南条秀雄
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南条 秀雄(なんじょう ひでお、1921年(大正10年)6月16日 - 1985年(昭和60年)11月10日)は、シテ方観世流能楽師。神奈川県横浜市生まれ。
来歴・人物
[編集]1921年(大正10年)、南條秀治(太鼓方観世流)の長男として横浜に生まれる。その後東京に転居し、永田町小学校を卒業。[1]1930年(昭和5年)、梅若万三郎 (初世)に入門。戦後は関西へ転居し、梅若猶義、先代観世喜之に師事した。1933年(昭和8年)には、シテ方としての初舞台を踏み、1941年(昭和16年)、初シテ方を務める。「玉鑾会」、「散る花の会」を主宰した。[2]妻は、日本初の女性能楽師・師範の奥村富久子で、親交があった谷崎潤一郎の媒酌であった。 [3]日本能楽会会員。重要無形文化財総合指定保持者。
著書
[編集]- 『花のむかし』(南条秀雄, 奥村富久子 著・南条秀雄師追悼出版事業会・1986年)
脚注
[編集]- ^ 『花のむかし』南条秀雄, 奥村富久子 著 南条秀雄師追悼出版事業会 1986年
- ^ 西野春雄 羽田昶『新版 能・狂言事典』平凡社、2011年 ISBN 978-4-582-12641-9
- ^ http://atlantic.gssc.nihon-u.ac.jp/~ISHCC/bulletin/02/201.pdf