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勧修寺顕允

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
勧修寺顕允
勧修寺顕允
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 安政2年11月9日[1]1855年12月17日
死没 明治33年(1900年9月9日[1][2]
主君 明治天皇
氏族 勧修寺家
父母 父:勧修寺経理
小笠原玉子(小笠原長清の長女)
経雄信忍
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勧修寺 顕允(勸修寺 顯允、かじゅうじ あきまさ[1] / あきこと[2])は、幕末公家、明治期の陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍歩兵大尉貴族院伯爵議員

経歴

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山城国京都右中弁勧修寺経理の長男として生まれる[1][3]明治維新時には正五位下・大夫[3]1884年(明治17年)7月7日伯爵を叙爵した[4]

明治2年1869年皇太后宮大進となり、その後、愛知県出仕三等中警部に転じた[2]1877年(明治10年)西南戦争において新撰旅団に所属し少尉試補に任官[3]1879年(明治12年)陸軍戸山学校教則を卒業し、同年、陸軍歩兵少尉に任官[2]。以後、広島鎮台歩兵第11連隊第3大隊付、同小隊長、歩兵第5連隊小隊長、歩兵第6連隊小隊長などを歴任[2][3]。陸軍歩兵大尉に昇進して退役した[2]

1897年(明治30年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され[5][6]、死去するまで在任した[2][7]

編著

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  • 『布知可豆良』山本彦兵衛、1899年。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 上巻』414-415頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』25頁。
  3. ^ a b c d 『明治過去帳』新訂初版、607頁。
  4. ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、7頁。
  6. ^ 『官報』第4216号、明治30年7月22日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
勧修寺家初代
1884年 - 1900年
次代
勧修寺経雄