勝湖郡
表示
(勝湖区域から転送)
座標: 北緯39度01分48秒 東経126度00分00秒 / 北緯39.02987度 東経126.00001度
位置 | |
---|---|
各種表記 | |
チョソングル: | 승호군 |
漢字: | 勝湖郡 |
日本語読み仮名: | しょうこぐん |
片仮名転写: | スンホ=グン |
ローマ字転写 (MR): | Sŭngho-gun |
統計(2008年) | |
総人口: | 85,624 人 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 黄海北道 |
下位行政区画: | 8洞6里 |
勝湖郡(スンホぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属する郡。2010年に平壌直轄市から黄海北道に移管された。
地理
[編集]黄海北道の北東部にある。北側は大同江を隔てて平壌市三石区域と、東は平壌市江東郡と、南側は南江を隔てて平壌市寺洞区域・黄海北道祥原郡と接する。
行政区域
[編集]8洞・6里を管轄する。
- 南江洞(ナンガンドン)
- トッコル洞(トッコルトン)
- 立石洞(リプソクトン)
- 勝湖一洞(スンホイルトン)
- 勝湖二洞(スンホイドン)
- アプセ洞(アプセドン)
- 貨泉一洞(ファチョニルトン)
- 貨泉二洞(ファチョニドン)
- 広井里(クァンジョンニ)
- 金玉里(クモンニ)
- 梨川里(リチョンニ)
- 晩達里(マンダルリ)
- 鳳島里(ポンドリ)
- 三青里(サムチョンニ)
歴史
[編集]この節の出典[1]
- 1959年9月 - 平安南道勝湖郡勝湖邑・梨川里・槐陰里・梨峴里・五柳里・大園里・金灘里・鳳島里・立石里、中和郡楸塘里・堂井里・大峴里・石井里をもって、平壌直轄市勝湖区域を設置。(1洞12里)
- 勝湖邑が勝湖洞に昇格。
- 1960年10月 (1洞10里)
- 1963年 - 勝湖洞が分割され、勝湖一洞・勝湖二洞・晩達里が発足。(2洞11里)
- 1965年 - 大園里・五柳里・梨峴里が寺洞区域に編入。(2洞8里)
- 1967年 (5洞7里)
- 貨泉里が貨泉洞に昇格。
- 勝湖一洞の一部が分立し、アプセ洞が発足。
- 三青里の一部が分立し、トッコル洞が発足。
- 1972年 (7洞6里)
- 立石里の一部が分立し、南江洞が発足。
- 立石里の残部・鳳島里の一部が合併し、立石洞が発足。
- 1985年 - 槐陰里が広井里に改称。(7洞6里)
- 1995年 - 貨泉洞が分割され、貨泉一洞・貨泉二洞が発足。(8洞6里)
- 2010年末 - 平壌直轄市の市域再編に伴い、黄海北道勝湖郡となる。(8洞6里)
勝湖郡
[編集]- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道江東郡勝湖面・青龍面・柴足面および三登面・元灘面の各一部地域をもって、勝湖郡を設置。勝湖郡に以下の邑・里が成立。(1邑18里)
- 勝湖邑・梨川里・槐陰里・貨泉里・金玉里・梨峴里・五柳里・大園里・金灘里・高飛里・鳳島里・三青里・円興里・元新里・聖文里・大泉里・魯山里・三石里・湖南里
- 1954年 - 槐陰里の一部が分立し、立石里が発足。(1邑19里)
- 1958年 - 金玉里の一部が江東郡松街里に編入。(1邑19里)
- 1959年9月 - 勝湖郡廃止。