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新竹市 (1945年-1951年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新竹市
台湾省省轄市

1945年 - 1951年
新竹市の位置
新竹市の位置
政庁所在地 北区
歴史
 - 設置 1945年10月30日
 - 県轄市に降格 1951年12月1日
面積
 - 1950年 222.45km2
人口
 - 1950年 126,216 
     人口密度 567.4/km2
行政区画 9(1945年-1946年)
7区(1946年-1950年)
4区(1950年-1951年)
現在 新竹市
新竹県宝山郷
新竹県竹東鎮

新竹市(シンジュー/しんちく-し、英語: Hsinchu City)は、かつて中華民国台湾省に存在した省轄市

沿革

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1945年(昭和20年/民国34年)10月25日、日本の敗戦に伴って台湾中華民国国民政府に接収(台湾光復)され、台湾省が設置された。同年10月30日に台湾省の省轄市として新竹市が設置され、9のが設置された[1]。新竹市の設置に伴い、新竹県の県政府は桃園鎮(現:桃園市桃園区)に移転され、新竹市政府は旧新竹州庁に置かれた。成立当初の市の面積は101km²だった。

1946年(民国35年)3月18日、新竹市は隣接する新竹県から竹東鎮(上坪里・瑞峰里を除く)と宝山郷を編入し、竹東区と宝山区を設置した。これにより市の面積は約222km²に拡大した[2]。当時台湾省に存在した9の省轄市の中で新竹市の面積は最も大きく、人口は約12万人で4位、人口密度は6位だった。同年4月17日、区割が再編され、東区、西区、南区、北区、香山区、竹東区、宝山区の7区となった[3]。西区公所は省立新竹病院、南区公所は新竹寺、北区公所は北門派出所に設置された。

1950年(民国39年)10月25日、台湾省全体の行政区画の再編に伴って新竹市は新竹県に編入され、竹東区、宝山区、香山区は竹東鎮、宝山郷、香山郷となった。また、同時に新竹市は新竹県の県政府所在地となった[4]

1951年(民国40年)12月1日、新竹市のその他の区も全て廃止され、県轄市に降格した。

歴代市長

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代数 市名 任期 備考
1 郭紹宗 1945年11月17日 - 1947年3月16日 新竹州接管委員会主任委員
1946年1月以前は新竹県長との兼任[5][6][7]
2 陳貞彬 1947年3月16日 - 1950年10月25日 行政区画の再編後、新竹県長に就任[8]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 臺灣建制市的市轄區變遷” (中国語). 臺灣建制市的市轄區變遷. 2017年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月5日閲覧。
  2. ^ 陳國川 (1996). 《臺灣地名辭書卷十八:新竹市》. https://tm.ncl.edu.tw/article?u=022_004_00003163 
  3. ^ 09_戰後初期新竹政治的活動-以新竹市參議會為中心(1946-1950)”. 新竹市文化局. 2024年1月23日閲覧。
  4. ^ 新竹の沿革”. 新竹市政府. 2024年1月23日閲覧。
  5. ^ 新竹縣成立,縣長郭紹宗宣告就任。[リンク切れ],新竹市志卷首.下,臺灣記憶,国家図書館,1999年6月
  6. ^ 各縣市長視察基隆[リンク切れ],民報,国立台中図書館,国家文化資料庫,1947年1月16日,2003年4月8日建檔
  7. ^ 郭紹宗 アーカイブ 2017年4月7日 - ウェイバックマシン新竹市文化局
  8. ^ 陳貞彬 アーカイブ 2015年6月23日 - ウェイバックマシン新竹市文化局