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利用者:桂鷺淵/藩の一覧/02

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下野国

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関連地図
  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:23藩
    • 板橋 - 榎本 - 大宮 - 鹿沼 - 上田 - 富田 - 西方 - 吹上 - 皆川 - 壬生 - 小山 - 佐野 - 足利 - 山川 - 宇都宮 - 真岡 - 茂木 - 大田原 - 烏山 - 黒羽 - 那須 - 喜連川 - 高徳
  • 『藩史大辞典』目次:22藩
    • 黒羽藩 - 太田原藩 - 那須藩 - 喜連川藩 - 烏山藩 - 宇都宮藩 - 高徳藩 - [曽我野藩] - 板橋藩 - 鹿沼藩 - 茂木藩 - 真岡藩 - 上田藩 - 壬生藩 - 西方藩 - 吹上藩 - 大宮藩 - 皆川藩 - 小山藩 - 富田藩 - 榎本藩 - 佐野藩 - 足利藩
  • 『藩と城下町の事典』:23藩
    • 宇都宮藩 - 大田原藩 - 那須藩 - 黒羽藩 - 烏山藩 - 喜連川藩 - 茂木藩 - 真岡藩 - 高徳藩 - 板橋藩 - 鹿沼藩 - 西方藩 - 壬生藩 - 上田藩 - 吹上藩 - 大宮藩 - 皆川藩 - 小山藩 - 富田藩 - 榎本藩 - 佐野藩 - 山川藩 - 足利藩

那須郡

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大田原藩
  • 関ヶ原時 - 大田原晴清:7900石[1]
  • 慶長7年(1602年) - 大田原晴清加封:1万2400石[1][2]
  • 寛文元年(1661年) - 大田原高清、大田原為清に1000石分知:1万1400石[1][2]
  • 明治4年(1871年) - 廃藩置県
黒羽藩
  • 1590年 - 大関資増1万3000石[2]
那須藩
  • 1590年 - 那須資晴8万石を除封[2]
  • 1606年 - 旗本那須資景、加増を受け1万石[2]
  • 寛永19年(1642年) - 那須資重除封、廃藩[1][2]
  • 寛文4年(1664年) - 旗本那須資弥、加増を受け再封[1][2]
  • 天和元年(1681年) - 那須資弥、烏山に移封[1][2]
烏山藩
  • 関ヶ原時 - 成田長忠:3万7000石[1]
    • 1591年 - 成田長忠:3万7000石[2]
  • 元和2年(1616年) - 成田氏宗減封:1万石[1]
  • 元和8年(1622年) - 成田氏宗除封[1][2]
  • 元和9年(1623年) - 松下重綱入封(常陸小張より):2万800石[1][2]
  • 寛永4年(1627年) - 松下重綱転出(陸奥二本松へ)/堀重良入封(真岡から):2万5000石[1][2][2]
  • 寛永14年(1637年) - 堀親昌分知:2万石[1][2]
  • 寛文12年(1672年) - 堀親昌転出(信濃飯田へ)/板倉重矩入封(三河中島より):5万石[1][2]
  • 天和元年(1681年) - 板倉重種転出(武蔵岩槻へ)/那須資弥入封(那須より):2万石[1][2]
  • 貞享4年(1687年) - 那須資徳除封永井直敬入封(河内国内より):3万石[2]
  • 元禄15年(1702年) - 永井直敬転出(播磨赤穂へ)/稲垣重富入封(上総大多喜より):2万5000石[1][2]
  • 宝永元年(1704年) - 加封:3万石[1]
  • 享保10年(1725年) - 稲垣昭賢転出(志摩鳥羽へ)/大久保常春入封(近江国内より):2万石[1][2]
  • 享保13年(1728年) - 加封:3万石[1]
  • 明治4年(1871年) - 廃藩置県[1]

芳賀郡

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真岡藩
  • 慶長6年(1601年) - 浅野長重新封[1][2]
  • 1611年 - 浅野長重、相続により常陸真壁に転封/堀親良新封[2]
  • 1627年 - 堀親良転出/稲葉正成新封[3]
  • 寛永9年(1632年) - 稲葉正勝転出[1][4]
茂木藩
  • 慶長15年(1610年) - 細川興元新封[1]
  • 元和2年(1616年) - 細川興元、常陸谷田部に移転[1]
  • 明治4年(1871年) - 細川興貫、谷田部から陣屋移転[1]

塩谷郡・河内郡

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喜連川藩
  • 1590年 - 足利(喜連川)国朝3500石[2]
  • 寛政元年(1789年) - 喜連川*氏5000石、10万石格[1][2]
宇都宮藩
  • 1590年 - 宇都宮国綱18万石[2]
  • 1597年 - 宇都宮国綱除封
  • 1598年 - 蒲生秀行、会津より減転封18万石[1][2]
  • 1601年 - 蒲生秀行、会津へ加転封/奥平家昌新封[2]
  • 1619年 - 奥平忠昌、下総古河へ転出/本多正純入封[2]
  • 1622年 - 本多正純除封/奥平忠昌古河より再封[2]
  • 1668年 - 奥平昌能、出羽山形へ転出/松平奥平忠弘、山形から入封[2]
  • 1681年 - 奥平忠弘、陸奥白河へ転出/本多忠平、白河から入封[2]
  • 1685年 - 本多忠平転出/奥平昌章入封[2]
  • 1697年 - 奥平正成転出/阿部正邦入封[2]
  • 1710年 - 阿部正邦転出/戸田忠真入封[2]
  • 1749年 - 戸田忠盈、肥前島原へ転出/深溝松平忠祗、島原から入封[2]
  • 1774年 - 松平忠如、肥前島原へ転出/戸田忠寛、島原から入封[2]
高徳藩
  • 慶応2年(1866年) - 戸田忠至、宇都宮藩より1万石を分与[1]
  • 明治3年(1870年) - 下総曾我野に移封[1]

都賀郡

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板橋藩
  • 慶長5年(1600年) - 大給松平一生、上野三ノ倉から入封[5]、1万石[2]
  • 元和3年(1617年) - 松平成重、三河西尾に移封[5][2]
鹿沼藩
鹿沼藩』 - コトバンク
『角川新版日本史辞典』は1636年に朽木植綱新封とする。
『日本史広辞典』は1647年の朽木植綱加入封から藩の記載を始める。
  • 慶長15年(1610年) - 阿部正次入封[5]
  • 元和3年(1617年) - 阿部正次、上総大多喜に転出[5]
  • 寛永13年(1636年) - 朽木稙綱新封[5]
  • 1647年 - 朽木稙綱、近江国内から加入封2万5000石[2]
  • 1649年 - 朽木稙綱転出/内田正信入封[2]
  • 享保9年(1724年) - 内田正親転出[5][2]
西方藩
  • 慶長6年(1601年) - 藤田重信入封[5]
  • 元和2年(1616年) - 除封[5]
下野上田藩
  • 元禄5年(1692年) - 西郷寿員、1万石で入封[5]
  • 元禄6年(1693年) - 西郷寿員、5000石に減知。廃藩[5]
壬生藩
  • 慶長6年(1601年) - 日根野吉明入封[5][4]
  • 寛永11年(1634年) - 日根野吉明転出[5][4]
  • 寛永12年(1635年) - 阿部忠秋入封[5][4]
  • 1639年 - 阿部忠秋転出/三浦正次入封[4]
  • 1692年 - 三浦明敬転出/大河内松平輝貞、摂津など6か国内から入封[4]
  • 1695年 - 松平輝貞転出/加藤明英、近江水口から入封[4]
  • 1712年 - 加藤嘉矩、近江水口に転出/鳥居忠英、水口から入封[4]
大宮藩
  • 寛永17年(1640年) - 堀田正虎新封【古河藩堀田家支藩】[5]
  • 元禄7年(1694年) - 堀田正虎、正仲の養子となり廃藩[5]
吹上藩
  • 天保13年(1842年) - 有馬氏郁入封[5][2]
皆川藩
  • 1590年 - 皆川広照3万5000石[2]
  • 慶長8年(1603年) - 皆川広照転出[5][2]
  • 寛永17年(1640年) - 能見松平重則入封[5][2]
  • 寛文5年(1665年) - 能見松平重利除封[5][2]
  • 元禄12年(1699年) - 米倉昌尹入封[5][2]
  • 享保7年(1722年) - 米倉忠仰移封[5][2]
下野富田藩
  • 慶長18年(1613年) - 北条氏重入封[5]
  • 元和5年(1619年) - 北条氏重転出[5]
榎本藩
  • 慶長10年(1605年) - 本多忠純新封[5]
  • 寛永17年(1640年) - 本多犬千代除封[5]

寒川郡

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小山藩
  • 慶長10年(1605年)頃 - 本多正純入封[1]
  • 元和5年(1619年) - 本多正純、宇都宮に移封[1]

安蘇郡

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佐野藩
  • 1590年 - 佐野房綱[4]
  • 1592年 - 佐野信吉3万9000石[4]
  • 慶長19年(1614年) - 佐野信吉除封[1][4]
  • 貞享元年(1684年) - 堀田正高、入封[1][4](下総古河藩から分与[4]
  • 元禄11年(1698年) - 堀田正高、近江堅田に移転[1][4]
  • 文政9年(1826年) - 堀田正敦、近江堅田より移転[1][4]

足利郡

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足利藩
  • 元禄元年(1688年) - 旗本本庄松平宗資、加増により新封1万石[1][4]
  • 元禄5年(1692年) - 本庄松平宗資、転出[1][4]
  • 宝永2年(1705年) - 旗本戸田忠時(戸田忠利)、加増により新封1万1000石[1][4]
下野山川藩
  • 山川朝信2万石[1][4]
  • 慶長6年(1601年) - 山川朝信除封[1][4]
  • 寛永12年(1635年) - 旗本太田資宗、加増により新封1万5600石[1][4]
  • 寛永15年(1638年) - 太田資宗移封[1][4]

常陸国

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  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:25藩
    • 笠間 - 宍戸 - 水戸 - 額田 - 太田 - 保内 - 松岡 - 松川 - 麻生 - 柿岡 - 片野 - 志筑 - 玉取 - 土浦 - 府中 - 牛久 - 古渡 - 竜崎 - 江戸崎 - 小張 - 北条 - 谷田部 - 下館 - 下妻 - 真壁
  • 『藩史大事典』目次:24藩
    • 松岡藩 - 水戸藩 - 額田藩 - 松川藩 - 宍戸藩 - 府中(石岡)藩 - 保内藩 - 笠間藩 - 下館藩 - 下妻藩 - 真壁藩 - 片野藩 - 柿岡藩 - 北条藩 - 志筑藩 - 玉取藩 - 土浦藩 - 谷田部藩 - 小張藩 - 麻生藩 - 古渡藩 - 江戸崎藩 - 牛久藩 - 龍ヶ崎藩
  • 『藩と城下町の事典』:23藩
    • 水戸藩 - 笠間藩 - 土浦藩 - 太田藩 - 松岡藩(手綱藩) - 額田藩 - 松川藩 - 宍戸藩 - 下館藩 - 真壁藩 - 高森藩 - 下妻藩 - 北条藩 - 片野藩 - 志筑藩 - 府中藩(石岡藩) - 小張藩 - 谷田部藩 - 牛久藩 - 竜ヶ崎藩 - 江戸崎藩 - 古渡藩 - 麻生藩

水戸藩とその支藩・重臣領

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水戸藩
  • 1590年 - 佐竹義宣(1594年:54万5800石)[2]
  • 1602年 - 佐竹義宣転出/松平信吉入封[2]
  • 1603年 - 松平信吉除封/徳川頼宣新封[2]
  • 1609年 - 徳川頼宣、駿河府中に転出/徳川頼房、常陸下妻より入封[2]
額田藩
  • 寛文元年(1661年) - 松平頼元新封【水戸藩支藩】[6][7]
  • 元禄13年(1700年) - 松平頼貞、陸奥守山に移封[6][7]
保内藩
  • 寛文元年(1661年) - 松平頼隆新封【水戸藩支藩】[6]
  • 元禄13年(1700年) - 府中に移封[6]
常陸松岡藩(手綱藩)
『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」では「太田藩」と「松岡藩」の2藩として記される。
  • 慶長7年(1602年) - 戸沢政盛、出羽角館から入封[6][7]
  • 元和8年(1622年) - 出羽新庄に移封、廃藩[6][7]
  • 寛永19年(1642年) - 中山信正【水戸藩付家老】、国内より入封、2万石[6][7]
  • 宝永4年(1707年) - 中山信敏、常陸太田に移封[6]
  • 享和3年(1803年) - 中山信敬【水戸藩付家老】、常陸太田より移転[6][7]
  • 明治元年(1868年) - 大名に列する[6][7]。手綱藩と改称[6]
□ 常陸太田領
  • 宝永4年(1707年) - 中山信敏【水戸藩付家老】、松岡から常陸太田に移る[6][7]
  • 享和3年(1803年) - 中山信敬、常陸太田から松岡に移転[6][7]
常陸宍戸藩
宍戸藩』 - コトバンク
『日本史広辞典』は土屋氏の入封を記さず[2]
  • 慶長7年(1602年) - 秋田実季入封[6][2]
  • 正保2年(1645年) - 秋田俊季、陸奥三春に転出[6][2]
  • 寛文2年(1662年) - 土屋数直入封[6]
  • 寛文9年(1669年) - 土屋数直、土浦へ移封[6]
  • 天和2年(1682年) - 松平頼雄入封(水戸藩より分与)【水戸藩支藩】[6][2]
  • 1864年 - 松平頼徳除封[2]
  • 1868年 - 松平頼位再封1万石[2]
常陸府中藩(石岡藩)
  • 慶長7年(1602年) - 旗本六郷政乗、加増により新封1万石[8][2]
  • 1623年 - 六郷政乗転出/皆川広照再封1万石[2]
  • 正保2年(1645年) - 皆川成郷除封、廃藩[8][2]
  • 元禄13年(1700年) - 松平頼隆【水戸藩支藩】、保内より入封[8][2]
  • 1869年 - 石岡藩と改称[2]
松川藩
  • 明治3年(1870年) - 松平頼之、陸奥守山から入封【水戸藩支藩】[6][2]

茨城郡・新治郡(水戸藩支藩以外)

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笠間藩
  • 慶長6年(1601年) - 藤井松平康重、3万石で入封[6][7]
  • 1608年 - 松平康重転出/小笠原吉次入封[7]
  • 慶長14年(1609年) - 小笠原吉次除封[6][7]
  • 慶長17年(1612年) - 戸田松平康長入封[6][7]
  • 元和2年(1616年) - 松平康長転出[6][7]
  • 元和3年(1617年) - 永井直勝、上野小幡から[7]入封[6][7]
  • 1622年 - 永井直勝転出/浅野長重入封[7]
  • 1645年 - 浅野長直転出/井上正利入封[7]
  • 1692年 - 井上正任転出/本庄松平宗資入封[7]
  • 1702年 - 松平資俊転出/井上正岑入封[7]
  • 1747年 - 井上正経転出/牧野貞通入封[7]
柿岡藩
  • 寛永元年(1624年) - 稲葉正勝新封[6]
  • 寛永5年(1628年) - 下野真岡に移封[6]
片野藩
  • 慶長8年(1603年) - 滝川雄利新封[6]
  • 寛永2年(1625年) - 滝川正利除封[6]
志筑藩
  • 本堂茂親8100石[8]
  • 明治元年(1868年) - 本堂親久、1万100石[8]
玉取藩
  • 元和8年(1622年) - 堀利重入封[8]
  • 延宝7年(1679年) - 堀通周除封[8]
土浦藩
  • 慶長6年(1601年) - 旗本藤井松平信一、加増により新封3万5000石[8][2]
  • 元和3年(1617年) - 藤井松平信吉転出[8][2]
  • 元和4年(1618年) - 西尾忠永入封[8][2]
  • 1649年 - 西尾忠昭転出/朽木植綱入封[2]
  • 1669年 - 朽木植昌転封/土屋数直、常陸・武蔵国内より入封[2]
  • 1682年 - 土屋政直、駿河田中に転出/大河内松平信興、武蔵・下総・常陸国内より入封[2]
  • 1687年 - 松平信興、大坂城代に就任し摂津など6か国内に転出/土屋政直、摂津・駿河国内より入封[2]

筑波郡

[編集]
小張藩
  • 慶長8年(1603年) - 松下重綱入封[8]
  • 元和9年(1623年) - 下野烏山に移封[8]
  • 延宝7年(1679年) - 石川松平乗政、1万石で入封[8]
  • 元禄元年(1688年) - 堀田正英の遺領を諸子に分知、廃藩[8]
常陸北条藩
  • 入部時期? - 佐久間勝之在封。7000石[8]
  • 慶長15年(1610年) - 加封により1万石[8]
  • 元和元年(1615年) - 信濃長沼に移封[8]
谷田部藩
  • 元和2年(1616年) - 細川興元、下野茂木から移転[8][2]
  • 明治4年(1871年) - 細川興貫、茂木に陣屋移転[8][2]

真壁郡

[編集]
下館藩
  • 1598年 - 水谷勝俊3万1000石[2]
  • 寛永16年(1639年) - 水谷勝隆転出/松平頼重入封[8][2]
  • 寛永19年(1642年) - 松平頼重、讃岐高松に移封、廃藩[8][2]
  • 寛文3年(1663年) - 増山正弥入封[8][2]
  • 元禄15年(1702年) - 増山正弥転出/井上正岑入封・同年転出[8][2]
  • 元禄16年(1703年) - 黒田直邦入封[8][2]
  • 1732年 - 黒田直邦転出/石川総茂入封[2]
下妻藩
  • 1595年 - 多賀谷重経6万石[2]
  • 慶長6年(1601年) - 除封[8][2]
  • 慶長11年(1606年) - 徳川頼房新封10万石[8][2]
  • 慶長14年(1609年) - 徳川頼房、水戸に移封。廃藩[8][2]
  • 元和元年(1615年) - 松平忠昌、上総姉崎より入封[8][2]
  • 1616年 - 松平忠昌転出/久松松平定綱入封[2]
  • 元和5年(1619年) - 久松松平定綱、遠江掛川に移封。廃藩[8][2]
  • 正徳2年(1712年) - 旗本井上正長、加増により新封1万石[8][2]
真壁藩
  • 慶長11年(1606年) - 浅野長政新封[8][2](隠居領5万石[2]
  • 1611年 - 浅野長重、相続により下野真岡より入封[2]
  • 元和8年(1622年) - 浅野長重、笠間に移封[8][2]
常陸高森藩
→武蔵赤沼藩
※内藤家は関東に散在する1万石の領主。高森陣屋を居所としたという説がある。

河内郡・信太藩・行方郡

[編集]
牛久藩
牛久藩(近世)』 - 角川地名大辞典(旧地名)
  • 慶長6年(1601年) - 旗本山口重政、加増により新封1万石[8][2]
  • 慶長18年(1613年) - 山口重政除封[8][2]
  • 寛永6年(1629年) - 山口重政再封[8][2]
常陸古渡藩
古渡藩(近世)』 - 角川地名大辞典(旧地名)
  • 慶長8年(1603年) - 丹羽長重1万石[8]
  • 元和5年(1619年) - 江戸崎へ移封[8]
龍ヶ崎藩
長瀞藩(近世)』 - 角川地名大辞典(旧地名)
大網藩』 - 角川日本地名大辞典
竜崎藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 明治4年(1871年) - 米津政敏、上総大網から入封[8]
江戸崎藩
江戸崎藩(近世)』 - 角川地名大辞典(旧地名)
  • 芦名義勝(佐竹義勝)4万5000石[8]
  • 慶長7年(1602年) - 義勝除封[8]
  • 慶長8年(1603年) - 青山忠成入封[8]
  • 慶長15年(1610年) - 青山忠成除封[8]
  • 元和5年(1619年) - 丹羽長重、古渡から入封[8]
  • 元和8年(1622年) - 陸奥棚倉に移封[8]
麻生藩
麻生藩(近世)』 - 角川地名大辞典(旧地名)
  • 慶長9年(1604年) - 新庄直頼入封[6][2]
  • 1676年 - 新庄直矩除封・新庄直時再封1万石[2]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao 『角川新版日本史辞典』, p. 1297.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr 『日本史広辞典』, p. 巻末81.
  3. ^ 『日本史広辞典』, pp. 巻末81-82.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『日本史広辞典』, p. 巻末82.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『角川新版日本史辞典』, p. 1296.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『角川新版日本史辞典』, p. 1299.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『日本史広辞典』, p. 巻末80.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 『角川新版日本史辞典』, p. 1300.

参考文献

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  • 二木謙一監修、工藤寛正編『藩と城下町の事典』東京堂出版、2004年。 
  • 『角川新版日本史辞典』角川学芸出版、1996年。 
  • 『日本史広辞典』山川出版社、1997年。 

外部リンク

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