コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

原裕太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原 裕太郎
名前
愛称 ユウタロウ
カタカナ ハラ ユウタロウ
ラテン文字 HARA Yutaro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-04-23) 1990年4月23日(34歳)
出身地 島根県簸川郡斐川町
(現出雲市
身長 187cm
体重 82kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
日本の旗 荘原小SSS(荘原小学校)
2003-2005 日本の旗 サンフレッチェくにびきJrユース
2005-2008 日本の旗 サンフレッチェ広島ユース
(吉田中学校/吉田高校)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2014 日本の旗 サンフレッチェ広島 2 (0)
2015-2016 日本の旗 ロアッソ熊本 11 (0)
2016 日本の旗 愛媛FC (loan) 0 (0)
2017-2020 日本の旗 愛媛FC 0 (0)
通算 13 (0)
代表歴
2007  日本U-17 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

原 裕太郎(はら ゆうたろう、1990年4月23日 - )は、島根県簸川郡斐川町(現出雲市)出身の元プロサッカー選手GK)、サッカー指導者。

来歴

[編集]

小学2年生からサッカーを始める[1]。荘原小SSS時代にGKとして全日本少年フットサル大会出場を果たしている[2]

その後サンフレッチェくにびきジュニアユースに所属、公式戦ではGKとしてプレーしていたが、この時期の練習ではほとんどMFとしてプレーしていた[3]。2005年中学3年時から同級生の岡本知剛とともに広島ユースに早期昇格する[1]中山雄登は広島ユースの1年後輩にあたる。広島県立吉田高等学校に入学、高校2年の夏ごろから兼田亜季重を押しのけ正GKとしてレギュラーをつかみ[3]、2007年日本クラブユース選手権3位、高円宮杯準優勝などに貢献した。

また、2006年、2007年にはU-17代表の第3GKとしてAFC U-17選手権2006FIFA U-17ワールドカップに登録された[3]

2008年、高校3年時にトップへ2種登録。同年6月、下田崇木寺浩一と相次ぐ怪我による離脱に伴い、初ベンチ入りを果たす。その後2ヶ月間すべてトップチームでベンチ入りを果たしたが、中林洋次を補強したことによりベンチ入りからは外れた。また、ユースではゲームキャプテンを務めた。[4][5]

2009年、トップに昇格[3]。くにびきジュニアユースから初のトップ昇格選手。下田および佐藤昭大の怪我による離脱に伴い第2GKとしてベンチ入り。6月3日ナビスコカップグループA第5節大分トリニータ戦に於いて若手中心で起用されることとなりプロデビュー[6]7月3日の第16節ジュビロ磐田戦(0-1)では中林の負傷に伴い念願のリーグ戦デビューを果たす。以降は事実上第3GKとして登録されていた。

2010年以降は西川周作の加入によって第3GKとなっていたが、2013年5月6日の第13節大宮アルディージャ戦(1-2)で、増田卓也と大宮FW富山貴光が激突し増田が救急車で運ばれたことにより途中出場し、実に4年ぶりとなるリーグ戦出場を果たした[7](なおこの試合では負傷した西川に代わり増田が出場したためベンチ入りを果たしていた)。

2014年12月12日、ロアッソ熊本へ完全移籍した[8]。シーズン当初は主力GKとして出番を掴んだが、シュミット・ダニエルの加入により出場機会を失った。

2016年は広島時代にチームメイトだった佐藤昭大の加入により出番を得ることが出来なかった。5月9日、登録ウィンドーの例外による期限付き移籍の制度によりGKの離脱が相次ぎ不足に陥っていた愛媛FCへの期限付き移籍が発表された[9]。移籍期間は2017年1月31日まで。愛媛加入後は第2GKとしてベンチ入りを続けたが、児玉剛の壁は高く、公式戦での出番を得ることはできなかった。モンテディオ山形12月2日、愛媛FCへの完全移籍が発表された[10]。児玉がモンテディオ山形に移籍後も、故障から復帰したパク・ソンスジェフ千葉から移籍加入した岡本昌弘の前に出場機会を得られなかった。

2020年12月28日、現役引退が発表された[11]

2021年、サンフレッチェ広島のアカデミー普及部コーチ、GK普及コーチに就任した[12]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 広島 36 J1 1 0 1 0 0 0 2 0
2010 0 0 0 0 0 0 0 0
2011 21 0 0 0 0 0 0 0 0
2012 0 0 0 0 0 0 0 0
2013 1 0 0 0 0 0 1 0
2014 0 0 0 0 0 0 0 0
2015 熊本 31 J2 11 0 - 0 0 11 0
2016 0 0 - - 0 0
愛媛 37 0 0 - 1 0 1 0
2017 0 0 - 0 0 0 0
2018 22 0 0 - 0 0 0 0
2019 0 0 - 1 0 1 0
2020 0 0 - - 1 0
通算 日本 J1 2 0 1 0 0 0 3 0
日本 J2 11 0 - 2 0 13 0
総通算 13 0 1 0 2 0 16 0
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 広島 36 0 0 -
2012 21 - 0 0
2013 0 0 -
2014 0 0 -
通算 AFC 0 0 0 0

出場歴

[編集]
アンダーカテゴリー
トップチーム
  • 初ベンチ入り:2008年6月25日 J2第22節 対徳島ヴォルティス戦 (広島ビッグアーチ)
  • 公式戦初出場:2009年6月3日ナビスコカップ第5節対大分トリニータ戦 (九州石油ドーム)
    • 先発フル出場
  • リーグ戦初出場:2009年7月3日 J1第16節対ジュビロ磐田戦 (広島ビッグアーチ)
    • 先発フル出場

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]
サンフレッチェ広島

代表歴

[編集]

脚注・出典

[編集]
  1. ^ a b 山陰中央新報 (2009年4月22日). “「プロ選手夢だった」原(斐川町出身)J1広島入りで会見”. 2010年1月22日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 広報ひかわ (2003年1月). “荘原小学校サッカースポーツ少年団全国大会出場”. 2010年1月22日閲覧。[リンク切れ]
  3. ^ a b c d 中国新聞 (2009年1月27日). “2009サンフレ新戦力<上> GK原裕太郎”. 2010年1月22日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ 中国新聞 (2008年6月25日). “GK原、初のベンチ入りへ”. 2010年1月22日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ J's GOAL. “J's GOAL × EL GOLAZO Selection Pick Up Player”. 2014年12月12日閲覧。
  6. ^ 中国新聞 (2009年6月3日). “若手パワー爆発だ ナビスコ杯、3日大分戦”. 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月12日閲覧。
  7. ^ J's GOAL (2013年5月6日). “2013 J1 第10節 大宮 vs 広島”. 2014年12月12日閲覧。
  8. ^ 原 裕太郎選手、サンフレッチェ広島より移籍加入のお知らせ -ロアッソ熊本公式サイト 2014年12月12日
  9. ^ ロアッソ熊本公式サイト (2016年5月9日). “原 裕太郎選手、愛媛FCへ期限付き移籍のお知らせ”. 2016年5月11日閲覧。
  10. ^ ロアッソ熊本公式サイト (2016年12月2日). “原 裕太郎選手、愛媛FCへ完全移籍のお知らせ”. 2016年12月2日閲覧。
  11. ^ 愛媛FC公式サイト (2020年12月28日). “原 裕太郎 選手 引退のお知らせ”. 2021年1月5日閲覧。
  12. ^ 原裕太郎氏 アカデミー普及部コーチ、GK普及コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)サンフレッチェ広島、2021年2月1日https://www.sanfrecce.co.jp/news/academy/35282021年3月12日閲覧 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]