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加戸病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加戸病院
情報
正式名称 特定医療法人弘友会 加戸病院
英語名称 Kato Hospital
前身 加戸外科病院
標榜診療科 内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、外科、消化器外科、 肛門外科、整形外科、脳神経外科、リハビリテーション科
許可病床数 92床
一般病床:52床
療養病床:40床
開設者 特定医療法人弘友会
管理者 加戸 秀一 (院長)
開設年月日 1972年(昭和47年)9月
所在地
791-3301 
愛媛県喜多郡内子町内子771番地
位置 北緯33度32分46.32秒 東経132度38分48.58秒 / 北緯33.5462000度 東経132.6468278度 / 33.5462000; 132.6468278 (加戸病院)座標: 北緯33度32分46.32秒 東経132度38分48.58秒 / 北緯33.5462000度 東経132.6468278度 / 33.5462000; 132.6468278 (加戸病院)
二次医療圏 八幡浜・大洲
PJ 医療機関
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加戸病院(かとびょういん)は、愛媛県喜多郡内子町にある医療機関特定医療法人弘友会が運営している。

概要

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愛媛県大洲市若宮で加戸弘二が加戸外科病院として開院した。1976年医療法人弘友会を設立し、加戸病院となった。

2011年に内子町の誘致を受けて、内子町に移転した。内子町では2008年5月に内山病院が廃止され、2009年6月に済生会小田病院が診療所化されて以来、医療法上の病院がない状態が続いていた[1]。町では町民から1万4千人超の署名を集めるなど病院誘致は悲願となっていた。

病院の初代院長の加戸弘二は、加戸守行愛媛県知事の兄である[2]

沿革

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(この節の出典[3]

  • 1972年9月 - 大洲市若宮に加戸外科病院(病床数:30床)を開設。
  • 1976年4月 - 医療法人弘友会を設立し、医療法人弘友会加戸病院に組織変更。
  • 1978年2月 - 病床数を50床に増床。
  • 1984年6月 - 新館(北棟)を増築し、病床数を98床に増床。
  • 1997年
    • 8月 - 大洲市東大洲に老人保健施設フレンドを開設。
    • 9月 - 老人保健施設フレンド内に大洲市在宅介護支援センターフレンド、訪問介護ステーションフレンドを開設。
  • 1999年
    • 10月 - 老人保健施設フレンド内に指定居宅介護支援事業所在宅介護支援センターフレンドを開設。
    • 12月 - 北棟4階と西棟を増改築。
  • 2000年
    • 1月 - 第2病棟を療養型病床群に変更。
    • 4月 - 介護保険制度導入に伴い、第2病棟の一部を介護保険適用病床に変更。
  • 2011年11月 - 加戸病院(病床数:88床)が喜多郡内子町に移転開設される。電子カルテオーダリングシステム導入。
  • 2012年1月 - 旧加戸病院の解体工事完了。
  • 2015年7月 - 病床数を92床に増床。
  • 2017年4月 - 特定医療法人弘友会に組織変更。
  • 2018年5月 - 病床数内訳変更(一般病棟52床、療養病棟40床 計92床)

診療科目

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(この節の出典[4]

医療機関の指定・認定

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(下表の出典[5]

保険医療機関 結核指定医療機関
労災保険指定医療機関 原子爆弾被害者一般疾病医療取扱医療機関
生活保護法指定医療機関

アクセス

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関連項目

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  • 加戸守行 - 元愛媛県知事。当院初代院長加戸弘二の弟。

脚注

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  1. ^ 内子町(2011年)『広報うちこ』、2011年12月1日号、12頁。
  2. ^ 加戸弘二氏(医療法人弘友会会長、加戸守行前知事の兄) - 愛媛新聞(2017年2月20日)、2019年6月9日閲覧。
  3. ^ 沿革”. 加戸病院. 2020年12月27日閲覧。
  4. ^ 病院概要”. 加戸病院. 2020年12月27日閲覧。
  5. ^ えひめ医療情報ネット”. 愛媛県. 2020年12月27日閲覧。
  6. ^ 〔初期及び二次救急医療体制〕 平成30年1月1日現在”. 愛媛県. 2020年12月27日閲覧。
  7. ^ 交通アクセス”. 加戸病院. 2020年12月27日閲覧。

外部リンク

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