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利用者:るっか/下書きページ13

スペインの旗 1980年スペイングランプリ
レース詳細
日程 1980年シーズン
決勝開催日 6月1日
開催地 ハラマ・サーキット
スペインマドリード
コース長 3.404km
レース距離 80周 (272.320km)
決勝日天候 晴れ
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:12.647
ファステストラップ
ドライバー オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ
タイム 1:15.467 (Lap 44[1])
決勝順位
優勝
2位
3位

1980年スペイングランプリ (XXVI Gran Premio de Espana) は、非選手権F1レースとして、1980年6月1日ハラマ・サーキットで開催された。

当初は1980年のF1世界選手権第7戦として予定されていたが、国際自動車スポーツ連盟 (FISA) に所属するフェラーリルノーアルファ・ロメオの3チームがレースをボイコットしたため選手権から除外された。

概要[編集]

発端となったのはベルギーGPとモナコGPで、レース前に開かれたドライバーズミーティングをFOCA系チームに所属するドライバーがボイコットしたことである。このドライバーズミーティングは4月16日のFISA総会で開催が決められ、欠席した場合は1回目は2000ドル、2回目は5000ドルの罰金が義務付けられることとなった[2]。この決定に対しFOCA側は反発を示し、計18人が欠席する事態となった。 欠席者の内訳として、

この内、アンドレッティ[注 1]とプロスト[注 2]を除くドライバーは罰金を支払っていなかった。この事態を受け、FISA会長のジャン=マリー・バレストルは罰金を支払わないドライバーに対しライセンスの停止、およびスペインGPの公認を行なわないことを通告してきた[3]

事態を収拾するため、スペインGPを主催するスペイン王立自動車クラブ (RACE) が乗り出し、罰金全額をRACEが負担する[3][4]という折衷案が出されたが、FISA側はドライバー自身の支払いを求めてこの案を却下した[3][4]

5月30日になって、RACEが声明を発表しスペインGPをRACEの責任をもって開催

予選[編集]

FISA系3チームとそれに同調するオゼッラが欠場する形で予選が始まり、金曜日はラフィットが1分12秒647・ピローニが1分13秒034とリジェが1 - 2位を独占、以降ロイテマン、ジョーンズ、ピケと続いた。翌土曜日、上位5人の内ジョーンズが1分13秒021を記録、2位に躍り出た。他の4人は前日のタイムを更新できず、ラフィットがポールポジションを獲得した。予選1日目を欠場したオゼッラはエントリー名をスポンサーの「デニム」とする形で出走[5]、予選10位を記録した。

予選結果[編集]

順位 No ドライバー コンストラクター 1日目 2日目 タイム差
1 26 フランスの旗 ジャック・ラフィット リジェフォード 1:12.647 1:13.170
2 27 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ ウィリアムズフォード 1:13.583 1:13.021
3 25 フランスの旗 ディディエ・ピローニ リジェフォード 1:13.034 1:13.768
4 28 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ウィリアムズフォード 1:13.270 1:13.765
5 5 ブラジルの旗 ネルソン・ピケ ブラバムフォード 1:13.604 1:13.875
6 8 フランスの旗 アラン・プロスト マクラーレンフォード 1:14.036 1:13.631
7 6 アルゼンチンの旗 リカルド・ズニーノ ブラバムフォード 1:14.180 1:15.207
8 11 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ ロータスフォード 1:14.249 1.14.505
9 9 オランダの旗 ヤン・ラマース ATSフォード 1:14.795 1:14.420
10 31 アメリカ合衆国の旗 エディ・チーバー オゼッラフォード - 1:14.424
11 29 イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ アロウズフォード 1:14.783 1:14.437
12 7 イギリスの旗 ジョン・ワトソン マクラーレンフォード 1:14.579 1:14.692
13 12 イタリアの旗 エリオ・デ・アンジェリス ロータスフォード 1:15.138 1:14.583
14 30 ドイツの旗 ヨッヘン・マス アロウズフォード 1:14.805 1:15.383
15 3 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ ティレルフォード 1:14.820 1:15.002
16 4 アイルランドの旗 デレック・デイリー ティレルフォード 1:14.965 1:15.331
17 34 スペインの旗 エミリオ・デ・ヴィロタ ウィリアムズフォード 1:15.046 1:15.279
18 21 フィンランドの旗 ケケ・ロズベルグ フィッティパルディフォード 1:15.104 1:15.414
19 20 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ フィッティパルディフォード 1;15.365 1:15.172
20 17 イギリスの旗 ジェフ・リース シャドウフォード 1:16:819 1:15.708
21 14 フランスの旗 パトリック・ガイヤール エンサインフォード 1:16.868 1.15.959
22 18 アイルランドの旗 デビッド・ケネディ シャドウフォード 1:16.673 1:16.446
1 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター フェラーリ
2 カナダの旗 ジル・ヴィルヌーヴ フェラーリ
15 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャブイーユ ルノー
16 フランスの旗 ルネ・アルヌー ルノー
22 フランスの旗 パトリック・デパイユ アルファ・ロメオ
23 イタリアの旗 ブルーノ・ジャコメリ アルファ・ロメオ
出典:[6]
  • 太字は予選通過タイム。

決勝結果[編集]

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイヤ グリッド
1 27 オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ ウィリアムズフォード 80 1:43:14.076 2
2 30 ドイツの旗 ヨッヘン・マス アロウズフォード 80 + 50.940
3 12 イタリアの旗 エリオ・デ・アンジェリス ロータスフォード 80 + 1:12.271
4 3 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ ティレルフォード 79 + 1 lap
5 20 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ フィッティパルディフォード 79 + 1 lap
6 14 フランスの旗 パトリック・ガイヤール エンサインフォード 75 + 5 laps 21
Ret 31 アメリカ合衆国の旗 エディー・チーバー オゼッラフォード 67 ギヤボックス
Ret 25 フランスの旗 ディディエ・ピローニ リジェフォード 65 ホイール脱落
Ret 7 イギリスの旗 ジョン・ワトソン マクラーレンフォード 48 アクシデント
Ret 5 ブラジルの旗 ネルソン・ピケ ブラバムフォード 42 ギヤボックス
Ret 17 イギリスの旗 ジェフ・リース シャドウフォード 42 サスペンション
Ret 28 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ウィリアムズフォード 35 アクシデント
Ret 26 フランスの旗 ジャック・ラフィット リジェフォード 35 アクシデント 1
Ret 6 アルゼンチンの旗 リカルド・ズニーノ ブラバムフォード 34 ギヤリンケージ
Ret 34 スペインの旗 エミリオ・デ・ヴィロタ ウィリアムズフォード 33 アクシデント
Ret 29 イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ アロウズフォード 30 ギヤボックス
Ret 11 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ ロータスフォード 29 エンジン
Ret 9 オランダの旗 ヤン・ラマース ATSフォード 26 電気系統
Ret 4 アイルランドの旗 デレック・デイリー ティレルフォード 12 アクシデント
Ret 21 フィンランドの旗 ケケ・ロズベルグ フィッティパルディフォード 10 アクシデント
Ret 8 フランスの旗 アラン・プロスト マクラーレンフォード 5 エンジン
Ret 18 アイルランドの旗 デビッド・ケネディ シャドウフォード 1 アクシデント 22

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ロータスのスポンサーであるエセックスが肩代わりする形で支払った[2]
  2. ^ ベルギーで欠席した分を支払った[2]

出典[編集]

  1. ^ カーグラフィック、201頁。
  2. ^ a b c d e f カーグラフィック、199頁。
  3. ^ a b c オートテクニック、85頁。
  4. ^ a b カーグラフィック、200頁。
  5. ^ オートテクニック、86頁。
  6. ^ オートスポーツ、102頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前戦
1979年ディーノ・フェラーリグランプリ
F1非選手権レース次戦
1981年南アフリカグランプリ
前回開催
1979年スペイングランプリ
スペインの旗 スペイングランプリ次回開催
1981年スペイングランプリ


Category:1980年のF1レースレポート 1980