部削ってみたらどうなるのか見たかった、他の人たちにも見てもらいたかった、というのが本当の気持ちです。「大胆な編集」というより、2004-03-23ごろへの先祖がえり、大幅差し戻し、というべきかもしれませんけどね。
なぜ一文のほうが良い、と思ったかと申しますと、このルールの本質は、冒頭一行だけで言い尽くされているからです。このルールは、前もってルールを定めておけないあらゆる事態に対処してプロジェクトを守り発展させていくための鍵だと思うのです。
なので、解説がたくさんあるとかえって、見た人があのルールの本質を把握する邪魔になるのではないかと感じたのです。一文だけだと、見た人はこれはどういう意味だろうと首をひねってしばらく考えるでしょう。その上で、これに対する補足解説ページ(英語版en:Wikipedia:Suggestions on how to ignore all rulesよりもっと懇切丁寧に)を用意してそこに誘導するほうがよいのではないかと思ったのです。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいは基本方針、解説ページはガイドライン(またはその草案)としておけば、改変も臨機応変にできるでしょう。解説はこれからも増えるかもしれませんが、IARの本質は、変わらないと思います。--miya 2006年11月23日 (木) 03:00 (UTC)[返信]
早速のご回答ありがとうございます。最近の議論については意見投票中であることも含めて(恐らくすべて)知った上で、差戻し覚悟で、あえて最初の一文のみにされたということですね。「正式化してからでは大幅な改稿は困難」というmiyaさまのご見解については、私は別の見方を持っています。つまり、たとえ公式方針であっても、そのルールに対して頑なさをもたず、ウィキペディアを快適に運用する上でルールが問題になるなら、コミュニティの合意でルールは自由に変えられるし、「無視もできる」。コミュニティでのコンセンサスが容易に得られない問題があるのであれば、ルールを無視してはいけない、というのが、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいの精神の一つのようにも思います。また、今回のmiyaさまのようなご編集をされる方がいらっしゃるからこそ、むしろ、日本語版ウィキペディアにおける草案が今のように長いものになった、ということを示すよい例のような気が私にはいたします。そこで、今回のmiyaさまのご編集に関するいきさつを、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい#ルールの精神と常識を尊重するの例(現時点では「犬猫の張り紙の例」となっている部分。「荒らし」の例がコメントアウト中)として追加できるといいかなと思いました。この点につきまして、(決して皮肉ではなくまじめに)miyaさまのご承諾を是非いただきたく存じますが、いかがでしょうか(もちろん、出してほしいというmiyaさまからのご希望がない限り、名前は出しません。ただ、草案を検討する上で起こった出来事であることを入れると、非常に説得力の増すよいルールになりそうに思いますが、この点もmiyaさまのご承諾がない限りは無理に触れる必要はないと私は考えています。)。ひとまず、質問を絞り、次の点についてご回答をお願い申し上げます。
  1. 今回の編集に関するいきさつを、草案の「例」に追加することについてmiyaさまのご承諾はいただけますか?いただけませんか?
上記の質問に対してご回答をお願い申し上げます(簡単でかまいません)。miyaさまに悪気があってされているのではないと私も思っていますので、miyaさまを非難する意図は私にはありません。また、恐らくmiyaさまにはなぜ自分の編集が「例」になるのか分からないと私は思いますが、分かる方が(私だけではなく)コミュニティにはいらっしゃると思います。そのような点をご考慮の上で、ウィキペディア日本語版の文書整備に役立つと考えてmiyaさまのご承諾をお願いする私の意図を是非ご理解の上で、ご回答をいただければと存じます。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 03:38 (UTC)[返信]
お二人の会話に割り込む形になりますが、お許しください。まず、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいで説明以下を省くことは選択肢の中の一つであると思います。私は、そのページは編集すればするほど、しっくりこなくなり、本来あるべきものから外れていくようにも感じています(まだ、うまく言えませんが)。次に、英語版がシンプルな理由は、その裏に多くの議論がありコンセンサスがとれているからです。一方、日本語版ではページは長い間ありましたが、議論が始まったばかりです。ただ、miyaさんの編集はノートに十分な説明が欲しかったと思っています。単に削られただけでは議論の発展に寄与しません。
そして、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいの例に今回の件を追加するのは(文面を見ていない段階での判断ですが)反対です。ガイドライン文書に「○○さんのようなことをしない」という類の文面の追加を許す悪い前例をつくる可能性があります。--Michey 2006年11月23日 (木) 04:46 (UTC)[返信]
(Ks aka 98さまと編集競合)Micheyさま、コメントありがとうございます。実は、私も上記のコメントを書いた後で、MicheyさまのWikipedia:ルールすべてを無視しなさい#このルールの英語版での歴史のご加筆(差分)を読んで、miyaさまの「これでよいような」に対する説明なんだと理解したところです。ただ、長く英語版やメタなども含めたウィキペディアに関わっている方には「常識」であることが、「良識」とはあわない場合がありうるだろうな、と、丁度Kanbunさんが指摘されていた「常識」という言葉への懸念に得心していたところです。(「例」に私がこだわるわけではないですが、それでもなお、miyaさまから軽い気持ちで(もしくは今回のことを真摯に受け止めて)、「例」にすることにご承諾いただけるのであれば、入れた方がいいように私は思っています。前例を作る際にもあくまで「本人の承諾の上で」ということであれば、悪い前例にはならないと私は思っています。)いずれにせよ今回の件で、この方針を「簡潔にすることなく」早く公式化する必要があるな、と改めて感じているところです。私が最初に草案に反対した際に想定していたのは、最近管理者に立候補したりした後、無期限ブロックになった方でした。しかし、井戸端告知時の当初の草案の公式化には反対する意見がコミュニティの「コンセンサス」(大方の一致)であり、草案が全面改定されたあとに非常に好意的な意見が増しているのは、そのようなユーザーのためだけではなかったのだな、とも感じているところです。それから、今回のMicheyさまのご加筆で草案がさらに良くなっていると思っています。文章のつながりをうまく作って、表現の強弱を上手にまとめていく才能をとても尊敬しています。(現時点ではMicheyさまは「保留」にされていますが)是非早期の公式化の方向での意見のとりまとめに、私も協力できれば良いな、と思っています。それでは今後ともよろしくお願いいたします。場違いな話を長々とすいません>miyaさま。あと、miyaさまのお返事を引き続きお待ちしております。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 05:45 (UTC)[返信]
例を挙げることには反対しますし、適切な例ではないように思います。つーか、「Xという問題点をなんとかしようとする」という前提の中で「AにするかBにするか」、という議論が進んでいる中で、前提抜きに「Cにしよう」という意見が出てきた、に過ぎないわけで(僭越ながらmiyaさんにはその傾向があるように思います)。--Ks aka 98 2006年11月23日 (木) 05:02 (UTC)[返信]
「例」にこだわるわけではないのですが(miyaさま次第です)、Wikipedia:ページの編集は大胆にWikipedia:説明責任Wikipedia:荒らし#白紙化と「良識」の関係にたとえることはできるかな、と思っています。もっとも、すでにWikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れないという規定はあるので、私は、miyaさまの「配慮(分別)」ないし「常識」に少しずれがある(それが悪いというわけではないのですが)ところがあると、僭越ながら私は感じています。そうすると、適切な「例」でなくなるのかなぁ。。もう少し考えてみます。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 05:45 (UTC)[返信]

お二方もこんにちは。「わざわざ聞いてくださってありがとうございます。」とのんびり書いていたら、相次いでコメントいただいてあせっています。私自身のことについては、良いも悪いも、コメントすべきではないと思っています。3回連続で編集競合したので、すみませんが、Anonymous000さんの最後のコメントを読む前の文章のまま投下させてください。

Michey.Mさんのおっしゃるとおり、ノートに充分な説明を書くべきでしたし、Ks aka 98さんのお叱りは耳が痛いのですが、ただ、前提抜きに「Cにしよう」という意見 を出したつもりはなかったのです。「C」(簡略化や解説を別ページにする案)は私のオリジナルではありません。意見投票に気がついて議論ページを読んでみたら、そういう提案・意見(「C」)があったのにいつの間にか立ち消えになって、意見投票の段階では「C」については考慮されていないようだったので、「C」でもよいような・・・とストレートに行動してしまったのです。でも、あとからまとめて議論に目を通したので、私に誤読があったかもしれません。ひょっとして「簡素化+別ページ化」がちゃんとした議論の末に却下済みだったのでしたら、皆さんにお詫びいたします。--miya 2006年11月23日 (木) 05:53 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。miyaさまからの明示の承諾がないですし、「止めておけ」というご意見がここまでの「コンセンサス」なので、「例」にするのは止めておきます。先にこのページでお尋ねしておいて良かったです。それから、「オリジナルではない」という点が私のいう「常識」になります。(前にもどこかで書きましたが、長くアクティブに活動されているユーザーが共有していることが、コミュニティには共有されていないという意味で「常識」という言葉を用いています。その意味を明示するために、連続投稿による修正をしてしまって申し訳ありません。)最後に、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい#この文書を簡潔にすべきかで、簡潔化するかどうかについての議論が始まっています。是非、コメントをお寄せいただければと思います。その際には、是非、「Ks aka 98さんのお叱り」と#議論の進め方についてでのご指摘も踏まえていただくと、さらにありがたいです。(これが私にとっては一番のお願い)(^^)。ともあれ、私はmiyaさまが対話を重視されるところをとても評価しております。今後ともよろしくお願いいたします。--Anonymous000 2006年11月23日 (木) 06:12 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい#この文書を簡潔にすべきかに書こうとして、英仏独を見て廻って、結局、昨日はWP:SIRをヘボ訳しながら日ごろの言動を反省したところで終わってしまいました。
今だから言いますが(提案されているときに言うと書かれたくないために言うように見えてしまうのがいやで言えなかったのですが)「大胆な編集」をIARの解説に用いるのには違和感がありました。「大胆な編集」はIARとぶつかるものではないと、IARの精神はもう少し違うところにあると感じます。そのあたりを確かめたくて他の言語版を見て廻って、en:WP:SIR等を読んだのでした。この第2版、Revision as of 19:32, 24 May 2006 (moved from IAR)を見ると、IARから分割されたものであることが分かります([4])。
IRAの受け取り方はこの一点でも分かるように、各人で大きく異なるようです。だから、IARはごく短いままにして、解説は別のページに分割しませんか? Michey.Mさんが2006年11月19日に提案されたように。今見たらWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説も作ってくださったようです。
本文内に解説がつかないなら正式化に賛成できない、ということでしたら、少し前の英語版のように<これは重要な文書です>と冒頭で宣言するのでも良いと思うのです。en:Wikipedia:Use common senseも手が空いたらヘボ訳してみます。
といっても、唐突だ、拙速だ、それまで議論を重ねていた皆さんに対して礼を失していた、説明が足りない/遅すぎる、という非難は受けて当然でした。心配りが足りなかったこと、改めてお詫びいたします。--miya 2006年11月24日 (金) 05:53 (UTC)[返信]

コメント依頼について[編集]

Wikipedia:コメント依頼/キリカでのmiyaさんの意見を拝見させていただきました。「「#コミュニティーとコモンセンス」以降に、いささか誤解を招く表現があったために、ことがこじれてしまったのだろうと思います。」ということですが、miyaさん自身はつまり、私やAnonymous000さんがキリカさんを「誤解」しているだけで、そこでの発言に「人格攻撃」的な意図は全くなかったとおっしゃりたいわけでしょうか?そこらへんを明確にしてコメントしていただけると、よりコメント依頼の要求にあったものになると思われます。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 20:23 (UTC)[返信]

少なくともWikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい#コミュニティーとコモンセンスを書いた時点での発言に「人格攻撃」的な意図は全くなかった、と受け取りました。だって、考えてもみてください。相手がバカだと思ったら「バカに見える」とは言いませんよ?
キリカさんはこのとき、Anonymous000さんのことを本当に「頭が弱い」とは思ってらっしゃらなかった、だからうかつにも「頭の弱い人に見えちゃう」と書いてしまったのです。本当に思ってたら(かつ、相手が本気でそう言われたと受け止めると思ったら)そんな言葉は使いませんよ。丁度、上のセクションでのAnonymous000さんのように 「恐らくmiyaさまにはなぜ自分の編集が「例」になるのか分からないと私は思いますが」 など、婉曲な言い方をなさったことでしょう。--miya 2006年12月4日 (月) 22:19 (UTC)[返信]
私一人の思い込みであっても困るので念の為にうちにいる大学生に読ませてみたのですが、彼も
「あなたはホントは頭が弱いわけではないのに、まるで頭が弱いように見えちゃいますよ」という忠告に読める。少なくとも相手に対する「人格攻撃」的な意図は感じないな。
ただ悪気は無いにせよ「頭が弱い」は言いすぎだね。これ「頭が固い」と言えば、まだ良かったんじゃないかな(固いともちょっと違うかもしれないけど)。
とコメントしました。(2006-12-04T22:50:20 Miya)
横からごめんなさい。miyaさんは「バカ」は暴言で「バカみたい」は暴言でない、というお考えでしょうか。また、キリカさんとAnonymous000さんは、そのような「忠告」が成立する関係であるとお考えでしょうか。miyaさんの論法でいくと、キリカさんの真の意図が侮辱でなかったとしたら(それはご本人にしかわかりませんが)、どんなことをいっても、言われた側がどう受け止めようと、それは侮辱でない、ということになりますが。キリカさんの「主張」そのものの是非は別にして、ひいきの引き倒しにならないように留意いただけたら、と思います。--みっち 2006年12月5日 (火) 03:41 (UTC)[返信]
みっちさん、こんにちは。コメント依頼に補足するには言葉がまとまらないので、先にこちらでお返事。
誹謗中傷は、言われたほうがそうだと受け取ったら「誹謗中傷」になってしまうそうです。だから言われた方にとって「暴言」なら「暴言」なのでしょう。それは否定できません。また、先に「荒らし」という言葉をあのページで持ち出したのはAnonymous000さんのほうですから、Anonymous000さんのほうには含むところがかなりあったのでしょう。(2006-11-26T15:58:38の版)だから、相手の言葉を誹謗中傷と受け取って当然だったのかもしれません。
でも、言ったほうはそのつもりではなかった、なんとか、自分のビジョンを伝えたいと四苦八苦しているうちに言ってしまった・・・ということだと思います。ひょっとしたらかすかなアイロニーは含まれていたかもしれませんが、あの時点では意図的な「悪意」は無かった、と思います。アイロニーと悪意は大差が無いと言われれば、この論点はここまでです。
確かに、あのたとえは、誤解されても仕方が無い、良くないニュアンスを帯びる言葉でした。どうぞ、一度、「弱い」を「固い」、「犬」を「高校生」に置き換えて読んでみてください。そうしたら、キリカさんの言いたかったことがはっきりしませんか?(これも私の思い込みかもしれませんが)。もちろん「もっと言うと・・・制服効果みたいな感じです。」の文章がそもそも無ければよかったのにとは思います。
で、IARなんですが、私はあの方針は一文のままにして、解説は別ページで「ガイドライン」とすべきだと思っています。キリカさんの議論に共感するのは、彼の苦心の議論は、私が展開したかった(けれどできないとあきらめていた)ものでもあるからです。
IARはウィキペディアのルールのへそ、「安全弁」だと思っています。それはいざ必要となったときのためにいつでも動作可能なように取って置かなければならないもの。ですが、Anonymous000さん、Kanbunさんはまた違うご意見のようで、私の目から見れば「誤作動を防ぐために安全弁を接着剤で固定しようとしている」ように見えるのです。(これが誹謗中傷と受け取られないことを祈ります)--miya 2006年12月5日 (火) 06:26 (UTC)[返信]

インデント戻します。「ひょっとしたらかすかなアイロニーは含まれていたかもしれませんが、あの時点では意図的な「悪意」は無かった」という認識は、私にはノートの会話の流れから納得することができません。少なくともキリカさん自身は自分の発言が相手に「人格攻撃」と取られかねない表現であるということは事前に十分認識しています。(参考:[5][6][7])またノートの内容では、コミュニティに保守的な傾向があることを指摘したいならば、Anonymous000さんを名指しする必要は全く感じられません。「どうぞ、一度、「弱い」を「固い」、「犬」を「高校生」に置き換えて読んでみてください。」という意見につきましては、この置き換えが妥当であるとは私には思えませんが仮に置き換え可能であったとしても、私の認識では「頭が固い」「高校生のようだ」というような表現が、あの文脈ではやはり侮蔑的な表現と取られかねないことに変わりはありません。例えば「miyaさんは頭が固い」「miyaさんは高校生のようだ」という発言が、一般的に言って侮蔑的内容と好意的内容のどちらを多く含むか、おわかりにならないはずはないと思いますが。社会的通念から言っても、たとえば普段業務上の取引関係にある相手や自分の店舗に買い物に来たお客さんに、「あなたは頭が固い」「あなたは高校生のようだ」というような発言をすれば、非常に失礼でしょう。miyaさんのところにいる大学生に、自分が教わっている大学教授や講師の方に対して、「あなたは頭が固い」とか「あなたは高校生のようだ」などと言うことがあるのか、あるとすればどのような文脈でその言葉が語られるのか、よく考えてもらうと良いと思います。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 07:37 (UTC)[返信]

つまるところmiyaさんはキリカさんが謝罪する必要性を感じない、というご認識であると考えて、差し支えないでしょうか。もちろん大学生の方とじっくり相談して、そのご意見を引用して例証して根拠としていただいても全くかまいません。(←この大学生というのは1人なのでしょうか、複数人の方々の意見なのでしょうか。そのあたりも明確にしていただけるとより検討しやすくなります。よく見たら「彼」とありました。)--Kanbun 2006年12月5日 (火) 08:00 (UTC)訂正--Kanbun 2006年12月5日 (火) 08:03 (UTC)[返信]

補足:「弱い」と「固い」について。一般に「頭が弱い」=「思慮・分別が足らない」、「頭が固い」=「頑固である」と思われます。文脈によっては意味が接近することがあるとは思いますが、あらゆる文脈で意味内容が対応しているようには思えません。少なくとも2つの言葉がこの文脈で「近似的な意味」であることをmiyaさん自身立証されるべきと思います。 「犬」と「高校生」について。「犬のように従順」→「高校生のように従順」なんて言いません、キリカさん自身は上下関係に従順な意味で「犬のような」を使っていることを自ら表明しています。この置き換えはその大学生の示唆によるものでしょうか?--Kanbun 2006年12月5日 (火) 08:16 (UTC)[返信]

「高校生」のほうは私の連想です。大学生というのはたまたまそのとき家にいた私のコドモでしたが、その後すぐに外出しましたので、それ以上のコメントは残しておりません。
ところで、私も「キリカさんが謝罪する必要性を感じない」と認識しているわけではありません。
「悪意」はなかったと私は捉えていますが、それでも「もっと言うと・・・制服効果みたいな感じです。」は「誤解を招く表現」であり、この点については取り消して謝罪すべきだと思います。
また、その後の一連のコメントは「恐慌状態」と言わざるを得ません。こういう精神状態のときは保存ボタンを押してはいけませんね。もし今この瞬間にこのコメントが書かれたのだったら「理由:冷静になってください」と書いて一日ブロックをかけたかもしれません。
ところで、Kanbunさんはキリカさんの言葉に義憤を感じておられるようですが、Anonymous000さんの2006-11-26T15:58:38の版における「荒らし」や「居直り」という決め付けや「良識に欠ける又は乏しい」ユーザーというほのめかしに対しては何もお感じにならなかったのですか? --miya 2006年12月5日 (火) 17:26 (UTC)[返信]
私も多少とも攻撃的な雰囲気を作った一端はその発言にあると考えていました。ただ攻撃的な雰囲気になっていたからこそ、私としてはあの時点で攻撃的な言質を取ってほしくはなかったこと、それで抑えようと思ったのですが、結果的に力足らず残念に思っています。私個人の認識としてはAnonymous000さんの会話ページでのキリカさんの書き込みを見るまでは、キリカさんが素直に謝罪していただければそれほど問題ないことと思っていました(基本的には今でもそうです)。しかし開き直り行為をして議論を攪乱するようなことは私には認められません。また私の認識としては少なくとも必要性がないところで攻撃的な言質を発して議論を攪乱した責任は、決定的にキリカさんの側にあると考えています。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:38 (UTC)[返信]
これだけで判断するのは危険ですが、状況をより悪化させたのはどちらであるか、より攻撃的な発言をしているのはどちらであるかを私は考えています。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:39 (UTC)[返信]
率直なご説明、ありがとうございます。得心がゆきました。
そうですね、ノート:IARでの誤解を招く表現(まぁやはり「失言」ですね)にすぐ取り消しと謝罪があったら、あるいはせめて、冷静になるまでウィキブレイクを取られていたら、と思うと残念です。
ひとつお願いがあります。少なくとも、「ノート:IARでの誤解を招く表現(あるいは失言)」までは、彼は誠実に言葉を尽くそうとしていたと、それだけは認めてあげていただけませんか。せめて。
>意味がある事だと信じてやったのに、荒らしにされたらとても辛いです。まるで私という存在が否定されたみたい。(利用者:キリカ2006-12-03T08:15:16の版より
この悲痛な叫び。すべてをひっくるめて「荒らし」として全否定するのではなく、問題発言までは真摯に議論しようとしていたことを認めてあげていただきたいと思います。--miya 2006年12月6日 (水) 09:10 (UTC)[返信]
むろん「結果」としての「どちらがより」は私の目にも明白であるように思います。
ただ、Anonymous000さんの、議論の場で相手の過去の行為を持ち出して「荒らし」と決め付け、こういう人だから「説得力に欠ける」とする議論の進め方はやはり人格攻撃の一種であるように思われます。キリカさん言うところの、相手との対話を最初から放棄し、「悪い部分を見せびらかそう」とする姿勢(ノート:IARより)ではないかと。「荒らし」というレッテル貼りは「全否定」「対話拒否」につながり、健全な議論にはマイナスにしか働かないでしょう。今後は避けていただきたいと心から思います。
そういえばAnonymous000さんからすれば私もキリカさんと同じように「荒らし」に見えるのでしょうね(Wikipedia:コメント依頼/キリカ#改めて問題行動の資料を呈示)。もちろん、「拙速」だとか「唐突」「突飛」「根回し不足」「説明不足」「思慮不足」、そういう非難は受けても仕方が無いでしょう。
ですが、「独断」という断じ方には危険を感じます。百の議論より一編集、やってみて受け入れられなければリバートされる・・・それが、履歴全てを残せるMediaWikiの良さだと思います。Anonymous000さんの目には「独断」は非難すべきこと、つまり「大胆な編集」は「荒らし」に近いと映るのかもしれませんが、「大胆な編集」を否定したら、MediaWikiの良さを殺すことになると感じます。--miya 2006年12月6日 (水) 09:10 (UTC)[返信]
私もキリカさんは自分の意見を示すのには十分誠実な姿勢を持っていたと思います。ただ他利用者に対しても同じように誠実に接することができなかった点が問題だと私は思いました。基本的に私自身の認識としては、IARのノートでの議論を攪乱しようとする「荒らし」行為があるとすれば、キリカさんが方針のノートの外側で起こした自己正当化を目論む一連の行為だと思います。今回の件について言えば、意見自体は尊重されるべきであり、私自身のキリカさんへの応答ももしかするとキリカさんを圧迫する点があったかもしれないことを鑑み、議論を介在させずにより率直に意見だけを示すことができる投票を一度行って、改めてコミュニティの認識がどこらへんにあるかを探ることも有意義だと思います。また議論参加者として筋を通すという意味で、まずキリカさんが謝罪しなければAnonymous000さんの問題点を指摘することは難しいという認識が私にあったことも事実です(別の観点は私は取れませんでしたし、今でもその点については逆はあり得ないと考えています)。ただもしかするとキリカさんが私がAnonymous000さんを庇いすぎると発言することを考えますと、私自身としてはより中立的な立場を取ることもできたのかもしれませんし、取るべきだったのかもしれません。私個人にも反省すべき点は多々あり、個人的にはキリカさんがAnonymous000さんの会話ページへ書き込みをする前であれば、だいぶ穏便に済ますことができたと思います。責任の一端が私にあり、またキリカさんが一方的にブロックされるのに納得できない様であれば、ともに一定期間のブロックをしてもらってもかまいません。また私はよく知らないのですが、キリカさんに「後見人」を設けてウィキペディア内での誠意ある行動を監督するというのであれば、私がその後見人の一翼を引き受けて責任の一部を担ってもかまわないと思っています。
またこの会話ページでのAnonymous000さんの書き込みについても、ここに初めて書き込みに来たときに拝見しました。それで実を言いますと、ますますまずいなと思ったのです。おそらくAnonymous000さんには上の会話での意趣返しにmiyaさんがキリカさんを必要以上に擁護していると感じられるのではないかと思われたからです。私にはまずキリカさんの責任部分を明らかにした上で、Anonymous000さんの発言が排他的なものではなかったか、議論自体の流れに無理はなかったかなどを探り、お互いの反省点を引き出せればというような意識がありまして、もしかすると安易な楽観だったのかもしれませんが。
どちらにせよ私はキリカさんに反省と謝罪の態度が見えないと、事態の収拾が見えないと思っています。そこで私から見ますと、むしろmiyaさんのお言葉はキリカさんの論が考慮に値することを述べるだけという点で、逆にキリカさんが反省の態度に至るのを遠ざけ、結果的に事態の収拾を悪化させ、キリカさんの退場につながってしまうもののように思われました。
議論の進行とは別個に、コミュニティ内でもこの方針についての意見があることを十分感じていましたし、公式方針化についてはかなり時間をかけるべきとの認識を持っています。miyaさんがもし十分にご自身の意見が議論に反映されていないと思われているのでしたら、その責任の一端は疑いなく私にありますし、それについては私自身としても議論に表れないからといって意見がないわけではないという認識を改めて持ちたいと思います。そのためにもより広く意見を反映させるにはどうすればよいか、見解を示していただければと思います。--Kanbun 2006年12月6日 (水) 09:55 (UTC)[返信]
「後見人」ですか・・・経験者として言いますと、あれは「非常手段」であって、「編集制限(部分BAN)」ですむなら、そちらの方が本人も周りも楽でしょう。
>反省と謝罪の態度が見えないと
どこがどう悪かったのか、理解できなければ「反省」も「謝罪」も無理でしょうけど。コメント依頼に書く前にこちらで文案を考えてみます。

コメント依頼文案下書き

  • たとえ発言者に「悪意」が無くても、自分の言葉が相手に不愉快な思いをさせたと知ったら、「不愉快な思いをさせて申し訳ありませんでした」と謝罪しましょう。「もっと言うと・・・制服効果みたいな感じです。」やそれ以降のコメントは相手はもちろん、周りで見ていた人たちをも不愉快にさせてしまいましたーーそれはキリカさんも分かりますね?
  • 問題のある発言は自主的に消して廻りましょう「自分のコメントを消去。不愉快な思いをさせてしまった方々にお詫びいたします。--~~~~」など書いて。
  • 今後半年間、IRAノート:IRAには書き込まない。(ただし、サブページは意見投票を含めて可とする)
  • 今後、議論で興奮したら、書いた意見はイキナリ投稿せずに一旦手元に保存。次の日に読み返してから投稿するかどうか判断する。過激なことを書きたくなったらすぐにPCから離れ、ウィキブレイクを取る。
  • 「自分の方が優れている」とか「教えてやる」などとは(たとえ思っていたとしても)決して書かないこと。これを守る自信がないなら、Wikipedia空間やノートに書き込まないこと。

追加や修正案があればお願いします。--miya 2006年12月7日 (木) 16:29 (UTC)修正2006年12月8日 (金) 06:21 (UTC)[返信]

ノート:IARに書き込まないというのはなくてもいいかなと思います。あそこに書き込んだ内容が悪かったとは私は思っていません。またmiyaさんが自分の意見をキリカさんがよく代弁してくれていると感じているのであれば、それを封じ込めるような結果になると思いますので。たとえばそれを半年間に限るとしても、その間キリカさんやmiyaさんが指摘したかったことが全く無視されて話がすすみ、公式化されてしまってはいけないと思います。私としては今回の件を通して、コミュニティが誹謗中傷に敏感になってくれればと願います。誹謗中傷に鈍感であると、Anonymous000さんが井戸端で展開したような反批判的な誹謗中傷も増えることになるでしょうし。ただ今回の件では、私自身も適切な箇所で誹謗中傷を抑止することができなかったという反省があります。--Kanbun 2006年12月7日 (木) 18:01 (UTC)[返信]

無期限ブロックも検討されるような事態ですから、1ページか2ページの編集制限は厳しすぎるとは言えないと思います。「意見表明」についてはサブページの投票を「可」とすればクリアできると思います。キリカさんだけが制限を受けるのが片手落ち、ということでしたら、失言のAnonymous000さん、お行儀の悪い「大胆な編集」で顰蹙を買った私も一緒に、部分BANを受けても良いのではないかと思います。
Anonymous000さんですが、最初の頃は記事投稿されてたのに、ここしばらくは議論ばかりですね。このようなことをおっしゃったのはお疲れのせいなんだと思います(参考)。方針の議論に参加されるのは、アカウント取得してもっと時間がたってからの方が良かったのではないかと。なんというか、もうすこし、ウィキペディアの雰囲気や一風変わった方針群に慣れてから・・・。あと半年も記事書きを続けていただければ、「ルールは少ない方がいい」とか「ルールは緩い方がいい」という言葉もすんなりご理解いただけるようになるのではないでしょうか。利用者ページにも「記事書きに戻りたい」と書いておいでですし、こうして優秀な執筆者の時間が議論ばかりに費やされることはひたすらもったいないので、つれもって「部分BAN」もよろしいのではないでしょうか。--miya 2006年12月8日 (金) 06:21 (UTC)[返信]
「キリカさんだけが制限を受けるのが片手落ち、ということでしたら、失言のAnonymous000さん、お行儀の悪い「大胆な編集」で顰蹙を買った私も一緒に、部分BANを受けても良いのではないかと」という点については、私は不適切な気がします。私個人の認識で言えばですが、発言の撤回や明確な謝罪の姿勢をとっていないキリカさんに比べると、Anonymous000さんを「議論を攪乱した」という理由ではずすことは「喧嘩両成敗」を地でいきすぎな気がします。miyaさんの大胆な編集については、どちらかといえば「説明責任」について、この場合慎重であるべきであったという程度と思いますし、それにKs aka 98さんによってすぐに修正されていますし、問題ないのではと思います。キリカさんがつい誹謗中傷に傾きやすい性格を自認していると表明しているのですから、その点につき誠意ある対応ができないのを問題としているのであって、誹謗中傷をしてしまった事実それ自体をBANの対象とすべきという認識は私にはありません。私としてはキリカさん自身が冷静になれば、そのあたりの分別がつけられるのかが問題であると認識しており、キリカさんの投稿履歴を見ますと、そのあたりの対話能力の面で問題があるのではと思いました。すなわち後見人制度のほうが部分BANよりよいと私が考えるのは、キリカさんには自分の落ち度について謝罪する姿勢が不十分で、またもしかすると相手にしっかりした謝罪の意志を表現することができないのではないかという認識があります。したがってキリカさんが参加した過去の議論も、これから参加するかもしれない議論を考えても、キリカさん自身が謝罪についての認識を持たなければ、今回のような特有の問題がまた起きると思いますし、今回で言えば少なくとも「人格攻撃」にあたる表現はしないでほしいという議論相手の制止を振り切って「人格攻撃」的にとられかねない発言を平気でする、その後に居直るといった行動を容認すべきではないと思います。キリカさんが謝罪すべきところについての認識がないのであれば、後見人のような形で補うしかないのではと思います(暴言をしたらブロックというのも判断が難しい気がします)。
もし喧嘩両成敗がよいとのであれば、むしろ私がAnonymous000さんのかわりに部分BANをもらったほうがよいとすら思います。私にはIARの方針の検討には、Anonymous000さんのように、さまざまな方針の議論に実際かかわっている方が必要だと思います。私は実を言いますと、記事を書いていて、方針をもっとわかりやすく体系づけなければいけないというような認識を持ったクチでして、その点はもしかするとmiyaさんと正反対の認識かもしれません。今のみっちさんやZz2さんの意見表明、またKs aka 98さんの関係する場でのコメントを見ましても、私が議論で実現したいこと、方針案として検討すべき問題については問題意識として共有されているという十分な実感が得られます。私自身はややもするとこの議論は性急に過ぎるという認識もあり、Anonymous000さんとはその点では明確に別個の意見を持っているのではないかと思います。私がAnonymous000さんの代理をすることは不可能に思われますから、私としては方針のことを考えますと、Anonymous000さんのほうが必要と思います。--Kanbun 2006年12月8日 (金) 16:58 (UTC)[返信]
横から失礼します。(以前に Kanbun さんより会話ページで暖かいメッセージを戴きながら、何のお礼もレスも書かなかったことは心苦しく感じてもいるのですが)。キリカ氏の言動については、わたしは楽観的には考えていません。どういう理由があっても、ここは大人の場である以上、他の方に対する暴言については、自身で責任を取れる方でなければ、この場所には参加しないことが望ましいです。しかし、他方、別の考え方もわたしにはあります。Kanbun さんには呆れられるかも知れませんが、敢えて書きますと、ウィキペディアは「虚栄の市」か「偽善の実験場」のような感もあります。意味が不明という批判を予めに覚悟の上で書きますと、ウィキペディアは目的の一つに、参加者のあいだの「心の交流」や相互理解なども含むのではないのかという私見があります。どういうことか、説明をするのが難しい、客観性がないとも思うのですが、現状のウィキペディアは「あまりにも人間の心や感情のありように」対し「冷たい」という思いがあります。ウィキペディアは営利企業ではなく、業績の上がらない社員はどんどんリストラして有能な社員が残ればよいというシステムではないはずです。「百科事典を造るプロジェクトだ」とよく云っていますが、そうとしても何時までに造らねばならないとか、効率よく造らねばならないとか、そういうノルマ的な制約や義務はないはずです。何を述べたいのか「意味不明な」文章になっていると思いますが、人の心を傷つけるプロジェクトであって欲しくないというのが思いです。「目的」の為に、不要な人間、邪魔になる人間を切り捨てて行くプロジェクトではないと思うのです。とはいえ、キリカ氏の問題は、それとして対応せねばならず、結局、ウートポス(non-exist-place)を求めているのかも知れません。--Maris stella 2006年12月8日 (金) 23:39 (UTC)[返信]
いやはや全くその通りで、ウィキペディアが開かれた善意のコミュニティであるという原則をつい失念してしまったようなことを発言してしまいました。確かに私のコメントだと方針の議論で、一種の功績主義といいますか、能力主義的な観点を交えてしまっていますね。これはウィキペディアの精神に反するものです。
問題自体を考えますと、キリカさんとAnonymous000さんの双方に問題が指摘されており、また私自身も的確に対応してるとは言えませんし、責められる点はキリカさんだけにないことは事実です。当事者同士がお互い責任を感じる箇所について、まず謝罪と歩み寄りをしていくのが一番大事だと思います。Anonymous000さんにもキリカさんに対してより適切な形での謝罪を求める必要があるかもしれません。
どちらにせよ私にはキリカさんに部分BANを適用するのは適切ではないかなと思われます。--Kanbun 2006年12月9日 (土) 00:58 (UTC)[返信]

方針の議論[編集]

それと追伸になるのですが、方針の議論がコミュニティの認識から乖離しているところで行われてしまっていることがもしあれば、それは適切ではないと思います。そこでWikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいで、改めて包括的な意見投票を募ってみてはと提案してみました。私個人としては、この方針は議論をしながらも、一方でつねにコミュニティの議論には表れない感覚的な意見に留意する必要があると考えています。この点について意見などありましたら、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいでコメントしていただけると幸いです。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:56 (UTC)[返信]

「コミュニティの認識」って難しいですね。昔のウィキペディアを知っている人には「ルールは少なければ少ない方がいい」という意見も根強いように思います。私もそのひとりですが、それを新しいウィキペディアンに理解してもらえるように説明するのは私には無理そうです。--miya 2006年12月6日 (水) 09:10 (UTC)[返信]
私も難しいと思います。その意見が議論を通じて、最終的に一つの点に一致するというところにはいかないと思います。なので、コミュニティの重心のようなところを探って、そこに足のついた形でまとめるしかないのではと思います。とくにこのIARのような方針は。ベテランの人がこの方針を簡潔にしたいって意見には私も全く同調するところがあるんです。この方針にはバランス感覚の非常に優れた面があって、解釈をつけるとそのバランスが偏ってしまうというのはよく理解できます。ただ一方で、まさしくそのバランスが絶妙な点が、取りようによって、極端な解釈を許容しかねないという点で、私の意見としては、公式化する際には日本語版の現状を反映させた形がよいと思っているわけです。最終的に他の判断材料となる公式方針が増えて、この方針につけられている解釈が蛇足だと感じられる様になったら、そのときに取っ払っちゃえばよいというような感じです。--Kanbun 2006年12月6日 (水) 10:26 (UTC)[返信]
「バランス」・・・まず、IAR簡潔版と解説部分を別々のページ立てでガイドラインとして正式化しておいて、過不足ないかチェックして、それからIAR簡潔版を「方針」に格上げするのはどうでしょう? でも、ごめんなさい、私には、こう考えた理由を論理的に説明する能力も、ノート:IARでAnonymous000さんたちがなさってた長大な議論に参加する気力もないのです。--miya 2006年12月7日 (木) 16:29 (UTC)[返信]
「長大な議論に参加する気力もない」について。わかります。議論は端的に言って疲れますし、また対立した見解に対して一定程度攻撃的にならざるをえませんから、うまくやらないと相手を必要以上に消耗させたり、対立した意見を根絶やしにしようとするような傾向に陥ることもあります。ただウィキペディアではやはり議論をへて合意を形成するというのが正当なやり方であると思いますから、議論を通さざるを得ません。しかし今回のような意見投票を以降折を見て繰り返すことによって、議論にあらわれない意見を拾い上げることができると思います。たとえばmiyaさんが議論をするほど「論理的に説明する能力」がないなと感じていたとしても、誰かがmiyaさんの意見を見てこれはよいと思い、しかも彼が十分議論可能な論理能力を有していれば、それを議論に持ち込んでくれるでしょう。自分の意見がマイナーかもしれない、また自分の意見にあまり正当性がないのかもしれないと思っても、今回の意見投票では積極的な意見を言ってもらえればと思います。「IAR簡潔版と解説部分を別々のページ立てでガイドラインとして正式化しておいて、過不足ないかチェックして、それからIAR簡潔版を「方針」に格上げするのはどうでしょう?」については、実は私自身はそれでも良いと思っています(意見投票を参照ください)。ただ公式化の作業を二度経なければいけないことを考えると、結果が同じならば、一度解説部分つきで公式化して、あとで簡潔なものと解説部分に分けることの方がシンプルな気がします。
miyaさんが現状の議論で自分のような意見が十分考慮されていると言えないという心持ちを抱かれているのでしたら、やはり議論をしていた私にも落ち度があったものと思います。どうぞ意見投票では迷わず、論理的でなくても一向にかまいませんので積極的に意見を聞かせてくださればと思います。--Kanbun 2006年12月7日 (木) 18:01 (UTC)[返信]
「公式化の作業を二度」ですが、分離した方が合意は得やすいのではないかと思います。(あくまで「思います」ですが)。それと、両方とも「ガイドライン」で充分かなとも思います。考えがまとまったらあちらに書かせていただきます。--miya 2006年12月8日 (金) 06:21 (UTC)[返信]
よろしくお願いします。--Kanbun 2006年12月8日 (金) 16:58 (UTC)[返信]
以下は昨日ふと気づいたことです:IARの解説で一番違和感があったのは「荒らし」に関する解説だったのですが、読み直してみて、この点についてAnonymous000さんと見解が決定的に異なるため、Anonymous000さんたちの荒らし解釈を含む解説を受け入れがたかったのではないかと気がつきました(にぶくてすみません)。
履歴の残らないWikiで「大胆な改変」を行うのは「荒らし」と大差ないですが、ウィキペディアでは履歴が残って修復がききますので、「ウィキペディアにおける大胆な改変」は悪意がない限り「荒らし」とはみなすべきではないと思います。悪意の有無についてはまた、善意にとることが求められています。キリカさんの過去の履歴は、ある程度ウィキペディアに慣れた編集者なら「拙速だ」「困った」とは思っても「荒らし」とはとらなかったでしょう。(IRCでLinkyの流す新着・更新情報を一日見ているだけで「荒らし」に対する概念は激変すると思います)
Anonymous000さんはご自身でも「規約作りにばかり関わっている」と書いておいでで「もっとしっかり管理するべきだ」と歯がゆく思っておられるのではないかと推察しますが、ウィキペディアで「大胆な編集」は出来る限り認められるべきだという点について、もう少しご理解いただければ、と思います。他の世界の基準では無軌道・無節操すぎる編集もウィキペディアではめくじらたてずに流されたり単純に差し戻されたりします。それを受け入れていただきたいと思うのです。締め付けないでと。それは丁度、ブレインストーミングで他の人の意見をけなさなず粗野な考えを歓迎する懐の深さが、新しい、広く豊かな発想の展開を生むのに近いと思います。--miya 2006年12月11日 (月) 05:55 (UTC)[返信]

どうしてそんなに[編集]

どうしてそんなにまでしてキリカさんの肩を持たれるのか、解せないところがありますが、キリカさんが現状で集中砲火を浴びておられるのは確かですから、それをmiyaさんが可哀想に思われて弁護されるのであれば、止めません。方針の議論でキリカさんを支持されるのも構わないと思います。ただ、方針の支持不支持とコメント依頼は同列ではありませんし、集中砲火を浴びるには、それだけの理由があるということを、キリカさんが自覚しなければ、いずれ同じことが繰り返されると思いませんか? 例え弁護するとしても、言葉の置き換えは役に立ちません。キリカさんが実際に選んだ言葉がなんだったのかが問われているからです。むしろ、ここでmiyaさんや「井戸端」でKs aka 98さんがしておられる「通訳」のような役割は、結局キリカさんは言葉の適切な選択ができず、直接の対話に困難があるのだということを逆に印象付けているようにも見えます。それがキリカさんにとっていいことなのか、お考えになっての上の判断ならよいのですが。--みっち 2006年12月5日 (火) 11:34 (UTC)[返信]

お付き合いありがとうございます。そうですね、「方針の支持不支持」で言えば、私はキリカさんのコメントに共感しました。「可哀想」といえば、そういう立場にいる人を見れば思わずかばいたくなる因果な性格だと思います(このコメント依頼に気をとられて、MASAさんのブロックにコメントし損ねたのは皮肉な話です)。--miya 2006年12月5日 (火) 17:26 (UTC)[返信]
遠いところから呼ぶ声が聞こえた。
えと、たとえば、現代音楽をかじった人がベートーベン批判をして、ロマン派好きな人にベートーベンのすばらしさをいくら説明されても納得できなくて、でもかじっただけだからうまく反論できなくて、自分の知識のいたらなさを自覚してるから余計に自分程度の知識もない相手を見下す発言になってしまうというか、モルトを飲み始めたばかりの人がブレンデッドを小馬鹿にしてる状態というか、そういうような感じだと思うので、現代音楽/モルトはこうだけどベートーベン/ブレンデッドはこうで、みたいな説明をしてみた、というのが、井戸端のおれの「通訳」、のつもりです。それをしないと、見下すような見方は改まらないと思う。なのでmiyaさんとぼくのやってることはキリカさんにとっては大分違うはずで、むしろ、コメント依頼のmaris stellaさんの意見は手厳しいですが、あれはぼくの作業に似たようなもので、うまくいけば効果的だと思います。ぼくの説明が、集中砲火を促しているとしたら残念ですが、あのような説明がないと、彼/女の自覚には繋がらないように思います。キリカさんが、いらついてしまう理由は、なんとなく分かるけど、だからといってやってしまった攻撃的な言辞を擁護はしませんが。--Ks aka 98 2006年12月5日 (火) 17:28 (UTC)[返信]
Maris stella さんのこの件についての分析は、的を射ていると私も思います。好意的にいえば、アドルノやカッシーラーのいう非理性/前理性的な神話的思考なのでしょう。そして神話的思考の問題は主に 1)他者性を理性的に認識できない。2)自らの非理性的性格を認識できない。3)したがって表象形式においては感情と概念の分離ができず、真に他者と交流することができない ところにある、と私は捉えています。ご参考になれば幸いです。--Aphaia 2006年12月5日 (火) 17:34 (UTC)[返信]
おふたりのご意見、全部理解できたか心もとないですが、大筋は了解しました。いきさつはともかく、書いてしまった不適切な言葉、「攻撃的な言辞」に関する謝罪をきちんとできるかどうかは、ご本人の問題と思うしかありません。--miya 2006年12月6日 (水) 09:10 (UTC)[返信]

こんにちは。キリカさんが利用者:キリカ/IARと井戸端の件を自分なりに反省してみたWikipedia:井戸端/subj/WP:IGNOREについてとに意見を書いています。二つを比べるとまるで正反対と言ってもよいような内容に私には思えました。キリカさんの今までの行為を好意的に捉えようと考えておられるMiyaさんのコメントをお聞きしたくて、ここへやってきました。宜しくお願いしておきます。--Kemonomichi 2006年12月9日 (土) 08:01 (UTC)[返信]

無用な書き込みであったので削除させて戴きます。申し訳ありません。--Maris stella 2006年12月9日 (土) 16:25 (UTC)[返信]
えー、単純に、言葉に気をつける、けど「Anounimous000さんは別」なんだと思うし、それは矛盾してないんじゃないかと思うんですが…--Ks aka 98 2006年12月9日 (土) 11:04 (UTC)[返信]
お返事が遅くなって申し訳ございません。また、Miyaさんには、会話ページを失礼にも勝手に使用して申し訳ございません。勝手を申してすみませんがこのお返事だけ書かして下さい。
Maris stellaさん、ご丁寧な解説・意見ありがとうございました。「人は普通は、思考のなかにおいて、言説において、実は「矛盾」したことを考え述べているのが自然です。」を読ん時、そうだった、忘れていた。納得できました。だから、キリカさんの二つの文章は、矛盾するものではなく「キリカ氏については、全体としての思考や意識の流れでは、矛盾したことを述べているとは思えません。」となるのだということが理解できました。ありがとうございました。
Ks aka 98さん、大変明解なお答えに接し、そのように考えればいいのだ、と安堵致しました。ありがとうございました。--Kemonomichi 2006年12月11日 (月) 02:01 (UTC)[返信]
Kemonomichiさん、コメントを求められながら、何も書けずに申し訳ありませんでした(会話ページを使っていただくのは全然問題ないです)。コメントしようと、何度も書き込みかけたのですが、どうしても偏ってしまうような気がして、保存ボタンを押せませんでした。でも、私が迷い倒している間に他の皆さんがコメントしてくださいましたし、中途半端なことを書かなくてかえってよかったのかなとも思います。--miya 2006年12月11日 (月) 05:55 (UTC)[返信]

コメント書いた。--Ks aka 98 2006年12月9日 (土) 14:00 (UTC)[返信]

ありがとうございました。--miya 2006年12月11日 (月) 05:55 (UTC)[返信]

削除依頼/石田衣良について[編集]

はじめまして。Wikipedia:削除依頼/石田衣良についての情報お寄せいただき有難うございました。またお返事が遅くなった事をお詫び申し上げます。同案件については「特定版削除」へ変更した旨、とり急ぎご連絡しておきます。--Kogane 2006年12月4日 (月) 23:59 (UTC)[返信]

わざわざご連絡ありがとうございました。--miya 2006年12月6日 (水) 09:10 (UTC)[返信]

ありがとう・半角挿入について[編集]

ご親切なるご教授ありがとうございます。また今日もひとつウィキペデァ人として利口になった気がします。何かありましたらまたご指南の程。papamaruchan22 2006年12月5日 (火) 02:53 (UTC)[返信]

お役に立てて幸いです。--miya 2006年12月6日 (水) 09:10 (UTC)[返信]

伊藤節の削除依頼[編集]

伊藤節の削除依頼(サブページ)がWikipedia:削除依頼/伊藤節になってないので修正をお願いします。--Naohiro19 2006年12月6日 (水) 15:09 (UTC) 2006年12月6日 (水) 15:15 (UTC)修正[返信]

ご指摘ありがとうございました。投稿者の会話ページに問い合わせて、お返事が来るかなと少しだけ待つつもりが出し忘れになってしまっていました。--miya 2006年12月7日 (木) 23:33 (UTC)[返信]

Template:最近の出来事[編集]

Template:最近の出来事の保護についてです。

miyaさんは、このことについて、どのような見通しを持っていらっしゃいますか? いいかえると、保護解除に必要なものは何だとお考えですか? 現在のままでは、miyaさんのTemplate‐ノート:最近の出来事#保護のお知らせの書き込みが、Template:最近の出来事排除論に利用される可能性があります。もちろん、Template:最近の出来事の排除は論議されるべきですが、今回の保護(ブロック対象者による荒らしからの保護)とは分けて語られるべきだと思っているのですが。-- 2006年12月7日 (木) 02:22 (UTC)[返信]

トピックをコメントアウトしてきました。保護解除には、最低でも、不適切なトピックを戻したもう一人の人に「今後は編集合戦ぎみのトピックを戻すことはしません」という約束をしてもらうことが必要だと思います。--miya 2006年12月7日 (木) 03:31 (UTC)[返信]
う~ん、つまり、それは、フェンリルさんですね?-- 2006年12月7日 (木) 03:36 (UTC)[返信]
すみません、フェンリルさんは、当該の編集以降、編集履歴がないようですが。-- 2006年12月7日 (木) 03:37 (UTC)[返信]
あれはそもそも靴下人形なんじゃないかしら。--Aphaia 2006年12月7日 (木) 03:39 (UTC)[返信]
私もそうだろうと思います。
だた、ひとつ、考えなければならない点として、私も確かにあのトピックは必要ないと思いますが、Template:最近の出来事/投稿のルールと投票の過程を経ないで除去したことが、フェンリル氏なりのrevertにつながったのではないか、ということです。事後にでも、投票を行えば防げたのではないでしょうか。防げなかったとしても、復活する方のrevertをルール無視と言えたのではないか、と思うのですが。-- 2006年12月7日 (木) 03:49 (UTC)[返信]
Template:最近の出来事/投稿のルールと投票ができた経緯は存じておりますが、不適切なトピックを即座に除去できないルールはやはり問題かと。なお、個人的には解除に賛成しかねますが、他の方が解除依頼をお出しになることや他の管理者が解除することに反対はいたしません。--miya 2006年12月7日 (木) 04:10 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ただ、当事者として自分で解除することは不適切だと思っています。
今回、Template‐ノート:最近の出来事/過去ログ4で話し合われた、投稿する側の歯止め(最近の出来事等に掲載された事柄に限る)が、Template:最近の出来事 2006年12月4日の方の編集合戦のために、有効に作用しなかった、という経緯がありました。この点がクリアできることが大切でしょうか。-- 2006年12月7日 (木) 04:50 (UTC)[返信]
それではたとえば・・・「一度目は自由に掲示・除去できる」が、リバートされたら(当人にせよ第三者にせよ)「再掲には投票が必要」としてはいかがでしょうか?--miya 2006年12月7日 (木) 23:33 (UTC)[返信]
ありがとうございます。なるほど。これは思いつきませんでした。いいかもしれませんね。まあ、「再掲とは何か」という問題が出るかも知れませんが、そこまで考えていてもきりがないですね。
他には、例えば、現在の3票を2票に下げるとか、即時リバートできるが24時間以内に3票集めること、とか、現行のルールをいじることを考えましたが、miyaさんのご提案の方がシンプルのように思います。-- 2006年12月8日 (金) 04:05 (UTC)[返信]

Miyaさんが半保護にした理由が分かりません。 履歴によると、「IPによる荒らしが続くため」(2006年7月2日 (日) 06:14の編集)とありますが、 その前後に荒らしが発生した形跡がありません。具体的にどの編集が原因となって半保護になったのかを教えてください。 (返事は位取り記数法のノートにお願いします)。

219.35.139.100 2006年12月17日 (日) 04:58 (UTC)[返信]

他の方が先に返信をくれました。御迷惑おかけしてすみません。219.35.139.100 2006年12月17日 (日) 07:16 (UTC)[返信]


Translation requests/Deductibility of donations/ja[編集]

m:Translation requests/Deductibility of donations/jaの翻訳、ありがとうございました。これを訳そうと思っていた矢先に同じくFAQも訳すことになり、てんてこ舞いしていました。ありがとうございます。ところでこの際ですから、(ウィキブレイクが明けたら)m:Translation teams/jaに加わられませんか?-- 2006年12月17日 (日) 07:38 (UTC)[返信]