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鵜沢達雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鵜沢 達雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県東金市
生年月日 (1952-07-13) 1952年7月13日(72歳)
身長
体重
175 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1970年 ドラフト4位
初出場 1972年4月11日
最終出場 1979年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鵜沢 達雄(うざわ たつお、1952年7月13日 - )は、千葉県東金市[1]出身の元プロ野球選手投手)である。大洋ホエールズ・横浜大洋ホエールズ西武ライオンズに所属した。

来歴・人物

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成東高では2年生からエースとして活躍。1969年には夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、千葉商に敗退。1970年夏は市原高戦でノーヒットノーランを達成[1]、東関東大会決勝まで勝ち進むが、渡辺進遊撃手のいた銚子商に1-2xで9回サヨナラ負け、甲子園には出場できなかった[1]

同年ドラフト4位で大洋に入団[1]。速球派右腕と期待され、2年目の1972年に5勝をあげるが、その後は伸び悩む。1978年オフに基満男との交換トレードで、根本隆と共に西武に移籍した[1]。しかしここでは登板機会にあまり恵まれず、1980年限りで現役引退[1]。引退後は神奈川県川崎市幸区にて会社員となる。

入団当時はエース平松政次と変わらないほど威力のあるストレートを持ち、変化球としては落差の大きなカーブ、シュートを投げた。持ち味の速球のリリース・ポイントがバラバラで、そのため制球が安定せず伸び悩む原因となった。球種が少ないのも致命的だった。

1976年7月23日読売ジャイアンツ王貞治に通算700号本塁打を打たれた投手である[2]。なお、この時の生中継のVTRは現在もテレビ朝日(生中継当時はNETテレビ)に映像記録として残っている。元中日ドラゴンズ鈴木孝政は高校の2年後輩。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1972 大洋 32 5 0 0 0 5 4 -- -- .556 262 58.0 46 5 50 0 1 47 2 0 33 27 4.19 1.66
1973 2 0 0 0 0 0 1 -- -- .000 18 3.0 4 1 5 2 0 0 0 0 5 5 15.00 3.00
1974 11 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 90 19.1 14 2 19 0 1 19 0 0 9 8 3.79 1.71
1975 12 1 0 0 0 0 1 1 -- .000 131 30.0 31 5 15 0 1 25 0 0 15 15 4.50 1.53
1976 13 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 75 16.1 10 1 17 0 1 12 1 0 11 9 5.06 1.65
1977 12 4 0 0 0 1 2 0 -- .333 106 25.1 22 4 13 0 1 13 0 0 14 14 5.04 1.38
1979 西武 2 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 15 2.2 5 1 2 0 0 3 0 0 5 2 6.00 2.63
通算:7年 84 13 0 0 0 7 11 1 -- .389 697 154.2 132 19 121 2 5 119 3 0 92 80 4.65 1.64

記録

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  • 初登板:1972年4月11日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、6回裏に3番手で救援登板、2回1失点
  • 初奪三振:同上、6回裏に水谷実雄から
  • 初勝利:1972年4月13日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、5回裏に3番手で救援登板、4回1失点
  • 初先発:1972年4月25日、対読売ジャイアンツ4回戦(川崎球場)、1/3回2失点で敗戦投手
  • 初先発勝利:1972年5月5日、対広島東洋カープ4回戦(川崎球場)、6回無失点
  • 初セーブ:1975年9月14日、対阪神タイガース25回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点

背番号

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  • 59 (1971年 - 1972年途中)
  • 18 (1972年途中 - 1978年)
  • 20 (1979年 - 1980年)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、81ページ
  2. ^ 王に756号を打たれた投手は?

外部リンク

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