勧修寺経茂
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時代 | 室町時代中期 - 戦国時代 |
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生誕 | 永享2年(1430年) |
死没 | 明応9年5月21日(1500年6月17日) |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 後花園天皇→後土御門天皇 |
氏族 | 勧修寺家 |
父母 | 父:勧修寺経直、養父:勧修寺教秀 |
子 |
坊城俊名[1] 養子:政顕 |
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勧修寺 経茂(かじゅうじ つねしげ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての公卿。官位は正二位・権中納言。勧修寺家8代当主。
応仁の乱の戦火を逃れて京から脱出したが、その風体は乞食の様だったという。
勧修寺家8代当主 | |
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