渡島大沢駅
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渡島大沢駅 | |
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おしまおおさわ Oshima-Ōsawa | |
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所在地 | 北海道松前郡松前町字荒谷 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 松前線 |
キロ程 | 45.2 km(木古内起点) |
電報略号 | オワ←ヲワ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1946年(昭和21年)12月15日[1] |
廃止年月日 | 1988年(昭和63年)2月1日[1] |
備考 | 松前線廃線に伴い廃駅 |
渡島大沢駅(おしまおおさわえき)は、北海道松前郡松前町字荒谷にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はオワ。事務管理コードは▲141508[2]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1946年(昭和21年)12月15日:国有鉄道福山線の渡島吉岡駅 - 当駅間開通に伴い、一般駅として開業[1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1953年(昭和28年)11月8日:当駅 - 松前駅間開通に伴い、中間駅となる。同時に、福山線が松前線に改称。
- 1962年(昭和37年)11月9日:同日付で貨物および配達の取扱を廃止[3]。
- 1962年(昭和37年)7月1日:業務委託駅となる。
- 1970年(昭和45年)12月12日:荷物扱い廃止[4]。駅員無配置駅となり[5]、簡易委託化。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[1]。
- 1988年(昭和63年)2月1日:松前線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
当駅が所在した地の近辺の地名(大沢)に、旧国名の「渡島」を付した。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(松前方面に向かって右側)に存在した[6]。
無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた[6]。駅舎はホームの東側に接していた。
松前線廃止前は北海道最南端の駅であったが、無人駅であったこともありそれを示す標識のようなものはなかった[注釈 1]。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は44人[6]。
駅周辺
[編集]津軽海峡の展望が良く、天候の良い日は竜飛崎を望むことができた[6]。
駅跡
[編集]現在はホームだけが残っているが、草むらになっている。
また、1999年(平成11年)時点では駅跡の近辺に「荒谷川橋梁」や「櫃の下川橋梁」の大部分が残存していた[7]が、2010年(平成22年)時点では両橋梁ともにガーダー橋が撤去され、橋脚のみとなっている[8]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2024年(令和6年)現在の最南端の駅は木古内駅である。北海道最東端・北海道最西端・北海道最北端の駅は、日本の都道府県の東西南北端の駅の一覧を参照。
出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、829-830頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、219頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 「日誌(昭和37年度11月分)」『鉄道統計月報――昭和37年度11月分』、日本国有鉄道経理局審査統計課、1963年2月、3頁、doi:10.11501/2267838。
- ^ 「日本国有鉄道公示第509号」『官報』1970年12月12日。
- ^ 「通報 ●江差線釜谷駅及び札苅駅並びに松前線森越駅及び渡島大沢駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1970年12月12日、4面。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)63ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング、1999年3月発行)53ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)170ページより。