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千年川亀之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千年川 亀之助
基礎情報
四股名 豊川 大太郎 → 豊川 大二郎 → 千年川 大五郎 → 千年川 政吉 → 千年川 佐兵衛 → 千年川 金之助 → 千年川 亀之助
本名 小嶋 佐兵衛
生年月日 1884年1月21日
没年月日 (1936-03-04) 1936年3月4日(52歳没)
出身 青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市
身長 170cm
体重 94kg
BMI 32.53
所属部屋 高砂部屋立田山部屋
得意技 左四つ、寄り、掬い投げ
成績
現在の番付 引退
最高位小結
生涯戦歴 78勝64敗31休27分9預(34場所)[1]
幕内戦歴 66勝62敗31休22分9預(19場所)
データ
初土俵 1900年5月場所
入幕 1908年1月場所
引退 1917年1月場所
引退後 年寄立田山二枚鑑札
備考
金星1個(梅ヶ谷(2代)1個)
2019年8月6日現在

千年川 亀之助(ちとせがわ かめのすけ、1884年1月21日 - 1936年3月4日)は、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身で高砂部屋立田山部屋に所属した力士。本名は小嶋 佐兵衛。6代立田山。170cm、94kg。最高位は東小結。得意技は左四つ、寄り、掬い投げ。

経歴

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1900年5月場所で初土俵。入門当初は体質が弱く病気勝ちで、当時の高砂親方に出世の見込みが無いと諭されて一旦は帰郷させられたが、力士への思いを断ち難く再び上京し、同郷の立田山部屋に入門した。そのため番付表に自身の名が初めて現れたのは1902年5月場所のときで、その場所は序二段であった。1907年1月場所で十両昇進。1908年1月場所で新入幕、1911年6月場所には小結に昇進した。1912年5月場所3日目の太刀山峯右エ門との一番は、仕切り直しを30回余行い、時間にして1時間20分費やしたが、開始2秒にして二突きであっさり敗北。この日は三皇孫の台覧相撲であった。この場所は優勝旗手を務めている[2]。変わったエピソードに事欠かない人物。そのため「法螺吹き」とも言われた。すでに二枚鑑札となっていたが、1917年1月場所を以て力士を引退し、親方業に専念。しかし1927年5月に廃業し、北海道に転居した。

主な成績

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  • 通算成績:78勝64敗31休27分9預 勝率.549 [1]
  • 幕内成績:66勝62敗31休22分9預 勝率.516
  • 現役在位:34場所
  • 幕内在位:19場所
  • 三役在位:2場所(小結2場所)
  • 金星:1個(梅ヶ谷(2代)1個)

場所別成績

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千年川 亀之助
春場所 夏場所
1900年
(明治33年)
x (前相撲)
1901年
(明治34年)
x x
1902年
(明治35年)
x 東序二段39枚目
 
1903年
(明治36年)
東序二段13枚目
 
西三段目47枚目
 
1904年
(明治37年)
西三段目30枚目
 
西三段目9枚目
 
1905年
(明治38年)
西幕下48枚目
 
西幕下22枚目
 
1906年
(明治39年)
東幕下30枚目
 
東幕下13枚目
0–0
1引分
(対十両戦)
 
1907年
(明治40年)
東十両9枚目
5–1
3引分
 
東十両筆頭
7–1
2引分
 
1908年
(明治41年)
東前頭5枚目
2–3–1
3引分 1預
 
東前頭4枚目
3–3–2
1引分 1預
 
1909年
(明治42年)
西前頭筆頭
2–5–1
2引分
 
東前頭6枚目
3–5
1引分 1預
 
1910年
(明治43年)
東前頭11枚目
5–1
2引分 2預
 
東前頭3枚目
4–5
1引分
 
1911年
(明治44年)
西前頭4枚目
4–2–1
3引分
 
西小結
4–4
1引分 1預
 
1912年
(明治45年)
西前頭3枚目
3–4
2引分 1預
 
東前頭5枚目
7–2
1預

1913年
(大正2年)
東小結
1–1–8 
西前頭4枚目
0–0–10 
1914年
(大正3年)
西前頭12枚目
4–4–1
1引分
 
東前頭10枚目
6–2–1
1引分
 
1915年
(大正4年)
東前頭2枚目
3–3–1
3引分
 
西前頭7枚目
4–5
1引分
 
1916年
(大正5年)
西前頭8枚目
3–6
1預
 
西前頭11枚目
7–3 
1917年
(大正6年)
東前頭7枚目
引退
1–4–5
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。幕下以下の勝敗数等は暫定的に対十両戦の分のみを示す。

改名歴

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(十両以下は小島貞二コレクションの番付実物画像による)

  • 豊川 大太郎 1902年5月場所 - 1903年1月場所
  • 豊川 大二郎 1903年5月場所 - 1904年5月場所
  • 千年川 大五郎 1905年1月場所 - 1905年5月場所
  • 千年川 政吉 1906年1月場所 - 1907年5月場所
  • 千年川 佐兵衛(ちとせがわ さへえ)1908年1月場所 - 1908年5月場所
  • 千年川 金之助(ちとせがわ きんのすけ)1909年1月場所 - 1911年6月場所
  • 千年川 亀之助(ちとせがわ かめのすけ)1912年1月場所 - 1917年1月場所

年寄変遷

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  • 立田山 清太夫(たつたやま - )1913年1月 - 1927年5月(廃業)

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

脚注

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  1. ^ a b 勝敗分預休の数は幕内・十両のみ示す。当時の幕下以下の星取・勝敗数等に関する記録は2024年現在相撲レファレンス等のデータベースに登録がないため、幕下以下の勝敗数等は便宜上含まないものとする。(他に幕下在位時の対十両戦の1分の記録がある)
  2. ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 pp.86-87.

関連項目

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外部リンク

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