千軒駅
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千軒駅 | |
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駅舎正面(1987年12月) | |
せんげん Sengen | |
◄湯ノ里 (7.2 km) (9.0 km) 渡島福島► | |
所在地 | 北海道松前郡福島町字千軒 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 松前線 |
キロ程 | 24.2 km(木古内起点) |
電報略号 |
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駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
開業年月日 | 1938年(昭和13年)10月21日 |
廃止年月日 | 1988年(昭和63年)2月1日 |
備考 | 松前線廃線に伴い廃駅 |
* 開業時の駅名は「碁盤坂」。1972年(昭和47年)に「千軒」へ改称。 |
千軒駅(せんげんえき)は、北海道(渡島支庁)松前郡福島町字千軒にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はセケ。事務管理コードは▲141504[1]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1938年(昭和13年)10月21日:国有鉄道福山線渡島知内駅 - 当駅間の開通に伴い、碁盤坂駅(ごばんざかえき)として開業[2][3]。一般駅[4]。
- 1942年(昭和17年)11月1日:当駅 - 渡島吉岡駅間の開通に伴い、中間駅となる[2][3]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1953年(昭和28年)11月8日:福山線が松前線に改称[2][3]。
- 1970年(昭和45年)12月12日:出札・改札業務を停止し、旅客業務については無人化され、簡易委託駅となる。但し、運転要員は継続配置。
- 1971年(昭和46年)4月26日:貨物の取り扱いを廃止[4]。
- 1972年(昭和47年)3月15日:千軒駅に改称[3][5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、日本国有鉄道から北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[4]。
- 1988年(昭和63年)2月1日:松前線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2][3]。
駅名の由来
[編集]当駅が所在した地名より。地名は、近辺に存在する山「大千軒岳」の名前に由来する。1628年(寛永5年)、この山に金鉱が開かれ、開発で千軒の人家があったためにこの名になったという[6]。
駅構造
[編集]廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換が可能な駅であった。その他に上り線側に副本線(側線扱い)、下り線側に松前方から分岐してレール末端部分には枕木による車止めが設置された[7]行き止まりの側線を1線有していた[6]。この側線に接して、旧貨物ホームが残存していた[7]。
最終営業日まで、無人駅扱いの運転取り扱い要員のみが配置されていた駅であった。乗車券類の販売は、簡易委託化されていた。駅舎はホームの東南側に位置し、構内踏切で連絡した[6]。ホームは砂利敷きであった。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は43人[6]。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]駅舎と駅構内施設は撤去され、2010年(平成22年)時点では、駅跡地に登山者用の休憩施設が設置されている[8]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、219頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)183ページより。
- ^ a b c d e 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)27ページより。
- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、829頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道コンピューター部『鉄道要覧 昭和48年度』、日本国有鉄道、1975年1月20日、p280。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)62ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の大地から消えた鉄道風景』(撮影:上田哲郎、エムジー・コーポレーションMG BOOKS、2012年3月発行)125ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)169ページより。