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名古屋市交通局1550形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

名古屋市交通局1550形電車は、かつて名古屋市交通局が保有していた路面電車車両である。1800形と同時期に登場したが、機器などのグレードを落とした、廉価版の車両であった。

概要

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1550形は1953年12月に最初の5両が投入され、翌1954年12月までに合計12両が、日立製作所日本車輌製造輸送機工業の3社によって製造された。

1400形以来の流れを汲む片側3扉・12m級の中型車で、側面窓配置は1D4D4D1、2段上昇窓で両端扉は2枚引戸、中央扉は1枚引戸となっていた。外観は同時期に登場した1800形(1801~1814)とほぼ同一である。ただし木製の扉や窓枠・白熱電球の車内照明・直接制御方式を採用するなど、ダウングレード版の車両である。足回りは50PSのモーターを2基装備、KS40Jまたはブリル76E2類似の台車を履いていた。1800形と比較され「インチキ無音電車」のあだ名があった。

性能的には1500形とほぼ同一の旧型車であり、12両の小所帯形式だったが、堅実で扱い易いため、路線縮小過程での廃車は見送られ、大部分が路線全廃時まで残存した。

運用

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新造直後には全車が浄心車庫に配置され、上江川線栄町線(広小路線)など、同車庫担当系統で運用された。その後は稲葉地車庫沢上車庫に分散配置され、市内中心部を走る系統で運用されることが多かった。最末期には全車が安田車庫に配置され、沢上車庫廃止時に1561・1562の2両が廃車されたが、残る10両は路線全廃時まで活躍した。

路線全廃日の「サヨナラ電車」3両の内の1両は、同形式から1555が選ばれ、装飾を施されて最後の力走を行った。

改造

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前面方向幕大型化
1962年8月に、1551が改造を受けた。本改造はこの1両だけで終わり、他車・他形式に及ぶことはなかった[注釈 1]
ワンマン化改造
1969年までに全車が改造された。形態的にはいわゆる「標準ワンマン」で、車体全周に赤帯を追加、運転台の操作卓は小型のものを、ワンマン表示器は前灯下部に大型のものを装備した。また前灯下部にあった車番は小型化の上、系統番号表示器の下部に移設された。
ワンマン運行では「前乗り後降り」(運賃前払い)とされていたため、進行方向に対して前扉を乗車用、中扉を降車用として、後扉は締切扱いとした。このためワンマン化改造後は、外観こそ3扉車であるが、実質は左右非対称の前中2扉車となっていた。

保存車・譲渡車

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岡山電気軌道3802

沢上車庫廃止時に廃車となった1561・1562の2両が、1974年3月に岡山電気軌道に譲渡され、同社の3800形(3801・3802)となったが、既に廃車されている。

1551から1560までの台車が1974年伊予鉄道に譲渡され、電動機交換のうえ、モハ50型(70~78)の台車振替に使用された。

岐阜県内に現存する1559(2019年撮影)

なお1559の車体は岐阜県内の山中(ひるがの高原スキー場周辺)に野ざらしの状態で現存している。保存状態は天井が剥がれ落ちているなど、極めて悪い。なお、1559の車体は私有地にあるため、立ち入ることは基本的にできない。[1]

車両諸元

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  • 車長:12706mm
  • 車高:3075mm
  • 車幅:2404.6mm
  • 定員:70名
  • 自重:14.0t
  • 台車:
    • 住友KS40J(1551~1560)
    • ブリル76E2の類似コピー品(1561・1562)
  • 電動機:50PS(36.8kW)×2
  • 製造:
    • 日立製作所(1551~1555)
    • 日本車輌製造(1556~1558・1561・1562)
    • 輸送機工業(1559・1560)

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし使用期間は短く、後に表示部分をマスキングして、他車と同じサイズの方向幕を使用するようになった。

出典

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参考文献

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  • 日本路面電車同好会名古屋支部編著 『名古屋の市電と街並み』 トンボ出版、1997年