コンテンツにスキップ

利用者‐会話:Quark Logo/過去ログ2

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

編集全般について[編集]

こんにちは。編集する場合(特に差し戻す場合)は理由明記するのが適切と思います。宜しくお願いいたします。--2405:0:4047:2400:2CD4:DB0:8BCC:A5FF 2016年11月26日 (土) 00:41 (UTC)

意味のない編集だからです。恐らく本能寺の変の記事で延々と、意味のない編集をされている方だと思うのですが、荒し行為と変わらないのでやめてください。
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)にあるように、定義文には、時間と場所を明示する必要があります。いつ、だれが、なにを、どうした、が日本語の基本です。ほとんどの歴史的事件の記事ではこの順番で定義されています。冒頭の部分は定義文という役割があることをそもそもご存じでしょうか?
そして出典表示があることを理解しているでしょうか? 出典の内容が、『太閤記』『信長公記』歴史学者の著作と振ってあるのですが、それが時間が最初、という形式であるのです。様々な、辞書や辞典等をみてもらえばわかりますが、このような事件の説明としては、時間を最初にするのが普通です。
そしてさらにですが、あなたの編集は出典も何もないので、削除されても文句は言えません。可変IPということで対話の可能性(IPが変わるので誰が誰かわからない)が低いことも併せて判断してます。--Quark Logo会話2016年11月26日 (土) 01:37 (UTC)

要約欄への記入のお願い[編集]

こんにちは。宇井木辺出夫会話)と申します。Quark Logoさんの投稿履歴を拝見したところ、ほとんど要約欄に記入されていないようでしたので、他の利用者のために常に要約欄に記入して頂くようお願いに参りました。

ガイドライン・Wikipedia:常に要約欄に記入するは、数あるガイドラインの中でも重要なものとして位置づけられています。要約欄に適切な要約を記入することにより、差分表示を確認することなくその編集の概要を知ることができるため、履歴の見通しをよくすることにつながります。また、差分表示を見ながら要約欄に記入していくことにより投稿する予定の内容を見直すことができるため、同じ記事への連続投稿を減らすことにもつながります。特に、リバート(荒らしへの対処を除く)や内容の大幅な変更、記述の一部を除去する際にその理由が要約欄に記入されていませんと、なぜそのような編集をするに至ったか他の利用者にとって分かりづらいという問題が生じます。それにより編集合戦が発生することも少なくありません。

もしあなたの投稿内容が短い文章の加筆に留まる場合、その文章をそのまま要約欄にコピー・アンド・ペーストすれば、編集の全貌が分かりますし、なにより手間が掛かりません。細部の編集でわざわざ要約欄に記入するのは面倒だという場合には、要約欄用の略語を使用することも検討してください。ご面倒をお掛けしますがご理解とご協力のほどよろしくお願いします。--宇井木辺出夫会話2016年11月28日 (月) 08:37 (UTC)

風流夢譚について[編集]

出典にないことをさもあるかのように書くことはおやめください。あなたが出典とした文献・一次資料を読んであなたが感じたことと、その文献に書かれていたことの区別がつかないなら、編集はお控えください。--Tonbi ko会話2016年11月27日 (日) 15:43 (UTC)

だいぶ前に編集したものなので、急に出典を付けられなかったが、出典はあります。ページ数までわからないので、取りあえず閲覧可能なものにしましたが、末端部の表現は必要ないので、取りあえず簡略にしますが、思い出したら出典と共にさらに詳しく書きたいと思います。あと、出典といっても、引用しているわけではないので、表現や一字一句同じではないのは当然であり、読んだ感想を書いてるわけではありません。そのことは考え違いをしないでもらいたい。--Quark Logo会話2016年11月27日 (日) 23:22 (UTC)
Quark Logoさん、はじめまして。「風流夢譚」で今回少し手入れしましたが、私が持っている三島由紀夫関連の本の中に、Quark Logoさんの書いていたような内容と合致した出典があるかもしれませんので、もし見つかったらその時に出典付きで補足いたしますので、今回の補正についてはご了承いただけたらと思います。--みしまるもも会話2016年11月28日 (月) 01:06 (UTC)
みしまるももさん、ありがとうございました。三島関係の本は所持していないので、加筆していただければ幸いです。概要はごく一般的に言われていることを書いただけなので、別の話題やら、概要以外にも、作品批評的なところがありましたら、よろしくお願いします。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 03:47 (UTC)

Quark Logo様へ。何を言い訳しているのか意味がわかりません。少なくともあなたが 2016年11月27日 (日) 14:17までの3回で編集した内容は、出典の捏造です。長島平洋 『諷刺の笑いとその応答-不敬罪を軸にII』のpp.4-8には、「露骨に皇室を侮辱している」「作者の心に鬱積した様々なタブー」「出版言論の敗北として記憶されている」については一切書かれていない。また一次資料『風流夢譚』には、皇族が残虐に殺されるシーンは書かれているが、一次資料に直接『露骨な皇室の侮辱』だとは書かれていない。一次資料を読んでそう感じたのはあなたの感想ではないでしょうか? たとえば映画「スーパー・サイズ・ミー」はマクドナルドのミールを否定する内容ですが、いくらマクドナルドが大好きな人間であっても、「本映画はマクドナルドを露骨に侮辱する内容である。出典は映画そのもの」と書けば、「それはあんたの感想だろう」と言われるのは当たり前でしょう。だからあなたも私の差し戻しのあと、記述を引っ込めたわけでしょう。急に出典を付けられなかったが、出典はあります。ページ数までわからないので、取りあえず閲覧可能なものにしましたがなんて言いわけにもなりません。あなたが今回行った3回の編集は出典の捏造以外の何物でもありません。これについて明確な反省の弁を要求します。--Tonbi ko会話2016年11月28日 (月) 02:42 (UTC)

そもそもですが原典を読みましたか? 出典も読みましたか? フレーズを引用してないというこの意味は理解してますか? それを行ってないから話についてきていないではないですかね。
「露骨に皇室を侮辱している」は、原典を読めば誰でも分かりますし、そこを抽出したのが出典のpp5-6にある内容でしょう。長島氏が原典から引用した部分が列挙されています。これが露骨に侮辱しているものだとされたものだといってるわけで、何の問題が???
「作者の心に鬱積した様々なタブー」については、Tonbi ko氏がここに範囲を指定しますが、私が付けている出典表示は段落全体に対してのもので、pp6-7にある内容。「風流夢譚は、意図された支離滅裂なストーリー・・・・」から段落の終わりまでです。あなたはピンポイントで勝手に要求してきてますが、概要として説明をしているのであって、文章が自分の言葉なのは当たり前です。つうか、写したら逆にダメでしょう。感想ではなく、概要を説明しようとしているのであって、何かを引用しようとしているわけではない。何かをそのまま書き写すと言う行為をすれば事足りるというわけではないのであって、説明を書くという行為を理解してないように思います。
引っ込めたのではなく、時間をかければもっと詳しく書けるからです。表現は様々に変えられるわけで、範囲指定などされているので、表現にこだわってると思われているようなので、そこで争わなかっただけです。感想じゃないのに感想だと思ってるわけですから、どんな人でも誤解しない、よりよい表現はあるはずです。できるだけ短く簡潔にと思ってまとめていたわけですが、具体的な引用でないと信用しないというのなら、時間をかけて長い文章を積み上げる必要があるということですから。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 03:22 (UTC)
あと、もう一点だけ。
露骨に皇室を侮辱していると受け取れる内容であった」の意味ですが、A:露骨に皇室を侮辱する内容とB:露骨に皇室を侮辱していると受け取れる内容の意味の違いは分かりますか?
前者Aは、皇室を侮辱する内容、後者Bは、皇室を侮辱する意図で書かれた内容ではないが他者にそう受け取られた内容、という意味の違いがあります。
あなたの言う『たとえば映画「スーパー・サイズ・ミー」はマクドナルドのミールを否定する内容ですが、いくらマクドナルドが大好きな人間であっても、「本映画はマクドナルドを露骨に侮辱する内容である。出典は映画そのもの」』という例は、侮辱した内容だと決めつけてますが、私が書いているのは、他者が本来の内容と異なる受け取り方をしたということであって、意味が真逆に近いです。感想だと思うということは、私の意見だとおもってるとしか思えませんが、全然違いますから。こういう風に世の中が受け取ったんだという話を説明しているわけで、あなたの例示を見ると完全に文章を読み違えているように感じてなりません。分かってますか?そもそも。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 03:36 (UTC)
  • コメント(Tonbi koさんへ) 頭ごなしに「出典の捏造」だと語気を荒げなくてもいいんじゃないでしょうか… 私が見たところ、Tonbi koさんがこの編集において([1])、長島平洋の出典を消してしまったのはかなり問題のあるやり方だと思いましたよ。
Quark Logoさんが書かれた、「露骨に皇室を侮辱していると受け取れる内容[1][2]であったので、宮内庁が民事訴訟を検討するなどして、公開当初より物議を醸した」という文章で、冒頭に、「右翼系の人達から」という文言を加味していれば出典として十分成立するものですから、Tonbi koさんのやり方は適切ではないです。長島の出典内には、明確に「皇室を侮辱するものであり、謝罪文を出せ」という右翼系の方々の抗議文が複数紹介されていますので、出典を消すのはやり過ぎだと思いました。出典をお読みになったのなら、「誰」タグを貼る前にTonbi koさんが加筆することもできたはずですから、出典まで削ってQuark Logoさんを無用に怒らせてしまうような方法は良くないと感じました。--みしまるもも会話2016年11月28日 (月) 03:53 (UTC)

Quark Logoさんへ。全く理解できていないようで極めて残念です。原典は当然読んでいますし、出典とされたものもじっくり読みましたし、丸写しではないこともわかっています(ただし、「写したらダメでしょう」というのは、あなたが「引用」という行為の意味を理解していないようにしか思えません)。

「露骨に皇室を侮辱している」は、原典を読めば誰でも分かります という、まさにあなたのその思い違いを私は問題視しているのですが、なぜそれがわからないのでしょうか。「侮辱」というのは、人間の「感じる」ものです。ですから当然、「誰によってその批評がなされたか」が必要です。ですから私は「誰によって」タグを付けましたし、あなたも、わたしのRV後には、「侮辱」なる自分の記述を引っ込め、作品に明確に書かれていることに書き換えましたよね。自分でわかっていながら、言い訳ばかりするのは到底褒められた態度ではありません。

また、あなたはまだ文献の内容を要約したのだと言いはっていますが、もう一度言います。長島平洋 『諷刺の笑いとその応答-不敬罪を軸にII』のpp.4-8に、「露骨な侮辱」「作者の心への鬱積」「出版言論の敗北としての記憶」に類したことは一切書かれていません。文献を全く読み取れていないのはあなたです。文献内のどこに「作者の心はこうなっていたのではないか」「敗北として記憶された」といった内容が書かれているのですか? (「露骨である」に関しては200歩くらい譲ればそうよめないこともないですが)。

また、「露骨に皇室を侮辱している」であろうが、「露骨に皇室を侮辱していると受け取れる」であろうが、それに原典たる『風流夢譚』を用いることはできません。「露骨にマクドナルドのミールを侮辱する内容」であろうが、「露骨にマクドナルドのミールを侮辱すると受け取れる内容」であろうが、それに映画「スーパー・サイズ・ミー」を出典として持ち出すことはできません。いい加減、ご自分が出典を見た感想と、出典に直に書かれていることは違うのだと理解してください。--Tonbi ko会話2016年11月28日 (月) 03:58 (UTC)

違う。「露骨に皇室を侮辱していると受け取れる内容[1][2]」と、内容の直後に出典をつけてのは、内容の中身が原典にあることを示すため。受け取れる内容があると示しているだけ。
要約したなんて言ってない。嘘をつくな。Tonbi ko氏は決めつけが酷いし、誤解読解は迷惑行為レベルだ。
参考文献の内容を参考にして説明文を書くのは当然のこと。
直前に、「ほぼ実名で、天皇と皇后、皇太子と皇太子妃の処刑の場面が登場し、皇太后を殴る、罵倒するといった」という原典の内容の一部を列挙しているのに、原典にそれが実際にあると示して何が悪い? というか普通だ。変な言いがかりだ。
そもそもが、ここの範囲に誰範囲をTonbi kosi氏が書いたから、変な話だと思ったわけで、あなたが知りたいことがそもそも意味不明だと最初に言った。ここまで話して思ったのは、誰が露骨に侮辱していると受け取ったかということか? しかし文章にもっと成熟すれば、そこを敢えて明示しない理由もわかるはずである。誰がじゃない。誰もがそう思うかも知れないような表現があった、皇太后をクソババと罵ったりしてるわけであるから、ここは誰かじゃないし、誰範囲は可笑しいので、文章の読解が不十分で、話しについて来てないとしか思えないわけだ。
そもそも例示の意味の違いをわかってなくて、ここまで話してきた人でしょ。「出典に直」書かれていることを写してないと最初から言ってる。
風流夢譚の概要は、四段落からなっている。一段落目はタイトルの意味と皇室侮辱と受けとられた表現のこと。第二段落目はこの作品の実際の内容がそれとは異なること。第三段落目はにもかかわらず嶋中事件が起こったということ。第四段落目は発禁状態だったが電子版が出されたということ。このたった4つの内容しかない。それの説明だけだ。長島氏の文章は、順番が違うが、言っている趣旨は同じ。最初に事件の話があり、表現があって、深沢の意図や評価の話があって事件を起こすようなものではなかったという内容。
全く同じに書かなければ、同じだと思えないのかもしれないが、構成を変えても趣旨は同じだし、これまた最初に言ったように参考にした評論がほかにもあるから、全く同じでないのも当然。だから引用してないし、しようともしてない。説明の文書を書くと言うことと、感想を書くと言うことは全く違う。もちろん書き写すことと、ゼロから文章を構築することとも全く違う。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 04:32 (UTC)

どうやら全く理解できていないようなので。

「受け取れる内容が原典にある」のは、あなたが「そう受け取ったから」そう思えるのであり、原典には書かれていません。出典をつける文章には、出典元にかかれていることを書いてください。「バナナを滅茶苦茶に踏みつける動画」を見て、あなたが「バナナに対する侮辱だ」と感じたとしても、「バナナを侮辱する内容である。出典は動画そのもの」と書くことはできません。

「概要として説明している」とあなたは述べています。「概要として説明する」ことを、世間では「要約」とも言います。文字づらこそ違えど、行為としては全く同じです。

「誰もがそう思うかも知れないような表現があった」のは、あなたの主観です。

あなたが出典とした、長島平洋 『諷刺の笑いとその応答-不敬罪を軸にII』のpp.4-8に、「作者の心の鬱屈」「敗北としての記憶」について語った文章があるのなら、引用して示してみてください。

わたしは別にあなたの思想信条を攻撃しているのではなく、あやまった出典を持ちだしたので、それについて反省の弁を述べてほしいと言っているだけです。もしまだ理解できないのであれば、近日中にコメント依頼を行います。--Tonbi ko会話2016年11月28日 (月) 05:01 (UTC)

常識に基づいて判断するのが妥当です。Tonbi ko氏の言っていることは非常識なだけ。
  • 「露骨に皇室を侮辱していると受け取れる内容」があった⇒事件に発展
というのは誰が見てもわかること。原典『風流夢譚』に皇室を侮辱していると受け取れる内容がないとTonbi ko氏が思うのは勝手ですが、それならば何で事件が起きたのでしょか??? 不思議ですね。そして何もないのに事件が起きた理由をどう説明しますか? というかあなた自身で、『風流夢譚』の概要をかいてみたらどうです? あなた自身はこの内容をどう受けとっているわけでしょうかね。 私が『風流夢譚』は「露骨に皇室を侮辱している」と思って感想を書いたわけじゃない。発表されたときに、世間がそう反応して問題になった作品なんですよ、まさにこれは。事件になった、大事件になったものですから!!
そしてまた、誤読解ですか・・・。 「概要として説明する」という対象は当然『風流夢譚』をですよ。なぜこれがわからない。文献をじゃない。目的語を勝手に替えてもらうと困りますねー。だいたい最初から要約してないし。会話でも言ってないし、記事でも書いてないし。そんな行為はしてないって何度も言ってわからないというのは、Tonbi ko氏の方の問題行動ではないでしょうか。迷惑行為ですよね。
フレーズを引用してないって何度いえば、わかりますか? コメント依頼はこちらから出したいです。 他のユーザーに関わりの無い些細なこととはいえ、曲解、誤解が甚だしい。非常に迷惑です。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 05:27 (UTC)

誰が見ても判ること、というのはあなたの勝手な主張です。繰り返しますが、作品に対する批評について、その作品自体を出典として扱うことはできません。

「作者の心に鬱積した様々なタブー」については、Tonbi ko氏がここに範囲を指定しますが、私が付けている出典表示は段落全体に対してのもので、pp6-7にある内容。「風流夢譚は、意図された支離滅裂なストーリー・・・・」から段落の終わりまでです。あなたはピンポイントで勝手に要求してきてますが、概要として説明をしているのであって、文章が自分の言葉なのは当たり前です。 というあなたの文章は、「風流夢譚そのものを」「概要として説明」しているのではなく、出典とした『諷刺の笑いとその応答-不敬罪を軸にII』の要約について述べているのは明白です。

「フレーズを引用してないって何度いえば、わかりますか?」とのことですが、私は引用しているとなどは一言も言っていません。繰り返します。長島平洋 『諷刺の笑いとその応答-不敬罪を軸にII』のpp.4-8に、「作者の心の鬱屈」「敗北としての記憶」について語った文章があるのなら、引用して示してみてください。

みしまるもも氏のそのあとの編集と、あなたの編集をよく見比べてください。これでも本当に理解できないのであれば、大問題です。--Tonbi ko会話2016年11月28日 (月) 05:46 (UTC)

  • コメント(Tonbi koさんへ) 長島が論文の中で紹介している種々の批判的抗議(皇室を侮辱している)の発端となった作品引用部の原文を参照させるという意味において、深沢の原典を付すことは変なことではないし、長島出典と併記されているので特に問題のないことと思います。
「皇室を侮辱している」件については、長島自身の要約として、美智子さんが殺されたりする描写への国民の嫌悪感や象徴天皇への思いとして、「戦前にあった万世一系神皇帝が穢される懼れ―を深層心理として抱いた人も多くいたのではないか」という文言もあり、また、右翼系その他の人達の批判的抗議の実例も紹介されていますから、Tonbi koさんが「出典無し」として早急に長島出典を削除してしまわない方がよかったと私は思います。
その他の件については、Quark Logoさんは「参考にした評論がほかにもあるから」とおっしゃっていますから、コメント依頼などで拙速に糾弾するよりも、少し余裕を持って対話しながら出典を待つことも大切だと思われます。--みしまるもも会話2016年11月28日 (月) 06:39 (UTC)
Tonbi ko 氏- まず「作品に対する批評」は書いてないまた誤解でしょう。先に書いたように、概要にある四段落に批評はない。作品評価・解説の章は、見ての通り、空欄になって節スタブをつけています。
Tonbi ko氏の誰範囲で求めているものが、「露骨に皇室を侮辱していると受け取れる内容」についてあるかないかの内容についてだと思ったので、出典には列挙があるが、すべてではないので、出典・原典を示した。それだけ。延々とこれをいってますが、要するに、こちらとしてはTonbi ko氏が何を求めていたのか、あなたの言動が意味不明だったということです。
Tonbi ko氏は、文章の全体を見てない。
文の構造は、「夢譚(=「ゆめのはなし」の意)と言うように、全体的にシュールな展開で、最初から最後までが夢の話であるという設定ではあったが、」+「露骨に皇室を侮辱していると受け取れる内容であったので」+「宮内庁が民事訴訟を検討するなどして、公開当初より物議を醸した」と書いてあったのであり、侮辱ととらえのが誰とかじゃなくて、述部の理由の部分なので、こっちからしたら「は?」でしかない。
そもそもここまで話してきて、先のようにTonbi ko氏は誤解していたことがわかり、私が風流夢譚は皇室侮辱作品だと決めつけていると思っていたようだけれども、それは全然違うということは、ここまでにおいて論じてきた通りです。
二段落目は、深沢は風流夢譚を本当はどんなものとして書いたのかを、たった一行でまとめている。長島氏の文章や、嵐山光三郎のインタビュー、永江朗、粕谷一希、竹森清等の文芸人の話を参考にして、自分の表現で短くまとめた。2014年のことであるから、具体的にどの本、雑誌で、ページ番号とか書けないが、内容に影響を受けていても、基本的に自分の言葉で表現しようとしたものであり、写したりしたものではないので、表現方法については無限のバリエーションがある。「心に鬱積した」という部分は、深沢七郎と放浪の真相に迫った別のノンフィクションから着想したもので、具体的に何だったか失念した。思い出しらそれを調べてプラスして付けるつもりだったから、「思い出したら出典と共にさらに詳しく書きたい」と最初にはっきり言った。Tonbi ko氏に最初にそう言った。何度聞くんでしょうか。また、「心に鬱積した」と一言でまとめてますが、内容的にはもっと長い話で、風流夢譚という作品の概要に関係ないから凝縮されているわけで、繰り返すがフレーズを盗用したりするわけじゃないので、同じ言葉は出てこない。「引用して示してみてください」といわれても、引用してないのどうやって引用をやればいいのでしょうか・・・。そもそもこの一行は、皇室批判と断じた右翼に対して、深沢は作品のテーマとして何が指向されていたのかということを説明したかったわけで、長島氏の出典にある某評論家の「革命批判の小説」断じてもよかったかもしれないが、批評になってしまうので、概要には書かないという編集判断である。作品の紹介という側面があるため、原典を示しつつも、原典にある具体的な表現が私の編集であまり出てこないのはこのためである。「様々なタブーに挑戦した作品」のさすものは、前段の「天地が逆転したような夢の中の世界」「60年安保の批判的パロディ」「挫折後のシラケた世相への皮肉」「反米感情」「皇室批判」「野卑表現」が様々なタブーであることは一目瞭然。出典がないことで、仮に読み手に意味不明なところがあったとしても、それはつまり一文節だけだ。しかもその文節については、削除に応じていたわけである。
一行の内容と、それを書くに至った意図についてここまで詳しく説明する必要があるかは甚だ疑わしいが、こんなに細かく説明を要するというのもどうかと思うから、細かい表現で争う必要はないと、削除した最初の私の判断の正統性が、今となっては却って証明されたといえる。こんな風にグダグダ言われるのが嫌だから、そうしたのに、Tonbi ko氏の執拗に納得しないという姿勢は、非常に迷惑極まる。
だから逆にTonbi ko氏には、誰範囲の意図を説明してもらおう[2]と思う。そもそも「誰によって?」とはどういうことなのか。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 06:59 (UTC)
みしまるもも さん、このケースでは出典に原典を示すことは私も自然だと思います。ただ前述のようにTonbi ko氏が何をして欲しかったのか意図不明の部分があるので、そこをまず聞いてみましょうか。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 06:59 (UTC)

Quark Logoさん、いい加減にしてくれませんか? 「先のようにTonbi ko氏は誤解していたことがわかり」だとか「最初の私の判断の正統性が、今となっては却って証明された」とは何のことでしょうか。勝手にきめつけて勝利宣言はやめてください。正直、あなたの弁明はまったく意味不明です。人には嘘をつくなだの、誤読だだの、をんなことは言っていないだのいいながら、あなたの弁明は私の指摘にはまったく答えていないじゃないですか。

改めて私の指摘を確認していただきたいのですが、私が問題があると指摘しているのは、あなたの「2016年11月27日 (日) 14:17までの3回で編集した内容」です。なので今になって、「削除を受け入れた」などと言い訳しても意味がありません。また、「別のノンフィクションから着想したもので、具体的に何だったか失念した。思い出しらそれを調べてプラスして付けるつもりだった」というのなら、あなたの3回の編集が「出典の捏造」であったことは明らかですね。だってその編集であなたがつけた出典には、そのことが書いてないのだから。

でたらめな編集をしておいて「削除を受け入れたじゃないか」「あとで書き足すつもりだった」などという言い訳が通じるのであれば、でたらめは書き放題です。

改めてもう一度言います。

  • 作品に対する批評について、その作品自体を出典として扱うことはできません。ですので、みしまるももさんが編集されたような、「主人公が皇太后を殴る、罵倒するといった[ここに原典を出典としてつける]内容であったので」であれば問題はありませんが、「主人公が皇太后を殴る、罵倒するといった明らかに皇室を侮辱していると取られる内容であった[ここに原典を出典としてつける]」という編集は、間違っています。「皇室を侮辱していると取られる内容であった」というのは、批評的な文章です。であれば当然、「誰によって」かは書かなければなりません。これが、私の「誰範囲をつけた意図」の全てです。
  • あなたはその3回の編集に於いて、「作者の心の鬱屈」「敗北としての記憶」という話題についてまったく語っていない文献を持ちだし、出典として利用しました。これは明確な出典の捏造です。ですので私は、「該当文献にそのような内容があるのなら、その文献から引用して示してみてください」と述べたのです。これに対して「引用してないのどうやって引用をやればいいのでしょうか」という回答はまったく意味不明です。

ここまで説明してもまともな回答が出来ないのなら、私は今後あなたと会話する自信がありません。あなたが理解できないのか、理解したうえで滅茶苦茶なことを言い張っているのかはわかりませんが、少なくとも上記2点に関しての反省の弁がないようであれば、今後あなたの回答には返答は差し上げません。

では。--Tonbi ko会話2016年11月29日 (火) 08:52 (UTC)

Tonbi ko 氏- 「いい加減にして」は、こっちの言うことですが、水掛け論になるのでスルーします。
「何のことでしょうか」は説明してくれということでしょうか? また「勝利宣言」などは一言もいってませんよね。決めつけはやめてください。Tonbi ko氏の誰範囲の意図するところ説明してくれと言っただけです。そういう態度を続けれると話が先に進みません。
「批評的な文章」とTonbi ko氏が判断したということなんですが、一般的、というか日本語としてはそれらの文章にそういう意味はありません。つまりここの部分の誰範囲は、Tonbi ko氏の誤解をもとにしたものであると、認定できるということです。前にすでに説明したように、一文の中の述部「物議を醸した」の理由を示した部分ですから、明らかです。そしてそれに関する原典を出典にできない等々は、批評している部分ではないという、私やみしまるももさんの理解と一致しないのは、Tonbi ko氏の文章理解の取り違えによります。だからこそそれを改めて明らかにするために質問しました。そして明らかになった次第です。
外の部分の誰範囲の意図を説明していただけないのはなぜでしょうか? あと二箇所あります。その回答が次の答えになるから、聞いているのであって、対話を返してもらわないと困ります。
Tonbi ko氏は、あと「作者の心に鬱積した様々なタブーに挑戦した作品」と、「記憶されている」に誰範囲を付けました。前者については文節単位ですでに説明しましたが、後者については(Tonbi ko氏が)大言壮語テンプレも付けられているので、善意で解釈すると、表現がオーバーだと思ったのかとも判断できます。実際どうだかは返答がなかったので知りませんし、端的に誰が記憶したのか、というマンマ問いの意味なのかもしれません。
私が書いた表現は「戦後の代表的な言論弾圧の一つであり、出版言論の敗北として記憶されている」というもので、これで一行です。Tonbi ko氏の問題の1つは、一文節を取りだして引用した箇所を示せ、という意味不明の要求をしてくることです。いや、いや、私が自分で書いた文章で誰かの文章をパクったわけじゃないので、一文節ではなく、一文で判断してもらないと、一文節を作るのに何かを参考にするなんてことを普通の人はしないのです。一行をみると、戦後の言論弾圧として有名であることを表現しているのは明らかで、それが大袈裟かという適切かは判断はいろいろあるわけで、表現は様々に替えることは当然可能です。しかし文を作った中で一文節をどこから導き出したかなんてあるわけない。全体をみないとダメ。
長島氏の文章には、(以下:斜体字引用)「日本が揺れ動き、その影響は現在の日本社会にも至っている」とか「テロリズム殺人事件が起こり、作者は1965年まで放浪生活を余儀なくされた。 『中央公論』はテロの被害側でありながら、右翼に反省を強いられ、編集長 を替え、編集体制を替え、編集を「中正に戻す」方針を表明し、その結果 、総合雑誌『中央公論』という‘左右を問わず国民に開かれていた論壇’を変形 させた。またその自粛路線は「思想の科学」事件という「思想の科学」天皇制特集号の中止、断裁事件を引き起こし、これを契機に思想の科学研究会の中央公論社からの離脱 、左翼論壇人の『中央公論』への執筆拒否という事態を招くにいたった」とか「これだけの弁護にもかかわらず、「風流夢譚」は社会問題化して行く。「とにかくひどいものだ。小説の意図がどこにあるのか知らぬが、不愉快きわまる。刑事上、民事上の問題として関係当局に検討してもらっているが、このようなことが平気でやれるとなるとえらいことだ。」(宮内庁宇佐美長官)」とか「国体の尊厳については絶対感情を持っている人たちだから具体的な論理は必要ではないようである。ただ「天皇が侮辱されれば、国民が侮辱される」という論理はわからない。右翼の介入の口実か。つまり仮に侮辱罪が成立した場合に、その被害者は天皇であるのに、右翼がその代理として行動するために「国民」を持出して来たのだろうか、それとも、全ての国民が胸に天皇信仰を抱いているという、願望のような甘い信念を前提にしているのであろうか。いずれにしても作品がコッケイさを狙っている意図なんか全然理解しているようには見えない。かくして「笑い」は「幻の不敬罪」を克服できなかった。作者は滑稽小説を意図したが、受取側の多数が笑って天皇制を扱うまでには至らず、多数の憤激を誘発してしまった。」とあります。
こういうことを参考にして、四段中の三段落を書いたいうこと。繰り返して言うが、要約も引用もしてない。「戦後の代表的な言論弾圧」は要する大事件だったということ、「出版言論の敗北」は、中央公論がテロの被害側でありながら、右翼に反省を強いられ、編集方針を替えざる得なかったこと、「記憶」は要するにこの顛末げ非常に有名で『風流夢譚』はかならず話題にである人々の記憶に残る問題作になったということをさしていて、そういう意図で書かれています。作品の背景にすぎないので、極めて簡略にしました。
全く、一文節ごとに文意を説明するなんて、前代未聞だと思うのですが、ここまで説明したら、それそろいつまでも納得しないという姿勢を改め、編集が全く正当なものであったことを理解してもらいたいものです。--Quark Logo会話2016年11月29日 (火) 10:26 (UTC)

スタイルマニュアル (導入部)のご案内[編集]

こんにちは。Quark Logoさんの投稿内容はWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)で定められた書式になっておらず、修正を要するものになっています。

  • 記事の冒頭にて定義と記事全体の要約とを記述する

など細かなルールが定められています。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)をお読みいただいたり他の記事を参考にするなど、規定に沿った書式で執筆していただくようお願いいたします。--宇井木辺出夫会話2016年11月28日 (月) 08:42 (UTC)

どの投稿内容でしょうか? 改善したいので記事名を示して下さい。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 08:52 (UTC)

基本的には、「冒頭の段落は明確で簡潔な定義」(Wikipedia:素晴らしい記事を書くには)であると考えていて、続く要約がとても長い場合には、節を設けるというのは、編集者の中で広く使われている方法です。たぶんそのことを言っているのではないかと想像するのですが、定義文と、要約部を分けるのは、書式に反してません。冒頭の導入部分がとても重たい場合にはやむを得ない編集であると考えます。--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 08:59 (UTC)


宇井木辺出夫さん、参考までに、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)下を見て下さい。

導入部の長さ

導入部の長さは、一般に記事全体の長さに対応します。ウィキペディア日本語版では、以前は導入部は3段落以内とされていたために、記事が大きくなるにつれ読みやすさの観点から記事の概要を記す、「概要」あるいは「概略」節を作る慣行ができました。2008年に導入部を記事の長さに応じるよう改定し、2014年に大雑把な目安として、30,000バイト以上の長い記事で3~5段落の長さを採用しました。これは導入部がそれ以降の本文の量を反映しているという説明を大雑把に試みたに過ぎません。段落を整えるためだけに編集するのではなく、定義文に続いて記事全体の重要な内容を手短に紹介しているかということも考慮してください。

導入部が長大になっていたり、節に雑多な内容が含まれている場合などは、記事の構成を見直すことで、文章の長さを調整します。要約は「概要」の節を作って書くのもいいでしょう。「概要」節を作る場合でも、重複した内容を導入部に要約として記載しても構いません。ただし導入部での説明はより簡潔にするよう努めて下さい。導入部に記事の要約があると、本文に何が書いてあるか見当を付けやすいでしょう。

--Quark Logo会話2016年11月28日 (月) 09:08 (UTC)

それはただの「大雑把な目安」で、「導入部がそれ以降の本文の量を反映している」ようにせよ、というのが原則だと書いてあるでしょう。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#「概要」節を作る場合の注意にあるように、節を分ける際には、他の編集者の合意をとるようにしてください。私は、「全文の要約」にならない「概要」の作成を助長するだけだと思うので、冒頭部とは別に「概要」節を設ける編集には反対です。「概要」節は冒頭部に統合して、もし段落数が多いのが不満なら、段落の数を減らしてください。私は、本文が長いので、冒頭部が長くなっても仕方ないし、冗長な文章にしたつもりもないと思うので、そのままでもいいと思っていますが、段落数を減らしたければ、無理矢理くっつけて減らしてください。
また、同ガイドラインでは、冒頭部は全体の要約になるようにすべき、とされています(全体を要約している限りで出典注などの省略も許容されています)ので、本文を要約せずに、冒頭部だけ「コトバンク」を参照して作成するような編集が歓迎されるわけがないでしょう。本文を要約するように、書き直してください。--宇井木辺出夫会話2016年12月1日 (木) 12:53 (UTC)
返信 (宇井木辺出夫宛) 返信 (240F:7A:C86B:1:4815:BC6F:DCA0:9A9E宛) 何の記事か言ってくれるといいのですが・・・。想像ですが、徳川義親の話でしょうか?
宇井木辺出夫氏の編集[3]は、11行で1085字ですから、それはさすがに多すぎるでしょう。
あと、「大雑把な目安」=「2014年に大雑把な目安として、30,000バイト以上の長い記事で3~5段落の長さを採用」ということであって、これ以下の小さい記事でも分割できるということでして、現状の徳川義親の記事は長大なので、概要を書いた方が読み手には親切です。このくらいの長さになると、ほとんどの記事には概要があります。強く、概要を作ることを主張します。というも、ほとんどの読み手は残念ながら文章の全体を細かく読んだりはしないのです。
これだけ内容が豊富だと、冒頭部を簡潔にするのは無理というものです。段落だけではなく文字数も問題になります。1,000字を一段落にしても同じ事です。多少削っても無理なので、冒頭部の数行と、概要部という構成以外にないでしょう。
冒頭は定義文が主ですから、概要に要約が入るわけです。本文が長大だと要約も長大になるので、概要節が必要になるという結論ですから、短くすると本文の要約にはならない。そして要約部分である概要節の内容はほぼ宇井木辺出夫氏の文章です。『「全文の要約」にならない「概要」の作成』とは自己批判でしょうか??? 現状の概要節の内容が要約として不適格であるならば、それは冒頭部であったときも不適格だったのでしょうか・・・。
冒頭で要約しなければならないは、概要節がない場合で、定義文程度しか書いてないつもりです。だから概要節がある。冒頭に残すとしたら、三行程度300字ぐらいですが、どう削っても収まりそうにないから概要節を主張しているわけで、「無理矢理」やれといわれても、矛盾しているし、困るのですが。--Quark Logo会話2016年12月1日 (木) 13:35 (UTC)

徳川義崇でのQuark Logoさんの編集について[編集]

コメント こんにちは。徳川義崇について、Quark Logoさんは2016年11月23日の編集で要出典範囲テンプレートを除去されていますが、Quark Logoさんは徳川義崇さんの個人ブログについて、一次資料であるけれど出典の要件を満たしていると判断されたのでしょうか?ボクの会話ページ利用者:宇井木辺出夫会話 / 投稿記録 / 記録さんから質問があったので回答したのですが、Quark Logoさんは何か問題をクリアできる資料を持っているのかな、と疑問に思ってこちらにお邪魔した次第です。よろしくお願いします。--tail_furry会話2016年12月14日 (水) 05:36 (UTC)

返信 (Tail furryさん宛)
要するに徳川義崇ご本人の記述ですから、Wikipedia:存命人物の伝記にある通り、「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報」は「伝記本人のもの」は、信頼できる情報源として認められています。さらに本人を情報源にする場合の注意書きもありますのでごらんください。もちろん本人記述は虚飾やプライバシーの問題があり得るわけで注意は必要です。該当の徳川義崇記事でこの出典から採用した内容は、生年や学歴など、簡素な内容だけで、プライバシーに関わるようなことは引用していません。何の問題もないと思います。一次資料タグで適当でしょう。一次資料について広く誤解されているのは、これを全く使ってはいけないと決めつけたい人がいますが、そうではなくて、二次資料によって補填が必要だという注意が促されているだけなのです。学歴などの情報は信頼性が低いとはいえず、論争のあるテーマでもありません。また今後、在学記録などは卒業アルバム等で確認できないこともないでしょう。自主的に公表されているのだから、当然、秘密の暴露とも言えません。このページの履歴をみると、3版目(松茸氏の編集による)から徳川義崇氏のホームページが書かれていますから、これが情報源であったのは明らかでしょう。著作情報などを除けば、そこから大きな変更はないように思われます。--Quark Logo会話2016年12月14日 (水) 07:37 (UTC)

プレビュー機能のお知らせ[編集]

こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。Quark Logoさんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。
投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。

これを使うことで

などを予めチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については同じ記事への連続投稿を減らすに説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。ご理解とご協力をよろしくお願いします。なお、もしすでにご存知のことでしたら、悪しからずお願いいたします。--宇井木辺出夫会話2016年12月16日 (金) 09:17 (UTC)

プレビュー機能のお知らせ[編集]

こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。Quark Logoさんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。
投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。

これを使うことで

などを予めチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については同じ記事への連続投稿を減らすに説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。ご理解とご協力をよろしくお願いします。なお、もしすでにご存知のことでしたら、悪しからずお願いいたします。(実質3回目)--宇井木辺出夫会話2016年12月21日 (水) 04:33 (UTC)

要約欄への記入のお願い[編集]

こんにちは。宇井木辺出夫会話)と申します。Quark Logoさんの投稿履歴を拝見したところ、ほとんど要約欄に記入されていないようでしたので、他の利用者のために常に要約欄に記入して頂くようお願いに参りました。

ガイドライン・Wikipedia:常に要約欄に記入するは、数あるガイドラインの中でも重要なものとして位置づけられています。要約欄に適切な要約を記入することにより、差分表示を確認することなくその編集の概要を知ることができるため、履歴の見通しをよくすることにつながります。また、差分表示を見ながら要約欄に記入していくことにより投稿する予定の内容を見直すことができるため、同じ記事への連続投稿を減らすことにもつながります。特に、リバート(荒らしへの対処を除く)や内容の大幅な変更、記述の一部を除去する際にその理由が要約欄に記入されていませんと、なぜそのような編集をするに至ったか他の利用者にとって分かりづらいという問題が生じます。それにより編集合戦が発生することも少なくありません。

もしあなたの投稿内容が短い文章の加筆に留まる場合、その文章をそのまま要約欄にコピー・アンド・ペーストすれば、編集の全貌が分かりますし、なにより手間が掛かりません。細部の編集でわざわざ要約欄に記入するのは面倒だという場合には、要約欄用の略語を使用することも検討してください。ご面倒をお掛けしますがご理解とご協力のほどよろしくお願いします。--宇井木辺出夫会話2016年12月21日 (水) 04:33 (UTC)

お知らせ。[編集]

1時間たって、依頼者より連絡がないためかわりに連絡します、Quark Logoさんにコメント依頼が提出されたようです。ご確認お願いします。--湖紫陽会話2016年12月23日 (金) 20:01 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼/Quark Logoが提出されていますので、提出者にかわってご連絡いたします。--Husa会話2016年12月24日 (土) 05:33 (UTC)
返信 (湖紫陽さん宛)
返信 (Husaさん宛)
少々、手一杯だったので、返事が遅れましたが、御両人とも知らせをくださってありがとうございます。
Wikipedia:コメント依頼/宇井木辺出夫がようやく書き上げられました。--Quark Logo会話2016年12月24日 (土) 10:41 (UTC)

ウィキメディアンとしてのご経験とご意見をシェアする世界的調査[編集]

  1. ^ この調査では、ウィキメディア財団の現在の問題についてのご意見をお伺いするためのもので、長期的な戦略について論じるものではありません。
  2. ^ 法的事項: 購入の必要はありません。未成年者は参加できません。ウィキメディア財団 (149 New Montgomery, San Francisco, CA, USA, 94105) により後援されています。2017年1月31日に終了します。但し、禁止されている場所では無効。コンテストルールを参照するにはこちらをクリック

「青木一矩」について[編集]

Pooh456と申します。はじめまして。

記事「青木一矩」について、Quark Logoさんによる現時点の版を拝見しました。

従来、この記事は出典表記がほとんどない状態でした。そこで、信頼できる情報源を出典として、私が全面的に書き換えた訳ですが、Quark Logoさんの方で、従来の記事にその内容を取り込んだ上で、細かく出典表記を加えて頂いたようです。それは大変ありがたく存じますが、下記の点についてはいかがお考えでしょうか?

  1. 「“青木系図”. 東京大学史料編纂所」は、WP:RSで定義されている一次資料の典型と思います。また、歴史学において、「系図」や「軍記物」の史料価値が低いとされていることはご承知かと存じます。
  2. 「福田源三郎 国立国会図書館デジタルコレクション 『越前人物志. 上』 玉雪堂、1910年」は、同じくWP:RSで定義されている「二次資料」の要件を満たすとは到底思えません。
  3. 上記の2つの「文献」は、この記事の出典として使用するのは避けるべきと考えます。

お忙しいところを恐縮ですが、ご見解を頂ければ幸いです。--Pooh456会話2017年1月9日 (月) 09:52 (UTC)

このご連絡を差し上げた後で「改易」についてのQuark Logoさんによる現時点の版を拝見しました。そちらで、私の編集を差し戻す出典に挙げられている「廃絶録」は、やはりWP:RSで定義されている「二次資料」の要件を満たさず、Wikipediaの記事の出典には使えないと思われます。こちらについても、ご見解をお願いいたします。--Pooh456会話2017年1月9日 (月) 10:19 (UTC)

返信 (Pooh456さん宛) - いえ、むしろそれはWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性についてのPooh456さんの誤解です。ガイドラインの一次資料についてここをお読みください。

・・・特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。ウィキペディアの記事で一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです。例えば書記官によって公刊された公判記録、編纂された全集の中に登場する歴史文書といったものがこれにあたります。信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。・・・

青木系図」は歴史文書の一つで、「越前人物志. 上」もまさに信頼できる出版元(国会図書館)から入手閲覧できる状態であり、(仮に)一次資料であっても使って良い条件を満たしています。出典・話の出所を明示することで、検証可能を満たしています。ちなみにいうと、『越前人物志』は完全に二次資料に該当します。明治時代の本というだけで各古文書の内容が要約や抜粋されています。これを一次資料というのは、ちょっと意味誤解されていると思います。

むしろ問題があるのは、Pooh456さんが使っている『福井県史』のほうです。これは福井県文書館とありますが、公式なものなのかどうか何も書いてないようなので、出所に若干の問題があります。著作権者がまだいるのではないかと思われる著作を公開しているのは、なぜなのかよく分かりません。このサイトは参照しても大丈夫なのでしょうか。(出所の不確かな素材

一次資料は使ってはならないと誤解する方は非常に多いです。しかし出典を明記する、検証可能性を満たすということができれば、問題ありません。○○にこう書いてあるという明示はできますし、そうしなければなりません。他説併記が原則なので、いろいろな出典によって多様な説を書くことができます。ウィキペディアは真実を探求することが目的ではないので、他説を抹消するようなことはしてはなりません。「出典表記がほとんどない状態」といいますが、明確に参考文献を消しており、Pooh456さんが最初やられたような、出典のある他説を消すような編集は、違反行為になりますのでご注意ください。またWikipedia:中立的な観点も併せて熟読ください。--Quark Logo会話2017年1月9日 (月) 10:24 (UTC)

 追記 改易については、1600年は明らかに江戸時代ではありませんから、江戸時代に改易になった欄に書くのはおかしいです。Pooh456さんが1600年10月を江戸時代だと主張するならば、ただの独自研究となります。また青木一矩は一般的には西軍とされています。『福井県史』の方が異説の部類です。また「廃絶録」は上記の使って良い例のまったく当てはまるのは自明です。史籍集覧の中のもので「編纂された全集の中に登場する歴史文書」とはまさにのこのことです。--Quark Logo会話2017年1月9日 (月) 10:29 (UTC)

返信 (Quark Logoさん宛) - 早々にお返事を頂き、誠にありがとうございました。

(1) 一次資料、二次資料の件

WP:RS

「二次資料/ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」

WP:PSTS

「ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。」

WP:SOURCES

「とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。」

「青木系図」「廃絶録」「越前人物志」のいずれも、「学術的で査読を経た出版物」でなく、「学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合」にも当たらないので、記事「青木一矩」の出典として使用できない、となりそうです。


(2) 「福井県史」の件

福井県の公的機関である「福井県文書館」が、福井県民の税金で編纂された書籍をネット上で公開している、ということに何ら疑問は感じません。福井県の先進的な取り組みであり、高く評価されるべきでしょう。[4]に「著作権は各執筆者に、編集著作権は福井県にあります。」と当たり前のことが明記されております。失礼ながら、Quark Logoさんが何を問題視しておられるのか理解できません。


(3) 記事「改易」の件

「Pooh456さんが1600年10月を江戸時代だと主張するならば、ただの独自研究となります」というご指摘を頂き、「広辞苑 第5版」で「江戸時代」を参照したところ「徳川家康が1600年関ヶ原の戦で勝利を占め、03年幕府を江戸に開いた頃から、1867年徳川慶喜の大政奉還に至るまで約260年間の称」とありました。

「角川日本史辞典 第2版」を参照したところ、始期を1603年とする定義をまず述べ、始期を1600年とする説もある、と併記しておりました。

私は、江戸時代の始期がいつか、などと真面目に考えたことは一度もありませんでしたが、「Pooh456さんが1600年10月を江戸時代だと主張するならば、ただの独自研究となります」というご指摘は当たらないようです。

さて、記事「改易」の構成は「関ヶ原の戦いで敗れた大名家の改易・減封」の次が「江戸時代に改易に遭った大名」となっているのですから、「江戸時代の始期がいつか」を論じる必要などありません。

「関ケ原の合戦で青木は東軍だったのか? 西軍だったのか?」が問題となる訳ですが、2つの「学術的で査読を経た出版物(公表ずみの信頼できる二次資料)」に「青木は東軍だった」とはっきり書いてある以上、それに従って記事を書くしかありません。

なお、Quark Logoさんが出典となさっている文献のうち

  • 高柳光寿; 松平年一 『戦国人名辞典』 吉川弘文館、1981年
  • 阿部猛; 西村圭子編 『戦国人名辞典』 (コンパクト版) 新人物往来社、1990年

は、いずれもWP:PSTSの定義する三次資料と思われ、「学術的で査読を経た出版物(公表ずみの信頼できる二次資料)」が利用できる場合には、利用すべきでないと思われます。

Wikipediaで、三次資料の利用が推奨されない理由、より信頼できる二次資料を出典としてのリライト、「筆者や出版社が立派でも古い資料」の取り扱いについては、井戸端の議論があります。

|Wikipedia:井戸端/subj/Wikipedia:信頼できる情報源の解釈について


(4) WP:NPOVについて

青木について学界で論争があるのでしたら、WP:NPOVに従ってきちんと両論を併記する必要がある、と私も思います。

しかし、青木が学界で論争の対象になっているとは聞いたことがありません。

今までに、豊臣政権~関ケ原の合戦~江戸幕府成立についての本を多数読んできましたが、青木について文章で記述があったのは、私の編集で主な出典とした黒田基樹氏の本が初めてです。ネットで閲覧できる福井県史に、青木について若干の記述があることは前から知っておりました。複数の信頼できる情報源を参照できるということで、記事「青木一矩」をリライトしようと思いついた次第です。

Quark Logoさんが、ご自身の編集の出典となさっている文献は、最新で1990年、27年前のものです。それらと、20年前の1996年に出版された福井県史、直近の2016年に出版された黒田基樹氏の著書との間で「論争」がある、だから両論を中立的な観点で併記しなければならない、と本気でお考えでしょうか?

1990年以前に出た本と、福井県史や黒田基樹氏の本との間で、青木に関する記述に相違があるとすれば、単純に「青木について歴史家の研究が進んだから」と解釈すべきでしょう。あるいは、歴史家が青木について一次史料(Wikipediaの一次資料とは全く違います、為念)を本気で調べたら、青木について史実とみなせる事柄は、私が記事にした程度だった、ということでしょう。

Quark Logoさんは、例えば吉川弘文館の人物叢書は良くご存じと思いますが、一次史料で分かること、一次史料から推論できることしか書いてありません。

Quark Logoさんが、「青木一矩」の私が書いた版が、WP:NPOVに照らして問題である、とお考えなら、Quark Logoさんがご存じの、第3、第4の、青木に関する「学術的で査読を経た出版物(公表ずみの信頼できる二次資料)」を出典として示し、加筆訂正なさるのが「記事を発展させる」ことかと存じます。--Pooh456会話2017年1月9日 (月) 16:36 (UTC)

返信 (Pooh456氏宛)
違います。Pooh456氏の云ってることは、ガイドラインの指示とは異なる内容であり、間違いです。
利用者:Pooh456会話 / 投稿記録 / 記録氏については長期ブロックが明けてわずか2ヶ月目だと承知していますが、4年間の間にウィキペディアのガイドラインについて熟読していなかったとは驚きです。(Wikipedia:コメント依頼/Pooh456 20120916Wikipedia:コメント依頼/Pooh456Wikipedia:投稿ブロック依頼/Pooh456Wikipedia:投稿ブロック依頼/Pooh456 解除
1. リンクを明示するだけでは理解してもらえないようなので、一次資料と二次資料についてのガイドラインを読解していきます。Pooh456氏のように一部だけ取り出すと、説明の全体像を曲解してしまうようなので、できるだけ全体を明示します。
1-1. まずWikipedia:信頼できる情報源に見られる説明は下記になります。

情報源

一次資料

   ある事柄の状態について直接の証拠となる記録物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。この語は多くの場合、出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメントを指します。公式な報告書、手紙の原本、実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事、あるいは自伝などになるでしょう。権威ある機関によってまとめられた統計も一次資料と考えられます。一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。ウィキペディアの記事で一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです。例えば書記官によって公刊された公判記録、編纂された全集の中に登場する歴史文書といったものがこれにあたります。信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。Wikipedia:独自研究は載せないおよびWikipedia:検証可能性をご覧ください。

二次資料

   ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。

三次資料

   通常は二次資料を要約したものです。例えば、百科事典は三次資料です。

事実を報告するとき、ウィキペディアでは出典を明記する必要があります[2]。ウィキペディアは三次資料です。ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません。『ブリタニカ百科事典』の中には信頼できる三次資料として利用できる記事が多数ある一方で、『ブリタニカ百科事典』、『ワールド・ブック』、『エンカルタ』、『マイペディア』のような著名な百科事典の記事ではあっても、著者の記名がないものは編集部員が書いたものであり、彼らは専門家とは限らないため注意が必要な場合もあります。そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望をウィキペディアンたちが抱いたとき[3]、そのような著者の記名がない三次資料の内容に頼るようでは目標の達成には充分ではありません。それゆえ一般的に、「一次資料」は注意して取り扱い(上記参照)、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります。

ある個人または団体が、ある意見を持っていることを記述する場合の最良の示し方は、直接そうした意見を引用し、引用した文の一番最後にハーバード方式または脚注・リンクの埋め込みを使って引用元を示すことです。詳しくはWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針をご覧ください。誰かが意見を述べていることを直接示す、パブリックドメインやCC-BY-SAやGFDLなどのフリーライセンスで公開された文書・画像・映像がある場合、それを掲載したり抜粋したりできます。
つまり①「信頼できる出版元から公刊されている」一次資料は使って良い②「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態」の一次資料は使って良い。ということになります。一次資料を使って良いが注意して扱うということです。注意の内容については後述します。
1-2. 次にWikipedia:独自研究は載せないの説明に見られる説明は下記になります。

一次資料と二次資料

ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。二次資料や三次資料は、項目の主題の特筆性を立証するため、および一次資料の新規な解釈を避けるために必要です。ただし、一次資料は注意深く使えば出典とすることができます。項目が一次資料だけを出典としている状態は避けねばなりません。解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません
どのような出典が適切であるか、個別の事例によっては決定が難しくなることもあります。以下に示すのは一般的な規則です。一次・二次・三次資料のどれが適切であるかは善意による客観的な判断と常識の問題です。各項目のノートで議論して決めてください。本方針の目的には、一次・二次・三次資料はそれぞれ次のように定義されます。
  • 一次資料は、ある事象について、それに密接したところにある独自の資料であり、多くの場合はそれに直接参加した人によって作成されます。その人たちは、事件、歴史の一時期、芸術作品、政策決定、などについて内部からの観点を提供します。一次資料は、独立した情報源や第三者情報である場合も、そうでない場合もあります。交通事故の目撃者による話は、その事故についての一次資料です。同じように、著者によって行われた新規な実験を記した科学論文は、その実験結果についての一次資料です。日記などの歴史的文書も一次資料です。
方針:他の方針によって制限されるのでない限り、信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用が許されます。しかし、誤った使い方がされやすいので、取り扱いは注意深くする必要があります。一次資料に記載されている情報の解釈には、信頼できる二次資料が必要です。ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られます。たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合、その小説の文章を出典とすることは可能ですが、それについての解釈には二次資料が必要です。一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。項目全体を一次資料に依拠してはいけません。一次資料のみに依拠した大きな段落を作る場合にも慎重になってください。あなたの個人的な経験に基づいた記述を記事に加えてはいけません。そうすることにより、ウィキペディアが一次資料となってしまうからです。存命人物について一次資料を使うときには、より慎重になってください。
  • 二次資料は、一次資料に基づいてそれを作成した人物によるその人自身の考察を提供するものであり、普通は事象から一歩離れたところにあるものです。二次資料には、一次資料から得た作成者の解釈・分析・評価・論拠・構想・意見などが記されています。二次資料は必ずしも、独立した情報源あるいは第三者による資料ではありません。作成者は作成にあたって一次資料を使い、それらについての分析・評価を行っています。たとえば、ある分野における研究論文を集めて分析した総説は、その研究についての二次資料です。ある資料が一次資料であるか二次資料であるかは、文脈によって変わります。軍事歴史家によって著された第二次世界大戦についての本は、この戦争についての二次資料となるかもしれませんが、もし著者の戦争体験が含まれているのであれば、その体験についての一次資料となるでしょう。書評も、場合によって意見・総括・学術的な論評のいずれかになりえます。
方針:ウィキペディアの記事は通常、信頼できる二次資料に基づかなければなりません。分析や評価についての記述は、信頼できる二次資料で公表されているのでない限り、禁止されます。
(続きの三次資料については下掲)
Wikipedia:独自研究は載せないに書いてある内容は、Pooh456氏が云うような一次資料の使用を禁止するものではありません。むしろはっきりと、上記のように一次資料は出典にすることができると明白に書いてあります。一次資料の解釈に二次資料が必要とは、つまり学術者や専門家しか評価を下せないからということです。
これ(赤字の部分)を読み落とすというのは考え難いのですが、Pooh456氏のWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの再発の可能性があると思わざる得ないのですが、(善意で解釈して)そうでなれば、恐らく、Pooh456氏が、基づいて書くといこと、出典とするということ、の違いを誤解しているように思います。青木一矩では、『青木系図』だけが一次資料で、あとは全て二次資料であり、文章は後者に基づいて書いています。『青木系図』はそこに書いてある記述を端的に紹介しているだけで、文章の全体を構成してません。(リンクで明示されているので見て分かるように)そもそも資料にそれほど長い記述が存在しません。一次資料は出典にできるのであって、取り扱い方法についても、Pooh456氏は理解していないのではないかと強く懸念します。
あと、「一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません」については1-3で後述します。
1-3. Wikipedia:検証可能性についても言及されていますが、解釈が根本的に間違っています。

何を信頼できる情報源とするか

ウィキペディアにて「情報源(source)」という用語は3つの側面を持ちます。創作物自体(文章・記事・論文・書籍など)、創作物の製作者(著者など)、創作物の出版機関(東京大学出版会など)の意味に解釈されます。この3つ全てが情報源の信頼性に関わってきます。

ウィキペディアの記事は、正確性と事実確認について信憑のある、公表された信頼できる第三者の資料に基づかなければなりません。

情報源は公表された(何らかの手段で大衆が入手可能である)ものでなければなりません。非公表の情報源は信頼できるものとは見なされません。情報源は記事にて執筆された内容を直接的に裏付けるものであり、その主題を適切に論じたものでなければなりません。

その情報源を採用するに相応しいかどうかは記事の内容に関係してきます。

一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。その話題について調査が精密であればあるほど、たいていその情報源は信頼できます。とりわけ存命人物の伝記や医学分野の記事のときは、情報源については細心の注意を払ってください。

とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。

それ以外でも、大学レベルの教科書・権威的な出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは信頼できる情報源です。 電子的な出版物でも同等の基準を満たしていれば使用できます。
そもそもなぜこのような指示があるかといえば、資料を解釈して主張するという行為が、学術者・専門家の著作でしか許されないからです。一次資料をウィキペディアンが解釈することは禁止されています。逆に言えば、一次資料の記述は表記することはできるのです。○○に□□と書いてあると明示することは、入手可能で一般に公開された情報源の出典が明示できればできるということです。
Pooh456氏がやってるような一次資料の吟味が、前項で禁止されている「一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません」に明白に違反してます。その評価は学術者や専門家にしか許されないものであり、一利用者に過ぎないPooh456氏が、出典もなく主張するならただの独自研究となります。
検証可能性への無理解についてのPooh456氏の問題点は、あとでその話をしてますので、後述します。
2. 『福井県史』はまだ版権が切れていないはずであり、公開されているのはかなり奇妙で、www.archives.pref.fukui.jpの管理状態は不明です。ホームページに書いてあるからといって検証なく信じるというのは、Pooh456氏のダブルスタンダードだと思います。私が言いたいのは、このサイトがどうこうというよりも、そのことです。別にサイトの情報を使っても良いですが、いや、出版物がどうの学術がどうのと言っていたその口で、違うことをよく平気でいうな、ということです。問題なのは、サイトの信頼性よりも、ブロック明けというPooh456氏の信頼性ということです。上記のように早速、ガイドラインと違うことを主張しますからね。
3. 1600年の旧暦の10月ですよ。他の西軍に加わった大名が改易になったまさに同じ頃に除封されているので、これを江戸時代になったというのは奇妙です。だいたい、黒田氏の出典も江戸時代に改易になったと書いてないはずです。前述の 『福井県史』にもそう書いてない。あーいえば、こーういうみたいに反論してますが、そういう態度は非常に好ましくないと言わざる得ません。いつまでも納得しないの再発でしょうか。
ちなみにいうと、関ヶ原の役は10月10日の段階で終わってません。上杉や島津の投降までいれると1602年12月まで、それらを抜いても、家康が大坂城に入って和睦の儀をしたのは10月15日であり、全国での戦闘は10月25日の立花宗茂の降伏まで、そして家康が九州の戦闘中止を命じたのは11月12日です。10月というのは、まさに関ヶ原の役の論功行賞やら処分を告げていた時期です。改易のページを読むと、「江戸時代の大名家の改易」というところに本文があるので、明らかに「江戸時代に改易に遭った大名」という節は幕藩体制のなかでの改易を一覧にする意図で書かれていると判断できます。これで青木一矩をこの節にいれるのは変です。関ヶ原で西軍か東軍かわからないというので、「関ヶ原戦で中立」の欄に移すならわかりますが、江戸時代はないでしょう。それで関ヶ原以後を江戸時代とよぶ辞典もあるとかいう屁理屈を持ち出してくるのは論外に近いです。さらについでをいうと、西軍から東軍について降伏して所領安堵されたものもおり、(仮に)安堵されたとしてもそれで東軍だとはいえません。特に青木は豊臣家の人間なので、特別扱いがされていたことは周知の事実です。旗幟鮮明ではない武将は何人もいますが、結局は、北ノ庄は前田利長が接収しており、最終的に東軍であれ西軍であれ、病死で除封になったというのは関ヶ原の役による結果でしかないです。
3-1. 青木一矩が西軍か東軍かというのは、論争ある内容であり、改易になった大名の一覧のようなところで論じるべき事ではありません。一つの出典をもって、これが正しいというような主張をPooh456氏はしてますが、それがウィキペディアンとしては大間違いで、編集姿勢が非常に問題がありますし、中立的観点を全く理解していません前回、長期ブロックになった理由そのものであろうと思います。青木一矩を西軍とする資料はたくさんあります。
3-2. 1-1.で示したように二次資料とは「 ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したもの」なので、多数の一次資料の要約である『戦国人名辞典』 吉川弘文館と、一次資料と二次資料の要約である『戦国人名辞典』 (コンパクト版) 新人物往来社は、明白に二次資料です。高柳光寿氏はとても有名な歴史学者です。松平年一氏は古文書の専門家です。阿部猛氏も歴史学者、西村圭子も同様で、さらに同書には52人の執筆者の名前が書いてありますが、すべて学者・研究者です。これを学術的で査読を経た出版物でないという理由がありませんし、その主張こそがPooh456氏の独自研究です。これらの日本の学者たちの経歴を文句を言ってどうするのでしょうか? 理解に苦しみます。 誤解ないように言っておきますが、黒田氏も『福井県史』の著者群もみんな学者で、福田源三郎氏も名の知れた研究者です。どれも信頼性に何の問題もないです。これをあるというのはただの偏見です。ウィキペディンの判断で資料に優劣を付ける必要性はありませんし、許可もされません。そんなことをどう考えても独自研究の枠を出ませんから。
3-3. 前述の途中だった三次資料について読解します。
  • 三次資料は、一次資料や二次資料を総括した、百科事典などの概説的な出版物です。ウィキペディアも三次資料にあたります。多くの初学者向け・学部生向けの教科書は複数の二次資料をまとめたものであり、三次資料とみなされます。
方針:公表ずみの信頼できる三次資料は、主題についての広範な概略や、どのような一次資料や二次資料があるのかについての情報を得るのに役立つ可能性があります。また、特に複数の一次資料や二次資料が互いに矛盾している場合にそうですが、観点について重み付けをするのに役立つかもしれません。三次資料の中には他よりも信頼性の高いものがあるでしょうし、一つの資料中でもある記事は他よりも信頼性が高いということもあるでしょう。ウィキペディアの記事は、ウィキペディア内で三次資料として使うことは許されませんが、ウィキペディアそのものについての一次資料として使われることはありえます。
使っていけない三次資料というのは、ウィキペディアだけです。他には何の制限もありません。ウィキペディア自身の記事を出典にしてはいけないと言うルールがあるだけです。出版されている三次資料には少なくとも著者の記名があります。1-1で示したように、問題があるかもしれないのは「著者の記名がない三次資料」ですが、それらは主にweb上の辞典などをさしており、それすら使用について何の規制もありません。井戸端でも、「妥当じゃない」と即答されています。この井戸端を引っ張ってきたら、その内容もちゃんと読んでください。「三次資料の利用が推奨されない」なんて誰も言ってません。一次・二次・三次のすべての資料は適切に使えるし、使われるべきものです。
相手の意見を排除するために、資料が何次かについて議論しようという姿勢は根本的な間違いであり、これは排除するためのルールではありません。そういった意図での使い方は、ルールの悪用に該当します。Pooh456氏の強引な主張には、そういった姿勢が垣間見れるので、ご注意ください。
4. そもそも「黒田基樹氏の本が初めて」見て「ネットで閲覧できる福井県史」でリライトしようと思った人が、「青木が学界で論争の対象になっているとは聞いたことがありません」というのは当然ですね。Pooh456氏は、何も知らないし、ただ初めて本で見た人でしょう。何言ってんだかという感じですが、そもそも間違っているのは、単に「黒田基樹氏の本」を初めて読んだだけのウィキペディアンが自分が学者になったように振る舞ってはいけないということです。当たり前ですよね、Pooh456氏はその当たり前のことがわかってないわけです。学会で論争になってるかどうかなんていうのは関係ないし、そんなことは一利用者が関知することではないです。そんなことは誰も求めていません。中立的な観点に論争があるかないかは何の関係もありません。中立的な観点は常に求められるものです。そもそも、Pooh456氏は都合の悪い記述を消してしまったわけですから、そういう編集姿勢がダメなのは自明です。長期ブロックはなんだったのでしょうか?
資料の年代についていってますが、新しい資料が自動的に真実を示しているなんてことは、全く言えません。むしろ逆に、どれが正しい正しくないかを、ウィキペディアンが判断するのが禁止事項の一つなのです。独自研究の中に「編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。」といおうのがありますが、Pooh456氏の場合は出典は付けてますが、都合の悪い出典付き記述を排除するということをやっています。半分までは独自研究のやり方だと自覚してください。
資料の内容について吟味できるのは、学術者・専門家が著作にそれについて言及している場合だけです。Pooh456氏の判断は必要ないのであって、それがまさに独自研究に値します。ウィキペディアンに許されうるのは、この資料にはこう書いてある、この資料にはこう書いてあると紹介することだけです。Pooh456氏の編集は勝手に取捨選択をしている点で偽の権威を装っていることになります。何の根拠もないではないですか。
ここでようやくウィキペディアの中立的観点について論じましょう。
中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?

これらの用語が意味している点は一般的に見て明白ではないし、誤解されやすいものだと思われます。

「偏りのない」「中立的な」という言葉についてはいろいろな妥当な解釈がありえます。ですが、ウィキペディアの方針としての「偏りのない記述」が意味するところは「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」というものです。これにはもう少し説明が必要でしょう。以下にそれを示します。

まず、最も重要なことは、論争の種になるような立場を、主張することなく単に記述する、ということがどのようなことかを考えてみることです。偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というような記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。(広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください。)詳細に書かれた記事であれば、p 主義者と q 主義者がお互いをどのように評価しているか、それぞれの立場が、相手に対して持っている強みなどを説明しつつ、どちらが優れた立場であるかについては確固として言及を避けることになるでしょう。

この点について、もう少し詳しく説明すべきでしょう。中立的な観点は、論争となっている点をめぐる多くの立場の中の、比較的「中立的」な、あるいは「中間的」なひとつの観点ではない、と上に書きました。これは「中立的な観点」という語についての特殊な理解に基づくものです。ウィキペディアにおいて多くの支持を得つつある理解では、「中立的な観点」とは実際にはひとつの観点なのではなく、「中立的に記事を書くことは、どのような特定の観点も全く表明しない(暗に示したり、読者を信じ込ませようとしたりもしない)」というのが正しい、ということになります。

もうひとつ説明しておくべきことがあります。偏りのない記述をするということは、ある論争についてその特長を説明しつつ、特定の立場をとらない記述をすることである、と考えることもできます。ここでの偏りのない記述とは、論争について冷静で、公正で、分析的な描写だと考えていいでしょう。当然ながら、いずれの立場も正しいと暗示することなく、複数の観点を記述することなど可能だろうか、という疑いがあります。ですが、経験を積んだ学者、論争好きな著述家、レトリックの研究家などはみな、自分や他人の記述の偏りについてよくわきまえていて、論争の説明にどちらか一方の側をひいきするような偏りがあれば、それを見つけることもできるものです。もし望むなら、彼らは、多少の創造性を発揮し、その偏りを取り除くこともできます。

この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け…だが意見は書くな

この方針はしばしば別の言い方で表現されます:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け…だが意見は書くな。ここでまず、「事実」という言葉は、特に深刻な論争の種になっていない情報を意味します。この意味で、「ある調査が特定の調査結果を出版したこと」は事実です。火星が惑星であることも事実です。2+2 = 4 も。ソクラテスが哲学者であるということも。これらについて真剣に反論するような人はいません。ウィキペディアンはこうした事実を思う存分記述します。その一方、「意見」という言葉は、何か深刻な論争の種になっている情報を意味します。特定の論争を「深刻」と見なすかについて確信が持てないような、判断の難しいケースも当然あります…ですが、意見を表明する記述も多くあります。神は存在する、というのは意見です。直観論理は日常論理より優れている、というのは意見です。

何かが事実であるか意見であるかを判断するには、実際に物事がどうであるかは関係がありません。理論上は、誤った「事実」(全ての人が合意するが実際には誤っている観点)がありえますし、真実に照らして正しい「意見」は数多く存在します。数の上では誤った意見の方が多いようではありますが。

ウィキペディアはこのような意味での事実だけを記述することに捧げられています。意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。つまり、「神は存在する」と意見を書く代わりに、「アメリカ人のほとんどが神が存在すると信じている」という事実や、「トマス・アキナスは神が存在すると信じた」という事実を書けばいいわけです。最初の例では意見を表明していますが、次の 2 つの例では意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えています。もうひとつ重要なことは、意見を提示する際に、意見がどのように提示されるべきかについて意見が衝突することもあるということを忘れないことです。場合によっては、主題についての主要な意見全てを公正に記述し、全般的な特徴を説明するために、ある意見の説明を限定したり、いくつかの定式化された記述を提示するにとどめたりすることが必要になることもあります。

ですが、ウィキペディアの中立性のポリシーについて、それは事実だけを記述し意見は控えるというものだと言うだけでは不十分です。ある意見についての事実を述べる時には、その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要です。一般的に、それら対立する意見の背後にある考え方や、誰がそうした意見を支持しているかについての事実を提供することも重要です。(その意見を代表するような人物を引用することが、しばしば最適の方法です。)

これを熟読して肝に銘じてください。黒田氏の説を書きたい場合にも、他説を排除してはいけません。Wikipedia:検証可能性にもあるように、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」であって、検証可能性を満たすことが重要で、どっちが正しいと思うとかウィキペディアン個人の考えを持ち込むことはできません。各説に対する評価は、ウィキペディアンが独自に分析は許されません。専門家の著作の記述が必要です。
簡単に考えるならば、多説併記で、利用者の役割は、説の紹介や、書籍の記述の紹介、一次資料の記述を紹介する程度であると思ってください。取捨選択しようとすると、独自研究になります。排除の論理で考えると、編集合戦にしかなりませんので、包摂主義を取り入れるようにお勧めします。
Pooh456氏のいう”リライト”についても、過去版を全くガン無視するという姿勢はあまり好まれるものではありません。ウィキペディアの行動として推奨されるのはWikipedia:善意にとるということなので、過去版の記述も出典に基づいた正当なものであるという前提で、リライトに望まなければ成りません。青木一矩の記事にはすべてでなくても、脚注で参照場所が書いてあり、デジタルアーカイブで参照可能だったり、参考文献ではページ番号まで書いてあったわけで検証可能性を満たす内容でした。それらを無視して上書きのような形で書くのは、出典付き記述の削除で荒らし行為に近いです。それを良かれと思ってやっているとしても、結局、そういうことでブロックされた過去があるわけですから、反省に学んでいないのではないかと指摘せざる得ません。過去の間違いと同じ事をされていないでしょうか?
5. 青木一矩の記事は、すでに私が加筆訂正して、適切な形で多説併記に戻されていますが、今度もさらに手を加えて、構成を考えたり、あたらな出典を探したりして、記事を発展させていく所存です。Pooh456氏につきましては、上記のガイドラインの間違いについての指摘を真摯に検討されて、今後の活動に生かしてください。同じ間違いを繰り返されないように切に希望します。--Quark Logo会話2017年1月10日 (火) 04:23 (UTC)

返信 (Quark Logoさん宛)

論点が拡散気味ですので、最初に整理させていただきます。

(1) 現在論ずべきことは、歴史分野の記事「青木一矩」を、どのような出典をもとに編集すべきか、である。

(2) Wikipediaでは、記事は信頼できる二次資料を出典として編集すべし、信頼できる二次資料がない時は、三次資料(例えば百科事典)を出典として編集しても良いが、信頼できる二次資料が見つかったらリライトされる。

(3) 特に歴史・医学・科学分野の記事の編集にあたっては、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源である。

(4)その場合、記事「青木一矩」を編集するにあたっては、青木についてまとまった記述がある、学術的で査読を経た「二次資料」、具体的には

  • 黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』 KADOKAWA〈角川選書〉、2016年
  • 『福井県史』通史編3 近世一、1996年(福井県文書館のサイトで公開)

の2つが、問題なく使える文献ということになると思います。

上記4点については、Quark Logoさんも異論はないと思います。


さて、江戸時代の始期がいつか、などというのは、当初から些事と考えております。ですが「Pooh456さんが1600年10月を江戸時代だと主張するならば、ただの独自研究となります」というご指摘がありましたので、2つの信用ある書籍の記載を示して反論したのに対し

「それで関ヶ原以後を江戸時代とよぶ辞典もあるとかいう屁理屈を持ち出してくるのは論外に近いです」

と返すのは、WP:CIVに抵触するのではないですか?

「屁理屈」という言葉は、相手に喧嘩を売る場合にしか使えない言葉と理解しております。あなたはどう理解しておられますか?


先に差し上げたご連絡で、専門家が書いた、査読を経ている文献を出典としなければならない、と、「専門家が書いた」と「査読を経ていること」ことが重要である、と、いくつもの方針文書で示されている、と申し上げました。

しかるに、Quark Logoさんは「査読を経ていること」について完全にスルーしておられます。何故でしょう? 「越前人物志」が使えなくなるからですか?


また、1回目のご回答で、「「青木系図」は歴史文書の一つで、「越前人物志. 上」もまさに信頼できる出版元(国会図書館)から入手閲覧できる状態であり、(仮に)一次資料であっても使って良い条件を満たしています」と仰っておられました。

WP:RSには「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません」と太字で記されていますが、この「信頼できる出版元」が「出版物の品質に責任を持つ、査読を行う信用ある出版社」を指すことは自明です。これは、例えばWikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ3/一次資料の扱いについてを見れば明らかです。

国立国会図書館をはじめとする図書館は、図書を閲覧に供する施設ですが、それらの図書の品質には責任を負っておりません。当たり前のことです。


さらに前回のご回答で「『青木系図』はそこに書いてある記述を端的に紹介しているだけで、文章の全体を構成してません」 と書いておられますが、Wikipediaの方針うんぬん以前に、百科事典において、系図にある記述を、学者の分析(二次資料)によらずにWikipediaという百科事典で紹介して良い、などとお考えでしたら、大きな勘違いをしておられます。

例えば、青木と共通点の多い人物である福島正則の伝記、福尾猛市郎・藤本篤『福島正則』中央公論新社(中公新書)、pp3‐4では、正則の素性について、伝来している3種類の系図を挙げて、内容がまちまちであり、その出自については真相を捕捉しがたいと簡潔に述べています。以下、p.10まで正則の出自について述べていますが、系図以外の様々な史料を典拠とし、系図の記載は事実ではなかろう、と結論しています。

青木や福島のような出頭人とは異なる、名族の出身である最上義光の伝記 伊藤清郎『最上義光』吉川弘文館(人物叢書)では、義光以前の最上家の系譜について、pp.8‐23で、伝来している系図を、他の様々な史料と照合した上で論述しています。

学者の書いた本では、系図については、みな上記のように慎重な検討を行った上で史料として使用しています。福尾猛市郎・藤本篤『福島正則』のように「系図の記載は事実と認められない」とする例も少なくありません。失礼ですが、Quark Logoさんがそうした歴史書を読み慣れていれば、Wikipediaという百科事典を編集するにあたり、「『青木系図』はそこに書いてある記述を端的に紹介しているだけで、文章の全体を構成してません」などという発想は持ちようがないでしょう。


「福井県史」の件」ですが、福井県文書館のURL http://www.library-archives.pref.fukui.jp/?page_id=137 が、福井県に属する機関以外は使用できないものであることは、一目で分かるはずですが…

福井県と無関係の第三者が、「福井県文書館」の公式サイトを、福井県に属する機関しか使えないURLを使用して偽造する可能性など、普通は考慮しません。

それでも信用できないということでしたら、福井県の公式サイトからリンクが貼ってありますのでご確認ください。http://www.pref.fukui.jp/syozoku.htmlの「文書館」。

Quark Logoさんは、こう書いておられます。

「 『福井県史』はまだ版権が切れていないはずであり、公開されているのはかなり奇妙で、www.archives.pref.fukui.jpの管理状態は不明です。ホームページに書いてあるからといって検証なく信じるというのは、Pooh456氏のダブルスタンダードだと思います。私が言いたいのは、このサイトがどうこうというよりも、そのことです。別にサイトの情報を使っても良いですが、いや、出版物がどうの学術がどうのと言っていたその口で、違うことをよく平気でいうな、ということです。問題なのは、サイトの信頼性よりも、ブロック明けというPooh456氏の信頼性ということです。上記のように早速、ガイドラインと違うことを主張しますからね」

福井県文書館のサイトの信頼性はどうでもいいが…あなたの信頼性が…? 何を言っているのか理解不能です。

福井県文書館のサイトの信頼性(疑う方がどうかしてます)がどうでもいいのなら、そんなことに言及する必要などありません。福井県文書館のサイト云々はあなたが持ち出した話ですが、あなたは何をしたいのですか?


ご自分でWP:PSTSから「三次資料は、一次資料や二次資料を総括した、百科事典などの概説的な出版物です」というくだりを含む引用を長々と行っておられるのに、「使っていけない三次資料というのは、ウィキペディアだけです。他には何の制限もありません」などと主張しておられるのは解せません。

WP:PSTSに、「例えば、百科事典は三次資料です」と明確に書いてあるのですから、異議があるなら、WP:PSTSを改訂するようコミュニティに働きかけてはいかがでしょう?

なお、井戸端の議論にもある通り、三次資料は、信頼できる二次資料がない場合には出典に使って差し支えありません。そんなに熱くなる必要はありません。

今回問題になっている青木については、それなりに「信頼できる二次資料」がありますから、三次資料を出典とする記述はリライトされても仕方ない、というだけです。


Quark Logoさんは

「資料の年代についていってますが、新しい資料が自動的に真実を示しているなんてことは、全く言えません。むしろ逆に、どれが正しい正しくないかを、ウィキペディアンが判断するのが禁止事項の一つなのです」

と仰っていますが、ウィキペディアの指針に照らしても、歴史学の常識に照らしても間違っているように思えます。

歴史学は時代の経過によって進歩するものです。新しい書籍や論文が、信頼できる出版社から査読を経て公表される場合、学者も査読者も、過去の書籍や論文は承知した上で、発表する価値があるから発表するわけです。よって、新しい書籍や論文は、古い書籍や論文を上書きし、補完するものとなります。

例えば、近年、大坂冬の陣で激戦地となった「真田丸」については研究が急速に進み、その実態が以前とは比べ物にならないほど明らかになっております。

最新の文献である、千田嘉博『真田丸の謎』NHK出版(NHK出版新書)2015年 と、例えば10年前の本を比べれば、「真田丸」についての記述は異なるでしょう。この場合、Wikipediaで「真田丸」について記述するとして、『真田丸の謎』と、10年前の本のどちらが「学術的で査読を経た出版物(公表ずみの信頼できる二次資料)」にふさわしいかと考えれば、前者です。後者は、「過去の説はこうであった」と、あえて記述したい場合の出典にしかなりません。

Quark Logoさんは、「独自研究」という言葉がお好きなようですが、Wikipediaで厳しく禁じられているのは

「どこの馬の骨か知れない者の意見に価値はない。そんなものを記事に載せるな

ということですよね。

Wikipediaを編集する際には、信頼できる情報源を探さねばなりません。その際に、「資料の信頼性」を判断すること、言いかえれば、資料の取捨選択が必要です。先に紹介した井戸端の議論でも、そのような意見が出ております。

Quark Logoさんは下記のようにおっしゃいました。

「ウィキペディアンの判断で資料に優劣を付ける必要性はありませんし、許可もされません。そんなことをどう考えても独自研究の枠を出ませんから」

独自研究という言葉の意味を、良くお考え下さい。


WP:NPOVには

「深刻な論争がある主張を事実として記さない/もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。」

「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。/信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。」

いずれも、信頼できる出典によって、論争が存在すると判断できる場合、となっております。

世の中で青木に言及した本は、三次資料や、「越前人物志」のような昔の本を含めれば相当な数でしょう。Quark Logoさんのご意見ですと、記事「青木一矩」を執筆するにあたっては全てを参照し、その内容を全て併記するのが理想、となりそうですが、そのような「百科事典」は、理想に近づくほど可読性が低下し、誰も読みたくないものに堕してしまいます。そんな理論、どう考えても変ですね。

だから、Wikipediaでは、「信頼できる出典」を適切に選択して記事を書き、「信頼できる出典によって、論争が存在すると判断できる場合には」きちんと両論併記しなさい、となっているわけです。当たり前ですね。

冒頭の(3)で示しましたが、記事「青木一矩」の出典とできる文献は、今のところ、黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』と福井県史の2つです。この2つの文献について、WP:NPOVが要求する「論争についての配慮」をすることなら容易に実現可能です。

ただし、この2つの文献の間で衝突はほとんどありませんので、論争についての配慮の必要性は薄そうです。


Quark Logoさんが作成しておられる、利用者:Quark Logo/sandbox青木一矩を拝見しますと

「ただ、戦役が始まった時に一矩は病床にあって出陣は叶わなかった。・・・この段階で前田勢の大軍に恐れを成した北ノ庄の一矩や丸岡城の青山宗勝は恭順の意を示していたが、8月5日に利長は突如、北ノ庄の包囲を解いて、踵を返して北への撤退を始めた」

などと書いてあります。

黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』と福井県史には、このような詳細な青木の行動は記載されておらず、「青木は東軍だった」とサラリと書いてあるだけです。

手元に関ケ原の合戦についての「学術的で査読を経た出版物」が数点ありますので、「関ヶ原の役における北陸戦線」にあたる部分を参照しますと、下記のようになっております。

  • 二木謙一『関ケ原合戦』中央公論社(中公新書)、1982年:文章では1ケ所だけ名前あり。
  • 笠谷和比古『関ケ原合戦』講談社(講談社新書メチエ)、1994年:「西軍武将一覧表」に記載、文章では1ケ所だけ名前あり。
  • 笠谷和比古『戦争の日本史17 関ヶ原の合戦と大坂の陣』吉川弘文館、2007年:「西軍武将一覧」に記載。文章には登場せず。

Quark Logoさんが

「すでに私が加筆訂正して、適切な形で多説併記に戻されていますが、今度もさらに手を加えて、構成を考えたり、あたらな出典を探したりして、記事を発展させていく所存です」

と言明した上で書いておられる「関ヶ原の役における北陸戦線での青木の活動」が、青木についてのまとまった記述がある「学術的で査読を経た出版物」2点に加えて、関ケ原の合戦についての「学術的で査読を経た出版物」3点にも記載されていない、という事実をご存知でしたか?

そういうことが「学術的で査読を経た出版物」に記載されていないということは、歴史分野の記事「青木一矩」に、そういうことは書いてはいけない、ということです。

私がだいぶ前に関わった科学分野の記事ですが、ナショナル・ジオグラフィック誌の記事を出典とする一行ほどの記述が、議論の結果、「ナショナル・ジオグラフィック誌は、学術的で査読を経た出版物とみなすには不足があり、出典にできない」という理由で除去されました。


さて、Quark Logoさんは下記のように書かれました。

「Pooh456氏は、何も知らないし、ただ初めて本で見た人でしょう。何言ってんだかという感じですが」

たぶん私は、Quark Logoさんより、関ケ原の合戦や青木について、学者が書いて査読を経た文献に基づく知識を持っていると思いますよ(笑)。

そして「青木は北ノ庄20万石の大大名とのことだが、福島正則と動員兵力が同じなのに、活動が伝えられないのは何で?」と、青木について問題意識を持っておりました。黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』と福井県史という、青木についてのまとまった記述を有する、複数の「学術的で査読を経た出版物」に接して「なるべく何もしないようにしていて、結局東軍について所領を安堵されたが、関ケ原の合戦の直後に病死して除封された」ということか、なるほど、と考えて、記事「青木一矩」をリライトしました。

Quark Logoさんは下記のようにも書かれました。

「単に「黒田基樹氏の本」を初めて読んだだけのウィキペディアンが自分が学者になったように振る舞ってはいけないということです」

私が個人的に歴史書を読み、青木一矩という不思議な大名について考察した、いわば「学者のように振舞った」のは、ご明察の通りです(笑)。

ですが、Wikipediaを編集するにあたっては、学者のように振舞った覚えは「全く」ありません。Wikipediaのルールに則り、黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』と福井県史という、2つの「学術的で査読を経た出版物」を出典に、記事をリライトしました。全ての記述に出典を付しております。言いがかりをつけるのはおやめ下さい。

さて、先に紹介した井戸端の議論でも、二次資料の探し方について、オンラインで公開されている論文を参照する、いくらかでも本や雑誌を読むといった努力をすれば道は開ける、記事を書く以上はその程度はやってね、という意見が出ております。

Quark Logoさんは、歴史関係の記事をいろいろ編集しておられますが、著作権切れのためにネットで閲覧できる明治や大正の書籍、あるいは「一次史料」を好んでお使いと拝見します。失礼ですが、それは、信頼できる二次資料を探すのとは正反対の行動ではないでしょうか?

記事を書こうというからには、PCの前に座って無料で読める、大昔の怪しげな本に頼らずに、本や雑誌を購読するなり、図書館に足を運ぶなり、オンラインで読める論文を参照するなりして、「学術的で査読を経た出版物」を参照する努力をなさってはいかがですか?


いろいろと書きましたが、記事「青木一矩」を改善したい、という点では、Quark Logoさんと私の思いは一致しているはずです。歴史分野の記事の編集にあたり、Wikipediaの基準に沿った文献を使いましょう、そうした文献に見当たらない記述は整理しましょう、という当たり前のことを申し上げているだけですので、ご理解をよろしくお願いします。--Pooh456会話2017年1月11日 (水) 06:45 (UTC)

コメント  こちらで繰り返しているPooh456さんの質問は、ノート:青木一矩にて行うべきものだと思います。ノートページに移動して、議論を行っていただきたいと思います。--湖紫陽会話2017年1月11日 (水) 09:51 (UTC)


返信 (湖紫陽さん宛) コメントありがとうございました。以後はノート:青木一矩で議論を行います。Quark Logoさんもよろしくお願いいたします。--Pooh456会話2017年1月11日 (水) 10:10 (UTC)

返信 (湖紫陽さん宛) 返信 (Pooh456氏宛)  - 湖紫陽さんには申し訳ないですが、指摘の都合上、無理ですね。ガイドラインについてもう一回掲示すると、大量の分量をコピーすることになるし、まだ上記の番号で参照しないと話はできないです。話の主な点は、Pooh456氏の編集姿勢と、ガイドライン理解になってます。長い文面に長い文面を返さざる得ないので、場所を移ることは建設的ではないと思います。--Quark Logo会話2017年1月11日 (水) 10:19 (UTC)

コメント  了解しました。余計なコメントであったようですね。失礼しました。--湖紫陽会話2017年1月11日 (水) 10:38 (UTC)

コメント  この場で議論を継続するということで了解しました。--Pooh456会話2017年1月11日 (水) 10:47 (UTC)


返信 (Pooh456氏宛)
  • 6. 利用者:Pooh456会話 / 投稿記録 / 記録氏にまず先に言わねばならないのは、前回の私からの厳しい指摘を無視しないでもらいたいということです。私の指摘に返事もしないという態度は、それだけで対話拒否に相当するわけです。そもそも4.で指摘したように、「青木一矩」でのPooh456氏の最初の編集出典付き記述の無差別な削除であるといってるわけで、私はPooh456氏が投降ブロック相当にことすでにしてますよ、と指摘しているわけですから、それに対してもっと深刻に受け取るべきです。
(1) 一次資料、二次資料の件」についてそして「(3) 記事「改易」の件」に関係する三次資料について、1-1, 1-2, 1-3. 3-2, 3-3で説明しましたが、ウィキペディアの資料と情報源についてのガイドラインについて理解したのでしょうか? Pooh456氏はご自身の間違いを把握しましたか?
これは話の前提になるので、ガイドラインを正しく理解していないと噛み合わず、話にならないので、まずこれを答えてもらわなければなりませんし、特に3-3で言ったように、排除のためにルールを悪用するような姿勢は同じくブロック相当の行為であることを理解したのでしょうか? 対話が成立するのかという極めて重大な問題であり、真摯な態度で返答されるように重ねて要求します。
  • 7. 唐突に論点を持ち出していますが、4点の段階でも当然、異議あります。その論点がウィキペディアのガイドラインに基づいていないからです。勝手な私論を言われも困ります。

論点が拡散気味ですので、最初に整理させていただきます。

(1) 現在論ずべきことは、歴史分野の記事「青木一矩」を、どのような出典をもとに編集すべきか、である。

(2) Wikipediaでは、記事は信頼できる二次資料を出典として編集すべし、信頼できる二次資料がない時は、三次資料(例えば百科事典)を出典として編集しても良いが、信頼できる二次資料が見つかったらリライトされる。

(3) 特に歴史・医学・科学分野の記事の編集にあたっては、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源である。

(4)その場合、記事「青木一矩」を編集するにあたっては、青木についてまとまった記述がある、学術的で査読を経た「二次資料」、具体的には・・・

— Pooh456氏記述
4点のうちの2つ、(2)と(4)ついては下記(7-1. 7-3. 14. 18.)で説明するように明白に同意しませんし、(3)については後述する下記(9. 9-1.)の理由で同意できませんし、間違いです。残りの(1)についても反対します。論点を集約すれば、他説を消すな、ということです。
  • 7-1. 「(2) Wikipediaでは、記事は信頼できる二次資料を出典として編集すべし、信頼できる二次資料がない時は、三次資料(例えば百科事典)を出典として編集しても良いが、信頼できる二次資料が見つかったらリライトされる。」こんなガイドラインは存在しません。勝手な私論をぶち上げないでください。多くの利用者に支持されていないPooh456氏個人の私論に従う筋合いはありません。こういうガイドラインがあるとPooh456氏が主張する気ならば、ルールの悪用を意図していると判断せざるえません。この件は14.でも再び言及します。
  • 7-1-1. (2)ついて、1-1.で掲示したように、ウィキペディアの資料の区分では、古文書のような原典や原作といった僅かな一次資料と、三次資料である百科事典以外は、ほとんど大半の書籍は二次資料に属します。一次資料の扱いで注意がある理由は、要するに犯人の独白で事件のあらましを描くようなことをするべきではないという注意であり、1-1で掲示した内容にちゃんと書かれています。一次資料の扱いについは1-2.に示したような制限があるだけです。三次資料の利用については特に何もありません。3-3で掲示したように、ガイドラインには三次資料の中には程度の差があると書かれているだけで何の制限もない。ウィキペディアの資料の区分ではほとんど大半の書籍は二次資料に属するので、『ブリタニカ百科事典』だけを出典とするような記事を除いて、参考文献の記述のある大半の記事は二次資料に基づいて書かれていますし、書かれることになります。3-3でも指摘したことを重ねて指摘しますが、資料区分は排除の論理で用いるためのものではありません。その意図で議論を進めようというのは時間の無駄です。ガイドラインに無いことを強訴するならば、コメント依頼をするしかありません。
  • 7-2. (3)について。この続きを明示したはずですが? ん、なぜカットするのでしょうか。この件は追々言及します。
  • 7-3. (4)について、黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』 とサイトの記述である『福井県史』の2つが特別であると判断する理由は全くありません。3-2で示したように、サイト情報を除けば、他はすべて「信頼できる公刊された情報源」に100%合致します。福田源三郎『越前人物志. 上』 高柳光寿; 松平年一 『戦国人名辞典』阿部猛; 西村圭子編 『戦国人名辞典』 桑田忠親 『太閤家臣団』笠谷和比古 『関ケ原合戦と大坂の陣』黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』 近藤瓶城編 『史籍集覧』秋元茂陽『徳川将軍家墓碑総覧』『大日本人名辞書』石橋重吉編『福井市史 』山鹿素行 『武家事紀』 小和田泰経; 小和田哲男(監修) 『関ケ原合戦公式本』 桑田忠親 『桑田忠親著作集 第7巻 (戦国の女性)』 ・・・などなど、全部です。
Pooh456氏が「信頼できる公刊された情報源」とは何かについて理解してない理由は、氏の話の中で出てきますので、後述します。
  • 8. 「屁理屈」の正しい意味は、”筋道の立たない理屈”や”こじつけの議論”という意味であり、どうしてそれが筋道が立たないのか、こじつけだと思ったかは、3.で詳しく指摘しました。「「屁理屈」という言葉は、相手に喧嘩を売る場合にしか使えない言葉」ではないと認識してます。罵倒語でも侮蔑語でもないし、啖呵のような使い方もしていません。国語辞書を繰って正しい語義を調べてください。私はPooh456氏の言動に対する批判として用いています。もし屁理屈ではないというのならば、筋道を立てて改易の記事で「江戸時代に改易に遭った大名」の欄に入れたことを説明すべきでしょう。「Pooh456さんが1600年10月を江戸時代だと主張するならば、ただの独自研究となります」というご指摘されたで、「角川日本史辞典 第2版」を参照して「始期を1600年とする説もある」を見つけた、「江戸時代の始期がいつか、などと真面目に考えたことは一度もありませんでした」というのはまさにこじつけそのものでしょう。そもそも、なぜ「江戸時代に改易に遭った大名」の欄に入れたのかという理由の説明は伺っていません。いやいや、それでは指摘される前はどう考えていたのでしょうか。後付けの理屈以外の理屈を聞かせてももわらないと納得はできませんということです。Pooh456氏の先の返答は理由を後から考えたとしか受け取れません。そういう筋道の立たない理屈というのは屁理屈と表現するのが世の常識なのです。
編集にはWikipedia:説明責任というものがあるので、この編集の意図を聞かれているのに答えないというのが、そもそも不誠実なのです。「屁理屈」なんかに腹を立ててるよりも、まず返答すべきことがあるでしょう。後で調べて独自研究ではないと知ったとはどういうことでしょうか。筋道が逆ですよね。
  • 9. 「査読を経ていること」についてですが、Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイスにはっきり書いてあります。「査読を経ていること」が必要なのは「自然科学、数学と医学」の分野です。「何故でしょう?」と問われれば、私はガイドラインに従うからと答えるしかありませんね。ガイドラインに大きくはっきりと書いてあります。Pooh456氏は、必ず、熟読してください。これを見落とすというのは、ガイドラインを全然読んでないとしか思えません・・・。4年間のブロック期間に何をしていたのでしょうか? 同じ分野ごとのアドバイスに、歴史では一次資料が重要であるとも書いてあります。
歴史

歴史についての調査は、独自または「一次」資料の収集物(図書館や文書館の任務)や、文書の精読、より大きな歴史上の論点からの解釈を伴います。検証可能であるには、研究は一次資料に基づいていなければなりません最近数十年で、多くの一次資料(歴史上の人物による手紙や書類など)が製本された書物やオンラインで利用できるようになりました。例えば、1950年にはじまったプリンストンのジェファーソン文書プロジェクト[5]は30巻を出版し、1801年2月まで至っています。ロンドンタイムズやニューヨークタイムズ、ほかの主な新聞紙の完全な一覧のようなもっと新しい一次資料はオンラインにあげられています。このなかには独占物で図書館を通じてアクセスする必要があるものと、19世紀に出版された雑誌のデジタル・アーカイブMaking of Americaのように一般に公開されたものがあります。

研究中の学者は、本やジャーナルの記事でその結果を公表します。こうした本は通常、大学出版会や、W.W.ノートンやグリーンウッド大学などといった大学出版会の基準を模した商業出版社から出版されます。一流の歴史書や雑誌記事は、使われている情報源についての詳細を表す脚注や書籍リストを含みます。多くの雑誌には新刊本の品質を評価する学者の批評が含まれており、通常は新しい考え方が要約されています。American History Reciew(歴史の全分野)やJournal of American History(アメリカ史)は、それぞれ100以上完全な長さのレビューを公表しています。有名な雑誌の多くは、特にJSTORなどで1885年の分までオンライン化されています。優れた本や記事は現在進行中の史学史論上の議論を詳しく説明しており、ほかの主な研究について読者に注意を促します。

多くの項目で、同じ文書や事実を使っていても異なる枠組みを使っているために異なる結論になる異なる解釈学派があります。使いやすいアクセスポイントには、次のものがあります。scholar.google.comやbooks.google.com、ABC-CLIOでの2つの概要サービス(図書館を通じて)、American: History and Life(アメリカとカナダを扱った雑誌記事や本のレビュー)、Historical Abstracts(それ以外の世界向け)。図書館を調べると、権威ある情報源についての紙のガイドを得ることができるでしょう。もっとも使用価値が高いのは、Mary Beth NortonとPamela Gerardi 2が刊行(1995年)した歴史文学についてのアメリカ歴史協会のガイドで、歴史の全分野について権威ある情報源の書籍リストを注釈しています。

歴史の情報については他にも多くの情報源がありますが、権威はさまざまです。最近の傾向は、歴史的な事項に特化した百科事典が急増していることです。学者に記事執筆を依頼した専門家によって編集されており、品質を維持するためにそれぞれの記事がレビューされています。これらは、ウィキペディアのための権威があると考えられます。ブリタニカ百科事典やエンカルタのような総合百科事典は、専門家によって執筆されて参照先を含む署名入りの記事もあります。しかし署名のない記事はフリーランスの人によりひとまとめに書かれたものであり、注意が必要です。

大学の教科書は、数年ごとに更新され、多くの専門家に評価されており、学問水準から離れないような努力が払われています。しかし、脚注がなかったり、史学史論上の議論がなかったりします。K-12水準の教科書は権威があるようには作られておらず、ウィキペディアの編集者は避けるべきです。どんな場所にもガイドブックがあり、その地域の要約された歴史が載っています。しかしその大多数は権威があるふりはしません。歴史上の多くの項目について、専門家が注意して調べた自伝や口伝があります。注意が必要なのは、人々が覚えておきたいと願っている物語で満たされており、元の文書に当たることなく回想しているのがふつうだからです。

一般的な公開物は、歴史を小説や映画、テレビ番組、さまざまな場所のツアーガイドから得ています。こうした情報源は噂やゴシップに満ちており、嘘だったり大げさだったりします。彼らは、著名な名前が英雄的な役割を演じるバラ色の歴史を表そうとしがちです。

自然科学、数学と医学

「Wikipedia:信頼できる情報源 (医学)」も参照

査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックする

学術誌は、医学研究も含む、実験についての一次資料となる記事をみつけるための最良の場所です。まともな学術誌はどれも査読されています。査読雑誌においては、編集者の見解からは重要ではなかったり疑問のある研究を報告しているような、多くの論文は掲載されません。特に、査読されていない学術誌に掲載され、違う分野の事柄について報告している資料には注意してください。(Marty Rimmとソーカル事件を参照。)

ある言説が、査読された雑誌に公開されているからと言って、それが真実であるということにはなりません。よく設計された実験や研究でも欠陥のある結果を産み出したり、故意の捏造によるものだったりする場合があります。(MDMAのドーパミン作動性神経毒性についての撤回された論文やシェーン事件を参照。)

誠実さと、Wikipedia:中立的な観点およびWikipedia:独自研究は載せないの方針は、私たちが支配的な「科学におけるコンセンサス」を記述することを求めています。その分野の専門家集団の世論を調査することは、多くの編集者にとって実際的ではありませんが、幸いにももっと簡単な方法があります。科学におけるコンセンサスは、最近の、権威ある総説論文や、教科書およびある種のモノグラフにおいて記述されています。

現在のところ得られている根拠からはまだ1つの答えに達しないため、支配的な観点が1つになっていない場合があります。ウィキペディアは正確さと同時に有用であることも目指していますので、それぞれの考えを持つグループの学説や実験に基づく考察を、公刊された情報源を参照した上で、説明するよう努めます。編集者は、しかしながら、ある特定な学説や立場を擁護したり反対するような論説を自ら作成してはなりません。方針のWikipedia:独自研究は載せないを参照のこと。重要な少数派の見解はウィキペディアで歓迎されますが、きわめて少数派の見解を書く必要はありません(Wikipedia:中立的な観点を参照のこと)。

もしも不確実性や論争があるとしたら、読者がそれに気付くように書いてください。文献をきちんと参照している記事は、具体的な学術誌掲載論文あるいは、具体的な研究者によって提案された具体的な学説を指し示すことになるでしょう。

科学では一般向けの出版物からの引用を避ける

一般読者向けの出版物はたいてい、科学を適切に報道していません。新聞記事や一般雑誌は、実験結果を判断するための前後関係を欠いている場合が一般的です。どんな結果でもその確実さを過剰に強調しがちです。例えば、新しい実験薬を病気の「治療法の発見」と表現します。また、新聞や雑誌は、結果が査読されたりほかの実験で再現されたりする前に、科学に関する記事を公表することもよくあります。科学的作業の方法論や実験失敗の程度についても不十分な報告になりがちです。そのため、一般向けの新聞や雑誌の情報源はたいてい、科学や医学の記事に対しての情報源として信頼できません。

一般読者向け出版物の、科学研究についての記事は、何を提供する事ができるでしょうか。往々にして一番役に立つのは、あるプロジェクトにたずさわる主要な研究者の名前、そして彼または彼女の所属する研究所の名前です。例えばある新聞記事が、ウッズホール海洋研究所のジョー・スミスの、ソナーへのクジラの反応についての考察を引用しているなら、もっと見つけるために、あなたが何をすればいいかの明確なヒントになるでしょう:そのテーマについての彼の仕事を調べればいいのです。その新聞記事を引用するよりも、彼の発表した論文を引用してください。

(・・・以下略)

  • 10. 前項の9.だけでも十分ですが、下記の内容が自明とはほど遠いことは明らかです。

WP:RSには「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません」と太字で記されていますが、この「信頼できる出版元」が「出版物の品質に責任を持つ、査読を行う信用ある出版社」を指すことは自明です。これは、例えばWikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ3/一次資料の扱いについてを見れば明らかです。

— Pooh456氏記述
出版物の品質に責任を持つ、査読を行う信用ある出版社」というものは、普通の出版社ではありませんし、そもそもそんな条件はガイドラインのどこにもありません恐らくPooh456氏は査読の意味を理解していないと思います。ここでいう査読というのは、論文を学術誌に掲載して、他の研究者に反論・検証してもらうということであって、普通の出版社がやるようなことではありません。定期刊行物以外では、単行本では多くは自然科学や数学や医学など科学的な分野に限られますし、それも学術書に限られる。他分野では余り行われていない。そもそもやや話がそれますが、歴史学は科学ではない(科学であるかないかは再現性に関わる)ので、そういう検証は端っから無理です。歴史学つまり史学科・歴史学科は文学部に属しますこれは常識です。もちろん言うまでもないことですが、ウィキペディア用語の「検証可能性」と科学での検証は意味が違います。史学論文を載せる専門雑誌もありますが、この話題では一つも登場していません。そして論文でなければならないということではないのは、1-3.で示した通りです。
ウィキペディアの信頼できる情報源の条件は第三者により出版されたというだけで、自然科学・数学・医学そして法律などの学説については学術誌であることが必要という条件が追加されるだけです。学説を論じたりしない限り、特別な条件はありません。
  • 10-1. 繰り返しますが、ここで言及されている書物で、査読された学術書・学術雑誌に相当するのは、一つも無く、すべて一般書です。近いのは『桑田忠親著作集』です。黒田基樹も論文を出されてますが、この本は角川選書という平易な一般書として書かれており、論文の形態をなしてません。歴史分野で査読されたが条件につくならば何も書けなくなりますが、そういう条件はないのです。『福井県史』も郷土史という視点で福井県が編纂したものであり、学術論文であったとか査読を受けたかは判断できないし、そもそも出版されている状態と同じかも不明です。県史という性格上、これは二次資料の要約であると判断されます。
  • 11. 出版社とか図書館が「図書の品質には責任」を持つとか、意味不明のことをおっしゃってますが、一体全体、何をいっているのでしょうか? えー、世の中の仕組としてそういうものは無いですね。いや、落丁とかの不備を直すというのはありますが、そういうことを言っているわけではないしょう。普通は内容には著者が責任を持ちますし、そもそも品質って何だよという話で、全く理解できません。信頼できる情報源に書いてある品質を管理するというのは学者であり、著者です。学者によって書かれているからと言う文脈であり、品質というのは書籍の内容のことをさしているのは明らか。出版社がそれをやるなんてどこにも書いてない。主語を取り違うとはどういうことでしょか? 著者とか編者とかに決まってるでしょうに。誰の責任か明示されていて検証可能性を満たすから、第三者により出版された書籍が信頼できる情報源となると書いてあるわけです。それが読んで分からないというのはどういうことでしょか?
一つ想定できることは、Pooh456氏はウィキペディアのいう検証可能性を全く理解していないのではないかという強い懸念です。Wikipedia:検証可能性を本当に読みましたか? 「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」だと前にも言いました。Pooh456氏の言ってることは真実の探求をしようとしているようにしか聞こえません。利用者ができることは出典を明示して示すだけです。ウィキペディアンとしての基本的なルールすら理解できないとなると、Pooh456氏には各種方針の熟読期間が必要ではないしょうか。
  • 12. 誤解していると思うのですが、『青木系図』が真実だと主張したことは一度もありません。世の中には『青木系図』というものがあって、そこにはこういう風に書いてあると示しただけ。そもそも『福井県史』も一次資料の引用や要約から成り立っています。ネタ元が括弧で書いてある部分もあります。歴史学というのはそういうもので、異説はたくさんある。どれが真実だか誰にも分からないような話もありますし、無数の説のすべての説が間違いということもありえる。永遠に判明しない事柄も多い。ウィキペディアのルールでは、評価や解釈は専門家しかできませんから、専門家の著作で論述している部分が無い限りそれについて言及できませんが、異説の存在を示すことはできるのです。ウィキペディアの百科事典としての性格上、網羅的に書くべきなので、多説併記は当然です。Pooh456氏の編集のように他説を排除するような編集は厳禁であり、歴史学の性質を理解していないと言わざる得ません。異なるいろいろな話があるのは歴史では普通のことです。
  • 12-1. 紹介してよいですよ。何を言ってるのでしょか? Pooh456氏が、1-1. 1-2. 9. 10. 10-1. 11.の件を理解していないということだけです。上のように連続してガイドラインの文書を掲示しても、まだ分からないとはどういうことでしょうか。
さらに前回のご回答で「『青木系図』はそこに書いてある記述を端的に紹介しているだけで、文章の全体を構成してません」 と書いておられますが、Wikipediaの方針うんぬん以前に、百科事典において、系図にある記述を、学者の分析(二次資料)によらずにWikipediaという百科事典で紹介して良い、などとお考えでしたら、大きな勘違いをしておられます。 — Pooh456氏記述
一次資料の使い方がまだ分からないとは何でしょうか。理解力が無い?と言わざる得ない。できると書いてあると示しましたよね。何をいつまでも納得しないという姿勢を出すわけでしょうか。目の前にガイドラインの条文を示したはずです。これで理解できないというなら、説明のしようはないので、コメント依頼しかないブロック解除は早すぎたという結論になります。 
  • 2. 福井県文書館のサイトにおけるPooh456氏のダブルスタンダードについては、厳密にいうと、サイト情報は推奨されていません。(Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用) ウィキペディアの基準においては出版物であるべきなので、『福井県史』の書籍版(ISBN 4938772051)を出典にするのが最も正しい方法です。それから先は繰り返しになるので2.で言った通りです。
  • 13. 三次資料について。下記の部分の意味が全く分かりません。

ご自分でWP:PSTSから「三次資料は、一次資料や二次資料を総括した、百科事典などの概説的な出版物です」というくだりを含む引用を長々と行っておられるのに、「使っていけない三次資料というのは、ウィキペディアだけです。他には何の制限もありません」などと主張しておられるのは解せません。

WP:PSTSに、「例えば、百科事典は三次資料です」と明確に書いてあるのですから、異議があるなら、WP:PSTSを改訂するようコミュニティに働きかけてはいかがでしょう? — Pooh456氏記述
は? 1行目で解せないと言ってるのは何が?どうして? 何を言いたいのかさっぱりわかりません。 2行目はさらに意味不明です。ひょっとして、Pooh456氏は自分がガイドラインを間違っているということを自覚してないということですか? それなら深刻ですが、具体的に何が分かってないのか、分かりかねます。何をどう考えているのか、Pooh456氏が具体的に発言すれば、どこがどう間違ってるか指摘できるはずです。分かってないのに分かってる風をされると、話が噛み合いません。
  • 14. この発言については、Pooh456氏の間違いの本質が現れてます。
今回問題になっている青木については、それなりに「信頼できる二次資料」がありますから、三次資料を出典とする記述はリライトされても仕方ない、というだけです。 — Pooh456氏記述
しかしウィキペディアンが普通にやっている出典の向上というのは、三次資料(または二次資料)を出典とする話で、その三次資料(または二次資料)が出典元とする二次資料(または一次資料)を用いて同じ話をより詳しく具体的に記述(または開示)することなのです。違う話に変えたら意味がない。出典を向上させるというのはそういうことであって、意味をわかってない! 違う話は違う出典に決まってるし、それ違う話だから当たり前。リライトになってない。単に過去版を無視しているだけで、ただのライトです。何の上積みもない。
結局、Pooh456氏は一つの話だけが存在する記事を書こうとしているわけで、それがダメであるとなぜ分かりませんか? 出典付き記述の削除は荒らし行為なんですよ、ウィキペディアでは。Pooh456さん、貴方は記事を一つの話にしようという編集をした結果として、前回、長期ブロックされたんじゃないのでしょうか。強引な差し戻しなどは当然論外ですが、その本質に、このガイドラインの間違った解釈があることに気付きませんか? 真実の探求をするような権限はウィキペディアンにはありません。これが自覚できないなら、ウィキペディアの共同作業から外れてもらうしかないのではないでしょうか。Pooh456氏の振る舞いは、同じことの繰り返しですね。
  • 15. 下記の部分については、考古学との混同でしょうか。

Quark Logoさんは

「資料の年代についていってますが、新しい資料が自動的に真実を示しているなんてことは、全く言えません。むしろ逆に、どれが正しい正しくないかを、ウィキペディアンが判断するのが禁止事項の一つなのです」

と仰っていますが、ウィキペディアの指針に照らしても、歴史学の常識に照らしても間違っているように思えます。

歴史学は時代の経過によって進歩するものです。新しい書籍や論文が、信頼できる出版社から査読を経て公表される場合、学者も査読者も、過去の書籍や論文は承知した上で、発表する価値があるから発表するわけです。よって、新しい書籍や論文は、古い書籍や論文を上書きし、補完するものとなります。

例えば、近年、大坂冬の陣で激戦地となった「真田丸」については研究が急速に進み、その実態が以前とは比べ物にならないほど明らかになっております。

最新の文献である、千田嘉博『真田丸の謎』NHK出版(NHK出版新書)2015年 と、例えば10年前の本を比べれば、「真田丸」についての記述は異なるでしょう。この場合、Wikipediaで「真田丸」について記述するとして、『真田丸の謎』と、10年前の本のどちらが「学術的で査読を経た出版物(公表ずみの信頼できる二次資料)」にふさわしいかと考えれば、前者です。後者は、「過去の説はこうであった」と、あえて記述したい場合の出典にしかなりません。 — Pooh456氏記述
そもそもすべては「過去の説はこうであった」という記述なんですよ。全部がね。歴史学で最新の情報なんてそうそう無いから。無いものねだりをしてもしょうがないわけです。簡単に言うと、過去説を消すなよ、という話なんです。書籍情報が綺麗に書いてあるでしょうが。何年の情報かわかるでしょうが。出典が明示されているでしょうが。消すな、消すのは違反行為という単純なことです。最新説だけ書いていけば良いと思ってるのでしょうか、Poooh456氏版の記述って内容はすっかすかじゃないでしょうか。だいたい最新と言っても、黒田氏が指摘する新しい部分というのは「秀吉の父方の従兄弟(かもしれない)」というただの1点でしょう。そんな情報だけで人物の伝記記事が書けると思ってるのでしょうか? 他の部分は全部旧説。黒田氏の本にも、各記述の出典元がありますが、それは古い一次資料です。何か新しい資料がでるということがほとんど無い世界で、新解釈を提起されただけ。逆に言うと、それ以外は旧説と変更無いわけです。そういうことは当然のことで、言わずもがなんであって、何か全く新しい発見があったということは全く違います。
最近行われた真田丸の調査というのは、発掘調査のような考古学調査であったり、個人蔵の新資料の分析なども行われたわけですが、こういった手法ができるのは、真田丸という防御構築物だからで、歴史上の人間についてはこういうことはできません。考古学は科学。ある程度は検証ができる。こんなことは言わなくて良いようなほどの常識なんですよ。
  • 16. 「独自研究」という表現は、より控えめに言ったのですが、出典付き記述の削除が荒らし行為なのであって、独自研究を元にした削除編集をするなということです。要するに破壊的編集だから、Wikipedia:投稿ブロックの方針に合致することをPooh456氏はやっているということなんですよ。その独自研究というかガイドラインの無理解というか、間違いというか。特定の観点を推進するような独自研究による記述の削除、独自研究的考えということですが、どっちにしてもダメです。
  • 17.下記はPooh456氏の私論ですね。賛同できませんし、従う理由もありません。演説をされても困ります。
世の中で青木に言及した本は、三次資料や、「越前人物志」のような昔の本を含めれば相当な数でしょう。Quark Logoさんのご意見ですと、記事「青木一矩」を執筆するにあたっては全てを参照し、その内容を全て併記するのが理想、となりそうですが、そのような「百科事典」は、理想に近づくほど可読性が低下し、誰も読みたくないものに堕してしまいます。そんな理論、どう考えても変ですね。 — Pooh456氏記述
上手くまとめて書くことは可能ですし、そもそも多くの執筆者は私と同じ事をしています。Pooh456氏が前回、編集合戦になって衝突したのもそれが原因じゃないのでしょうか。他の利用者と共同作業ができない原因を考えたことがあるでしょうか。唯一の説なんか書こうとしたら当然、皆に批判されるのは当たり前です。
  • 18. 下記にも全く賛同できませんね。なんでそうなるでしょうか? 自分が示せる資料だけが信頼できると言いたいわけですか?? 他に理由があるのでしょうか。独善的であるアピールを後半にされてますが、何ですか? 

だから、Wikipediaでは、「信頼できる出典」を適切に選択して記事を書き、「信頼できる出典によって、論争が存在すると判断できる場合には」きちんと両論併記しなさい、となっているわけです。当たり前ですね。

冒頭の(3)で示しましたが、記事「青木一矩」の出典とできる文献は、今のところ、黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』と福井県史の2つです。この2つの文献について、WP:NPOVが要求する「論争についての配慮」をすることなら容易に実現可能です。

ただし、この2つの文献の間で衝突はほとんどありませんので、論争についての配慮の必要性は薄そうです。 — Pooh456氏記述
あのー、こちらの編集姿勢はわかりますかね? 黒田氏の著書の内容も入れているわけですよ。排除しないんですよ。何も。Pooh456氏はどこに根拠があって一冊の本のネット参照の情報で、他説を排除できると思うわけですか? 黒田氏の本なんて誰でも買えるですよ。聖典でもなんでもないですから。去年発売された本だって、十年後には十年前の本になるだけなんですよ。それが唯一の真理ていうわけでもなんでもない。Pooh456氏の言動を見ると、誰とも共同作業は無理なように思われます。
  • 19. 下記の文面には呆れたし、腹が立ちます。よってやや長めに引用します。執筆作業を馬鹿にしているとしか思えません。

Quark Logoさんが作成しておられる、利用者:Quark Logo/sandbox青木一矩を拝見しますと

「ただ、戦役が始まった時に一矩は病床にあって出陣は叶わなかった。・・・この段階で前田勢の大軍に恐れを成した北ノ庄の一矩や丸岡城の青山宗勝は恭順の意を示していたが、8月5日に利長は突如、北ノ庄の包囲を解いて、踵を返して北への撤退を始めた」

などと書いてあります。

黒田基樹 『羽柴を名乗った人々』と福井県史には、このような詳細な青木の行動は記載されておらず、「青木は東軍だった」とサラリと書いてあるだけです。

手元に関ケ原の合戦についての「学術的で査読を経た出版物」が数点ありますので、「関ヶ原の役における北陸戦線」にあたる部分を参照しますと、下記のようになっております。

二木謙一『関ケ原合戦』中央公論社(中公新書)、1982年:文章では1ケ所だけ名前あり。

笠谷和比古『関ケ原合戦』講談社(講談社新書メチエ)、1994年:「西軍武将一覧表」に記載、文章では1ケ所だけ名前あり。

笠谷和比古『戦争の日本史17 関ヶ原の合戦と大坂の陣』吉川弘文館、2007年:「西軍武将一覧」に記載。文章には登場せず。

Quark Logoさんが

「すでに私が加筆訂正して、適切な形で多説併記に戻されていますが、今度もさらに手を加えて、構成を考えたり、あたらな出典を探したりして、記事を発展させていく所存です」

と言明した上で書いておられる「関ヶ原の役における北陸戦線での青木の活動」が、青木についてのまとまった記述がある「学術的で査読を経た出版物」2点に加えて、関ケ原の合戦についての「学術的で査読を経た出版物」3点にも記載されていない、という事実をご存知でしたか?

そういうことが「学術的で査読を経た出版物」に記載されていないということは、歴史分野の記事「青木一矩」に、そういうことは書いてはいけない、ということです。

私がだいぶ前に関わった科学分野の記事ですが、ナショナル・ジオグラフィック誌の記事を出典とする一行ほどの記述が、議論の結果、「ナショナル・ジオグラフィック誌は、学術的で査読を経た出版物とみなすには不足があり、出典にできない」という理由で除去されました。 — Pooh456氏記述
Pooh456氏は「北陸戦線」について研究しているわけでも無いのに、二木謙一『関ケ原合戦』笠谷和比古『関ケ原合戦』笠谷和比古『戦争の日本史17 関ヶ原の合戦と大坂の陣』という戦役全体についての書籍に記述がないからって、どのよなことがあったかという記述が存在しないと思う・・・・・その度胸というか、無知をひけらかす態度は、呆れました。結局、知らないというだけでしょう。
怒りの気持ちを抑えて書きますが、情報というものは探さないと見つからないのです。それらの本が青木一矩の活動について書かれた物ではないことは一目瞭然です。その三書にすべてのことが網羅されて詳しく書かれていると思ってるのでしょうか? 常識的に考えて、そんなことはあり得ません。1600年に起きた全てのこと書かれているとでも言う気でしょうか。論外です。2箇所名前を見つけたって、それが何の自慢に? 
人の下書途中を覗き見するならば、出典もちゃんと見て欲しいわけですが、たくさんあります。出典の内容も確認してないということなのでしょうが、それで何が分かるというのでしょうか。北陸の動向は前田利長と大谷吉継という著名な武将が絡んでくるから、書籍はかなりあります。論文も出てるようです。Pooh456氏が見たと称するものは、関ヶ原の概説本でしょう。新書・・・ですよね。
  • 19-1. そして、9.で指摘したように、査読された学術書が必要なのは「自然科学、数学と医学」ですからチーターが生物学か動物学など科学に関する物だったからというだけで、当たり前です。歴史は、学説を述べるのでなければ、関係ありません。結局、4年前のその時点でガイドラインを指摘されて今の今まで間違っているというのは、Pooh456氏の甚だしい不勉強です。こちらの我慢にも限度があるわけで、ガイドラインを読んで理解してそれに従うという最低限のことができないならば、コミュニティを消耗させる利用者として断罪せざるえません。
  • 20. 末尾までは、「学術的で査読を経た出版物」を連呼しているけれども、そもそもPooh456氏が挙げている書籍がこれにあたらないというのは、実にお粗末なものです。あなたが手に持ってるのはただの一般書です。何言ってんだ、と思います。私は憤慨しているし、その権利は十分にあると考えます。ガイドラインを読む、これだけのことをされないのはなぜでしょうか。読んだというなら、字面を理解できていないというのはなぜでしょうか。それは専らPooh456氏の責任であると言わざる得ません。
ここまで詳しく説明し、間違いを指摘しました。このようなガイドラインの無理解は非常に迷惑です。あーいえば、こーいうと言う態度で、尽くガイドラインと違うことを主張するというのは間違いで済むレベルを超えており、既に長期ブロックを受けていたPooh456氏の背景から悪意すら認定せざるえません。今後、まだ間違いを認めないというのならば、利用者の行為についてのコメント依頼に進ませてもらいます。--Quark Logo会話2017年1月11日 (水) 15:32 (UTC)
私は記事「青木一矩」の編集から手を引きますので、以後、ご自由に編集なさってください。--Pooh456会話2017年1月12日 (木) 17:36 (UTC)
返信 (Pooh456氏宛) 対立回避ということは尊重しますが、方針・ガイドラインについては、編集に携わるならばどの記事であっても常に問題となるので、異なる内容を主張されては困ります。各種方針・ガイドラインは、一文、一文節から判断するのではなく、文章の全体を熟読されて理解されることを、必ずお願いします。以上です。--Quark Logo会話2017年1月12日 (木) 21:44 (UTC)