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劔持節雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
劔持 節雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県倉敷市[1]
生年月日 (1953-05-16) 1953年5月16日(71歳)
身長
体重
175 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1971年 ドラフト2位
初出場 1976年6月4日
最終出場 1985年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

劔持 節雄(けんもつ たかお、1953年5月16日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手内野手外野手)。1980年途中から1985年までの登録名は「劔持 貴寛」(けんもつ たかひろ)。

来歴・人物

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岡山日大高(現・倉敷高)では遊撃手、控え投手として1年秋の県大会決勝で完投勝利したが中国地区大会では広陵高に初戦コールド負け。1970年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進出するが、岡義朗守岡茂樹のいた岡山東商に敗退[2]。翌年も県大会で敗れ甲子園には届かなかった。

1971年ドラフト2位で広島入団[1]

1974年より外野手に転向するが、二軍暮らしが長かった。

1977年ウエスタン・リーグで首位打者を獲得[1]

1978年11月望月卓也平田英之と共に金田留広渡辺秀武との3対2の交換でロッテに移籍[1]

1982年には芦岡俊明右翼手の定位置を争う。同年は規定打席未満ながら、チャンスメーカーとして打率.264の好成績を記録した。

1984年には有藤道世の外野手転向、高沢秀昭の台頭により出場機会が激減。同年11月、田野倉利長との交換で中日に移籍。

1985年限りで現役引退[1]。現在は地元岡山にて少年野球指導などを行っている。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1976 広島 8 4 3 2 1 0 1 0 3 1 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .333 .500 1.000 1.500
1978 4 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1979 ロッテ 32 26 22 1 4 0 0 0 4 0 2 2 1 0 3 0 0 3 0 .182 .280 .182 .462
1980 40 35 32 7 9 1 0 0 10 2 1 0 1 1 1 0 0 9 0 .281 .303 .313 .616
1981 63 53 50 14 15 2 0 1 20 4 3 1 0 0 3 0 0 5 1 .300 .340 .400 .740
1982 105 330 280 54 74 14 2 1 95 11 10 3 20 1 26 0 1 48 2 .264 .329 .339 .668
1983 71 270 226 25 53 4 1 4 71 18 10 3 14 1 28 0 1 39 4 .235 .322 .314 .636
1984 68 52 46 9 10 3 0 0 13 5 3 1 1 0 5 0 0 13 1 .217 .294 .283 .577
1985 中日 71 59 48 10 7 1 0 0 8 3 8 2 3 0 8 0 0 12 2 .146 .268 .167 .435
通算:9年 462 831 709 123 173 25 4 6 224 44 37 12 40 3 75 0 2 131 10 .244 .317 .316 .633

記録

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背番号

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  • 44 (1972年 - 1978年)
  • 34 (1979年 - 1984年)
  • 12 (1985年)

登録名

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  • 劔持 節雄 (けんもつ たかお、1972年 - 1980年7月17日)
  • 劔持 貴寛 (けんもつ たかひろ、1980年7月18日 - 1985年)

脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、211ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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