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渡島大沢駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡島大沢駅
おしまおおさわ
Oshima-Ōsawa
渡島吉岡 (6.5 km)
(2.8 km) 及部
地図
所在地 北海道松前郡松前町字荒谷
北緯41度25分21.5秒 東経140度9分39.1秒 / 北緯41.422639度 東経140.160861度 / 41.422639; 140.160861座標: 北緯41度25分21.5秒 東経140度9分39.1秒 / 北緯41.422639度 東経140.160861度 / 41.422639; 140.160861
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 松前線
キロ程 45.2 km(木古内起点)
電報略号 オワ←ヲワ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1946年昭和21年)12月15日[1]
廃止年月日 1988年(昭和63年)2月1日[1]
備考 松前線廃線に伴い廃駅
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1976年の渡島大沢駅と周囲約500 m範囲。駅舎横の函館側に貨物積卸場の跡と元貨物積卸線の名残りの引込線が残されていた。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

渡島大沢駅(おしまおおさわえき)は、北海道松前郡松前町字荒谷にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線廃駅)である。電報略号オワ事務管理コードは▲141508[2]

歴史

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年表

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駅名の由来

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当駅が所在した地の近辺の地名(大沢)に、旧国名の「渡島」を付した。

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(松前方面に向かって右側)に存在した[6]

無人駅簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた[6]。駅舎はホームの東側に接していた。

松前線廃止前は北海道最南端の駅であったが、無人駅であったこともありそれを示す標識のようなものはなかった[注釈 1]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は44人[6]

駅周辺

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津軽海峡の展望が良く、天候の良い日は竜飛崎を望むことができた[6]

  • 国道228号
  • 松前町役場大沢支所
  • 白神郵便局
  • 松前町立白神小学校
  • 白神岳
  • 白神岬 - 駅から南東に約4 km[6]

駅跡

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現在はホームだけが残っているが、草むらになっている。

また、1999年平成11年)時点では駅跡の近辺に「荒谷川橋梁」や「櫃の下川橋梁」の大部分が残存していた[7]が、2010年(平成22年)時点では両橋梁ともにガーダー橋が撤去され、橋脚のみとなっている[8]

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
松前線
渡島吉岡駅 - 渡島大沢駅 - 及部駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 2024年令和6年)現在の最南端の駅は木古内駅である。北海道最東端・北海道最西端・北海道最北端の駅は、日本の都道府県の東西南北端の駅の一覧を参照。

出典

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  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、829-830頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、219頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ 日誌(昭和37年度11月分)」『鉄道統計月報――昭和37年度11月分』、日本国有鉄道経理局審査統計課、1963年2月、3頁、doi:10.11501/2267838 
  4. ^ 「日本国有鉄道公示第509号」『官報』1970年12月12日。
  5. ^ 「通報 ●江差線釜谷駅及び札苅駅並びに松前線森越駅及び渡島大沢駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1970年12月12日、4面。
  6. ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)63ページより。
  7. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング、1999年3月発行)53ページより。
  8. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)170ページより。

関連項目

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