呂号第二十一潜水艦
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(呂21から転送)
艦歴 | |
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計画 | 大正6年度計画[1] |
起工 | 1919年7月28日[1] |
進水 | 1920年10月26日[1] |
就役 | 1922年2月2日[1] |
除籍 | 1934年4月1日[1] |
その後 | 除籍後、浦賀船渠で機関撤去[1] 1935年7月6日神奈川県三浦郡水産会に払下げ[2] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:740トン 常備:771.8トン 水中:996.8トン |
全長 | 70.1m |
全幅 | 6.12m |
吃水 | 3.70m |
機関 | ズルツァー式[3]2号ディーゼル2基 電動機、2軸 水上:2,600馬力 水中:1,200馬力 |
速力 | 水上:16.5kt 水中:8.5kt |
航続距離 | 水上:10ktで6,000海里 水中:4ktで85海里 |
燃料 | 重油:75トン |
乗員 | 46名 |
兵装 | 28口径8cm高角砲1門 45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門 魚雷10本 |
備考 | 安全潜航深度:45.7m |
呂号第二十一潜水艦(ろごうだいにじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十六型潜水艦(海中3型)の6番艦。竣工時の艦名は第三十九潜水艦。
艦歴
[編集]1919年(大正8年)7月28日、横須賀海軍工廠で起工。1920年(大正9年)10月26日進水。1922年(大正11年)2月2日竣工。竣工時の艦名は第三十九潜水艦、二等潜水艦に類別[1]。1924年(大正13年)11月1日、呂号第二十一潜水艦に改称[1]。1934年(昭和9年)4月1日に除籍。その後、浦賀船渠で機関を撤去し、1935年(昭和10年)7月6日、神奈川県三浦郡水産会に払下げられ、漁礁として沈められた[2]。
呂十三型潜水艦より安全潜航深度が増大した他は大きな変更点はなかった[4]。
歴代艦長
[編集]※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
艤装員長
[編集]艦長
[編集]- (心得)関野明 大尉:1921年8月1日[6] - 1922年12月1日[7]
- 松岡弘人 少佐:1922年12月1日[7] - 1923年9月13日[8]
- (心得)古木百蔵 大尉:1923年9月13日[8] - 1924年12月1日[9]
- 伊藤尉太郎 大尉:1924年12月1日 - 1925年12月1日
- 鶴岡信道 大尉:1925年12月1日 - 1928年4月1日
- (兼)林清亮 少佐:1928年4月1日[10] - 1928年12月15日[11]
- (兼)遠藤敬勇 大尉:1928年12月15日[11] - 1930年4月1日[12]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第7巻、368頁。
- ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」17頁。
- ^ SULZER社。英語読みではスルザー。
- ^ 『日本海軍の潜水艦』26頁。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2701号、大正10年8月2日。
- ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3332号、大正12年9月29日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ 『官報』第376号、昭和3年4月2日。
- ^ a b 『官報』第592号、昭和3年12月17日。
- ^ 『官報』第975号、昭和5年4月2日。
参考文献
[編集]- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。