加藤国洋
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加藤 国洋 かとう くにひろ | |
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山形県尾花沢市「ふるさと名物応援宣言」資料内にて公開された肖像 | |
生年月日 | 1946年12月17日 |
出生地 | 山形県尾花沢市 |
没年月日 | 2024年6月2日(77歳没) |
死没地 | 山形県山形市 |
出身校 | 日本大学法学部法律学科 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 旭日小綬章 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2010年8月12日 - 2018年8月11日 |
山形県議会議員 | |
選挙区 | 尾花沢市・北村山郡選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1999年4月30日 - 2010年 |
在任期間 | 1991年7月 - 不明 |
加藤 国洋(加藤 國洋[1]、かとう くにひろ、1946年(昭和21年)12月17日[2] - 2024年 (令和6年) 6月2日)は、日本の政治家。元山形県尾花沢市長(2期)、元山形県議会議員(3期)、元尾花沢市議会議員。
来歴
[編集]山形県尾花沢市出身。日本大学法学部法律学科卒業[3]。1970年(昭和45年)4月、殖産相互銀行(現・きらやか銀行)に就職。1988年(昭和63年)9月、同行を退社。1989年(平成元年)4月、株式会社佐藤商会取締役に就任[4]。
1991年(平成3年)7月、尾花沢市議会議員に就任。何期市議を務めたかは不明。
1999年(平成11年)4月の山形県議会議員選挙に初当選。計3期、県議を務めた。県議時代は自由民主党に所属した[5]。
2010年(平成22年)7月25日に行われた尾花沢市長選挙に出馬し、前市議の菅原信博を破り初当選した(加藤:6,946票、菅原:6,087票)。8月12日、市長就任[6]。2014年(平成26年)、再選。
2018年(平成30年)3月7日、健康上の理由により次期市長選(同年7月8日告示、15日投開票)に立候補せず、引退することを表明した[7]。当該市長選においては元市議の菅根光雄を支援した[8]。
2023年(令和5年)4月29日、春の叙勲において旭日小綬章を受章した[9][1]。
2024年(令和6年)6月2日、肺がんのため山形市内の病院で死去。77歳没
脚注
[編集]- ^ a b “令和5年春の叙勲勲章受章者名簿”. 総務省. p. 28. 2023年5月1日閲覧。
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、51頁。
- ^ 県会議員紹介 加藤 国洋
- ^ 市長プロフィール - 尾花沢市
- ^ 山形県議選 : 開票結果 : 統一地方選2007 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ 市町村一覧(村山地域)—山形県ホームページ
- ^ “加藤・尾花沢市長 今期で引退へ 体調不良理由に /山形”. 毎日新聞. (2018年3月8日) 2018年4月24日閲覧。
- ^ “尾花沢市長選 候補者の横顔 /山形”. 毎日新聞. (2018年7月13日) 2018年7月16日閲覧。
- ^ 令和5年春の叙勲受章者名簿 小綬章以下 秋田県 - 内閣府 (PDF)