十勝東和駅
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十勝東和駅 | |
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とかちとうわ Tokachi-Tōwa | |
◄忠類 (4.4 km) (6.2 km) 大樹► | |
所在地 | 北海道広尾郡大樹町字大樹 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 広尾線 |
キロ程 | 54.4 km(帯広起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1960年(昭和35年)4月15日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)2月2日[1] |
備考 | 広尾線廃線に伴い廃駅 |
十勝東和駅(とかちとうわえき)は、北海道(十勝支庁)広尾郡大樹町字大樹にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)広尾線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲111510[2]。
歴史
[編集]昭和30年代当時、道路の整備がまだ不十分であり、自家用車も普及していなかったことから、住民の不便を解消するために開設された[3]。
- 1960年(昭和35年)4月15日:国有鉄道広尾線の十勝東和駅として開業[4][5][3]。気動車の旅客のみを取り扱う[1]駅員無配置駅[6]。
- 設置にあたり、待合所は住民が建設した[3]。
- 1987年(昭和62年)2月2日:広尾線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]当駅が所在した地の近辺の地名(東和)に[3]、旧国名の「十勝」を冠した[4]。
もともと当地付近(東和のほか、現在の萠和・上萠和・平和および現在の幕別町忠類地区の一部)は上当縁(かみとうべり)と呼ばれていたが、あまりにも広すぎるために、1933年(昭和8年)と1943年(昭和18年)に一部を分割し現在の行政区に近い形となっている。東和地区はその南西に位置している[3]。
ただし、集落名の由来は明らかでないとされている[4]。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の南東側(広尾方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]。
開業時からの無人駅で、駅舎及び待合所は存在しなかった[7]。
利用状況
[編集]開駅当時の利用は、小学生12名、中学生6名、高校生3名、一般人20名と記録され、1日平均90名程度の乗降があった[3]。しかし、その後の道路整備・自家用車の普及により、『大樹町史』が発刊された1969年(昭和44年)頃には、1日50-60名程度の利用に低迷[3]、1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は4人[7]。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]駅の遺構は現在何も残っておらず、駅跡地は畑になっている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、890頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 大樹町史編さん委員会 編『大樹町史』大樹町、1969年3月30日、467-468, 741頁。doi:10.11501/9539029 。2023年6月4日閲覧。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、46頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 「日本国有鉄道公示第173号」『官報』1960年4月13日。
- ^ 「通報 ●広尾線十勝東和駅及び新生駅の設置について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1960年4月13日、2面。
- ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)139ページより。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)12ページより。