勝田町
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かつたちょう 勝田町 | |||
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廃止日 | 2005年3月31日 | ||
廃止理由 |
新設合併 勝田町、美作町、大原町、作東町、英田町、東粟倉村 → 美作市 | ||
現在の自治体 | 美作市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 中国地方(山陽地方) | ||
都道府県 | 岡山県 | ||
郡 | 勝田郡 | ||
市町村コード | 33621-1 | ||
面積 | 87.29 km2 | ||
総人口 |
3,590人 (2004年10月1日) | ||
隣接自治体 | 美作町、作東町、大原町、西粟倉村、勝央町、奈義町、鳥取県若桜町 | ||
町の木 | スギ | ||
町の花 | ユリ | ||
勝田町役場 | |||
所在地 |
〒707-0113 岡山県勝田郡勝田町真加部1616 | ||
外部リンク |
勝田町(旧)(Internet Archive) 勝田町(新)(Internet Archive) | ||
座標 | 北緯35度04分24秒 東経134度11分28秒 / 北緯35.07339度 東経134.19111度座標: 北緯35度04分24秒 東経134度11分28秒 / 北緯35.07339度 東経134.19111度 | ||
ウィキプロジェクト |
勝田町(かつたちょう)は、かつて岡山県の北東部に位置し、鳥取県と県境を接していた町。勝田郡に属した。合併により美作市となり、旧町役場は美作市役所勝田総合支所となっている。
概要
[編集]中国山地に位置し、町域の大半は山林で占められている。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行に伴い勝北郡大町村、小畑村、久賀村、河内村、真加部村、矢田村、余野村が合併、勝田村が発足。
- 1890年(明治33年)4月1日 - 勝北郡が勝南郡と合併して勝田郡となる。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 町制を施行し勝田町となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 勝田郡吉野村大字豊久田の内、杉原地区を編入。吉野村の残部は他町村と合併して勝央町を新設。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 英田郡粟広村大字長谷内・馬形・宗掛を編入。粟広村の残部は英田郡美作町へ編入。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 梶並村と合併し新・勝田町となる。
- 2005年(平成17年)3月31日 - 英田郡美作町・作東町・英田町・大原町・東粟倉村との合併(新設合併)により美作市となる。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば勝田村の篤農家は、「森安太郎、梶並庄太郎」などである[1]。
行政
[編集]- 勝田町役場(現・美作市役所勝田総合支所)
- 梶並支所(現・美作市役所勝田総合支所梶並出張所)
教育
[編集]- 勝田町立勝田小学校
- 勝田町立勝田東小学校
- 勝田町立梶並小学校
- 勝田町立勝田中学校
現在は各校とも美作市立。
交通
[編集]- 町内を走る鉄道、高速道路はない。
- 町内を走る一般国道 : 国道429号
- 町内を走る県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- トム・ソーヤー冒険村 - 自然体験施設[2]。
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 中井連(旧姓・大町、内外科医師、中井病院長、摩耶山社長)
- 安藤翔(剣舞家)
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』144頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月5日閲覧。
- ^ トム・ソーヤー冒険村 美作市
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 勝英地域合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)