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望月卓也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
望月 卓也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県豊田郡東野町(現:同郡大崎上島町
生年月日 (1956-05-08) 1956年5月8日(68歳)
身長
体重
182 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト2位
初出場 1977年4月2日
最終出場 1983年7月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

望月 卓也(もちづき たくや、1956年5月8日 - )は、広島県豊田郡東野町(現:同郡大崎上島町)出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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竹原高校では3年時の1974年夏の広島県大会で、エースとしてチームを決勝まで導く活躍を見せた。川島日出雄(太平洋)のいた盈進高校との決勝戦では奮投したが、7回裏に勝ち越し点を許して1対3で惜敗し、高校3年間で甲子園に出場することはなかった。

1974年のドラフト会議広島東洋カープから2位指名され、入団。同期には高橋慶彦がいた。大石清投手コーチのアドバイスで、当時の巨人のエース・小林繁のフォームを参考にして右足と左足が交差する瞬間に投球モーションを停止させることで相手打者のタイミングを外しにかかり、しなやかな上体と長いリーチをフルに生かした変則フォームへ改造すると、サイドスローからくり出す速球カーブスライダーシュートシンカーを武器に、主にリリーフとして活躍した。

1978年オフ、金田留広渡辺秀武との交換トレードで、平田英之劔持節雄とともにロッテオリオンズへ移籍。オリオンズでもカープ時代と同様、リリーフとして起用された。1983年オフに現役引退。

引退後は運輸会社に勤め、2019年に退職するまで管理職を務めた[1]

1979年5月12日、オリオンズは後楽園球場での日本ハムファイターズとの試合で「1試合7与死球」という不名誉なプロ野球記録を樹ち立ててしまったが、望月はこの試合で3番手投手としてマウンドに上がり、1イニングで3連続死球を記録した[2]。これは日本プロ野球タイ記録であり、3連続死球に限定すると望月の後には2014年田島慎二中日)が記録するまで35年間記録されなかった[2]

エピソード

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ロッテ時代のチームメイトだった愛甲猛は、試合中に初めて望月の真横の席に座った際に「おい愛甲、両掌をくっつけたあと開いてみ」と望月に言われ、「この人、いきなり何言ってるんだ?」と疑問に思いながらもその通りにしたら、両掌に望月が噛んでいたガムを吐き捨てられたと、高橋のYouTubeチャンネルにゲスト出演した愛甲が語っている[3]

また広島時代の高橋は、「俺と同い年のアイツ(望月)と土居(正史)はそういうイタズラをしょっちゅうやってたし、俺とはまた違ったヤンチャさがあったね。ここ(YouTubeチャンネル)では話せないヤバいエピソードもたくさんある」と語っている[4]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1977 広島 32 4 0 0 0 2 6 0 -- .250 266 64.0 59 7 22 0 1 23 3 0 35 28 3.94 1.27
1978 14 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 55 10.1 18 2 5 0 1 4 0 0 10 10 9.00 2.23
1979 ロッテ 27 2 0 0 0 1 1 1 -- .500 254 56.2 68 10 15 0 9 19 0 1 36 36 5.68 1.46
1980 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 34 6.0 10 1 3 0 3 1 0 0 9 9 13.50 2.17
1981 22 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 258 61.2 63 6 19 0 3 21 2 0 33 26 3.77 1.33
1982 7 2 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 117 27.0 27 2 12 0 5 4 0 0 13 7 2.33 1.44
1983 8 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 63 10.1 26 2 8 0 1 2 0 0 17 17 14.81 3.29
通算:7年 113 12 0 0 0 6 10 1 -- .375 1047 236.0 271 30 84 0 23 74 5 1 153 133 5.07 1.50

記録

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  • 1イニング3与死球:1979年5月12日、対日本ハムファイターズ戦の初回、NPB記録、史上2人目 [2]
  • 3打者連続与死球:同上、NPB記録、史上初[5]

背番号

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  • 39 (1975年 - 1978年)
  • 16 (1979年 - 1983年)

脚注

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関連項目

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