利用者:Benichan/sandbox
ここはBenichanさんの利用者サンドボックスです。編集を試したり下書きを置いておいたりするための場所であり、百科事典の記事ではありません。ただし、公開の場ですので、許諾されていない文章の転載はご遠慮ください。
登録利用者は自分用の利用者サンドボックスを作成できます(サンドボックスを作成する、解説)。 その他のサンドボックス: 共用サンドボックス | モジュールサンドボックス 記事がある程度できあがったら、編集方針を確認して、新規ページを作成しましょう。 |
*{{ |}}imdb [要出典] {{}} PD-Japan-oldphoto PD-old-100 {{}}PD-Art|PD-old-100
座標: 北緯35度41分08秒 東経139度45分10秒 / 北緯35.68552364934953度 東経139.75278794928002度
見出しタイトル
[編集]項目
[編集]- 笠井愛次郎
- 中日実業
- 前山久吉
- 教導立志基
- ミユ・プロダクションズ
- 東京市立商業学校
- 加福豊次
- 宝文館
- カモンド家
- 伴新三郎
- 児玉誠
- 明治百年100大事件
- アサヒコ
- ホテル百万石
- 矢田松太郎
- アルバート・クレイグ
- 湯島三組町
- 三田葆光
- 中川末吉
- 長野桂次郎
- 西尾家住宅
- 山本藤助
- 和辻春樹
- 棟梁#棟梁送り
- 佐野常樹(誰かが立項してくれた)
- 関保之助
- 神田鐳蔵
- 筑前竹槍一揆
- 斎藤全門
- 千切屋
- 災害ユートピア
- 結城司郎次
- 友常典膳
- 小石川七人斬り事件
- 象山影視城
- 近藤柏次郎
- ケネディ・コンパウンド
- 本朝廿四孝
- 人間模様
- 若柳燕嬢
- やとな
- 岸一太
- おあん物語
- 伯刺西爾丸
- 聚芳閣
- 野村隈畔
- ジャパン号
- 若山儀一
- 西川虎之助
- 成田順
- 海外興業
- ウィンザー・ユニフォーム
- 女王ヴィクトリア 愛に生きる
- モーティマー・メンペス
- 弘知法印御伝記
- トラヴィス・ナイト
- 手杵祭
- 助六太鼓
- 菊炭
- ドン・ブラウン
- 復星国際
- 茶礼
- 九州電気軌道不正手形事件
- 置屋
- 千坂光子
- ハットフィールド・ハウス
- 囃子
- ギビング・プレッジ
- 学校法人文理佐藤学園
- 暗闇から手をのばせ
- アンガマ
- 於都里伎
- 浮かれ坊主
- 住吉踊り
- 小林米珂
- 古谷駒平
- 海外実業練習生
- 嬉遊笑覧
- 投入堂
- 黄泉比良坂
- アルゴンキン・ラウンド・テーブル
- マリリン・ヴァン・ダーバー
- ビッグ・ヒーロー・シックス
- フランシス・ホール
- 加藤清二郎
- 仕立屋銀次
- 五計
- よしの冊子
- 地神五代
- 南部貧困法律センター
- ロイヤル・パビリオン
- 大隈綾子
- 渡辺弥栄司
- 国際ビジネスコミュニケーション協会
- 小笠原敏晶
- 春日権現験記
- 臼井六郎
- 岡崎えん
- 底倉温泉
- ラ・フラ・デルス・バウス
- 小谷三志
- 森志げ
- 手かざし
- 壺坂霊験記
- フレデリック・ヴィクター・ディキンズ
- オルドス100
- 田邊新之助
- センチュリー文化財団
- ロズアン・クイン殺人事件
- マッグズ・ブラザーズ
- ジョン・セーリス
- クローブ号
- 春宮画
- 長恨歌絵巻
- 酒飯論絵巻
- 佐橋甚五郎
- 興津弥五右衛門の遺書
- 川面凡児
- 氷見神社
- 月輪寺 (山口市)
- 便利堂
- 乞胸
- 女太夫
- 鹿島清兵衛
- 岩下兄弟
- 甲賀三郎 (伝説)
- 童子教
- タイソン・コール
- フローニンゲン駅
- ルス駅
- 侍中群要
- 蝉丸 (能)
- グリフィス天文台
- ノーガハイド
- タクシーダンスホール
- チャールストン (ダンス)
- 円通橋
- 毒母
- ロマンス詐欺
- ウィリアム・ウッドウォード・ジュニア射殺事件
- 道三堀
- マント事件
- 猪牙舟
- 箱屋
- 山谷堀
- クリーブランド監禁事件
- アドリアーノ・チェレンターノ
- 木村駒子
- スティーブン・ステイナー誘拐事件
- 杉本鉞子
- 一匡村
- 鹿嶋ゑつ
- 高岡智照
- こうもり (バレエ)
- ブノワ賞
- シルヴィア・アッツォーニ
- パトリック・ド・バナ
- パントマイム(イギリス)
- パラダイスバレー
- チフス饅頭事件
- 空想部落
- メレディス・ウェザビー
- 善知鳥安方忠義伝
- 善知鳥
- 舞囃子
- 江戸三十六見附
- 金羊毛
- 九十三年
- エフ・アンスティ
- アルカメネス (彫刻家)
- モンテッソン侯爵夫人
- 青木鶴子
- 不安と魂
- 自由の代償
- 小倉ミチヨ
- 小倉清三郎
- ギニョール
- 中島歌子
- 山川浦路
- ジョン・ラファージ
- ハースト・キャッスル
- ル・ヴェジネ
- ミットフォード姉妹
- スラットウォーク
- 新宮凉庭
- バジル・ヒューム
- アレクサンドル・マルセル
- ラ・パゴッド
- エフィー・グレイ
- 建築の七灯
- ヴァルトシュピラーレ
- 極東博物館
- マルト・アノー
- マルク・デュトルー事件
- 白の行進
- ニューステッド・アビー
- 隔蓂記
- リトルロック高校事件
- ミラード邸
- リビエラ東京
- レオナ・ヘルムズリー
- ティンテスフィールド
- フリードリヒ・クラウス
- 第二次世界大戦全史
- 松平忠厚
- ジョフリー・ボーナス
年譜
[編集]項目
[編集]妹の朗子は、少女雑誌にモデルとして登場するなどしたほか[1][2]、カトリック教会制作の映画『意義ある人生』(1965年)に多忙の晴子に代わって主演した[3]。叔父(父の兄弟)に、「銀座テーラー」(1946年-)創業者の鰐渕正志[4]。
人物
[編集]家族
[編集]- ウィリスが勤務していたロンドンのミドルセックス病院で看護婦の下働きをしていたマリア・フィスクとの間にエドワードという男子をもうけ(マリアとは結婚せず)、来日前にウィリスの長兄ジョージのもとに預けた。ウィリスが医官となったのはエドワードのために十分な蓄えを残すためでもあった。
- 日本では、横浜の女性との間に子供を一人もうけ、1871年に鹿児島で江夏八重(1850-1931)と結婚し、息子アルバートもうけたが、妻子を置いて帰国し、1881年に再来日した際に8歳のアルバートを引き取った[7][8]。ヒュー・コータッツィは、西洋人女性が少なかった当時、ウィリスは寂しさからやむなく日本人女性を選ばざるを得なく、八重との結婚も英国の法律外の婚姻だろうとしているが、鮫島近二は結婚確認証があるとしている[9]。八重の父親の江夏十郎は江戸生まれの侍だが、島津久光の御側役を務め、鹿児島城下の二本松馬場に住んでいた[5]。ウィリスと八重は十郎の病気治療が縁で知り合った[5]。八重は容姿に優れ、和歌が得意で藩の才媛と謳われていた女性で、ウィリスと馬に2人乗りするなど西欧的感覚にも富んでいたらしい[5]。ウィリスは日本語がほとんどできなかったため、英語が通じる者を除き、妻以外の日本人との深い交流は限られていた[7]。
- 八重との子・アルバート(1873-1943)は、ウィリスとともに1881年に8歳で渡英したが、1885年にウィリスがシャムへ赴任したため、ロンドンHanhope通り166番地のバクスター家の養子となる[5]。ロンドンのPolytechnic(現・ウエストミンスター大学?)を卒業後、バクスター家とともにオーストラリアへ渡航[10]。イギリスへ帰国してケンブリッジ大学へ入学する予定だったが、父の死により断念し、ロンドンで書記の仕事を得、Kentish Town,Islip通り92番地にバクスター夫人とその兄とともに10年暮らしたが、煖炉も私室も与えられない辛い暮らしを強いられ、単身で再び渡豪[10][5]。1906年に来日して母と再会し、関西で平田キクと結婚して二男一女(三男二女?)をもうけ、日本名・宇利有平として日本に帰化し[8]、関西大学などで英語教師として働いた[11][12]。奈良県生駒郡富雄村字二名の自宅で死去し[5]、奈良市の白毫寺に眠る[13]。西宮市に子孫がいる[8]。河内浩志はアルバートの孫[10]。
- アルバートの3歳上にジョージという息子がおり(横浜の女性との子?)、八重とアルバートとともに暮らした[11]。
- チノという女性との間にウタロウ(ユウタロウ)という名の子がいた[5]。コータッツィによると、ウィリスには英国も含め複数の女性たちに産ませた子が何人かいたらしい[7]。
脚注
[編集]- ^ 神保町裏通り日記くだん書房、2004.11.27
- ^ 『少女』わたしのおねえさんは映画スターです / 鰐淵朗子光文社、1930年3月号、国立国会図書館
- ^ 宣教60年の歩み心のともしび運動YBU本部.
- ^ 銀座・細腕繁盛記バブルに翻弄された老舗テーラーに主婦が飛び込んだ第1回 元コンパニオンがカネなし知識なしで経営再建日経ビジネス、2014年3月27日
- ^ a b c d e f g h i 英医ウィリアム・ウィリス― 日本近代西洋医学の夜明け尾辻省悟、第24回日本消化器集団検診学会秋季大会講演要旨、1987
- ^ 新薩摩学薩摩と留学生図書出版 南方新社, 2006
- ^ a b c Dr. William Willis 1837-1894 ヒュー・コータッツィ,鹿児島大学医学雑誌, 1995
- ^ a b c 日本近代西洋医学の夜明け(英医ウィリアム・ウィリス)佐藤八郎, 鹿児島大学医学雑誌, 1995
- ^ 英医ウィリアム・ウイリスについて 鮫島近二, 鹿児島大学医学雑誌, 1995
- ^ a b c ウィリアム・ウィリスの墓と遺言書尾辻省悟, 鹿児島大学医学雑誌, 1995
- ^ a b 慈愛会・研修医・指導医研修会に思うこと-その4(最終回)-“大リーガー医”とウイリアム・ウイリス納光弘、財団法人慈愛会
- ^ 東京慈恵会の成立を探る ―それを支えた慈恵・維新の志士達―中山和彦、慈恵医大誌、2012年
- ^ 維新の医療と恩人徳永幸彦、大阪日日新聞、2009年4月17日
父の仕事(ハーバード大学特別研究員)の関係で5歳で日本を離れ、中学生時代に1年間日本へ戻った以外は[1]アメリカで育つ。父親は日本人(日新製鋼USA元社長)、母親はアメリカ人、妹は美術史研究者[2][3][4]。
脚注
[編集]- ^ 望月新一さんの数学 玉川安騎男(京大数理研)
- ^ Leah P. (Edelman) RauchPhilly.com on Mar. 6, 2005
- ^ MOCHIZUKI, Kiichi Dr. National Association of Japan-America Societies, Inc.
- ^ Mia M. MochizukiThe Institute of Fine Arts
事実婚の夫(センチメンタル・シティ・ロマンスの元事務所社長)の娘・竹内未来も漫画家[1][2]。
日本の『創造力』 : 近代・現代を開花させた四七〇人
[編集]1.御一新の光と影
機械技術—近代技術を開拓した田中久重 七宝焼—近代七宝工芸の祖梶常吉 本草学—西洋植物分類法を唱えた伊藤圭介 蚕当計—養蚕用温度計の創始者中村善右衛門 生糸貿易—共同経営を企図した甲州屋忠右衛門 西洋理化学—舶来技術の実用化に努めた川本幸民 フランス語—事始めに輝く村上英俊 漢方医学—西洋医学界も一目置いた浅田宗伯 洋風建築—日本初のホテルを建設した清水喜助 漆喰鏝絵—漆喰芸術の世界をひらいた入江長八 歌舞伎脚本—世話物で庶民を魅了した河竹黙阿弥 あんぱん—和洋折衷のパンを作った木村安兵衛 蘭医学—西洋医学の普及に尽力黒川良安 航海・測量術—咸臨丸の航海長を務めた小野友五郎 えぞ地の探検—北海道の名づけ親松浦武四郎 甲州財閥—都市産業に目をつけた若尾逸平 三井財閥—幕末の危機を救った三野村利左衛門 赤十字事業—日本赤十字社の初代社長佐野常民 造船技術—近代造船業に貢献した上田寅吉 聖書翻訳—日本人最初の牧師奥野昌綱 写真技術—職業写真家の草分け下岡蓮杖 活版印刷—活字文化の巧労者本木昌造 箱根温泉郷—近代的観光地を育てた福住正兄 造幣技術—新貨幣を鋳造した久世治作 鉱山・冶金学—初の洋式高炉をつくった大島高任 五稜郭—洋式城塞を築造した武田成章 順天堂—医療の進歩改善に尽くした佐藤尚中 アメリカ体験—日米交流の先駆けジョン万次郎 住友初代総理事—別子銅山を近代化した広瀬宰平 益子焼—益子焼の創始者大塚啓三郎 茶貿易—日本茶輸出の道を拓いた大浦慶
2.殖産興業への挑戦
京都の近代化—開化勧業を推進した山本覚馬 統計学—国勢調査の土台を作った杉亨二 人力車—日本独自の乗り物を作った和泉要助 救貧事業—福島救育所を設立した瓜生岩子 小笠原開拓—日本領有化に貢献した小花作助 金札発行—維新財政の立て役者由利公正 パリ万国博覧会—日本の文物を出品した清水卯三郎 谷地頭牧場—原野開拓に一身を挺した広沢安任 富岡製糸場—製紙業の近代化を果たした尾高惇忠 二松学舎—漢学教育に徹した三島中洲 攻玉社—日本海軍の大恩人近藤真琴 九谷焼—伝統陶器の復活者竹内吟秋 磁器碍子—有田焼で碍子を作った深川栄左衛門 電信の創設—情報の迅速化を目指した寺島宗則 缶詰製造—試作と普及に尽くした松田雅典 石油事業—過激浪士出身の実業家石坂周造 古河財閥—積極果敢な銅山王古河市兵衛 天竜川の治水—公共事業に尽力した金原明善 軍陣医学—日本最初の軍医総監松本良順 横浜開港—開化の事業家で易占家高島嘉右衛門 改暦事業—太陽暦採用を建議した塚本明毅 「横浜毎日新聞」—わが国初の日刊紙を出した井関盛艮 婦人矯風会—女性の地位向上に努力した矢嶋楫子 ジャーナリスト—“庶民派”を貫いた岸田吟香 演劇改良—演劇革新の先端をきった依田学海 洋銀相場—初志を貫いた大実業家田中平八 三菱財閥—風雲に乗じた創業者岩崎弥太郎 海軍砲術—海軍育成の功労者沢太郎左衛門 測量器—測量術の進歩に寄与した市川方静 化学工業—技術振興に尽くした宇都宮三郎 ジャカード機—西陣に革命をもたらした佐倉常七
3.流通と情報の革命
警察制度—警察行政を確立した川路利良 大阪商法会議所—関西財界のリーダー五代友厚 蒸気繰糸器械—民間の製糸場で成功した大里忠一郎 慶応義塾—日本社会を近代に導いた福沢諭吉 セメント生産—洋風建築の基盤を作った笠井順八 郵便事業—近代郵便制度を確立した前島密 財政—金融制度の基礎を固めた松方正義 気象事業—初代中央気象台長荒井郁之助 製靴業—洋靴を日本に普及させた西村勝三 同愛社—医療福祉事業の先覚者高松凌雲 「朝野新聞」—明治新聞界の盟主成島柳北 丸善—西洋文物を輸入した早矢仕有的 西洋農法—近代農業の開拓者津田仙 大津事件—司法権の独立を守った児島惟謙 川崎造船所—民間造船業の先駆者川崎正蔵 大阪財界—大阪の経済を確立した土居通夫 大倉財閥—初の対中国借款を結んだ大倉喜八郎 衛生行政—官民の衛生意識を高めた長与専斎 カメラマン—幕末の志士を写した上野彦馬 村田銃—国産軍用銃の生みの親村田経芳 安田財閥—勤倹力行の人安田善次郎 政教分離—信教の自由を主張した島地黙雷 博物館—上野公園の創設に尽力した田中芳男 早稲田大学—思想家・教育者・政治家大隈重信 大相撲—角界の近代化に貢献した高砂浦五郎 英学教育—わが国近代化の礎となった尺振八 落語—鳴物噺で人気を博した三遊亭円朝 森村組—日米貿易のパイオニア森村市左衛門 西洋料理—長崎に「自由亭」を開いた草野丈吉 シベリア横断—ロシア事情の探索者嵯峨寿安
4.進む交流と機能
漁業振興—新漁法開拓に献身した中上長平 跡見学園—首都初の私立女学校創立者跡見花蹊 第一国立銀行—近代資本主義を確立した渋沢栄一 歌舞伎座—近代歌舞伎の点灯者福地桜痴 藤田組—大阪経済を近代化させた藤田伝三郎 神戸港開港—神戸発展の父神田兵右衛門 人権思想—足尾鉱毒事件の闘士田中正造 教育行政—フランス学の発展に尽くした辻新次 和式綿紡機—ガラ紡機を発明した臥雲辰致 総合商社—最後の近江商人伊藤忠兵衛 銀行経営—公益志向型の企業人原六郎 嚶鳴社—演説・討論普及の先駆者沼間守一 産業組合—組合法制定に尽力した品川弥二郎 私立大学—同志社の創立者新島襄 水産業—近代的水産業の指導者関沢明清 鉄道建設—わが国鉄道創業期の指導者井上勝 組合製糸—産業組合の先駆萩原鐐太郎 日本生命—勤倹力行の実業人弘世助三郎 日本大学—日本法律学校の創立の功労者山田顕義 鹿島建設—建設請負の名マネージャー鹿島岩蔵 金融事業—企業再建の金融手法を開拓松本重太郎 ビール—日本のビール王馬越恭平 商業学校—横浜商法学校の創立者小野光景 村おこし—適産調を行った石川理紀之助 盲聾教育—日本初の盲聾学校創始者古河太四郎 公共図書館—生涯学習の先覚者田中不二磨 日本薬学会—科学的薬学を確立させた長井長義 保母—幼児教育の先駆者豊田芙雄 石川島造船所—造船事業の草分け平野富二 法律用語—わが国近代法学の祖箕作麟祥
5.洋風文化と意識刷新
マッチ 小さな火を大きな炎にした清水誠 リンゴ 青森を筆頭産地へと導いた菊池楯衛 漆工芸 古典蒔絵を発展させた小川松民 近代学校制度(学校令) 教育理念を具体化した森有礼 小西六 写真業界を築いた小西屋六右衛門 『言海』 編集に生涯を賭した大槻文彦 エンピツ その製造に生涯をかけた真崎仁六 セメント製造 廃物利用で事業を広げる浅野総一郎〔ほか〕
6.産業基盤づくり 産婦人科医院 産科学の発展に尽くした桜井郁二郎; ワイン醸造 葡萄酒醸造の先駆者高野正誠; 伝染病研究所 血清療法を発見した北里柴三郎; 薬学 日本薬学界の先覚者下山順一郎; ビール アサヒビールの創業者鳥井駒吉; 土木工学 土木行政の推進者古市公威; 物理学 理学博士第一号となった山川健次郎; 実践女子学園 歌人にして女子教育家下田歌子〔ほか〕
7.驀進から熟成へ
日本女子大学の創立者成瀬仁蔵 ヒメマスを育てた和井内貞行 出水の難題を解決した団琢磨 唱歌教育用として作曲した奥好義 視覚障害者の世界を広げた石川倉次 驚異的な新爆薬を生んだ下瀬雅允 国産ペンキの開発者茂木重次郎 弦楽器製造業の始祖鈴木政吉 「可否茶館」を開いた鄭永慶 日本の石油の先覚者内藤久寛 明治の立法に貢献した梅謙次郎 新商法で成功した日比翁助 東洋の時計王服部金太郎 技術革新に尽くした大川平三郎 柔道で体育振興に努めた嘉納治五郎 鉄道王とよばれた根津嘉一郎 紡績業界の巨頭和田豊治 無教会主義の開祖内村鑑三 日本の技術の独立を宣言田辺朔郎 前人未踏の地を目指した白瀬矗 世界的数学者を育てた藤沢利喜太郎 明治の美術界の指導者岡倉天心 新聞に新機軸を出した黒岩涙香 世界平和に貢献した新渡戸稲造 電波研究の創始者水野敏之丞 日本近代植物学の父牧野富太郎 軍服カーキ染の創始者稲畑勝太郎 消費者との対話を重視した長瀬富郎 日本の独立を守ろうとした志賀重昂
8.消費時代の開幕
『食道楽』の著者村井弦斎 電気を封じ込めた屋井先蔵 人工タール癌に成功した山極勝三郎 大改革を成し遂げた白仁武 企業理念を禅に求めた岩井勝次郎 明治女子教育を先駆けた巌本善治 日本演劇界の風雲児川上音二郎 わが国航空界の先覚者山田猪三郎 近代建設業の先導者大林芳五郎 時代の機運をつかんだ村井吉兵衛 端然として財閥をまとめた住友友純 女子教育に一生を捧げた津田梅子 国産自転車製造の祖宮田栄助 カリ肥料を広めた小林房次郎 本格的鉄骨構造の完成者横河民輔 新教育運動を先駆けた沢柳政太郎 精神病医療の基礎を築いた呉秀三 西洋菓子のパイオニア森永太一郎 株式近代化に尽力した郷誠之助 防災建築を目指した遠藤於莵 原子模型を提唱した長岡半太郎 川崎造船所の初代社長松方幸次郎 飛行機の原理を発見した二宮忠八 兵器に応用した木村駿吉 出版文化を主導した坂本嘉治馬 企業拡大の典型をつくった金子直吉 日本人初のチベット入国者河口慧海 広告会社の開拓者光永星郎
9.不況と震災の時代
日本毛織 毛織物業界の頂点に立つ川西清兵衛 自動織機 機械紡織の発展に尽くした豊田佐吉 山下汽船 七つの海に活躍した山下亀三郎 自然保護 隠花植物研究の先駆者南方熊楠 うま味調味料 「味の素」を誕生させた鈴木三郎助 「時事新報」 青年時の情熱を保ち続けた武藤山治 海運 世界航路を拓いた堀啓次郎 日本鋼管 民営製鉄所の育成者今泉嘉一郎 地震研究 近代地震学のリーダー大森房吉 電力開発 ユニークな財界の鬼才福沢桃介 電気炉製鋼 忘れられた発明家土橋長兵衛 横浜の開発 経済・文化の振興に寄与した原三渓 海上保険 保険業界のリーダー各務鎌吉 将棋 実力名人制を確立した関根金次郎 工作機械 国産旋盤第一号を出した池貝庄太郎 製氷業 業界の統一拡大に努めた和合英太郎 仁丹 広告の威力を証明した森下博 製糖業 食品産業「大明治」の創業者相馬半治 蓄電池 世界的鉛粉製造法の発明者島津源蔵 王子製紙 経営の危機を救った藤原銀次郎 鉱山開発 日立鉱山を築いた久原房之助 緯度観測 極運動の未知量Z項の発見者木村栄 汽船トロール業 水産業界に貢献した倉場富三郎 音楽教育 音楽家の草分けとなった幸田延 パン製造 新宿中村屋の創業者相馬愛蔵 KS磁石鋼 強力磁石鋼の発明者本多光太郎 赤痢菌 細菌学の発展に寄与した志賀潔 クボタ 工業報国に徹した久保田権四郎 武田薬品工業 武田薬品の基礎を築いた武田和敬 日本的霊性 仏教文化を世界に紹介した鈴木大拙 文芸協会と芸術座 新劇発展の基礎を築いた島村抱月 東京女子医科大学 女医育成の先覚者吉岡弥生 映画事業 「日活」を育てた横田永之助 新聞の近代化 リベラルで辛辣な新聞人杉村楚人冠
10.大都市と農村の明暗
タクマ式ボイラ 国産ボイラの開発者田熊常吉 ライオン歯磨 社業発展の基礎を築いた小林富次郎 浪花節 浪曲界中興の祖桃中軒雲右衛門 サルバルサン 梅毒療法剤の発見者秦佐八郎 都市政策 大阪の都市計画の推進者関一 新興化学工業 旭化成の基礎を築いた野口遵 自由学園 生活中心の教育を行った羽仁もと子 宝塚歌劇 不出世のアイデアマン小林一三 オリザニン ビタミン学を創始した鈴木梅太郎 日立製作所 技術立国をめざした小平浪平 ヤマサ醤油 醤油業の興隆に尽した浜口儀兵衛 気象学 気象業務の育ての親岡田武松 キリンビール 王座に位置づけた磯野長蔵 囲碁 日本棋院創立に尽力した本因坊秀哉 東京芝浦電気 東芝の基礎を築いた山口喜三郎 高級磁器 ディナーセットを開発した大倉和親 神戸製鋼所 至誠を旨とした実業家田宮嘉右衛門 住友コンツェルン 理想的財界人の範を示した小倉正恒 日本民俗学 「学問救世」をめざした柳田国男 民営九電力体制 電力業界のリーダー松永安左エ門 豊年製油 製油業の発展に尽力した杉山金太郎 数学理論 類体論を創造した高木貞治 細菌学 黄熱病研究に尽くした野口英世 沖縄学 地域文化の復権に尽くした伊波普猷 西域学 大谷探検隊を組織派遺した大谷光瑞 電気通信技術 電信電話を近代化させた稲田三之助 諷刺漫画 「東京バック」の創刊者北沢楽天 国語学 「広辞苑」を編纂した新村出 竹中工務店 作品第一主義を貫いた竹中藤右衛門 松竹 演劇興行を実業化した大谷竹次郎 クリーニング業 白洋舎を創立した五十嵐健治 劇映画 日本映画創造の父牧野省三 ガス事業 パイオニアとして献身した岡本桜
11.非常時国家への傾斜
X線結晶学—日本文化の心で科学した寺田寅彦 講談社—雑誌王国を築いた野間清治 軍艦設計—大艦巨砲の極致を追求した平賀譲 野村証券—金融財閥を形成した野村徳七 新潮社—投書家から出版人となった佐藤義亮 理研コンツェルン—発明の工業化を実現した大河内正敏 計算尺—ヘンミ計算尺を発明した逸見治郎 乳酸飲料—カルピスを発明した三島海雲 凸版印刷—印刷文化を刷新した井上源之丞 ゴム工業—国産ゴム工業を躍進させた榎並充造 後楽園スタヂアム—プロ野球の隆盛を願った田辺七六 ヤナセ—輸入自動車販売の開拓者梁瀬長太郎 サントリー—日本の洋酒王鳥井信治郎 鋳造工学—鋳物技術の権威石川登喜治 日魯漁業—北洋漁業のパイオニア堤清六 倉敷紡績—人格主義を標榜した大原孫三郎 日産コンツェルン—「夢」を追い求めた企業家鮎川義介 段ボール—梱包に革命をもたらした井上貞治郎 地下鉄—わが国初の路線を開いた早川徳次 岩波書店—文化の配達夫を任じた岩波茂雄 信越化学工業—新興化学産業を起こした小坂順造 ダイハツ工業—小型自動車開発に尽くした竹崎瑞夫 都市計画—制度化の推進力となった池田宏 広告文案—最初のコピーライター片岡敏郎 「赤い鳥」—童話を文芸に高めた鈴木三重吉 東京急行電鉄—東急グループの創設者五島慶太 伊勢丹—新機軸の販売を展開した小菅丹治 アイヌ文学—アイヌ語研究の創始者金田一京助 荻野学説—女性の排卵時期を究明した荻野久作 江崎グリコ—栄養菓子グリコの生みの親江崎利一 無線電話—通信技術の開発に貢献した鳥潟右一 畜産学—わが国酪農発展に寄与した井口賢三 馬術—近代馬術の振興に尽くした遊佐幸平 産業工芸—工芸立国を目指した国井喜太郎 『大漢和辞典』—漢学界の第一人者諸橋轍次
12.戦地と銃後の時代
日本料理—美食の求道者北大路魯山人 キユーピーマヨネーズ—誠実一筋で勝ち残った中島董一郎 中島飛行機製作所—航空産業の嚆矢となった中島知久平 ジェトロ—戦後の大阪財界をリードした杉道助 オペラ歌手—国際的プリマドンナ三浦環 健康法—「西医学健康法」を創始した西勝造 美津濃—スポーツ用品産業の草分け水野利八 昭和電工—新興コンツェルンを築いた森矗昶 雪印乳業—酪農王国の礎を築いた黒沢酉蔵 読売新聞—プロ野球育成の新聞人正力松太郎 出光興産—人間尊重の経営を貫徹した出光佐三 経団連—戦後の経済再建を指揮した石川一郎 電気通信工学—八木アンテナを発明した八木秀次 「青鞜」—女性解放運動の旗手平塚らいてう 石油精製業—丸善石油を創業した松村善蔵 河合楽器—国産ピアノ第一号を作った河合小市 自由主義経済—高度成長期をリードした石坂泰三 交響楽団—近代音楽を普及させた山田耕作 ストーリー漫画—漫画テーマの幅を広げた岡本一平 大和紡績—正義と清廉の人加藤正人 村田式簿記—実業教育の振興に貢献した村田謙造 日本曹達—日曹コンツェルンの創設者中野友礼 玉川学園—「全人教育」を信条とした小原国芳 帝国ホテル—世界に知られたホテルマン犬丸徹三 写真植字機—原字製作に心血を注いだ石井茂吉 ヤンマーディーゼル—エンジン王国を築いた山岡孫吉 トヨタ・グループ—トヨタ中興の祖となった石田退三 ブリヂストン—独創力が生んだタイヤ王石橋正二郎 日本科学技術振興財団—国産技術の向上に尽くした倉田主税 西武グループ—多角経営の手法を確立した堤康次郎 民芸運動—「民芸の美」を追求した柳宗悦 アラビア石油—海外油田開発の先駆者山下太郎 吉本興業—興行界を席巻した女傑吉本せい 東洋レーヨン—化学繊維の開発に尽くした田代茂樹 量子力学—わが国原子物理学の開拓者仁科芳雄
13.瓦礫からの再出発
ドレメ式洋裁—女性の衣服改革を先導した杉野芳子 MK磁石—強力磁石を発明した三島徳七 写真電送—NE式で世界を凌駕した丹羽保次郎 川崎製鉄—鉄一筋に生き抜いた西山弥太郎 都市計画学会—都市づくりに情熱をかけた石川栄耀 三菱商事—解体商社を再興した高垣勝次郎 シャープ—有徳の発明実業家早川徳次 関西電力—黒四ダムを完成した太田垣士郎 新建築運動—芸術的建築をめざした石本喜久治 トヨタ自動車工業—自動車王国の礎を築いた豊田喜一郎 ニッカウヰスキー—国産ウイスキーの製造者竹鶴政孝 文化服装学院—服装教育の創始者遠藤政次郎 松下電器—創造的生涯を歩んだ松下幸之助 魔法瓶—タイガー魔法瓶の創業者菊池武範 パーマネント—現代美容を普及させた山野千枝子 日立造船—船舶輸出の推進者松原与三松 民間航空事業—羽田空港開設の道をつけた相羽有 ポイント活字—三省堂活字の大成者今井直一 大洋漁業—水産業界の雄となった中部謙吉 オリオンビール—沖縄ビール産業を興した具志堅宗精 石川島播磨重工業—現場を知り尽くした統率者土光敏夫 ボーイスカウト—日本初の少年団を結成した三島通陽 九州電力—アーチ式ダムを建設した佐藤篤二郎 陶芸—古陶を現代に蘇らせた加藤唐九郎 トヨタ自動車販売—販売の神様と謳われた神谷正太郎 中部電力—原子力自主開発の開拓者井上五郎 テレビジョン—電子式テレビを開発した高柳健次郎 いすゞ自動車—自動車産業の基礎を築いた三宮吾郎 山之内製薬—医薬品の国産体制を築いた山内健二 東京電力—経済の近代化を進めた木川田一隆 低温科学—雪氷の研究開拓者中谷宇吉郎 切手趣味—切手収集と研究の先駆者三井高陽 大型企業合併—新日本製鉄を誕生させた永野重雄 社会評論—反権力を貫き通した大宅壮一 近代建築—国際的建築家坂倉準三
14.復興と繁栄への軌跡
カッパ・ブックス—ベストセラーづくりの名人神吉晴夫 キヤノン—医師から経営者に転身した御手洗毅 特殊技術撮影—特撮映画の声価を高めた円谷英二 サンダース・ホーム—混血孤児の母沢田美喜 衣服産業—オンワード樫山の創業者樫山純三 日本発条—バネの「ニッパツ」を築いた坂本寿 原子核物理学—原子核実験研究に貢献した菊池正士 女性代議士—国会への先陣を切った最上英子 三洋電機—生活文化の革新を担った井植歳男 南極観測—第一次越冬隊長となった西堀栄三郎 色彩分析—音と色の質を向上させた田口〓三郎 日本航空—民間航空の育ての親松尾静磨 近畿日本鉄道—中興の祖といわれた佐伯勇 ヱスビー食品—国産カレー粉の先駆者山崎峯次郎 文化人類学—新学問分野に貢献した石田英一郎 博報堂—近代的広告業を確立した瀬木博信 広告産業—電通の拡大発展に貢献した吉田秀雄 高分子化学—ビニロンを独創開発した桜田一郎 新日本製鉄—鉄鋼業界をリードした稲山嘉寛 ブラーザーミシン—ミシンの国産化に成功した安井正義 歌謡曲—大衆の心を酔わせた作曲家古賀政男 大日本印刷—印刷事業の可能性を広げた北島織衛 量子電気力学—ノーベル賞に輝いた朝永振一郎 本田技研工業—「世界のホンダ」を創った本田宗一郎 中間子理論—日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹 実験物理学—加速器建設の第一人者熊谷寛夫 女性法曹—日本初の女性弁護士となった久米愛 抗生物質—カナマイシンを発見した梅沢浜夫 工業デザイナー—工業デザインのパイオニア小杉二郎 角川書店—俳句興隆に尽くした出版人角川源義 カシオ計算機—「創造貢献」を貫いた樫尾忠雄 現代能—明日の能を求め続けた観世寿夫 長編漫画—戦後日本の国民的漫画手塚治虫 ミネベア—町工場から大企業に育てた高橋高見 フランス料理—実践的異文化研究の担い手辻静雄
15.貢献した外国人たち
北海道開拓 開拓の基本構想を提示したケプロン 『和英語林集成』 初の和英辞典を編纂したヘボン 法学教育 民法の草案を作ったボワソナード 電信事業 電信網を拡大させたギルバート 札幌農学校 キリスト教主義の教育者クラーク 医学教育 近代日本医学の父ポンペ 近代窯業 陶磁器業振興に貢献したワグネル 紙幣の図案・印刷 銅版技術をもたらしたキヨソネ 地質調査 炭田・油田開発に寄与したライマン 土木工学 安積疏水を造ったファン・ドールン 横須賀製鉄所 造船技術の導入者ヴェルニー 大森貝塚 日本先史時代への扉を開いたモース 器械製糸工場 富岡製糸場首長になったブリューナ 鉄道事業 日本の鉄道建設に尽くしたモレル 灯台建設 西欧技術の伝達に努めたブラントン 師範教育 開発教授法を指導したスコット 銀行経営 金融制度の改良を指導したシャンド 土性調査事業 農業の近代化を訴えたフェスカ 軽井沢のリゾート開発 別荘第一号をつくった宣教師ショー 地方自治制度 市・町村制などを起草したモッセ 北海道酪農 畜産・農業の基礎を固めたダン 工業技術教育 日本の工業教育生みの親ダイアー 風土病・温泉の研究 温泉浴の治療効果を解明したベルツ 地震の研究 日本地震学会を創設したミルン 欧風建築 鹿鳴館の設計者となったコンダー 日本美術 発掘と復興に尽くしたフェノロサ アイヌの研究 アイヌ語辞典を刊行したバチェラー フォッサ・マグナ 日本地質学の道を拓いたナウマン 日本アルプスの開拓 近代登山の紹介者ウェストン 航空機の研究 初飛行を成し遂げたル・プリウール
- ^ 家族のこと時を食べる竹内正美のブログ、2012年8月30日
- ^ 僕らは誇れる文化を繋げるか時を食べる竹内正美のブログ、2013年6月18日