台北市 (省轄市)
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台北市(タイペイ/たいほく-し、繁体字中国語: 臺北市/台北市、英語: Taipei City)は、かつて中華民国台湾省に存在した省轄市。
沿革
[編集]日本統治時代、台北市は台北州に属していた。1945年10月25日(昭和20年/民国34年)の台湾光復後、台北市は台湾省の省轄市(現:市)に再編され、台北市政府が建成小学校に設置された[1]。また、台湾省政府も台北市に設置された。省政府は1957年(民国46年)に台北市から南投県南投市中興新村に移転した。1949年(民国38年)に中華民国政府が台湾へ移転して以降、台北は中華民国の首都や台湾の政治・経済の中心地として急速に人口が増加した。1962年(民国51年)には「市組織法」の院轄市(現:直轄市)設置要件を満たし、1967年(民国56年)に院轄市に昇格した。
市域の拡大
[編集]1967年7月1日の院轄市への昇格に伴い、台北市の市域の拡大について協議が始まった。 台北市が新たに編入する範囲として以下のような案が挙げられ、中央政府、台北県(現:新北市)と協議を重ねた結果、最終的に行政院の乙方案が採用され、1968年7月1日に編入が行われた。
内政部方案
[編集]- 方案1
市域の拡大を行わない。
- 方案2
- 方案3
- 方案4
- 陽明山管理局:全域
- 台北県:内湖郷、南港鎮、木柵郷、景美鎮、新店鎮、永和鎮、中和郷、板橋鎮、新荘鎮、三重市、淡水鎮、三芝郷、石門郷、金山郷、万里郷、汐止鎮、深坑郷、土城郷、蘆洲郷、五股郷、泰山郷、八里郷、林口郷
- 方案5
- 陽明山管理局:全域
- 台北県:全域
行政院方案
[編集]- 甲方案
- 乙方案
陽明山管理局:全域 台北県:内湖郷、南港鎮、木柵郷、景美鎮
台北市議会方案
[編集]- 甲方案
- 陽明山管理局:全域
- 台北県:内湖郷、淡水鎮
- 乙方案
- 陽明山管理局:全域
- 台北県:内湖郷、汐止鎮北部、木柵郷、景美鎮、淡水鎮、三芝郷、石門郷、金山郷、萬里郷
行政区画
[編集]1945年(民国34年)11月1日に台北市は台湾省の省轄市に再編されたが、市の下に存在した61の区は日本統治時代の区分のまま変更されなかった。
1946年(民国35年)2月8日、台北市政府は市内の61区を以下の10区に再編した[2]。
人口
[編集]以下は1966年(民国55年)の台湾人口普査における各区の人口である。
区名 | 面積 (km²) |
人口 (人) |
人口密度 (人/km²) |
---|---|---|---|
松山区 | 20.75 | 124,656 | 6,008 |
大安区 | 10.57 | 170,974 | 16,175 |
古亭区 | 6.70 | 153,708 | 22,941 |
双園区 | 5.23 | 101,518 | 19,411 |
竜山区 | 1.36 | 72,829 | 53,551 |
城中区 | 3.89 | 78,009 | 20,054 |
建成区 | 0.76 | 58,616 | 77,126 |
延平区 | 1.22 | 61,596 | 50,489 |
大同区 | 106,415 | ||
中山区 | 190,531 | ||
台北市 | 66.9872 | 1,118,852 | 16,702 |
歴代市長
[編集]→「台北市長」も参照
地方自治実施前
[編集]代 | 氏名 | 写真 | 所属政党 | 在任期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 黄朝琴 | 中国国民党 | 1945年11月1日 - 1946年3月1日 | |
2 | 游弥堅 | 中国国民党 | 1946年3月1日 - 1950年2月6日 | |
3 | 呉三連 | 無所属 | 1950年2月6日 - 1950年11月13日 | |
代理 | 項昌権 | 無所属 | 1950年11月13日 - 1951年2月1日 |
地方自治実施後
[編集]代 | 期 | 氏名 | 写真 | 所属政党 | 在任期間 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 呉三連 | 無所属 | 1950年2月1日 - 1954年6月2日 | |
2 | 2 | 高玉樹 | 無所属 | 1954年6月2日 - 1960年6月2日 | |
3 | 3 | 黄啓瑞 | 中国国民党 | 1957年6月2日 - 1960年6月2日 | |
4 | 1960年6月2日 - 1961年8月22日 | ||||
代理 | 周百錬 | 中国国民党 | 1961年8月22日 - 1963年12月14日 | ||
3 | 黄啓瑞 | 中国国民党 | 1963年12月24日 - 1964年6月2日 | ||
4 | 5 | 高玉樹 | 無所属 | 1964年6月2日 - 1967年6月30日 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “About MoCA”. Museum of Contemporary Art, Taipei. 13 January 2024閲覧。
- ^ 《臺北市志》,卷一沿革志封域篇,臺北市文獻委員會,p. 64,1988年6月