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利用者:ジャコウネズミ/砂場/過去ログ2

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5月初旬に神奈川県の茶葉(生茶550 Bq/kg〜570 Bq/kg、荒茶約3,000 Bq/kg)の放射性セシウムが検出され、加工食品の基準値の扱いについて、生産者の立場の農林水産省と消費者の立場の厚生労働省で、意見が分かれた。農林水産省は、お茶は薄めて飲むものであるし、生茶規制値が500 Bqで、乾燥された荒茶も500 Bqでは科学的ではないと主張した。厚生労働省は、数千 Bqの製茶が店頭販売されることは消費者が容認しないとして5月16日、茶の生産地がある14の都県に生茶と荒茶の放射線量の測定を命じた。しかし静岡県知事の川勝平太をはじめ殆どの自治体は荒茶の測定を拒否した。政府は6月2日、荒茶・生茶とも500 Bqを超えたものは原子力災害対策特別措置法に基づき出荷停止対象とする判断を下し、その後に茨城県全域、神奈川県6市町村、千葉県6市町、栃木県2市において、実際に出荷停止命令が出された[1][2]。 その後に静岡県は県内製茶工場ごとの測定を開始し、6月9日に県内茶工場の製茶から国の基準を超えるセシウムが検出、業者に対し商品回収と出荷自粛を要請した。6月14日には別の2つの工場の製茶も基準を超えたと発表、同様の要請を行った。6月14日の記者会見で川勝知事は「風評被害はNHKや全国紙など報道の責任が大きい」と強く抗議した。6月17日にフランスドゴール空港で静岡産の乾燥茶より1,038 Bqの放射性セシウムが検出され、当局により廃棄処分決定がなされた。これによりフランス当局は、静岡県産の全ての農産物を線量検査対象とすることを決定、EU委員会にもこれをEU基準とするよう上申した[3][4][5][6]。6月20日、JA静岡中央会とJA静岡経済連は地域農協向け説明会において、お茶の放射能被害について東京電力に損害賠償請求する方針を発表。風評被害分については現行法では賠償請求できないため、国に法改正を促すともコメント[7]

9月に入り厚生労働省は、千葉産、埼玉産(狭山茶を含む)からも、抜打ち検査や自主検査により基準超のセシウムが検出されたと発表した[8][9]

海産物

北茨城の沖合で4月1日に採取されたイカナゴの稚魚から、4,080 Bqの放射性ヨウ素が検出され、北茨城市の近海では4月4日には526 Bqの放射性セシウムおよび1,700 Bqの放射性ヨウ素が検出された。当初、はさき漁協が3月下旬以降、茨城県に何度か魚の検査を行うよう要請したが、茨城県は検査をせず、漁協に要請を出しイカナゴ漁および出荷を自粛すると発表した。漁協は県担当者を呼び、検査しない理由を組合員に説明するよう求めた。県担当者は「県産の水産物から基準を超す放射性物質が出れば、今後に影響する。当分は様子を見た方がいい」と説明したという。茨城県日立市の河原子漁協は独自検査を当面見送る方針を示した。県からは「漁協単独の結果が出るたびに騒ぎになって、風評被害につながる」といった懸念が示されたという。これらの経緯について、水産庁幹部は4月5日、茨城県の魚介類検査への対応について「検査をやって公表してもマイナスになるだけだから、と言っている。めちゃくちゃだ」と苦言を呈していた。この幹部は、漁協が独自に行ってきた検査についても「ぜんぶ国の施設でやり直すべきだ」と不信感をあらわにした。こうした不信が、今回の国の検査につながり国が県沖の水産物検査に踏み切った形となった。7日午前、水産庁の依頼でサンプル捕獲にあたる漁船が那珂湊漁港を出港した後、茨城県漁政課の担当者は、事前に国との協議はなかったと語った[10][11]

きのこ原木とおがくず

宮城県は11月30日、県内のきのこ原木から国の指標値(150 Bq/kg)を超える最大2492 Bq/kgの放射性セシウムが検出されたと発表した[12]

日本国内で報告されている主な食品の汚染(品目別:上記以外)
品目 採取地 採取年月日 放射線量(Bq/kg) 核種 備考
きのこ類
原木ナメコ 福島県相馬市 2011年8月11日 4600[13] 露地栽培
野生チチタケ(菌根菌類) 福島県古殿町 2011年8月11日 3200[13]
野生チャナメツムタケ 長野県佐久市志賀 2011年10月24日 1320[14]
原木しいたけ 茨城県鉾田市 2011年10月4日 990[15] ハウス栽培
原木しいたけ 茨城県小美玉市 2011年10月11日 890[16] 露地栽培
原木しいたけ 茨城県土浦市 2011年10月11日 510[16] ハウス栽培
原木しいたけ 茨城県行方市 2011年10月12日 830[17] 露地栽培
豆類
黒豆 福島県岩代町 400[18] 放射性セシウム 2011年12月19日測定
大豆 福島県二本松市 2011年10月27日 400[19]
大豆 福島県いわき市 2011年11月1日 240[20]
大豆 福島県須賀川市 2011年11月16日 184[21]
大豆 福島県天栄村 2011年11月17日 190[22]
大豆 福島県西郷村 2011年11月18日 216[22]
大豆 宮城県登米市(旧石越町) 2011年11月17日 240[23]
大豆 宮城県山元町 2011年11月10日 99[24]
大豆 群馬県渋川市 2011年11月 111[25] 11月9日に検査
大豆 岩手県一関市 2011年10月26日 96[26]
大豆 岩手県盛岡市 2011年10月25日 64[26]
大豆 岩手県陸前高田市 2011年10月21日 25[26]
大豆 栃木県那須塩原市 2011年10月27日 77.0[27]
大豆 栃木県日光市 2011年10月7日 58.8[27]
大豆 栃木県塩谷町 2011年10月14日 38.4[27]
大豆 栃木県大田原市 2011年10月27日 32.0[27]
大豆 茨城県日立市 2011年11月14日 99[28]
海産物(魚以外)
ワカメ 福島県いわき市 2011年5月16日 1200[29]
ムラサキ貝 福島県いわき市 2011年5月16日 650[30]
キタムラサキウニ 茨城県北茨城市大津地先 2011年5月22日 371[31]
エゾアワビ 茨城県北茨城市平潟地先 2011年5月22日 290[31]
海水魚
イシガレイ 福島県南相馬市 2011年9月5日 1030[32]
スズキ 福島県南相馬市 2011年9月10日 670[33]
ヒラメ 福島県南相馬市 2011年9月10日 1610[33]
アイナメ 福島県いわき市 2011年9月26日 1680[34]
コモンカスベ 福島県いわき市 2011年9月26日 980[34]
ババガレイ 福島県いわき市 2011年9月26日 1140[34]
エゾイソアイナメ 茨城県日立市沖 2011年9月1日 540[35]
イシガレイ 茨城県日立市沖 2011年12月13日 103[36]
淡水魚
ヤマメ 阿武隈川(福島県伊達市) 2011年5月17日 990[30]
アユ 阿武隈川(福島県伊達市) 2011年7月24日 1240[37]
ワカサギ 赤城大沼(群馬県前橋市) 2011年9月9日 650[38]

出典

  1. ^ msn産経ニュース2011.6.2 21:58
  2. ^ msn産経ニュース2011.5.20 22:30
  3. ^ 静岡の本山茶一部、基準超える放射性物質 出荷自粛要請
  4. ^ 静岡の本山茶、別の2工場の一番茶もセシウム基準超え
  5. ^ 日本からの緑茶に基準超えるセシウム パリの空港で検出
  6. ^ 静岡知事、「報道で風評被害」と主張
  7. ^ 放射性物質:JA静岡などが損害賠償請求へ…茶のセシウム 毎日新聞 2011年6月20日
  8. ^ 千葉・埼玉産【製茶】から基準超セシウム 抜き打ち検査で
  9. ^ 敬老お祝い用【製茶】からセシウム 埼玉・所沢、贈呈中止 狭山茶から同園が自主的に民間検査機関に調査依頼、1436Bq検出
  10. ^ asahi.com「放射線調査 県は消極的」
  11. ^ msn産経ニュース「採取のコウナゴ、放射能物質の基準値超検出 北茨城市沖」 2011.4.5 16:50
  12. ^ 宮城県の『きのこ原木』の放射能モニタリング結果について” (PDF). 宮城県 林業振興課 地域林業振興班 (2012年11月30日). 2012年2月26日閲覧。
  13. ^ a b 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・野菜) きのこ(H23.8.11採取分)” (PDF). 福島県 (2011年8月12日). 2012年2月28日閲覧。
  14. ^ "県内産の野生きのこ及び乾しいたけに係る放射性物質の検査結果について" (PDF) (Press release). 長野県林務部. 26 October 2011. 2012年3月1日閲覧
  15. ^ 原木しいたけに係る放射性物質の検査結果”. 茨城県林政課 (2011年10月5日). 2012年3月1日閲覧。
  16. ^ a b 原木しいたけ及び野生きのこに係る放射性物質の検査結果”. 茨城県林政課 (2011年10月12日). 2012年3月1日閲覧。
  17. ^ 原木しいたけに係る放射性物質の検査結果”. 茨城県林政課 (2011年10月14日). 2012年3月1日閲覧。
  18. ^ 12月19日の食品放射能測定報告書” (PDF). 株式会社いちい (2011年12月20日). 2012年2月26日閲覧。
  19. ^ 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・穀類) 大豆・秋そば・小豆・キビ・食用ソルガム(H23.9.28-10.31採取分)” (PDF). 福島県 (2011年11月2日). 2012年2月28日閲覧。
  20. ^ 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・穀類) 大豆・秋そば・小豆・アワ(H23.10.26-11.4採取分)” (PDF). 福島県 (2011年11月8日). 2012年2月28日閲覧。
  21. ^ 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・穀類) 大豆(H23.10.27-11.16採取分)” (PDF). 福島県 (2011年11月18日). 2012年2月28日閲覧。
  22. ^ a b 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・穀類) 大豆(H23.11.9-11.18採取分)” (PDF). 福島県 (2011年11月22日). 2012年2月28日閲覧。
  23. ^ 宮城県農林水産部農産園芸環境課 (2011年11月25日). “平成23年産大豆の放射性物質測定結果について(通知)” (PDF). 登米市産業経済部農産園芸畜産課. 2012年3月1日閲覧。
  24. ^ "食品中の放射性物質の検査結果について(第250報)" (PDF) (Press release). 厚生労働省医薬食品局食品安全部監視安全課. 18 November 2011. 2012年3月1日閲覧
  25. ^ "【11月9日】放射性物質汚染に対する農産物(大豆・野菜等)の安全検査について(技術支援課)" (Press release). 9 November 2011. 2012年3月1日閲覧 {{cite press release2}}: 不明な引数|pulisher=は無視されます。(もしかして:|publisher=) (説明)
  26. ^ a b c 県産大豆の放射性物質調査結果について”. 岩手県 農林水産部 農産園芸課 水田農業担当 (2011年11月14日). 2012年3月1日閲覧。
  27. ^ a b c d 大豆のモニタリング検査結果” (PDF). 栃木県農政部経済流通課 (2011年12月2日). 2012年3月1日閲覧。
  28. ^ 平成23年産大豆・そばの放射性物質検査の結果(第3報)”. 茨城県林政課 (2011年10月18日). 2012年3月1日閲覧。
  29. ^ 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・野菜(海草)) 野菜(海草)(H23.5.16採取分)” (PDF). 福島県 (2011年5月19日). 2012年2月28日閲覧。
  30. ^ a b 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・魚) 魚(H23.5.14-17採取分)” (PDF). 福島県 (2011年5月19日). 2012年2月28日閲覧。
  31. ^ a b 魚介類の生息場所別放射能分析結果 浅い磯の魚介類 (平成24年2月9日現在)” (PDF). 茨城県 農林水産部 漁政課 (2012年2月9日). 2012年3月1日閲覧。
  32. ^ 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・魚) 魚(H23.8.29-9.5採取分)” (PDF) (2011年9月7日). 2012年2月28日閲覧。
  33. ^ a b 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・魚) 魚(H23.9.2-10採取分)” (PDF) (2011年9月14日). 2012年2月28日閲覧。
  34. ^ a b c 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・魚) 魚(H23.9.20-26採取分)” (PDF) (2011年9月28日). 2012年2月28日閲覧。
  35. ^ 茨城県エゾイソアイナメ(ドンコ)の分析結果と今後の対応 【漁政課】”. 茨城県 農林水産部 漁政課 (2011年11月18日). 2012年3月1日閲覧。
  36. ^ 魚介類の生息場所別放射能分析結果 浅海底の魚介類 (平成24年2月9日現在)” (PDF). 茨城県 農林水産部 漁政課 (2012年2月9日). 2012年3月1日閲覧。
  37. ^ 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・魚) 魚(H23.7.15-25採取分)” (PDF) (2011年7月27日). 2012年2月28日閲覧。
  38. ^ "【9月12日】放射性物質に対する水産物の安全検査について(蚕糸園芸課)" (Press release). 12 September 2011. 2012年3月1日閲覧 {{cite press release2}}: 不明な引数|pulisher=は無視されます。(もしかして:|publisher=) (説明)

ナザレのイエスに関するメモ

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現時点では、独自研究の域を出ていません。 今後、裏付け、検証可能な出典の明示を進めると共に、その過程で異論、反証を見出せば積極的に修正を加え、本記事に反映させたいと考えています。

1.イザヤ・ベンダサンが『日本人とユダヤ人』において「ヨハネによる福音書にイエスの誕生物語がないことから、著者は暗にイエスのベツレヘムでの誕生を否定した」と説を立てたことに関する考証。

・「ヨハネによる福音書にイエスの誕生物語がない」ことは確認できる事実である。
高等批評において、ヨハネによる福音書共観福音書より後期に著作されたものであるというのはほぼ定説である。
・前2項の前提において「著者は暗にイエスのベツレヘムでの誕生を否定した」という説が成立するには、
ヨハネによる福音書の著者がイエスの誕生物語の伝承を知っていたうえで、あえて福音書本文として書かなかった。
著者はイエスのベツレヘムでの誕生を否定する立場であった
という、2つの仮定が少なくとも必要である。
前2項の前提のみから論理的に言えることは、
ヨハネによる福音書の著者はイエスの誕生物語の伝承を知らなかったか、もしくは、著者はイエスの誕生物語の伝承を知っていたが、宣教文書としてヨハネによる福音書を執筆するに当たり、宣教に不可欠な伝承とは考えなかった。
ということだけである。後者(著者がイエスの誕生物語の伝承を知っていた)であった場合でも、少なくとも
・著者は暗にイエスのベツレヘムでの誕生を否定した(イザヤ・ベンダサンの説)
・著者はヨハネによる福音書においてイエスの誕生物語の伝承への言及は不要と考えた(宣教に不可欠の伝承ではないと判断した、という限定的考え方から、むしろこの伝承は宣教の妨げになると判断した、という考え方まで幅広く想定できる)
という2つの解釈が存在し得る。
結局、史実として確証が得られている事柄は、イエスの誕生物語を記述した福音書と記述しない福音書があるが、イエスの誕生物語、特に処女懐胎の伝承が後世のキリスト教会で教義(ドグマ)化されていったという事実のみである。
筆者補足:ヨハネによる福音書は高度に神学化した宣教文書であり、共観福音書に見られる多くの奇跡伝承を採用していない(記された奇跡としては「カナの婚礼」「五千人に食べ物を与える」「湖の上を歩く」がある)。一方、高等批判では四福音書に記述されながら(その記述に相違が多い事実などから)史実として否定するものの多い「最後の晩餐」については詳述している。
結論:イザヤ・ベンダサンの説は、著者の根拠とする事実からは論理的に異説が同時に導出可能であるため、著書の性格の評価云々に依らずとも、記事ナザレのイエスの記述としては不要であると言える。--ジャコウネズミ 2012年2月1日 (水) 07:09 (UTC)

2.イエスの教え

イエスは、山上の垂訓の記述のによるところにおいては、

1.貧しい者、2.悲しむ者、3.柔和な者、4.義に飢え渇く者、5.憐れみ深い者、6.心の清い者、7.平和を実現する者、8.義のために迫害される者、は幸であると説き、1.6.7.8に対しては(表現に差異はあるが)神の国に近いと説いた。これについて荒井献は『イエスとその時代』において飢饉におけるラビの発言を、逆説的に述べ、律法に基づくユダヤ人の価値観を逆転させたものであり、それ以外の意味を読み込むべきでない、と指摘している(p140)。
「心の中においても姦淫するな」、「離縁するな」、「誓うな」、「復讐するな」、「敵を愛せ」、「人を裁くな」など、律法を徹底、あるいは律法に定めるところ以上の倫理や隣人愛を説いた。
「体のともし火は目である」、「思い悩むな」、「求めよ」、「狭い門から入れ」、と説いた。また、祈りの手本(主の祈り)を示した。
これらの「格言」の多くは当時のラビ文書の格言と類似したものが見られる、と荒井献は『イエスとその時代』において指摘している(p98、99)。その上で、ラビ文書の格言を厳格化し、また律法とは逆のことを命じているものもあることから、イエスの説教の特徴はいかなる権威に頼ることなく断定することにあり、ゆえに「人々はイエスの教えに驚いた。律法学者のようにではなく権威ある者のように教えていたからである」(マルコ 1:22)という反響を呼んだのだと指摘している(p144)。また、「主の祈り」は「Q資料」を記した「Q教団」の間での祈りの基本であったであろうと指摘している(p181、p182)。

筆者補足:聴衆は、イエスを支持する者、病気を癒されたいと集まった者、評判の人物の話を聴きに来た者、物見遊山の野次馬が入り混じった群衆と考えるのが素直で、特別弱者ばかりが集まっていたとする証左はない。また、一回の説教でこれらすべてが語られたことを裏付ける証左もない。マタイ、ルカ共、大勢の群集に対して説教したことでは共通しているが、場所は違っており(マタイは山上から、ルカは平地)、説教内容もマタイでは上記内容が連続した説教になっているが、ルカでは書簡内に分散して語られている。これら聴衆のイエスに対する評価は、ラビ、預言者、メシア、偽預言者、と様々であったと考えられる。

イエスは、「最も重要な掟に関する問答」(マタイ22 :34-40、マルコ12 :28-34、ルカ10 :25-28)によれば、

イエスは、律法のうち最も重要な掟は「主を愛せ(申命記6 :5)と隣人を愛せ(レビ記19 :18)である」と言った(マルコ)、もしくは、質問者に逆に答えさせて返ってきた前記内容に対し「正しい」と答えた(マタイ、ルカ)。

イエスは、「復活についての問答」(マタイ22 :23-33、マルコ12 :18-27、ルカ20 :27-40)によれば、人間が死からの復活するという思想を支持している。

結論:イエスの教えを要約せよ、ということであれば、「隣人愛を説いた」とするのは妥当ではなく、(後述3.も含めればなおさら)少なくとも「神への愛と隣人愛の徹底を説いた」とすべきである。しかし説教の内容がイエス独自の教えとは言えないことを踏まえると、「史的イエス」の人物像としての記述として好ましい記述は、説教の内容を記述することよりも、むしろ、既往の権威に頼ることなく自らの言葉で断定的に語る姿勢にあり、また、行動的特徴として、当時交流を深めることが忌避されていた人々に対しても分け隔てなく接し、社会の底辺に視座を据え権力を批判した、ことに焦点を当てる記述である。

下書き 福音書の記述ではイエスの言葉として、山上の垂訓など群衆に対して語った説教、弟子など限られた対象に向けて語った言葉、当時の宗教指導者などとの問答、といった形で多くの言葉が収められており、福音書の記述を史実と認める立場においては、福音書の中にイエスの教えについて多くの言説を認めることができる。一方、高等批評においては、福音書は「イエスの言行録」ではなく「宣教文書」であり、イエスが語ったとされる言葉がイエスに帰属するかを疑うというのが基本的立場である。この立場においてイエスに帰属できる発言は数少ない。田川によれば(以下、履歴継承違反を避けるため省略)。荒井はイエスの発言にさかのぼれる言葉は少ないながら、イエスの特徴として、既往の権威に頼ることなく自らの言葉で断定的に語り(p144)、当時交流を深めることが忌避されていた人々に対しても分け隔てなく接し(p122)、社会の底辺に視座を据え権力を批判した(p162-p164) 、ことを認めている。--ジャコウネズミ 2012年2月1日 (水) 07:09 (UTC)

3.神殿から商人を追い出す 事件について

これが行われたのは神殿外郭部の「異邦人の庭」と呼ばれる部分とされている。ユダヤ人の入れる神殿の範囲の外に設けられ、それより中に入れることの許されない異邦人がヤーウェの神を礼拝する場所としての宗教的意味があったが、そのような者がいなかったのかは不明であるが、実際には、遠方から礼拝に訪れるユダヤ人の便宜のために、両替商(献金はソロ貨幣とされていた)やいけにえにする動物を売る商人が占拠していたとされている。よってこの事件は、イエスが礼拝の風紀を糺すと共に、異邦人に対する救いの機会を訴えたものとして捉えることができる。
イエスに対する罪状は政治犯としてのものであるが、荒井献は『イエスとその時代』において、この行為(史実かどうかは不明)、または、神殿を打ち壊すと発言し(三日で立て直すというのは記者たちの創作の可能性が高いとするが、神殿を打ち壊すと言ったことは事実である可能性が高いとしている)ことが、政治犯として逮捕された直接の事由であり、神殿がユダヤの政治の場でもあり一経済拠点でもあるので同時に重大に権力批判でもあること(p162-p166)、また、社会の底辺に視座を据え権力を批判したイエスの姿勢そのものが、体制を揺るがす政治犯として見做されたのであろうと指摘している(p174、p175)。当時の時代背景においては、宗教的=政治的(活動)なのだ、とも指摘している(p164)。

4.群衆もイエスの十字架刑を支持したとされる件

イエスを十字架刑に処することについては、反発ないし脅威を覚えた、ファリサイ派、サドカイ派といった宗教的指導者のほかに、群衆もこれを支持したとされていることは、認識しておく必要があろう。ただ、短期間に民衆からの支持が一変したことを示す証左はない。支持する者も、反発する者も、もとよりどちらも大勢いた、と考えるのが自然である。群衆が心変わりしたとする立場からは

イエスに地上の王を期待したが裏切られた
神殿から商人を追い出した事件以降にイエスの評判が落ちた
日和見的、あるいは人気になったスターが一気に失脚する姿を見たいという群集心理

など、いくらでも仮説を立てることができるものの、証左が見つからず、これといった結論を見出すことは難しい。

5.高等批判の範囲を逸脱した新説の一例

バーバラ・スィーリングは『イエスのミステリー』の中で、死海文書とクムラン遺跡の調査結果から、死海文書と「Q資料」との同一性、イエスがクムラン教団に属していたこと、クムラン教団に秘密結社的側面があったこを指摘し、「福音書」という文書スタイルが、高等批判の主説となっているような「宣教文書」ではなく「教団内の神学奥義を外部に知られず内部の者だけに伝える手法として、神学奥義を物語に翻案して(註:著者は福音書中の「たとえ話」と「たとえ話で語る理由」に記されている理由を根拠に上げている)作成された文書である」という説を打ち出した。著者の主な関心は、その前提に立った場合、イエスの十字架上の死と復活の伝承はどんな神学奥義を伝えたものであったか、という点に集められた。著者の結論は、「クムラン教団内で、祭祀に関し、ユダヤ古来の暦に則るべきとするグループと、ヘレニズム文化圏内のユダヤ人が慣れ親しんでいる暦に合わせるべきだとするグループに割れる事態が発生し、イエスは後者を取った。イエスの十字架上の死と復活の伝承は、現実にはありえない復活が暦の解釈によっては成立してしまうというパラドックスを利用して物語化したものであり、史実としての十字架上の死と復活は存在しない」というものであった。この説は従来の本文批評に依らない新説ではあるものの、仮定と想像が幾重にも積み重なったものであり、綿密な考証を重ねてはいるが、最終的には新しい「歴史小説」の書き下ろしの域を出ないものとなってしまっている。--ジャコウネズミ 2012年2月1日 (水) 07:09 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年2月1日 (水) 17:03 (UTC)

6.イエスの風貌に関する伝承(参考) イスラームの伝承には「イーサーの肌は雪のように白かった」というものがある。この伝承はイエスの容貌についての伝承と見ることも可能であるが、いわゆる「主イエスの変容」(マタイ 17:1-13、マルコ 9:2-13、ルカ 9:28-36)の伝承と起源を一とするものである可能性もある。少なくとも「主イエスの変容」の記述は「雪のように白い姿に変貌した」ということであり、むしろ普段のイエスの姿はそのようなものではなかったと反証的に見ることも可能である。

7.病人を治癒した伝承から推察される「史的イエス像」 荒井献は『イエスとその時代』の中で、病人、特に癩病人を治癒した伝承は、イエスに神性を付加するために福音書に取り入れられた伝承である側面と、弱者に対するご利益宗教的なパターンに属する伝承である側面があることは否めないとしながらも、イエスが律法によって不可触とされていた人と直接関わりを持ち、「行きなさい」「家に帰りなさい」あるいは、社会に復帰しなさい、という命令したという事実が「原型」になっていると指摘している(p90、p91)。またイエスは罪人とされていた人に対しても同様に振る舞いイエスが『丈夫な人に医者はいらない。いるのは病人である。私が来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである』(マタイ9 :9-13、マルコ2 :13-17、ルカ5 :27-32)と語っていることに注目している(p109)。

--ジャコウネズミ 2012年1月30日 (月) 13:37 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年1月30日 (月) 13:48 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年1月30日 (月) 14:18 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年1月30日 (月) 15:17 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年1月30日 (月) 17:33 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年1月31日 (火) 07:13 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年1月31日 (火) 07:19 (UTC)--ジャコウネズミ 2012年1月31日 (火) 09:01 (UTC)

8.キリストの磔刑の日付に関して 共観福音書では安息日の前日、ヨハネによる福音書では「特別な安息日の前日」となっている。過越し祭ニサン月14日の金曜日(ヨハネ福音書)もしくは、15日の金曜日(共観福音書)と見るのが一般的であるようである。一方、ヨハネによる福音書においては「特別な安息日の前日」としていることから、ヨハネによる福音書の記述は過越し祭ニサン月14日の木曜日で、翌日15日の金曜日が「特別な安息日」である除酵祭の第七日、その翌日16日が通常の安息日という解釈も考えられるが、支持するような出典を確認できていない。共観福音書の著者たちとヨハネによる福音書の著者では、支持している暦が異なっていたか、あるいは「三日目に復活する」という預言の成就として、その「三日の数え方」に見解の差があったものと考えられる。--ジャコウネズミ 2012年2月1日 (水) 17:03 (UTC)